廃める
一
「や、矢野君だな、君、きょう来たのか、あそうか僕の手紙とどいて。」
主人はなつかしげに無造作にこういって玄関の上がりはなに立った。近眼の、すこぶる度の強そうな眼鏡で格子の外をのぞくように、君、はいらんかという。
矢野は細面手の色黒い顔に、こしゃこしゃした笑いようをしながら、くたびれたような安心したようなふうで、大儀そうに片手に毛布と鞄との一括を持ち、片手にはいいかげん大きいふろしき包みを二つ提げてる。ふろしき包みを持ったほうの手で格子戸を開けようとするがうまく開からない。主人はそれを見て土間に片足を落として格子戸を開けた。
「えらい風になった、君ほこりがひどかったろう。」
「えいたいへんな風でした。」
矢野はおっくうそうに物をいいながら、はかまの腰なる手ぬぐいをぬき、足袋のほこりをはたいて上へあがった。玄関の間のすみへ荷物をかた寄せ、鹿児島高等学校の記章ある帽子を投げるようにぬぎやって、狭い額の汗をふきながら、主人のあとについて次の間へはいる。
主人大木蓊は体格のよい四十以上の男で、年輩からいうと、矢野とは叔父甥くらいの差である。文学上の交際から、矢野は大木を先輩として尊敬するほかに、さらに親しい交わりをしている。矢野は元来才気質の男でないから、少しの事にも大木に相談せねば気が済まないというふうであった。ことに今度は東京にいるのだから、一散にやって来たのである。大木のほうでも矢野が頭脳のよいばかりでなく、性質が清くて情に富んでるのを愛している。
大木は待ち受けた人を迎えて、座につかぬうちから立ちながら話しかける。
「よく早く来られた、僕はどうかと思ってな。」
「少し迷ったんですが、お手紙を見て急に元気づいて出てきました。」
ふたりは賓主普通の礼儀などはそっちのけで、もうてんから打ちとけて対座した。
「君、ほこりを浴びたろう。ちょっと洗い場で汗を流しちゃどうか、ちょうど湯がわいてるよ。」
「えい風があんまり吹きますから。」
「そうか、そんな事はせんがいいかな。」
大木は心づいて見ると、この熱いのに矢野は、単衣の下に厚木綿のシャツを着ていた。大木はこころひそかに非常な寂しみを感じて、思わず矢野のようすを注視した。しかし大木はそんなふうを色にも見せやせぬ。すぐに快活な談話に移ってしまった。
「きょうは君にごちそうがあるぞ、この間台湾の友人からザボンを送ってくれてな。」
こういいながら大木は立って、そこの戸棚から大きなザボンを二つかかえ出した。
「どうだこんなに大きい。内紫というそうだ。昨日一つやってみたところ、なるほど皮の下は紫で美しい。味も夏蜜柑の比でないよ。」
矢野はにやにや笑いながら、
「僕はときどき鹿児島でくったんです。」
「ハハそれじゃ遼東の豕であったか、やっぱりこんなに大きくて。」
「えいこんなにゃ大きかない、こりゃでかいもんだ。」
矢野はザボンの一つを手にとって、こねまわして見る。大木は鉄瓶を呼んで、自分手ずから茶を入れる、 障子に日がかぎって、風も少し静かになった。大木はなおひそかに矢野のようすに注意している。矢野は格子の前に立った時から見るとよほど血色がよくなった。ふたりでザボンを切ってしばらく笑い興ずる。
矢野は鹿児島高等学校を卒業して、帰郷して暑中休暇の間は意外元気であった。これでは肺の悪いのもそれほどではないのだろうと思われ、二里位のところへ平気で行って来られた。友人のところを遊びまわり四五日の旅行もしたが、何の事もなく愉快であった、親父も診察して心配するほどの事もないといった。それで始めはここ一か年休学して養生せねばと思っていたのを、この分ならば差しつかえもあるまいという気になり、取りあえず手紙で大木に相談すると、君がやって見ようという気になったのならば、むろんやるべしじゃ、あまり消極的に考えて、自分から病人ときめ込むのは、大いにおもしろくない。出て来い出て来い、遊ぶつもりで大学にいるのもしゃれてるだろうというような、大木の返事にいよいよ元気が出てやって来たのである。
矢野は親父が医師で、家計上どうしても医師にならねばならなく、やむを得ず医学をやるけれど、矢野は生来医師を好んでいないのだから、そこにすでに気の毒なところがあるのに、去年春ごろからとかく呼吸器が悪い。大木は矢野の境遇に同情して、内心非常に矢野の病気を悲しんでいる。矢野自身よりも、矢野の親族の人達よりも、かえって深く矢野の病気を悲しんでいる。矢野に対する大木の一言一行、それははがきに書く文字のはしにまで、矢野を思う心がこもっている。それで矢野もまた大木の手紙を見、大木の話を聞けば自ら元気づくのである。
矢野は家を出るときはすこぶる威勢よく出たけれど、汽車ちゅう退屈してよけいな事を考えたり、汽笛の声が妙に悲しく聞こえたり、いやにはかない人の話を聞いたり、あれもきっと肺病だなと思われるあおい顔の人などを見たりして、そぞろに心寂しく、家を出た時の元気は手を返すように消え失せた。一年休めばよかった、出て来ねばよかった。我にもあらず、そんな考えばかり浮かんでしかたがない。
自分で気を引き立てようと思いついて見てもだめだ。歌集を出して見る、一向におもしろくない。小説を出して見る、やはり興味がない。はては腹が立ってきて、妙に気があせって、
「なんだばかばかしい。」
こう口のうちで我を叱りながら、荒々しく、ガラス窓をおして外を眺めて見たが、薄黒く曇った空の下にどれもどれも同じように雑木の繁った山ばかり、これもなんとなく悲しく見えてしまった。
飯田町へ着いたらすぐ大木のところへ行って見ようと、矢野はただ船に疲れた人が陸を恋しがるような思いで大木が恋しくなった。飯田町へ降りては電車に乗るのもいやで、一時も早くというような心持ちに人車を命じて、大木の家まで走りついた。
今先輩大木の家に落ちついて、ゆったりとした大木の風彩に接し、情のこもった大木の話を聞けば、矢野は何時の間か、時雨の空が晴れたような心地にまったく苦悶がなくなる。きょうも、大いに大木にうったえて相談するつもりでやって来たのだが、話してるうちにうったえる必要もなくなり、相談しようと思ったのもなんであったかを忘れてしまった。
矢野はからだを横に、身を片ひじにささえながら、ザボンを片手にもてあそびつつ、大木の談論を聞いてる。にこにこ笑う顔に病人らしいところは少しもない。矢野は手紙ではよく自分の考えやときどきの精神状態や、周囲のでき事までほそぼそと書くのがつねであるが、会ってはあまり話のない男である。大木も矢野のようすが意外によろしいのに安心して、大いに文学論などをやった。
「医学は君の職業だ。文学は君の生命だ。しかし君人間に職業のだいじなことはいうまでもないことであるから、健康の許すかぎりやらねばならん。そうだろう君。」
矢野はからだを起こし居直って、
「なるほどそうだ、それに違いない。それで僕は腹がきまった、僕はやる……」
矢野は興奮した口調にいうのであった。わかりきったことでも、まじめに大木の口から聞かせられると、矢野はいつでも感奮するのである。
蚊遣りが 出る。月がさしこんでくる。明りがつく。端近にいると空も見える。風はまったく凪げて静かな夜となった。熱くもあり蚊もいるが、夜はさすがにあらそわれない秋の色だ。なんとかいう虫も、人の気を静めるように鳴く。
「君なんの事でも、急いちゃいかんよ。学問はなおさらの事だ。蚕が桑を食うのを見たまえ、食うだけ食ってしまえば上がらなけりゃならんじゃないか。社会の人間を働かせようとするはよいが、人間も働くだけ働けば蚕のように上がらなければなるまい。だから人間はゆっくり働くくふうが肝要だよ。」
「けれども学問は働く準備ですからな、僕等は準備中に終えるのかも知れないですもの。」
「いや準備も働きのうちだ。だから働きを楽しむとともに準備を楽しむの心得がなくてはいかん。考えようでかえって準備のほうがおもしろい。花見を見たまえ、本幕の花見よりも出かけるまでの準備がおもしろいくらいのものだ。ここが君大事なところだ。準備を楽しむという考えがあると、準備ばかりでおしまいになってもはなはだしい失望がない。だから学問は楽しみつつやるべきものだ。また楽しいものにきまってる。人間は手足を動かしても一種の興味を感じ得らるるものだ、いわんや心を動かして興味のないということがあるものか、昔は修業に出ることを遊学というたよ。学問を楽しむの意味が現われてるでないか、だから君、楽しみつつゆっくり学問するんだよ。準備ばかりでおしまいになってもはなはだしい後悔のないように準備を楽しむのさ。」
「僕は非常に愉快だ、嗚呼愉快だ。僕はきっと、愉快にやります。僕はとかくに、人がうらやましく見えてしかたがなかった。人をうらやむ心が起こると自分が悲しくなるのです。もう僕は人をうらやまない、きっと楽しく学問をやる。」
こんな話が、ごったまぜにくり返され、矢野は愉快に、ここにとまった。
二
矢野は本郷台町に友人のいる下宿をたずねて、幸いに友人もおって取りあえず下宿の相談をすると、この家でどうにか都合ができるだろう、まあ話せという。友人は法科の学生で矢野より一年早く鹿児島高等を出た中島という男だ。どどいつ が大好きだという元気のいい男だ。矢野はあまり中島を好かぬのだけれど、あてどもなく下宿をさがすもいやだから、ともかくもと思ってたずねたのだ。
茶が出る。宿の女房も出て来た。あき間が二間あるから見てくれという。矢野はなるべく中島の座敷と離れるを希望しておったが、仕合わせとここからもっとも離れた西端の隅座敷をえらぶことができた。日当たりもよく室もややきれいだ。さっそく荷物を運び入れて落ちついた。中島は学校へ出る。矢野は国もとやら、友人やらへ、当分ここにいるおもむきの信書を書いた。
矢野は女を呼んで下宿料の前払いを渡し、
「自分はからだが弱いから、時にわがままなことをいうかも知れない。なにぶん頼むよ。」
と愛想をいって、宿へも女にも幾分か心づけをする。書生としては珍しい客だから宿の受けはもちろんよい、火鉢に茶具、比較的下等でないのを取りそろえて貸してくれた。
矢野は思い出したように冷えた茶をすすって、まあよかったとひとりごとをいいつつ、座敷の周囲を見まわしたが、これといっていやなものも目にとまらない。
額は取りのけてもらって、自分の好きな人の写真をかけよう。床の掛け物もこれはよしてもらって、大木さんから子規先生の物を貸りてきてかけよう。こうすべてにきまりがつくとたいへん気分がいい。矢野は日の暮れないうちに机とランプだけは買って来ねばならぬと思っているけれど、出かける気にもならない。大木のいったことを思い出す。君はからだの弱いせいか、ささいな事に拘泥するふうが見える。
「君はなんでも不快を感じそうな物事に接近することを避けるようにせんといかん。」
なるほどそうだやっぱし病気のせいだろう。かまうことはない、なんでもこれから、のろくのろく平気に平気にやってみよう。愉快だ、大木さんはえらいな、僕は人と競争なんかしない。僕は遊んでるんだ、矢野は腹で考えるつもりなのが、つい口に出てしまった。廊下に人の足音がする。やがて、
「ランプの用意をいたしましょうか。」
と女の声がする。
「なに僕が買ってくる。」
と矢野は声とともにたって下に降りた、そうしてまっすぐにちゅうちょなく本郷の表通りへくる。
「まず下宿屋の生活を楽しまねばいかない。」突然こんなことを考えついて、矢野は得意にそれを口の底にくり返して表通りへ出た。矢野はいきなり家具屋へはいってテーブル机、椅子、本箱、相当にりっぱなものを買い取り、さっそく自分の下宿へ届けるように命じた。矢野はそこを出てなおしきりに、「まず下宿屋の生活を楽しまなくてはいけない。」をくり返してる。ランプも二円以上の優等を買った。「僕は病人だろうか。」矢野の頭にまたこんな考えがわいた。「こんな病人があるものか。」矢野の頭には主人がふたりできたようだ。
矢野はそのごちゃごちゃした頭をいただいて肉屋の前に立った。豚を買うたのである。藤村で菓子も買った。「またばかなことを考える。」病人がこうして歩けるものか。矢野はつとめて意志を強くわれを叱って、下駄に力を入れていそいだ。台町の横丁へまわろうとするところで中島に会った。
帰ってみるとテーブル机の類が皆届いておった。中島もはいって来て、「や盛んだな。」とかっさいする。中島が手伝って器具の配置を整える。女が来てランプをつける。ランプがりっぱだから、いっそう室内がいきいきとして来た。中島はまた紳士の生活とかっさいする。矢野は準備を楽しむという大木のことばを思い出して愉快になった。
豚を女に渡し、ビール二三本そえて持ってくる様に命じた。そうして中島にもぜひ来てくれといった。中島は今夜ちょっと出るつもりでいたのだけれど、それじゃそのほうはやめにして来ようという。中島も女も室を出て、矢野はいまさらのように、わが下宿生活のりっぱなのに驚いた。これで子規先生の書か何かを床に掛ければ、ますます理想的だと考える。ひとり椅子に腰をおろししばらく茫然としている。
下宿屋のにぎやかさが始めて耳にとまる。周囲の町のどことなくごやごやする物音が聞こえる。大都会の生活という感じが、強く胸にひびく。社会の種々の人間が、押し合いへし合い狭いところにいがみ合ってるように聞こえる。そうして自分もその中へ引き入れられそうな気がする。
「またつまらなく考える。」やっぱし僕に病気があるのかなと思いながら便所へ降りた。朝顔の前に立ってとつじょ国もとの事を思い出す。きょうの自分のやり方は、わが身分には少し過ぎたと考えて、非常にいやな気持ちになった。なに一度の事だからと打ち消して見ても、いやな心地は容易に消えない。こんな事で、下宿の生活を楽しむなど思いもよらないと、大いにわれを叱って、無理々々《むりむり》に不快を打ち消した。
帰りに中島の室へ寄ると、中島の隣室にいる、哲学館大学の、木島という学生がいて話してる。矢野はふたりを誘うて自分の室にもどった。元来こういうことをやるは矢野の柄でないのだ。矢野にしては今夜はよほど調子はずれである。矢野も自分でそれと心づいて、何かに酔ったような気がしている。
中島も木島もよくビールを飲む。矢野が小さなコップで一杯やったあとは、ふたりで三本のビールを手もなくやってしまった。そうしてふたりはしきりに今の学生間の消息と学生の気風とを語った。教師と学生との間にもすこぶるいとうべきふうあることを語った。矢野は、ただにやりにやり笑って聞いている。
中島はちょっと見るとそうぞうしい男だが、弁護士より裁判官がいい、新聞記者よりは学校の教員のほうが安全だというぐらいだから、その気風も知れてる。したがって議論も奇抜ではない。木島は容貌からして凡夫でない。顔が大きく背が低く色は黒い。二十一だというに誰でも三十以下に見る者はない。哲学者じみた考えを持っていて、非常な勝気な男だ、真剣にえらいかどうか知れないが、とにかくいうことは奇抜で沈痛だ。
今の学生に一番いけないのは、小利口な点にある、物いうことから先に覚えて、議論ばかり巧者だ。口がりっぱで腹がきたない。やれ理想、やれ人格、信仰だの高尚だのと、看板さわぎばかり仰山で、そのじつをはげむの誠心がない。卑俗な腹でいて議論に高尚がる。それで人を推し人を敬するの量がなく、自分ばかりえらくなりたがる。高尚なる俗論、こんな軽はくな類のものを、どうにかして消滅するくふうをせねば、日本も末はどうなるか知れぬという。
高尚がる俗人というのが木島の十八番だそうな、矢野も木島のいうことはおもしろいと思った。しかし矢野は自分がどうなるかという、もっと身に直接な問題に迷っているのだから、なるほど木島のいうところがもっともだろうと思ったまでで、あまり熱をもって聞かれなかった。木島は矢野を評して、
「よく人の説を聞いて軽々《かるがる》しく自説をはかないところが凡でない。」という。とにかく友人として交わってくれという。
矢野ももちろん僕の方でも希望するという。中島はまじめな顔をして、おれはいい名づけの女が待ってるから、木島君のごとき大志は持たれぬという。それだよそれだよと木島は大笑して、話はやめになった。ふたりが去ったあとで矢野は隣室へ謝した。隣室の法学生もおもしろい男で、
「や、盛んでしたな、大いにおもしろうございました。お互いですから、かまいません。」
とはなはだ愛想がよい。矢野は法科の学生は皆愛想がいいと聞いたが、なるほどと思った。
矢野は寝てから容易に寝つかれない。東京学生のようすもたいていわかってやや安心した。学生の理想として明け暮れ仰望した大学生というものに、いよいよなって登校するのは愉快な気がする。大学生ということになれてしまったらどうか知らないが、自分にはまだ大学生ということを、から屁のようには、どうしても思えない。木島のいうように、今の大学生にこうばしい者が少ないにしろ、自分の大学生たることをあなどる必要はない。それでも制帽制服でようようと登校するだけは、なんだかきまりの悪い心持ちがする。
そうだそうだ、大木さんがいった、医学は君の職業だ、文学は君の生命だと。職業を学ぶに得意がる理屈はない、どうしても僕はまだ幼稚だな、ついに病気のために卒業が出来ないとすると、いよいよ文学よりほかに僕の生命はない、どうしても文学はやらねばならぬ。文学といっても僕には歌だ、子規先生も大学を中途にやめて文学をやった。おれもいよいよ肺病ときまれば詩人生活だ、それよりほかにみちはない。詩人生活にはいることができれば、肺病になったってかまわない。三十で死ぬも六十で死ぬも、死んだあとからみれば同じだ。
子供の泣き声が耳にはいって目がさめると、障子をはたくはたきの音がする。世間はまだ静かだ。矢野はまた眠った。
三
下宿生活の準備と登校準備で三四日経過した。出るときはあれもこれもと思って出ても、放浪的に歩いて何一つ買わないで帰る日もある。スパルテホルツの解剖図とラウベルの解剖学とを買う考えで、本屋の前まで来ると、学生が五六人もいてあまりにぎやかだから、そこにはいるのがいやでしばらくあたりをうろついてる間に、了見が変わり上野に行って、博物館を見たり、動物園を見たり、理屈もなく遊んでしまった日もある。それでも宿へ帰る時は、何か必要な用事があって歩いて来たというふうに、袴羽織に物の包みをかかえてさっさと帰って来る。宿の亭主や女房にていねいにあいさつされると少しおかしいけれど、いよいよまじめなふうをして通ってしまう。
こんなふうにやるのがかえっていいかも知れぬと思う。医書を買うのは、何かまじめな事務に取りかかるような気がしておっくうでならない。矢野はこういう調子に日を送るのが、自分には出来ないことなのを二三日自然にやり得たから、それが得意にも思われるけれど、なんとなし物足らなくも思われる。でも、しかたがないからできるようにやるさと、ひとりでおぼつかなく考えをまとめて寝てしまう。
中島も木島も時々《ときどき》来る。矢野もときどきふたりのところへゆく。ふたりはずいぶん乱暴にさわぎもするけれど、よく勉強もする。中島と木島とはもとより話の合うべき性質ではないが、矢野の目から見るふたりは、やろうと思う事を力かぎりやって、疲れては投げだしたように休む。する事がきびきびとしていて、苦労なんかは少しもないようだ。矢野には何をしたって、そうきびきびとはやれない。ふたりの話を聞けば、苦しくもあり心配もあるというけれど、矢野の目に映ずる彼等の苦しみとか心配とかいう事は、心の底からいうことではなく思われる。
鋭利なきりで物をとおす、もちろん相当な力を要するけれども、とおらぬ懸念はない。矢野がふたりを見る目はそうであるが、自分を考えると、先のとまったきりで物をとおそうとするような思いがしてならぬ。大木のいましめたのもここだ、なんでも君は心を心外に移せ、そうして心外の物事に興味を発見しろ、できるだけ自分を考えないようにせよ、といわれた。
先のとまったきりで無理にとおそうとするより、先の鋭がるようにせよとの心だ、わかってはいるがどうもそうばかり行かない、批評的にそばからみれば、わけのない事でも、自分の事となると、考えた通りにわが心がなってくれない。
中島や木島にはどうしても矢野の苦痛とするところはわからない。したがって三人が合っても、退屈しのぎのらちもない話ならば、ともに笑うこともできるけれど、真に思いやった話はできない。木島などはすこぶるおもしろい男だが、とうてい矢野の友ではない。足の弱い奴なんぞ相手にしていられるもんかと、自分の健脚に任せてさっさと友を置き去りにして行ってしまいそうに思われる。
それは木島ばかりではない。中島だってそうだ。いや世間の人はみんなそうだ。健康な人、位置のある人、学問のある人、金のある人、それぞれ自分の力に任せて、自分のやりたい事をやりつつ、人がどんなに困っていようとて、そんな事は見向きもしない。社会活動の 渦からはねとばされ、もしくははねとばされんとしつつ、なにもかも思うようにできないで、失意に嘆いてる人などに、ひとりだって同情するものはない。同情するような口振りもし態度もするけれど、心の底から同情するものはひとりもないのだ。思うようにゆかないのが人世だなどと、社会の悲劇を慰みものにしてさわいでる人間が多い。
弱く生まれたのが自分の不幸には相違ないが、人間というものは実際いやなものだ。考えれば考えるほど生きているのがばかばかしくてならない。それだから世間には自殺する奴も多いのだ。さらばといって自殺したとて世間の奴らは屁とも思って見やしない。だから死ぬのもばかばかしい。なんだかいまいましくてたまらないような気がする。
矢野は手をふところにして机により掛かりながら、一筋にこう考えつめて来て、ハッと気づいた。また自分の事に考えが落ちてきた。おれはこれだからいけない、まったく病気のせいだろう。自分のなすべき事は、ただおっくうで気が向かなく、とかくこんなふうにばかり考え込む、こりゃいけない。
矢野はこうなると、いつでもすぐ大木のところへ出かける。矢野は大木に会えば、会ったばかりで胸のこりが半分とけてしまう。だから会っても深酷な話はひとつもない。例のごとく、こしゃこしゃした笑顔で、不順序に思う事をいう。矢野が少し話をすれば大木はすぐのみこんで同情する。抱いて暖めるような態度で、大木に慰められるとたわいもなく心が落ちつく。
「東京で君毎日何人ぐらいづつ人が死ぬと思う。おれは不仕合わせだ、おれにはなにもできないらしいと、一筋に思うその心が君を不仕合わせにするのだ。飢えて飢えてたまらない時ににぎりめし一つは君非常にうれしいだろう。人間は自分を零にしてかかれば、一日でも世に生きているということがありがたくなる。自分を不仕合わせにするような考えはやるもんでない。」
矢野も大学生だからこのくらいのことはわかってる。わかっておったとて、人間がそう無造作に自分を零にされるものではない。矢野は苦しくなれば大木の話を聞くよりほかに慰藉の道はないと思ってる上に、大木のいうことはさからうことのできない、適切な実証についての話だから、矢野もそれで心を決定せねばならぬように押しつけられる。
矢野はいよいよとなればすべての希望をなげうつことができるように思うけれど、ただ一つ悲しいことがある。容易に自分を零にできないことがある。それがためにわが運命の解決にまようほどの事なのだ。これはまだ大木に白状しない胸中の秘密で、いうまでもなくそれは恋だ。
矢野は手紙でしばしば大木にあかそうとしたけれど、あかす機会もなかった。今夜は口の先まで出かけたけれど、話のできない矢野はついに話す機会を失ってしまった。またこの事だけは大木に話しても、自分勝手に求めた苦悶でみだりに先輩たる人に語るべき事でないような気もする。これを軽々しく話すは自分の人格を傷つけるような気もする。病人のくせに恋もないもんだと思われるような恥ずかしい気もする。
自分からじゅうぶん胸を開いてしまわないのだから、今日ばかりは大木の慰藉によって、ことごとく胸の曇りをなくしたというわけにはゆかない。けれどそれでも帰りにはいつものごとく、心じょうぶに愉快になって、それほど失望するにも及ばないような心地で帰られた。
矢野は上京以来とにかく心にひまがなかった。今は登校の準備もととのい、しばらくぶりで、大木の話も聞き、幾分心にくつろぎができたところから、にわかにみ篶子の事を思うようになったのである。帰る道々み篶子の事ばかり思いつつ帰って来た。み篶子は矢野が父の友人の娘で今年まだ十六にしかならない。矢野が大学を卒業すれば、み篶子が矢野に嫁するということは、誰が話すともなくきまっている。み篶子は心が若くてまだとりとめた恋心もないらしいが、矢野は深くみ篶子を愛している。ふたりが直接に話し合ったことはないにしてもうたがいのある間がらではない。
元来矢野は意志の力が強く天品詩人的な男だから、浮薄な名誉心などに動かされる質ではないけれど、み篶子ゆえには世俗的の名誉も求めねばならないような気がしているのも事実である。み篶子という人がなかったらば、矢野は平気で一年休学したかも知れなかった。しかし矢野が幾多の不安をいだいて上京するに至ったのは深き家庭の事情に原因していることもちろんだ。
四
矢野は東京の空気のなんとなく荒けていて、病身な自分には、すこぶる気味悪く思われてならなく、十日二十日といるうちには、必ずからだに異状を起こすだろうと恐れておったところ、もう一カ月の余たっても、少しも身に変化を感じない。それにようやく下宿にもなずみ、学校にもなれて、すべてのうえに安静を得て来た。捕えようと望んでいる物がどうにか、捕え得らるるような気分になった。
東京の学生生活にも、いちじるしく趣味を感じてきた。下宿屋の状態から、諸商人のようす表通りの商店の風などにも、目がとまり、自分の周囲がすべて明るくなって、ようやく身外の事物に目をそそぐ余裕ができてきた。ここへ始めて来た時の、三日おっても毎日来る下女の顔を知らなかったのに比べると、人が違ったごとく思われる。このごろ矢野は自然に元気が出て、よく中島や木島が室へ話にゆく。隣室の法学生ともいく度か話をした。とにかく人の話をおもしろく聞かれるようになった。給仕の下女に愛想の一言もいうようになった。同級生に知り合いができて訪ねてくる。国から手紙がくる、友人から手紙がくる。母と妹とからくる手紙はいつでも長い。み篶子も絵はがきを送ってきた。心の匂いは少しも現われてはいないけれど、らちもなく嬉しい。み篶子がただういういしく少しもあだめいたふうがなく、無心に咲いてる花のようなおもむきが、矢野には嬉しくてならないのである。それで、自分からも毛の先ほども、いやらしい事はいうてやらない。みなぎるような心の思いを、じっとこらえていわないところに矢野はひとり深き興味を感じている。それでもみ篶子に送る絵はがきの選択には銭も時間も惜しくなかった。
こういう調子でこのごろ矢野の下宿生活は寂しいものではない。大木から軸物など借りてきて、秋草の花を瓶にさし、静かにひとりを楽しむ事もあった。
ようやく本業の学問にも興味を持ち、金井博士の教授振りが大いに気にいって学校へ出るのもおもしろくなった。その間には歌もたくさんできて、某々《ぼうぼう》雑誌へ掲げたうちには恋の歌が多い。
まがつみの世にあることも知らぬげに匂える君を思いつつぞ寝る
天つ日のめぐみに動き含みたる君が面わしいめに見えつも
いかにも可憐な歌で非常におもしろい。矢野の清らかな人品がよく現われている。ただなんとなくひ弱くはかなげなるは、どうしても病を持てる人のものと思われて哀れが深い。大木はこの歌を読んでこれは空想の歌ではない、矢野は恋人があるなと気づいて、独り目をうるおした。矢野が病の外に恋を持っているとなれば、悲しむべき運命に会うた時に、いっそうその悲惨を深くすべきを思うたからである。
九月十月の二た月は矢野もすこぶる元気よく経過し、体力のやや回復したにつれて、内心の不安もいつとなし薄らぎ、血色などもよほどよくなった。このぶんで今年の冬を無事に経過し得ればたしかなものだと、人もそう思い自分もそう思うた。けれどもこれは空頼みであった。
十一月天長節日曜と続いたを幸いに矢野は、中島木島らと、日光の紅葉狩りに行った。つぎの日曜に矢野は歌をたくさん作って大木を訪ねる。歌は恋の歌より振わなかった。大木は「日光へ行くなどと少し無法じゃないか。」と小言をいう。矢野は元気よく「なにだいじょうぶです。」と答えたものの、じつは帰った翌日あたりから、寝汗をかくようになった。二日ばかり休んで歌など作ってるうちに、よくなったからこの日さっそく大木を訪問したのである。大木は時候の変化する際であるから、じゅうぶんに気をつけないといけないと注意した。
それから、五六日過ぎて矢野は、自分のほうの講義がすんでから、二三の同級生がさそうままに、解剖室を見に行った。矢野は医学生ながら解剖というものを始めて見るので、なんとなく気味が悪い。あれが解剖室かと思うと、遠くから形容のできないたまらなくいやな臭気がする。
教師は教授がすんだのか、今解剖室を出かけるところだ。解剖の教師は恐ろしい顔でもしているかと思って見ると、温厚な君子然とした人であった。矢野は気味悪く一番あとになって室へはいった。
消毒衣を着た学生四五人ずつ、二組に別れておのおの今解剖したあとを注視して話をしている。ひとりの学生はなお剖いて見る気か、しきりに刀を研いでる。死体は二つであった。
一つは三十ぐらいの男で、「頭に手をつくべからず。」と札が下げてあった。頭ばかり手をつけずに、全部分解がすんだあとであった。一つは女で今頭を分解したところで、頭をメチャメチャに切り剖けられては男も女もない。矢野にはまだなにがなにやら一向わからぬ。臭いの汚ないのというところは通り越している。すべての光景が文学的頭の矢野には、その刺激にたえられない思いがする、寒気がする。
なれてくると、刀で間に合わなく指で臭肉を引き裂いたり、そうしてその手をちこちこ洗って、そこで平気で弁当もやるそうだが、しかしいくら医者でも始まりはずいぶんいやなものだそうだ。矢野は人一倍閉口したのである。
矢野はつくづくそう思った。人間の生命をあずかるという天職から、こういうことをするならば、医師はじつに尊い職業であるが、自己の生活的職業のためにこんな事をするのは考え物だと思った。ずいぶんいやしい職業のようにも思われる。しかし人が平気でやることを自分にばかりできないわけはない。いやだと思うのは自分の幼稚なのだ。どうしたって自分は医者にならねばならぬのだ。
矢野はこんな事を考えつつ帰って来た。いつにもなく疲れて飯がうまく食えなかった。
机の上にみ篶子からの絵はがきと妹からの封書がきてる。「紅葉の絵はがき有難く候一月休みのお帰り待上候。」とあるはみ篶子の消息だ。物足らないようでかえってゆかしい。恋しさが胸にしみ入るように悲しい。妹のは例によって長い。「日光よりのお便りは家中驚きそれほどじょうぶになったかと父も母も一通りならぬ喜び、自分も神様へ礼参りを致し候。」とある。矢野はすぐに気が沈んできた。物悲しく寂しくてたまらなくなった、二三日寝汗をかいたことを思い出し、人々の希望にそむくようになりゃしないかという懸念が、むらむらと胸先へ激りきて涙がぼろぼろと落ちた。「こうおれも気が弱くてはしかたがない。」と強く思い返して見ても、なんの踏みこたえもなく悲しくなってしまった。矢野はたえられない思いで、立って窓の外を眺める。窓の先は隣家のやね で町は少しも見えない。青く深く澄んだ空に星の光りがいかにも遠く遙けく見える。都会のどよみはただ一つの音にどやどやと鳴っている。矢野は自分はこの青空とも関係なく、この都会のどよみにも関係なく、ただ独りでここにいるような気がする。あすにも学校をやめて帰りたいような気もする。どうもおかしいと気がついてみれば、たしかに少し発熱している。矢野は立ってる力もなくなって、夜具を投げ出し着の身きのままに寝てしまった。
五
寝ているとの手紙を受け取って、大木はさっそく矢野を見舞った。寝ている事と思って来てみれば、出たあとで留守である。室へはいって待ってる。あまり取り散らしてもいない。大木も少し安心して待つうちに、矢野はそれほどやつれたふうもなく笑いながらはいって来た。
「君どうした、僕は寝てる事と思って来たよ。出歩かれるくらいならまずよかった。」
「え、熱が出まして二日寝ていたんです。今医者へ行ったんです。」
「医者はなんといいます。」
「なにたいした事はない、熱がなけりゃ学校へ行ってもいい。少しは肺尖が悪いばかりだ、力を落とすことはないといいます。」
「………そりゃよかった。まあ無理をせんことだ。」
なつかしい大木がきてくれたのと、医者からも力を落とすことはないといわれ、矢野も大いに気が引き立った。牛肉を取りにやってふたりは話しながら快く昼食をやった。
矢野はいっしょに上野あたりまで散歩しようというを、今二三日こもっておれ、風を引かんようにせねばいけないなと、ねんごろに注意して大木は帰った。
その後矢野はときどき寝汗をかく。学校へ出られないほど悪くはないけれど、どこかからだのうちに暢びないところのあるような気分がして物がおっくうに思われてならない。矢野は煩悶し出した。このまま学校へ出ていて卒業ができるかも知れないが、同時にからだもおしまいになる。矢野はこう考えて迷い出した。両親へ手紙をやり、友人に手紙をやり、むろん大木にも手紙をやって相談をした。それに対して大木はねんごろに数百言をついやしてさとした。
人間が重いか学問が重いか、いわずと知れた事である。生をそこのうて学問する必要がどこにある。ことに職業的にする学問は、人生の上から見てきわめて小なる問題だ。君が医科を卒業したとて人格の上に別段に光を増さぬごとくに、卒業しないとてさらに人格に損するところはない。だから、君の一身に取って医科に学ぶということはきわめて小なる問題だ。
したがって、それをやるかやめるかの問題も小なる問題だ。小なる問題だから、どうでもよいのだ。解決を急ぐ必要はない。のん気に気楽にやれ。やれたらやる、いやであったらいつでもやめるとしておけ。小なる希望のために、貴重な精神を労するはおろかではないか、まず学問をばかにしてかかれ、学問のために苦しめられるということははなはだ幼稚な事だ。学問をばかにしておればのん気に学問がやられる。今にわかにやめる必要もなければ、しいてやらねばならぬと思う必要もあるまい。要するに結論を急ぐなかれ、死ぬとも生きるとも早くどうにかきめてもらいたいというのは凡夫のいう事に候う。いつかは消える燈火にしても、あおいで消す必要はなかるべく候う。ただ如来のはからいに任せて自然の解決を待つと、心を長くするの覚悟が何よりたいせつと存じ候う。
矢野の答えはこうである。
お手紙拝読、心を開かれたるように感じ候う。もっとも世俗的な浅薄な考えにのみ焦慮致し、一歩立ちいって根本的に考えるという事ほとんど無之、はずかしき次第に候う。僕は信ずるところ、別してある才能とて無之候えば、ただただ学校へ出て年と流れて、卒業して世の中へ出るよりほかなく、平凡な人間はこれが悲しく候。僕等の学問というは、仰せのごとく悲しき事に候えども、職業のための学問に違いなく学校へ出なければ職業が得られぬように思われ候うところがはずかしく切なく候う。人格を養うため精神的生活にはいるためならば、学校は必要のものには無之、職業のためむしろ欲のためとなると、学問といわんよりは、学校というものを卒業する事が必要に相成るべく、いずれにしても平凡人のせつなさに候う。
僕は長男にして家には財産と申すは少しばかりより無之身に候う。親は僕に待っていること少なからざるべく候う。昨日父より帰国しろという手紙を受取り候う時は、とっさにはぼんやり致し居り候いしかど、ようやくにして悲しさ申しわけなさに泣き申し候う。実際僕一身の希望から申せば、拘束なき自由に生活を喜び候えども、一家の事情を考え合わすれば、これもあまりわがまま過ぎる望みのように被存候う。その上今日は今までとは違い、他の医者に診てもらい候うところ、肋膜はうまくなおった、盲腸もなんともない、ただ肺尖が少し悪い、養生しろと申され候う。一思いに退学しようと思ってもこんな事をいわれれば未練が残り候う。家ではいかに思い候うや一日も早く帰れと申しきたり候う。
退学ということが両親兄弟を極端に失望せしめ、一家将来の生活上に困難を来たし、一方には自分の栄誉それにともなう希望などが、根底より破壊せらるるように考え来たり候えば、胸の痛みたえがたき思い致し候う。それも平凡人の悲しさに候う。先生のお手紙を見ると先生は僕の意味するところからいっそう高い事について話し被下候うゆえついに僕の心も開かれてしまい候う。仰せにしたがい成るべく決定を延ばし可申候う。
矢野は手紙をよこしておいて翌夕大木を訪ねた。矢野は自分の考えを大木につげ、大木の考えを手紙に聞いただけでは満足ができない。大木の声に接し大木の口ずからの話しでなければ、真に腹にしみないのだ。けれどもきょうは別に何を聞こうとも、何を話そうとも思わないできたのである。大木は維摩経を見ておった。
話は維摩経から始まる。
「ある和尚に君の事を話したらば、維摩経を見ろといわれ、借りてきて見てるがわからんよ。」
「病気の事が書いてあるんですか。」
「そうです、なんなら君、持ってって見たまえ。」
「えい。」
「そりゃそうと君どうです。」
「え、別に悪くもありませんが、よくもありません。僕はもうからだを病気に任せました。学問をやるもやらぬも病気次第です。で、あんまり考えない事にしました。」
「こりゃおもしろそうで、やっぱりいけない。考えない事にしたといっても、病気に支配されては考えないわけにゆくまい。」
「なぜですか。」
「なぜって君の精神と君の病気と交渉のある間は、考えまいとて考えないわけにゆく者じゃない。」
「実際僕にはなにもかもわからなくなってしまいました。今まで考えていた事はみな表面ばかりの浅薄な考えばかりでした。病気のために学問をやめるも、病気のために自分のいっさいの希望が空になっても自分ひとりならば、そんなに悲しくも思わないですが、親兄弟の関係を考えると情けなくなってきます。」
「君はやはりいつわりをいってるからいけない。君はやっぱり命が惜しいのだ。浅薄な希望に執着があるのだ。命の惜しいのをはじるような考えからいつわりが出るのだ。人間命の惜しいのは当たり前だ。ただ命は惜しんでもしかたがないから考えねばならない。親兄弟の関係といっても、自分が安心しないで親兄弟に安心させられるはずがない。親兄弟の関係を思うならば、まず第一に自分が安心するくふうを考えろ。」
こう烈しくいわれて、矢野はすこぶる興奮してきた。胸が躍り手先がふるえる。目を視張ってきた。
「僕ももとより安心したいですが、どうせば安心ができます。」
大木はようやく矢野の顔を注視した。
「もとより安心したいですが、そんな生やさしい事で安心が得られると思うか。安心するかしないかは生きるか死ぬかの問題だ。自己の存在を忘れるほどに精神の活動があって始めて安心ができるのだ。眠った安心は役に立たない。人間がいかにはかないものかということを強く強く考えて見たまえ。悠久なる天地の間にいかに自己が小なものかということを強く強く考えて見たまえ。卑俗な欲望にあせって自我に執着するのが馬鹿らしくなってくるよ。君は批評的な話と思うかも知れないが、僕にはそれ以上にわからぬ。あとは君の考えに任せる。
やあたいへんな説教をやったね。茶が冷えてしまう菓子でもやりたまえ。」
矢野は沈思しばらくして、
「病気を忘れればえいですな。」
「そうです。人間は自己を忘れたところに真生命があるのだ。君にしてはその病を忘れたところに君の生命があるのだ。いわんや君は文学という君の天地を持ってるではないか。」
「わかりました。」
十二月押しつまってから矢野の手紙が大木の机に載っていた、いつも長い手紙ときまってるにその手紙はすこぶる簡単であった。
粛啓 いつでも人間をやめ得る覚悟を考えており候えども、覚悟の腰がふらついて困り候う。しかしお陰でからだのほうは大いによろしく候う。不宣
大木は手紙を前において、よほどのん気になってきたなと微笑した。
青空文庫より引用