凡人伝
はしがき
帝大を卒業したものは好い学校を卒業したと思っているに相違ない。官僚国日本にあっては、帝大卒業ほど好都合の条件はない。早稲田を出たもの、慶応を出たもの、それ/″\母校に満足している。詰まらない学校を出たから一生損をすると言って歎く人も時稀あるようだが、本心は果して何うだろう? 学校には元来相当の考慮をして入る。西瓜を買ったが、割って見たら赤くなかったというのとは場合が違う。
私は帝大出でも早稲田出でも慶応出でもなくて、ミッション・スクール出だ。而も二つ卒業している。青山学院と明治学院だ。そうしてこの二つのミッション・スクールで学んだことを一生の幸福と思っている。宗教学校の同窓必ずしも敬虔な信者でない。中には随分暴れものもいた。もう六十を越したその一人が級友会の席上、一杯機嫌で、
『おい。おれは学院へ入って本当に宜かったと思っているよ。若し他の学校へ行っていたら、もっと悪い人間になっていたに相違ない』
とツク/″\言ったことがある。私はこゝにミッション・スクールの教育が生きていると思った。私達は聖人君子になる努力はしなかったが、少くとも常に自分の生活を反省する教育を受けたのである。
『凡人伝』の背景は青山学院からも取り、明治学院からも取った。ジョンソン博士の『神様の道教えるの学校、基督教紳士組み立ての学校』は益※ 必要である。時勢が大回転をした昨今、戸迷いをしているものが多いのに、私達ミッション・スクール出身者は本来の環境へ戻って来たような気がする。全然民主主義の教育を受けているから、世の中が好い方へ変る以上はこれが当然だと思う。十数年前に書いた『凡人伝』を再刊するに当って、私は特に感慨が深い。
佐々木 邦
イントロダクション
私達の母校明治学園は字音、
「飯が食えん」
に通じる。
「明治学園、飯が食えん」
と皆言っていた。これは卒業しても職業に有りつけないという意味だった。明治学園はこの頃の学校と違って、サラリーマンの養成を目的としなかった。総理ジョンソン博士は、
「明治学園、それはお金儲けする人を養わない。それは基督教紳士を養う。人はパンのみにて生きない。それを教えるのが学校、それ、私共の学校明治学園、皆さん、何うでありますか?」
と始終念を押していた。甚だ打っきら棒な日本語だった。博士の説教や訓諭は、内容は兎も角、語法が可笑しいので聴けた。「それ」が多い。「それ」を数えている丈けでも退屈しない。
「私、明治十年、御国へ来て皆さんより早い」
なぞとやり出す。君達の生れない中に日本へ来たという意味だ。
「私の日本語、内務大臣に褒められる。田舎人が感心する」
と大の自慢だった。
ジョンソン博士の考えによると、世俗のことは何でもいけない。
「日本勝った。豪くはない。神を信ずる。それ豪い」
とあって、軍人はいけない。
「お金を儲けた。儲ける為めの儲けの金持、天国へ行けない。貧しきの、神を信ずる。それ豪い」
とあって、実業家もいけない。
「聖書に遠きの学問は悪魔の学問。それを学ぶの人、豪くはない。神を信ずる。それ豪い」
とあって、学者もいけない。
「聖書に近きの学問は神の学問。それを学ぶの人、それを教えるの人、それ皆豪い」
とあって、神学者が一番豪いのらしかった。尤も夫子自ら神学博士だった。
この総理指導の下に専ら飯の食えない教育を受けた私達同級生七名の中から、何うした間違か、成金が一人出ている。一時は素晴らしい勢で、学園へ十七万円の講堂を寄附した。その後余り振わないようだが、矢張り全同窓中の出世頭だ。残余六名は無論いけない。非常に能く神を信じた男が死んでしまった。卒業後直ぐに渡米した男はもう長いこと消息がない。地方の中学教諭が一人、保険会社の平社員が一人、牧師が一人、それから私となる。兎に角、皆飯が食える。しかし私が一番苦しい。学校を三つ掛け持っている上に、夜分内職仕事の著述をやらないと食えない。読者諸君は近頃「英文和訳の秘伝」だの「和文英訳の秘伝」だのという小冊子が続出するのに気がついているだろう。あれは私が揚げている生活の悲鳴だ。「明治学園、飯が食えん」何うやら私は一人でこの伝統を受け継いでいるような心持がする。
教諭の立花君以外は皆東京にいるので、時折顔を合せる。成金の赤羽君のところへは一週に二回、令息共の家庭教師として伺う。忌々《いまいま》しいが、奴、補助の積りで過分の報酬をくれるから、背に腹は代えられない。
「先生は旦那様と御同窓だそうですな?」
と或時書生が話しかけた。
「然うですよ」
「これぐらいになるお方ですから、学生時代から頭がお宜しかったんでしょうな?」
「さあ」
と私は明答を避けた。
「成功者は相貌からして違っていますね」
「図体は昔から大きかったです」
「御機敏でしたろう?」
「さあ。下級生が能く史記の老子伝を赤羽君のところへ訊きに来ましたよ」
「はゝあ、漢籍もお出来でしたか?」
と書生は溜息をついて敬服した。
「いや。ハッハヽヽヽ」
「何うしたんですか?」
「赤羽君は皆同じところを聴きに来るよって、不思議がっていました。何処だい? って訊いたら、『君子は盛徳あって、容貌愚なるが如し』ってところさと言いました」
「成程。その頃から盛徳がおありでしたな」
「いや、後の方でしょう。諢いに来たんです。こゝですと言って、五人六人皆愚の字を指すんですが、赤羽君は気がつきません。一々丁寧に説明していました」
「矢っ張り大きいところがありますな」
「違っていましたよ、確かに、赤羽君は」
と私は赤羽君に花を持たせる外仕方がない。
「豪いものです」
「まあ/\、同窓中の出世頭でしょうな」
「先生、立身出世はしたいものですね」
「君も大にやるさ。しかし金ばかりが成功じゃありませんぜ」
「兎に角、昔の同級生を家庭教師に使っているんですから豪いものです」
と書生は厭な結論をした。使用人扱いだから情けない。私は赤羽君なぞと呼んではいけないのだろう。
しかし赤羽君自らは決して威張らないから助かる。
「おれの子はおれに似て皆雁首が好くないようだ。学園には落第がなかったが、この節の学校は厳しいからね。宜しく頼むよ」
と下から出る。
「何うだい? 一度皆で寄って、昔話をしようじゃないか? 僕が招待する」
と他の同級生にも会いたがっているが、未だ機会がない。牧師の安部君はジョンソン博士仕込みで、成金に反感を持っている。
「彼奴のことだから、会場は何うせ魔窟だろう?」
と言って受けつけない。
「待合さ」
「御免蒙る」
「もっと純潔なところなら来るかい?」
「場所ばかり純潔でも駄目だ。まあ/\、断って置いてくれ給え」
「宜いじゃないか? 君は標準が高いから毛嫌いをするけれど、世間の目から見れば、赤羽だって立派な紳士だよ」
「妾宅を構えているからかい?」
「無論悪いことはしているさ。しかしもう一方で罪滅しもしている。学園へ十七万円の講堂を寄附したじゃないか?」
と私は赤羽君の為めに弁解の労を取った。
「僕はあれが気に入らない」
「しかし君は落成式の時に祝辞を述べたじゃないか?」
「あの時は感激したが、以来彼奴の人格が分った」
「何うして?」
「あの講堂は結局砂の上に建てた家だったよ。見給え、震災で崩れてしまった」
「それは仕方がない。震災は世間並みだ」
「取り片付けに五千円かゝっている。僕はあの時、一個人の資格で赤羽のところへ談判に行ったんだ」
「ふうむ」
「寄附した以上は早速建て直す責任がある。それを力説したんだが、奴、言を左右に託して取り合わない」
「それは君が少し無理じゃなかろうか?」
「何故?」
「あの頃の赤羽は好景気時代の赤羽と違う。大戦後のガラを食って、財産が三分の一になった上に、震災でひどい目に会ったんだからね」
「ガラって何だい?」
「知らないのかい?」
「僕は神の道を説く牧師だよ」
「仕方がないな。ガラはガラ落ちさ。急に相場が下るんだ。財産が三分の一になったところへ震災で痛手を蒙っているから、迚も建て直しなんか出来ない」
「建て直しが不承知なら、直ぐに取り片付けろと僕は忠告してやった。寄附した以上、壊れたら、それ丈けの責任はあるぜ」
「さあ」
「赤羽は兎に角考えて見ると言ったよ」
「その筈だよ」
「しかし卑劣にも責任を負わない。復興資金として五百円寄附したばかりだ。学園は彼奴の為めに五千円、その中五百円入れたから、四千五百円取り片附けの費用を負担している」
「牧師って変な計算をするものだね」
「間違っているかい? 五千円かゝるのに五百円しか出さないんだぜ」
「成程」
「僕は人格に疑問のある人間と深い交際は御免蒙る」
「しかしそれじゃ伝道が出来まい。人間は皆罪の子だ」
「道を聴きたいというのなら、幾らでも説いてやるよ。僕の教会へ引っ張って来給え」
と牧師さんは見識が高い。
保険屋の野崎君も好い感じを持っていない。
「彼奴はもう昔の赤羽じゃない」
と言っている。
「学生時代には君の方が僕よりも親しかったじゃないか?」
と私は又調停係だ。
「卒業後方面が違ったから、御無沙汰はお互だが、奴、金が出来てから態度一変したよ」
「しかし以前は神戸へ行く度に寄ったろう?」
「あの頃はそんなでもなかったが、最近悉皆増長している」
「喧嘩をしたね?」
「いや、行っても会ってくれないんだ」
「そんなことはない筈だがな」
「保険会社へ入ってから三度行っている。勧誘にでも来たと思ったんだろう。玄関払いを食わせやがった」
「変だね」
「もう行かない」
「何かの間違だよ」
「いや、三度目には打ち合せて置こうと思って電話をかけたが、御主人は一切電話口へお出になりませんという口上で要領を得ない。威張っていやがる。あのまゝよせば宜かったのに、兎に角と思って行って見たら、唯今大切な御客来中だって、又やられたよ」
「それじゃもう永く会わないんだね?」
「この間校友会の相談会で会ったよ。奴も僕も評議員だ」
「何とか言っていたかい?」
「僕は癪に障っていたから、顔を合せると直ぐに、コツンと一つやってやった」
「乱暴だね」
「相変らず愚なるが如き容貌をして、『何だ?』と言ったぜ」
「吃驚したんだろう」
「此方も『何だ?』って言い返してやった。あれで充分意味が通じたろうと思う」
「それから何うしたい?」
「それっきりさ。実に失敬な奴だ」
と野崎君は憤っていた。尤もこの男は学生時代から荒かった。性急で吃る癖があって、詰まると手の方が先に出る。
さて、二十何年か前の同級生四名をこゝに引き出して、その現況を紹介したのは真の前置に過ぎない。私はこれから柄にない小説を書く。これには深い動機がある。元来私は英語の教師だ。筆を取っては「英文和訳の秘伝」や「和文英訳の秘伝」の外に能がない。しかし輓近大に感ずるところがあった。目下又々「新英文和訳」というのを編纂中、集めて置いた材料の中から次の一節が現れたのである。
「……世間はもう偉人伝に食傷して、凡人伝を要求している。ナポレオン伝が何百冊と出ていて、それを読むものが何千万人とあったけれど、果して第二のナポレオンが現れたか? 一人でも現れたか? 否。これをもってこれを見るに、偉人の成功を学ばしむるの偉人伝はホーカスポーカスなり。(註、hocuspocus は手品師の呪文にして元来偽拉丁語、人目を眩ますものゝ称)寧ろ凡人の失敗に鑑みしむるの凡人伝をもって大衆を導くに若かず。世界は多数のナポレオンを要しない。見よ。欧羅巴は一つしかないではないか? 云々《うんぬん》」
私は目が覚めたような気がした。この一節を天から直接私へ来た使命のように思った。失敗が後進の参考になるなら、私には英文和訳よりももっと材料がある。第一、飯の食えない学校へ入ったのからして失敗だ。学園時代から今日までを有りのまゝに書けば事が足りる。尚お都合の好いことに同窓が押し並べて凡人だ。成金の赤羽君にしても、欧州戦争という間違が因で成功したのである。自分はもう仕方がない。食えない学校を卒業して、兎にも角にも餒い思いはしないのだから宜い。万事諦めている。しかし、せめてものことに、後世を益したい。
「凡人伝なるかな!」
と私は蹶起した。
この計画を赤羽君に話したら、
「おれのことも書くのかい?」
と稍※ 《やや》不安そうに訊いた。
「うむ。君が主要人物になるかも知れない」
「しかし僕の伝は目下郷里出身の文士に書かせている」
「これは驚いた」
「それと矛盾しちゃ困る」
「編纂料を出しているのかい?」
「うむ。大分取られる」
「僕は唯で書く代り有りのまゝだ。郷里のが肖像画なら、僕のは写真だろう」
と私は皮肉ってやった。少し成功すると偉人の素質でもあるように思うところが浅ましい。愚なるが如しと衆目が認めている赤羽君にしてこの通りだ。
「凡人伝なるかな! 凡人伝なるかな!」
と私は信念を固めて、次に保険会社の野崎君を捉えた時、この種の著述の必要を説明してやった。
「柄にないな」
と野崎君は一応貶しながらも賛成して、
「苦し紛れだろうから何をしようと君の勝手だが、おれのこと丈けは書くなよ」
と条件をつけた。
「迷惑かい?」
「当り前さ」
「何故?」
「おれは例外だ。材料にならない」
「ソロ/\白髪が生えるのに保険会社の平社員じゃ無論凡人組だろう」
と私は鬢のあたりを見てやった。此奴はいつまでも若い積りだから、これを一番厭がる。
「同じ平社員でもおれのところは外国会社だ。制度が違う。それにおれは出発が悪かった」
「学園を出たものは皆然うさ」
「職業を度々更えたのも祟っている。兎に角、おれは例外だ。書くと撲るぞ」
と野崎君は例によって荒い。素質はあるけれど、特別に運が悪かったと思い込んでいる。自分を凡人と覚るのはナカ/\困難の業らしい。
「凡人伝なるかな! 凡人伝なるかな!」
その次に私は日曜を利用して牧師の安部君を訪れた。この男に渡りをつけるには日曜が一番好い。朝晩説教をするので、草臥れるから、苦情があっても力強く反対しない。果して教会で説教中だった。その昔夜陰に乗じてジョンソン博士の裏庭へ苺を盗みに行った棒組だ。奴、何んなことを吐すだろうかと、私は好奇心があった。滔々《とうとう》と弁じている。諄々《じゅんじゅん》と説いている。口は学生時代から達者で、
「彼のう、マルテン・ルーテルがあ、ウィッテンベルヒに於きましてえ……」
と煩いくらい稽古を積んだものだ。こんなことを思い起しながら、安部君の顔から壁間へ目を移すと、説教題が、
「平凡人の平凡生活」
と掲げてあった。
「野郎、やっているわい、おれの来るのを知っていたのか知ら?」
と私は敬服した。礼拝が終ってから、牧師館へ寄って話し込んだ。
「それは好い。僕の説教を聴いて思いついたのかい?」
「いや、偶然の一致さ。暗合だよ」
「面白い。大に書き給え。京都の日高や仙台の藤岡なんか持って来いの材料だぜ」
「主に学園の連中を利用する」
「赤羽も好いね」
「うむ」
「立花も適任だ。二十何年一日の如く平々凡々として田舎にいる。学園の先生にも大勢あるよ」
と安部君は一々材料を指摘してくれたが、自分丈けは全然棚へ上げていた。「平凡人の平凡生活」を説く牧師にして覚らざること尚おこの通りだ。
「平凡なるかな! 平凡なるかな!」
「何だい? それは」
「間違えたよ。凡人伝なるかな! 凡人伝なるかな!」
「凡人宣伝の標語かい?」
「然うさ」
「凡の凡なるかな、すべて凡なり。僕も大に説く。君は筆でやれ。僕は口でやる」
「世人には皆『凡衆とおれ』って考えがある。おれという奴を凡衆の中に入れていない」
と私は当てつけてやった。
「確かに然うだよ。殊に僕達の仲間に然ういう連中が多い。つまらない説教をして豪い積りでいる」
「凡人伝なるかな! 凡人伝なるかな!」
「凡の凡なるかな、すべて凡なり。実際だよ。これは材料豊富だから書けるぜ」
と安部君は共鳴するばかりで、何処までも自分の「おれ」を別にしている。
ナポレオン志望者は実に多い。各人皆それだ。これは後世どころか、現在に於いて友達を益することが出来る。万人悉く在来の偉人伝に誤られている。
「世界は多数のナポレオンを要しない。見よ。欧羅巴は一つしかないではないか? よし。おれが解毒剤を拵えてやる」
と私はイヨ/\決心を固めて、家へ帰りつくと早々、
「操や、おれは小説を書くよ」
と発表した。
「はあ?」
「小説を書く」
「あなたが? まあ! 馬鹿々々しい。オホヽヽヽヽヽヽ」
と妻は忽ち笑い出した。ひどい奴だ。私を唯の凡人と思っている。おっと、口が辷った。
「凡人伝なるかな! 凡人伝なるかな!」
「この間から能くそれを仰有いますのね」
「これは神さまの直伝だ」
「厭でございますよ、私」
「何だい?」
「その上、小説を書くなんて仰有られると、心配でなりませんわ」
「何故?」
「些っと何うかしていらっしゃるんじゃなかろうかと思って」
「人を馬鹿にするな。小説を書くと言えば何うかしているのか?」
「でも、人によりけりですわ。あなたはABC《エービーシー》の先生じゃありませんか?」
「まあ/\、見ていろ」
「正気?」
「無論だ」
「それじゃ見ているわ。けれどももう一つ伺いたいことがありますよ」
「何だ?」
「受験書の方は何うなさいますの?」
「待って貰う」
「厭よ」
「何故?」
「印税が来なくて後から困るようなことはなくて?」
「お前達に餒い思いはさせないよ」
「それじゃ勝手にお書きなさいませ。書けるものなら」
「書くとも」
と私は意地ずくにも稿を起さなければならないことになった。
凡人伝なるかな! 凡人伝なるかな! これに限る。
十で神童
「品行方正学術優等」
これが私の小学時代全幅を語る。その頃は尋常科が四年、高等科が四年だった。私は八年間を優等の模範生で通したので、卒業の折、郡長さんから賞状を戴いた。去年まではそれに日本外史が二十二冊ついていたが、その年から町の本屋が寄附しなくなったので賞状丈けだということを父親から聞いた。私の父親はその小学校の校長だった。私が年々優等証を貰ったのも偶然でない。校長さんの子だというので、先生方が特別に目をかけてくれた。もう一方私に於いても、校長の子だからと思って人一倍努力したのである。
父親は然うでもなかったが、母親は頗る厳しかった。
「友一や、お前はお父さんが校長先生だから、余所の子供と違いますよ。一番にならなければいけません。お前が落第するようなら、お父さんは校長先生が勤まらなくなりますよ」
と言って聞かせた。
「勤まらないって何のこと?」
「校長先生をやめなければなりません」
「やめると何うなるの?」
「村にいられません」
「いられなくなると何うなるの?」
「何処かへ行って乞食にならなければなりません」
「それは大変だ」
「大変ですから、落第しないで優等になって下さい」
「優等って何?」
「一番です」
「なります。屹度なります」
と私は堅く約束した。子供心にも重い責任を感じて一生懸命になって、毎日お復習を怠らない。
「メ、メン、ワン、ワラ、トラ、ヒト、ヒレ、カメ、ガン、トビ」
と四十年後の今日、未だに尋常一年の読本を諳じているのでも分る。
「第一課。コノ絵ニカイテアル小サナ人ハ、大キナ弓ヲイテ、遠イ的ニアテマシタ。コノ人ハ大キクナッテカラ……」
なぞと思い出す。これは確か尋常三年だった。
「第一課。草薙の剣。景行天皇の御時に東夷多く叛きて国々騒がしかりければ、天皇、日本武尊を遣して之を討たしめ給う。尊、駿河の国に到りし時……」
とこれは高等一年、今の尋常五年だった。不思議に第一課丈け頭に残っている。
私達はこの駿河の国だった。こゝを習った時、私は疑問が起ったから、
「先生」
と呼んで手を挙げた。
「河原さん、何ですか?」
と先生は誰も私の質問を喜ぶ風があった。
「日本武尊に手向いをして火を放ったのは駿河の国の人達ですか?」
「然うです。土民です」
「先生、それじゃ僕達困ります」
「何故ですか?」
「駿河の国の土民なら僕達の先祖です」
と私はこれが畏れ多かった。
「ワッハッハヽヽヽ」
と同級生は笑い出した。
「いや、その土民は皆悪ものばかりですから、私達と関係ありません。この本にも書いてある通り、一人残らず焼け死んだり討ち滅されたりしてしまいました」
「あゝ、然うでした」
と私は安心した。
「皆さん」
と先生は一同の注意を惹いて、
「読本を読む場合に字ばかり読んで、書いてあることを考えないようでは何にもなりません。皆さんは今河原さんの質問を笑いましたが、それは大きな心得違いです。字を読むと一緒に意味を読めば、種々《いろいろ》と不審の起るのが当り前です。それを考えて見たり訊いて見たりするのが高等科の読書科です。皆さんは河原さんをお手本にしなければなりません」
と私を褒めてくれた。
尋常一年生から私は級の模範だった。行儀の悪いものがあると、先生は必ず、
「河原さんをお手本になさい」
と言った。その折、皆の視線が私の顔に集注する。私は如何にも模範のようにキチンと坐っている。初めの中は得意だったが、追々窮屈になった。しかし家へ帰って母親に喜ばれるのが楽みだった。
「お母さん、僕は今日も先生に褒められました」
「宜かったね。何うして?」
「吉村孝一という子と鮫島三郎という子が教場で取っ組み合いを始めたんです」
「まあ/\。喧嘩?」
「えゝ、乱暴で困ります。教場でするんですもの」
「時間中?」
「えゝ。先生が皆仲を好くしなければいけないって仰有っている最中でした」
「まあ」
「僕が止めたんです」
「それから何うしたの?」
「先生は二人を叱りました。今度すれば罰則ですって。それから河原さんを御覧なさいって仰有いました。僕のようにおとなしくしなければいけないって」
「宜かったわね。御褒美を上げますよ」
と母親はお菓子を出してくれる。
皆のお手本だと言われると、自分もその気になる。何かの都合で少時先生に褒められないと物足りない。尤も同級生は大抵農家の子だ。学業も行儀も到底私の比でない。
「お母さん、この頃は先生が褒めてくれない」
と鼻を鳴らしても、又直ぐに、
「お母さん、今日は先生が河原さんは豪いと仰有いました」
と報告する日が来る。褒められる機会があれば決して逸さない。
「これは何ういうことでしょうか? 分る人は手を挙げて」
と先生が見廻す場合、
「先生!」
と私は真先に手を挙げて振り廻す。
「誰かこゝへ出て、この唱歌を一人で歌って御覧なさい」
「先生!」
「河原さん」
と先生は私を指してくれる。
「風車あ、風ぜのう、まあにまあに繞るなりいやあまず繞るも、やあまず繞るうもう……」
と私は顔中を口にして歌う。何うも大変な奴だと皆は思っていたに相違ない。
「誰かこゝへ出てメメンワンワラを黒板に書いて御覧なさい」
「先生!」
「白墨がなくなったから、誰か教員室へ行って持って来て下さい」
「先生!」
と褒められたくて溜まらない。浅ましい話だが、そこは子供だ。
教室以外にも大に努力した。一日一善というような考えが子供の時にあったのだから、少しは買って貰いたい。学校へ行く途に村社の八幡宮がある。二年生になってから私はその前を通る時、必ず帽子を脱いで敬礼をすることにした。一番になれますようにと拝む時丈けでは申訳がない。心願果しの意味も手伝って、これを心掛けた。しかし友達と話しながら歩いて、つい忘れることがある。そのまゝ気がつかないこともあったが、思い出すと駈け戻ってお辞儀をして来る。或日丁度それが、先生のお目に留った。
「河原さんは感心ですな」
と先生は褒めてくれたばかりでなく、教場で紹介して、
「皆さんはこれも河原さんをお手本にしなければなりません」
と修身科の材料にした。
私は同級生の模範丈けで満足せず、下級生の世話を焼いた。一年生は帰りに道草を食う。三々五々、彼方へ寄ったり此方へ寄ったり、決して真直に歩かない。蛇が蛙を呑むところへでも来合せようものなら、悉皆消化してしまうまで見ている。
「君達、お父さんやお母さんが待っているんだから、早く帰らなければいけませんよ」
と私はもう三年生だった。
「何でい?」
「何でいとは何ですか?」
「お前先生か?」
「先生じゃないけれど、道草を食っちゃいけませんよ」
「何でい?」
と一年生は礼儀を知らない。以来私の顔を見る度に、
「何でい?」
とやる。二年生も似たり寄ったりだ。或日のこと、私は二三名が路傍で犬の子を苛めているところへ追いついて、
「動物を虐待するのはよし給え」
と戒めた。
「何でい?」
「何でいとは何ですか? この犬だって君達と同じように、棒で叩かれゝば痛いです」
「余計なお世話だ」
と一人の子が尻尾を縄で縛ろうとした。
「よし給え」
と私は其奴を押し退けて、もう一人の子の持っていた棒を奪い取った。
「君は先生か?」
「先生じゃないけれど、可哀そうじゃないか? 分らないことを言うと堪忍しないぞ」
「何でい?」
「撲るぞ」
「撲って見ろ。さあ、撲れ」
と三人は詰めかけた。私は棒を振り上げた。しかし模範生は窮屈だ。撲れば操行が乙になる。
「さあ、学校へ来給え」
と言って引っ張るぐらいが関の山だ。
善行は先生に褒められても、同輩や後輩に喜ばれない。却って交際の邪魔になる。私は追々それを覚り始めた。
「お母さん、僕は友達がなくって困ります。皆が遊んでくれません」
と度々訴えた。
「暴れる子供とは遊ばない方が宜いよ。庄ちゃんと徳さんに寄ってお貰いなさい」
と母親は親戚の子供を推薦してくれた。しかし庄作も徳三郎も、
「友ちゃんは学校ごっこばかりするから詰まらない」
と言って、直きに帰ってしまう。従兄弟さえこの通りだから、他人は尚更のことだ。同級生は私を仲間外しにする。今から考えて見ると無理もない。皆いたずら盛りだ。そこへ修身の先生の廻しものが一人交っていると、何をするにも差支える。
「やあ、小西君と佐藤君、何処へ行く?」
と訊いても、
「何あに、一寸そこまで」
としか答えてくれない。二人とも手拭を腰に下げているから河へ水浴びに行くのに定っている。しかし私が一緒だと煩いのだ。水泳の合間々々に瓜畑を荒すことが出来ない。私が学校へ密告でもするように思っている。尚お校長の子だから特別に贔負されているという僻みもあった。先生が教室で、
「河原さん」
と呼んで私を指すと、誰か必ず咳払いをする。しかし学術優等品行方正と折紙がついていれば、そんなことに頓着していられない。私は相変らず努めていたが、その中に身辺に危険が迫ったことを発見した。驚いたが、もう晩かった。同級生は消極的な仲間外しではもう満足出来なくなったのである。
それは高等二年になって、一泊旅行に出掛けた晩だった。久能山へ参詣して静岡に泊った。先生が、
「それじゃ皆おとなしく寝るんですよ。宿屋だから、騒ぐと他の客の迷惑になります。分ったろうね」
と念を押して別間へ入った時、私は級長として、
「皆早く寝給え」
と蛇足を加えた。しかし皆はナカ/\床につかない。初めて宿屋に泊るのが嬉しくて、いつまでも噪いでいる。
「さあ、もう寝給え」
と私は再び促して、模範を示す為めに先ず床に入った。疲れていたから、直ぐにウツラウツラした。皆も喋り草臥れて寝たようだった。間もなく、
「実際此奴は生意気だ」
という声が私の夢を破った。
「校長の子だと思って好い気になっている」
「先生がおベッカを使って贔負するものだから増長している」
「学校なら兎に角、こんなところまで来て級長風を吹かせやがる」
と大勢だ。私は目を瞑っていたが、一人々々その声で分った。
「此奴の為めに僕は幾度先生に叱られているか知れない」
「僕も然うだ」
「僕だって然うだ」
「皆然うだよ」
「一体何ういう料簡だろうね?」
「馬鹿さ」
「大馬鹿だよ」
「先生に煽てられゝば山椒の木へ逆さになって登る代物だ」
「おい、早く撲ってしまおうよ」
「蒲団を被せて置いて小突けば、誰だか分らない」
「おい」
「おい」
私はもう寝ていられない。ムックリ起き直って、
「何をするんだ?」
と極めつけた。同時に国分が打ちかゝった。それが合図だった。四人に一人だから敵わない。私は組み伏せられた上に、散々撲られた。
「これに懲りて些っと気をつけろ」
と国分が言った。
「…………」
「学問の出来るのを鼻にかけるな」
「…………」
「品行方正を自慢にするな」
「…………」
「能く考えて見ろ。貴様には尋常一年の時から恨みが積っているんだ」
「…………」
「おれ達はな、退校される覚悟で出て来たんだ」
「…………」
「先生に言いつけろ。その代り月夜の晩ばかりはないぞ」
とこれは、内済の申入れだった。私は黙っていた。四人のものはもうそれ丈けで各自床へ潜り込んだ。予定の行動で方々から私の枕元へ這って来たのだった。
一寸の出来事が一生を支配する。師範へ行く筈だった私が明治学園へ入って、三十余年後の今日、凡人伝を思いついて筆を執っているのも遠く静岡の宿屋の一晩に起因する。私は遠足から帰ると直ぐに、
「お父さん、僕は高等二年が済んだら直ぐに中学校へ行きたいです」
と申出た。
「中学校?」
「はあ」
「お前は師範へ入る積りだったじゃないか?」
「師範は高等を卒業しなければ入れないから厭です。それに僕は豪い人になりたいんです」
「それは結構な心掛だが、中学校丈けじゃ中途半端で困る」
「高等学校から大学へ行きます」
「しかし家の事情を考えて御覧。中学校丈けなら何うにか斯うにか出せるけれど、それから先は私の手に負えない」
「中学校丈けで宜いです。後は自分でやります」
「それはむずかしい」
と父親は相手にしてくれなかった。しかし私は高等科にいる限り、模範生を免れない。先生は相変らず、
「皆出来ない? よし、それじゃ河原君、君やって見給え」
と私に花を持たせる。国分の一味はもう咳払いどころでない。一遍撲り徳をしたものだから、つけ上って、動もすると喧嘩を売りかける。級長の威令行われざること夥しい。
先生に褒められ同級生に苛められながら、私は又々優等で三年級へ進んだ。
「お父さん、此年はもう仕方ありませんが、来年から是非中学校へやって下さい。僕はもう厭です」
「何故だい?」
「僕はお父さんが校長先生だから優等になるんだそうです」
「そんなことがあるものか」
「でも皆然う言って僕を苛めるんです」
「誰と誰だ?」
と父親は私の同級生の名前を一人々々知っている。
「一人残らずです。僕は今に豪い人になって、村中の奴等を縛ってやります」
「そんなに憤らなくても宜い。皆僻んでそんなことを言うんだ。気にするには及ばない」
「僕は口惜しいです。種々《いろいろ》のことをして僕を困らせるんです。尋常一年の時から先生が僕をお手本にして皆を叱ったものですから、恨みが山ほど積っているんです」
「ふうむ」
「去年の今頃……」
と私は思い出したら、涙がホロ/\零れた。
「何うした?」
「…………」
「言って御覧」
「僕は撲られたんです」
「誰に? 何処で?」
「遠足に行って静岡へ泊った時です」
「誰が撲った? 話して御覧」
と父親は真剣になった。職掌上も捨てゝ置けない。私は一部始終を物語って、
「僕は何うしても豪い人になって、皆を縛ってやります。中学校へやって下さい」
と又泣き出した。
「能く分った」
「やって下さいますか?」
「考えて見よう。お前がそれほど行きたがるものなら、何うにかして出来ないこともあるまい」
「僕は屹度豪くなって皆を縛ってやります」
「縛らなくても宜いさ。豪くさえなれば縛ったのも同じことだ」
「それから僕はもう模範生は厭です」
「それはもう少時辛抱しておくれ」
「友達が一人もないから面白くありません」
「暴れゝば友達が出来る」
「暴れても宜いですか?」
「宜いとも。喧嘩でも何でもしろ」
「一人と一人なら国分にだって誰にだって負けません」
「友一や」
「何ですか?」
「能く今まで辛抱したな。お父さんが悪かった」
と父親はシミ/″\言った。
忘れもしない。その日のことだった。町の牧師さんが訪ねて来た。この人は父親を教会へ引き入れようと思って努力していた。
「坊ちゃん、日曜学校へお出になりませんか?」
と私にも勧めて、来る度に綺麗なカードをくれた。しかし母親が、
「耶蘇は磔刑だから怖いよ」
と言うものだから、行ったことは一遍もない。
「占部さん、私の煩悶よりも忰の煩悶を救済する法はないでしょうか?」
と父親がその日の話の中に私の問題を持ち出した。
「何ういう事件ですか? お宅の坊ちゃんは模範生じゃありませんか?」
と牧師さんまで私の成績を知っていた。
「実はその模範生で私も今朝から後悔しているんです」
「結構です。悔い改めて神さまをお信じなさい」
「然う早合点をなすっちゃ困ります」
「ハッハヽヽヽヽ」
「始終一緒にいて、忰の苦しみを六年間も知らなかったのです。いやはや、迂濶な話ですよ」
と父親は私の立場を説明した。序に、
「こんな次第でもう親の学校にいたくないから、早く中学校へ行きたいと言い出しました。実は高等を卒業させて師範へやりたいんですが、親の考えばかり通すのは今の模範生でも分っている通り、本人を殺すことになります。しかし中学校も考えものです。小学教師の生計ではそれから上の学校へやれませんから、中途半端になります」
と迷っている儘を打ち明けた。
「明治学園へおやりになったら何うですか?」
「はあ」
「明治学園です」
「そんな学校がありますか?」
「あなたは世間に暗いですな」
と占部さんは笑った。しかしこれは今考えて見ると、占部さんの主観に過ぎない。
「明治学園? 何処にありますか?」
と父親が訊いた。昨今でも私は出身学校が明治学園だと言うと、大抵この質問を受ける。
「無論東京です」
「はゝあ。何んな学校ですか?」
「私の卒業したミッション・スクールです」
「ミッション・スクールというと?」
「アメリカの宣教師がやっている学校です。中等科と高等科があります。中等科が中学校です。一年生から西洋人が教えますから、英語が達者になります」
「一寸変った学校ですな」
「中等科を卒業するとアメリカの大学へ入れます」
「留学なんか迚もお話になりませんよ」
「いや、彼方へ行って労働しながらやるんです」
「それは苦しいでしょう」
「何あに、夏休み中働けば一年分の学資が稼げます。現に私もそれでやって来たんです」
「はゝあ」
「僕、その明治学園へ行きます」
と私は膝を進めた。何のことか知らないが、ミッション・スクールというのが気に入った。
模範生脱却
村から町へ半里ある。三十年後の昨今漸く市になったのだから、当時は小さな町だったに相違ないが、私には大都会に見えた。先生も読本の時間に「商賈軒を接して櫛の歯を引くが如し」という実例として、○○町の広小路を挙げた。その広小路に母親の妹が片付いていた。商売は下駄屋だった。この店は従妹が婿を取って、現に履物組合の頭取を勤めている。私は玉子を土産に持って行って、下駄を貰って帰って来たものだった。今でも芝居なぞで玉子の藁苞を見ると、それを提げて田圃道を○○町へ辿る小学生を思い浮べる。
或日、私は叔母の家へ寄った序に、占部牧師を訪れる気になった。遊びに来いと言われていたが、耶蘇が怖くて一度も行ったことがない。しかし明治学園の話を聞いてから、大分動いていた。父親も、
「一遍行って能く聞いてお出」
と勧めた。
「けれども耶蘇ですよ、あの人は」
と母親が危んだ時、
「何あに、耶蘇だって決して悪いものじゃない」
と父親は力強く保証した。それで私も決心がついたのだった。
占部さんの家は教会の裏だった。私が入って行ったら、先生自ら出て来て、
「やあ。能くお出なさいましたね」
と喜んで迎えてくれた。
「先生、明治学園のお話を伺いに上りました」
「さあ、何うぞ此方へ」
「先生、耶蘇のお話じゃないです」
と私は断って上り込んだ。金ピカの洋書が沢山並んでいるのに驚いて、
「これは何の御本ですか?」
と訊いて見た。
「主に神学書です」
「アメリカから持ってお出になったんですか?」
「然うです」
「綺麗ですな。僕は西洋の御本は初めて見ます」
「君も今に明治学園へ入ると、斯ういうものを読むんですよ」
と占部さんはニコ/\した。
「先生、何んな学校ですか? 僕はこの間から明治学園のことばかり考えています」
「大きいですよ。地面が三万坪からあって、建物は皆煉瓦造りの西洋館です」
「はゝあ」
「時計台があります。一間ぐらいな大時計ですが、何ういう次第か、いつも五分後れています」
「はゝあ」
「寄宿舎は三階造りで、塔は五階になっています。富士山が能く見えます」
「はゝあ」
と私は一々感心した。占部さんは尚お、
「然う/\。明治学園の写真がありましたよ」
と言って、大きなのを二三枚見せてくれた。未だ絵葉書のない時代だった。
「まるで西洋ですね」
「ミッション・スクールですから、西洋の学校をそのまゝ持って来たのです」
「成程。立派なものですな。これがその富士山の見える五階ですか?」
「はあ。地下室がありますから、実は六階になります」
「地下室って何ですか?」
「地面の中の部屋です」
「はゝあ」
と私は寄宿舎の建物に見入った。当時○○町の西洋館は警察署丈けだった。白塗りで、金の菊の紋がついていて、厳めしいものだったが、木造の二階建に過ぎなかった。三階は料理屋に初めて一軒出来たばかりで、人呼んで単に「三階」と称した。私は「三階」の前を通る度毎に、実に立派な家だと思って見上げるのが常だった。富士山の麓に生れた所為か、私達には高いものに敬意を表する本能があった。此方の火の見櫓の方が一間ばかり高いというので、隣村の子供を馬鹿にしていた。しかし隣村は平気だった。おらは坂上だから、手前達よりも地面が高いと言った。
「ジョンソン博士という人が総理です」
と占部さんは建物から人物に移った。
「総理大臣ですか?」
「いや、学園の総理です。校長です。豪い人ですよ」
「博士なら大したものでしょう」
「学問も豪いですが、人物が豪いです。あゝいうのを大人物というのでしょうな」
「西郷隆盛ですか?」
「西郷隆盛が神さまを信じたら、あゝいう風になったかも知れません。私はツク/″\感心したことがあります」
「はゝあ」
「私が五年生の時でした。或日、ジョンソン博士のコックが私のところへ泣いて来ました」
「コックって何ですか?」
と私は分らないことが多い。何しろ日清戦争直後の小学生だ。それも田舎に育ったのである。その積りで万事同情を願いたい。
「料理をする人です。このコックは余り善くない人間でした。博士の家の賄をしていて、儲けたいと思っていましたが、博士は倹約ですから、無駄なことをしません。私のところへ来て、博士も奥さんもケチで困ると言ったことがありました。それで到頭厭になったと見えて、博士にお暇を願い出たのです。すると博士は『何、気に入らんか?』と訊きました」
「日本語が出来るんですか?」
「変な日本語です。コックは親が病気だから郷里へ帰ると答えました。博士は『それ、お気の毒。このお金、お見舞に上げる。それから』と言って立って行って、銀行の通帳を持って来ました。『このお金、皆、あなたのもの。それ、持って帰りなさい』。コックは吃驚しました。『あなた来て五年。私、あなたの月給と同じお金、私、倹約してあなたが年寄って困っては困る為め、溜めて置きました。これ、皆、あなたのもの』。コックはその場に坐って、『先生、申訳ありません』と泣き出したそうです」
「後悔したんですね」
「はあ、それから私のところへ飛んで来て、博士にあやまってくれと言うのです。私は一緒に行ってやりました。コックはそれまでに博士の金を少し宛ごまかしていましたが、博士の親切に感激して、悉皆悔い改めました」
「まるで修身のお話ですね」
「然うです。愛の力は豪いものです。コックは立派な信者になって、今でも博士のところで働いています。何うです? ジョンソン博士は大人物でしょう?」
「はあ」
「斯ういう総理の感化を受けていますから、卒業生にもナカ/\豪い人があります。第一回の富岡先生なぞは日本一です」
と占部さんは熱心に語り続ける。
「大臣ですか?」
「いや、牧師です」
「はゝあ」
「大阪の西村先生は第三回ですが、雄弁家としては日本一でしょう」
「何をしていますか?」
「牧師です」
「はゝあ」
「この間この教会へ来てお話をした安川さんなんかも一流です。あなたのお父さんは大層感心していられました」
「何をする人ですか?」
「牧師です」
「はゝあ」
と私は失望した。牧師ばかりだ。
「京都の同志社も豪い人を出していますが、明治学園も劣らず豪い人を出しています」
「先生」
「何ですか?」
「明治学園から大臣は出ていませんか?」
「そんなものは出ません」
「大臣でなくても、本当に豪い人は出ていませんか?」
「今申上げたのは皆本当に豪い人達です。自分というものを捨てゝ、世の中の為めに尽しています」
「しかし人を縛るような豪い人は出ていないんですか?」
「はあ?」
「大臣の次でも宜いです」
「官吏は出ていません」
と占部さんの頭と私の頭には大分逕庭があった。
「僕は人を縛るような豪い人になりたいから、明治学園へ行こうと思ったんですが、それじゃ駄目です」
「一体何ういう意味ですか? その人を縛るというのは」
「国分という奴と三人のものが去年の修学旅行の時、僕を撲ったんです。僕は口惜しくて仕方ありません」
「成程」
「僕は何うしても豪くなって、四人とも縛ってやります」
「友さん、それはいけませんよ」
「何故ですか?」
「大きな考え違いです」
「何ういう次第で考え違いですか?」
「敵を愛さなければいけません。『悪に敵すること勿れ。人、汝の右の頬を打たば、又他の頬をも繞らしてこれに向けよ』と基督は教えていられます」
と占部さんは書棚から小形の新約全書を取って、
「これあなたに差上げます。こゝです。読んで御覧なさい」
と言いながら開けて渡した。私は指し示されたところを一読した。これがオウガスチンやルーテルあたりだと、忽ち大悟一番して即座に恐れ入るのだが、凡骨は魂の皮が厚く出来ているから、インスピレーションが通らない。無感覚なばかりか、
「先生、耶蘇のお話をなさるなら、僕はもう帰ります」
と不服を申立てた。真にお恥かしい次第である。
「まあ/\、聞いて下さい」
「…………」
「人類は皆同胞兄弟です。あなたはアダムとエバのお話を御存知ですか?」
「存じません」
「これは耶蘇のお話ではありません。耶蘇が生れない前のことです」
と断って、占部さんは創世記を大略物語った後、
「人類は皆四海兄弟ですから、憎み合ってはなりません。先刻のジョンソン博士のお話が現にそれでしょう? 悪いことをしたコックの為めにお金を溜めて始終祈っていたのです」
と愛の宗教を説いてくれた。
「先生」
「何ですか?」
「敵を愛していたら、日本は今頃支那に取られています」
「さあ。それは何うでしょうか?」
「学校の先生は然う仰有っています」
「戦争ということが既にいけないのです。あれは拠ろない間違で、涙を流しながらやったのです」
「しかし又やらなければなりません。日本は今度おとなしかったから、大損をしたんです」
と私は時事問題を持ち出した。四海同胞は合点行ったが、非戦論は腑に落ちなかった。学校の先生の意見によれば、日本は英仏独の干渉の為め遼東半島を支那へ返したのだから、将来この三敵国にうんと利息をつけてお礼返しをしなければならない。その責任はかゝって諸君の双肩にあると教えられていたのだった。
「しかし友さん、国分という子がそんなに憎いのでは毎日不愉快でしょうな?」
と占部さんは元来の問題に戻った。
「はあ」
「思い切って堪忍してやって御覧なさい。気分が清々《せいせい》しますよ」
「毎日生意気をしますから、堪忍する暇がありません」
「余程悪い子ですな?」
「先生に叱られてばかりいます。それが口惜しくて、僕に突っかゝって来るんです」
「成程」
「大きくなって縛るまで待っていないで、喧嘩をしてしまおうかとも思っています」
「それもいけません」
「先生、何うすれば宜いんでしょう」
「聖書を読んで能く考えて見るんですな。追々分って参りましょう」
「僕は先生に伺えば何でも直ぐに分ると思いました」
「何が分るものですか。皆神さまが教えて下さるのです。友さん、さあ、一緒にお祈りをしましょう」
「僕、耶蘇になるんですか?」
と私は慌てたが、占部さんはもう祈り始めた。神さまの御指導によって正しい道が歩めるようにということだった。それなら何も差支ない。私は聖書を貰って、能く考えて見ることに納得した。
当時私は国分が唯一の問題だった。早く中学校へ行きたいのも主として此奴の為めだった。今から思うと真に詰まらないことだが、子供の頭は大人と違う。学校が厭になって時々愚図を言った。父親から依頼があったと見えて、先生は私を褒めなくなったが、国分は相変らず私を目の敵にしている。それも正面からは向って来ない。必ず遁げ路を拵えて置いて諢う。
「窮鳥懐ろに入る時は猟師も之を殺さず」
という諺を読本で覚えた当座、国分は、
「級長」
と私を呼んで、
「何だい?」
と答えさせて、
「君のことじゃないよ。懐ろに入った窮鳥のことだよ」
と言う。
「級長」
「…………」
「呼んでいるのに何故返辞をしないんだ?」
と今度は責任を問う。癪に障るけれど仕方がない。
次に訪れた時、占部さんは、
「友さん、聖書をお読みになりましたか?」
と訊いた。
「はあ」
「何うでした?」
「能く分りませんが、先生が仰有るから堪忍しました」
と私も祈って貰った手前、気の毒になって、精々教訓に従う積りだった。
「それは宜かったです。心持がカラリと晴れたでしょう?」
「いゝえ、国分丈けは別です。彼奴は発頭人ですから、何うしても堪忍出来ません」
「他の三人はもう宜いんですね?」
「はあ」
「それじゃもう一息です」
と占部さんは喜んで、少時話した後、
「友さん、今日はお祈りを教えてあげましょう。私の言う通りを後について言って御覧なさい。屹度気分が清々しますよ」
と勧めて、承諾も待たずにもう跪いた。私は今更仕方がなく、占部さんの後について口真似をした。今考えて見ると主の祈りだった。大体申分なかったが、
「我等に罪を犯すものを我等が赦す如く……」
というところ丈け気に入らなかった。誰が赦すものかと思いながら祈っているのだから、神さまも驚いたろう。
その次に行った時も占部さんは、
「何うでしたか? 国分君を堪忍してやりましたか?」
と劈頭第一に尋ねた。先生は私の煩悶を能く知っている。それで私も足が向くのだった。
「堪忍する暇がないんです。後から後からと生意気をします」
と私は相手の仕打を説明した。
「成程」
「何うしても縛ってやります。国分の為めに僕が奮発するようなら却って宜かろうとお父さんも言っています」
「友さん」
「何ですか?」
「もう一遍お祈りをしましょうか?」
「厭です」
「ハッハヽヽヽ。友さん」
「厭ですよ」
「それじゃお祈りはやめて、他の方法で行きましょう? 友さん、君は国分と喧嘩をして撲り伏せる力がありますか?」
と占部さんは妙なことを訊いた。
「さあ。一騎討ちなら負けない積りです。僕は去年おとなしいばかりじゃ駄目だと思ってから、学問は二の次にして運動ばかりやっています。相撲を取っても競走をしても大抵のものに勝ちます」
「体育は結構です」
「今日は何れぐらい駈足が続くかと思って、村から駈けて来ました」
「豪い元気ですな。何れぐらい力があるか、一つ私と腕相撲をして見ましょう」
「やりましょう」
と私は早速机の上で応戦したが、二度とも負けてしまった。しかし占部さんは、
「ナカ/\強いです」
と褒めてくれた。
「大人には敵いません」
と私は負け惜しみを言った。
「私は大人でも強い方です」
「それじゃ尚お敵いません」
「試めして見たんです。それぐらい力があれば大抵の子供に勝てます。友さん、一つ国分を撲ってしまっちゃ何うですか?」
「敵を愛さなくても宜いんですか?」
「無論愛する方が宜いですけれど、君のように然う毎日恨んでいては苦いでしょう?」
「はあ」
「その上、国分を縛る為めに将来の方針を立てるようでは神さまの思召に背きましょう?」
「はあ」
「友さん、何うしても堪忍出来ませんか?」
「出来ません」
「一番好いのは堪忍することです。その次は撲り返して悉皆忘れることです」
「僕、撲り返します」
「それじゃおやりなさい」
「しかし先生、喧嘩をしても宜いんですか?」
「君がそれ丈け考えるようになったのは一進歩ですが、止むを得ません。日清戦争です。国分を撲り給え。君が勝つように私は神さまに祈っている」
と牧師さんは思いもかけないことを言い出した。私がその後基督信者になったのはこの時の感激が与って力ある。尤もこんな経緯から入った信仰だから至って怪しい。昨今は教会に籍があるという丈けの関係だが、それでも基督教に対して悪感情は持っていない。
占部牧師の一言は一年以上に亙る私の煩悶を解決した。私は直ぐに実行したのである。翌日体操の時間の始まる前、私は同級の両三名と運動場で遊んでいた。そこへ国分が三人の子分を馬に仕立てゝ乗って来た。運動会で人馬競走をやってからこれが流行っていた。弱い奴が馬になる。国分は私の側を通りさま、私の帽子を払い落した。
「何をする?」
と私は大声一喝、追い縋って、持っていた唖鈴で国分の横びんたを撲った。国分は馬から飛び下りた。直ぐにかゝって来る積りで身構えをしていたら、然うでない。屈んで頭を押えた。血が出たのである。
「覚えていろ!」
「覚えているとも」
「帰りに八幡様で待っていろ!」
「待っているとも」
と敵味方言葉を交えた。国分はそのまゝ井戸端へ行って頭を冷した。直ぐ体操に出たところを見ると、大した怪我ではなかった。
模範生が暴力を用いたのだから、皆案外のようだった。
「国分が悪いんだよ」
と私に同情したものもあった。私が模範生として嫌われていた以上に、国分は暴れものとして憎がられていた。しかし国分には子分がある。それが又加勢するに定っているから、私は従兄の徳さんを頼んだ。
「よし/\。先方が出るなら、おれも出る」
と承知してくれた。徳三郎君は高等四年だった。育ち盛りだから、三年と四年ではグッと粒が違う。
放課後、私は徳さんと二人で八幡宮へ駈けつけた。勝てるようにと拝んだ時、占部さんが祈っていることを思い出した。和洋両方の神さまがついている次第だった。間もなく国分が例の三名を従えてやって来た。
「君達三人は手出しをすると聞かないぞ」
と徳さんが極めつけた。
「うむ」
と頷いて、三人は国分の方を見た。徳さんの出馬は案外だったのである。私と国分は何ういう理由で喧嘩をするのか、お互の胸に悉皆分っているから、今更前置の必要を認めない。突如撲り合いを始めた。
「しっかり!」
と徳さんが声援する。国分の味方は徳さんを恐れて黙っていたようだった。
私達は間もなく組み討ちになった。私は木の根に躓いて先に転んだ為め、二つ三つ撲られたが、直ぐに跳ね返して立ち上った。又取っ組み合いだ。榎の大木が根を張っているところを少時の間押しつ押されつしたが、私は到頭相手を捩じ伏せて馬乗りになった。
「友ちゃん、木の根で頭をこくれ」
と徳さんが寄って来た。
「よし」
と私は国分の頭を両手で捉えて、木の根へコツ/\当てた。この方が撲るより痛い。
「何うだ?」
「…………」
「これでもか?」
「もう宜い」
「あやまれ」
「…………」
「これでもか?」
「悪かった」
と国分も竟に観念した。放してやったら、起き直ってボイ/\泣き出した。
「友ちゃん、序だ。此奴等もやってしまえ」
と徳さんは三人を睨んだ。
「僕達は何にも関係ない」
と三人は後退をした。
「いや、ある。友ちゃん、修学旅行の時のは此奴等だろう?」
「然うだけれども、あれは国分に煽てられたんだからもう宜い」
と私は国分丈けで草臥れていた。
「兎に角、あやまれ」
と徳さんは撲り兼ねない権幕だった。
「失敬しました」
と三人は私にあやまった。同級の有志が鳥居のところまで来て見物していた。
私はこの日をもって模範生を脱却した。国分はもう私に頭が上らない。他の連中も私を恐れ始めた。以来私は卒業まで餓鬼大将として押し通した。子供のことを小さな野蛮人というが、実際然うだ。野蛮人社会に聖人君子を気取っているほど損なことはない。私は国分を撲って、初めて存在を認められた。級長も腕力がないと勢力がない。実際窮鳥だった。しかし今や私の号令は級の隅々まで行き渡る。
「言うことを聞いてくれなければ困るよ」
と頼んでも聞いて貰えなかったのが、
「やい!」
と一声呶鳴れば事が足りる。小さい野蛮人共は品行方正学術優等よりも腕っ節に敬意を表する。
「おれは来年の春三年生が済めば直ぐに東京の明治学園へ行くんだ。六階のミッション・スクールだぞ。手前達は高等を卒業して土百姓になれ」
と言っても、誰一人歯向うものもなかった。
しかし私は高等小学を卒業する運命を持っていた。待っていた三年生の終りが近づいた時、その翌年から○○町に中学校が出来ることになった。
「友一や、丁度好い都合だから、お前は家から町の中学校へ通わせる」
と父親が定めてしまったのである。
「それじゃもう一年高等にいるんですか?」
と私は無論不平だった。
「然うさ」
「しかしどうせ入るものなら少しでも早い方が徳です」
「いや、高等を卒業して置けば二年へ入れる。今東京へ行っても、三年修業じゃ半端だから、矢っ張り一年へしか入れない」
「でも来年二年になりますから、同じことでしょう?」
「分らないことを言っちゃ困る。東京へ出るのと家から通うのでは費用が違う。中学を安上りにやれば、それから上の学校へ行く都合もつくんだ」
「はあ」
「町の中学へ通うなら、卒業してから明治学園の高等科へ入れてやる」
「分りました」
「師範なら兎に角物になるが、中学丈けじゃ全く仕方がない。俺もお前一人だから、何うにかする積りでお母さんと話し合ったんだ」
と父親は先の先まで考えていた。
昔の中学生
入学難の声の高い今日から見ると、私の中学時代は隔世の感がある。三十何年前、私の郷里の○○町に初めて中学校の出来た頃は入学試験どころの沙汰でなかった。学校当事者は入学志願者がなくて恐慌を来した。中学校長から小学校長へ鄭重を極めた依頼状が廻った。私は父親が小学校長だったし、県中へ入ることに定めていたから、その折その手紙を見せて貰って未だに覚えている。中等教育の必要を説いた上に、事情を訴えて、
「何卒右の儀、高等二学年修了以上の方々及び其父兄へ御懇話の上、一人にても二人にてもお遣し被下ば、邦家中等教育の為め、光栄これに如くもの無之候、頓首再拝」
と結んであった。然るに私は先頃三男の入学試験前に某中学校長を訪れたら、
「入学志望のことならば、昨今然うした意味の来訪者が多くて困りますから、御面会はお断り申上げます」
と美事玄関払いを食わされた。商売が繁昌すると見識が高くなる。まるでアベコベだ。当時の中学校は腰が低かった。校長が引札を廻すのみならず、書記が近村へ勧誘に出掛けた。目ぼしい家庭を一軒々々訪れて、
「お宅の御令息は今回高等二年修業だそうでお芽出度う存じます。ところで如何でございましょうか?」
とやる。
「何だね? 一体」
「一つ中学校の方へお願い出来ませんでしょうか? 月謝が一円、教科書が二円二十銭。何うぞこの表を御覧下さいまし」
「一円の月謝! 滅法界もない」
と百姓は勘定高い。小学校の月謝は尋常が五銭、高等が八銭だった。
「その代り御卒業になれば、志願兵の資格が出来ますから、三年の徴兵が一年で済みます」
「成程」
「大学へも入れますし、十円やそこらの月給は楽に取れます。これからの社会へ出るには何うしても学問でございます。一体本県中等学校の数は他県に比しまして……」
と書記は教えられた通り中等教育急務論を始める。しかし相手は尋常丈けで沢山なのを、村長さんや校長さんに煽てられて、高等科丈け余計なことをしたと思っているから、
「駄目でがんす」
と言って、受けつけない。
「まあ/\、教育の利益をお考え下すって……」
「駄目でがん!」
「他所へ出して寄宿へ入れた時代は兎に角、つい目と鼻の間に出来て家から通えるのでございますから……」
「駄目でがんと言っているにこの人は分らない人だな」
「飛んだお邪魔を申上げました」
と書記はもう仕方がない。この上勧めると、鍬で撲される。
現今のように入りたがるのを入れないのではない。入れたがるのに入らないのだった。これによってこれを見るに、日本の中等教育も長足の進歩を遂げたものである。兎に角、こんな具合に入学志望者が払底だったから、高等卒業のものは直ぐに二年級へ編入された。私と助役の息子の安井君がこの特典を利用した。他に地主の権藤の長男が一年級へ入った。
「権藤さんや安井さんはお金があるから何をしようと構わないが、河原のところは一体何ういう料簡だろう?」
と村の人達が疑問を起した。
「高が小学校長じゃないか? 幾ら月給を取ると思う?」
「身分不相応のことをしたものだ」
「学校の月謝をちょろまかしているんじゃなかろうか?」
「河原校長はこの頃町の耶蘇と往来をしている。耶蘇から金が出るのかも知れない」
と父親は一時評判が悪くなったそうだ。金のないものが無暗に謙遜した時代だった。小学校長の息子が月謝一円の中等教育を受けるのは伝統を無視した不埒の業と考えられた。貧乏人が無産者と称して大きな顔をしている今日とは違う。
私は中学校へ入って初めて完全に解放された。小学校時代は、父親が校長をしている関係から、お父さんの学校へ通っているという頭があった。お母さんは、
「友一や、お前が一番にならないとお父さんの顔が立ちませんよ」
と、教えて、この信念を固めさせた。先生方も、
「流石に河原さんは能く出来る」
と言って褒めてくれた。これは無論校長さんの子だからという意味だった。責任が重い。子供心にも親の顔を立てたいという気があった。随って悪いことが出来ない。年々歳々模範生として儕輩から暗打を食わされるまで、善行を心掛けたのである。
然るに中学校は全く自分の学校だった。万事自分本意でやって行ける。遠く東京の明治学園へ遊べなかったのは残念だったが、父親の学校から解放されたのが嬉しかった。
「君、中学校は好いね」
と私は或朝登校の途中、安井君に感想を洩らした。
「それは小学校と違う。第一校舎が新しい」
「僕は実に愉快だ」
「僕もさ」
「君よりも僕の方が愉快だ。その理があるんだ」
「何んな?」
「僕はもう模範生にならなくても宜いんだからね」
「それで今八幡様の前でお辞儀をしなかったのかい?」
「これは参った」
「ハッハヽヽヽヽ」
「中学生になってそんなことをすると笑われる」
「僕は耶蘇になったと思っていた」
「耶蘇なんかになるものか」
「あんなものにはならない方が宜い」
「僕が君よりも愉快だってのは、もう一番にならなくても宜いからさ」
「君は何うせ一番だよ」
と言った安井君は小学校で二番だった。
「何あに、もう駄目だよ」
「何故?」
「小学時代は親父に迷惑をかけるといけないと思って無理に勉強したんだ。しかし苦しかったぜ」
「それは察していたよ」
「もう一つ先生の手加減があったんだ。僕は校長の子だからね。実力は君の方が上だよ」
「そんなことがあるものか」
「兎に角、今度はもう宜いんだ。一番にならなくても、校長は迷惑しない」
「するよ」
「何うして?」
「校長先生はこの間入学式の時に、皆一番になる積りで勉強するようにと言ったろう?」
「あれは矛盾している。一番は級に一人しかない」
「その一人になるように皆で心掛けろという意味さ」
「すると校長は三十九人分失望するに定っている。僕等の級は四十人だからね」
「又理窟を言い出したよ」
「一年級は二組あるから、七十八人分失望する。僕の方と合せて百十七人分だ。五年級まであって見給え、何百人分も失望しなければならない」
「ハッハヽヽヽ」
「僕はもう芸当はやめた」
「怠けるのかい?」
「うむ」
「入学早々好い心掛だ」
「ハッハヽヽヽ」
と私は無暗に気が軽くなっていた。
「しかし僕等は責任が重いぜ」
「何故?」
「二年級は第一回生だから模範になるようにって校長先生が言ったじゃないか?」
「模範生は懲り/\だが、上級生のないのは嬉しいよ」
「頭を押え手がないからね」
「然うさ。肩身が広い」
「入ると直ぐに上級生だから有難い。一年の連中は能く敬礼するね」
と安井君も得意だった。
「しない奴は睨みつけてやると矢っ張りするよ」
「僕等を怖がっているんだ」
「粒が違うからね」
「此方は皆大きい。隈本ってノッポがいるだろう?」
「うん」
「彼奴は東京の中学校で幾度も落第して来て、もう十七だそうだ」
「強そうだね」
「東京で暴れた話ばかりしている」
「厭な奴だ。彼奴と並んでいる小松ってのも年を食っているぜ」
「あれは勉強家らしい」
「町役場に勤めていたのが志を立てゝ入学したんだそうだ」
と私は○○町出身の生徒から聞いて、この男に敬意を表していた。
「感心だね」
「一生懸命だから質問ばかりしている」
「もう一人長谷川ってのがいるだろう?」
「あれはまるで大人じゃないか? 髭が少し生えている」
「もう十八九だろう。在で小学校の代用教員をしていたんだよ。僕と並んでいる山口君はあの人から習ったことがあるそうだ」
「これは驚いた。先生と生徒が同級生になってしまったんだね」
「然うさ」
「先生の方が下になると大変だぜ」
「何とも知れない。二年級は高等卒業生から馳り集めたんだから、ヒネの多いのは分っているが、先生が入っているとは思わなかったよ」
「これは迚も敵わない」
「見給え」
「何だい?」
「君は矢っ張り一番になろうって気があるんだ」
「ないよ」
「しかし村の名誉の為めに奮発する方が宜いぜ」
と安井君は最初の話題に戻った。
責任解除の結果は早速第一学期の成績表に現れた。私は総評可、席次十三だった。
「一番になれなかったね」
と父親は稍※ 《やや》失望したようだった。
「はあ」
「中学校は小学校と違うからな」
「はあ」
「しかし十番以内にはなれそうなものだったが」
「さあ」
と私は気の毒になって、
「算術と地理と歴史が悪かったからです」
と説明した。
「成程」
と父親は尚お成績表に見入って、
「十三番か? これぐらいのところかも知れない」
「はあ」
「安井は何番だったね?」
「十番です」
「ふうむ」
「安井君は小学校の時でも本当は僕よりも能く出来たんです」
と私は思っている通りを述べた。
「そんなことはないよ」
「…………」
「一番は何という子だね?」
「子じゃありません」
「うむ?」
「大人です。長谷川さんです」
「成程。先生をしていた人だね?」
「はあ」
「二番は?」
「町役場です。これも大人です」
「成程、三番は?」
「三番が子供で、四番が又大人です」
「年長者が多いんだね」
「高等を出て三四年たった人が七八人いますから、迚も敵いません」
「まあ/\、十番台なら宜いとして置くさ」
「はあ」
「中学校は小学校と違う。先ずこれぐらいのところが本当かも知れない」
と父親は思い当るところがあったらしく、案外簡単に諦めてくれた。母親は黙っていたが、何れ追ってお小言があるだろうと覚悟していたら、果して後から、
「友一や」
と来た。
「何ですか?」
「お前、中学校じゃ一番になれないの?」
「はあ」
「せめて三番ぐらいにならないとお父さんの顔が立ちませんよ」
「大丈夫です」
「なれるの?」
「いゝえ、お父さんの顔なんか知っているものは一人もありませんから」
「それにしても、小学校が八年間模範生で中学校が十三番なんて、少し変じゃないの?」
「中学校には贔負ってことがありません。お父さんが校長をしている学校とは違います」
「それじゃ小学校は贔負で一番だったの?」
「然うです」
「そんなことはありますまい。小学校でも中学校でも自分の勉強一つですわ」
「大人がいるんですよ。直ぐ二年級へ入ったんですから、むずかしい学問ばかり習うんです。お母さんに中学校のことが分るものですか」
と私はもう女親を圧迫することを覚えた。
四年間の中学生活は小学校時代よりも遥かに楽しかった。成績は父親の注文通り十番台で通した。一度八番になったが、その次に二十五番へ落ちた。以来二十番台の牽引力が強くなって、大抵十八九番に重心を保った。これぐらいの出来栄えなら人から恨まれる心配はない。尤も級は常に一致和合して無事平穏だった。級長は長谷川さん、副級長は町役場の小松さんと始終定っていた。年長者だから押しが利く。東京帰りの隈本君も口ほどの乱暴者でなかった。
最初私達は長谷川さんを諢い半分に長谷川先生と呼んだ。
「先生はよしてくれ給え。同級生じゃないか?」
と長谷川さんは御機嫌が悪かった。
「それじゃ長谷川さん」
「何だい?」
「あなたはお幾つですか?」
と私は訊いて見た。安井君初め数名から頼まれたのだった。
「十八だよ」
「本当ですか?」
「嘘をつくものかね。君は幾つだい?」
「僕は十五です」
「それじゃ三つしか違わない」
「先生を何年していたんですか?」
「そんなことは何うでも宜いじゃないか?」
と長谷川さんは年の詮索を好まなかった。
「小松さんはお幾つですか?」
と私はこれも序に頼まれていた。
「僕かい?」
と小松さんは頭を掻いた。
「えゝ」
「長谷川君と同じだよ」
「本当ですか?」
「妙に疑るね」
「然ういう次第でもないですけれど、皆が訊けって言うものですから」
と私は弁解して置いた。それは入学早々のことだった。それから間もなく、この二人の年長者が一日欠席した。大きいのがいないから目に立って、
「何うしたんだろう?」
「勉強家が揃って休んだじゃないか?」
と私達は不思議がった。
「僕は知っている」
と矢張り年の多い北村というのが首を縮めた。
「何ですか?」
「徴兵検査さ」
「成程」
と皆大笑いをした。これで二人の年が分った。
翌日、私は、
「長谷川さん、あなたは嘘をついた」
と言って、長谷川さんに組みついた。無論冗談だった。
「参った/\」
「小松さんも嘘つきだ」
「いや、僕は長谷川君と同じだと言っている」
「狡い/\」
「やあい/\!」
と皆囃し立てゝ大騒ぎになった。
「一体誰が素っぱ抜いたんだい?」
と長谷川さんが訊いた。
「北村さんです」
「北村君は斯う見えても僕等より上だよ。去年済んでいる」
「上には上があるんだなあ」
「やあい/\!」
とこれで一番の年頭が分った。
「露顕々々」
と北村さんは頭を掻いて舌を出した。実に年寄の多い級だった。しかしこの北村さんは現に○○市の市会議員で鳴らしている。第一回生の錚々《そうそう》たるものだ。小松さんは卒業後国語漢文科の検定試験を受けて、以来二十何年一日の如く母校に教鞭を執っている。長谷川さんに至っては立志伝中の人物である。年長者にこういう堅実な人が多かったから、私達の級は常に引き締まっていて、先生方の信用が篤かった。
私は先方の匿している年を正面から訊いてかゝるくらいだから、遠慮がない。その結果、この年長者連中に馴染んで、殊に長谷川さんと仲好しだった。随分我儘を言っても、年が違うから喧嘩にならない。
「仕方がない奴だなあ」
と諦めてくれる。三年生になってからのことゝ記憶するが、或日長谷川さんが、
「河原君、君は耶蘇だってね?」
と訊いた。
「耶蘇じゃないです」
「然うかい。それなら宜いけれど」
「耶蘇なら悪いんですか?」
と私は少し癪に障って、
「悪いさ」
「何故悪いんですか」
「耶蘇は西洋の宗教だもの。日本中が耶蘇になれば、日本は西洋に取られてしまう」
と長谷川さんは極くありふれた偏見に囚われていた。私は占部牧師に敬意を表している関係上、自分が耶蘇でなくても、耶蘇を悪く言われると好い心持がしない。
「長谷川さん、そんな馬鹿なことはありませんよ」
と早速駁撃を加えたのが事の起りだった。十六の少年と二十二の青年だから段が違う。私はその都度やり込められる口惜しさに、占部牧師を訪れて教を求めるようになった。
「河原は耶蘇へ行く」
「耶蘇だよ、彼奴は」
という評判が立った。
「よし。それなら耶蘇になってやる」
と私は間もなく洗礼を受けた。反抗心で信仰に入ったのだから宜しくない。長谷川さんを論破するにはという段取も手伝っていた。以前国分を縛ろうと決心した時と同じだった。凡人は浅ましい。小さな問題から大きな問題を決定してしまう。
学級が進むにつれて、私達は将来のことを語り合った。
「河原君、君は好いな」
と或時長谷川さんが羨ましそうに言った。
「何故ですか?」
「いつも愉快そうにしている。人生の苦労ってことを知らないからさ」
「御苦労なしですか?」
「まあ然うだろうね」
「失敬だ」
「僕は始終煩悶している」
「基督を信じなければ、それが当り前ですよ」
と私は悟り澄ました積りだった。
「又伝道を始めたね」
「あなたの煩悶は人生問題ですか?」
「それもあるが、もっと差迫ったのがある」
「何ですか? 一体?」
「話そうか?」
「えゝ」
「まあ、やめにして置こう」
「いけませんよ。恋愛問題でしょう?」
「馬鹿を言っちゃいけない」
「それじゃ何ですか?」
「さあ」
と長谷川さんは周囲を見廻した。私達は運動場の木馬に凭りかゝっていた。
「僕、誰にも言いませんから」
「河原君、長いことお世話になったが、僕は近々お別れをしなければならない」
「何うしたんです?」
「実は僕は養子に行く約束でこの学校へ来ているんだ。それで煩悶している」
「養子が罪悪ですか?」
「いや、養家先の商売が宜しくない」
「何です?」
「遊廓だ」
「え?」
「女郎屋だよ。僕は中学校へ入りたいばかりに承知してしまって、今更後悔している」
「それで何うするんです?」
「逃げる。こゝにいたんじゃ何うしても縁が切れない。これからは腕一本でやる」
「何処へ逃げるんです?」
「無論東京さ」
「いつ?」
と私が訊いた時、
「どけ! どけ/\」
という声がかゝった。同級生両三名が木馬を飛びに来たのだった。長谷川さんは、
「近々《きんきん》」
と答えて歩き出した。
「長谷川さん」
「何だい?」
「こゝにいて縁を切る法はないんですか?」
「絶対にない」
「しかし後一年足らずですよ」
「利害関係は考えていられない。僕は基督教は信じないが、罪悪ってことが能く分った。この上自己を欺き切れない」
「おい/\、又議論かい?」
と小松さんが寄って来たので、話はそのまゝになった。
翌日、長谷川さんは学校へ来なかった。小松さんが、
「河原君」
と呼んで、私を北村さんのところへ引っ張って行った。
「何ですか」
「君、今夜町へ出て来られないか?」
「さあ」
「北村君と長谷川君で会をやる。君、長谷川君から聞いたろう?」
「東京行きのことですか?」
「うむ、その送別会だ。君にも来て貰いたいって長谷川君が言っている。成るべく出てくれ給え」
「出ます」
と私は承知した。
会場は料理屋だった。芸者も来ていた。校則によれば正に退校ものだ。しかし三人は平気で酒を飲んだ。教室ではナショナル読本に首を捻っていても、斯ういうところへ来ると立派な大人だった。私は小さくなって三人の談論に耳傾けていたが、初めて人生問題に行き当ったような気持がした。
「事こゝに至ったのは河原が悪いんだ」
と北村さんが管を巻き始めたには益※ 驚いた。
「何故ですか?」
「まあ一杯飲め」
「僕は厭です」
「酒を飲めない奴が何になる?」
「よせよ、北村」
と長谷川さんが制した。
「おれはクリスチャンというものが気に入らない」
「よせよ、馬鹿」
「事こゝに至ったのは河原の罪だ」
「何故ですか?」
と私も癪に障った。
「君が耶蘇の説法をしたからさ。女郎屋だって商売だ」
「僕はそんなこと知らなかったんです」
「商売でも正業じゃないぞ。僕は長谷川が女郎屋の亭主になるようなら絶交する」
と小松さんは硬論を唱えた。
「後を頼むよ」
と長谷川さんは幾度も言った。
「宜いとも」
と二人は頻りに受合った。
「男子志を立てて郷関を出ず……」
と長谷川さんが吟じ出した時、私は涙がこぼれた。
「僕達は駅まで送る。君は晩くなるといけないから、もう帰り給え。それから君はこの会に出たことを誰にも話しちゃいけない」
と北村さんが言った。
四年間の中学生活で一番身に沁みているのはこの三名とその晩の送別会である。殊に長谷川さんの苦学が成功したから印象が深い。私達は今でも落ち合うと必ずこの晩の話になる。
「河原君、それじゃ来年東京で会うぞ」
と長谷川さんは重そうな鞄を提げて料理屋を出た。
「君は早く帰れ。一切黙ってろ」
と小松さんが念を押した。長谷川さんは十一時の終列車で東京へ立った。翌日、北村さんと小松さんは学校で幾度も教員室へ呼ばれた。翌々日、二人の姿が見えないと思ったら二週間の停学処分を受けていた。長谷川さんの退校届を級監督に出して経緯を説明する序に、料亭で送別会をやったことを公明正大に告白したのだった。私は誰にも言うなと二人から断わられた意味が分った。あの頃の中学生は豪かった。
笈を負うて
郷里から東京まで五時間、私は新橋で下りた。東京駅のなかった昔である。もうソロソロ三十年になる。私は当時流行ったズックの鞄を提げて、胸を轟かしながら、プラットフォームを辿った。改札口まで二三町あったように覚えている。手荷物を取ると直ぐに、俥屋を呼んで来た。
「明治学園」
と、これが私の四年間待ち焦れた行先だった。
「へえ?」
「明治学園」
「何処ですか?」
「基督教の学校だよ」
と私は新橋駅頭、先ず田舎漢を発揮した。東京は広い。中学校と言えば直ぐ分る郷里の町と違う。
「何区ですか?」
「赤坂区青山だ」
「青山は練兵場の近所ですか?」
「初めてだから知らない。七丁目だ」
「遠いですな」
と俥屋は渋った。幾らで定めたか覚えていないが、郷里からの汽車賃五時間分と大差なかったように記憶する。何処まで行っても町だった。
「東京は大きいね」
と私はつい口走った。
「大きいですとも」
と俥屋は自分の東京のように答えた。
「神田区ってのは何方だね?」
「まるで見当が違いまさあ」
「神田の夜学校ってのは君知っているか?」
「神田は学校の巣ですよ」
「ふうむ」
と私は又々後悔した。黙っているに限る。神田を訊いた理由は長谷川さんを思い出したのだった。去年事情あって半途退学をした同級の年長者長谷川さんは神田で牛乳配達をしながら夜学校へ通っている。
人間の記憶は不思議なものだ。私は唯今筆を執りながら、犬殺が犬を殺すところを頭に描いている。それは新橋から青山までのこの初めての車上で目撃した光景だ。或商家の天水桶の側だった。一人の男が、尾を振っている犬に近づいて何か与えたと思うと、背後に匿し持っていた棒でガクンとやった。犬は※ 《のめ》った。犬殺は幾つも続けさまに撲った。私は無論、俥屋もその方へ注意を惹かされた。折しもあれ、
「はあい!」
という声がかゝった。馬車だ。而も二頭立てだ。私は初めてこんな立派なものを見た。内には容貌魁偉の将軍が乗っていた。日清戦争実記以来写真銅版でお馴染の痘痕面だった。
「大山大将だね」
と私は直ぐに分った。
「然うですよ」
と俥屋が言った。犬殺と将軍、何年も忘れていたことを不図今目の前に思い浮べたのである。それは然うと、一時間近くも乗って、この車賃必ずしも高からずと合点が行った頃、私は年来の目的の明治学園に着いた。
煉瓦造りの西洋館ばかりだとは占部牧師から聞いていたが、建物の素晴しいのには実際驚いた。私は門から取っつきのに下して貰った。その折、一足後れて着いた俥から矢張り私ぐらいの青年が下りた。服装も私と同じように和服の袴穿きで、腰に手拭をぶらさげていた。私が鞄と行李を玄関に片寄せた時、青年も同じような荷物を持ち込んだ。同じ目的で来たのだと思ったら、妙に懐しい心持がした。しかし青年は肩を怒らせて私を睨んだ。そればかりでない。私が受附へ行って占部さんからの紹介状を出した時、私を押し退けるようにして、
「これを何うぞ猪股先生へ」
と自分を先にして貰おうとした。私は癪に障って、凝っと顔を見てやった。相手は屹と構えて、いつまでも私を睨んでいる。生意気な奴だと思った。その頃の学生は荒っぽかった。東京の書生は直ぐに喧嘩を売りかけるから気をつけろと言われて来た。
私達の紹介状を持って引っ込んだ受附の老人は間もなく廊下に現れた。
「何うぞ此方へ」
と招いた。二人は事務室へ通った。
「こゝでお待ちなさい」
と老人は隅っこの狭いところへ私達を残して行った。手近の机で事務員に何か口授しているのが幹事の猪股先生だった。私は先生の眼鏡に注意を取られた。幾度見ても蔓がない。鼻眼鏡だ。箱馬車と共に初対面だったから、好奇心が動いた。私達はかなり長く待たされた。真直ぐに立っているのが苦しくなって一寸姿勢を変えた時、私の肩が例の青年の肩に触った。すると青年は肘でグイッと私の胴を小突いた。私も今度は堪忍出来ない。利息をつけて小突き返してやった。奴が機会を覗って又小突く。私も小突き返す。二人の間に肘鉄砲の交換が数回あった。
「君、君」
と猪股先生が呼んだ。
「はあ」
と青年は私を差し置いて進み出た。何処までも横着な奴だ。序に一つ小突いて行ったんだから、私の方が借越になる。
「君は何誰ですか?」
「野崎です」
「丸尾君の御紹介ですね?」
「はあ」
「丸尾君はお達者ですか?」
「はあ、先生に宜しくと仰有いました」
「有難う」
「高等学部へ入学したいんで、郷里から願書と履歴書を出して置いたんですが、もう着いていましょうか?」
「待ち給えよ」
と猪股先生は机辺の棚から書類の綴りを取り出して、撥りながら、
「野崎喜三郎。これですね?」
「はあ」
「浜松中学校と。卒業は去年じゃありませんか?」
「はあ」
「今まで何をしていたんですか?」
「家で遊んでいたんです」
「去年何処か他の学校を受けたんじゃないですか?」
「高商を受けてしくじりました」
と青年は頭を掻いた。私は好い気味だと思った。
「何ういう理由で今回学園の高等学部を志望しますか?」
「矢張り、その、何です、将来実業界に雄飛したいと思いまして」
「成程」
「大変好い学校で、語学をやるにはこゝに限ると丸尾先生が仰有いました」
「中学校の成績は何んな具合でしたか?」
「可もなく不可もないところでした」
「何番で卒業しましたか?」
「中どころです。二十九番でしたから」
「何人中の?」
「さあ。三十四五人いました」
「はゝあ」
と猪股先生は感心したようだった。私も変な中どころがあればあるものだと思った。見す/\矛盾したことを平気で言っている。
「五年の時に三週間ばかり休んだのが利いているんです」
「こゝの高等学部は主として西洋人が教えますから、英語の力が足りないと、苦しいですよ」
「はあ。それは丸尾先生からも、承わりました」
「英語の成績は何んな具合でしたか?」
「中どころでした」
「この履歴書の賞罰のところに停学三週間とあるのは一体何をしたんですか?」
「さあ」
と青年は行き詰まって、又頭を掻いた。
「匿さずに言って見給え」
「ストライキを起そうとした形跡があったんです」
「成程」
「もう決して致しません」
「操行は何うでした?」
「中どころでした」
「操行の中どころというと?」
「要するに乙です。尤もその罰を受けた為め丙ですけれども」
「何方です? 本当のところは」
「丙です。中どころです」
「宜しい」
「入れて戴けますか?」
「君は又他の学校を受ける気じゃありませんか?」
「いゝえ」
「こゝを腰掛にして高商を受ける積りじゃないですか?」
「そんなことは絶対にありません」
「何処までもこゝで勉強する気なら、喜んで入学を許可します」
「何うぞ願います」
「この手紙を見ると、君は寄宿舎へ入りたいんですね?」
「はあ」
「それではそこで待っていて下さい」
と猪股先生は青年を片付けて、
「君、此方へ」
と私を呼んだ。
「はあ」
「君は占部君からの御紹介の河原君ですね?」
「はあ」
「占部君はお達者ですか?」
「はあ。くれ/″\も宜しくと仰有いました」
「有難う」
「矢張り高等学部志望で、郷里から手続をして置きました」
と私は机の上を見た。私の入学願書と履歴書が拡げてあった。
「中学校の卒業席次は」
「十七番です」
「何人中の?」
「三十四人の級でした」
「それでは本当の中どころですね。この学園が年来の志望でしたか?」
「はあ。実は中学部から入りたかったんですが、家庭の都合で今回初めて上京致しました」
「洗礼はいつ受けました?」
「三年の時でした」
「お父さんお母さんも信者ですか?」
「いゝえ、僕一人です」
「将来の志望は?」
「未だ決めてありません」
「結構です。まあ/\、勉強しながらゆっくり考えるんですな」
「はあ」
「斯うっと」
と猪股先生は占部さんの手紙を読み直して、
「働いて学資を補う必要があるんですか?」
と訊いた。
「いゝえ」
「占部君は何を言っているんだろうな」
「それは占部先生が御親切に仰有って下すったんでしょう。学資は全部都合がついたんです」
「働きながら勉強ってことはナカ/\むずかしいです」
「はあ」
「しかし成績の好いものには奨学金の規定があります」
「僕は迚も駄目です」
「寄宿舎へ入るんですね?」
「はあ」
「それではそこで野崎君と一緒に待っていてくれ給え」
「はあ」
と私は引き退って、以前の通り隅っこに、例の青年と二人立ち並んだ。一つ小突かれ越しているから、機会あり次第返済しようと思っていたら、
「君」
と奴が囁いた。
「何です?」
「同級になるんだから、宜しく頼む」
「僕は知らん」
「君」
「それじゃこれで」
と私は肘で小突いてやった。敵は甘受した。もう味方になったのだった。
猪股先生は事務員を呼んで又先刻の続きを口授した後、帽子を手にして、
「それでは河原君と野崎君、寄宿舎へ案内しよう」
と言って歩き出した。
「君」
と野崎君が私を促した。もう先を争わない。
「恐れ入ります」
と私は先生自らを煩わすのを気の毒に思った。
「何あに、家へ帰る序です。私のところは丁度寄宿舎の裏になっています」
と、先生は学園内に住んでいるのだった。
私達は行李を受附へ頼んで、鞄丈け提げてお供をした。
「広いですなあ!」
と野崎君が感歎の声を洩らした。
「三万坪からあるそうです」
「銀座のと同じ時計台がある」
「あれはいつも五分後れているそうです」
「ふうむ」
「時計台の向うに五階の塔の聳えている三階が寄宿舎でしょう」
と私が言った時、猪股先生は、
「河原君は能く知っているね」
と訝った。
「占部先生から始終聞いていたのです」
「成程」
「写真を見せて戴きました」
「道理で詳しい。寄宿舎で思い出したが、占部君はヤンチャンで困ったよ」
「はゝあ」
「誰かと天麩羅蕎麦の賭をして、あの三階の窓から飛び下りた」
「危いことですな。怪我はなさいませんでしたか?」
「何ともなかったが、鼻血を流した。余り神さまを試み過ぎるといって、ジョンソン博士からひどく叱られた」
「そんな乱暴な方でしたかな」
「この頃は何うだね?」
「聖人君子のようです」
「年を取って、おとなしくなったんだろう」
「矢張り先生からお習いになったんですか」
「中学部の一年からさ。出来は悪くなかったが、いたずら小僧だったよ」
「丸尾先生は如何でしたか?」
と野崎君が訊いた。この紹介者も矢張り卒業生と見えた。
「あれは活気のない男だった」
「今でも然うです」
「浜松の中学校へ行ったきり動かないが、評判は好いのかね?」
「中どころでしょうな」
「君と同じかい? ハッハヽヽ」
と猪股先生は朗かに笑った。
「野崎君は浜松ですか?」
と実は私は先刻も浜松と聞いて耳よりに思っていた。
「然うです。君は何処です?」
「僕は○○ですよ」
「それじゃ同県です。宜しく願いますよ」
「何うぞ」
「僕は君が東京だと思って用心したんです」
と野崎君は弁解した。用心よりも挑戦のようだったが、三十四五人中の二十九番を中どころと信じている男だから仕方がない。
折から風采堂々たる中老半白の西洋人が通りかゝって、
「グッド・アフタヌーン」
と挨拶した。猪股先生は立ち止まって話し込んだ。私は英語を習い始めて満四年になるが、舶来のは初めて耳にする。グッド・アフタヌーンが分った丈けで、残余は些っとも歯が立たない。野崎君も同感らしく、ポカンとして首を傾げていた。猪股先生は最後に私達の入学のことを知らせたのだろう。
「ドクター・ジョンソン、云々《うんぬん》」
と言いながら、私達を指さした。これがジョンソン博士かと思って、私はお辞儀をした。
「Very glad to see you. お芽出度う」
と博士は毛だらけの手を出して、私達の手を握った。握手だ。これも初めてだった。
「総理です。ドクター・ジョンソンです」
と猪股先生が紹介した。博士は、
「この明治学園、他の学校と違う。神の道を教えるの学校」
「イエス」
と私は生れて初めて英語を使って見た。
「金儲け教えるの学校でない」
「イエス」
「明後日入学式。チャペルで又話しましょう。グッド・バイ」
「グッド・バイ」
と今度は野崎君が使った。
間もなく寄宿舎に着いた。猪股先生は中へ入らずに、
「音さん!」
と呼んだ。
「はあい!」
と答えて、小使が出て来た。
「この二人を頼むよ」
と申渡して、猪股先生は、
「この寄宿舎は自治制です。舎監ってものがない。上級生がモニトルを勤める。未だモニトルは誰も帰って来ていないから、差当り音さんに部屋を定めて貰い給え」
と言って行ってしまった。
こんな次第で、私達は同じ部屋へ入った。他に知合がないから、直ぐ懇意になった。同県人ということが嬉しかった。話し合って見ると、二人は同じ汽車に乗って来たのだった。弁当まで同じのを国府津で買っている。
「それじゃ腹の中まで君と同じですよ」
と野崎君は打ち興じた。
「これは因縁が深い」
と私も肯定した通り、お互は未だに親友だ。始終往来をしている。何方も成功しないから、殊に話が合うのかも知れない。
初めて賄の飯を喰べて、近辺へ散歩に出掛けた時、
「君、明治学園ってのは耶蘇学校らしいね?」
と野崎君は今更発見したように口を切った。
「無論ですよ」
「丸尾って奴はひどい奴だ」
「君の先生でしょう?」
「先生のくせにして嘘をつく。耶蘇学校ってことは些っとも言わなかった」
「はゝあ」
「僕は英語学校だと思って来た」
「ミッション・スクールじゃないって仰有ったんですか?」
「ミッション・スクールって何だろう?」
「耶蘇学校のことですよ」
「そんなことは一切言わないで、唯、英語の力をつけるのなら明治学園に限ると言ったんです」
「それじゃ嘘でも何でもない」
「いや、結局嘘になる。僕はミッション・スクールだとは夢にも思わなかった。これは考えものだ」
「何故?」
「耶蘇になるんじゃ困る」
「ならなくても宜いんです」
「君は耶蘇か?」
「えゝ」
「生徒は皆耶蘇だろうか?」
「そんなこともないでしょう?」
「それなら宜いけれど」
「信仰は自由です」
と私はこの問題について野崎君よりも一日の長があった。
「君、モニトルって何だろう?」
「知りません」
「あの西洋人がチャペルで話すと言ったが、チャペルって何だろう?」
「それも分らなくて考えているんです」
「今も門のところで別の西洋人に会いましたね」
「西洋人の先生が大勢いるそうです。小さい西洋館は皆その家ですよ」
「それじゃ英語の力がつく。矢っ張りいようかな?」
「君は入学したんじゃないんですか?」
「入学はしても、退学も出来るでしょう」
「それじゃ先刻同県人だから刎頸の交を結んで行動を共にしようと言ったのは何ういう意味です?」
「あれはミッション・スクールってことを知らなかったからです。何うも驚いた」
と野崎君はその頃から頓狂な男だった。
「君は耶蘇がそんなに嫌いですか?」
「さあ、僕は何うでも宜いんですが、僕の家は商売柄耶蘇が敵です」
「遊廓ですか?」
と私はつい思い浮んだまゝを訊いた。
「失敬な」
「何です? それじゃ」
「酒屋ですよ」
「成程」
「耶蘇は禁酒会ですからね」
「然うにも限りませんよ」
「いや、大敵です。迚も両立しない」
「君は酒が好きですか?」
「嫌いです。その代り煙草が好きです。この通り」
と野崎君は懐ろから取り出した。この頃は天狗煙草というのだった。
「煙草も学園じゃいけないんですよ」
「知っています」
「やめたら宜いでしょう」
「内証でやるさ。実は先刻便所で一本すってやった」
「野崎君」
「何です?」
「君のようなのは静岡県人の恥さらしですよ」
「何故?」
「そんな卑怯なことがあるものですか」
「いると決心がつけば無論やめますよ」
「未だグラ/\しているんですね。静岡県人は意志が弱いから嫌いです」
「河原君、君は憤ったのかい?」
「いや、僕は耶蘇だ。憤らない」
「折角君と友達になったんだから、矢っ張り一緒に勉強しようかな?」
「何うでも」
「君、君は何でも僕と一緒になって頑張ってくれないかい?」
「何をするんです?」
「喧嘩の時ですよ。君と僕と二人で組めば他県人に負けない」
「僕は喧嘩なんかしません」
「矢っ張り耶蘇だからですか?」
「えゝ」
「しかし君は変な耶蘇だぜ」
「何だって?」
「見給え。もう憤った」
「憤りはしない」
「先刻僕が小突いたら、きっかりその数だけ小突き返したじゃないか?」
「ハッハヽヽヽ」
「そんな耶蘇はない。偽耶蘇だ」
「ハッハヽヽヽ」
と私は急所を突かれたので、笑って紛らす外なかった。
その晩、私達は長いこと語り合った。同県だから、何彼と共通の話題があった。野崎君は舎監がいないというのに安心して煙草をすった。学園そのものについては、
「矢っ張りこゝで勉強しよう」
と定めたかと思うと、又、
「何うも丸尾って奴はひどいよ。僕を耶蘇学校へ入れたばかりか、紹介状に僕の悪口を書いたのらしい。猪股先生に会った時、君とは待遇が違っていた。矢っ張りこゝは早く切り上げる方が宜いかも知れない」
と気が変って、結局、
「僕は斯ういう時には一晩寝て起きると、頭の中に決心がついている。明日の朝までには確定するよ」
と不得要領に終った。
翌朝、私は目が覚めると直に五階の塔を思い浮べた。富士山が見えると聞いていたので、早速上って行った。成程、能く見える。箱根と覚しい山を踏まえて、チョコンと立っていた。故郷の山だ。無論懐しい。しかし私は至って理性的だった。それは昨日の今日だ。未だホームシックは感じない。
「案外小さいな」
とさえ思った。
「河原君」
とそこへ野崎君が上って来た。
「やあ、起きたのかい?」
「もう決心がついたよ」
「何うついた?」
「こゝでやる」
「それは宜かった」
と私は喜んだ。
「もう一つ決心したよ」
「何だい?」
「耶蘇には決してならない」
「ふうむ」
「感心したかい?」
「当り前さ。耶蘇だから来るって人が多いのに、君は変っている」
「ところでもう一つあるんだ」
「何だい?」
「耶蘇と喧嘩をして負けるのは口惜しいから、煙草をやめる。見給え。この通りだ」
と野崎君は煙草の袋を捩じ切った。
「好い決心だよ」
「斯ういう具合に粉々《こなごな》にして打っちゃってしまえば未練は残らない」
「ナカ/\豪い」
「しかしこゝに吸殻が落ちているぜ」
「成程」
「こゝにもあるよ」
「寄宿生がこゝへ来て吸うのかも知れない」
「それじゃ考えものだぞ」
「いけない/\」
「ハッハヽヽヽ」
「君、富士山が見える」
と私は指さした。
その日、私達が事務室へ行って入学金と授業料を納めているところへ、又一人の同級生が着いた。此奴が現在の成金赤羽君だった。猪股先生は私達を紹介して、
「新入生は君達三人きりらしい。尤も中学部から来るのが六人ある」
と言った。
「私は群馬県の産、赤羽明と申します。何分宜しく」
と赤羽君は鄭重にお辞儀をした。
「宜しく」
と野崎君は肩を怒らせて睨みつけた。悪い癖だ。直ぐに喧嘩を売りかける。
第一印象
群馬県の産、赤羽君は矢張り寄宿舎へ入って、私達の隣室に落ちついた。荷物を片付けると直ぐに出て来て、
「好い学校ですな。僕は西洋館は初めてです」
とニコ/\した。
「群馬県の学校は藁葺きですか?」
と野崎君が冷かした。
「学校は皆西洋館ですけれど、寄宿舎の話です」
「僕達の方じゃ寄宿舎も皆西洋館です」
「何処ですか?」
「静岡県です」
「随分進んでいるんですね」
と赤羽君は争わなかった。
「新入生が僕達三人きりとは心細いですな」
と私は話題を変えた。野崎君は喧嘩を売る気だ。始まれば私が同県人だから加勢につくと信じている。
「そこがこの学校の特徴だそうですよ」
「生徒の尠いのがですか?」
「えゝ。多いといけません」
「何故ですか?」
「堕落書生がいて喧嘩を吹っかけます」
と赤羽君は何気なく言った。野崎君は肩を怒らせた。これはいけないと思っていると、果して、
「赤羽君、群馬県ってのは馬の多いところですか?」
とやり出した。
「さあ」
「馬ばかり群っている県でしょう」
「字は然うですが、馬は福島県でしょう。一向作りません」
「それじゃ人間の顔が長いんでしょう。馬のような人間が群っているんでしょう」
「そんなことはありません。大人物が出ています」
「誰です?」
「新島襄先生です。而も僕と同じ町です」
と赤羽君は目を輝かした。
「大臣ですか?」
「違います」
「実業家ですか?」
「君は新島襄先生を御存じないんですか?」
「知らん、そんな人」
「ハッハヽヽヽ」
と私は笑い出した。
「何が可笑しいんだ? 君」
と野崎君は私に喰ってかゝった。
「苟くも明治学園へ入るものが新島先生を知らなくて何うするんだい?」
「卒業生かい?」
「同志社の社長さ。基督教界の先覚者だよ」
「同志社なら知っているけれど」
「豪い教育家だよ。もう死んでしまった」
「僕は信者じゃないからね。福沢先生なら知っているけれど」
と野崎君は忌々《いまいま》しそうだった。
間もなく私は、
「赤羽君、君は信者ですか?」
と訊いて見た。
「いゝえ」
「お家が信者ですか?」
「いゝえ。僕は基督教は嫌いです」
「それじゃ何うしてこの学校へ入ったんですか?」
「実は去年高商を受けて弾ねられたんです。又やるかも知れません」
「それまでの腰掛ですか?」
「えゝ。しかし確信がありません」
と赤羽君はニコ/\した。
「これは話せる」
と野崎君が共鳴した。
「ハッハヽヽヽ」
「僕も去年高商をしくじったんです」
「何うも然うだろうと思いました」
「何故?」
「君の受験番号は二百五十九番でしたろう?」
「然うでしたよ」
「僕は二百六十番です。君は僕の直ぐ前の机でした」
「はゝあ」
「カンニングをやったでしょう?」
「冗談言っちゃいけない」
「僕は後ろから見ていました。英語の時間に辞書を引きました」
「おや/\」
「それだから印象が深いんです。先刻会った時、何うも見た顔だと思いました」
と赤羽君は退っ引きさせなかった。
「悪いことは出来ない」
「ハッハヽヽ」
「しかし入学試験のカンニングは利かない」
「実は僕もやったんです」
「それ見給え」
「君のを見たんです」
「何の時?」
「数学の時です」
「僕のを見たんじゃ落第するよ」
「その所為かも知れません」
「罰だ。ハッハヽヽ」
と単純な野崎君は態度を一変して、旧知のように話し始めた。
「君も又受けるんですか?」
「さあ」
「僕は兎に角受けようと思っています」
「それじゃ僕もやって見ようかな?」
と入学早々、他の学校へ逃げ出す相談だ。
「二人とも腰掛じゃ張合がない」
と私は失望した。
「腰掛とも限りませんよ」
「僕も限らん」
「落第すれば、このまゝ居残るんです」
「僕も然うだ」
「高商はむずかしいです。僕は数学が出来ません。英語が駄目です。そこへ持って来て暗記物が形なしですから、迚も見込はないんです」
「僕だって同じことだ。一旦決心をしたんだから、矢っ張りこゝにいる方が宜いかも知れない」
「こゝだって専門学校です。卒業すれば何うにかなりますよ」
「英語の力丈けはつく」
「それですよ。僕もいようかな? 又数学をやり直すのが辛い」
「瘠せるくらい勉強するのかと思うと、厭になる」
「英語さえ出来るようになれば、高商も同じことですよ。折角入ったんだから、もう諦める方が宜いかも知れない」
と二人はグラついていて、何方へでも傾ぐ。その折の気分次第だ。
そこへ廊下から部屋を一寸覗いたものがあった。
「誰だい?」
と野崎君が咎めた。実に威張りたがる男だ。
「僕です」
「僕じゃ分らない」
「安部です」
「何か御用ですか?」
と私は野崎君を遮って、立って行った。喧嘩を始められては困る。
「あなた方は高等学部へお入りになったんですか?」
「はあ」
「僕も高等学部のものです。今帰って来たばかりです」
「然うですか? 失敬しました。僕達は新入生ですから、何うぞ宜しく願います」
「僕も新入生です」
「しかし中学部からお入りになったんでしょう?」
「はあ」
「それじゃ先輩です。何うぞ宜しく」
「僕こそ」
「お入りなさい」
と赤羽君が歓迎した。
これが現在○○教会の牧師として都下の基督教教役者間に相応重きをなしている安部君だった。
「僕は安部です。ヤンチャンですから、何うぞ宜しく」
「僕は河原と申します」
「僕は野崎喜三郎、乱暴ものです」
と野崎君は肩を怒らせて睨んだ。
「僕は群馬県の産、赤羽明と申します。今しがた入ったばかりで勝手が分りません。何分宜しく」
と赤羽君は丁寧にお辞儀をした。
「僕こそ」
「早速ですが、安部君」
「何ですか?」
「便所は何処ですか?」
「一番下です」
「下の何の辺ですか?」
「一緒に参りましょう」
と安部君が案内して行った。
「ひどい奴だなあ」
と私は呆れた。
「馬鹿だよ。群馬県の南瓜野郎は」
と野崎君は悪口を言った。
安部君はその頃から弁才に長じていた。私達に較べると社交的でもあった。群馬県を便所へ案内した序に部屋から自分の椅子を持って来て、明治学園の過去と現在を滔々《とうとう》と語り出した。
「一体に振わない学校ですよ。建物の大きいのは見かけ倒しです。生徒よりも先生の方が多いんですからね。高等学部は生徒が十人以上あったことはありません」
「そんなに尠いんですか?」
と私は今更驚いた。
「新入生は君達三人きりですか?」
「然うだそうです」
「それじゃ一年級はこの四人と後五人ですよ。二年が二人です。三年は一人いたのが死んでしまったから、悉皆で十一人ですよ」
「はゝあ」
「高等学部が一番振いません。その次は神学部です。十二三人いましょうかな」
「神学部って何ですか?」
と野崎君が訊いた。
「基督教の牧師を養成するところです」
「本当の耶蘇学校ですね?」
「然うです。この頃少し盛んになって来たんです。生徒の数と教師の数が同じになったと言って、ジョンソン博士が喜んでいるそうです」
「僕の知っている占部牧師はこゝの卒業生です。その頃は級が一人だったそうです」
と私は思い出した。
「然うでしょう。昔は振わなかったんです。卒業生の名簿を見ると、毎年二人か三人です。ところが去年一遍に八人入学したんです。ジョンソン博士は吃驚して、椅子から辷り落ちたそうですよ」
「慌てゝいやがる」
と野崎君が言った。
「しかし豪い人ですよ、ジョンソン博士は」
「立派な人ですね。昨日お目にかゝりました」
と私は博士のことをもっと知りたかった。占部牧師から聞かされているので興味がある。
「まあ、聖人君子でしょうな」
「風采から言っても唯の人じゃありません」
「何処となく豪いところがあります。他の先生は然うでもないですが、ジョンソン博士丈けには自然頭が下ります」
「新島襄先生と何方が豪いですか?」
と赤羽君は不服のようだった。
「新島先生はこゝとは教派が違いますが、ジョンソン博士を豪いと言ったそうです。ジョンソン博士も新島先生のことを説教の中に持ち出して、大変に褒めていました」
「それは当り前です」
「君は信者ですか?」
「いや、信者じゃありませんが、新島襄先生と同郷です」
「成程。群馬県でしたね?」
「はい。而も同じ町です」
「それじゃ安中ですか?」
「はい」
「僕は今新島先生の伝を研究しているんですから、何んな町だか教えて下さい」
「はい」
「馬がはい/\言っている」
と野崎君が茶化した。
「何だい?」
「何だ?」
「馬ってのは失敬だぞ」
「馬丈けなら宜い方だ。未だ鹿って字はつけない」
「君は僕を馬鹿にするのか?」
「今分ったのか?」
「君、喧嘩はよせよ」
と私が制した。
「君は紳士の礼儀を知らない」
「君こそ知らない。信者でもないくせに新島先生の自慢をするのは卑怯だぞ」
「何だ? 君は新島先生を知らなかったじゃないか?」
「知らない方が正直で宜い」
「…………」
「何うだ?」
「成程」
「もうやめろ」
「やめる」
と赤羽君は不得要領な男だ。大に主張するのかと思っていたら、直ぐに妥協してしまった。
安部君は新島襄先生を諦めて、
「中学部丈けが先ず世間並です。二百人近くもありましょう。僕達の級から盛んになったんです。僕達は二十人でした」
と話を旧に戻した。
「その中から六人来るんですね」
と私が又相槌を打った。
「然うです。皆面白い男ですよ」
「残余は何うしたんですか?」
「早稲田と慶応へ大分入りました。アメリカへ行くものもあります」
「はゝあ」
「三四人官立を受けますから、九月には落武者が帰って来るかも知れません」
「落武者って何ですか?」
「一高や高商で弾ねられた怪我人ですよ」
「成程」
「耳が痛いね」
と赤羽君が野崎君を見返った。
「実は僕達も去年の落武者ですよ」
と野崎君が頭を掻いた。二人とも案外無邪気なところがある。
「河原君は信者でしょうね?」
と安部君が訊いた。前後の関係から落武者は何うせ信者でないというような意味にも取れた。
「はあ」
「教会は何処ですか?」
「郷里です」
「お郷里は?」
「静岡県の○○町です」
「いつ洗礼をお受けになりました」
「中学三年の時です」
「それじゃ僕と同じことです。神学校へお入りですか?」
「いゝえ。あなたは?」
「未だ定めていませんが、入りたいと思っています」
「僕は中学校の先生が志望です」
「それも宜いでしょう。こゝを出た人は大抵英語の先生になっています」
「しかし資格がないんですってね?」
「さあ」
「教員免状が貰えないんですって」
「しかし大勢なっていますよ」
「それは検定試験を受けて取ったんです」
と私は父親が小学校長だから、この辺の事情に能く通じていた。
「何うしたんでしょう? 二人は」
と間もなく安部君が怪んだ。野崎君と赤羽君が見えない。
「さあ」
「僕が忘れて君丈けと話していたものだから、憤ったんじゃないでしょうか?」
「そんなこともないでしょう」
「素からのお友達ですか?」
「いや、野崎君は昨日、赤羽君は今日からです」
「何方も豪傑らしいですな」
「今に屹度喧嘩をしますよ」
「僕は先刻心配しました」
「野崎君はミッション・スクールってことを知らないで入ったんです」
「はゝあ」
「頓狂な男です。昨日一日煩悶していました」
「新島襄先生も大分変っていますよ」
「顔付からして当り前じゃありません」
「年寄のようなところがあると思うと、子供のようなところもあります。男のような女のような、全く要領を得ない顔です」
「老若男女を一人で兼ねているんでしょう」
「ハッハヽヽ」
「老若男女と綽名をつけてやりましょうか?」
「いけませんよ。僕達は信者です」
「信者だって言論は自由でしょう」
「いゝえ、言論じゃありません。兄弟の裁きです」
「人を議すること勿れですか?」
「汝等も亦議せられん」
「ハッハヽヽ」
「ハッハヽヽ」
野崎君と赤羽君はナカ/\帰って来なかった。安部君は尚お話しこんだ後、折から戻ったばかりの吉田君を紹介した。それから私は独り机に向って、郷里の両親と占部牧師に手紙を書いた。
「おい」
と野崎君が赤羽君と一緒に帰って来た。
「何処へ行ったんだい?」
「赤羽君と二人で蕎麦屋へ行って、刎頸の交を結んで来た」
「大に胸襟を開いて来たよ」
と赤羽君は老若男女の相好を崩した。後から聞いたが、二人とも強がって酒を飲んで見たのだった。しかし些っとも甘くないことが分って、禁酒を誓って来た。大に勉強する約束もしたのらしい。
翌朝、入学式があった。九名の新入生の中、四名まで姿を見せない上に、二年生が二名総欠席をしたものだから、私達は唯五名、広いチャペルの真中にチョコナンとして坐っていた。そこへ先生方が和洋取り交ぜて十数名、威儀を正して入って来て、ズラリと壇上に居流れた。
「何うですか? もっと前へ出て来て下さいませんか?」
と幹事の猪股先生が招いた。私達は一番前の腰掛へ進んだ。次に、
「一つの腰掛に一人宛かけて下さい」
という註文だった。居並ぶ先生方が笑った。頭数を多く見せたいという苦心が現れていた。
式は讃美歌で始まった。
私は信者だから心得があった。しかし野崎君と赤羽君は初めてらしかった。安部君と吉田君は大きな声で歌った。因みに西洋婦人がオルガンを弾いた。丁度私の真前だったから、私は好奇心をもって眺めた。西洋人の女というものは郷里で二三度見かけたばかりだった。その一人は顔に網を張っていた。網は妾の印だと聞いた。何分、日露戦争前の田舎漢だ。そこを念頭に置いて読んで戴きたい。
讃美歌が終ると、猪股先生が聖書を朗読して、お祈りを始めた。
「在天の父よ……今回、新学年と共に曾つてない多数の有為な青年を私達にお与え下すったことを深く感謝申上げます。前学年の入学者は三名でございました。その中一名はお召しによりまして、お手許へ参りました。その前年の入学者は一名でございました。これもお召しによりまして、お手許へ参りました。その又前年は四名、中一名はお召しによりましてお手許へ参りましたが、残る三名は無事卒業、目下社会へ出てそれぞれ仕事を探して居ります」
と猪股先生のお祈りは、後から安部君に聞いて承知したが、会衆への報告を兼ねている。在学生が毎年死ぬのらしい。お召しによりましてとは正にそのことだ。尚お去年の卒業生が三名とも未だに職業に有りついていない。一寸の間に、これ丈けの心細いことが分った。
「父よ。今年は九名でございます。あゝ、我が盃は満ち溢る。当学園創立以来、高等学部に斯く多数の青年を迎えることは破天荒でございます。但しその中四名のものはこの席に列して居りません。約半数が油断をしています。それが皆当学園中学部出身のものであります。この点、私は遺憾に堪えません。父よ、彼等は弱きものであります。彼等が一日も早く母校に戻って、生徒の本分を尽しますようお導きあらんことを願い上げます。尚お今日は在学生が出て参りません。彼等は私達と一緒に新しき兄弟を歓び迎える筈でありました。父よ、彼等も又弱きものであります」
と生徒に対する苦情も交っていた。これは私も同感だった。
「父よ、私達教育の任に当るものも実に弱きものであります。あなたのお導きがなければ、何事も出来ません。私達に特別の明察と忍耐力を与え給え。私達は単に知識を頒つ丈けで満足すべきでありません。当学園の教育方針は教員各自実践躬行、もってクリスチャン・ゼントルマンを養成するにあります。ついては私達は成るべく生徒に接近しなければなりません。機会ある毎に自宅へ招いて懇談するのも結構でございます。相伴って校庭や近郊を散策するのも結構でございます」
といった具合に、先生方への註文もあった。
猪股先生は長いお祈りを終って、
「これから当学園総理神学博士ジョンソン先生にお話を願います」
と紹介した。
「皆さあん!」
と博士が莞爾として説教壇に現れた。
「今日は神さまのお与えの大きな喜びであります。皆さんにお目にかゝること初めてでないかも知れない。知った人います。しかし高等学部の生徒は初めてであります。大きな喜びの理由、何となれば、私、皆さんの生れる前から日本に来て待っている。神さまのお導きであります。皆さん、皆さんは明治学園へ来た理由ありましょう? 何となれば来ましたか? この明治学園、何でありますか? 大切の問題であります。皆さん何うでありますか?」
と甚だ流暢だが、珍らしい日本語だ。
「この明治学園、私、説明します。それは学問の学校でありません。お金儲けの学校でありません。神さまの道、教えるの学校! 基督教紳士、組み立ての学校! 今からそれ分らない人、後から失望、お気の毒であります。学問の為め勉強の人、早くお帰りなさい。お金儲け勉強の人、早くお帰りなさい。明治学園、その人達来る学校でない。基督教紳士、組み立ての学校! 皆さん、何うでありますか?」
とジョンソン博士が感激を与えた積りで両手を拡げた時、私の隣りの腰掛から野崎君が立ち上った。
「何うでありますか?」
と博士は首を傾げた。
「僕、帰ります」
と野崎君は戸口の方へ向って歩き出した。
「お待ちなさい」
と博士は壇上から招いて足らず、
「誰か止めて下さい」
と頼んだ。赤羽君が追って行って、何か囁いた。野崎君は旧の席に戻って来た。
「お金儲けの学問、手の業、悪くはない。しかし、それ皆、神さまの道あってから尚お宜しい。一番大切のもの、明治学園の目的。それ、何でありますか? 魂の問題であります。人はパンのみにて生きない。神さまとの関係であります。神さまと人間の正しきの関係、それ、一番大切のものであります。明治学園の目的であります」
と博士は少時熱心に説いた後、
「唯今、憤った生徒がありました。それ、私の日本語下手でありません。皆さんより早く習いました。能く分ります。すべて、日本語日本人と同じ上手の西洋人、日本人に嫌われます。憎らしい。こゝにいるハワース先生、日本語、未だ少しも出来ません。この間先生の自転車、人力車に当りました。俥屋さん、憤りましたが、先生、日本語、分りません。巡査さんが来て、先生にあやまりました。又、この間私の自転車、人力車に当りました。私、日本語出来ます。俥屋さん、『生意気な野郎だ』と申しました。巡査さんが来て、長いこと、私を叱りました。私、日本語出来るの損を感じました。何うぞ、皆さん、誤解なきように願います」
と結んだ。何の誤解か分らない。恐らく余り日本語が上手なので、野崎君が憤ったと思ったのだろう。
その日、野崎君と赤羽君の問答が面白かった。
「君、何うする?」
と赤羽君が訊いた。
「矢っ張り退学する」
「それじゃ約束が違う」
「何故?」
「苟くも刎頸の交を結んだ以上は、君が退学すると、僕も退学しなければならない」
「君は勝手にし給え」
「一体君は何が気に入らないんだ?」
「僕はお金儲けの学問だ。実業界が志望なんだからね」
「僕だって然うだよ」
「それなら行動を共にし給え」
「いや、僕はこゝで勉強しても同じことだと思う」
「こゝは魂の問題が先じゃないか?」
「あれは人格のことだよ。あれぐらいのことは何処の校長でも言う」
「帰れなんて失敬だ」
「校長は皆あゝ言うのさ。脅かしだよ。親の勘当も同じことさ。本気にする奴があるものか」
「…………」
「見給え。君が立ったら、直ぐ止めたじゃないか?」
「まあ、考えさせてくれ」
と野崎君は腕を組んだ。
「生徒の尠いのが厭か?」
「…………」
「尠い方が宜いんだぞ」
「何故?」
「五十人いれば、先生の教えることが五十分の一しか覚えられない。九人なら九分の一覚えられる」
「そんな勘定はないよ」
「無論譬えさ。級が小さければ、先生の目が届くから怠けられない。自然勉強する」
「苦しいぞ」
「楽に勉強しようって料簡が間違っている」
「洒落たことを言うな」
「英語の力さえつけば高商も同じことだ。決心しろよ」
「さあ」
「僕はこの学校が気に入った。見込がある」
「しかし生徒が毎年一人宛死ぬんだぞ」
「僕達は大丈夫だ。信者が死ぬんだ」
「兎に角、今夜一晩待ってくれ」
「借金取りに会ったようなことを言うなよ」
「僕は寝て起きると決心がつく」
「散歩に行こう。もっと話して聞かせる」
と赤羽君は一生懸命だった。
級友諸賢
「神さま。私はカナンの国に着きました」
というのが私の感謝だった。明治学園の生活は悉皆気に入った。年来思慕の学校だから、苦情のありよう筈はない。最高学府の帝国大学へ入っても、これ以上の満足は覚えなかったろうと思われる。感激の余り、差当り平素の自己以上になっていた。鈍っていた信仰が刺戟された。
「こゝだ。新入学と共に生れ更ろう」
と発心した。郷里の両親と占部牧師へ然う書いて送った。祈祷、勉強、自省、交際、運動等の時間割を細かに作って、忠実に実行した。
或朝、私が五階の塔へ登って、少時のお祈から目を見開いたら、安部君が直ぐ側に来て、矢張り祈っていた。私はその敬虔な態度に感心して、又祈り始めた。再び目を見開いたが、安部君は未だ頭を下げていた。私は又々祈り足して、又々見開いたが、安部君は一生懸命だった。敵わないと思った。しかし負けるのは口惜しいから、更に初めから祈り直して、アーメンと声を立てたら、安部君もアーメンと和して漸く終った。
「お早う」
「お早う」
と双方同時に挨拶をした。
「君は豪い」
と安部君は溜息をついた。
「何うして?」
「実に能く祈る」
「君こそ能く祈る」
「いや、僕は迚も敵わない」
「そんなことはないですよ。僕は早く済んで君の方を見たら、君が未だやっていたから、又始めたんです」
と私は有りの儘を告白した。
「僕も然うですよ。負けまいと思って、済んだのを又無理にやったんです」
「それにしても僕は三度目を開いています」
「僕も一二三、矢っ張り丁度三度です」
と安部君も匿さなかった。潜水か何かの積りで、長く続くのを豪いと思っていたのだ。幼稚なものだった。信仰も進化する。安部君は現在立派な牧師さんになっているが、私はこの程度で発達が止まってしまったのである。
野崎赤羽の両君は特別として、最初に会っている所為か、私はこの安部君とは他の同級生よりも早く親んだ。先方も好意を持っていると見えて、食堂では私の隣りに坐る。
「これは何ですか?」
と私が訊く。
「葱のカツレツです」
と安部君が教える。チャペルでも、何方が努めるともなく、二人並んで席を占める。
「あの頭の禿げた西洋人は何という人ですか?」
「ニコルさんです。幾つに見えます」
「六十ぐらいでしょう」
「可哀そうに。四十そこ/\ですよ」
「若いんですね」
「あの頭に毛が生えないと、奥さんがアメリカから帰って来ないんです」
「はゝあ」
「先生、一生懸命になって、毎朝鵞鳥の生血を飲むそうです」
「そんなものが利くんですか?」
「駄目でしょう。先生、奥さんのことゝ頭のことばかり考えています。そら、頭を撫ぜながら、時計を出して見ているでしょう?」
「えゝ」
「あの時計の蓋の裏に奥さんの写真が焼きつけてあるんです」
「成程」
と私はその都度何か得るところがある。
授業が始まって二三日してからのことだった。放課後、安部君は、
「河原君、その辺へ散歩しませんか? 好いところがありますよ」
と誘ってくれた。
「お供しましょう」
と私は丁度散歩の時間だった。その頃の東京は場末が直に田圃で、学園の近所には百姓家が多かった。
「まるで田舎でしょう?」
「えゝ。水車がありますね」
「こゝが僕の散歩道です。夕方独りで来て、瞑想しながら歩きます」
「君は詩人ですな」
「斯ういう美しい自然界へ出ると、誰でも詩人になりますよ」
「東京にこんな静かなところがあるとは思いませんでした」
「夕方はあの森へ日が落ちるんです。何とも言えない景色ですよ」
「実際好い」
「讃美歌を歌いながら歩きましょう」
と安部君は早速胴間声を張り上げた。私も和して、田圃道を辿り始めた。間もなく後ろから、
「おうい」
「馬鹿野郎やあい!」
と呼ぶものがあった。
「野崎君と赤羽君だ」
と私は振り返った。
「待てよう」
と野崎君は手を挙げて、赤羽君諸共駈けて来た。
「御散歩ですか?」
と安部君が訊いた。
「いや、これです」
と野崎君は持っていた煙草を見せた。
「寄宿舎じゃ吸えないから、この辺まで出て来るんです」
と赤羽君もスパ/\やった。
「いけないぜ、野崎君。君はもうやめると言ったじゃないか?」
と私は態と大袈裟に咎めてやった。
「申訳ない。三日坊主だ」
「駄目だなあ。静岡県は」
「群馬県が誘惑するんだもの」
「ハッハヽヽヽ」
と赤羽君は膝を叩いて笑い出した。
「二人で時々散歩に出る道理が分ったよ」
と私は思い当った。
「まあ/\、勘弁してくれよ」
と野崎君は責任を感じているようだった。
「構わないよ。君の勝手だもの」
「もう信用しないかい?」
「そんなことはない」
「勉強は大にする。到頭落ちつく決心がついたんだから」
「もう宜いよ。冗談に言ったんだよ」
と私は気の毒になった。
四人連れ立って歩き始めた。
「安部君」
と赤羽君が話しかけた。
「何ですか?」
「煙草は何故いけないんでしょう?」
「さあ。分りませんな」
と安部君は明答を避けた。議論を吹っかけられると思ったのらしい。
「聖書に煙草を飲むべからずという規則が出ているんですか?」
「そんなことはありません。基督は煙草以前の人です」
「見給え、野崎君。僕が勝った」
と赤羽君が威張った。
「そんなことは僕だって知っているよ」
「知らなかったじゃないか?」
「あれは聖書の戒から来ていると言ったんだ」
「煙草以前の人が煙草の戒をする筈はないよ」
「それは然うさ」
「見給え」
「しかし直接煙草の戒でなくても、今の時代に引き直して、意味が然う取れゝば同じことじゃないか?」
「今更誤魔化しても駄目だよ」
「誤魔化すものか。僕は単に一般的に煙草は聖書の教訓に反くからいけないんだろうと言ったばかりだ」
と野崎君が主張した。
「君は狡い。何も知らないくせに」
「何を知らない?」
「新島襄先生を知らなかったじゃないか? 基督教のことは何も知らない」
「君こそ知らないよ」
「君はミッション・スクールを知らなかったじゃないか?」
と赤羽君が敦圉いた。
「やめ給え。喧嘩になる」
と安部君が心配して割り込んだ。双方少時黙った後、
「赤羽君、それじゃ君は基督のことを知っているのか?」
と野崎君が再び進み寄った。
「知っているとも」
「基督は紀元前何年の人だ?」
「さあ」
「言って見ろ。早く言って見ろ」
「待て」
「大体で宜い。西洋歴史の試験だ。知っているなら、早く言え」
「一寸待ってくれ」
と赤羽君は考え込んだまゝ、行き詰まってしまった。
「見ろ、馬鹿野郎!」
と野崎君が極めつけた。
「…………」
「基督紀元を知らない奴があるか?」
「知っているよ。基督は紀元元年だ」
「教わってから言っても駄目だよ」
「つい釣り込まれたんだ」
「知らなかったんだよ」
「君が詭弁を弄するからさ。これは驚いた。頭が何うかしている」
と赤羽君には何処か愚なるが如きところがあった。
安部君は再び讃美歌を歌い始めた。私も負けない気になって怒鳴った。しかし敵わない。安部君は恐ろしい胴間声を出す。
「君の声は太いですな?」
と私は歌の切れ目に訊いて見た。
「ベースですよ」
「は?」
「ベース」
「何のことですか?」
「御存知ありませんか? 正式に習っているんです」
と来た。田舎の教会育ちは情けない。私は少し極りが悪くなって、ふと見返ったら、野崎君と赤羽君がもういなかった。
「何うしたんだろう?」
「敬遠したんですよ、窮屈で」
「あの百姓家のところから曲ったんだ」
と私が立ち止まって見返った時、
「馬鹿野郎やあい!」
と呼ぶ声が聞えた。
「ひどい奴等だ」
「河原と安部の馬鹿野郎やあい!」
「何だ? こん畜生!」
と私は声の方角へ二三歩進んだ。
「君、それはいけませんよ。悪に敵すること勿れです」
と安部君が制した。
「余り失敬だ」
「あの二人は心に疚しいところがあって、僕達と一緒に歩けないから逃げて行ったんです。もう構わない方が宜いです」
「あゝ、彼処へ行く。広い道へ出たんです」
と私は二人の姿を立木の間に認めた。
「沈淪に至る路は濶、その門は大なり。これより入るもの多し」
と安部君が聖句を引用した。私は早速、
「命に至る路は窄、その門は小さし。その路を得るもの少なり」
と受けた。
「ハッハヽヽ」
「ハッハヽヽ」
「あの二人は俗物ですよ」
「命の為めに何を食い何を飲まんと思い患っているんです」
「命は糧より勝ることを知りません」
「空の鳥を見よ。稼ことなく穡ことをせず、倉に蓄うることなし」
「この故に明日のことを思い患う勿れ」
「明日は明日のことを思い患え」
「一日の苦労は一日にて足れり」
と二人は基督の言葉で語り合った。お互に此方も知っているぞという見栄があった。
「時に河原君、君は明治学園が気に入りましたか?」
と安部君は話題を更えた。
「えゝ」
「好い学校でしょう?」
「申分ないんですが、一つ案外に感じたことがあります」
「何ですか?」
「ミッション・スクールだから、生徒は皆信者だろうと思っていたら然うじゃないんですもの」
と私は元来怪しげな信仰を如何にも確実のように衒った。考えて見れば、馬鹿なものだった。
「それは仕方ありませんよ。誰でも入れるんですから」
「ミッション・スクールなら、もっと信仰を勧めれば宜いでしょう。もっと伝道的に」
「チャペルでやる礼拝がその積りですよ」
「あんなことじゃ求道者は出ますまい?」
「さあ」
「洗礼を志願するものがあるんですか?」
「ありますよ。僕なんか然うでした。それから日曜には朝晩説教があります」
「誰がやるんですか?」
「ジョンソン博士です。晩は他の人ですけれど」
「早く聴きたいものですな」
「明後日あります。一緒に行きましょう。女学園と一緒です」
「女学生が来るんですか?」
「えゝ。僕達は右側に坐ります。女学園の連中は左側です。それで面白いんですよ」
「何ですか?」
「皆女学生の方を見るんです」
「説教中にですか?」
「えゝ」
「それは不都合千万だ」
「ハッハヽヽヽ」
「叱られるでしょう?」
「何あに、時計が左側の壁にかけてあるものですから、それを見る風をして誤魔化します」
「狡いんですね」
「これを『左向け』と言っています」
「成程」
「皆左向けばかりするものですから、いつかジョンソン博士がチャペルで冷かしましたよ。『皆さんの首、少し左へ曲る癖出来ました。その道理、何でありますか?』って」
「ハッハヽヽ」
「皆やっているんですよ」
「しかし皆信者でしょう?」
「信者には限りません。生徒ですから」
「中学部も神学部も出るんですね?」
「えゝ。神学生が一番左向けをします」
「これは驚いた」
「アメリカあたりじゃ皆然うですって」
「然う言えば、君も少し左へ曲っていますよ」
「ハッハヽヽヽ。僕は大丈夫です」
と安部君は否定した。
「級で信者は君と僕と吉田君丈けですね」
「もう一人立花君があれでも信者です」
「熱心ですか?」
「蝙蝠ですよ」
「え?」
「蝙蝠信者ですよ。エソップにあるでしょう? 蝙蝠は鳥の仲間へ入ると、おれは鳥だと言って、獣の仲間へ入ると、おれは獣だと言います。立花君もその通りです。信者の仲間へ入ると、信者らしくして、未信者の仲間へ入ると、未信者らしくします」
「厭な奴だなあ」
「抜け目がないんです」
「僕はそんな裏表のある人間は嫌いです」
と私は更生一新の発心をしたばかりだったから、無暗に理想が高くて他を律するに厳しかった。
「しかし成績は好いですよ。特待生です」
「一番ですか?」
「えゝ」
「君は二番でしょう?」
「僕は三番です。吉田君が二番です」
「吉田君は真面目のようですね?」
「あの人は模範的です。好い信仰を持っています。お父さんが牧師ですからね」
「道理で違う」
「残余は皆未信者で中には無神論者もいます」
「誰ですか?」
「高木君です。痛快な男ですよ」
「もう一人何とかいうのがいるじゃありませんか?」
「佐伯君ですか? 谷君ですか?」
「さあ。何方でしょうか? 僕のことを田舎ものって言いました。野崎君が憤って、突き飛ばしましたよ」
「丈の高い方ですか?」
「えゝ」
「それじゃ佐伯君です」
「あれは生意気ですね」
「案外好人物ですよ。金持のお坊っちゃんですから、皆に煽てられて威張るんです。谷君は佐伯君の腰巾着です」
「通学生ですね、二人とも」
「えゝ。何方も負けず劣らず成績が悪くて、仮級ばかりやって来ました」
と安部君は級友の銘々伝を大略果した。
土曜日の晩に級の懇親会があった。この散歩の翌日だったように覚えているが、もっと後だったかも知れない。席上、野崎君と赤羽君が組打をして卓子を倒したので、二十何年後の今日、未だに一つ話になっている。級長の立花君と副級長の吉田君が発起人で、英文の案内状が廻った。
「懇親会ってのはソーシャル・ガザーリングかい? 一つ覚えた。流石にミッション・スクールだ」
と野崎君が感じた。
「これは間違っている。会はソサイチーだ」
と赤羽君は別に説を立てた。
「その会とは会が違うよ」
「会は何でも会さ」
「団体の会はソサイチーさ。集会はガザーリングかミーチングさ」
「成程」
「分ったかい? 基督は紀元元年だよ」
と野崎君はこれ丈け余計だった。赤羽君は黙って唇を咬んだ。これがこだわりになったと思われる。
会は教室で催された。未だ電燈がなくて、ランプだった。それも発起人が自分のを持って行った。寄宿舎には集会室があったが、土曜日だったから、他の会で塞がっていたのだった。私達は教壇の卓子を中央へ持って来て、それを取巻いた。通学生は来なかったから、唯七名の会合だった。立花君が開会の辞を述べて、
「これから指名しますから、当った人は成るべく詳しく自己紹介を願います。河原君」
と突如私を指した。私は立ち上ったが、用意がない。慌しく出身中学と生年月日を言って着席したら、立花君が、
「御郷里は何処ですか? 何うぞもう少し」
と請求した。私は又立って、
「郷里は静岡県○○町、千秋の雪を戴く富士山の裾野であります」
と附け足した。
「静岡県、もっとやれ」
と野崎君が力をつけてくれた。
「赤羽君」
と立花君が指名した。私達は三人並んでいた。
「私は群馬県の産であります」
と赤羽君が立上った時、皆クス/\笑った。もう幾度も聞いている。
「群馬県と申しても、馬ばかり出るところではありません。大人物が出ています」
「始まったぞ、新島襄先生が」
と野崎君が先廻りをした。
「新島襄何者ぞ? 彼の如きは群馬県の本領を語るものに非ず。群馬県からはもっと豪い人物が雲霞の如くに輩出している」
「誰だ?」
「国定忠次を初めとして、日本国中を風靡したる長脇差を見よ。彼等は皆上州の産だ。上州長脇差という言葉さえ出来ている。静岡県の比でない」
「…………」
「臍が茶を湧かす。静岡県の富士の山が何だ?」
「…………」
「磔茂左衛門は上州の義民であります。古来上州人は義に篤い。一諾を重んじて命を捨てることを何とも思わない。私はその上州人であります。生れ在所は安中町、ケチな野郎でございますが、何うぞ宜しくお見知り置きを願い上げます」
と赤羽君は博奕打の真似をした。大喝采だった。
「野崎君」
と立花君が指名した。
「静岡県の比でないとは何だ? 君は清水の次郎長を知らないか?」
と野崎君は赤羽君を睨みつけた。何方も何方だ。ミッション・スクールの教室で同郷出身の博奕打を自慢し合っている。
「文句があるなら後から聞こう」
「野崎君、願います」
と立花君が促した。
「僕は静岡県、河原君と同県ですが少し西へ寄って、遠州であります。遠州人は上州人よりも強い」
「強くない」
と赤羽君が弥次った。
「いや、強い。その証拠に、僕の村には上州無宿の墓が二三十ある。これは昔、上州の博奕打が喧嘩に来たのを皆叩き殺してしまったのだ。殺した方と殺された方と何方が強いんだ?」
と野崎君は側に坐っていた赤羽君の頭をコツンとやった。
「こん畜生!」
と赤羽君は立ち上りざま、野崎君に横ビンタを食わした。
「何をしやがる」
と野崎君がその手を捉えて、組み打ちになった。
「よせ/\」
と私達は止めたが、二人は揉み合って、卓子の上へ倒れかゝった。ガタンという物音、室内が真暗になった。
「ランプが破れたぞ」
「危い/\」
と皆口々に言いながら手探りを始めた。その瞬間、床の上がパッと燃え上った。流れた石油に火がついたのである。
「火事だあ」
と叫んだものがあった。皆羽織を脱いで叩き消した。野崎君も赤羽君も喧嘩を忘れて手伝っていた。
「滅法界もない」
と小使の老人が提灯を持って駈けつけた。
「もう大丈夫だ」
「いけません。火事を出すようなものに教室は貸せません。猪股先生に申上げる」
「後はもう気をつけるから」
と立花君が歎願したけれど、小使は承知しなかった。懇親会が取り止めになったのみならず、翌々朝学校の掲示板に、
「教室にて集会を催すことを一切禁止す」
と出ていた。
信者未信者
野崎君と赤羽君は喧嘩をしても、直ぐに仲よしになる。懇親会で組打をやった翌朝は流石に睨み合っていたが、午後、
「おい。ぼんやりしていないで、散歩にでも出掛けないか?」
と野崎君の方から話しかけた。
「宜かろう」
と赤羽君が簡単に応じた。二人偶然私の部屋で落ち合った時だったから、
「昨夜は吃驚したぜ」
と私は諷するように言ってやった。
「静岡県の方が強かったろう?」
「何あに、群馬県の方が強かった」
「本当にやるんだなあ、君も」
「小突かれちゃ黙っていられないよ」
「人前があったからね」
「おれも騎虎の勢さ」
「ハッハヽヽヽ」
「ハッハヽヽヽ」
と二人はもう何等蟠りがない。
懇親会は喧嘩で中止になったが、私達同級生は間もなく胸襟を開いて交際を始めた。同じ寄宿舎にいて、何も彼も一緒だから事が早い。通学生は佐伯君と谷君丈けだった。この二人は、
「僕達は腰掛だよ」
「然うとも。明治学園、飯が食えん。こんなところに卒業するまでいちゃ大変だ」
と言って、官立学校の試験を受ける為めに、英語の授業丈け択り食いをしていた。
「彼奴等は何ういう料簡だろう? 母校を馬鹿にしている」
と高木君が憤慨した。しかし母校ばかりでない。二人は江戸っ子を鼻にかけて、私達地方出の新入生を馬鹿にした。訳解の輪講中、私がつかえると、
「新田のお兄さん、しっかり!」
なぞと冷かした。厭な奴等だと思って、此方も口をきかない。その中に野崎君が、
「佐伯って奴は生意気だ」
と言い出した。谷君もやるのだが、佐伯君は柄が大きい丈け余計目についた。
「何故?」
と赤羽君は呑気だった。
「分らなければ宜いよ」
「教えてくれ給え。喧嘩なら加勢をしてやる」
「彼奴は僕達を馬鹿にしている」
「そんなことはないだろう。僕には一目置いて、英語の質問をするもの」
「それが生意気じゃないか? 僕にもしやがった」
「僕にもしたよ」
と私も二三回やられている。
「此方の学問を試すのだろうか?」
「君は長生をするよ」
「何故?」
「上州長脇差は人が好い」
と野崎君は益※ 焦らした。
「いくら長脇差だって、売らない喧嘩は買いようがない」
「売っているんだよ。質問にもよりけりだ。僕には rustic と書いて来て、『君、この字を知っているか?』と訊いた」
「君も知らなかったのかい?」
「rustic ぐらい知っているよ。田舎漢のことだ」
「然うかい? おれが知らないと答えたら、君が知らない筈はないと言やがった。畜生!」
「今分ったのかい?」
「兎に角、辞書を引いて見る」
と赤羽君は何うも血の繞りが遅い。
それから間もないことだったと記憶する。会話の時間に頓狂ものゝニコル先生が赤羽君の名を、
「ミスター・アカベーン」
と呼んだ。Akabane とある羅馬字綴りを動もすると英語読みにアカベーンとやる。その都度皆が笑う。
「先生、僕の名はアカバネです」
と赤羽君が訂正を申入れた。
「それではミスター・アカバネ」
「はい」
「君は好い話題を提供してくれました」
「…………」
「アカベーンと呼ぶと何故皆が笑いますか? その理由を教えて下さい」
「…………」
「アカベーンは木の名ですか? 石の名ですか? 或は又鳥の名ですか?」
とニコル先生は早速会話の材料に応用した。しかし赤羽君はもう上ってしまって、聞き取れない。
「何だい? 何だい?」
と日本語で私に訊いた。私も半分りだったが、
「アカベーンの説明だよ」
と智恵をつけてやった。
「アカベーン」
と赤羽君は早速目の下に指を当てゝ舌を出した。
「ミスター・アカベーン」
「日本、アカベーン」
「ミスター・アカベーン」
「日本、アカベーン」
「ミスター・アカベーン、やめなさい!」
とニコルさんは机を叩いた。憤ったのだった。
「先生」
と立花君が立ち上った。
「何ですか?」
「アカベーンについて、私の知っているところを申上げたいと思います」
「話して御覧なさい」
とニコル先生は未だ赤羽君を睨んでいた。
「ミスター・アカバネは先生に失礼を申上げたのでありません。アカベーンの実例をお目にかけたのです。元来アカベーンは人に拒絶を与える時の表情でありまして、極く親愛の間柄に用います」
と立花君は比較的流暢に説明した。ニコルさんは納得が行ったらしく、
「分りました。ミスター・タチバナ、有難う」
とお礼を言って、もう一方赤羽君に、
「ミスター・アカバネ、君のアカベーンの実例によって得るところがありました。有難う」
「ジス、日本、アカベーン」
「もう宜しい」
「ジス、私、アカバネ」
「分りました」
「はい」
と赤羽君が坐った時、一同腹を抱えて笑い出した。
授業が終ってから、
「日本アカベーンはひどかったね」
と野崎君が諢かった。
「ジャッパン・アカベーンの方が宜かったろう」
と赤羽君は平気だった。こんな野郎が何百万の成金になったのだと思うと、世の中も変なものだ。
このアカベーン事件には余談が二つある。一つはニコル先生が早速実地に応用したことだ。或日猪股先生が英文学の時間に、
「諸君は西洋人に嘘を教えて担いじゃいけない」
と怖い顔をした。
「…………」
「こゝの人は皆日本に一生涯を捧げる積りで来ているんだから、不真実な仕打をされると、気の毒なくらい失望する。ニコルさんに赤んべいを教えたのは誰だね?」
「僕です」
と赤羽君は立ち上った。
「そんな悪戯をしちゃ困るじゃないか?」
「あれは会話の時間に……」
「いや、後からで宜しい。教員室へ来て、一応ニコルさんに断りを言い給え」
「はあ」
「ニコルさんはこの間の日曜に或教会へ行って説教中、あれをジェスチュアーに応用して笑われたそうだ。生徒の言うことは信じられないって、悄げている」
「…………」
「気をつけてくれなければ困る」
と猪股先生は事情を知らないものだから、皆で瞞したように思っていた。
もう一つは佐伯君が受けた飛沫だった。或日、谷君が教室で赤羽君と出会い頭に、
「日本アカベーン」
と言って、その通りの真似をしたら、赤羽君が突如打ってかゝった。谷君は身をかわして逃げ出した。赤羽君が追っかけたら、佐伯君が遮った。
「邪魔するな」
「まあ、宜いよ」
「余計な世話を焼くと斯うだ」
と赤羽君はそこに置いてあった佐伯君のマンドリンを蹴飛ばした。佐伯君は学校の帰りに稽古に寄るので、いつも持って来る。その頃の学生は無暗と気が荒かった。何しろ日露戦争の始まる前の年だ。西洋音楽などやる奴は風上にも置けないと思っていた。佐伯君にはヴァイオリンを弾くという理由で鉄拳制裁を加えようという相談さえ出ていたのである。
「何をする?」
と佐伯君は無論憤った。
「ヴァイオリンなんか習やがって」
「ヴァイオリンじゃない。マンドリンだ」
「何方も同じことだ」
「分らず屋! マンドリンを習って何が悪い?」
「黙れ! 国賊」
と赤羽君は忽ちマンドリンを踏み躙った。乱暴極まる。理も非もない。佐伯君は呆気に取られて手出しをしなかった。
「江戸っ子は矢っ張り口ばかりだ」
と野崎君は拍子抜けがした。
「始まったら、僕も手伝う積りだったのに」
と高木君も待ち構えていたのだった。私は信仰上暴力を好まないが、佐伯君が撲られるようにと念じていた。
同級生としての佐伯君と谷君はこれで記憶から消える。二人は官立の入学試験が近づいたというのを口実に、もう学校へ来なかった。しかしその年も翌年も失敗したと見えて、私達が二年になった秋に、落武者として再び一年級へ入学した。
「おい。又来たのかい?」
と赤羽君は威張った。
「宜しく頼む。明治学園は矢っ張り好いよ」
と帰り新参共は下から出た。
私達七名の同級生は能く折り合った。野崎君と赤羽君も懇親会の組打が最後だった。互角のことが分ったのか、再び腕力に訴えるようなことはなかった。時折険悪になっても、直ぐに又肝胆相照らす。この二人に高木君が投じて、三人始終一緒だった。これには煙草という共通の嗜好があった。私はこの三人にも好く、又信者の安部君と吉田君にも親しかった。級長の立花君は何方にもつかない。常に単独行動を執って、当局の信用を博するに汲々《きゅうきゅう》としていた。
学課は案外楽だった。先生が大抵アメリカ人で何でも英語で教えるから、最初の中はまごついたが、間もなく慣れた。唯七名だから、毎時間輪講が当る。赤羽君も、
「おれの言った通りだろう。否応なしだ。これで力がつくんだ」
と先見の明を誇る以上、相応勉強しなければならなかった。
「これなら申分ない。落第がないってんだから安心だ」
と野崎君も腰を据えた。
「高等学部に限って落第は決してありません」
と立花君が保証した。
「何故でしょう?」
「高等学部は生徒は紳士として待遇するんです」
「成程。三階から小便したり、大変な紳士だ」
と野崎君は首を縮めた。
一学期の試験の時に、この紳士待遇の事実が分った。能く赤羽君が引き合いに出るが、大将、論理の答案が書けなかった。時間がドン/\迫って来る。
「おい。教えてくれ」
と隣席の私に向って微かな悲鳴を揚げた。
「駄目だよ。パートリッジ先生が見ているよ」
と囁いて、私は受けつけなかった。問題がむずかしい。私も出来ないのがあって、ベルの鳴るまで机にしがみついていた。パートリッジ先生は赤羽君のところへ進み寄って、
「書けませんかね?」
と訊いた。
「はい」
と赤羽君もそれぐらいのことは分るようになっていた。
「少しでも宜しい。真の少し」
「…………」
「この答案用紙は君には大き過ぎる。これ丈けで宜しい。お書きなさい」
と先生は紙の耳を膏薬ほど割いて渡して、ニコ/\している。赤羽君も拠ろない。名前を書いてお辞儀をして来た。それでも二学期の成績報告は論理六〇となっていたので、
「矢っ張り紳士待遇だよ。これじゃ義理にも勉強しなければならない」
と言って喜んだ。
紳士達はナカ/\横着だった。一学期で味を占めて、二学期から本性を現し始めた。秋晴の午後は兎角誘惑が多かった。
「何うだい? メイソンさんを休んで散歩に行こうじゃないか?」
と昼食の折、誰か発起する。私もその一人だった。入学当座の決心はもう疾うに消え失せていた。
「宜かろう」
と放課を待ち悶えている煙草連中は素よりその気がある。
「しかし授業が進むと後が苦しいぞ」
「安部君と吉田君を買収しよう」
と早速相談を持ちかける。安部君も紳士だ。
「賛成だね。こんな好い天気の日には自然界へ出て瞑想するに限る」
と応じる。吉田君も、
「僕は少し疲れているから、休もうかと思っていたところだ」
と元来病弱だから、決して反対しない。級長の立花君は特待生という都合上、自分一人善い子になりたがって、これを奇貨とする傾向がある。
「皆休むとストライキになるから僕丈け出て、先生に断りを言おう。一人じゃ授業はしないよ」
と自分の為め又一同の為めに然るべく計らってくれる。しかしこれを度々やると、猪股先生に叱られる。
紳士達は斯ういう散歩の途上、調子に乗って悪戯をする。或日、野崎君が畑に沿った栗の木へ登った。赤羽君は下で拾う役を勤めた。高木君と私は見張番をしていた。
「こら!」
と百姓が突然物蔭から現れた。私達三人は直ぐ逃げ出したが、木の上の野崎君は何うも出来ない。ノソ/\下りて来て、百姓に取っ捉まった。
「さあ。交番へ来い」
と喚き立てゝ放さない。野崎君は金を幾らか払って、漸く堪忍して貰った。それから間もなく、寄宿舎へ柿を売りに来たものがあった。野崎君が三階から見ていたら、例の百姓だった。早速下りて行って、
「この野郎、太い奴だ」
と取っ捉まえた。
「や、旦那ですか?」
と先方も覚えがあった。
「この間は何だ?」
「恐れ入りました」
「学園へ出入りするものが学園の生徒を捉まえるって法があるか?」
「ついお見外れ致しました」
「馬鹿野郎!」
「まあ/\、怺えて下さい」
「あやまるには礼式があるだろう?」
と野崎君は小突き/\論判して、柿を夥かせしめた。決して善良な遣口でない。こんな具合だったから、学園の生徒は近隣の農家に兎角評判が悪かった。
私はいつの間にかこの未信者組との交際が深くなった。鹿爪らしいことばかり言っている信者連中よりも面白い。野崎君も赤羽君も見せかけているほどの悪徳家でない。唯年少客気、無暗に強がる丈けで、真底は好人物だった。高木君は又行き方が違う。腕力は誇らないが、議論で他を負かすのを得意とした。何につけても定説を持っている。主張を始めたら、果しがない。一緒に散歩していると、口角泡を飛ばしながら、
「君、然うだろう? 何うだい?」
と一々肩で押す。
「おい。危いよ。僕は川へ落ちてしまう」
と時々注意しなければならない。
「河原君、基督教以外に人類の救済がないというのはジョンソン博士の我田引水論だよ。君は何う思う?」
と入学早々の頃、高木君が吹っかけたことを思い出す。運動場の芝生で話していた時だった。
「それは信仰の問題さ」
「無論然うだけれど、その信仰が当を得ているか得ていないかと訊くのさ」
「僕は信者だから、基督以外に救主はないと思っている」
「他の宗教じゃ駄目かい?」
「無論」
「君の信仰によると、神さまは大変不公平なものになるぜ」
「そんなことはない。神の愛は一視同仁だ」
「違う。西洋人に厚くて、東洋人に薄かった」
「何故?」
「君の信仰に従うと、神さまは基督紀元以来欧羅巴人丈け救って、東洋人を救わなかったことになる」
「それは交通の関係さ」
「ふん。全能の神さまが交通に超越出来ないんだろうか?」
「…………」
「君」
「何だい?」
「要するに宗教も食物と同じことだよ」
「何故?」
「米の取れる東洋では米を食っていれば宜いんだ。麦しか取れない西洋では麦を食っていれば宜いんだ」
「それは然うさ。しかし麦が日本へ入って来たら食っても宜いだろう?」
と私は相手の比喩を利用してやった。
「それは構わない」
「見給え」
「しかし麦を食わなければ死ぬというのは間違っている。何うだい?」
「さあ」
「神さまは一視同仁なら、米を食っても麦を食っても叱らない」
「それは然うだろう」
「見給え。ジョンソン博士の信仰は間違っている。変なところへ力瘤を入れたものさ。若し神さまがあるなら、笑っているよ」
「神さまはあるさ」
「それは又別問題だ。君」
と高木君は私を運動場の生垣まで押して来ていた。
一年の三学期の時、日露の時局が切迫した。同級生は開戦論と非戦論に分れた。それが期せずして未信者組と信者組だった。信者の私はソロ/\未信者に生返った証拠に、開戦論を唱えた。
「君、塔へ登って祈ろう」
と或朝安部君が誘った。
「厭だよ。寒い」
と私は断った。
「君は時局の為めに躓いたね?」
「今は左の頬を打つものに右の頬を向けている時じゃない。非戦論なんかやっていれば、国を取られてしまう」
「君達は分らないな。僕は吉田君と二人で毎朝塔へ登って祈っているんだ。ロシヤだって神を信ずる国だから、屹度悔い改める」
と安部君は真剣だった。信仰で戦争を食い止めようというのだから、意気熾んなものだ。当時斯ういう信者が大人にもあった。未信者の側では高木君が極端な開戦論者を代表していた。
「三国干渉遼東還附以来、恨み骨髄に徹しているんだ。理窟も糸瓜もあるものか?」
と毎日悲憤慷慨して、午後の授業を休んだ。
「やれば日本は義戦さ」
と蝙蝠信者の立花君は例によって何方つかずだったが、或日、開戦論者の機嫌を取る為めに、
「先方が仕掛けて来たのを受けて立つのは正当防衛だから正義の戦争さ。負けても名分は立つ」
と説明を加えた。
「負けてもとは何だ?」
と野崎君が鎌首を擡げた。
「しかし勝てる確信はないよ」
「露探!」
「何?」
と温厚な立花君も流石に憤って立ち上った。
「ロシヤの贔負をする奴は露探だ」
「贔負はしない」
「勝てる確信がないなんて、初めから景気の悪いことを言うな」
「戦争は景気でやるものじゃない。先方は世界の大国だ」
「此方には大和魂がある。負けるものか」
「大和魂なんてものは心理学上存在しない」
「耶蘇! 非国民!」
「そんな乱暴な話があるか?」
「貴様のような意気地なしがいるから、ロシヤが威張るんだ」
と野崎君は飛びかゝりそうな権幕だったが、
「こら、分らず屋!」
と赤羽君が組みついて、止めてしまった。
「分らず屋とは何だ?」
「まあ/\、落ちつけ」
「失敬な」
「戦争なんか誰だってしたかないんだ」
「君は今更非戦論者になったのか? 露探まがい!」
と野崎君は睨みつけた。仲よしだから、まがいと濁したのだった。
「感情問題じゃない」
「分っている。正々堂々の議論だ」
「議論でもない。日本は今悪い相手に引っかゝって、戦争するより外仕方がないんだ。勝つも負けるもない。やらなければ亡びるから、否応なしに何処までもやるんだ」
と赤羽君は容貌愚のようでも、大勢が分っていた。一同妙に感激を受けた。皆、実際もう議論じゃないという気になった。昨今、赤羽君は成金として自伝を郷里出身の文士に頼んでいるそうだが、この辺は特筆大書をさせてやりたい。
戦争は直ぐに始まった。しかし連戦連勝で案じるほどのこともなかった。こんな風なら、もっと早くやれば宜かったと、恐露病は忽ちにして一掃された。私達は祝勝々々で、屡※ 《しばしば》学校を休んだ。愛国心を遊ぶ口実に使った傾向がある。丁度その頃のことだった。私の信仰に一転機が来た。或る日、矢張り祝勝で午後から郊外へ散歩に出た時、その辺の人達が汽車道へ駈けつけるところを遥かに認めた。汽車が止って、汽笛を鳴らしている。
「人を轢いたんだ」
と私達も田圃道をその方へ急いだ。一番先に走りついた私は忽ち、
「やッ!」
と後じさりをした。年頃の女が轢かれていた。胴が二つに切れて、目も当てられない有様だった。
「可哀そうだなあ」
と鈍感の赤羽君さえ真青になって、頻りに唾を吐いた。
「あゝ、厭だ」
と野崎君も身震いをした。
「もう行こう」
と私は皆を促して歩き出した。轢死者の浅ましい姿が目について、四人が四人、少時無言のまゝ田圃道を辿った。
「河原君」
と高木君が沈黙を破った。
「何だい?」
「神さまはない」
「…………」
「霊魂もない」
「…………」
「何うだい?」
「さあ」
と私は考え込んだ。
「人間は生きているから心がある。死んでしまえば、あの通りだ」
「…………」
「鳥や獣と些っとも異らん」
「霊魂はないだろうかね?」
「ない。信者は心を霊魂と取り違えているんだ」
「そんなことはないよ。心以上に何かある」
「今の女に何があったい? 君」
「…………」
「あの姿を見て、霊魂があると思えるかい? 肉体が死ねば、もうそれで万事お仕舞いだ。それは霊魂があって不滅なら、こんな都合の好いことはないさ。しかしないよ。霊魂はないよ」
と高木君は例によって押して来た。凡人の悟りは偉人のそれと違う。ルーテルは友人の雷死を眼前に見て、深い信仰に入った。私は轢死人の浅ましい姿に愛想を尽かして、多少持っていた信仰が怪しくなった。
「霊魂なんかないな。あの態じゃありよう筈がない」
と赤羽君も悲観していた。
「あゝ、厭だ/\、死ぬのは厭だ」
と野崎君は頭を両手で押えていた。
卒業前後
この間、陸軍少尉になった甥が訪ねて来た時の話、私は、
「若い将校だなあ」
とツク/″\見守った。軍服はつけているが、まるで中学生のようだ。
「未だ成りたてのホヤ/\ですからね」
と妻が説明した。妻の従姉の惣領息子だ。
「それにしても若い。特別早いんだろう」
「同期生の中では一番若い方ですけれど」
と少尉は若いのが残念のようだった。
「信さんは成績が好いんですからね」
と妻はこの甥が大の自慢だ。
「前途有望だね」
と私は異存もないが、
「軍人が若くなったね」
と又やった。
「…………」
「兵隊が言うことを聴くかね?」
「聴きます」
「戦争が出来るかね?」
「さあ」
と少尉は迷惑そうだった。
「私達の学生時代には軍人は豪いものだったよ。陸軍でも海軍でも、道で会うと、一人々々拝みたいような心持がした」
「はゝあ」
「軍人は戦争がないといけない」
「はあ」
「一朝国難に際すると、何と言っても軍人だ。あの頃は皆真剣だった。この頃の人間は軍人の恩を忘れている」
「叔父さんの学生時代は日清戦争時代ですか?」
「冗談言っちゃいけない。未だそんな老人じゃないよ」
「失礼致しました。それじゃ日露戦争時代ですね」
「然うさ。君だって多少覚えがあるだろう?」
「一向存じません」
「はてね」
「未だ生れていません」
「ふうむ」
と私は驚いた。
「御覧なさい。人が若く見えるのは自分が年を取った証拠よ」
と妻が笑った。
「成程ね」
「叔父さんはその頃お幾つでしたか?」
「さあ。二十か二十一だったろう」
「それじゃ今の私よりも年下です。軍人が年寄に見える筈ですよ」
と信さんも側面攻撃を加えた。人間は兵隊さんが若く見え始めるほど自分の年が寄って来る。これは常に感じていたところだったが、将校が子供のように見えるのだから、私も確かに年を取った。
私の明治学園時代は日露戦争から切り放して考えることが出来ない。あれは明治三十七八年の戦役となっているが、学校生活から言うと、一年級から三年級まで、足掛け三学年続いた。この故に大抵の思い出が戦争を背景としている。卒業の折はもう平和克復していたけれど、戦後の不景気という奴が、私達につき纏った。唯さえ字音「飯が食えん」に通じる明治学園の出身だ。就職口が絶対にない。皆困った。これが私の今日に多大の影響を及ぼしている。高木君は早く諦めをつけてアメリカへ渡った。野崎君もスタートが悪かった。赤羽君の如きはそれから十年たって欧州大戦の始まるまで神戸の叔父さんのところで運送業の手伝いをしていた。尤もその為め成金になる機会があったのだから、この男丈けは徳をした。本人は自分が豪くて成功した積りでいるが、実は禍も三年の諺が十年に延びたに過ぎない。斯う考えて見ると、私達は直接戟を取って戦わなかったにしても、日露戦争に深い関係を持っている。
挙国一致、日本があれくらい緊張した時代はその後見られない。平和の宗教を説く学園の礼拝にも、
「神さまよ、国家の為めに戦う軍人等の上に豊かなる御恵みを下し給え」
というお祈りが捧げられた。それはジョンソン博士だった。先生の考えに従うと、戦争をする国は何方もいけない。罪のない軍人丈けが可哀そうだという意味らしかった。
「この戦争、それは最悪に達するまでやみません。日本の為め、露西亜の為め、又世界の平和の為め、真に困ったことであります」
と極めて当り前のことを言っていた。しかし猪股先生初め日本人の教師は大に愛国心を発揚した。
「神さまよ、我軍が一日も早く露西亜軍を満州の野から撃退するよう、この上の御導きを与え給え。過日来、敵軍はその勢力を奉天に集注していました。今や我軍はこれに対して総攻撃を試み、未曾有の大勝利であります」
と猪股先生はやる。次いで、生徒に向って、
「唯今のお祈りによってお分りの通り、我軍は奉天を占領しました。もう大丈夫です。敵国降伏は目に見えています。諸君は安心して勉強するが宜しい」
と言うところを見ると、お祈りよりも報告だった。
学窓がこの通りだったから、世上は無論湧き立っていた。毎日のように号外が出る。それが必ず大勝利の報告だったから景気が好い。或日、私は赤羽君と二人づれで神田へ書物を買いに行った。折から、
「号外々々! 大勝利の号外!」
と鈴を鳴らしながら駈けて来るもの数名あった。何うした弾みか、その一人が赤羽君に突き当って、
「気をつけろ!」
と怒鳴った。向う鉢巻で気が立っている。
「何だ?」
と赤羽君は早速身構えをした。しかし号外屋は喧嘩を売る積りでなかった証拠に、
「大勝利!」
と言って、一枚突きつけた。
「有難う」
と赤羽君は例によって人柄が好い。
「長谷川さん」
と私は号外屋さんに追い縋った。
「やあ、河原君」
と号外屋は立ち止まって鈴を掴んだ。
「珍らしいですな」
「見つかるとは思わなかった」
「僕、探していたんです」
「おい、バルチック艦隊全滅だ」
と赤羽君は号外を私の目の前へ持って来た。私は郷里の中学校で別れた旧友に繞り会ったのだ。そんなことにも日本海海戦という大きな背景がある。
「赤羽君、これは長谷川さんだよ。そら、いつか話した」
「唯今は失敬しました」
と長谷川君は少し極りが悪いようだった。
「いや、僕こそ」
「同級の赤羽君です」
「群馬県の産、赤羽明と申します。何うぞ宜しく」
と赤羽君が名乗った。
「折角お目にかゝったんですが、お急ぎでしょうね」
と私は長谷川君の風体から然う察しる外なかった。
「いや、今日はもう宜いんです」
「それじゃ少し何処かで話しましょう」
「そこへ入ろう」
と長谷川君は私達をミルク・ホールへ誘った。その頃の学生は質素なものだった。ジャムパンを食べ牛乳を飲んで、相応の気焔を上げる。
「あなたは正義の士だと言って、河原君が感心していますよ」
と赤羽君は長谷川君を相手に早速やり出した。号外を一枚貰ったので、大に感激したのらしい。
「何う致しまして」
「酒屋は恕すべしですが、女郎屋には僕も賛成出来ません」
「さあ」
「正義の為めに苦学するのは豪いです」
「そんな次第でもないんですよ」
と長谷川君は迷惑そうだった。他の客が聴いている。
「赤羽君、このバタパンを食って見給え。うまいぜ」
と私は薦めた。口を塞いで置かないと、ベラ/\喋って困る。
「全く久しぶりだね。君は大きくなったよ」
と長谷川さんがシミ/″\言った。
「あなたは年が寄った」
「そんなこともないだろう」
「いや」
「随分無理をするからね」
「僕は神田へ来る度に会うか/\と思って、気をつけていたんです」
「僕はこの春明治学園の側を通った。余っ程寄って見ようかと思ったけれど」
「寄ってくれゝば宜かったです」
「この服装だからね」
「構いませんよ」
「連中から便りがあるかい?」
「小松さんから時々手紙が来ます。北村さんは早稲田にいます」
「北村君には会ったよ」
「いつ?」
「ついこの間。矢っ張り号外を売りに出た時」
「僕はこの正月郷里で会ったきりです。あなたの住所を知らなかったですよ」
「誰にも教えない」
「何故ですか?」
「然ういう約束だもの。君も訊かないでくれ給え」
「仕方ないです。しかし今何をしているか、それぐらい話しても宜いでしょう」
「この通りさ。新聞配達をやっている」
「学校へは行かないんですか?」
「夜学へ通っている」
「何の?」
「法律学校さ」
「何処の?」
「それを言えば分ってしまうよ」
「分っても宜いじゃないですか?」
「いけない」
「相変らず頑固だな」
と私は諦めた。
「しかし河原君、僕はこれでも安心立命を得ているよ。この点、君にお礼を言わなければならない」
「何ですか?」
「君の蒔いた種が生えた」
「はゝあ」
「僕は神さまが見えかけて来た」
「教会へ出るんですか?」
「うむ。聖書も読んでいる」
「…………」
「あの頃の主張は全部取消す。君は僕よりも五つ六つ若いけれど、先覚者だったよ」
「ハッハヽヽヽ」
と赤羽君が笑い出した。
「何ですか?」
と長谷川君は不思議そうに向き直った。
「大変な先覚者です。此奴はもう神さまが見えなくなったんです」
「よせよ」
と私は困った。
「去年の今頃です。一緒に散歩に行った時、汽車に轢かれた女を見たんです。それで無神論者になったんです」
「無神論者ってことはないよ。不可識論者さ」
「何方だって同じことだよ」
「違うさ」
「同じさ。教会へ出ないもの」
と赤羽君は大ザッパだ。
「君、牛乳をもう一杯飲まないか?」
「もう沢山だよ。悪事露顕を恐れて、僕の口を塞ぐ積りかい?」
「参ったね。ハッハヽヽヽ」
と私は頭を掻いた。赤羽君はこの通り、愚鈍のような聡明のような男だ。
「信仰が一時動揺したんでしょう。それは有り勝ちのことです」
と長谷川君は私の為めに弁解してくれた。
「反動ですよ」
「何の?」
「郷里にいた頃は周囲が皆未信者で基督教のことを悪く言うでしょう。よし、それならやってやるという気で信者になったんです。ところが明治学園へ来ると、周囲が大抵信者でしょう。中には先生の御機嫌を取る為めに有りもしない信仰を衒う奴がいますから、つい厭になったんです」
「君は反抗児だったからね」
「さあ」
「確かにそうです。決して見せかけ通りのおとなしい男じゃありません」
と赤羽君が又悪い保証をした。
「ミッション・スクールを卒業しない中に、信仰を卒業してしまったのかい?」
「…………」
「卒業したら何をやる?」
「人生が分らないんだから、何をやって宜いのか分らない」
「悉皆変ってしまったね」
と長谷川君は失望したようだった。パンと牛乳では然う長く繋げないから、私達は間もなく別れた。
人生や信仰の問題で随分煩悶するものが多いけれど、私は平気だった。同級の信仰家安部君は心配して、
「君、君は躓いている。祈り給え」
と度々勧めてくれたが、私は、
「もう駄目だよ」
と答える丈けだった。総理ジョンソン博士は占部牧師から特に頼まれている関係上、校庭で行き会うと、
「河原さん、一寸待て」
と呼ぶ。
「はあ」
「この頃、何うですか?」
「相変らずです」
「肉体よりも魂の方」
「…………」
「君の顔、教会に見ません」
「今度から出ます」
「然うなさい」
「はあ」
と私は約束して、一二回義理を果す。聖人の心を苦めるに忍びない。
「河原さん、一寸待て」
と野崎君や赤羽君が諢ったものだ。その徳を慕って来たジョンソン博士が今は鬼門になった。同じミッション・スクールの教育を受けても、安部君のように与えられた信仰の為めに一生を捧げるものもあれば、私のように多少持っていた信仰を失うものもある。野崎君と赤羽君は終始一貫無感覚だった。私達同級生は極端な各種類を代表している。蝙蝠信者の立花君は今でも蝙蝠信者だ。
戦争中で兎角世間が落ちつかなかった所為もあったろうが、私達は二年級から三年級へかけて、実に能く怠けた。信仰家の安部君と吉田君も勉強家ではなかった。休む方丈けは常に未信者組と歩調を共にした。結局、級長の立花君が一人で教室を引き受ける場合が多かった。九月に戦争が片付いて世間が静まっても、悪い癖は改まらない。一学期は無論のこと、二学期の成績が皆悪かった。一年級二年級も同様だったと見えて、翌年の一月、三学期の初めに、幹事の猪股先生がチャペルで一般的訓諭を与えた後、
「高等学部は紳士待遇だなぞと思っていると大間違です。規定の点数に達しないものはドシ/\落第させます。これは唯今から念の為めに申上げて置きます。宜いですか? 諸君。その期に及んで後悔しても先に立ちませんぞ」
と警告した。
「あれは脅しだよ」
と高木君が善意に解釈した。
「無論さ。高等学部は開闢以来落第がない」
と立花君も保証した。それを文字通りに信じたのでもなかったが、私達は当局を甘く見過ぎた。猪股先生が再三注意してくれたにも拘わらず、
「大丈夫だよ。試験の時に本気になれば大丈夫だ」
と相変らず高を括っている中に、その試験が来て、吉田君と赤羽君が落第した。前者は病弱で力が及ばなかった。後者はズボラで少しも勉強しなかった。
私達は早速相談会を開いた。
「運動して二人を救おう」
と高木君が発起した。
「しかし成功するか知ら?」
と立花君が危んだ。
「君がそんなことじゃ困る。級長のくせに」
と野崎君は一生懸命だ。
「無論やるにはやる」
「君、皆を代表して、猪股先生のところへ行ってくれ給え」
「行く。行くには行くよ。しかし……」
「しかしなんて言う奴に頼むな。僕が行く」
と私は憤慨した。
「僕も行く」
と安部君も蹶起した。
「皆で行こう」
ということになった。
その夕刻、猪股先生は私達がゾロ/\門を潜るところを二階の書斎から見ていた。直ぐに下りて来たが、
「君達は吉田君と赤羽君の成績のことで来たのでしょう?」
と機先を制して、玄関払いの意思を示した。
「然うです」
と立花君が一同を代表した。
「もう発表したから仕方ありません。再三注意したのに勉強しないから、本人達が悪いんです」
「御道理ですけれど、仮及第ぐらいになりませんでしょうか?」
「卒業に仮及第ってことはありません」
「他に何か方法はありませんでしょうか?」
「さあ」
と先生は首を傾げた。
「先生、何うかしてやって下さい」
と皆異口同音だった。
「実は本人を呼んで篤と話すことになっていますから、まあ/\、君達は差控えて下さい」
「先生」
「教員会議で定ったことを私一人で動かす次第に行きません。この問題丈けなら、もうこれで失敬します」
と言って、先生は玄関の障子を締めてしまった。
私達は生垣の蔭に匿れていた本人の赤羽君と吉田君を呼んだ。
「聞いたか?」
「うむ」
と二人とも頷いた。
「未だ脈があるようだから、直ぐ行って見給え。感情を害しちゃ駄目だぞ」
と私が言い聞かせた。
「御免」
と赤羽君が改めて案内を求める。私達は運動場へ退却して待っていた。二人は三十分ばかりたって帰って来た。
「何うした?」
と皆寄り群った。
「再ってことだ」
と赤羽君はニコ/\していた。
「何」
「再試験をして貰う」
「いつ?」
「来学期だ」
「それじゃ、一緒に出られないのか?」
「うん。仕方がない」
「これでも、特別の計らいらしいです」
と吉田君も苦情がなかった。
しかし私達有志は再び運動を始めた。信者組は手を引いて、私と高木君と野崎君だった。
「何うせ一月後に卒業させるものなら今させても同じことじゃありませんか? 一緒に入って一緒に勉強して来た僕達は情誼に於て二人を残すに忍びません」
と言う勝手な言分だった。猪股先生は受けつけない。高木君は行きがかり上、
「赤羽君と吉田君が一緒でないなら、僕達は卒業式に出ません」
とやり出した。
「それは君達の勝手です。御相談には及びません」
と先生は飽くまで強硬に突っ刎ねた。それが卒業式の前の晩だった。私達はその通り実行した。しかし式が済んでから気がついた。三人は卒業証書が貰えない。
「何うしよう?」
「権利はあるんだ」
「これから猪股先生のところへ行こう」
ということになった。早速その晩、玄関へ出頭して、高木君が先ず、
「先生、この間中は真に済みませんでした」
とあやまった。
「分ったら宜しい」
「先生」
「何だね?」
「僕達は卒業証書が戴きたいんですが……」
「あれは総理が持って居られる。私は関係ない」
「総理のところへ伺えば戴けましょうか?」
「さあ。総理は今日君達が出ないと言って、あの大きな目に涙を溜めていたよ」
「真に済みませんでした」
「上って話すかね?」
と先生は請じてくれたけれど、私達は具合が悪くて、そのまゝ辞し去った。
翌朝、私達三人は総理ジョンソン博士の登校を寄宿舎の窓から見極めて置いて、総理室の戸を叩いた。
「お入り」
と返辞があった。
「お早うございます」
と三人、直立不動の姿勢をした。
「我儘息子達、来たか?」
「…………」
「何うして来たか?」
と博士は憤っているようだった。
「申訳ありません。お詫に上りました」
と私が代表した。
「宜しい。心配いらん」
「…………」
「朝、仕事忙しい。アメリカへ卒業式のことこれから書きます」
「先生、僕達は卒業証書を戴けませんでしょうか?」
「あれは差上げられません」
「先生」
「あれは卒業式に来ない人、欲しくないからでしょう?」
「いゝえ、欲しくて上りました」
「この机の引出にありますが、神さまの思召し、仕方ないです。式を休んで皆々に迷惑をかけるもの、これから先もあります。差上げると、総理、監督出来ません」
「…………」
「差上げません。その代り、今、この窓から捨てます」
「…………」
「紙屑拾い、泥棒でありません」
「はあ」
「差上げません。捨てます。分りましたか? 紙屑拾い、泥棒でありません。早くお帰りなさい」
と命じて、総理は立ち上った。私達はお辞儀をするが早く、校庭へ下りて待っていた。二階の窓が開いて、卒業証書が三枚ヒラ/\と舞って来た。
得意と失意
私達は正月頃から心掛けて伸した髪の毛を卒業試験間際から分け始めた。皆頭をテカテカさせていた。赤羽君は、
「頭がねばって勉強が出来ない」
と言った。
「見給え。帽子がこんなになってしまう」
と持て余しながらも、散歩に出る度にポマードを買う。
「一体君は何れぐらいつけるんだい?」
と訊いたら、
「あれは一日に一個つけるものだろう?」
と平気で答えた。極端な男だ。皆と一緒に卒業出来ないことが分ると直ぐ、又以前の坊主刈に戻って、
「おれは上せ性だ。髪を長くしていたものだから、勉強が出来なくて、つい不覚を取ったんだ」
と説明をつけた。以来、決して髪を伸さない。上せ性は本当だった。昨今は大方禿げてしまって、アイロンをかけようものなら、火傷をする。
五名の卒業生の中、首席の立花君は優秀の成績だったので、折から欠員の出来た中学部の方へ教師として残ることに定った。私達、怠けもの連中は無論これに異存はない。立花君も満足のようだったが、そこは才子だ。
「たってと頼まれたので仕方がない。母校の為めに尽すのさ」
と弁解するように言った。
「月給は幾らだい?」
と私達はそれを問題にしていた。
「さあ」
「三十円もくれるのかい?」
「いや。何うして/\」
「二十五円かい?」
「もっと下だ」
「二十円?」
「十七円さ」
と立花君は体裁を飾る男だから、発表するのに甚だ吝かだった。
「田舎の中学校へ行けば四十円取れるんだが、母校の為めさ。仕方がない。それにこゝに踏み留っていれば、西洋人と接触するから、勉強になる」
と又弁解を加えた。
立花君が定ると、後は私と野崎君丈けの身の振り方だった。安部君は直ぐに神学校へ入る。高木君は旅費調達次第渡米することになっていた。
「おい、何うする?」
と野崎君は私に相談をかけた。
「さあ」
「もう卒業してしまったんだから、然ういつまでもこの寄宿舎にいられないぜ」
「兎に角、猪股さんやジョンソン博士のところへ行って見よう」
「ジョンソンさんは駄目だよ」
「何故?」
「明治学園、それはお金儲けの学校でありません、と来る」
「しかし卒業生の就職口を探すのは学校の責任だもの」
と私はこの問題について当局が一向努力してくれないのを不足に思っていた。
二人は先ず猪股さんを訪れる積りだったが、校庭でジョンソン総理に行き会った。
「河原さん、一寸待て」
と博士が呼んだ。
「この間は有難うございました」
と私はお礼を述べた。先頃、卒業生一同が招かれて、晩餐の御馳走になったのである。
「一向」
「先生」
「何うですか? この頃は」
「それについて、一寸伺いたいと思っていたところです」
「お出なさい。野崎さんも」
と博士が誘ってくれたのを幸いに、私達はお供した。
「先生、私達はこれから何か仕事をしたいのです」
と私が切り出した。
「仕事、結構。何しますか?」
「それが分らないのです」
「神さまの御心に叶うの仕事、それ、見出すこと大切です」
「私達はもう卒業しましたから、自分でやって行かなければなりません。何かしたいと思います」
「何しますか?」
「それが分らないのです」
「神さまの御心に叶うの仕事、それ、未だ見出しませんか?」
「見出しません」
「大変困りました」
と博士は誤解している。此方は天職を探しているのではない。
「何でも宜いのですけれど」
「河原さん、あなた、神さまに召された仕事、一番の適当な仕事、何かあります。それ、よく考えて御覧なさい」
「さあ」
「学校の先生、何うですか?」
「私は元来、教師になろうと思って勉強したのですけれど」
「それ、やって宜いでしょう。野崎さん」
「はあ」
「あなた、神さまに召された仕事、一番の適当な仕事、何かあります」
「僕は実業界へ入りたいと思っているのです」
「それ、やって宜いでしょう」
「しかし口がありません」
「探して御覧なさい。求めよ、さらば与えられん。門を叩けよ、さらば開かれん」
「はあ」
と野崎君は私に目くばせをした。これはもう見込がないから、早く切り上げようという意味だった。
「この明治学園、神さまの道、教えるの学校。基督教紳士、組み立ての学校」
「…………」
「この学校の卒業生、学問忘れても宜しい。しかし、忘れてならないこと一つあります。それ何でありますか?」
「…………」
「金貧乏、それ、恥でない。人格貧乏、それ、一番いけない。野崎さん、何うですか?」
「はあ」
「基督は金貧乏でありました。大変に金貧乏でありました。『狐は穴あり。空の鳥は巣あり。されど人の子は枕するところなし』しかし人格貧乏でありません。私達、皆小きの基督。金貧乏、それ、恥でない。人格貧乏、それ一番いけない。河原さん、分りましたか?」
「はあ。分りました。それではこれで失礼致します」
と私も最早諦めた。
辞し去って校庭へ出た時、
「迚も駄目だ。話にならない」
と野崎君は落胆していた。
私達は次に猪股さんを訪れた。先生は先頃の運動の時と違って、快く迎えてくれたが、私達の用件については、
「心配しているんだけれど、不景気の所為か、此年は一向申込がない。困る」
と首を傾げるばかりだった。
「先生、横浜あたりの外国商館に御懇意の方はございませんか?」
と野崎君が訊いた。
「さあ。古い卒業生の勤めているところがないこともないけれど」
「然ういう手蔓を辿って、此方から探しに出掛けます。何うせ遊んでいるんですから」
「それも一つの方法だね。紹介状を書いてやろうか? 何とかいう男が何とかいう商館に入っていたよ。名簿を見れば分る」
と猪股先生、甚だ覚束ない。
「先生、地方の中学校は何うでしょう?」
と今度は私の番だった。
「去年は知っている校長に牧君を売りつけたが、此年は何とも言って来ない」
「御存知の校長が大勢ございますか?」
「三人ある。皆明治学園を信用しているから、欠員があれば、屹度申込んで来る」
「来次第に御推薦を願います」
「宜いとも。しかし教師の方は免状がないと具合が悪いから、早く取ることだね」
「検定試験を受けます」
「君達は卒業してしまったから、もう学資が来ないんだろうね?」
「はあ」
と二人一緒に答えた。
「当分の間、寄宿舎にい給え。研究生として一時間でも二時間でも誰かの講義に出席すれば名目が立つ」
「はあ」
「こゝにいるくらいのことは何うにかする。考えて置くから、心配しないで、もっと勉強するんだね。商館へ行っても中学校へ行っても、君達の力じゃまだ/\骨が折れるぜ」
「はあ」
「実はこの間から総理とも相談中だ」
「駄目でしょう」
と野崎君が口を辷らせた。
「何故?」
「ジョンソン博士は同情がありません。金貧乏、恥でないと仰有るんです」
「しかし食わないじゃ生きていられない」
「全く然うです」
「明治学園、飯が食えんか? ハッハヽヽ」
「専ら然ういう評判だから心細いんです」
「しかし不思議なものだよ。皆、兎に角食っていく。金持になったって胃袋の大きさが倍になる次第でもなかろう」
「それは然うですけれど」
「ジョンソン博士の仰有るのは、命の為めに何を食い何を飲まんと思い患う勿れって意味さ。人間は生活問題に超越しないと、本当の仕事が出来ない」
と猪股さんは序をもってお説法に移った。博士といい先生といい、これが学風だから仕方がない。仰有ることは一々御道理だけれど、高級過ぎる。職業を求めてガツ/\している私達にはピンと来ない。
春の休暇が終って新学年が始まると間もなく、赤羽君と吉田君が再試験を受けて卒業した。吉田君は神学校へ入ったが、赤羽君は私達同様身の振り方がつかない。
「何うする?」
「仕様がない。未だ当分親脛だ」
と皆覚悟を定めて寄宿舎にゴロ/\していた。
或る日、猪股先生から私へ沙汰があった。教員室へ出頭して見たら、
「君は一つ西洋人に日本語を教えて見ないか?」
という相談だった。
「やります」
「二三日中に新しい宣教師が来る。ロビンソンという若い男だ。これに日本語を教え給え。報酬は幾らくれるか分らないが、学資ぐらいは取れる」
「有難うございます」
と私は即座にお受けをした。
それと殆んど同時だったと記憶するが、野崎君は図書館の係りを拝命した。
「商館の口があるまで繋ぎさ」
とこれも大喜びだった。次に赤羽君が呼び出された。
「何の口だろう」
と大に期待して行ったら、
「学園には差当りもう仕事がないから、待っていても駄目です。君は寄宿舎で煙草を吸うそうだが、怪しからん。在学生の監督上困るから兎に角早速引き払ってくれ給え」
という申渡しだった。
「人を馬鹿にしていやがる」
と赤羽君はカン/\に憤って、その日の夜行で神戸へ立った。叔父さんが運送業をやっている。それを頼って行ったのだ。この男が後日成金になって十七万円の講堂を寄附した当座、明治学園では神さまの次が赤羽さんのようだった。尤もジョンソン博士も猪股先生も死んでしまったから、学風が幾分変ったのだろう。
私はロビンソン氏に日本語を教え始めた。日本語だから訳はなかろうと思って取りかゝったが、やって見ると、案外だった。一々英語で説明するのだから骨が折れる。時には何を言っているのか自分ながら分らない。ロビンソン氏は呆れて私の顔を見ている。しかし亦これが好い練習になった。私には一生に唯一度失敗の成功がある。それは丁度その頃起った。或晩、立花君が私の部屋へ入って来て、
「河原君、君に一つ折り入ってお願いがある。是非聴いて貰いたい」
と頭を下げた。
「何だい? 改まって」
「実は先刻猪股さんから聞いたんだが、地方の中学校から口が一つかゝって来ている」
「ふうん」
「最近卒業の優秀なものを寄越してくれというんだ」
「成程」
「猪股さんは君をやろうか、僕をやろうかと考えている。席次からいうと僕だけれど、約束からいうと君だそうだから、二人で相談して定めろと言うんだ」
「君行き給え。優秀という条件なら君だよ」
と私は喉から手が出るようでも、成績を言い立てられると、何うにも仕方がない。
「いや、優秀といっても必ずしも首席と限らない。出来の悪いのを寄越してくれというところはないからね。単に出来の好いのという意味さ」
「兎に角、僕は駄目だよ。ロビンソンさんに約束があるから、こゝ当分は動けない」
「僕もこゝ一二年母校の為めに尽す決心だったけれど、君とは少し違う。我より後に来たるものは我に勝って力ありというような後任があるんだから、動けないこともないんだ」
と立花君は信者の常として聖句を利用した。
「誰だい? それは」
「君さ」
「馬鹿を言っている」
「いや、僕は席次こそ上だけれど、実力は君だよ。それに僕はこれで君の都合も考えているんだ」
「何ういう?」
「君は今ロビンソンさんから幾ら貰っている?」
「十五円さ」
「そこへ僕の後を引き受ければ十七円だから、三十二円になる。地方の口は三十五円だ」
「何処だい? 一体?」
「一ノ関さ。寒いところだ」
「それじゃ君に譲るよ」
と私も慾だ、寒い東北へ行って三十五円貰うよりも東京にいて三十二円取る方が徳だと思った。
「本当に宜いかい?」
「宜いとも」
「それじゃ僕はこれから猪股さんのところへ行って、君を推薦する」
「宜しく頼むよ」
「猪股さんは然ういう口吻を洩らしていたから、間違ない、君も都合が好いし、僕も大いに助かる。有難う」
と立花君は目的を達して出て行った。
私は微笑を禁じ得なかった、早速、隣室の野崎君を訪れて、
「君、口ってものはあり始めるとあるものだぜ」
と見込を打ち明けた。
「それは巧い。唯じゃ堪忍出来ないよ」
「蕎麦でもおごろうか?」
「行こう」
と野崎君は気が早い。
立花君は数日後に一ノ関へ赴任した。私は後任のお鉢が廻って来る積りで待っていたが、その分は新来のロビンソン氏が教えることになって悉皆当てが外れてしまった。立花君は私を瞞したのでない。一番が前任なら二番が後任だろうと簡単に信じていたのだ。私はその当座三十五円の先取権を空しく棒に振ったように思ったが、それは失敗のようで実は成功だった。私は間もなくロビンソン氏の宅に住み込んだ。日本語を教えると同時に、氏について生きた英語を研究した。約二年間殆んど英語ばかりの生活をしていたから、自然に力がついた。
「君は長くアメリカにいる日本人よりも好い英語を話す」
とロビンソン氏が褒めてくれた。西洋人はお世辞が上手だから、大抵こんなことを言う。しかし可なり得るところがあった証拠に、中等教員の検定試験を出色の成績で通過して、忽ち彼方此方から引っ張り凧になった。猪股先生は辞を低うして、
「河原君、何うですか? 東京にいて母校の為めに尽して下さいませんか?」
と頼み入った。しかし凡人は二年前のことを根に持っていた。
「駄目です。僕は経験がありません」
「いや、結構ですよ」
「それに信仰がグラついているんですから、学園の教師として適任でありません」
と私は辞退して、三つかゝって来た口の中一番俸給の好い九州の某中学校へ赴任することに定めた。
その途次、郷里へ寄った。毎夏帰ったのだが、今回は両親を安心させることが出来た。
「お父さんはもう学校をおやめになっても大丈夫ですよ」
と私は得意だった。
「何あに、未だ/\元気だ」
と父親は相変らず小学校長として令名を博していた。
「僕、これから毎年お金を送ります」
「それには及ばないが、無駄使いをしなさんなよ」
「四十五円ですもの、お父さんよりも豪くなってしまったのね」
と母親は俸給を価値の標準にした。親父、平常なら呶鳴りつけるのだけれど、
「結構さ」
と苦情もなかった。
「友一や」
「何ですか?」
「お前、もうソロ/\お嫁さんを貰わなければならないね」
と母親には母親らしい屈託があった。
「当分一人でいます」
「一人口は食えないが、二人口は食えるといって、一人でいるのは無駄の多いものだから、矢っ張り早い方が宜いよ」
「それもありましょうが、本当の勉強はこれからです。ここ二三年結婚なんてことは考えていません」
と、大きく出たものゝ、私は二三年この方、若い婦人を見ると、心の中で及落の評点をつける習慣になっていた。
占部牧師が先頃北越へ転任してしまったのは甚だ遺憾だった。しかし私は翌朝中学校を訪れて、旧師数名と旧友小松君に会った。唯五年だけれど、校長初め過半数が代っていた。
「九州とは遠いね。この間更迭があったんだから、こゝへ来ようと思えば来られたのに」
と小松君は残念がった。
「しかし旧の先生達と一緒じゃ頭が上らない」
「それは確かにあるが、都合の好いこともあるよ」
「何れ修業を積んだら、引っ張って貰おう」
と私も郷里へ帰れば矢張り郷里が懐しい。両親が追々年を取ることも考えていた。
「心掛けて置くよ。時に君はいつ立つ?」
「明日の朝だ」
「それじゃ今晩、北村君と一緒に話そうじゃないか?」
「宜かろう」
「北村君には僕から知らして置くから、君は六時までに新茶屋へ来てくれ給え」
「何処だい?」
「そら、いつか長谷川君が逃げ出す時、送別会をやったところさ」
「成程」
「長谷川君といえば、到頭やり上げたね」
「この間会ったよ。いつか会った時は号外屋だったけれど、今度は弁護士だ」
「立派な紳士になっていたろう?」
「いや、未だいけない。玄関番同様だと言っていた」
「前途有望さ。此方じゃ北村君が素晴らしい。今度町会議員に当選したよ」
「例によって飲むだろう?」
「うむ。その方も大発展らしい」
と小松君は尚お話したいようだったが、授業があった。鐘が鳴る。昔懐しい響だった。
郷里から任地までの間に、私は神戸の駅で赤羽君に会った。唯五分の停車時間を打ち合せて置いたのだった。雨の晩にも拘らず、赤羽君はプラットホームに出ていてくれた。
「何うだい?」
と私は窓から乗り出して、赤羽君の前垂姿を見下した。
「駄目だよ」
と赤羽君は背広服の私を見上げた。立脚地が上と下の通り、得意と失意の二人だった。私は新任の口のことを簡単に話した。赤羽君は現状について二言三言愚痴をこぼした。
「まあ/\、辛抱するんだよ」
「君は勉強したからね。僕とは違う」
「何あに」
「野崎君は何うだい?」
「去年、横浜の商館へ入ったよ」
「それは知っているが、勤まるのかい?」
「可なりやっているようだよ」
「月給は幾ら取る?」
「三十円だけれど、ボーナスが半分つくそうだから、矢っ張り僕ぐらいになる。尤も僕は一年で昇給する約束だけれども」
「君は当り前だけれど、野崎は巧くやっている」
「竟に所を得たのさ」
「彼奴はおれと似たり寄ったりだったがなあ」
「君だってソロ/\地盤が固まるんだろう?」
「この通り未だ前垂がけだよ」
「僕達見たいに月給を当てにするよりも自家営業の方が有望だよ。腕次第で何うにでもなるじゃないか?」
と私は口先で励ましたものゝ、肚の中はアベコベだった。人間は四十五円以上の月給を取らなければコンマ以下だと確に意識していた。
「仕方がない」
「失望しちゃ駄目だぜ」
「うむ」
「大いにやり給えよ。あゝ、もう出る」
「さよなら。君も達者で」
と赤羽君は慌てゝ一二歩下った。矢っ張り愚なるが如き容貌をしていると思った。爾来二十有余年、私は現在この男の屋敷へ家庭教師に伺候して、月給の足し前を取っている。考えて見ると汗顔の至りだ。人間の運命というものは迚も端倪出来ない。
若河原老河原
新任地は九州の○○市、中学校も県で錚々《そうそう》たるものだった。無名で置くのも具合が悪いから、県立中学校錚々館と仮に名をつける。同僚が三十名からいて、私が一番年若だった。
「先生」
と年長者から呼ばれるに恐縮した。尤も、
「先生はお幾つですか?」
と訊かれる度に、
「二十四です」
と答えて、一種の得意を感じた。
「お若いですな」
と皆褒めてくれた。
新聞が紙面の都合か何かで、私の辞令の後に私の経歴を数行載せた。東都明治学園卒業後英米人に英語を教授すること数年云々とあった。この英語というのは無論忙しい記者の書き間違だった。私は日本語を教えていたのである。それも相手は米国人一人だ。しかしこの誤謬が生徒一般に深い感銘を与えたのらしい。彼等は活字に現れたものは皆真理か事実と思っている。
「英米人に英語を教えるくらいなら、余程英語の出来る先生に相違ない」
と早合点をしてしまった。お蔭で私は教室の受けが好かった。初めから上級を持つと苛められるそうだが、そんなことは一切なかった。或日、五年級の生徒が一名、
「先生、質問があります」
と言って、手を挙げた。
「何です?」
「先生は一体お幾つですか?」
「そんなことは教室の問題じゃありません」
「いや、先生。敬意をもって真面目に伺うんですから教えて下さい」
「二十四ですよ」
と私が答えたら、
「参った!」
とその生徒は両手で頭を押えて、ペタリと坐った。
「ハッハヽヽ」
と級生一同が笑った。
「何うしたんですか?」
と私が訊いたら、
「佐野君は二十五です」
と別の生徒が立って答えた。今では二十五歳の中学生は絶無だろうが、二十年前には時折ないこともなかった。
下宿の婆さんも、
「先生はお幾つでいらっしゃいますか?」
と間もなく問題にした。
「二十四です」
「お若い先生でございますな。それ丈けにお出来が宜しい次第でございましょう」
「そんなこともありませんが、満でいうと二十三と少しです」
と私は益※ 得意だった。二十四が数年続いたように記憶しているが、そんな理窟はあり得ない。若手の筆頭として数年続いたのである。
考えて見れば、あの頃が花だった。今でも相応若い積りでいるけれど、周囲の形勢が許さない。現に昨日も鏡に向って髪の毛の整理をしていたら、妻が入って来て、
「あら! 御勉強かと思ったら、白髪を抜いていらっしゃるの?」
と不平顔をした。
「大分生えて来た」
「当り前ですわ」
「同情がないんだね」
と私は又抜こうとしたが、妻は毛抜を奪い取って、
「いつまでもお若い積りでいちゃ困りますよ」
と言いながら、鏡を手にして見入った。
「お前も生えたのかい?」
「えゝ」
「何れ?」
「こゝよ。二三本ですけれど」
「成程。もうソロ/\婆さんだ」
「それだから、私丈け抜いて、あなたは抜かない方が宜いんですよ」
「何故?」
「あなたが年寄に見える分、私が若く見える勘定になりますわ」
「巧いことを考えていやがる」
と私は感心した。
昨今はもう仕方がない。万事諦めている。しかし右を見ても左を見ても、自分が一番若かった当時は、人生がもう少し何うにかなりそうに思えた。若い独身者の目には周囲の中老連中が至って平凡に映る。
「好い年をして何て態だろう? もう少し何うにかなりそうなものだに」
と自分には前途がある積りだ。
「何だ? 見っともない女房を持って、食うに困るほど子供を生んで」
と、私は実際訪れるのも不見識のような気がした。赤ん坊を抱いて、
「やあ、河原君。珍らしいね。上り給え。これはいけない。シッコだ/\」
なぞとやられると、
「いや、又今度にする。さよなら」
と言って、逃げて来る。家内が何うしたの子供が斯うしたのと、事故ばかりあって、側で聞いているのも煩い。向上心なぞは些ともない。閑があると、碁を打つ。将棋を差す。謡曲を唸る。天下も国家も忘れ果てゝ、月給の上るのを待っている。若し主義があれば、齧りつき主義だ。
「斯うやって齷齪している中に白髪が生えて、あたら一生を終るのだろう。可哀そうな連中だ」
と私は気の毒に思っていた。爾来二十年、既にもう終ったのが可なりある。しかし考えて見ると、私も間もなく彼等の道を辿り始めたのである。
若いのを誇りとしていた私は同僚中一番の老人と特別入魂になる機縁を持っていた。最初からのことを思い合せると、宿命というものを否定出来ない。何うしても然うならざるを得ないように出来ていた。人間のすることなすことは或は初めから定っていて、それが巻物のように一日々々と開展して行くのかも知れない。私は河原さんに誰よりも先に会ったのである。夕刻、駅に着いて、俥屋に、
「錚々館まで行ってくれ」
と命じた時、チラリと私の顔を見た老人があった。その人も矢張り俥に乗るところだった。私はズック鞄の外に大きな行李を二つ持っていたので、一台には乗り余った。
「もう一台」
と註文したが、
「生憎と出払っていまして」
ということだった。この時、私は偶然老人と又顔を見合せた。
「俥屋さん、俺はよす」
と言って、老人は既に乗っていた俥から下りて、
「これでいらっしゃい」
と私に向って会釈した。
「いや、少時待ちます」
「いや、御遠慮に及びません。素々《もともと》歩いて帰る積りのところを勧められたんですから」
「然うですか。しかし……」
「何うぞ」
「恐縮ですな。それではお言葉に甘えます」
と私はお礼を述べて乗って来た。
学校では書記が私の下宿を定めて置いてくれた。そこに落ちついて翌朝改めて又登校した。先ず校長に会って、教員一同へ紹介されたが、その中に昨日の老人がいたのである。
「御同姓河原と申す老朽でございます」
「何うぞ宜しく、先生には昨日……」
「ハッハヽヽ。流石にお若い方は御記憶が宜しい」
と老人は満足のようだった。同姓には驚いた。尚お会計に川原というのがいた。字は違っても音が同じだから、三人鉢合せをして紛らわしい。自然、若河原、老河原、会計川原ということになった。
私の下宿は素人屋だった。母親一人、息子一人の家庭で、息子は市役所へ出ていた。それに嫁を貰うまで私を置いてくれる。
「当分大丈夫でしょうね?」
と念を押したが、
「縁のことですから、堅いお約束は申上げられません」
とあって、心細い下宿人だった。いつ追い出されるかも分らない。甚だ感心しなかったけれど、正直なところが気に入った。士族だそうで、品の好い婆さんだった。昔からの家だから、古くて薄暗かった。しかし田舎へ来ては贅沢を言えない。いや、東京にいれば食うに困る身分だと思って、悉皆観念した。河原老人が筋向いに住んでいた。早速敬意を表しに行ったら、翌日老人も返礼に見えて、
「先生とは妙に御縁がありますな」
と言った。
「何うも不思議です。この上とも宜しく願います」
「お互いに、何うぞ」
「未だ慣れないので、無我夢中です」
「しかし西洋人にお教えになった経験がおありだそうですな? 先生は」
「先生は困りますな。具合が悪いです。先生と私は親と子ぐらい違いましょう」
と私は故障を申入れた。他の人は兎に角、この老人には気が引ける。
「それでは河原さん」
「はあ」
「失礼ながら、あなたはお幾つですか?」
「二十四です」
「成程。お若いですな」
「失礼ながら、先生は?」
「さあ。私は言わぬが花でしょう。ハッハヽヽ」
と河原さんは笑いに紛らした。
「当てゝ見ましょうか?」
「いつも年より余計に見られる方ですよ」
「それでは丁度ですか?」
「然う/\」
「成程」
と私はもう訊かないことにした。七十も丁度、六十も丁度だ。河原さんは五十の丁度の積りだったかも知れない。
「河原さん」
と呼んで、河原さんは、
「何うも自分のことのようで変なものですな」
と笑った。
「学校は河原の鉢合せです」
「妙に揃いましたよ」
「この土地には河原姓が多いんでしょうか?」
「さあ」
「生徒にもありますよ」
「あります。しかしこゝで多いのは吉田姓ですよ。第一、この家が吉田です」
「成程」
「吉田組といって、鳴らしたものだそうです。今でも市長の吉田さん初め羽振りの好い人が多いです」
「それじゃこの吉田も昔は可なり幅を利かしたんでしょう?」
「いや、この辺一帯は仲間屋敷です。大したことはありますまい」
「足軽でしょうか?」
「然うですよ。精々五人扶持ですかな」
「先生も矢張りこゝの旧藩でいらっしゃいますか?」
「私は土地のものじゃありません」
「はゝあ」
「肥前大村藩です。昔をいえば、これでも由緒正しい侍ですよ」
「道理で」
「然う見えますか? ハッハヽヽ」
「侍らしいです」
「ハッハヽヽ」
「お郷里には河原姓が多いんですか?」
「余りありませんな」
「私は平民ですが、私の村には河原姓が多いです。紋も皆先生と同じ丸に剣片食です」
「それじゃ昔は同族だったに相違ありません。御縁がある筈ですよ」
「確かに然うですな」
と私は河原老人が悉皆気に入った。
目と鼻の間に住んでいるから、若河原と老河原は毎日連れ立って登校した。帰りも大抵一緒だった。
「河原さん、あなたは何がお好きですか?」
と或日老人が訊いた。
「何って何ですか?」
と私は無造作に尋ね返した。
「食物です」
「さあこれってものもありません」
「しかし何かおありでしょう? 西洋料理ですか?」
と河原さんはニコ/\しながら追究する。
「天ぷら蕎麦ぐらいのものです」
と私は東京を出て以来、久しく油が切れていた。学園時代は何かというと天ぷら蕎麦だった。貧乏書生だから、それ以上の御馳走は喰べたことがない。
「蕎麦切りですか?」
「いや、天ぷらです」
「天ぷらにしても、蕎麦切りですか?」
「蕎麦に天ぷらを入れたのです」
「矢張り蕎麦切りですよ」
「違いましょう」
「いや、此方では蕎麦切りというんです」
「はゝあ」
「蕎麦切りの天ぷらを御馳走致しましょう」
「いや、結構ですよ」
「御遠慮には及びません。家内に命じて置きますから、今晩いらっしゃい」
と河原さんは招待してくれた。私は心配しながら行ったが、矢張り天ぷら蕎麦だった。お嬢さんがお給仕をしてくれた。前にも言った通り私は若い婦人を見かけると、評点をつけて置く習慣になっていた。蕎麦切りを戴きながら、令嬢を六十五点とつけたが、辞し去る頃、少し酷だと思って、七十点に改めた。
こんな次第で河原老人は特別関係だったが、他の同僚とも追々懇意になった。殊に英語の同僚は交渉が多いから、否応ない。何んな人間がいるだろうと思って多少不安でやって来たが、渡る世間に鬼はない。附き合って見ると、皆善意のある連中だった。初任地だから印象が深い。現今私には中学時代の友達と明治学園時代の友達とこの錚々館時代の友達がある。皆特別保護建造物だ。これから再び出来るものでない。私は下戸だから、古い葡萄酒の味は分らないが、古い友達の有難さは人一倍に感じている。
英語の柴田君は今でも東京へ来ると必ず寄ってくれる。この男は私より二つ上で一番若かったが、私に株を奪われたのである。
「しかし僕も来た時は君と同じことだった」
と言って、自ら慰めていた。差当りは通り一遍の交際だったが、柴田君の性質として、それでは満足出来ない。
「僕は仲が好くなるか悪くなるか何方かだよ」
と極端な男だ。
「おい、河原君、結着をつけよう」
と或日申入れた。
「何だい?」
「君は老河原の家へ時々遊びに行くね?」
「行くよ」
「あんな老ぼれと何か共鳴するところがあるのかい?」
「何ってこともないが、親切にしてくれるからさ」
「僕は不親切かい?」
「そんなことはないよ」
「それじゃ何故僕のところへ来てくれない?」
「何故ってこともないけれど」
「なければ来給え」
「行こう」
「今日これから来い」
「来いは厳しいね」
と私は笑ったが、少し怖かった。柴田君は大男で、いかつい面構えをしている。近頃、多年の宿望が叶って、中学校長になった。澄まし返っているが、錚々館当時はナカ/\荒かった。
私はその日学校の帰りにお供をして行った。顔出しをしなかったのを根に持っているのかと思ったが、然うでもない。招待することに定めてあったと見えて、細君が支度をして待っていた。
「これは鹿の子といって僕の妻だ」
と柴田君が念入に紹介した。私は夕飯の御馳走になりながら鹿の子さんを八十五点とつけた。しかし他の細君では仕方がない。
「何うだい?」
「何が?」
「あれさ」
「どれ?」
と私は見上げた。長押に「比翼連理」という横額がかゝっている。墨痕未だ新しい。
「誰だい?」
「老河原さ」
「巧いものだね」
「大したこともないが、折角お祝いに書いてくれたんだから、二円五十銭はずんだ」
と柴田君は新婚早々らしかった。学校で能く諢われていた。
「至極円満のようだね」
と私も後れながら祝意を表した。
「恐れ入った」
「いつ?」
「この春休みさ」
「こゝで?」
「いや、郷里だ」
「越中富山だったね?」
「冗談言っちゃいけない。金沢だよ。百万石だ」
「何方にしても北陸の雪の中じゃないか?」
「人のことだと思って大束を極めるね」
「奥さんも金沢かね?」
「然うさ。従妹だもの」
「はゝあ」
「子供の時からの許嫁さ」
「ふうん」
「故人達の意思と本人共の希望が漸く実現したのさ」
「此方で恐れ入る」
「ハッハヽヽ」
と柴田君は得意だった。その間、細君の鹿の子さんは平気な顔をして控えていた。もう一般婦人がソロ/\自覚を生じて、万事イケ洒々《しゃあしゃあ》の時代に多少入っていたのである。
「話が変るけれど、河原君、君は馬面のところへ行くかね?」
「校長かい?」
「うん」
「馬面は穿っている」
「長い顔だよ、実際。僕は教員会議の時、ツク/″\と見ていることがある」
「反対に教頭はマン円だね」
「彼奴はゴム人形だ」
「口が悪いね」
と私は覚えず膝を進めた。教育家は言行を慎まなければならないと思って窮屈を感じていた矢先、急に解放されたような心持がした。
「僕は皆に綽名をつけてある」
「一人々々承わろうか?」
「追々出すよ。ところで、君は馬面を訪問しないといけないぜ」
「行ったよ、来てから一遍」
「もう一遍行こう。僕も久しく行かないから、一緒に出掛けよう」
「話がなくて手持ち無沙汰だぜ」
「それだからさ。一人じゃ睨みっこになってしまう」
「その中お供しよう」
「ゴム人形へも一緒に行こう」
「行こう。あすこは初めてだ」
「君は余り出て歩かない方だね」
「うん」
「老河原のところ丈けだろう?」
「あすこへは能く行く」
「あの人は面白い。戦争の話をしたろう?」
「いや未だ聞かないが、日清戦争にでも出たのかい?」
「冗談言っちゃいけない。年を考えて見給え、年を」
「西南戦争か?」
「もっと古い。明治維新だ」
「成程」
「会津征伐に行ったんだよ。あれでも敵の大将の足を切ったんだそうだ」
「足を?」
「うむ。その経緯が如何にも老河原式で時勢に後れている」
「何うしたんだい?」
「進んで行ったら、敵の大将が倒れていたから、今は早これまでなりと、大刀を振り被って、片足を切り落したというんだ。足だから一向功名にならない」
「首を切れば宜かったのに」
「いや、首はもう誰か切って行ってしまった後さ」
「何だ。ハッハヽヽ」
「ハッハヽヽ」
と柴田君は笑い転げた。
「それっきりかい? 河原さんの手柄話は」
「一人本当に切っている」
「豪いね」
「敵と味方が組打をしているところへ来かゝった。上になり下になって揉み合っているが、真暗闇の晩のことで、何方が何方だか分らない。念の為に、『河原だぞ!』と声をかけたら『頼む』と下の奴が答えたから、上の奴を切った。それが味方さ」
「何方が?」
「上の奴さ」
「同志討をやったのかい?」
「然うさ。慌てゝいるよ。しかし腕の冴えないのも有難いもので、大した怪我はなかったそうだ」
「敵は何うした?」
「跳ね起きると共に一目散さ。敏いよ。二人に一人じゃ敵わないと思ったのだろう」
「助けてやったようなものだね」
「然うさ。味方を殺さなかったところがお手柄さ」
「落ちついているようだが、案外粗々っかしい爺さんだね」
「しかしその頃は若かったのさ」
「一体幾つだろう?」
と私は序をもって訊いて見た。
「年をいわない人だが、会津征伐といえば明治元年だから、その頃壮年だったとすると、何うしても六十を越している」
「余り多いと具合が悪いんだろうね」
「漢学だから勤まるのさ。英語ならもう疾うに首だよ」
「そんなにいつまでも働く必要があるのか知ら?」
「子供に仕合せの悪い人だよ。長男も次男も死んでしまって、女の子ばかりだから、未だ当分齧りついているんだろう。時勢には後れているが、温厚人で邪魔にならないから、地位は確かだ」
「ナカ/\学者のようだぜ」
「詩人だよ。漢詩じゃ県下随一だ」
と柴田君は悪口を言いながらも、老河原を錚々館の誇としていた。
同僚の銘々伝を書くのではないが、もう一人五味君を挙げたい。矢張り英語で、柴田君と同じく東京の高等師範出身だった。私より三つ上だったけれど、十も違うような印象を与える。物腰恰好、老成人めいて、厭に落ちついているから、私は最初の間、この男が嫌いだった。
「先生はこゝはもうお長いんですか?」
と敬意を表してやったら、
「然うですね」
と言って、少時瞑目した後、
「去年来たばかりです」
と答えた。去年来たばかりなら、そんなに考える必要もなかろう。余程頭が悪いのだろうと思った。その後、私は日曜に散歩に出た時、五味君が川端で釣糸を垂れているのを見かけた。市を貫いて大川というのが流れている。上流は家疎らで、多少風致がある。此方も閑潰しだ。側に坐って、
「何うですか? 釣魚は面白いですか?」
と訊いて見た。
「然うですね」
と五味君は少時浮を睨んでいて、一尾釣り上げた。それを畚に納めてから、
「面白いです」
と答えた。
「何ですか? 今お釣りになった魚は」
「然うですね」
「小さかったですな」
「※ 《はや》っ子ですよ」
「沢山釣れますか?」
「然うですね」
「畚を拝見します」
と私は引き上げて見て、
「これは/\」
と感心した。※ っ子ばかりだけれど、可なりいた。
「朝からやっているんです」
「これなら商売になりましょう?」
「然うですね」
「ナカ/\お上手らしい」
「気分転換の為めの道楽ですよ」
「※ っ子の外に何か釣れませんか?」
「然うですね」
と五味君は又浮を睨んだまゝで要領を得ない。私はもう面倒臭くなったから、
「さよなら」
と言って逃げて来た。二町ばかり上って、橋の上から見返ったら、五味君は気がついて、頻りに帽子を振った。善意はあるのだ。しかしテンポが遅い。
このことを柴田君に話したら、
「彼奴の然うですねは有名なものだよ」
と笑った。
「善い人のようだけれど、埒が明かなくて困る」
「教室でもあの通りらしい。生徒が質問すると、然うですねと言って十分ぐらい考えるから、質問が五つあると、一時間済んでしまう」
「まさか」
「本当だよ。決断力のない男だ。今学期の受持を定める時、僕は十八時間じゃ苦しいから、十六時間にして、五味君に二十時間持って貰おうと思ったら、然うですねと言ったきり、二日も返辞をしなかった」
「それは当り前だ。見す/\損をするんだもの」
「いや、損得に拘らず、一応然うですねと言って用心する」
「癖かね?」
「つまり馬鹿さ。念の入れどころが間違っている」
「君の口にかゝっちゃ敵わない」
と私は打ち切った。
五味君は親しくなるにつれて、「然うですね」を「然うだね」に改めた。尚お回数が大分減った。或時、私の下宿へ遊びに来て、
「君と話していると、つい釣り込まれて、後で後悔、いや、後から占まったと思うことが多い」
と言った。
「何故?」
「然うだね」
「又始まった」
「何が?」
「僕も君と話をすると、後悔する」
「何故?」
「一体、君の『然うだね』ぐらい無意味なものはない。僕は初めから癪に障っているんだ」
と私はもう遠慮しなかった。
「これは仕方がないよ」
「何うして?」
「精神修養だもの」
「へえゝ」
「即答すると後悔を残す虞がある。僕は元来軽率だからね。それで大に工夫しているんだよ。答える前に然うですねと濁して置いて、凝っと考える」
「考える必要のない時でもやるよ」
「あれは一二三四と二十まで数えているんだ」
「道理で手間が取れると思った」
「何うせ人の時間だもの。此方で待っているんじゃない」
と五味君は鹿爪らしく見せかけていて、ナカ/\横着なところがあった。
これぐらい考えている男だから、游ぎ方が巧かった。錚々館へも転任で来たのだったが、三年で又飛んだ。その折、
「おい、おれを引っ張ってくれよ」
と私が頼んだら、
「然うだね」
と言って考えた丈けだったが、忘れなかったと見えて、二三年後その次の任地へ私を引き抜いてくれた。そこで数年間又一緒だったから、特別関係が深い。今では女学校長をしている。柴田君よりもずっと故参だ。先頃校長会議に上京した時、訪ねて来て一晩話した。
「錚々館へ赴任した時は二十四だったが、長男がもう二十一だよ。此年から大学へ入った」
と私は年の寄ったことを子供で証明した。
「もうそんなになったかね」
「早いものさ」
「お互に白くなったり禿げたりする筈だよ」
「君のところは子供がないから淋しかろう」
「僕は平気だが、妻が苦情を言うから、妻の弟の子を一人貰うことにしてある」
「奥さんには長くお目にかゝらないが、相変らず太っているかい?」
「然うだね」
「そら、始まった」
「デップリした中婆さんになったよ。時に奥さん」
と五味君は思い出して、
「河原老先生はもう何年になりますか?」
と訊いた。
「浩子の生れた年でしたから、丁度十九年でございます」
と妻が答えた。妻はその初め私に蕎麦切りの天ぷらを御馳走してくれた令嬢だ。縁あって夫婦になった経緯が一向ロマンチックでなくて、凡人の面目を躍如たらしめる。
ロマンス抜きの理解
初めての暑中休暇が来て、私は郷里へ帰った。独身で金がかゝらないから、俸給が半分残っていた。その中五十円を母親に渡して、
「お母さん、何も買って来ませんでしたから、お土産です」
と言った時、私は自分ながら孝行息子だと思った。
「まあ、こんなに貰っても宜いの?」
と母親が驚いた。
「未だこんなにあるんです。それに来月分が手つかずに入ります」
「矢っ張り中学校の先生は違うのね」
「これからは毎月定めて送りましょう」
と私はその積りだった。そうして半年以上続けたと記憶する。しかしこれが私の孝養の全般だと思うと情けない。志はあったが、結婚後は手が廻り兼ねた。両親も察して、それには及ばないと言ってくれたのを幸い、その中俸給が上ってからと心掛けていたら、長男が生れた。以来一年置きに人口が繁殖した。俸給は然う規則正しく上らない。凡人は算当を誤った。割の好い転任を数回やったが、子供に追いつく俸給なしという真理を発見するばかりだった。
「子供にかゝるだろうから心配しなくても宜いよ」
と父親は素より当てにしていなかったが、当てにされたところで事実何うも仕様がなかった。現に私は十人の子持である。産児制限ということを初耳に聞いてからも四人生れている。
いや、話が一足飛びになったが、初めて任地から帰郷した折のことだった。私は間もなく上京した。田舎にいると時世に後れるから、年に一回、必ず東京の空気を吸う決心だった。但しこれも翌年実行した丈けでもう思うに委せなかったが、愚痴になるから控える。私は早速学園を訪れた。しかし暑中休暇のことで、先生は誰もいなかった。小使の音さんが、
「河原さん、あなたは大層な御出世だそうですね」
と祝してくれた。
「何あに、一向駄目だよ」
「俺は先生じゃないが、妙なもので、長年手がけている所為か、大抵見当がつきますよ」
「何の?」
「この人は物になるだろうか何うだろうかってことが生徒さんの時から分りますよ」
「天眼通だね」
「恐ろしいものですよ。例えば、あなたの級の赤羽さんですね。あゝいう人は迚も駄目です」
「何故?」
「人間に締りがありません。手拭ばかりでなく褌まで忘れて行くんですからね」
「何処へ?」
「風呂場へですよ」
「はゝあ」
「褌を忘れて行く人で物になった人は未だ一人もありません」
「妙な統計だね」
と私は神戸駅頭の赤羽君を思い出した。
「赤羽さんは三十本から忘れました。皆、私が貰って使っています」
「ハッハヽヽヽ」
「もう一人、赤羽さんの相棒がありましたね?」
「野崎かい?」
「へえ」
「彼奴も忘れたかい?」
「いや、あの人はあゝ見えてシッカリものですけれど、先がありませんな」
「何故?」
「此間お出になりましたよ。立派な服装をして来ましたが、あれじゃ迚も物になるまいと思いました」
「何うしたんだい?」
「私を見かけながら知らん顔です。小使にしろ、此方は長年お世話をして上げた積りです。『音さん、何うだい?』ぐらいのことは言って貰いたい」
と音さんは憤慨していた。
「悪気はないんだが、気がつかないのさ」
「いや、あゝいう人情味のない人ですよ。そこへ行くと、立花さんあたりは如才ありません。人間は誰しもあゝあって貰いたいと思いました」
「立花君も来たのかね?」
「へえ。二三日前にお見えになりましたよ」
「それは惜しかったな」
「これが家内だと言って、奥さんを紹介して下さいました。物になるくらいの人は実に行き届いたものです」
「それじゃもう結婚したのかい?」
「御存知ありませんか?」
「知らない」
「尤も近頃でしょう。矢っ張り猪股先生を訪ねてお出になったんです」
「未だ東京にいるか知ら?」
「さあ。お郷里へいらっしゃると仰有っていました」
「新婚旅行かい?」
「然うでございましたろう。お二人で顔を見合せて、如何にも嬉しそうにしていらっしゃいました」
「成程。お芽出度いね」
と私は微笑を洩らした。小成に安んずる奴だと思ったのである。
「折角お出になったのに生憎でございましたな。一昨日まではジョンソンさんがいられたんですけんど」
「仕方がない。もう帰る」
「晩にお出になって、お泊りになっちゃ何うですか? モニトル部屋丈け明けてあります」
「蚤がいるだろう?」
「食われますよ。餌が皆帰ってしまって飢えていますから」
「御免だ。これから用足しをして横浜へ寄る」
「然うでございますか」
と音さんは門まで送ってくれた。
私はその足で丸善へ行った序に三越へ寄った。当時三越は未だ出来たばかりだったと記憶する。彼方此方見て歩いている間に、前学期中老河原さんのところで度々蕎麦切の御馳走になったお礼に操さんへ何かお土産をと思いついて、コルクの草履を一足買った。これも当時は出来たばかりで珍らしかった。未だ東京駅のない頃だった。私は新橋から乗って、横浜の外国商館に勤めている野崎君を訪れた。
「何だい? それは」
と野崎君は私の風呂敷包に目を留めた。
「本だよ」
「丸善へ行ったのかい?」
「うん。それから三越も初めて見て来た」
「田舎漢だね」
「仕方がないさ。しかし気の利いた土産物を買って来たぜ」
と私は包を解いて、コルクの草履を出して見せた。
「これは女のじゃないか?」
「然うさ。同僚の家で始終世話になるから、娘さんへお礼にと思いついたんだ」
「へ」
「何だい?」
「お礼を言わなくて宜かったよ。土産と言うから、僕のところへ持って来たのかと思った」
と野崎君は笑った。
「君のところへも持って来たよ」
と私は万年筆を出した。自分のを買う序に思いついたのだった。
「これは面白い」
「何うして?」
「万年筆の鉢合せだ」
「誰かに貰ったのかい?」
「いや、僕達商館にいるものは舶来のを無税で取寄せる」
「密輸入かい?」
「何あに、彼方へ行って帰って来る人間に頼むんだ。君と赤羽にやろうと思って頼んで置いたら、この間着いたんだよ」
「ふうむ」
「最新式の上等品だぜ」
と野崎君は机の引出から取出した。
「これは好い」
「此方で買うと十円からするよ」
「有難い。案外人情味があらあ」
と私は受け納めたが、買って来た二本の始末に困った。
「そんな和製は仕方がないよ」
と野崎君は遠慮なく貶しつける。
「しかし両方で万年筆を買ってやろうと思ったところが宜いじゃないか?」
「一種の美談だろう」
「僕は志丈け通じて品物を出さないんだから徳をした」
「和製の志あり。舶来の志あり」
「君の方が上かい?」
「無論さ」
「それじゃこれは使って貰えないかい?」
「貰ったも同じことだ。君、万年筆丈けは和製を買うものじゃない。ガリ/\音がして頭に答える。この頃神経衰弱の流行るのはその為めだ」
「まさか」
「本当だよ。それに安物買いの銭失いって奴さ。少し使うと直ぐ悪くなって直しにやらなければならない」
「困ったな。何うしようか?」
「名案があるよ」
「何だい?」
「同僚へ土産に持って行き給え」
「成程」
「田舎漢には和製も舶来も分るまい」
「そんなのが揃っているよ」
と私は然うすることに定めた。
野崎君は勤め先の受けが好いそうで余程得意のようだった。ボーナスを貰う上にコンミッションを取ることを話した後、
「君は一体幾ら貰っているんだい?」
と訊いた。
「教員は駄目だよ」
と私は謙遜する外なかった。
「立花はもっと好いのかい?」
「大同小異だろう」
「それでも女房を貰うんだから度胸が好い」
「彼奴は小才子だからね」
「小才子だから何だい?」
「小成に安んじる風がある」
「君はどうだい?」
「僕は前途遼遠だよ」
「何とか言っている」
「何故?」
「コルクの草履なんか買って来やがって」
「あれは単にお土産だ」
「四十円や五十円で結婚すると、身動きが取れなくなるぜ」
と野崎君は鼻息が荒かった。
このコルク草履は家へ帰ってからも一寸問題になった。
「友一や、お前こんなものを何処へ持って行くの?」
と母親が見つけて怪んだ。
「同僚に矢張り河原って老人があるんです。その人の家で始終お世話になりますから、お礼の印にと思いまして」
「でもこれは年寄の穿く草履じゃありませんよ」
「娘さんがあるんです」
と私は尚お尋ねられるまゝに河原さんの家庭を説明した。
「その娘さんは幾つ?」
「十九です」
「妹があると言いましたね?」
「えゝ」
「その方は幾つ?」
「十六か七でしょう」
「それじゃ片一方丈けへ上げると、恨みっこになっていけませんよ」
「成程、然うでしたね」
「もう一足広小路から買って行ったら宜いでしょう」
と母親は注意してくれた。村から半里の○○町に母親の妹が下駄屋を営んでいる。
「こんなのがありますか?」
「ありますとも」
「もう一遍東京へ出ますから、その時買って来ても宜いです」
と私は公平を期した。しかし姉丈けに持って行く積りで妹の存在を全く忘れたところに、私の心の傾きが現れていた。
母親が話したと見えて、或日、父親が、
「友一や、お前も何れその中世帯を持たなければなるまいね?」
と訊いた。
「さあ」
「同僚の人から縁談を勧められはしないかね?」
「いゝえ、一向」
「話が始まったら、直ぐに知らしておくれよ」
「それは無論です」
「お前の気に入れば、それで宜いようなものゝ、私達にも私達で又相応考えがあるんだから」
「御安心下さい。必ず御相談申上げます。しかし未だ/\前途遼遠でしょう。この際小成に安んじてしまいますと、一生の計画が違って来ます」
と私は答えた。
任地へ戻ってから間もなくのこと、或日学校に何かの会があって、職員一同と生徒の一部が剣道部に集った。然う/\、道場新築祝いだった。その折、余興に琵琶があった。忘れもしない。敦盛が熊谷に討たれるところだった。
「河原君」
と柴田君が私の耳へ口を寄せて囁いた。
「何ですか?」
「老河原さんを見給え」
「え?」
と私は振り返った。
「涙をホロ/\こぼしている」
「成程ね」
「あれは敵の御大将の脚を切ったことを思い出して、世の中の無情を感じているんだよ」
と柴田君は冗談を言った。
その帰途、私は例によって老河原さんと一緒だったから、
「河原先生は琵琶がお好きですか?」
と訊いて見た。
「好きでも嫌いでもありません」
「しかし大層感に入って御傾聴のように拝見しましたよ」
「いやはや、お恥かしい次第です」
「いや、然ういう意味で申上げたんじゃありませんけれど」
「あゝいう切羽詰まった語り物は何うもいけません」
「何故ですか?」
「身につまされます」
「戦争にお出になったからでしょう?」
「それですよ」
「先生の功名談を承わったことがありませんが、今度一遍伺わせて戴きたいものです」
「私のは功名談なんて景気の好いものじゃありません。懺悔話ですから、御所望されると困ります」
「却って結構じゃありませんか? 人殺しを自慢するようじゃ仕方ありません」
「河原さんは流石にお考えが違いますな。それじゃいつか聴いて戴きましょうか?」
「是非願います」
「斯うっと、早速ですが、今晩いらっしゃいませんか?」
「上ります」
「あなたのように道理の分った人に聴いて戴けば、私の念が幾分届くというものです」
と老河原さんは満足のようだった。
その晩、老河原さんを訪れた時、私は物語に多大の期待を置いていなかった。腕の冴えない慌てものと聞いていたから、
「先生は戦争でお怪我はなさいませんでしたか?」
と先ず安否から尋ねた。
「擦り傷一つ負いません。会津征伐丈けでしたから、赤子の腕を捩るようなもので」
と老河原さんナカ/\大きなことを言う。
「それでは敵をお切りになりましたか?」
「厭応なしです。大分切りましたよ」
「それは/\」
「一人は風体から察するに、一方の大将でした。路傍に倒れていましたから駈け寄って見ると、もう首がありません」
「はゝあ」
と私は知っているけれど初耳のように聞かなければならない。
「好い敵ですが、惜しいことでした。今は早これまでなりと思って、お面と言いさま、脚を切ってやりましたよ」
「ハッハヽヽヽ」
「無論冗談です。余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》たるものでしょう?」
「はあ」
「真剣勝負は初めてですから、刀を試めして見る気もあったのです」
「しかし敵が死んでいるんですから、勝負にはなりますまい」
「それは無論然うですけれど」
「切れましたか?」
「いや、いけません。死んでから大分時間がたっていました」
「はゝあ」
「骨が固まっていましたから、スッパリとは参りません」
「成程」
「その次は味方を切りました」
「同志討ですか?」
「真暗闇の晩でしたから、仕方ありません」
と老河原さんの話したところは私が柴田君から聞いたところと全く同じだった。
「何分暗中摸索で手許が狂っていましたから幸大した怪我もありませんでした」
とこれも切れていない。勝っていた味方に軽傷を与えて、敵の危急を完全に救ってしまった。
「しかし面白いです。それ丈けでございましたか?」
「いや、それ丈けなら私も一生こんな苦しい思いは致しません」
「それでは未だおありでしたか?」
「一人本当に切り捨てました」
「はゝあ」
と私は驚いた。
「実に無情なことを致しました」
「しかし戦争ですから仕方ありません」
「然う思って慰めているんですが、矢張りいつまでも責められます。若松の町外れで橋を守っていた時でした。秋九月、あゝ、丁度今頃、而もこんな月夜の晩でしたよ」
と老河原さんは縁側に近く占めた席から軒端を仰いだ。
「…………」
「城下と在方を断つのが私達差当りの任務でした。私は橋の中央に立って、月を眺めていました。折しもあれ『河原、切れ!』と城下の方の袂から同輩が叫びました。同時に女が一人、息をはずまして走って来ました。私は刀を抜いて遮りました。妙齢の娘さんです。月の光を浴びて、凄いほど美しい」
「はゝあ」
「娘は屈んだまゝ、手を合せて拝んでいます。『間諜だ。切れ!』と又同輩が叫びました。『決っして/\……』と娘は拝むばかりです。『逃げろ』と私は申しました」
「成程」
「無論許してやる積りでしたが、同時に『河原、卑怯だぞ』と罵られたので、娘が立って在方の方へ向った刹那、後ろから袈裟がけに切りつけました」
「到頭おやりでしたか?」
「全く魔が差したんです」
「しかし事情仕方がありますまい」
「娘は倒れました。そうして私の顔を恨めしそうに見つめたまゝ落ち入りました」
「はゝあ」
「無益の殺生を致しましたよ」
「間諜じゃなかったんですか?」
「はあ。間諜であってくれゝば宜かったんですが、罪も科もない良家の娘でした」
「何うして又そんな危いところへ通りかゝったんでしょう?」
「その日の夕方まで通行を許していたのです。後から分りましたが、橋袂を守っていた同輩の誰何を誤解したのでした。九州と東北ですから、言葉が能く通じません。娘は狼藉でも受けると思って、無暗に逃げ出したのでしょう。ドサクサ紛れで何方も慌てゝいましたから、斯ういう間違が随分あったのです」
「厭なお心持でしたろうね?」
と私はつい口に出した。
「迚も溜まりません。以来、その娘が未だに夢に現れます」
と老河原さんは俯向いて考え込んだ。
そこへ操さんがお茶を入れ替えに入って来た。
「戦争のお話を承わっています」
と私はお愛想に言った。
「操も来年はもう二十ですから……」
と老河原さんは操さんの顔を見詰めた。
「私は大丈夫よ、お父さん」
と操さんは笑って出て行った。私は何ういう意味か分らなかったが、老河原さんは間もなく戦争後の身の上話に移って、失敗を一々、
「これも会津の娘の祟りです。悪いことは出来ませんよ」
と説明し始めた。
「そんな理窟はないでしょう」
「いや、恐ろしいものです。家庭の上へも悪の酬が明かに現れています」
「何ういう意味ですか?」
「長男が二十で死にました。次男も二十で死にました」
「はゝあ」
「操も来年はもう二十ですから、何うせ死にます」
「河原さん、飛んでもないことを仰有いますな」
「いや、私はその初め煩悶の余り、易者に見て貰いました。その時の判断が以来一々当っています」
「お子さんが成人しないとでも言われたのですか?」
「はあ、会津の娘は恐らく二十でしたろう」
「河原さん、然う迷信的にお考えになっちゃ駄目ですよ。人間は罪を悔い改めれば救われます。況してあなたはもう四十年間後悔していらっしゃるんですから」
と私は長く忘れていた基督教の贖罪説を持ち出して慰めた。実際、斯ういう人にジョンソン博士あたりの説教を聴かせたら有効だろうと思った。見す/\目の前で苦しみ悶えているのだが、私には何うも仕様がない。
それから老河原さんと私の間に長いこと沈黙が続いた。
「河原さん」
と老河原さんが面を上げた。
「何ですか?」
「私は斯ういう極重悪人ですから、この上何んな責苦を受けても辛抱します」
「悪人でも何でもありません。然う興奮なすっちゃいけませんよ」
「…………」
「僕は些っとも知らなかったんです」
「何をですか?」
「斯ういうお苦しいお話とも知らないで、つい御所望申上げて本当にお気の毒です」
「そんなことは構いませんよ」
「僕はもう失敬致しましょう」
と言ったものゝ、私は何うも直ぐに立ち兼ねた。
「河原さん」
と又老河原さんが呼んだ。
「何ですか?」
「私はもう何うなっても構いませんが、操を救って戴けませんでしょうか?」
「はあ?」
「操は私の娘にして置けば、来年二十で死にます」
「…………」
「河原さん」
「分りました」
「何とも厚かましいお願いですが、お考え願えましょうか?」
「操さんにその御意向がおありですかな?」
「なければ明日にも手放せます。こんな心配は致しませんよ」
「それではお言葉に従いましょう」
「お考え下さるか?」
「操さんを戴きます。あなたの迷信の為めでなく、操さんの為めに操さんを戴きます」
と私は即座に決心した。前途遼遠どころでない。戦争の話を聴きに行って、縁談を定めて帰った。
生活難
私は前途遼遠どころでなかった。話の始まったのが九月末、一月間を置いて、十一月三日天長節の佳辰に結婚してしまった。
「年を越せば二十で、操は命が危いんです」
と老河原さんが目の色を変えて急き立てるから仕方がない。斯う書くと、厭なものを無理に押しつけられたように取れるが、決して然うではなかった。先学期七十点だった操さんの評点が暑中休暇中八十点に改まり、九月帰任してから、九十点から九十五点に上っていたのである。これは妻が読むといけないから、特に認めて置く。十人の子持でいながら、時代思潮にかぶれて、未だに夫婦愛なぞということを口やかましく説く。
窃かに念がけていたところだったから、私も手っ取り早かった。話の始まった翌日、同僚中で一番懇意の柴田君を訪れて仲人を頼むと共に、もう一方郷里の両親へ手紙を書いて許可を求めた。柴田君は、
「道理で君は頻りに老河原のところへ押しかけると思ったよ」
と予定の行動のように解した。
「決してそんな意味じゃなかったけれども」
「何とか言っている」
「全く偶然さ。いや、君も関係がある」
「何故?」
「昨日の会の余興最中、君が『老河原さんを見給え、涙をホロ/\こぼしている』と言ったろう」
「うん」
「僕はあれから帰りに、『琵琶がお好きですか?』って訊いたんだ」
「然うしたら?」
「あゝいう語り物は身につまされると言ったから、戦争の功名談を承わりたいと此方は冗談の積りだったが、今晩いらっしゃいって、先方は何処までも本気さ」
「成程」
「功名談が身の上話になって、それから急転直下、縁談だ。娘を貰ってくれと言って河原さんは泣き出した。君、河原老人はあれでも人を切っているよ」
「脚だろう?」
「いや、本当にやったんだ」
と私は会津の娘のことを話した。消息通の柴田君もこれ丈けは初耳だった。河原さんは誰にも打ち明けずに、独りで煩悶していたと見える。
「ふうむ」
「驚いたろう?」
「よくよくの腰抜武士だね。稀に切れば女で、それに一生祟られるなんて」
「無論強い方じゃないさ。しかし以来四十年間後悔を続けているところは感心じゃないか?」
「中途半端だよ。それぐらい申訳がないと思うなら、腹を切るなり出家をするなり、もっと徹底的にやれば宜い」
「人のことだと思って、簡単に片付けるね。それが出来ないから煩悶しているのさ」
「しかし君、老河原の煩悶や迷信は全く別問題として考える方が宜いぜ」
「うむ」
「単に縁談として慎重に研究しなければいけない」
「無論その積りさ」
「僕は好い縁談だと思っている」
「それで、もう取定めて来たんだよ」
「何あんだ。僕の分別を借りに来たんじゃないのか?」
「顔を借りに来たんだ。仲人になってくれ給え」
「よし。引受けた。実は僕も折を見て勧めたいと思っていたところだ」
と柴田君は快諾してくれた。
父親からは、
「……其許の気に入りしものなれば当方に異存も無之次第ながら、余り颯急のことにて聊か不安を感じ申候。先方の氏素性は無論充分御調査のことと存候が、如何に候哉。尚お条件として是非年内に挙式の必要有之旨、如何の次第に御座候哉。母も案じ居候間、委細の事情お包み無之お知らせ被下度候云々《くだされたくそうろううんぬん》」
と問い返して来た。私は河原老人の経歴から迷信を詳しく書き認めて誤解のないように願った。父親はそれで納得してくれたが、母親は取越苦労ばかりする。
「……えりにえって然ういう因縁つきの娘さんを貰うことは考えものと存申候。死霊は執念深きものにて候。河原姓から河原姓へ嫁したのでは全く同姓ゆえ、矢張り堪忍致さぬことゝ存申候。つまり取り殺すことゝ存申候。取り殺さぬまでも、祟りにて、子供が出来ぬことゝ存申候。万一出来ても、祟りにて、育たぬことゝ存申候。村にもその例有之候。御存知の通り、蔦屋は上から順々に取られ申候。万一育ちても、祟りにて、香しきものには相成るまじく存申候。この辺のこと何卒よく/\お考え被下度候」
と父親に内証で注意して寄越した。
式には両親が遠路を遥々来てくれた。婿も嫁の父親も仲人も皆同じ学校に勤めている関係から、校長初め同僚全体が列席して、ナカ/\賑かな披露だった。一世一代のことだから、私はその折の光景を能く覚えている。老河原さん夫婦は涙を流して喜んだ。此方でも母親が泣いていた。その後度々結婚式に招かれて目撃したことだが、母親は大抵泣く。感極まるほど嬉しいものと見える。校長が同僚を代表して祝辞を述べた後、
「序をもって、私は一個人として新家庭に円満法を一つ餞け致したい」
とやり出した。これが私達新夫婦に多大の感銘を与えた。以来お蔭をもって至極円満に暮しているから、私も序をもって、校長の言葉をそのまゝ広く天下の新家庭へお裾分けしよう。
「私達夫婦は結婚後二十四年、来年はもう銀婚式であります。その間夫婦喧嘩というものを一遍もしたことがありません。至って円満な生活を続けています。しかしこれは私なり家内なりの人格が高いからでもなく、特に修養が深いからでもありません。単に新婚当時の約束によるのであります。その折、私は家内に、『私は気の短い性分だから、時々憤るかも知れない。しかし私が憤った時、お前は決して憤っちゃいけない』と斯う申しました。家内は承知してくれましたが、同時に『私も気をつけますが、長い月日の中には、矢張り憤ることがないとも限りません。しかしその時丈けは、あなたも決して憤らないで下さい』と斯う申しました。要するに、双方全く同じ註文です。そこで私達は何事があっても夫婦同時に憤らないという家憲を拵えました。これを今日に至るまで忠実に守っています。独り相撲は取れません。従って夫婦喧嘩というものがありません。何うですか? 新郎の河原君」
と校長はこゝで私を呼んだ。
「結構な御教訓でございます」
と私は尠からず慌てた。披露式の席上で新郎に念を押す例は恐らく他にあるまい。
「夫婦同時に憤らないこと。これを御実行下さいますか?」
「はあ」
「一つ証の為めに手を挙げて見せて下さい」
と校長は教室と間違えている。私が手を挙げたら、一同拍手喝采した。
「新婦の操さん」
「…………」
「夫婦同時に憤らないこと。これを御実行下さいますか?」
「…………」
「一つの証の為めに手を挙げて見せて下さい」
と校長は少し酔っていたのかも知れない。妻は真赤になって手を挙げた。皆又拍手大喝采だった。これが身に沁みたのか、私達は夫婦喧嘩をしたことがない。半年ばかりたつと、無論双方ソロ/\我儘が出始めた。お互に塗りが剥げて木地が現れること止むを得ない。私は時折憤って、
「そんなことじゃ困るじゃないか?」
とプリ/\する。
「あなたは早いのね」
「何が?」
「今度こそ私、憤ろうと思っていたら、先に憤ってしまうんですもの」
と妻はもう憤ることが出来ない。私は先手々々と取った。その為め、可なり我儘だけれど、風波の立つことがない。妻も時には脹れっ面をする。しかしその折は、
「おや/\、機先を制したな」
と思って、私も省る。常に無理を通しているのだから、稀には譲ってやる。妻は天下晴れてプン/\憤れるから頗る得意だが、此方が相手にならないので気抜けがして、間もなく笑顔に戻る。
私達は多産の夫婦だった。十一月に結婚して、翌年の秋に長男が生れた。以来一年置き若しくは毎年人口が増殖して十人に達した。双子丈けは生まなかったが、三番目も四番目も年子だった。錚々館へ独身で来た私は、五年勤めて四国へ転任する時、夫婦二人に子供が三人になっていた。
「一番お若いですな」
と褒められた男も、次の任地では、
「ナカ/\大勢さんですな?」
「はあ。三人あります」
「それは/\。いや、それにしてはお若いです」
ともう条件がついた。
未だ三十にはならなかったが、私はこの辺で頭の発達が止まってしまったように思う。以前は学問に多少野心があったけれど、四つ二つ一つと泣くのが揃っていては、もう勉強どころでない。私は殊に騒々しいことが嫌いだ。妻の外に手がないから、自然加勢をする。昔は子供を抱いている同僚を見ると向上心がないように思って心窃かに侮ったものだが、それが自分の身の上へ廻って来た。家へ帰ると忙しい。
「操や」
「何でございますか?」
と何方も小さいのを抱いていての応対だ。
「お母さんが心配していたけれども、全くアベコベだったね」
「えゝ」
「実に能く生れる」
「オホヽ」
「それに皆丈夫だ」
「でも御勉強が出来なくてお気の毒ね」
「何あに、仕方がないさ。何処でも然うらしいよ」
「あなた」
「何だい?」
「私、お気の毒だと思って、未だ申上げませんでしたが……」
「何だ?」
「又少し……」
「え?」
「何うも然うらしいのよ」
「ふうむ」
「今からですと、又年子ですわ」
「驚いたなあ。おや/\、おシッコだよ」
と私も溜まらない。
四国に三年いる中に又二人生れて、中国へ転任した。子供は毎年又は一年置きに殖えるけれど、俸給の方は三年ぐらいたゝないと上らないから、兎角生活が苦しくなる。上ったところを又上って転任することに心掛けた。当時、九州にも好い口があった。それは仲人の柴田君の周旋で、有名な温泉町の中学校だった。土地がらだから、物価は少し高いが、借家にも温泉が引いてある。もう一級上るまで湯治をする積りで行って見ないかという勧誘だった。
「温泉場なんて困りますわ」
と妻は頭から反対した。
「子供の教育の為めに面白くないかね?」
「それもありますが、温泉は温まりますわ。無学ね、あなたは」
「何だい?」
「唯さえ生れるんですからね、私の身体は」
「成程」
「毎日温泉なんかに入っていて御覧なさい。双子が生れますよ」
「おい。お前は憤っているのかい?」
「えゝ」
「それじゃ仕方がない」
と私は温泉場を諦めた。元来子供に追われての転任だから、この上生れる可能性のあるところでは仕方がない。
中国では、
「河原君は大関だ」
という折紙がついた。もう若いとも秀才だとも言ってくれない。単に子供の数が注意を惹く。尤もそこに三年いる間に又二人生れた。二人生むと一級上る。上ったところで又上って転任するから割合は好いのだが、後が続々生れるので相変らず苦しい。
和歌山名古屋と歩いて、子供の数が十人に達した時、私は考えた。無論その前にも度々考えたことは考えたが、その中に何うにかなるだろうと思っていたのである。
「操や」
「何でございますか?」
「これは到底やり切れないよ」
と私は或晩腕を拱いた。もう赤ん坊を抱いていない。男女取り交ぜて十人あるから、大きい奴等が相応役に立つ。
「私、もう大丈夫の積りでございますけれど」
「未だ生む気だったのかい?」
「オホヽ」
「何が可笑しい?」
「まあ」
「笑いごとじゃないよ」
「あなたは憤っていらっしゃるの?」
「うむ」
「何がお気に召しませんの?」
「子供が多過ぎる」
「そのことなら、あなたよりも私の方が余っ程憤りたいくらいよ」
「何故?」
「次から次と生んでばかりいて、ナリも形もないじゃございませんか? 余所の奥さん方のように、物見遊山に出るではなし……」
「操!」
「何でございますか?」
「その態度は何だ?」
「…………」
「俺はもう憤っていると言って断っている。お前は文句を言っちゃいけない」
「はい」
「ニコ/\笑っていなさい」
「今笑いごとじゃないと仰有ったじゃありませんか?」
「口答えをしちゃいけない。俺が先に憤っているんだから」
「はい」
と妻は約束だから仕方がない。
「考えて見ると、迚もやり切れない」
「それじゃ何うなさいますの?」
「学校をやめようと思う」
「まあ!」
「恒男はもう十七だ。来年は高等学校へ入れなければならない」
「こゝの高等学校へ通わせれば宜いじゃございませんか?」
「高等学校は兎に角、今のような境遇じゃ大学へ出せない。その頃になって御覧。中学校女学校と下が続々だ。浩子も嫁にやらなければならない」
「私も考え出すと寝られないことがございますのよ」
「奏任待遇の先生がまさか子供を奉公に出す次第にも行くまい」
「はあ」
「教育家って変なものだね。人の子供の教育をしながら、自分の子供の教育が出来ない。尤も数を生み過ぎたかも知れないけれど」
「半分なら宜いんですけれど」
「いや、半分でもむずかしい。今の俸給じゃ迚も駄目だ」
「でも、およしになれば尚お駄目になりますわ」
「よして恩給を取る」
「恩給は三分の一でございましょう?」
「いや、東京の私立学校へ行って稼ぐんだ。恩給丈けが浮くよ。彼方は時間給だから、稼げば稼ぐ丈け余計取れる」
「心当りがございますの?」
「あるさ」
「月給は幾らぐらい?」
「月給じゃない。時間給だよ。一時間二円として、一週に三十時間教えれば、二三が六の六十円。四週間と見て、四六二十四の二百四十円さ。それに恩給が六十円と見て、合計三百円の収入になる」
「あなた、然うして戴きます」
「今直ぐって次第には行かない」
「来月からでも宜うございますわ」
「夏休みに行って運動して来る」
と私は方針を変えることに決心した。
丁度その頃、赤羽君が訪れてくれた。但し家へ来たのでなく、旅館から学校へ電話をかけて、私に出頭を命じたのである。昔は兎に角、今は身分が違うから仕方がない。
「赤羽だよ。赤羽明。群馬県の産」
と名乗り丈けは昔の通りだった。
「はあ/\。赤羽君ですか?」
「うむ」
「それは/\。珍らしいですな」
「シナ忠にいる。直ぐやって来ないか?」
「上りましょう。丁度授業が終ったところです」
と私は何うしても対等の調子が出なかった。貧乏していると金力の威圧を感じ易い。シナ忠旅館に出頭した私の背広姿は見すぼらしかった。田舎町だと中学校の奏任教諭は相応顔を見知られているが、名古屋辺では保険の勧誘員ぐらいにしか扱われない。私は応接間へ通されたきり一時間近く待たされた。先客が二人控えていたから順番で赤羽君の部屋へ呼び出される。
「やあ、待ったぜ」
と赤羽君が言った。
「僕こそ待ったよ」
「何処で?」
「応接間で」
「早く然う言えば宜いのに。今の連中は勝手にやって来たんだ。有象無象が詰めかけて困るんだよ」
「ふうむ」
と私は感心して、
「久しぶりだね」
と直ぐに寛いだ。
「死んでいるか生きているかと一寸思いついたんだよ」
「御無沙汰した」
「いや、僕こそ」
「忙しいだろう?」
「うん」
と赤羽君は気がついたように、
「若月」
と呼んだ。次の間から立派な紳士が現れて、平身低頭した。
「もう誰にも会わないから、その積りで」
「はあ」
「君も、もう宜い」
「はあ」
「寛いで自由にやってくれ給え」
「はあ」
「宜しい」
「はあ」
と紳士は返辞毎にお辞儀をして退いた。赤羽君よりも悧巧そうな顔をしているが秘書らしかった。
「十八年ぶりだね」
と私は言った。錚々館へ赴任する時、神戸の駅で会って以来、御無沙汰を続けていたのである。初めはその折の見すぼらしい態が気の毒で手紙をやらなかったが、先方からも寄越さないから、お互っこで七八年過ぎた。次に赤羽君の成功を聞き知ってからは羽振が好くなったからだと思われるのが業腹で矢張りそのまゝにしていた。
少時話し込んだ後、
「子供は何人ある?」
と赤羽君が訊いた。
「十人あるよ」
「十人?」
「うむ」
「拵えたものだね。ハッハヽヽ」
「君は何人だい?」
「五人だよ。男ばかりだ。君のところは?」
「丁度半々だ」
「君に似て皆成績が好いんだろう?」
「さあ。親の苦労を毎日目に見ている所為か、勉強丈けは能くしてくれる」
「僕のところの奴は怠けて仕方がない。それに皆雁首が悪い」
「そんなこともなかろう」
「いや、妻に似ると好かったんだが、皆僕に似たんだ。迚も好い筈がないよ」
と赤羽君は大いに主張した。この辺は昔と変らない。
「君は学園へ講堂を寄附したってね?」
「うん」
「心掛が好いや」
「何あに、あれは、ハッハヽヽ」
「何うしたんだい?」
「妻の面当てだよ。僕が三万円で芸者を引かせたって噂が立ったのさ。噂だよ、君」
「うむ」
「事実無根だ」
「大いに弁解するね」
と私は皮肉ってやった。
「君は教育家だからさ」
「それからどうしたんだい?」
「妻の奴、大に憤慨してね、間もなく学園から何とかって先生が勧誘に来た時、家には要らない金がありますからって、独断でやってしまったんだ」
「成程」
「今更後へも引けなかったのさ」
「すると寄附金も有難味がなくなるね」
「当り前さ。卒業の時に因縁をつけた上、世話もしないでおっ投り出すんだもの。君は僕が学園に好意を持っていると思うのかい?」
と赤羽君は腕捲りをした。恨骨髄に徹している。
「しかし君は評議員じゃないか?」
「あれは彼方で勝手にしたんだ。又引き出す料簡だろう」
「東京へ越すんだってね? この間学報で見た」
「もう越したよ。今度来たら、寄ってくれ給え」
「実は僕も東京へ帰ろうと思っている。いつまでも田舎にいると子供の教育が出来ない」
と私は最近の決心を打ち明けた。
「一体、君はこゝで幾ら貰っているんだ?」
「そんなことは訊いてくれるな」
「何故?」
「迚もお話にならないんだ」
「しかしもう教頭だろう?」
「教頭の次さ」
「それじゃ三百円も貰っているのか?」
「何うして/\」
「ふうむ」
「何しろ十人だからね。校長になったって追っつかない」
「そんなに苦しいなら、僕が何とかしようか?」
「宜いよ」
「君のことだから小理窟があるだろうな。しかし見す/\困るんじゃないか?」
「東京へ行って私立学校を稼ぐさ」
「それじゃ君、東京の口を僕に探させろ」
「畑違いじゃないかい?」
「手を廻すよ。会社の口だとお手のものだが、何うにかなる積りだ」
「誰か校長を知っているのかい?」
「知らん。しかし私立学校には金主ってものがある」
「それはある筈だね」
「僕のところへは種々《いろいろ》なことを持ち込んで来る奴が毎日二人や三人はあるんだから、交換条件で行くよ。しかし幾ら取れば宜いんだい?」
「さあ」
「三百円じゃ何うだい?」
「恩給を合せて、それぐらい見当をつけている」
「恩給は幾ら取れる?」
「五十円か六十円だろう」
「それじゃ恩給を五十円と見て、僕が百円出す」
「君からは貰わない」
「いや、僕の子供を頼む。雁首も好くないんだが、実は家庭教師も好くないんで困っている。君と僕とは昔からの親友だ。まさかお互に見殺しは出来まい。何うだい? 僕の子供の面倒を見てくれるか?」
「東京へ行くようになれば、無論都合をつけるよ」
「それじゃ残余の百五十円口を探せば宜いんだ。何だい? 簡単明瞭じゃないか?」
と赤羽君は独りで呑み込んでいた。
しかし間もなくこれが実現された。私は赤羽君の肝煎で神田のオリエンタル英語学校というのに百円の口を得た。恩給と家庭教師の報酬を力に、その夏辞表を出して上京した。途中、両親を拉して孝養を尽す積りで、郷里に寄ったが、子供が十人あっては矢張り思うに委せない。三四日滞在している中に、母親から愛想を尽かされてしまった。
「お母さん、皆可愛い子でしょう?」
と私は賞讃を要求した。
「可愛いことは可愛いよ」
「お母さんは子供が生れないだろうと仰有ったけれど、この通りです。あんなことは迷信ですよ」
「いゝえ。私が行者に頼んで除けをしたからですわ」
「はゝあ、少し利き過ぎましたね」
「十人生れて一人も欠けないなんてことは滅多にありませんよ。私は降っても照っても毎日八幡さまへお詣りをしますからね」
「はゝあ、それも利いているんでしょう」
「耶蘇になったからって氏神さまを棄てるようじゃ駄目ですよ。皆してお礼詣りに行っていらっしゃい」
と母親は信心家だ。私は早速妻子を連れて出掛けた。途中数名の知った顔に出会った。その中に小学校時代の喧嘩相手国分君がいた。挨拶は交したものゝ、私達をやり過してから、
「耶蘇の会かやあ? それとも皆友さんの子かやあ?」
と大きな声で同伴の男に言った。或は諢ったのでなくて、本当に然ういう疑問が起ったのかも知れない。或日、母親が、
「友一や、お前は能く学校が勤まるね?」
と訊いた。
「何故ですか?」
「家の中がまるで運動会のようですもの。私は頭が痛くなってしまいますよ」
「大勢でさぞ御迷惑でしょう」
「可愛いには可愛いけれど、私は迚も東京へなんか行けませんよ」
「それは困りましたな。お父さんは何ういうお考えでしょうか?」
「もう少し長生をしたいって言っていますわ」
「それじゃ仕方がありませんなあ。あゝ/\、子供が多いと親孝行が出来ない」
「別にしなくても宜いよ。これ丈けの子供を育て上げるのが大きな親孝行です」
「然う思って下さると、私も嬉しいです」
と私は有難く感謝した。
それから五年になる。早いものだ。長男は帝大へ通っている。長女は高女を卒業して家事の手伝いをしているが、下に中学生が二名、女学生が二名、小学生が二名、学校へ行かないのが二名という勘定になる。長いこと嶮しい坂を登って来たが、峠は寧ろこれからだ。親父たるものが稼がざるを得ない。最近仲人の柴田君が校長会議に上京して立寄った時、
「君は実際豪いよ」
と言って褒めてくれた。
「稼がなければ、これ丈けの人数が干乾になるから仕方がないんだ」
「それにしても感心だよ」
「何あに、自分じゃ平気だ。これが当り前だと思っている」
「一体何時間やっているんだね?」
「然うさね」
と私は直ぐに答えられない程やっている。
「昼間の学校が二軒で三十六時間。夜学校が一晩置きで九時間、両方で一週四十五時間さ」
「大変だね。僕の方の先生の三倍、いや、二倍半だ」
「それから日曜講習が午前午後で四時間」
「すると四十九時間じゃないか?」
「家庭教師が一晩置きで、これは六時間だろうね、精々」
「おや/\。未だあったのかい」
「悉皆で五十五時間さ。あゝ、未だある。余暇に著述をやっているよ」
「然う/\。この間は和文英訳の本を有難う。五十五時間もやって、能くあんな面倒なものを書く余暇があるんだね」
「夜十時頃に帰って来て、十二時まで書くのさ。教えるのとは別なんだから変化になる」
「精力絶倫だな」
「いや、仕方なしだよ。しかし宜くしたもので、子供の為めだと思うと、一向苦にならない」
「好い心掛だ」
と柴田君は益※ 感心した。
「僕はこの頃昼間の学校でゴールドスミスのヴィカーを教えているが、あの冒頭に千古の真理が書いてある」
「何んなことだい? 僕も読んだことがあるが、忘れてしまった」
「僕は暗誦している。I was ever of opinion that the honest man who married and brought up a large family ……」
「面倒だから翻訳をしてくれ給え」
「女房を貰って大勢の子供を育てる律義者は独身でいて人口論をやる奴よりも余計社会に貢献するというのさ」
「成程」
「ナポレオンはナポレオン、凡人は凡人さ。お互は子供を立派に育て上げる外に何も能がないようだ」
「御道理だ。しかし錚々館時代から見ると、君もひどく思想が穏健になったね。年の所為だろうか?」
「いや、悟ったんだよ。寧ろ子供に悟らせられたんだよ」
と私は十人の子供を夫れ/\一人前に育て上げるのが手一杯だ。何うもそれ以上の天分を授かって来たものとは思えない。二十年間の体験が然う教えている。凡人の非凡事はせめて己を凡人と悟ることだ。そこに聊かながら安心と立命がある。
青空文庫より引用