とんぼの眼玉
はしがき
山火事焼けるな、ホウホケキヨ、
可愛いい小鹿が焼け死ぬぞ。
これは春の暮、夏のはじめの頃に、夕方かけて、赤い山火事の火の燃える箱根あたりの山を眺めて、この小田原の町の子供たちが昔歌つた童謡の一つだと申します。
昔の子供たちはかういふ風におのづと自然そのものから教はつて、うれしいにつけ悲しいにつけ、いかにも子供は子供らしく手拍子をたたいて歌つたものでした。
それが、この頃の子供たちになると、小さい時から、あまりに教訓的な、そして不自然極る大人の心で咏まれた学校唱歌や、郷土的のにほひの薄い西洋風の飜訳歌調やに圧えつけられて、本然の日本の子供としての自分たちの謡を自分たちの心からあどけなく歌ひあげるといふ事がいよいよ無くなつて来てゐるやうに思ひます。
今の子供たちはあまりに自分の欲する童謡やその他を、その学校や親たちから与へられて居りません。それは今の世の中があまりに物質的功利的であるからでもあります。
私たちの子供の頃は今から考へましても、それはなつかしい情味の深いものでした。あの頃子供であつた私たちがいかほど大人になりましても、いつまでも忘れられないのは、幼い時母親や乳母たちからきいたあの子守唄の節まはしです。
でんん太皷に笙の笛のあの「ねんねのお守は何処へ行た。」や、山では木のかず萱のかず、天へのぼつて星のかずの「坊やのかはいさ限りない。」や、十三七つの「お月さま」や、十五夜お月さま見て跳ねるのあの「うウさぎ兎」や、こつちの水は甘いぞ、あつちの水は苦いぞの「赤い帽子の蛍」や、一羽の雀が云ふことにのあの「三羽の小さな雀」の謡や、思ひ出せば数かぎりもありません。
あの野山の木萱のそよぎからおのづと湧いて出たと云ふ民謡や、かうした純日本の童謡やが、次第に廃れてゆく心細さはありません。私は一方にさうしたいつまでも新らしい、而かも日本人としての純粋な郷土的民謡を復興さしたいと云ふ考を持つてゐますにつれて、おなじやうにかうした童謡をも今の無味乾燥な唱歌風のものから元の昔に還さなければならないと思つてゐます。さうしてその本然の心を失はないで、さらに新らしい今の日本の童謡をもその上に築き上げなければならないと願つてゐます。
私がかういふ心から童謡に興味を持ち出したのも随分と古い事でした。おそらく今の詩人たちの中でも私がいちばん古くから手をつけたのでないかと思ひます。それに私の曾つて公にしました抒情小曲集の「思ひ出」あたりにも随分と童謡味の勝つたものが載せられてあります。この集の中でも「曼珠沙華」の一篇はその「思ひ出」の中から抜いたのでした。外にもいろろありますが、幾分子供たちに読ませるには大人びすぎるので差控えました。
「南京さん」「屋根の風見」の二篇も七八年前に作つたのです。その外は皆新らしいものです。
昨年から丁度折よく、お友だちの鈴木三重吉さんが、子供たちのためにあの芸術味の深い、純麗な雑誌「赤い鳥」を発行される事になりましたので私もその雑誌で童謡の方を受持つ事になつて、それでいよいよかねての本願に向つて私も進んでゆけるいい機会を得ました。
これらの童謡はおほかたその「赤い鳥」で公にされたものですが、今度改めて今までの分を一まとめにして出版する事になりました。これを第一輯として、これからも次ぎ次ぎに刊行するつもりでゐます。それに私自身のものばかりでなく、いろろの国々の童謡をも御参考のために手をつけて訳して見たいと考へて居ります。
私の童謡はただ美しいとか上品とか云ふばかりを主にして居ますのではありません。それに多少物心のついた十三四歳以上の少年少女たちの謡ひものとしてよりも、それ以下の子供たちに読ませるもの、それには素朴な混り気のない子供の感覚といふこと、さうした溌剌とした感覚に根ざしたあるものから、素裸な子供の心を直接にうつ、さうしたものをと心がけて居りますのです。
ほんたうの童謡は何よりわかりやすい子供の言葉で、子供の心を歌ふと同時に、大人にとつても意味の深いものでなければなりません。然し乍ら、なまじ子供の心を思想的に養はうとすると、却つて悪い結果をもたらす事が多いのです。それであくまでもその感覚から子供になつて、子供の心そのままな自由な生活の上に還つて、自然を観、人事を観なければなりません。
子供の感覚が、どんなに鋭く、新らしいか、生きてゐるかと云ふ事について、一例をあげますと、子供はあの陰鬱な灰色の空から、初めて鮮かな白い雪の粉がチラチラと降り出しでもして来ますと、それは喜び勇んで、小躍りしながら、かう歌ひます。
雪花ふるわな、
空に虫が湧くわな、
扇腰にさいて、
きりりつと舞ひましよ。
これを大人に咏ませると、「雪は鵝毛に似て飛んで散乱し。」と歌ひます。子供は空に湧く白い粉雪の一片一片を今生れたばかりの活きた羽虫の一匹一匹として喜び、大人は死んだ鵝鳥のそのむしり散らした羽毛の一片一片に譬へて観賞します。子供の感覚は活きて動き、大人の感覚はその智慧から先づ盲にされて死んで了つてゐます。大した違ひではあるまいかと思ひます。
子供に還ることです。子供に還らなければ、何一つこの忝い大自然のいのちの流をほんたうにわかる筈はありません。
「子供は大人の父だ。」と申す事も、この心をまさしく云つたものに外なりません。私たちはいつも子供に還りたい還りたいと思ひながらも、なかなか子供になれないので残念です。
私の童謡に少しでもまだ大人くさいところがあれば、それは私がまだほんたうの子供の心に還つてゐないのです。さう思ふと、子供自身の生活からおのづと言葉になつて歌ひあげねばならぬ筈の童謡を大人の私が代つて作るなどと云ふ事も私には空おそろしいやうな気がします。然し、私たちから先づ、その子供たちのさうした歌ごころを外へ引き出してあげる事も必要だと思ひます。さういふ心で私は童謡を作つて居りますのです。
私もこれから努めます。だんだんとほんたうの子供の心に還るやうに、ほんたうの童謡をも作れるやうに。
私はいま小田原のとある山の上に木兎の家といふお伽噺の中にあるやうな幼びた小さな家を自分でこしらえて、花を育てたり野菜を栽ゑたりして住つてゐます。子供たちも随分と遊びに見えます。私はその罪のない子供たちの笑ひ声の中に交つて、いつも童謡の中の世界で子供らしく遊んでゐます。どなたでもお子さんのある方は御一緒にお遊びにいらして下さるやうに。
大正八年九月
相州小田原木兎の家にて
白秋
とんぼの眼玉
蜻蛉の眼玉
蜻蛉の眼玉は大かいな、
銀ピカ眼玉の碧眼玉、
円るい円るい眼玉、
地球儀の眼玉、
忙しな眼玉、
眼玉の中に、
小人が住んで、
千も万も住んで、
てんでんに虫眼鏡で、あつちこつち覗く。
上向いちやピカピカピカ。
下向いちやピカピカピカ。
クルクル廻しちやピカピカピカ。
玉蜀黍に留れば玉蜀黍が映る。
雁来紅に留れば雁来紅が映る。
千も万も映る。
綺麗な、綺麗な、
五色のパノラマ、綺麗な。
ところへ、子供が飛んで出た、
黐棹ひゆうひゆう飛んで出た。
さあ、逃げ、
わあ、逃げ、
麦稈帽子が追つて来た。
千も万も追つて来た。
おお怖、
ああ怖。
ピカピカピカピカ、ピッカピカ、
クルクル、ピカピカ、ピッカピカ。
夕焼とんぼ
大きな、赤い蟹が出て、
藺草をチヨッキリちよぎります。
藺草の中から火が燃えて、
その火が蜻蛉に燃えついた。
蜻蛉は逃げても逃げきれぬ、
唐黍畑に逃げて来る、
唐黍の頭が紅なつた。
蓼の花に飛んで来る、
蓼の花にも火がついた。
野川の薄に留つた、
薄の穂さきも火になつた。
お庭の鶏頭にやすみませう、
鶏頭もいつぱい火事になる。
助けて下され焼け死ぬる、
蜻蛉は藺草に縋りつく。
蜻蛉の眼玉は円ござる、
くるくる廻せば山が見え、
山の中から猿が出て、
あつち向いちや、赤んべ、
こつち向いちや、赤んべ。
八百屋さん
大枇杷、小枇杷、
水蜜桃、葡萄、
苺や野菜、
お籠に入れて、
頭に載せて、
かつこ、かつこ、行けば、
薄紫の、
馬鈴薯畑の花盛り。
あちらでもかつこう、
こちらでもかつこう、
郭公が啼いて、
雨が霽れて、
田舎は涼しい涼しいな。
かつこう、かつこう、
私もいそいそ口笛吹いて、
足拍子とつて、
お靴でかつこかつこ、躍りませう。
かつこ、かつこ、かつこな、
たららら、らるら。
小母さん、今日は、
小父さん、今日は。
お祭
わつしよい、わつしよい、
わつしよい、わつしよい。
祭だ、祭だ。
脊中に花笠、
胸には腹掛、
向う鉢巻、そろひの半被で、
わつしよい、わつしよい。
わつしよい、わつしよい、
わつしよい、わつしよい。
神輿だ、神輿だ。
神輿のお練だ。
山椒は粒でも、ピリッと辛いぞ、
これでも勇みの山王の氏子だ。
わつしよい、わつしよい。
わつしよい、わつしよい。
わつしよい、わつしよい。
真赤だ、真赤だ、夕焼小焼だ。
しつかり担いだ。
明日も天気だ。
そら、揉め、揉め、揉め。
わつしよい、わつしよい。
わつしよい、わつしよい。
わつしよい、わつしよい。
俺らの神輿だ。死んでも離すな。
泣虫やすつ飛べ。差上げて廻した。
揉め、揉め、揉め、揉め。
わつしよい、わつしよい。
わつしよい、わつしよい、
わつしよい、わつしよい。
廻すぞ、廻すぞ、
金魚屋も逃げろ、鬼灯屋も逃げろ。
ぶつかつたつて知らぬぞ。
そら退け、退け、退け、
わつしよい、わつしよい。
わつしよい、わつしよい、
わつしよい、わつしよい、
子供の祭だ、祭だ、祭だ、
提灯点けろ、
御神燈献げろ、
十五夜お月様まんまるだ。
わつしよい、わつしよい。
わつしよい、わつしよい、
わつしよい、わつしよい。
あの声何処だ、
あの笛何だ。
あつちも祭だ、こつちも祭だ。
そら揉め、揉め、揉め。
わつしよい、わつしよい。
わつしよい、わつしよい、
わつしよい、わつしよい。
祭だ、祭だ。
山王の祭だ、子供の祭だ。
お月様紅いぞ、御神燈も紅いぞ。
そら揉め、揉め、揉め、
わつしよい、わつしよい。
わつしよい、わつしよい。
わつしよい、わつしよい。
のろまのお医者
蚊の声ぶんぶん。
ごろすけほう。
今夜はお盆の十六日。
お閻魔様の盆踊。
蛙の音頭で始めよか、
蛙の小母さん物云へぬ。
咽喉が腫れたか、腹痛か、
腹が痛けりや医者呼んで来う、
医者は何医者、かへろ医者。
蚊の声ぶんぶん。
ぱあくぱく。
空には紅いお月様、
小藪ぢやわんぐり蟾蜍。
今夜のお菜は旨ござる。
ところへ兎が飛んで来て、
もしもし、頼みぢや、早よお出で、
よしよし待たしやれ、今直ぐぢや。
お腹が減つてはどもならぬ。
蚊の声ぶんぶん。
雨しよぼしよ。
いそいで御座れよ間にあはぬ。
それではまゐろと、のつそのそ。
両手に洋杖、折鞄、
山高帽子でやつて来たが、
踊も済んだか声もなし。
こいつはしまつた、面目ない。
田圃はまつくら、暗闇。
蚊の声ぶんぶん。
ごろすけほう、
ごろすけほうこう、むだぼうこう。
お山ぢや梟が嗤ひ出す。
雨はざあざと降つて来る。
おやおやおやおや、こりやどうぢや。
目ばかりぱちくり、のろま医者、
のろくさ、困つて逃げこんだ。
お閻魔様の、そりや、縁の下、縁の下。
ほうほう蛍
ほうほう蛍、篠蛍、
昼間は赤い豆頭巾、
日暮はピカピカ、豆袴、
一のお宮で灯を貰ろて、
二の宮田圃へ灯とぼしに、
三の鳥居は藪の中、
四の宮くぐれば貉堀、
貉が啼き出しや、雨がふる、
早よ早よお戻り、夜は凄い、
真夜中過ぎれば帰られぬ。
ほうほう、蛍、篠蛍、
水神様はまだ遠い。
鳰の浮巣
鳰の浮巣に灯がついた、
灯がついた。
あァれは蛍か、星の尾か、
それとも蝮の目の光。
蛙もころころ啼いてゐる、
啼いてゐる。
ねんねんころころ、ねんころよ。
梟もぽうぽう啼き出した。
金魚
母さん、母さん、
どこへ行た。
紅い金魚と遊びませう。
母さん、帰らぬ、
さびしいな。
金魚を一匹突き殺す。
まだまだ、帰らぬ、
くやしいな。
金魚を二匹締め殺す。
なぜなぜ、帰らぬ、
ひもじいな。
金魚を三匹捻ぢ殺す。
涙がこぼれる、
日は暮れる。
紅い金魚も死ぬ、死ぬ。
母さん怖いよ、
眼が光る、
ピカピカ、金魚の眼が光る。
雨
雨がふります。雨がふる。
遊びにゆきたし、傘はなし、
紅緒の木履も緒が切れた。
雨がふります。雨がふる。
いやでもお家で遊びませう、
千代紙折りませう、たたみませう。
雨がふります、雨がふる。
けんけん小雉子が今啼いた、
小雉子も寒かろ、寂しかろ。
雨がふります。雨がふる。
お人形寝かせどまだ止まぬ。
お線香花火もみな焚いた。
雨がふります。雨がふる。
昼もふるふる。夜もふる。
雨がふります。雨がふる。
赤い帽子、黒い帽子、青い帽子
ここは谷川、丸木橋。
赤い帽子をかぶつた子供、
黒い帽子をかぶつた子供、
青い帽子をかぶつた子供。
渡るにやあぶなし、戻られず。
みんなが前向き、一、二、三、
みんなが後向き、一、二、三。
赤い帽子は笑ひ出す、
黒い帽子は泣き出す、
青い帽子は怒り出す。
みんながびくびく、一、二、三、
みんながぶるぶる、一、二、三。
南京さん
李さん、鄭さん、支那服さん、
あなたの眼鏡はなぜ光る、
涙がにじんで日に光る。
鳥屋の硝子も日に光る。
目白、カナリヤ、四十雀、
鶉に文鳥に黒鶫、
鳥もいろいろあるなかに、
おかめ鸚哥はおどけもの、
焦れて頓狂に啼きさけぶ。
さてもいとしや、しをらしや、
けふも入日があかあかと
わかい南京さんは涙顔。
曼珠沙華
ゴンシヤン、ゴンシヤン、何処へ行く。
赤いお墓の曼珠沙華、
曼珠沙華、
けふも手折りに来たわいな。
ゴンシヤン、ゴンシヤン、何本か。
地には七本血のやうに、
血のやうに、
ちやうどあの児の年の数。
ゴンシヤン、ゴンシヤン、気をつけな。
ひとつ摘んでも、日は真昼、
日は真昼、
ひとつあとからまたひらく。
ゴンシヤン、ゴンシヤン、何故泣くろ。
何時まで取つても曼珠沙華、
曼珠沙華、
恐や、赤しや、まだ七つ。
註 ゴンシヤンは九州の柳河といふ町の言葉で、お嬢さんといふことです。
ちんころ兵隊
ちんころ、ちんころ、ちりちりちん、
ちりちり、ちんころ、ちりちりちん。
ちんころ兵隊、喇叭卒、
てとてと、鉄砲も肩にかけ。
ちんころ、ちんころ、ちりちりちん、
ちりちり、ちんころ、ちりちりちん。
それそれ、いくさに出かけませう、
尖がり帽の緋房も伊達ぢやない。
ちんころ、ちんころ、ちりちりちん、
ちりちり、ちんころ、ちりちりちん。
いやいや、いくさは、飴ほしい、
お腹がすいては歩まれぬ。
ちんころ、ちんころ、ちりちりちん、
ちりちり、ちんころ、ちりちりちん。
ちんころ兵隊、赤胴衣、
飴屋のお鉦で泣き出した。
ちんころ、ちんころ、ちりちりちん、
ちりちり、ちんころ、ちりちりちん。
とほせんぼ
赤い赤い鳳仙花。
白い白い鳳仙花。
その中くぐつて通りやんせ。
赤い花ちるよ。
白い花ちるよ。
いやいや、おまへは通しやせぬ。
りすりす小栗鼠
栗鼠、栗鼠、小栗鼠、
ちよろちよろ小栗鼠、
葡萄の房が熟れたぞ、
啼け、啼け、小栗鼠。
栗鼠、栗鼠、小栗鼠、
ちよろちよろ小栗鼠、
あつちの尻尾が太いぞ、
揺れ、揺れ、小栗鼠。
栗鼠、栗鼠、小栗鼠、
ちよろちよろ小栗鼠、
ひとりで飛んだらあぶないぞ、
負され、負され、小栗鼠。
山のあなたを
山のあなたを
見わたせば、
あの山恋し、
里こひし。
山のあなたの
青空よ、
どうして入日が
遠ござる。
山のあなたの
ふるさとよ、
あの空恋し、
母こひし。
ねんねのお鳩
ねんねん、ほろろん、ねんほろよ。
坊やはよい子だ、ねんねしな。
ねんねのお鳩が歌ひませう。
泣かずに、ほろほろ、ほろりこよ。
坊やは乳が無し、母もなし。
雪はふるふる、夜は長し。
ねんねんほろろと啼いたとて、
どうして、お鳩よ、眠らりよか。
赤い鳥小鳥
赤い鳥、小鳥、
なぜなぜ赤い。
赤い実をたべた。
白い鳥、小鳥、
なぜなぜ白い。
白い実をたべた。
青い鳥、小鳥、
なぜなぜ青い。
青い実をたべた。
鳥の巣
あれ、あれ、なアに。
ありや、鳥の巣よ。
あの巣をとろか。
あの木は高い。
あの山のぼろ。
あの山寒い。
なぜぜ寒い。
夕焼が寒い。
まだ空赤いに。
それでも、風はさアむいよ。
なつめ
棗。棗。
赤い棗。
盗んだ棗。
この棗どうしやう。
食べれば怖い、
見せれば叱る、
棄てるは惜しい。
鸚哥にあげよ、
鸚哥は逃げる。
鴉にあげよ、
鴉は睨む。
七面鳥にやつたれば、
怒つた怒つた、真赤になつて怒つた。
怖い棗、
盗んだ棗、
お手々に入れて、
袂に入れて、
帰つて寝たら、
棗がぶんぶん鳴り出した。
蜂になつた、蜂になつた、
棗がいつぱい螫しに来た。
怖い棗、
怖い棗。
うさうさ兎
てんてん手毬、
おててん手毬、
手毬の中に、
何がゐて跳ねる。
てんてん手のなし、
めんめん眼のなし、
みんみん耳のなし、
うさうさ兎の子が跳ねる。
一つ追ひ出そ。
二つ追ひ出そ。
三つ追ひ出そ。
四つ追ひ出そ。
五つ追ひ出そ。
六つ追ひ出そ。
七つ追ひ出そ。
八つ追ひ出そ。
九つ追ひ出そ。
手毬てんてん、雪こんこん、
遠いお山の山奥へ、
十、たうとう追ひ出した。
屋根の風見
子を奪ろ、子奪ろ、
「鴻の巣」の窓に、
硝子が光る。
露西亜のサモワル、紅茶の湯気に、
かつかと光る。
江戸橋、荒布橋、
青い燈が点く……向うの屋根に、
株の風見がくるくるまはる。
晴か、曇か、霙か、雪か、
雲はあかるし、夕日は寒し、
七歳お店の長松さへも、
黒い前掛ちよいとしめて、
空を見上げちや真面目顔、
真面目顔。
鴻の巣とは西洋料理屋の名です。
かぜひき雀
草山越えて、野を越えて、
大きなお靴と小さなお帽子。
お家も見えたぞ、うんとこしよ、
大きな爺さんお靴を脱ぐと、
小さな婆さんお帽子を脱ぐと、
いつしよに草臥れ、ぐうぐうぐう。
空は赤い夕焼で、
雀も帰ろと、ふたりづれ、
よいもの見つけた、ちゆうちゆうちゆ、
婿さん雀はお靴へこそり、
嫁さん雀はお帽子へこそり、
いつしよに草臥れ、ぐうぐうぐう。
風が吹きます、月が出る、
白いお蕎麦の花の中、
あんまり寒いで目が醒めた。
爺さん、婆さんハックッシヨと云へば、
お靴の中でも雀がハックッシヨ、
お帽子の中でもハァハァハックッシヨ。
おやおや大変、風邪ひいた、
お山は雪で真白だ。
ハックッシヨ、、、ハァハァハックッシヨ、
ハックッシヨ、、、ハァハァハックッシヨ。
あわて床屋
春は早うから川辺の葦に、
蟹が店出し、床屋でござる。
チヨッキン、チヨッキン、チヨッキンナ。
小蟹ぶつぶつ石鹸を溶かし、
親爺自慢で鋏を鳴らす。
チヨッキン、チヨッキン、チヨッキンナ。
そこへ兎がお客にござる。
どうぞ急いで髪刈つておくれ。
チヨッキン、チヨッキン、チヨッキンナ。
兎ァ気がせく、蟹ァ慌てるし、
早く早くと客ァ詰めこむし。
チヨッキン、チヨッキン、チヨッキンナ。
邪魔なお耳はぴよこぴよこするし、
そこで慌ててチヨンと切りおとす。
チヨッキン、チヨッキン、チヨッキンナ。
兎ァ怒るし、蟹ァ耻ょかくし、
為方なくなく穴へと逃げる。
チヨッキン、チヨッキン、チヨッキンナ。
為方なくなく穴へと逃げる。
チヨッキン、チヨッキン、チヨッキンナ。
舌切雀
舌切雀はどこへ行た、
どこへ行た、
どれどれ探しに出かけませう。
雀のお宿はあれかいな、
あれかいな、
チヨッポリ小藪が山の蔭。
とんとんからりこ、とんからり、
とんからり、
中ではとんから梭の音。
お宿はここかとたづねたら、
たづねたら、
おおおお、お爺さん、ようお出で。
舌切雀のお土産は、
お土産は、
葛籠にいつぱい綾錦。
雀のお宿はどこかいな、
どこかいな、
爺さん私も行て見よか。
慾ばり婆のお葛籠は、
お葛籠は、
開けたらびつくりおオ化。
雀のお宿
笹藪、小藪、小藪のなかで、
ちゆうちゆうぱたぱた、雀の機織。
彼方でとんとん、
此方でとんとん、
やれやれ、いそがし、日がかげる。
ちゆうちゆうぱたぱた、ちゆうぱたり。
雀、雀、雀の子らは、
ちゆうちゆうぱたぱた、その梭ひろひ。
上へ行つたり、
下へ行つたり、
やれやれ、いそがし、日がつまる。
ちゆうちゆうぱたぱた、ちゆうぱたり。
青縞、茶縞、茶縞のおべべ、
ちゆうちゆうぱたぱた、何反織れたか。
朝から一反、
昼から一反、
やれやれいそがし、日が暮れる。
ちゆうちゆうぱたぱた、ちゆうぱたり。
物臭太郎
物臭太郎は朝寝坊、
お鐘が鳴つても目がさめぬ、
鶏が啼いてもまだ知らぬ。
物臭太郎は家持たず、
お馬が通れど道の端、
お地頭見えても道の端。
物臭太郎はなまけもの、
お腹が空いても臥てばかり、
藪蚊が螫しても臥てばかり。
物臭太郎は慾しらず、
お空の向うを見てばかり、
桜の花を見てばかり。
雉ぐるま
雉、雉、雉ぐるま、
お雉の背中に積むものは、
子雉、子々雉、孫の雉。
雉、雉、雉ぐるま、
お雉のくるまを曳くものは、
子鳩、子々鳩、孫の鳩。
雉、雉、雉ぐるま、
雉は子の雉、父恋し、
鳩は子の鳩、母恋し。
雉、雉、雉ぐるま、
雉はけんけん、鳩ぽつぽ、
啼いてお山を今朝越えた。
雉ぐるまの玩具は今でも筑後の清水寺の観世音で売つてゐます。この寺は行基菩薩といふ方の御開基です。
ほろろうつ山の雉子の声きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ。行基
青空文庫より引用