浅草哀歌


 1 

 
われは思ふ、浅草の青き夜景を、
仲見世の裏に洩るる短夜の葱のむせびを、
公園の便所の瓦斯を、はた、澄めるアルボースの香を。

あはれなる蛇小屋の畸形児を、かつは知れりや、
怪しげの二階よりさみしらに顔いだす玉乗の若き女を、
あるはまた曲馬のにはに息喘ぎ、うちならぶ馬のつかれを。

新しきペンキに沁みる薄暮くれがたの空の青さよ。
また臭き花屋敷の側に腐れつつくらみゆく溝の青さは
夜もふけて銘酒屋の硝子うち覗くかなしき男のみや知りぬらん。

われは思ふ、かかる夜景に漂浪さすらへる者のうれひを、
馬肉屋の※ にうつる広告の幻燈を見て蓄音機きけるやからを、
かくてまた堂のうしろに病める者、尺八の追分ふし。
 

 2 

 
さは思へ、さは思へ、一時ひとときののち……

五時過ぎの夕日黄色く、溝板どぶいたに、髪床の硝子障子に、
料理屋の軒のともらぬ角燈に、露台バルコンの青くさき芥子のにほひに、
照りあかり、羽虫ぞ舞へる、
甘げなる線のねばりのうちもつれやはらかにつがへるかれら。

さは思へ、さは思へ、一時ひとときののち………
ここにかの三味線弾きの下司女げすをんな寒げに坐り、
やれむしろ籍きたる上に、
かの暗き魚燈のけぶり頬にうけて、
はらは髪賤民の児ぞ調子をかしきかつぽれ を頼りなげにも踊るらむ。

さあれいま羽虫ぞ舞へる。
公園のけふのひと日を立ちつくす男の手より、
かすり絵板はひるがへり、黄なる日に暫しかがやく。
 

 3 

 
わが友よ、わがわかき羅曼底の友よ、
日は暮れて薔薇いろのかげうすき弧燈のしめり、
水のと空気とにしみじみとにほひいでたる。
そを見つつ暮れてゆくよるべなきわれのねたみよ。
君もまた思ひ知りしや、あはれのクラリオネツト、
うち囃す銀のうれひはそことなく楽しけれども、
――いかにせむ、髪の毛すぢに沁み入りて幽かにも顫ふ香料。
 

 4 

 
奥山の四時過ぎの日こそさみしけれ。
あたたかにうち黄ばむ写真屋の古きならびは、
半盲目の病児らの日向ぼこをば見るごとく、
掲げたる鈍き写真のうちにくはせ者の女役者の顔のみ白く、
びんならぶ※ のそば、露台バルコンにダアリヤの花ただひとつ赤けれども、
なべてみな色もなし、入口の静かなる空椅子のうへに、
みよりなき黒猫ぞひとりまた背を高めたる。

見るものの凡てみな『過ぎし日』のごとくさびしく、
うとましき『忘却』の腐蝕よりのこされしものの痛さよ。
げに、白き横文字はその屋根に、いかがはしけれ、
The Art Photograph とぞ読まれぬる。
 



青空文庫より引用