白すみれとしいの木


 一 

 きたほうのあるむらに、なかのよくない兄弟きょうだいがありました。父親ちちおやんだあとあにおとうとをば、むごたらしいまでに、いじめました。
 おとうとは、どちらかといえば、のきかない、おんぼりとしたたちで、学校がっこうっても、あまり物事ものごとをよくおぼえませんでした。だから、あにおとうとをば、つねにばか者扱ものあつかいにしていたのであります。
 おとうとがやさしくて、けっしてあにたいして手向てむかいなどをしたことがありません。いつもあににいじめられて、しくしくいていました。
 ふゆの、あるさむさむばんのこと、格別かくべつおとうとわるいことをしたのではないのに、あにおとうとをいじめました。
「おまえみたいなばかは、こんなさむばんそとっているがいい。そして、こごんだって、おれはおまえをかわいそうとはおもわないぞ。」と、あにはののしりました。
 おとうとは、どうかそんなことはいわずに、うちなかいてくれいとたのみますのを、あに無理むりおとうとそとして、かぎをかけてしまいました。
 うちそとは、にもやまにもゆきもっていました。そのばんは、めったにないさむさであって、そらあおガラスをったようにさえて、星晴ほしばれがしていました。また、皎々《こうこう》としたつき下界げかいらしていました。
 おとうとは、ゆきうえ茫然ぼうぜんとしていますと、からながなみだまでがこおってしまうほどでありました。おとうとは、こんな不運ふうんなくらいなら、いっそかわにでもはいってんでしまったほうがいいとおもいました。
 いつのまにか、さむさのためにゆきうえかたこおっていました。それは鋼鉄はがねのように、がってもカンカンとひびくばかりで、まることはありませんでした。
 おとうとゆきうえわたって、かわのあるほうへいきました。すると、かわみずもまた鋼鉄はがねのようにこおっていたのであります。
 げてのうにも、みずがないし、どうしたらいいだろうとおもって、途方とほうれていますと、はるかかなたに、きばのようにとがったたかやまが、つきらされてえるのでありました。
 むかしから、あのやましたには、おにんでいるといわれていました。

 二 

 おとうとは、どうせぬなら、いっそおににでもわれてんでしまったほうがいいとおもいました。それにしても、なんあるかわかりませんでした。
 月光げっこうらされている、そのとお山影やまかげのぞみますと、もしゆきわたってまっすぐにいくことができたならそんなにとおくもないだろう。けて、けていったら、今夜こんやうちにもいかれないことはないとおもわれました。
 おとうとは、そうおもうと、ゆきうえをひたはしりにはしりはじめたのです。かわもどこも平坦へいたんしろたたみめたようでありましたから、どんな近道ちかみちもできるのでありました。
 かれは、けて、けて、けぬきました。そしてつかれると、からだからあせて、これほどのさむさもそんなにさむいとはおもいませんでした。かれは、ところどころやすみました。そしてにそびえてえるたかやまあおぎました。つきひかりが、かすかにそのやましているのでした。
 おとうとは、ほとんど自分じぶんでも、どうしてこうよくはしれるかわからないほどはしりました。そして、どこをどうはしってきたかわかりませんでした。夜明よあけごろでありました。あかたま自分じぶんまえになって、ゆきうえをころころところげていきました。
 かれは、これはなんだろうとおもいました。きっと魔物まものにちがいない。けれどもう自分じぶんいのちしいとおもいませんから、それをつかまえようといっしょうけんめいにあといました。するとたまは、ころころと谷底たにそこころがりちました。
 かれも、たまについてたにりようとしますと、もはやけていました。そして、そこはみちもないまったく山中やまなかで、あのきばのようにたかやまは、まだとおくなってえたのであります。
 どうしたらいいかとおもって、まごまごしていますと、そのうちひかりがさしてきました。ゆきはしだいにやわらかくなって、おとうとは、もう一身動みうごきすることができなくなりました。
 ちょうどそこへ、たきぎったおじいさんがとおりかかりました。そしておとうとつけて、こんなところに少年しょうねんがいたのでびっくりいたしました。

 三 

 おじいさんは、この山中やまなかにただ一人ひとりんでいる不思議ふしぎ人間にんげんでありました。おとうとは、おじいさんの小屋こやにつれられてまいりました。
「こんな山中やまなかだけれど、なに不自由ふじゆうはない。ながくここにめば、はるなつあきふゆ、いろいろのうつくしいながめもあれば、たのしみもある。おまえはいいとおもったら、いつまでもむがいい。」と、おじいさんはいいました。ふもとには、温泉おんせんもわいていたのであります。
 そのうちゆきえてはるになりました。おとうとは、故郷こきょうこいしくなりました。いまごろにいさんはどうしていなさるだろうかとおもいました。そのことをおじいさんにいいました。するとおじいさんは、くさ種子たねおとうとあたえました。
「このくさ種子たねは、しろすみれだ。おまえが、この種子たねをまきながらいけば、またここへかえってくるような時分じぶんしろはないているのでみちがわかる。このは、おまえがはらったときにべるしいのだ。」といいました。
 おとうとは、最初さいしょ、このやまへくるときには、ゆきうえわたって一にきましたけれど、ゆきえてからは、もりや、はやしや、かわがあって、五日いつか六日むいかあるかなければ、自分じぶんまれたむらかえることができませんでした。かれは、くさ種子たねをもらって、出発しゅっぱつしたのであります。そしてあるがたかれは、ようやくなつかしいかえったのであります。
にいさん、ただいまかえりました。」と、おとうとはいって、敷居しきいをまたぐと、なにかしていたあには、びっくりしていて、
「おまえは、まだななかったのか。もうおまえみたいなばかには用事ようじがないから、さっさとていけ。」といって、おとうとは、りつくしまがなかったのです。
自分じぶん真心まごころがいつか、にいさんにわかるときがあろう。」と、おとうとは、一粒ひとつぶのしいの裏庭うらにわめて、どこへとなくりました。
 あには、そのしろすみれのはなて、いじらしいはなだとおもいました。そして、おとうと姿すがたおもしました。また、しいのかぜたるのをいて、かなしいとおもい、おとうとをいじめたことを後悔こうかいしたそうです。



青空文庫より引用