千葉海岸の詩


 a 

我れ生存に行き暮れて
足どり鈍くたたずめど
満ち足らひたる人のごと
海を眺めて語るなり


 b 

あはれそのかみののぞき眼鏡に
東京の海のあさき色を
千葉ここに来て憶ひ出すかと
幼き日の記憶熱をもて妻に語りぬ


 c 

ここに来て空気のにほひを感じる
うつとりと時間をかへりみるのだ
ひなげしの花は咲き
麦の穂に潮風が吹く


 d 

青空に照りかがやく樹がある
かがやく緑に心かがやく
海の近いしるしには
空がとろりと潤んでゐる


 e 

広い眺めは横につらなる
新しい眺めは茫としてゐる
遠浅の海は遠くて
黒ずんだ砂地ばかりだ


 f 

暗い海には三日月が出てゐる
暗い海にはほの明りがある
茫として微かではあるが
あのあたりが東京らしい


 g 

外に出てみると月がある
そこで海へ行つてみた
舟をやとつて乗出した
やがて暫くして帰つた


 h 

夜の海の霧は
海と空をかくし
眼の前に闇がたれさがる
闇が波音をたてて迫る


 i 

日は丘にあるが
海はまだ明けやらぬ
潮の退いた海にむかつて
人影は一つ進んで行く



青空文庫より引用