屋根の上


 かちんと、羽子板はごいたにはねられると、羽子はごは、うんと高く飛びあがってみました。それから、また板に戻ってくると、こんどはもっと思いきって高く飛び上りました。何度も何度も飛び上っているうちに、ふと羽子は屋根のといのところにひっかかってしまいました。はじめ羽子はくるっとまわって、わけなく下に飛び降りようとしました。しかし、そう思うばかりで、身体からだがちょっとも動きません。
 しばらくすると、下の方では、またにぎ やかに、羽子はごつきのひびきがきこえてきました。別の新しい羽子が高く舞い上っているのです。
「モシ モシ」と、といにひっかかっている羽子は、眼の前に別の羽子が見えてくるたびに呼びかけてみました。しかし、それはすぐ見えなくなって、下の方におりてゆきます。
「モシ モシ」「モシ モシ」何度よびかけてみても、相手にはきこえません。そのうちに下の方では羽子つきの音もやんでいました。
「もう、おうちへ帰ろうッと」という声がして、玄関の戸がガラッとあく音がしました。あたりは薄暗うすぐらくなり家の方ではあかりがつきました。樋にひっかかっている羽子はだんだん心細くなりました。屋根の上の空には三月みかづきが見え、星がかがやいてきました。とうとう夜になったのです。ああどうしよう、どうしよう、どうしたらいいのかしら、と、羽子は小さなためいきをつきました。
 星の光はだんだん、はっきり見えて来ます。空がこんなに深いのを羽子はごは今はじめて知りました。ひとつ一つの星はみんな、それぞれ空の深いことを考えつづけているのでしょう。一つ二つ三つ四つ五つ……と、羽子は数を数えてゆきました。百、二千、三千、いくつ数えて行っても、まだ夜は明けませんでした。夜がこんなに長いということを羽子は今しみじみと知りました。
 今あの羽子板はごいたの少女はどうしているかしら、と羽子は考へました。眼のくりくりっとした、羽子板の少女の顔がはっきりと思い出せるのでした。羽子板は今、家のなかに静かに置かれていることでしょう。羽子は、あの羽子板の少女がとても好きなのでした。もう一度あの少女のところへ帰って行きたい。あの少女も多分、僕のことを心配しているだろう、と羽子は思いました。
 一つ二つ三つ四つ五つ……羽子は何度もくりかえして数を数えてゆきました。
 東の方の空が少しずつあかるんできました。やがて、雲の間から太陽が現れました。薔薇ばら色の雲の間かられて来る光は、といのところの羽子を照らしました。すると、羽子はまた急に元気が出てくるのでした。



青空文庫より引用