風七題
一
子どもは、つくえにむかって、勉強をしていました。秋のうすぐらい日でした。柱時計は、カッタ、コット、カッタ、コットと、たゆまず時をきざんでいましたが、聞きなれているので、かくべつ耳につきません。それより、高まどの、やぶれしょうじが、風のふくたびに、かなしそうな歌をうたうので、子どもは、じっと耳をすますのでした。
風はときには、沖をとおる汽船の笛とも、調子を合わせたし、また、空に上がるたこのうなりとも、調子を合わせました。
子どもは、これを聞いて、よろこんだり、うれしがったり、もの思いにふけったりして、勉強をわすれることがありました。
子どもには、さまざまな、風の歌が、わかるのでした。
二
東京から、兄さんが、帰ってくるというので、子どもは、停車場へ、むかえにでました。
一人、さくにもたれて、汽車のつくのをまっていると、そばに、きれいな女の人が、かばんをさげて立っていました。
そよ風が、その人の、長いたもとをかえし、ほつれ毛をふいて、いいにおいをおくりました。子どもは、やさしいすがたが、したわしくなりました。
そのうち、汽車がつくと、女の人は乗りました。けれども、兄さんは、帰ってきませんでした。
子どもは、かなしみをこらえて、田んぼの細道を、わが家の方へもどりました。
青田の上を、わたる風が、光の波をつくり、さっきの、きれいな人のまぼろしがうかぶと思うと、はかなく、きえてしまいました。
子どもは、口笛をならしました。
三
三人の子どもたちが、広い空き地で、遊んでいました。そこには、くるみの木、くりの木、かきの木、ぐみの木などが、しげっていました。
一人が、くるみの木へのぼって、ハーモニカをふきました。一人は、くりの木の下で、竹ざおをもって、かぶと虫をとっていました。もう一人は、ぐみの木のえだをわけて、熟した実をさがしていました。
このとき、ゴウッと音をたて、風が、おそいました。すると、とんぼが、うすい羽をきらめかしながら、ふきとばされてきました。
「やんまだぞう。」と、さおをもった、子どもが、さけびました。
空は、みどり色に晴れて、太陽は、みごとにさいた花のごとく、さんらんとかがやきました。
また、ひとしきり、風がわたりました。そのたびに、木々《きぎ》のえだが、波のごとくゆれて、ハーモニカの音も、きえたり聞こえたりしました。
四
夏の晩方のこと、いなか町を、馬にから車をひかせて、ほおかむりをした馬子たちが、それへ乗って、たばこをすったり、うたをうたったりしながら、いく台となくつづきました。
ガラッ、ガラッと、そのわだちのあとが、だんだん、遠ざかった時分、こんどは、ドンコ、ドンコと、たいこをたたいて、町の中を、旅芸人をのせた、人力車が、列をつくって、顔見世に、まわりました。
あかね色をした、夕空には、火の見やぐらが、たっていました。そのいただきに、ついているブリキの旗が、風の方向へ、まわるたびに、音をたてました。
湯屋から、手ぬぐいをぶらさげて、出てきた、おじいさんが、上をあおいで、
「ああ、北風か、あすもお天気だな。」と、ひとりごとをしました。
また、往来では、子どもたちの、たのしそうにあそんでいるわめき声がしていました。
五
すこしの風もなく、木の葉も、じっとしてうごかず、まるで湯の中にひたったような、むしあつい晩でありました。みんな、うちにいられぬとみえて、外で話し声がしました。わたしも出てみると、みんなが、あちらのすずみ台へあつまって、うちわをつかっていました。
わたしも、そこへいって、こしかけました。だんだん、夜がふけると、どことなくしめっぽく、ひえびえとしてきました。畑では、つゆをしたって、うまおいが、ないていました。
「どれ、だいぶすずしくなったから、はいってねましょうか。」と、一人、立ちました。
「みなさん、おやすみなさい。」と、また、一人立ちました。
このとき、あちらの、黒い森の頭へ、ほんのりと白く、乳をながしたように、天の川が見えました。
六
昼ごろから、ふきはじめた風は、だんだん、暮れがたへかけて、大きくなりました。
「いよいよ、台風が、やってきたかな。」
「なんだか、頭のおもい日ですね。」
道をいく人の、こんな話し声が、耳へはいりました。
ぼくは、おとなりの正ちゃんと二人で、カチ、カチと、ひょうし木をたたいて、近所を、火の用心にまわりました。
もう、日がくれたのだけれど、ふしぎに、空は明るくて、けわしい雲ゆきが、手にとるように、見えました。
「この風は、南洋から、ふいてきたんだね。」と、ぼくが、いうと、正ちゃんは、立ちどまって、空をながめ、
「死んだ兄さんが、あの雲に乗ってこないかなあ。」と、いいました。
風は、間をおいて、ふきました。なまあたたかく、しめっぽくて、ちょうど、大きな海のため息のようでありました。
七
子どもは、床の中で、ふと目をさましました。すると、外では、こがらしがふいていました。
その、風の音のたえまに、遠くの方で、犬のほえるのが聞こえました。
「どこで、ないているのだろう。」と、子どもは、耳をすましていました。そのうちに、ねむって、ゆめを見たのであります。自分は、犬の声をたよりに、広い野原を歩いていました。月の光は、真昼のように、くまなくてらしていました。犬の声は、野原のはての村から、聞こえるのでした。
やがて、あかりが、ちら、ちら、見えたので、そこまで、たどりつくと、まだ一軒、ねずにおきている家がありました。自分は、まどへせのびをして、ガラス戸のうちをのぞくと、お母さんらしい人が、病気でねていました。そのまくらもとへ、小さな女の子がすわって、看病をしていました。
「ああ、感心なことだ。」と、思って、自分は、なにかいおうとして、あせると、目がさめてしまいました。
青空文庫より引用