神は弱いものを助けた
一
あるところに、きわめて仲の悪い百姓がありました。
この仲の悪い甲と乙とは、なんとかして甲は乙を、乙は甲をうんとひどいめにあわしてやりたいと思っていました。けれど、なかなかそんなような機会はこなかったのであります。
ある年の夏の日のことでありました。幾日も幾日も、天気ばかりがつづいて、雨というものがすこしも降りませんでした。そして、諸所方々《ほうぼう》の水が涸れてしまって、井戸の水までが日に日に少なくなるのでありました。
甲の家の井戸は深くて、容易に水の尽きるようなことはありませんでしたけれど、乙の家の井戸はわりあいに浅くて、もう水が尽きるのに間もありませんでした。
甲は、そのことを知るとたいへんに喜びました。乙の野郎め、水がなくなってしまったら、どうするだろう。水を飲まずに生きていられまい。そうすれば、きっとこの村からどこかへ逃げてゆくか、俺のところへ頭を下げて、お願いにくるにちがいないと思いました。
乙は、だんだん井戸の水が少なくなるので、気が気でありませんでした。もしこの水がなくなってしまったら、どうしようと思いました。しかたがないから、どこかの清水のわき出るところを探さなければならないと思って、乙は、その日から毎日、近所の山のふもとの心あたりを探ねて歩きました。
十五、六丁いった谷間に、一つの清水がありました。それが、この旱魃にも尽きず、滾々《こんこん》としてわき出ていました。これはいい清水を見つけたものだ。これさえあれば、もうだいじょうぶだと思って、乙は喜んで家へ帰りました。
甲は、やはりその清水のあるところを知っていました。どうかして乙にわからなければいいがと思っていましたのが、どうやら乙の知ったらしいようすなので、がっかりしました。
甲は、どうかして、その水を飲めなくしてしまうように苦心したのであります。けれど、いい考えが浮かびませんでした。そのうち、一つの考えが浮かびました。甲は馬を引いて町へ出かけてゆきました。
二
甲は町でたくさんの油を買いました。それを馬に積んで帰ってきました。甲は金持ちでありましたから、もし金の力で乙をいじめることができたら、いくらでも金を使う考えであったのです。
甲が馬に油だるをいくつも積んで帰ってくる姿を、乙は林の蔭でながめました。
「はてな、あんなにたくさんの油だるをなんで甲は仕入れてきたろう。」と、乙は考えました。
乙は、それとなく悟りましたから、すぐに家に帰って、おけをかついで清水へゆきました。そして、日が暮れるまで、せっせと幾十たびとなく、我が家へ水をくんでは運びました。そして、たるの中へ水をいっぱい入れました。
甲は日の暮れるのを待っていました。日が暮れると、馬を引いて清水の辺へゆきました。そして、たるの中の油をすっかり清水の付近へ流してしまいました。甲は家へ帰ると世間へ聞こえるような大きな声でいいました。
「馬がすべって転んだものだから、買ってきた油をみんな流してしまった。」と、さも惜しそうにいいました。
乙は明くる日、清水へいってみると、まるで油がわき出ているようで飲めるどころでありません。はたして自分の思ったとおりであったとうなずいて、家へ帰って、水を大事に使っていました。
甲は、毎日、もう乙の家の井戸水は尽きた時分だが、どうしているだろうと、ようすをうかがっていましたが、格別乙の家では困っているようなようすが見えませんでした。
「もっと旱れ、旱れ……。」と、甲は空を見ていいました。
「どうか降るように、どうか神さま雨の降るように願います。」と、乙は祈っていました。
すると、乙の貯えておいた水の尽きかかったころ、にわかに空が曇って大雨が降ってきました。そして一時に井戸には水が出て、草木が蘇返りました。そればかりでない、清水にまいた油はみんな田の中に流れ出て、清水は、またもとのようにきれいに澄みました。その年は、いつにない豊作であったということです。
青空文庫より引用