三匹のあり


 かわほとりに、一ぽんおおきなくるみのっていました。そのしたにありがつくりました。どちらをまわしても、広々《ひろびろ》としたはたけでありましたので、ありにとっては、おおきなくにであったにちがいありません。
 ありには、あるとし、たくさんな子供こどもまれました。それらの子供こどものありは、だんだんあたりをあそびまわるようになりました。するとあるとき、それらのありのおかあさんは、子供こどもらにかっていいました。
「おまえがたは、あのくるみののぼってもいいけれど、けっして、あかくなったにつかまってはならぬぞ。いまは、ああしてどのても、さおだけれど、やがてあきになると、あのが、みんなきれいにいろがつく、そうなるとあぶないから、きっとうえにとまってはならぬぞ。」と、いましめたのでありました。
 あるのこと、五ひきありがそとあそんでいて、おおきなくるみの見上みあげていました。
「なんというおおきなだろう。こんなが、またとほかにあるだろうか。」と、一ぴきのありがいいました。
「まだ世界せかいには、こんながたくさんあるということだ。これより、もっとおおきながあるということだ。」と、ほかの一ぴきありがいいました。
「おとうさんや、おかあさんは、あののてっぺんまで、おのぼりになったといわれた。ぼくたちも、どこまでいけるかのぼってみようじゃないか。」と、ほかの一ぴきのありがいいました。ついに五ひきありは、おおきなくるみののぼっていきました。そこで、中途ちゅうとまでいった時分じぶんには、五ひきともつかれてしまって、しばらく、えだうえやすんで、物珍ものめずらしげに、あたりの景色けしきなどをながめていました。
「なんという、おおきなかわだろうか。」といって、一ぴきのありはしたおろしていました。
「なんというひろ野原のはらだろう。」と、ほかの一ぴきおどろいていいました。太陽たいようは、ちょうどのてっぺんにかがやいていました。するとそのとき、
「あのえだに、あんなにきれいながあるじゃないか。あのそばまでいってみよう。」と、一ぴきのありがさけびました。
 二ひきのありは、あのあかこそ危険きけんだと、おかあさんやおとうさんがいわれたのだから、ゆくのはよしたがいいといいました。けれど、ほかの三びきのありは、どうしてもいってみるといいはりました。
 二ひきありは、そこから三びきのおともだちにわかれてうえかえることになりました。そこには、こいしいおかあさんやおとうさんがすんでいられました。そして、三びきありは、あかうつくしい目指めざしてのぼっていきました。三十ぷんともたたないうちです。かぜがきますと、いままでの、うつくしいあかは、ぱたりとえだからそらはなれて、ひらひらとって、したかわなかちてしまいました。いうまでもなく、そのあかうえには、三びきありがとまっていたのでした。
 三びきのありは、あまり不意ふいなことにびっくりしましたが、がついたときには、あかうえって、かわうえながれていたのです。三びきのありは、いまはじめておかあさんが、あかうえってはいけないといわれたことをさとりましたけれど、どうすることもできませんでした。
「さあ、どうなることだろう。」と、三びきのありは、心細こころぼそくなって思案しあんをしました。てしなく、かわみずは、かがやいて野原のはらなかながれていました。どうして、どこへゆくというようなことなどが、ちいさなありにかんがえがつきましょう。三びきのありは、一つところにかたまってふるえていました。そのうちに、またかぜいて、あかきしきました。三びきのありは、やっとそこからはいがって、あやうくいのちたすかったのです。そこは、おもったよりもいいところでした。うつくしいはないていました。きれいなくさえているおかもありました。三びきのありは、そのからはじめて、らない土地とちつくってはたらいたのです。幾日いくにちがたつと、このあたりの土地とちにも幾分いくぶんれてきました。それにつけて、三びきのありは、父母ふぼのすんでいる故郷こきょうを、こいしくおもったのです。けれど、いくらおもっても、かえることができませんでした。三びきのありは、いつか、みんながおとうさんになったのであります。そして、三びきのありにも子供こどもがたくさんまれました。けれど、ありはけっして、子供こどもらにかってのぼっても、あかまっていいとはいいませんでした。やはり、むかし、おとうさんや、おかあさんが自分じぶんたちをいましめたように、
「おまえがたは、けっして、あかにつかまってはならない。」といったのです。
 それは、いくらしあわせになっても、おとうさんや、おかあさんに、あわれないことは、なによりも不幸ふこうなことであったからであります。



青空文庫より引用