兄弟のやまばと
「お母さん。これから、また寒い風が吹いてさびしくなりますね。そして、白く雪が野原をうずめてしまって、なにも、私たちの目をたのしませるようなものがなくなってしまうのですね。なんで、お母さんは、こんなさびしいところにすんでいたいのでしょうか。」と、子ばとは、母親に向かっていいました。
いままで輝かしかった山も、野原も、もはや、冬枯れてしまいました。そして、哀れな、枝に止まったはとの羽にはなお寒い北風が吹いているのであります。
「おまえ、こんないいところがどこにあろう。ここにすんでいればこそ安心なんだよ。それは、もっと里に近い野原にゆけば食物もたくさんあるし、おまえたちの喜びそうな花や、流れもあるけれど、すこしも油断はできないのだ。ここにはもう長年いるけれど、そんな心配はすこしもない。それに山には、赤く熟した実がなっているし、あの山一つ越せば、圃があって、そこには私たちの不自由をしないほどの食物も落ちている。こんないいところがどこにあろう……。けっして、ほかへゆくなどと思ってはならない。」と、母親は、子ばとたちをいましめたのであります。
兄弟の子ばとは、はじめのうちは、母親のいうことをほんとうだと思って、従っていました。しかしだんだん大きく、強くなると、冒険もしてみたかったのであります。
ある、よく晴れた日のこと、兄弟の子ばとは母の許しを得て山を一つ越して、あちらの圃へゆくことにしました。これまでは、母親がついていったのでした。けれど、めったに、そこには、人の影を見なかったので、母親は、あすこへならば、たとえ二人をやってもだいじょうぶであろうと安心したからであります。
二羽の子ばとは、朝日の光を浴びて、巣を離れると、空を高らかに、元気よく飛んでゆきました。そしてやがて、その影を空の中へ没してしまった時分、母親は、ため息をもらしました。
「子供たちの大きくなるのを楽しみにして待ったものだが、大きくなってしまうと、もはや私から離れていってしまう……。」
そして、親ばとは、独り、さびしそうに、巣のまわりを飛びまわって、やがて子供たちの帰るのを待っていたのであります。
二羽の子ばとは、母親の心などを思いませんでした。
「兄さん、もっと、どこかへいってみようじゃありませんか。里の方へゆかなければ、いいでしょう……。」と、弟がいいました。
「そうだな。海の方へゆこうか……。そして、あんまりおそくならないうちに帰れば、お母さんにしかられることもあるまい。」と、兄は、さっそく、合意しました。二羽の子ばとは、自分たちのすることをすこしもよくないなどとは思っていませんから、すぐに、青い空を翔けて海の方へと飛んでゆきました。
ようやく、あちらに、輝く海が、笑っているのが、目にはいった時分、どこからか、自分たちを呼ぶ、はとの声がきこえてきました。
「兄さん、どこかで、だれか私たちの仲間が呼んでいるようですよ。」と、弟が、兄を顧みていいました。
「ほんとうにな……、どこだろうか?」と、兄は答えました。しかし、兄弟は、じきに、自分たちの仲間が、海辺の丘の上で鳴いているのを知ったので、ただちに、その方へ飛んでいったのであります。
丘の上で鳴いていたはとは、ずっと兄弟の子ばとよりはきれいでありました。兄弟は、そのはとが、山育ちでなく、自分たちと異って、町にすんでいるはとだということを悟ったのであります。
「山の方には、なにか珍しい、そして、おもしろいことがありますか。」と、きれいなはとがたずねました。
「いま、赤い実が熟れています。圃には、取り残された豆が、まだすこしは落ちているはずです……。」と、山からきた、兄のほうのはとがいいました。
「あなたは、どこからおいでになりました? つい、これまでお見かけしたことがありません。」と、弟が、町からきたはとに向かって聞いたのであります。
「私は、めったにこのあたりへはきたことがないのです。めずらしく、いいお天気なものですから、海を見ようと思ってきました。」と、町からきたはとは、答えました。
それから三羽のはとは、仲よく遊びました。丘をあちらにゆくと、そこにも豆圃のあとがあって、たくさん豆が落ちていました。兄弟の子ばとは、町からきたはとに向かって、
「さあ、こんなにたくさん豆が落ちていますからお拾いなさい。」といいました。
けれど、町のはとは、それを拾おうとせずに、
「私たちは、毎日、豆や、芋は食べあきています。あなたがたが、もし私といっしょに町へおいでなさったら、驚きなさるとおもいます……。」
と、町からきたはとは、得意になっていいました。
山の子ばとは、不思議に感じながら、
「町には、どうして、そんなに豆や、芋などがたくさんにあるのですか?」
と聞きました。
「みんな人間が、私たちにくれるのです。」
「人間が?」
兄弟の子ばとは、ますます不思議なことに感じたのであります。自分たちは人間をどんなに怖ろしいものに思っているかしれない。鉄砲を打って、自分たちの命を取るものは、人間ではないか。自分たちの仲間は、これまで、みんな人間のために殺されたのではないか? そう思うと、町からきたはとのいうことは、あまりに意外でなりませんでした。
「人間は、私たちをかわいがってくれます。そして人間の子供は、私たちといっしょに、いつも遊んでいます。もし無法なものがあって、私たちに石を投げたり、また捕らえたりするものがあれば、そのものはみんなから罰せられるでありましょう……。町にいるほうが、どれほど、安全であり、にぎやかであり、愉快であるかわかりません……。もし私といっしょに町へおいでなさる気があるなら、つれていってあげましょう……。」と、町のはとは、兄弟に向かっていいました。
弟は、すぐにも、いっしょにゆきたいと思いましたが、兄は、お母さんが心配なさるだろうと思って、考えていました。
このとき、白い波が、岸を打って、こちらのようすをうかがっていましたが、二羽のやまばとが、思案している顔を見て、急に、おかしくなったとみえて、波は、笑いながら、
「よく考えたがいい。考えてみたがいい……。」と、叫んだのでありました。
「今日は、山のお家へ帰って、明日、出なおしてきますから、もし、明日、私たちをつれていってくだされば、このうえの喜びはありません。」と、山のはとはいいました。
町からきたはとは、しんせつないいはとでありました。
「そんなら、よく話をしておいでなさい。明日、また私は、ここへきますから。」といって、その日は、別れてたがいに、山と町へ帰ったのであります。
兄と弟のやまばとは、丘を越えて、山の方へと急ぎました。そこには、哀れな母親が、枝に止まって、風に吹かれながら、子供らの帰るのを待っていました。
二羽の子供たちは、帰ってきて、今日、町のはとにあって話をしたことを母親に告げたのであります。
「お母さん、なぜ私たちも町へいってすまないのですか?」と、兄と弟はいいました。
「いいえ、ここがいちばんいいところです。町へなどいってごらんなさい。一日だって安心しては暮らせませんよ。」と、母親はいいました。
「だって、お母さん、人間は、町へいけばしんせつで、けっして、捕らえたり、打ち殺すようなことはしないといいます。」と、兄はいいました。
「そして、町では鉄砲で打ったりすると、かえって、その人間は、みんなから罰せられるということを、町のはとはいっていました。」と、弟がいいました。
母親は、だまって、二羽の子供のいうことを聞いていましたが、
「おまえたちは、そんな着物をきては、町などへゆけません。すぐに、山のはとだということがわかってしまいます。町の人は、山のはとは、殺してもいいということになっているのですよ。」といいました。
二羽の子ばとは、なるほど、自分たちの着物が、町のはとにくらべて、たしかに粗末であったことを思い出しました。けれど、母親のいうように、着物の粗末ときれいとによって、殺されたり、殺されなかったりすることが、あろう道理がないと考えて、母親の言を、そのまま信ずることはできませんでした。そして、翌日になると、町のはとと約束をしたことを思い出して、母親には、じきに帰ってくるからといって、二羽の子ばとは、ふたたび海辺の方を指して飛んできたのであります。
町のはとは、もうとっくに、そこへきて山の兄弟のはとのやってくるのを待っていました。その日、海の白い波は、気づかわしげに、三羽のはとのようすをながめていましたが、そのうちに三羽のはとは、町の空を指して飛んでゆきました。
それきり、二羽の子ばとは、姿を見せませんでした。町にいって、たくさんの町のはとたちに珍しがられて、得意になって、山の話をしていたものでしょうか……。兄弟のようすはわからなかったのです。その日から、山では、母親の子供を呼ぶ声がさびしく、陰気に、毎日のように聞かれました。
半月もたった、あらしの過ぎた朝のことでした。海の波は、いつかの二羽の兄弟のはとが疲れはてて、砂原に降りているのを見ました。町から、無事に帰ったものと思われます。
「こんなに、朝早くどうしたのですか?」と、波は、二羽の疲れはてた兄弟に向かってたずねました。
すると、兄は、だいぶ傷んだ翼をくちばしで整えながら、
「町の空は、真っ赤だ。いつか、ここへきたはとも、いままですんでいた寺も、みんな焼けてしまった。私たち二人は、やっと逃げて、ここまできた。」と、息をせきながら、いいました。
波は、この話をきいて、びっくりして、空へ跳ね上がって、かなたの空を見ようとしました。
その間に、二羽のはとは、山の方を指して飛んでいったのであります。
――一九二五・一〇作――
青空文庫より引用