死者の書
一
彼の人の眠りは、徐かに覺めて行つた。まつ黒い夜の中に、更に冷え壓するものゝ澱んでゐるなかに、目のあいて來るのを、覺えたのである。
した した した。耳に傳ふやうに來るのは、水の垂れる音か。たゞ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫とが離れて來る。
膝が、肱が、徐ろに埋れてゐた感覺をとり戻して來るらしく、彼の人の頭に響いて居るもの――。全身にこはゞつた筋が、僅かな響きを立てゝ、掌・足の裏に到るまで、ひきつれ を起しかけてゐるのだ。
さうして、なほ深い闇。ぽつちりと目をあいて見※ す瞳に、まづ壓しかゝる黒い巖の天井を意識した。次いで、氷になつた岩牀。兩脇に垂れさがる荒岩の壁。した/\と、岩傳ふ雫の音。
時がたつた――。眠りの深さが、はじめて頭に浮んで來る。長い眠りであつた。けれども亦、淺い夢ばかりを見續けて居た氣がする。うつら/\思つてゐた考へが、現實に繋つて、あり/\と、目に沁みついてゐるやうである。
あゝ耳面刀自。
甦つた語が、彼の人の記憶を、更に彈力あるものに、響き返した。
耳面刀自。おれはまだお前を……思うてゐる。おれはきのふ、こゝに來たのではない。それも、をとゝひや、其さきの日に、こゝに眠りこけたのでは、決してないのだ。おれは、もつと/\長く寢て居た。でも、おれはまだ、お前を思ひ續けて居たぞ。耳面刀自。こゝに來る前から……こゝに寢ても、……其から覺めた今まで、一續きに、一つ事を考へつめて居るのだ。
古い――祖先以來さうしたやうに、此世に在る間さう暮して居た――習しからである。彼の人は、のくつと 起き直らうとした。だが、筋々が斷れるほどの痛みを感じた。骨の節々の挫けるやうな、疼きを覺えた。……さうして尚、ぢつと、――ぢつとして居る。射干玉の闇。黒玉の大きな石壁に、刻み込まれた白々としたからだの樣に、嚴かに、だが、すんなりと、手を伸べたまゝで居た。
耳面刀自の記憶。たゞ其だけの深い凝結した記憶。其が次第に蔓つて、過ぎた日の樣々な姿を、短い聯想の紐に貫いて行く。さうして明るい意思が、彼の人の死枯れたからだに、再立ち直つて來た。
耳面刀自。おれが見たのは、唯一目――唯一度だ。だが、おまへのことを聞きわたつた年月は、久しかつた。おれによつて來い。耳面刀自。
記憶の裏から、反省に似たものが浮び出て來た。
おれは、このおれは、何處に居るのだ。……それから、こゝは何處なのだ。其よりも第一、此おれは誰なのだ。其をすつかり、おれは忘れた。
だが、待てよ。おれは覺えて居る。あの時だ。鴨が聲を聞いたのだつけ。さうだ。譯語田の家を引き出されて、磐余の池に行つた。堤の上には、遠捲きに人が一ぱい。あしこの萱原、そこの矮叢から、首がつき出て居た。皆が、大きな喚び聲を、擧げて居たつけな。あの聲は殘らず、おれをいとしがつて居る、半泣きの喚き聲だつたのだ。
其でもおれの心は、澄みきつて居た。まるで、池の水だつた。あれは、秋だつたものな。はつきり聞いたのが、水の上に浮いてゐる鴨鳥の聲だつた。今思ふと――待てよ。其は何だか一目惚れの女の哭き聲だつた氣がする。――をゝ、あれが耳面刀自だ。其瞬間、肉體と一つに、おれの心は、急に締めあげられるやうな刹那を、通つた氣がした。俄かに、樂な廣々とした世間に、出たやうな感じが來た。さうして、ほんの暫らく、ふつ とさう考へたきりで……、空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も消え去つた――おれ自分すら、おれが何だか、ちつとも訣らぬ世界のものになつてしまつたのだ。
あゝ、其時きり、おれ自身、このおれを、忘れてしまつたのだ。
足の踝が、膝の膕が、腰のつがひ が、頸のつけ根が、顳※ 《コメカミ》が、ぼんの窪が――と、段々上つて來るひよめきの爲に蠢いた。自然に、ほんの偶然強ばつたまゝの膝が、折り屈められた。だが、依然として――常闇。
をゝさうだ。伊勢の國に居られる貴い巫女――おれの姉御。あのお人が、おれを呼び活けに來てゐる。
姉御。こゝだ。でもおまへさまは、尊い御神に仕へてゐる人だ。おれのからだに、觸つてはならない。そこに居るのだ。ぢつとそこに、蹈み止つて居るのだ。――あゝおれは、死んでゐる。死んだ。殺されたのだ――忘れて居た。さうだ。此は、おれの墓だ。
いけない。そこを開けては。塚の通ひ路の、扉をこじるのはおよし。……よせ。よさないか。
姉の馬鹿。
なあんだ。誰も、來ては居なかつたのだな。あゝよかつた。おれのからだが、天日に暴されて、見る/\、腐るところだつた。だが、をかしいぞ。かうつと――あれは昔だ。あのこじあける音がするのも、昔だ。姉御の聲で、塚道の扉を叩きながら、言つて居たのも今の事――だつたと思ふのだが。昔だ。
おれのこゝへ來て、間もないことだつた。おれは知つてゐた。十月だつたから、鴨が鳴いて居たのだ。其鴨みたいに、首を捻ぢちぎられて、何も訣らぬものになつたことも。かうつと ――姉御が、墓の戸で哭き喚いて、歌をうたひあげられたつけ。「巖石の上に生ふる馬醉木を」と聞えたので、ふと 、冬が過ぎて、春も闌け初めた頃だと知つた。おれの骸が、もう半分融け出した時分だつた。そのあと 、「たをらめど……見すべき君がありと言はなくに」。さう言はれたので、はつきりもう、死んだ人間になつた、と感じたのだ。……其時、手で、今してる樣にさはつて見たら、驚いたことに、おれのからだは、著こんだ著物の下で、※ 《ホジヽ》のやうに、ぺしやんこになつて居た――。
臂が動き出した。片手は、まつくらな空をさした。さうして、今一方は、そのまゝ、岩牀の上を掻き搜つて居る。
うつそみの人なる我や。明日よりは、二上山を愛兄弟と思はむ
誄歌が聞えて來たのだ。姉御があきらめないで、も一つつぎ足して、歌つてくれたのだ。其で知つたのは、おれの墓と言ふものが、二上山の上にある、と言ふことだ。
よい姉御だつた。併し、其歌の後で、又おれは、何もわからぬものになつてしまつた。
其から、どれほどたつたのかなあ。どうもよつぽど、長い間だつた氣がする。伊勢の巫女樣、尊い姉御が來てくれたのは、居睡りの夢を醒された感じだつた。其に比べると、今度は深い睡りの後見たいな氣がする。あの音がしてる。昔の音が――。
手にとるやうだ。目に見るやうだ。心を鎭めて――。鎭めて。でないと、この考へが、復散らかつて行つてしまふ。おれの昔が、あり/\と訣つて來た。だが待てよ。……其にしても一體、こゝに居るおれは、だれなのだ。だれの子なのだ。だれの夫なのだ。其をおれは、忘れてしまつてゐるのだ。
兩の臂は、頸の※ り、胸の上、腰から膝をまさぐつて居る。さうしてまるで、生き物のするやうな、深い溜め息が洩れて出た。
大變だ。おれの著物は、もうすつかり朽つて居る。おれの褌は、ほこりになつて飛んで行つた。どうしろ、と言ふのだ。此おれは、著物もなしに、寢て居るのだ。
筋ばしるやうに、彼の人のからだに、血の馳け※ るに似たものが、過ぎた。肱を支へて、上半身が闇の中に起き上つた。
をゝ寒い。おれを、どうしろと仰るのだ。尊いおつかさま。おれが惡かつたと言ふのなら、あやまります。著物を下さい。著物を――。おれのからだは、地べたに凍りついてしまひます。
彼の人には、聲であつた。だが、聲でないものとして、消えてしまつた。聲でない語が、何時までも續いてゐる。
くれろ。おつかさま。著物がなくなつた。すつぱだかで出て來た赤ん坊になりたいぞ。赤ん坊だ。おれは。こんなに、寢床の上を這ひずり※ つてゐるのが、だれにも訣らぬのか。こんなに、手足をばた/″\やつてゐるおれの、見える奴が居ぬのか。
その唸き聲のとほり、彼の人の骸は、まるでだゞをこねる赤子のやうに、足もあがゞに、身あがきをば、くり返して居る。明りのさゝなかつた墓穴の中が、時を經て、薄い氷の膜ほど透けてきて、物のたゝずまひを、幾分朧ろに、見わけることが出來るやうになつて來た。どこからか、月光とも思へる薄あかりが、さし入つて來たのである。
どうしよう。どうしよう。おれは。――大刀までこんなに、錆びついてしまつた……。
二
月は、依然として照つて居た。山が高いので、光りにあたるものが少かつた。山を照し、谷を輝かして、剩る光りは、又空に跳ね返つて、殘る隈々までも、鮮やかにうつし出した。
足もとには、澤山の峰があつた。黒ずんで見える峰々が、入りくみ、絡みあつて、深々と畝つてゐる。其が見えたり隱れたりするのは、この夜更けになつて、俄かに出て來た霞の所爲だ。其が又、此冴えざえとした月夜をほつとり と、暖かく感じさせて居る。
廣い端山の群つた先は、白い砂の光る河原だ。目の下遠く續いた、輝く大佩帶は、石川である。その南北に渉つてゐる長い光りの筋が、北の端で急に廣がつて見えるのは、凡河内の邑のあたりであらう。其へ、山間を出たばかりの堅鹽川―大和川―が落ちあつて居るのだ。そこから、乾の方へ、光りを照り返す平面が、幾つも列つて見えるのは、日下江・永瀬江・難波江などの水面であらう。
寂かな夜である。やがて鷄鳴近い山の姿は、一樣に露に濡れたやうに、しつとりとして靜まつて居る。谷にちら/\する雪のやうな輝きは、目の下の山田谷に多い、小櫻の遲れ咲きである。
一本の路が、眞直に通つてゐる。二上山の男嶽・女嶽の間から、急に降つて來るのである。難波から飛鳥の都への古い間道なので、日によつては、晝は相應な人通りがある。道は白々と廣く、夜目には、芝草の蔓つて居るのすら見える。當麻路である。一降りして又、大降りにかゝらうとする處が、中だるみに、やゝ坦くなつてゐた。梢の尖つた栢の木の森。半世紀を經た位の木ぶりが、一樣に揃つて見える。月の光りも薄い木陰全體が、勾配を背負つて造られた圓塚であつた。月は、瞬きもせずに照し、山々は、深く※ を閉ぢてゐる。
こう こう こう。
先刻から、聞えて居たのかも知れぬ。あまり寂けさに馴れた耳は、新な聲を聞きつけよう、としなかつたのであらう。だから、今珍しく響いて來た感じもないのだ。
こう こう こう――こう こう こう。
確かに人聲である。鳥の夜聲とは、はつきりかはつた韻を曳いて來る。聲は、暫らく止んだ。靜寂は以前に増し、冴え返つて張りきつてゐる。この山の峰つゞきに見えるのは、南に幾重ともなく重つた、葛城の峰々である。伏越・櫛羅・小巨勢と段々高まつて、果ては空の中につき入りさうに、二上山と、この塚にのしかゝるほど、眞黒に立ちつゞいてゐる。
當麻路をこちらへ降つて來るらしい影が、見え出した。二つ三つ五つ……八つ九つ。九人の姿である。急な降りを一氣に、この河内路へ馳けおりて來る。
九人と言ふよりは、九柱の神であつた。白い著物・白い鬘、手は、足は、すべて旅の裝束である。頭より上に出た杖をついて――。この坦に來て、森の前に立つた。
こう こう こう。
誰の口からともなく、一時に出た叫びである。山々のこだま は、驚いて一樣に、忙しく聲を合せた。だが、山は、忽一時の騷擾から、元の緘默に戻つてしまつた。
こう。こう。お出でなされ。藤原南家郎女の御魂。
こんな奧山に、迷うて居るものではない。早く、もとの身に戻れ。こう こう。
お身さまの魂を、今、山たづね尋ねて、尋ねあてたおれたちぞよ。こう こう こう。
九つの杖びとは、心から神になつて居る。彼らは、杖を地に置き、鬘を解いた。鬘は此時、唯眞白な布に過ぎなかつた。其を、長さの限り振り捌いて、一樣に塚に向けて振つた。
こう こう こう。
かう言ふ動作をくり返して居る間に、自然な感情の鬱屈と、休息を欲するからだの疲れとが、九體の神の心を、人間に返した。彼らは見る間に、白い布を頭に捲きこんで鬘とし、杖を手にとつた旅人として、立つてゐた。
をい。無言の勤めも此までぢや。
をゝ。
八つの聲が答へて、彼等は訓練せられた所作のやうに、忽一度に、草の上に寛ぎ、再杖を横へた。
これで大和も、河内との境ぢやで、もう魂ごひの行もすんだ。今時分は、郎女さまのからだは、廬の中で魂をとり返して、ぴち/\しく居られようぞ。
こゝは、何處だいの。
知らぬかいよ。大和にとつては大和の國、河内にとつては河内の國の大關。二上の當麻路の關――。
別の長老めいた者が、説明を續いだ。
四五十年あとまでは、唯關と言ふばかりで、何の標もなかつた。其があの、近江の滋賀の宮に馴染み深かつた、其よ。大和では、磯城の譯語田の御館に居られたお方。池上の堤で命召されたあのお方の骸を、罪人に殯するは、災の元と、天若日子の昔語りに任せて、其まゝ此處にお搬びなされて、お埋けになつたのが、此塚よ。
以前の聲が、まう一層皺がれた響きで、話をひきとつた。
其時の仰せには、罪人よ。吾子よ。吾子の爲了せなんだ荒び心で、吾子よりももつと、わるい猛び心を持つた者の、大和に來向ふのを、待ち押へ、塞へ防いで居ろ、と仰せられた。
ほんに、あの頃は、まだおれたちも、壯盛りぢやつたに。今ではもう、五十年昔になるげな。
今一人が、相談でもしかける樣な、口ぶりを插んだ。
さいや。あの時も、墓作りに雇はれた。その後も、當麻路の修覆に召し出された。此お墓の事は、よく知つて居る。ほんの苗木ぢやつた栢が、此ほどの森になつたものな。畏かつたぞよ。此墓のみ魂が、河内安宿部から石擔ちに來て居た男に、憑いた時はなう。
九人は、完全に現し世の庶民の心に、なり還つて居た。山の上は、昔語りするには、あまり寂しいことを忘れて居たのである。時の更け過ぎた事が、彼等の心には、現實にひし/\と、感じられ出したのだらう。
もう此でよい。戻らうや。
よかろ よかろ。
皆は、鬘をほどき、杖を棄てた白衣の修道者、と言ふだけの姿になつた。
だがの。皆も知つてようが、このお塚は、由緒深い、氣のおける處ゆゑ、まう一度、魂ごひをしておくまいか。
長老の語と共に、修道者たちは、再魂呼ひの行を初めたのである。
こう こう こう。
をゝ……。
異樣な聲を出すものだ、と初めは誰も、自分らの中の一人を疑ひ、其でも變に、おぢけづいた心を持ちかけてゐた。も一度、
こう こう こう。
其時、塚穴の深い奧から、冰りきつた、而も今息を吹き返したばかりの聲が、明らかに和したのである。
をゝう……。
九人の心は、ばら/″\の九人の心々であつた。からだも亦ちり/″\に、山田谷へ、竹内谷へ、大阪越えへ、又當麻路へ、峰にちぎれた白い雲のやうに、消えてしまつた。
唯疊まつた山と、谷とに響いて、一つの聲ばかりがする。
をゝう……。
三
萬法藏院の北の山陰に、昔から小な庵室があつた。昔からと言ふのは、村人がすべて、さう信じて居たのである。荒廢すれば繕ひ/\して、人は住まぬ廬に、孔雀明王像が据ゑてあつた。當麻の村人の中には、稀に、此が山田寺である、と言ふものもあつた。さう言ふ人の傳へでは、萬法藏院は、山田寺の荒れて後、飛鳥の宮の仰せを受けてとも言ひ、又御自身の御發起からだとも言ふが、一人の尊いみ子が、昔の地を占めにお出でなされて、大伽藍を建てさせられた。其際、山田寺の舊構を殘すため、寺の四至の中、北の隅へ、當時立ち朽りになつて居た堂を移し、規模を小くして造られたもの、と傳へ言ふのであつた。
さう言へば、山田寺は、役君小角が、山林佛教を創める最初の足代になつた處だと言ふ傳へが、吉野や、葛城の山伏行人の間に行はれてゐた。何しろ、萬法藏院の大伽藍が燒けて百年、荒野の道場となつて居た、目と鼻との間に、こんな古い建て物が、殘つて居たと言ふのも、不思議なことである。
夜は、もう更けて居た。谷川の激ちの音が、段々高まつて來る。二上山の二つの峰の間から、流れくだる水なのだ。
廬の中は、暗かつた。爐を焚くことの少い此邊では、地下百姓は、夜は眞暗な中で、寢たり、坐つたりしてゐるのだ。でもこゝには、本尊が祀つてあつた。夜を守つて、佛の前で起き明す爲には、御燈を照した。
孔雀明王の姿が、あるかないかに、ちろめく光りである。
姫は寢ることを忘れたやうに、坐つて居た。
萬法藏院の上座の僧綱たちの考へでは、まづ奈良へ使ひを出さねばならぬ。横佩家の人々の心を、思うたのである。次には、女人結界を犯して、境内深く這入つた罪は、郎女自身に贖はさねばならなかつた。落慶のあつたばかりの淨域だけに、一時は、塔頭々々の人たちの、青くなつたのも、道理である。此は、財物を施入する、と謂つたぐらゐではすまされぬ。長期の物忌みを、寺近くに居て果させねばならぬと思つた。其で、今日晝の程、奈良へ向つて、早使ひを出して、郎女の姿が、寺中に現れたゆくたて を、仔細に告げてやつたのである。
其と共に姫の身は、此庵室に暫らく留め置かれることになつた。たとひ、都からの迎へが來ても、結界を越えた贖ひを果す日數だけは、こゝに居させよう、と言ふのである。
牀は低いけれども、かいてあるにはあつた。其替り、天井は無上に高くて、而も萱のそゝけた屋根は、破風の脇から、むき出しに、空の星が見えた。風が唸つて過ぎたと思ふと、其高い隙から、どつと吹き込んで來た。ばら/″\落ちかゝるのは、煤がこぼれるのだらう。明王の前の灯が、一時かつと明るくなつた。
その光りで照し出されたのは、あさましく荒んだ座敷だけでなかつた。荒板の牀の上に、薦筵二枚重ねた姫の座席。其に向つて、ずつと離れた壁ぎはに、板敷に直に坐つて居る老婆の姿があつた。
壁と言ふよりは、壁代であつた。天井から吊りさげた竪薦が、幾枚も幾枚も、ちぐはぐに重つて居て、どうやら、風は防ぐやうになつて居る。その壁代に張りついたやうに坐つて居る女、先から※ 嗽一つせぬ靜けさである。
貴族の家の郎女は、一日もの言はずとも、寂しいとも思はぬ習慣がついて居た。其で、この山陰の一つ家に居ても、溜め息一つ洩すのではなかつた。晝の内此處へ送りこまれた時、一人の姥のついて來たことは、知つて居た。だが、あまり長く音も立たなかつたので、人の居ることは忘れて居た。今ふつと明るくなつた御燈の色で、その姥の姿から、顏まで一目で見た。どこやら、覺えのある人の氣がする。さすがに、姫にも人懷しかつた。ようべ家を出てから、女性には、一人も逢つて居ない。今そこに居る姥が、何だか、昔の知り人のやうに感じられたのも、無理はないのである。見覺えのあるやうに感じたのは、だが、其親しみ故だけではなかつた。
郎女さま。
緘默を破つて、却てもの寂しい、乾聲が響いた。
郎女は、御存じおざるまい。でも、聽いて見る氣はおありかえ。お生れなさらぬ前の世からのことを。それを知つた姥でおざるがや。
一旦、口がほぐれると、老女は止めどなく、喋り出した。姫は、この姥の顏に見知りのある氣のした訣を、悟りはじめて居た。藤原南家にも、常々、此年よりとおなじやうな媼が、出入りして居た。郎女たちの居る女部屋までも、何時もづか/″\這入つて來て、憚りなく古物語りを語つた、あの中臣志斐媼――。あれと、おなじ表情をして居る。其も、尤であつた。志斐 老女が、藤氏の語部の一人であるやうに、此も亦、この當麻の村の舊族、當麻 眞人の「氏の語部」、亡び殘りの一人であつたのである。
藤原のお家が、今は、四筋に分れて居りまする。ぢやが、大織冠さまの代どころでは、ありは致しませぬ。淡海公の時も、まだ一流れのお家でおざりました。併し其頃やはり、藤原は、中臣と二つの筋に岐れました。中臣の氏人で、藤原の里に榮えられたのが、藤原と、家名の申され初めでおざりました。
藤原のお流れ。今ゆく先も、公家攝※ 《クゲセフロク》の家柄。中臣の筋や、おん神仕へ。差別々々明らかに、御代々々の宮守り。ぢやが、今は今、昔は昔でおざります。藤原の遠つ祖、中臣の氏の神、天押雲根と申されるお方の事は、お聞き及びかえ。
今、奈良の宮におざります日の御子さま。其前は、藤原の宮の日のみ子さま。又其前は、飛鳥の宮の日のみ子さま。大和の國中に、宮遷し、宮奠め遊した代々《ヨヽ》の日のみ子さま。長く久しい御代々々に仕へた、中臣の家の神業。郎女さま。お聞き及びかえ。
遠い代の昔語り。耳明らめてお聽きなされ。中臣・藤原の遠つ祖あめの押雲根命。遠い昔の日のみ子さまのお喰しの、飯と、み酒を作る御料の水を、大和國中殘る隈なく搜し覓めました。その頃、國原の水は、水澁臭く、土濁りして、日のみ子さまのお喰しの料に叶ひません。天の神高天の大御祖教へ給へと祈らうにも、國中は國低し。山々もまんだ 天遠し。大和の國とり圍む青垣山では、この二上山。空行く雲の通ひ路と、昇り立つて祈りました。その時、高天の大御祖のお示しで、中臣の祖押雲根命、天の水の湧き口を、此二上山に八ところまで見とゞけて、其後久しく、日のみ子さまのおめしの湯水は、代々の中臣自身、此山へ汲みに參ります。お聞き及びかえ。
當麻眞人の、氏の物語りである。さうして其が、中臣の神わざと繋りのある點を、座談のやうに語り進んだ姥は、ふと口をつぐんだ。
外には、瀬音が荒れて聞えてゐる。中臣・藤原の遠祖が、天二上に求めた天八井の水を集めて、峰を流れ降り、岩にあたつて漲り激つ川なのであらう。瀬音のする方に向いて、姫は、掌を合せた。
併しやがて、ふり向いて、仄暗くさし寄つて來てゐる姥の姿を見た時、言はうやうない畏しさと、せつかれるやうな忙しさを、一つに感じたのである。其に、志斐 姥の、本式に物語りをする時の表情が、此老女の顏にも現れてゐた。今、當麻の語部の姥は、神憑りに入るらしく、わな/\震ひはじめて居るのである。
四
ひさかたの 天二上に、
我が登り 見れば、
とぶとりの 明日香
ふる里の 神南備山隱り、
家どころ 多に見え、
豐にし 屋庭は見ゆ。
彌彼方に 見ゆる家群
藤原の 朝臣が宿。
遠々に 我が見るものを、
たか/″\に 我が待つものを、
處女子は 出で通ぬものか。
よき耳を 聞かさぬものか。
青馬の 耳面刀自。
刀自もがも。女弟もがも。
その子の はらからの子の
處女子の 一人
一人だに、 わが配偶に來よ。
ひさかたの 天二上
二上の陽面に、
生ひをゝり 繁み咲く
馬醉木の にほへる子を
我が 捉り兼ねて、
馬醉木の あしずりしつゝ
吾はもよ偲ぶ。藤原處女
歌ひ了へた姥は、大息をついて、ぐつたりした。其から暫らく、山のそよぎ、川瀬の響きばかりが、耳についた。
姥は居ずまひを直して、嚴かな聲音で、誦り出した。
とぶとりの 飛鳥の都に、日のみ子樣のおそば近く侍る尊いおん方。さゝなみの大津の宮に人となり、唐土の學藝に詣り深く、詩も、此國ではじめて作られたは、大友 皇子か、其とも此お方か、と申し傳へられる御方。
近江の都は離れ、飛鳥の都の再榮えたその頃、あやまちもあやまち。日のみ子に弓引くたくみ、恐しや、企てをなされると言ふ噂が、立ちました。
高天原廣野姫尊、おん怒りをお發しになりまして、とう/\池上の堤に引き出して、お討たせになりました。
其お方がお死にの際に、深く/\思ひこまれた一人のお人がおざりまする。耳面 刀自と申す、大織冠のお娘御でおざります。前から深くお思ひになつて居た、と云ふでもありません。唯、此郎女も、大津の宮離れの時に、都へ呼び返されて、寂しい暮しを續けて居られました。等しく大津の宮に愛着をお持ち遊した右の御方が、愈々、磐余の池の草の上で、お命召されると言ふことを聞いて、一目見てなごり惜しみがしたくて、こらへられなくなりました。藤原から池上まで、おひろひでお出でになりました。小高い柴の一むらある中から、御樣子を窺うて歸らうとなされました。其時ちらりと、かのお人の、最期に近いお目に止りました。其ひと目が、此世に殘る執心となつたのでおざりまする。
もゝつたふ 磐余の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや、雲隱りなむ
この思ひがけない心殘りを、お詠みになつた歌よ、と私ども當麻の語部の物語りには、傳へて居ります。
その耳面刀自と申すは、淡海公の妹君、郎女の祖父君南家太政大臣には、叔母君にお當りになつてゞおざりまする。
人間の執心と言ふものは、怖いものとはお思ひなされぬかえ。
其亡き骸は、大和の國を守らせよ、と言ふ御諚で、此山の上、河内から來る當麻路の脇にお埋けになりました。其が何と、此世の惡心も何もかも、忘れ果てゝ清々《スガヽヽ》しい心になりながら、唯そればかりの一念が、殘つて居る、と申します。藤原四流の中で、一番美しい郎女が、今におき、耳面刀自と、其幽界の目には、見えるらしいのでおざりまする。女盛りをまだ婿どりなさらぬげの郎女さまが、其力におびかれて、この當麻までお出でになつたのでなうて、何でおざりませう。
當麻路に墓を造りました當時、石を搬ぶ若い衆にのり移つた靈が、あの長歌を謳うた、と申すのが傳へ。
當麻語部媼は、南家の郎女の脅える樣を想像しながら、物語つて居たのかも知れぬ。唯さへ、この深夜、場所も場所である。如何に止めどなくなるのが、「ひとり語り」の癖とは言へ、語部の古婆の心は、自身も思はぬ意地くね惡さを藏してゐるものである。此が、神さびた職を寂しく守つて居る者の優越感を、充すことにも、なるのであつた。
大貴族の郎女は、人の語を疑ふことは教へられて居なかつた。それに、信じなければならぬもの、とせられて居た語部の物語りである。詞の端々までも、眞實を感じて、聽いて居る。
言ふとほり、昔びとの宿執が、かうして自分を導いて來たことは、まことに違ひないであらう。其にしても、つひしか 見ぬお姿――尊い御佛と申すやうな相好が、其お方とは思はれぬ。
春秋の彼岸中日、入り方の光り輝く雲の上に、まざ/″\と見たお姿。此日本の國の人とは思はれぬ。だが、自分のまだ知らぬこの國の男子たちには、あゝ言ふ方もあるのか知らぬ。金色の鬢、金色の髮の豐かに垂れかゝる片肌は、白々と袒いで美しい肩。ふくよかなお顏は、鼻隆く、眉秀で夢見るやうにまみ を伏せて、右手は乳の邊に擧げ、脇の下に垂れた左手は、ふくよかな掌を見せて……あゝ雲の上に朱の唇、匂ひやかにほゝ笑まれると見た……その俤。
日のみ子さまの御側仕へのお人の中には、あの樣な人もおいでになるものだらうか。我が家の父や、兄人たちも、世間の男たちとは、とりわけてお美しい、と女たちは噂するが、其すら似もつかぬ……。
尊い女性は、下賤な人と、口をきかぬのが當時の世の掟である。何よりも、其語は、下ざまには通じぬもの、と考へられてゐた。それでも、此古物語りをする姥には、貴族の語もわかるであらう。郎女は、恥ぢながら問ひかけた。
そこの人。ものを聞かう。此身の語が、聞きとれたら、答へしておくれ。
その飛鳥の宮の日のみ子さまに仕へた、と言ふお方は、昔の罪びとらしいに、其が又何とした訣で、姫の前に立ち現れては、神々《カウヾヽ》しく見えるであらうぞ。
此だけの語が言ひ淀み、淀みして言はれてゐる間に、姥は、郎女の内に動く心もちの、凡は、氣どつたであらう。暗いみ燈の光りの代りに、其頃は、もう東白みの明りが、部屋の内の物の形を、朧ろげに顯しはじめて居た。
我が説明を、お聞きわけられませ。神代の昔びと、天若日子。天若日子こそは、天の神々に弓引いた罪ある神。其すら、其後、人の世になつても、氏貴い家々の娘御の閨の戸までも、忍びよると申しまする。世に言ふ「天若みこ」と言ふのが、其でおざります。
天若みこ。物語りにも、うき世語りにも申します。お聞き及びかえ。
姥は暫らく口を閉ぢた。さうして言ひ出した聲は、顏にも、年にも似ず、一段、はなやいで聞えた。
「もゝつたふ」の歌、殘された飛鳥の宮の執心びと、世々の藤原の一の媛に祟る天若みこも、顏清く、聲心惹く天若みこのやはり、一人でおざりまする。
お心つけられませ。物語りも早、これまで。
其まゝ石のやうに、老女はぢつとして居る。冷えた夜も、朝影を感じる頃になると、幾らか温みがさして來る。
萬法藏院は、村からは遠く、山によつて立つて居た。曉早い鷄の聲も、聞えぬ。もう梢を離れるらしい塒鳥が、近い端山の木群で、羽振きの音を立て初めてゐる。
五
おれは活きた。
闇い空間は、明りのやうなものを漂してゐた。併し其は、蒼黒い靄の如く、たなびくものであつた。
巖ばかりであつた。壁も、牀も、梁も、巖であつた。自身のからだすらが、既に、巖になつて居たのだ。
屋根が壁であつた。壁が牀であつた。巖ばかり――。觸つても觸つても、巖ばかりである。手を伸すと、更に堅い巖が、掌に觸れた。脚をひろげると、もつと廣い磐石の面が、感じられた。
纔かにさす薄光りも、黒い巖石が皆吸ひとつたやうに、岩窟の中に見えるものはなかつた。唯けはひ ――彼の人の探り歩くらしい空氣の微動があつた。
思ひ出したぞ。おれが誰だつたか、――訣つたぞ。
おれだ。此おれだ。大津の宮に仕へ、飛鳥の宮に呼び戻されたおれ。滋賀津彦。其が、おれだつたのだ。
歡びの激情を迎へるやうに、岩窟の中のすべての突角が哮びの反響をあげた。彼の人は、立つて居た。一本の木だつた。だが、其姿が見えるほどの、はつきりした光線はなかつた。明りに照し出されるほど、纒つた現し身をも、持たぬ彼の人であつた。
唯、岩屋の中に矗立した、立ち枯れの木に過ぎなかつた。
おれの名は、誰も傳へるものがない。おれすら忘れて居た。長く久しく、おれ自身にすら忘れられて居たのだ。可愛しいおれの名は、さうだ。語り傳へる子があつた筈だ。語り傳へさせる筈の語部も、出來て居たゞらうに。――なぜか、おれの心は寂しい。空虚な感じが、しく/\と胸を刺すやうだ。
――子代も、名代もない、おれにせられてしまつたのだ。さうだ。其に違ひない。この物足らぬ、大きな穴のあいた氣持ちは、其で、するのだ。おれは、此世に居なかつたと同前の人間になつて、現し身の人間どもには、忘れ了されて居るのだ。憐みのないおつかさま。おまへさまは、おれの妻の、おれに殉死にするのを、見殺しになされた。おれの妻の生んだ粟津子は、罪びとの子として、何處かへ連れて行かれた。野山のけだものゝ餌食に、くれたのだらう。可愛さうな妻よ。哀なむすこ よ。
だが、おれには、そんな事などは、何でもない。おれの名が傳らない。劫初から末代まで、此世に出ては消える、天の下の青人草と一列に、おれは、此世に、影も形も殘さない草の葉になるのは、いやだ。どうあつても、不承知だ。
惠みのないおつかさま。お前さまにお縋りするにも、其おまへさますら、もうおいでゞない此世かも知れぬ。
くそ――外の世界が知りたい。世の中の樣子が見たい。
だが、おれの耳は聞える。其なのに、目が見えぬ。この耳すら、世間の語を聞き別けなくなつて居る。闇の中にばかり瞑つて居たおれの目よ。も一度くわつと※ 《ミヒラ》いて、現し世のありのまゝをうつしてくれ、……土龍の目なと、おれに貸しをれ。
聲は再、寂かになつて行つた。獨り言する其聲は、彼の人の耳にばかり聞えて居るのであらう。
丑刻に、靜謐の頂上に達した現し世は、其が過ぎると共に、俄かに物音が起る。月の、空を行く音すら聞えさうだつた四方の山々の上に、まづ木の葉が音もなくうごき出した。次いではるかな谿のながれの色が、白々と見え出す。更に遠く、大和國中の、何處からか起る一番鷄のつくるとき 。
曉が來たのである。里々の男は、今、女の家の閨戸から、ひそ/\と歸つて行くだらう。月は早く傾いたけれど、光りは深夜の色を保つてゐる。午前二時に朝の來る生活に、村びとも、宮びとも忙しいとは思はずに、起きあがる。短い曉の目覺めの後、又、物に倚りかゝつて、新しい眠りを繼ぐのである。
山風は頻りに、吹きおろす。枝・木の葉の相軋めく音が、やむ間なく聞える。だが其も暫らくで、山は元のひつそ としたけしきに還る。唯、すべてが薄暗く、すべてが隈を持つたやうに、朧ろになつて來た。
岩窟は、沈々と黝くなつて冷えて行く。
した した。水は、岩肌を絞つて垂れてゐる。
耳面刀自。おれには、子がない。子がなくなつた。おれは、その榮えてゐる世の中には、跡を貽して來なかつた。子を生んでくれ。おれの子を。おれの名を語り傳へる子どもを――。
岩牀の上に、再白々と横つて見えるのは、身じろきもせぬからだである。唯その眞裸な骨の上に、鋭い感覺ばかりが活きてゐるのであつた。
まだ反省のとり戻されぬむくろ には、心になるものがあつて、心はなかつた。
耳面刀自の名は、唯の記憶よりも、更に深い印象であつたに違ひはない。自分すら忘れきつた、彼の人の出來あがらぬ心に、骨に沁み、干からびた髓の心までも、唯彫りつけられたやうになつて、殘つてゐるのである。
萬法藏院の晨朝の鐘だ。夜の曙色に、一度騷立つた物々の胸をおちつかせる樣に、鳴りわたる鐘の音だ。一ぱし白みかゝつて來た東は、更にほの暗い明け昏れの寂けさに返つた。
南家の郎女は、一莖の草のそよぎでも聽き取れる曉凪ぎを、自身擾すことをすまいと言ふ風に、身じろきすらもせずに居る。
夜の間よりも暗くなつた廬の中では、明王像の立ち處さへ見定められぬばかりになつて居る。
何處からか吹きこんだ朝山颪に、御燈が消えたのである。當麻語部の姥も、薄闇に蹲つて居るのであらう。姫は再、この老女の事を忘れてゐた。
たゞ一刻ばかり前、這入りの戸を搖つた物音があつた。一度 二度 三度。更に數度。音は次第に激しくなつて行つた。樞がまるで、おしちぎられでもするかと思ふほど、音に力のこもつて來た時、ちようど、鷄が鳴いた。其きりぴつたり、戸にあたる者もなくなつた。
新しい物語が、一切、語部の口にのぼらぬ世が來てゐた。けれども、頑な當麻氏の語部の古姥の爲に、我々は今一度、去年以來の物語りをしておいても、よいであらう。まことに其は、昨の日からはじまるのである。
六
門をはひると、俄かに松風が、吹きあてるやうに響いた。
一町も先に、固まつて見える堂伽藍――そこまでずつと、砂地である。
白い地面に、廣い葉の青いまゝでちらばつて居るのは、朴の木だ。
まともに、寺を壓してつき立つてゐるのは、二上山である。其眞下に※ 槃佛のやうな姿に横つてゐるのが麻呂子山だ。其頂がやつと、講堂の屋の棟に、乘りかゝつてゐるやうにしか見えない。
こんな事を、女人の身で知つて居る訣はなかつた。だが、俊敏な此旅びとの胸に、其に似たほのかな綜合の、出來あがつて居たのは疑はれぬ。暫らくの間、その薄緑の山色を仰いで居た。其から、朱塗りの、激しく光る建て物へ、目を移して行つた。
此寺の落慶供養のあつたのは、つい四五日前であつた。まだあの日の喜ばしい騷ぎの響みが、どこかにする樣に、麓の村びと等には、感じられて居る程である。
山颪に吹き暴されて、荒草深い山裾の斜面に、萬法藏院の細々とした御燈の、煽られて居たのに目馴れた人たちは、この幸福な轉變に、目を※ つて居るだらう。此郷に田莊を殘して、奈良に數代住みついた豪族の主人も、その日は、歸つて來て居たつけ。此は、天竺の狐の爲わざではないか、其とも、この葛城郡に、昔から殘つてゐる幻術師のする迷はしではないか。あまり莊嚴を極めた建て物に、故知らぬ反感まで唆られて、廊を踏み鳴し、柱を叩いて見たりしたものも、その供人のうちにはあつた。
數年前の春の初め、野燒きの火が燃えのぼつて來て、唯一宇あつた萱堂が、忽痕もなくなつた。そんな小な事件が起つて、注意を促してすら、そこに、曾て美しい福田と、寺の創められた代を、思ひ出す者もなかつた程、それは/\、微かな遠い昔であつた。
以前、疑ひを持ち初める里の子どもが、其堂の名に、不審を起した。當麻の村にありながら、山田寺と言つたからである。山の背の河内の國安宿部郡の山田谷から移つて二百年、寂しい道場に過ぎなかつた。其でも一時は、倶舍の寺として、榮えたこともあつたのだつた。
飛鳥の御世の、貴い御方が、此寺の本尊を、お夢に見られて、おん子を遣され、堂舍をひろげ、住侶の數をお殖しになつた。おひ/\境内になる土地の地形の進んでゐる最中、その若い貴人が、急に亡くなられた。さうなる筈の、風水の相が、「まろこ」の身を招き寄せたのだらう。よし/\墓はそのまゝ、其村に築くがよい、との仰せがあつた。其み墓のあるのが、あの麻呂子山だと言ふ。まろ子といふのは、尊い御一族だけに用ゐられる語で、おれの子といふほどの、意味であつた。ところが、其おことばが縁を引いて、此郷の山には、其後亦、貴人をお埋め申すやうな事が、起つたのである。
だが、さう言ふ物語りはあつても、それは唯、此里の語部の姥の口に、さう傳へられてゐる、と言ふに過ぎぬ古物語りであつた。纔かに百年、其短いと言へる時間も、文字に縁遠い生活には、さながら太古を考へると、同じ昔となつてしまつた。
旅の若い女性は、型摺りの大樣な美しい模樣をおいた著る物を襲うて居る。笠は、淺い縁に、深い縹色の布が、うなじを隱すほどに、さがつてゐた。
日は仲春、空は雨あがりの、爽やかな朝である。高原の寺は、人の住む所から、自ら遠く建つて居た。唯凡、百の僧俗が、寺中に起き伏して居る。其すら、引き續く供養饗宴の疲れで、今日はまだ、遲い朝を、姿すら見せずにゐる。
その女人は、日に向つてひたすら輝く伽藍の※ りを、殘りなく歩いた。寺の南境は、み墓山の裾から、東へ出てゐる長い崎の盡きた所に、大門はあつた。其中腹と、東の鼻とに、西塔・東塔が立つて居る。丘陵の道をうねりながら登つた旅びとは、東の塔の下に出た。
雨の後の水氣の、立つて居る大和の野は、すつかり澄みきつて、若晝のきら/\しい景色になつて居る。右手の目の下に、集中して見える丘陵は傍岡で、ほの/″\と北へ流れて行くのが、葛城川だ。平原の眞中に、旅笠を伏せたやうに見える遠い小山は、耳無の山であつた。其右に高くつつ立つてゐる深緑は、畝傍山。更に遠く日を受けてきらつく水面は、埴安の池ではなからうか。其東に平たくて低い背を見せるのは、聞えた香具山なのだらう。旅の女子の目は、山々の姿を、一つ/\に辿つてゐる。天香具山をあれだと考へた時、あの下が、若い父母の育つた、其から、叔父叔母、又一族の人々の、行き來した、藤原の里なのだ。
もう此上は見えぬ、と知れて居ても、ひとりで、爪先立てゝ伸び上る氣持ちになつて來るのが抑へきれなかつた。
香具山の南の裾に輝く瓦舍は、大官大寺に違ひない。其から更に眞南の、山と山との間に、薄く霞んでゐるのが、飛鳥の村なのであらう。父の父も、母の母も、其又父母も、皆あのあたりで生ひ立たれたのであらう。この國の女子に生れて、一足も女部屋を出ぬのを、美徳とする時代に居る身は、親の里も、祖先の土も、まだ踏みも知らぬ。あの陽炎の立つてゐる平原を、此足で、隅から隅まで歩いて見たい。
かう、その女性は思うてゐる。だが、何よりも大事なことは、此郎女――貴女は、昨日の暮れ方、奈良の家を出て、こゝまで歩いて來てゐるのである。其も、唯のひとりでゞあつた。
家を出る時、ほんの暫し、心を掠めた――父君がお聞きになつたら、と言ふ考へも、もう氣にはかゝらなくなつて居る。乳母があわてゝ探すだらう、と言ふ心が起つて來ても、却つてほのかな、こみあげ笑ひを誘ふ位の事になつてゐる。
山はづゝしりとおちつき、野はおだやかに畝つて居る。かうして居て、何の物思ひがあらう。この貴な娘御は、やがて後をふり向いて、山のなぞへについて、次第に首をあげて行つた。
二上山。あゝこの山を仰ぐ、言ひ知らぬ胸騷ぎ。――藤原・飛鳥の里々山々を眺めて覺えた、今の先の心とは、すつかり違つた胸の悸き。旅の郎女は、脇目も觸らず、山に見入つてゐる。さうして、靜かな思ひの充ちて來る滿悦を、深く覺えた。昔びとは、確實な表現を知らぬ。だが謂はゞ、――平野の里に感じた喜びは、過去生に向けてのものであり、今此山を仰ぎ見ての驚きは、未來世を思ふ心躍りだ、とも謂へよう。
塔はまだ、嚴重にやらひ を組んだまゝ、人の立ち入りを禁めてあつた。でも、ものに拘泥することを教へられて居ぬ姫は、何時の間にか、塔の初重の欄干に、自分のよりかゝつて居るのに、氣がついた。さうして、しみ/″\と山に見入つて居る。まるで瞳が、吸ひこまれるやうに。山と自分とに繋る深い交渉を、又くり返し思ひ初めてゐた。
郎女の家は、奈良東城、右京三條第七坊にある。祖父武智麻呂のこゝで亡くなつて後、父が移り住んでからも、大分の年月になる。父は男壯には、横佩の大將と謂はれる程、一ふりの大刀のさげ方にも、工夫を凝らさずには居られぬだて 者であつた。なみ の人の竪にさげて佩く大刀を、横へて吊る佩き方を案出した人である。新しい奈良の都の住人は、まださうした官吏としての、華奢な服裝を趣向むまでに到つて居なかつた頃、姫の若い父は、近代の時世裝に思ひを凝して居た。その家に覲ねて來る古い留學生や、新來の歸化僧などに尋ねることも、張文成などの新作の物語りの類を、問題にするやうなのとも、亦違うてゐた。
さうした闊達な、やまとごゝろの、赴くまゝにふるまうて居る間に、才優れた族人が、彼を乘り越して行くのに氣がつかなかつた。姫には叔父、彼――豐成には、さしつぎの弟、仲麻呂である。
その父君も、今は筑紫に居る。尠くとも、姫などはさう信じて居た。家族の半以上は、太宰帥のはな/″\しい生活の裝ひとして、連れられて行つてゐた。宮廷から賜る資人・※ 仗も、大貴族の家の門地の高さを示すものとして、美々しく着飾らされて、皆任地へついて行つた。さうして、奈良の家には、その年は亦とりわけ、寂しい若葉の夏が來た。
寂かな屋敷には、響く物音もない時が、多かつた。この家も世間どほりに、女部屋は、日あたりに疎い北の屋にあつた。その西側に、小な蔀戸があつて、其をつきあげると、方三尺位な※ になるやうに出來てゐる。さうして、其内側には、夏冬なしに簾が垂れてあつて、戸のあげてある時は、外からの隙見を禦いだ。
それから外※ 《ソトマハ》りは、家の廣い外郭になつて居て、大炊屋もあれば、湯殿火燒き屋なども、下人の住ひに近く、立つてゐる。苑と言はれる菜畠や、ちよつとした果樹園らしいものが、女部屋の窓から見える、唯一の景色であつた。
武智麻呂存生の頃から、此屋敷のことを、世間では、南家と呼び慣はして來てゐる。此頃になつて、仲麻呂の威勢が高まつて來たので、何となく其古い通稱は、人の口から薄れて、其に替る稱へが、行はれ出した樣だつた。三條七坊をすつかり占めた大屋敷を、一垣内――一字と見倣して、横佩墻内と言ふ者が、著しく殖えて來たのである。
その太宰府からの音づれが、久しく絶えたと思つてゐたら、都とは目と鼻の難波に、いつか還り住んで、遙かに筑紫の政を聽いてゐた帥の殿であつた。其父君から遣された家の子が、一車に積み餘るほどな家づとを、家に殘つた家族たち殊に、姫君にと言つてはこんで來た。
山國の狹い平野に、一代々々都遷しのあつた長い歴史の後、こゝ五十年、やつと一つ處に落ちついた奈良の都は、其でもまだ、なか/\整ふまでには、行つて居なかつた。
官廳や、大寺が、によつきり/\、立つてゐる外は、貴族の屋敷が、處々むやみに場をとつて、その相間々々に、板屋や瓦屋が、交りまじりに續いてゐる。其外は、廣い水田と、畠と、存外多い荒蕪地の間に、人の寄りつかぬ塚や岩群が、ちらばつて見えるだけであつた。兎や、狐が、大路小路を驅け※ る樣なのも、毎日のこと。つい此頃も、朱雀大路の植ゑ木の梢を、夜になると、※ 鼠が飛び歩くと言ふので、一騷ぎした位である。
横佩家の郎女が、稱讃淨土佛攝受經を寫しはじめたのも、其頃からであつた。父の心づくしの贈り物の中で、一番、姫君の心を饒やかにしたのは、此新譯の阿彌陀經一卷であつた。
國の版圖の上では、東に偏り過ぎた山國の首都よりも、太宰府は、遙かに開けてゐた。大陸から渡る新しい文物は、皆一度は、この遠の宮廷領を通過するのであつた。唐から渡つた書物などで、太宰府ぎりに、都まで出て來ないものが、なか/\多かつた。
學問や、藝術の味ひを知り初めた志の深い人たちは、だから、大唐までは望まれぬこと、せめて大宰府へだけはと、筑紫下りを念願するほどであつた。
南家の郎女の手に入つた稱讃淨土經も、大和一國の大寺と言ふ大寺に、まだ一部も藏せられて居ぬものであつた。
姫は、蔀戸近くに、時としては机を立てゝ、寫經をしてゐることもあつた。夜も、侍女たちを寢靜まらしてから、油火の下で、一心不亂に書き寫して居た。
百部は、夙くに寫し果した。その後は、千部手寫の發願をした。冬は春になり、夏山と繁つた春日山も、既に黄葉して、其がもう散りはじめた。蟋蟀は、晝も苑一面に鳴くやうになつた。佐保川の水を堰き入れた庭の池には、遣り水傳ひに、川千鳥の啼く日すら、續くやうになつた。
今朝も、深い霜朝を、何處からか、鴛鴦の夫婦鳥が來て浮んで居ります、と童女が告げた。
五百部を越えた頃から、姫の身は、目立つてやつれて來た。ほんの纔かの眠りをとる間も、ものに驚いて覺めるやうになつた。其でも、八百部の聲を聞く時分になると、衰へたなりに、健康は定まつて來たやうに見えた。やゝ蒼みを帶びた皮膚に、心もち細つて見える髮が、愈々黒く映え出した。
八百八十部、九百部。郎女は侍女にすら、ものを言ふことを厭ふやうになつた。さうして、晝すら何か夢見るやうな目つきして、うつとり蔀戸ごしに、西の空を見入つて居るのが、皆の注意をひくほどであつた。
實際、九百部を過ぎてからは筆も一向、はかどらなくなつた。二十部・三十部・五十部。心ある女たちは、文字の見えない自身たちのふがひなさ を悲しんだ。郎女の苦しみを、幾分でも分けることが出來ように、と思ふからである。
南家の郎女が、宮から召されることになるだらうと言ふ噂が、京・洛外に廣がつたのも、其頃である。屋敷中の人々は、上近く事へる人たちから、垣内の隅に住む奴隷・婢奴の末にまで、顏を輝かして、此とり沙汰を迎へた。でも姫には、誰一人其を聞かせる者がなかつた。其ほど、此頃の郎女は氣むつかしく、外目に見えてゐたのである。
千部手寫の望みは、さうした大願から立てられたものだらう、と言ふ者すらあつた。そして誰ひとり、其を否む者はなかつた。
南家の姫の美しい膚は、益々透きとほり、潤んだ目は、愈々大きく黒々と見えた。さうして、時々聲に出して誦する經の文が、物の音に譬へやうもなく、さやかに人の耳に響く。聞く人は皆、自身の耳を疑うた。
去年の春分の日の事であつた。入り日の光りをまともに受けて、姫は正座して、西に向つて居た。日は、此屋敷からは、稍坤によつた遠い山の端に沈むのである。西空の棚雲の紫に輝く上で、落日は俄かに轉き出した。その速さ。雲は炎になつた。日は黄金の丸になつて、その音も聞えるか、と思ふほど鋭く※ つた。雲の底から立ち昇る青い光りの風――、姫は、ぢつと見つめて居た。やがて、あらゆる光りは薄れて、雲は霽れた。夕闇の上に、目を疑ふほど、鮮やかに見えた山の姿。二上山である。その二つの峰の間に、あり/\と莊嚴な人の俤が、瞬間顯れて消えた。後は、眞暗な闇の空である。山の端も、雲も何もない方に、目を凝して、何時までも端坐して居た。郎女の心は、其時から愈々澄んだ。併し、極めて寂しくなり勝つて行くばかりである。
ゆくりない日が、半年の後に再來て、姫の心を無上の歡喜に引き立てた。其は、同じ年の秋、彼岸中日の夕方であつた。姫は、いつかの春の日のやうに、坐してゐた。朝から、姫の白い額の、故もなくひよめいた 長い日の、後である。二上山の峰を包む雲の上に、中秋の日の爛熟した光りが、くるめき出したのである。雲は火となり、日は八尺の鏡と燃え、青い響きの吹雪を、吹き捲く嵐――。
雲がきれ、光りのしづまつた山の端は、細く金の外輪を靡かして居た。其時、男嶽・女嶽の峰の間に、あり/\と浮き出た 髮 頭 肩 胸――。
姫は又、あの俤を見ることが、出來たのである。
南家の郎女の幸福な噂が、春風に乘つて來たのは、次の春である。姫は別樣の心躍りを、一月も前から感じて居た。さうして、日を數り初めて、ちようど、今日と言ふ日。彼岸中日、春分の空が、朝から晴れて、雲雀は天に翔り過ぎて、歸ることの出來ぬほど、青雲が深々とたなびいて居た。郎女は、九百九十九部を寫し終へて、千部目にとりついて居た。
日一日、のどかな温い春であつた。經卷の最後の行、最後の字を書きあげて、ほつと息をついた。あたりは俄かに、薄暗くなつて居る。目をあげて見る蔀窓の外には、しと/\と――音がしたゝつて居るではないか。姫は立つて、手づから簾をあげて見た。雨。
苑の青菜が濡れ、土が黒ずみ、やがては瓦屋にも、音が立つて來た。
姫は、立つても坐ても居られぬ、焦躁に悶えた。併し日は、益々暗くなり、夕暮れに次いで、夜が來た。
茫然として、姫はすわつて居る。人聲も、雨音も、荒れ模樣に加つて來た風の響きも、もう、姫は聞かなかつた。
七
南家の郎女の神隱しに遭つたのは、其夜であつた。家人は、翌朝空が霽れ、山々がなごりなく見えわたる時まで、氣がつかずに居た。
横佩墻内に住む限りの者は、男も、女も、上の空になつて、洛中洛外を馳せ求めた。さうした奔り人の多く見出される場處と言ふ場處は、殘りなく搜された。春日山の奧へ入つたものは、伊賀境までも踏み込んだ。高圓山の墓原も、佐紀の沼地・雜木原も、又は、南は山村、北は奈良山、泉川の見える處まで馳せ※ つて、戻る者も戻る者も、皆空足を踏んで來た。
姫は、何處をどう歩いたか、覺えがない。唯家を出て、西へ/\と辿つて來た。降り募るあらしが、姫の衣を濡した。姫は、誰にも教はらないで、裾を脛まであげた。風は、姫の髮を吹き亂した。姫は、いつとなく、髻をとり束ねて、襟から着物の中に、含み入れた。夜中になつて、風雨が止み、星空が出た。
姫の行くてには常に、二つの峰の竝んだ山の立ち姿がはつきりと聳えて居た。毛孔の竪つやうな畏しい聲を、度々聞いた。ある時は、鳥の音であつた。其後、頻りなく斷續したのは、山の獸の叫び聲であつた。大和の内も、都に遠い廣瀬・葛城あたりには、人居などは、ほんの忘れ殘りのやうに、山陰などにあるだけで、あとは曠野。それに――、本村を遠く離れた、時はづれの、人棲まぬ田居ばかりである。
片破れ月が、上つて來た。其が却て、あるいてゐる道の邊の凄さを照し出した。其でも、星明りで辿つて居るよりは、よるべを覺えて、足が先へ/\と出た。月が中天へ來ぬ前に、もう東の空が、ひいわり 白んで來た。
夜のほの/″\明けに、姫は、目を疑ふばかりの現實に行きあつた。――横佩家の侍女たちは何時も、夜の起きぬけに、一番最初に目撃した物事で、日のよしあしを、占つて居るやうだつた。さう言ふ女どものふるまひに、特別に氣は牽かれなかつた郎女だけれど、よく其人々が、「今朝の朝目がよかつたから」「何と言ふ情ない朝目でせう」などゝ、そは/\と興奮したり、むやみに塞ぎこんだりして居るのを、見聞きしてゐた。
郎女は、生れてはじめて、「朝目よく」と謂つた語を、内容深く感じたのである。目の前に赤々と、丹塗りに照り輝いて、朝日を反射して居るのは、寺の大門ではないか。さうして、門から、更に中門が見とほされて、此もおなじ丹塗りに、きらめいて居る。
山裾の勾配に建てられた堂・塔・伽藍は、更に奧深く、朱に、青に、金色に、光りの棚雲を、幾重にもつみ重ねて見えた。朝目のすがしさは、其ばかりではなかつた。其寂寞たる光りの海から、高く抽でゝ見える二上の山。
淡海公の孫、大織冠には曾孫。藤氏族長太宰帥、南家の豐成、其第一孃子なる姫である。屋敷から、一歩はおろか、女部屋を膝行り出ることすら、たまさかにもせぬ、郎女のことである。順道ならば、今頃は既に、藤原の氏神河内の枚岡の御神か、春日の御社に、巫女の君として仕へてゐるはずである。家に居ては、男を寄せず、耳に男の聲も聞かず、男の目を避けて、仄暗い女部屋に起き臥しゝてゐる人である。世間の事は、何一つ聞き知りも、見知りもせぬやうに、おふしたてられて來た。
寺の淨域が、奈良の内外にも、幾つとあつて、横佩墻内と讃へられてゐる屋敷よりも、もつと廣大なものだ、と聞いて居た。さうでなくても、經文の上に傳へた淨土の莊嚴をうつすその建て物の樣は想像せぬではなかつた。だが目のあたり見る尊さは唯息を呑むばかりであつた。之に似た驚きの經驗は曾て一度したことがあつた。姫は今其を思ひ起して居る。簡素と豪奢との違ひこそあれ、驚きの歡喜は、印象深く殘つてゐる。
今の太上天皇樣が、まだ宮廷の御あるじで居させられた頃、八歳の南家の郎女は、童女として、初の殿上をした。穆々《ボクヾヽ》たる宮の内の明りは、ほのかな香氣を含んで、流れて居た。晝すら眞夜に等しい、御帳臺のあたりにも、尊いみ聲は、昭々《セウヽヽ》と珠を搖る如く響いた。物わきまへもない筈の、八歳の童女が感泣した。
「南家には、惜しい子が、女になつて生れたことよ」と仰せられた、と言ふ畏れ多い風聞が、暫らく貴族たちの間に、くり返された。其後十二年、南家の娘は、二十になつてゐた。幼いからの聰さにかはりはなくて、玉・水精の美しさが益々加つて來たとの噂が、年一年と高まつて來る。
姫は、大門の閾を越えながら、童女殿上の昔の畏さを、追想して居たのである。長い甃道を踏んで、中門に屆く間にも、誰一人出あふ者がなかつた。恐れを知らず育てられた大貴族の郎女は、虔しく併しのどかに、御堂々々を拜んで、岡の東塔に來たのである。
こゝからは、北大和の平野は見えぬ。見えたところで、郎女は、奈良の家を考へ浮べることも、しなかつたであらう。まして、家人たちが、神隱しに遭うた姫を、探しあぐんで居ようなどゝは、思ひもよらなかつたのである。唯うつとりと、塔の下から近々と仰ぐ、二上山の山肌に、現し世の目からは見えぬ姿を惟ひ觀ようとして居るのであらう。
此時分になつて、寺では、人の動きが繁くなり出した。晨朝の勤めの間も、うと/\して居た僧たちは、爽やかな朝の眼を※ いて、食堂へ降りて行つた。奴婢は、其々もち場持ち場の掃除を勵む爲に、ようべの雨に洗つたやうになつた、境内の沙地に出て來た。
そこにござるのは、どなたぞな。
岡の陰から、恐る/\頭をさし出して問うた一人の寺奴は、あるべからざる事を見た樣に、自分自身を咎めるやうな聲をかけた。女人の身として、這入ることの出來ぬ結界を犯してゐたのだつた。姫は答へよう、とはせなかつた。又答へようとしても、かう言ふ時に使ふ語には、馴れて居ぬ人であつた。
若し又、適當な語を知つて居たにしたところで、今はそんな事に、考へを紊されては、ならぬ時だつたのである。
姫は唯、山を見てゐた。依然として山の底に、ある俤を觀じ入つてゐるのである。寺奴は、二言とは問ひかけなかつた。一晩のさすらひでやつれては居ても、服裝から見てすぐ、どうした身分の人か位の判斷は、つかぬ筈はなかつた。又暫らくして、四五人の跫音が、びた/″\と岡へ上つて來た。年のいつたのや、若い僧たちが、ばら/″\と走つて、塔のやらひの外まで來た。
こゝまで出て御座れ。そこは、男でも這入るところではない。女人は、とつとゝ出てお行きなされ。
姫は、やつと氣がついた。さうして、人とあらそはぬ癖をつけられた貴族の家の子は、重い足を引きながら、竹垣の傍まで來た。
見れば、奈良のお方さうなが、どうして、そんな處にいらつしやる。
それに又、どうして、こゝまでお出でだつた。伴の人も連れずに――。
口々に問うた。男たちは、咎める口とは別に、心はめい/\、貴い女性をいたはる氣持ちになつて居た。
山ををがみに……。
まことに唯一詞。當の姫すら思ひ設けなんだ詞が、匂ふが如く出た。貴族の家庭の語と、凡下の家々の語とは、すつかり變つて居た。だから言ひ方も、感じ方も、其うへ、語其ものさへ、郎女の語が、そつくり寺の所化輩には、通じよう筈がなかつた。
でも、其でよかつたのである。其でなくて、語の内容が、其まゝ受けとられようものなら、南家の姫は、即座に氣のふれた女、と思はれてしまつたであらう。
それで、御館はどこぞな。
みたち……。
おうちは……。
おうち……。
おやかたは、と問ふのだよ――。
をゝ。家はとや。右京藤原南家……。
俄然として、群集の上にざはめきが起つた。四五人だつたのが、あとから後から登つて來た僧たちも加つて、二十人以上にもなつて居た。其が、口々に喋り出したものである。
ようべの嵐に、まだ殘りがあつたと見えて、日の明るく照つて居る此小晝に、又風が、ざはつき出した。この岡の崎にも、見おろす谷にも、其から二上山へかけての尾根々々にも、ちらほら白く見えて、花の木がゆすれて居る。山の此方にも小櫻の花が、咲き出したのである。
此時分になつて、奈良の家では、誰となく、こんな事を考へはじめてゐた。此はきつと、里方の女たちのよく する、春の野遊びに出られたのだ。――何時からとも知らぬ、習しである。春秋の、日と夜と平分する其頂上に當る日は、一日、日の影を逐うて歩く風が行はれて居た。どこまでもどこまでも、野の果て、山の末、海の渚まで、日を送つて行く女衆が多かつた。さうして、夜に入つてくた/\になつて、家路を戻る。此爲來りを何時となく、女たちの咄すのを聞いて、姫が、女の行として、この野遊びをする氣になられたのだ、と思つたのである。かう言ふ、考へに落ちつくと、ありやうもない考へだと訣つて居ても、皆の心が一時、ほうと輕くなつた。
ところが、其日も晝さがりになり、段々夕光の、催して來る時刻が來た。昨日は、駄目になつた日の入りの景色が、今日は中日にも劣るまいと思はれる華やかさで輝いた。横佩家の人々の心は、再重くなつて居た。
八
奈良の都には、まだ時をり、石城と謂はれた石垣を殘して居る家の、見かけられた頃である。度々の太政官符で、其を家の周りに造ることが、禁ぜられて來た。今では、宮廷より外には、石城を完全にとり※ した豪族の家などは、よく/\の地方でない限りは、見つからなくなつて居る筈なのである。
其に一つは、宮廷の御在所が、御一代々々々に替つて居た千數百年の歴史の後に、飛鳥の都は、宮殿の位置こそ、數町の間をあちこちせられたが、おなじ山河一帶の内にあつた。其で凡、都遷しのなかつた形になつたので、後から/\地割りが出來て、相應な都城の姿は備へて行つた。其數朝の間に、舊族の屋敷は、段々、家構へが整うて來た。
葛城に、元のまゝの家を持つて居て、都と共に一代ぎりの、屋敷を構へて居た蘇我臣なども、飛鳥の都では、次第に家作りを擴げて行つて、石城なども高く、幾重にもとり※ して、凡永久の館作りをした。其とおなじ樣な氣持ちから、どの氏でも、大なり小なり、さうした石城づくりの屋敷を構へるやうになつて行つた。
蘇我臣一流れで最榮えた島の大臣家の亡びた時分から、石城の構へは禁められ出した。
この國のはじまり、天から授けられたと言ふ、宮廷に傳はる神の御詞に背く者は、今もなかつた。が、書いた物の力は、其が、どのやうに由緒のあるものでも、其ほどの威力を感じるに到らぬ時代が、まだ續いて居た。
其飛鳥の都も、高天原廣野姫尊樣の思召しで、其から一里北の藤井个原に遷され、藤原の都と名を替へて、新しい唐樣の端正しさを盡した宮殿が、建ち竝ぶ樣になつた。近い飛鳥から、新渡來の高麗馬に跨つて、馬上で通ふ風流士もあるにはあつたが、多くはやはり、鷺栖の阪の北、香具山の麓から西へ、新しく地割りせられた京城の坊々《マチヽヽ》に屋敷を構へ、家造りをした。その次の御代になつても、藤原の都は、日に益し、宮殿が建て増されて行つて、こゝを永宮と遊ばす思召しが、伺はれた。その安堵の心から、家々の外には、石城を※ すものが、又ぼつ/″\出て來た。さうして、そのはやり風俗が、見る/\うちに、また氏々の族長の家圍ひを、あらかた石にしてしまつた。その頃になつて、天眞宗豐祖父尊樣がおかくれになり、御母 日本根子天津御代豐國成姫の大尊樣がお立ち遊ばした。その四年目思ひもかけず、奈良の都に宮遷しがあつた。ところがまるで、追つかけるやうに、藤原の宮は固より、目ぬきの家竝みが、不意の出火で、其こそ、あつと言ふ間に、痕形もなく、空の有となつてしまつた。もう此頃になると、太政官符に、更に嚴しい添書がついて出ずとも、氏々の人は皆、目の前のすばやい人事自然の交錯した轉變に、目を瞠るばかりであつたので、久しい石城の問題も、其で、解決がついて行つた。
古い氏種姓を言ひ立てゝ、神代以來の家職の神聖を誇つた者どもは、其家職自身が、新しい藤原奈良の都には、次第に意味を失つて來てゐる事に、氣がついて居なかつた。
最早くそこに心づいた、姫の祖父淡海公などは、古き神祕を誇つて來た家職を、末代まで傳へる爲に、別に家を立てゝ中臣の名を保たうとした。さうして、自分・子供ら・孫たちと言ふ風に、いちはやく、新しい官人の生活に入り立つて行つた。
ことし、四十を二つ三つ越えたばかりの大伴家持は、父旅人の其年頃よりは、もつと優れた男ぶりであつた。併し、世の中はもう、すつかり變つて居た。見るもの障るもの、彼の心を苛つかせる種にならぬものはなかつた。淡海公の、小百年前に實行して居る事に、今はじめて自分の心づいた鈍ましさが、憤らずに居られなかつた。さうして、自分とおなじ風の性向の人の成り行きを、まざ/″\省みて、慄然とした。現に、時に誇る藤原びとでも、まだ昔風の夢に泥んで居た南家の横佩右大臣は、さきをとゝし、太宰 員外帥に貶されて、都を離れた。さうして今は、難波で謹愼してゐるではないか。自分の親旅人も、三十年前に踏んだ道である。
世間の氏上家の主人は、大方もう、石城など築き※ 《マハ》して、大門小門を繋ぐと謂つた要害と、裝飾とに、興味を失ひかけて居るのに、何とした自分だ。おれはまだ現に、出來るなら、宮廷のお目こぼしを頂いて、石に圍はれた家の中で、家の子どもを集め、氏人たちを召びつどへて、弓場に精勵させ、棒術・大刀かき に出精させよう、と謂つたことを空想して居る。さうして年々《トシヾヽ》頻繁に、氏神其外の神々を祭つてゐる。其度毎に、家の語部大伴 語造の嫗たちを呼んで、之に捉へ處もない昔代の物語りをさせて、氏人に傾聽を強ひて居る。何だか、空な事に力を入れて居たやうに思へてならぬ寂しさだ。
だが、其氏神祭りや、祭りの後宴に、大勢の氏人の集ることは、とりわけやかましく言はれて來た、三四年以來の法度である。
こんな溜め息を洩しながら、大伴氏の舊い習しを守つて、どこまでも、宮廷守護の爲の武道の傳襲に、努める外はない家持だつたのである。
越中守として踏み歩いた越路の泥のかたが、まだ行縢から落ちきらぬ内に、もう復、都を離れなければならぬ時の、迫つて居るやうな氣がして居た。其中、此針の筵の上で、兵部少輔から、大輔に昇進した。そのことすら、益々脅迫感を強める方にばかりはたらいた。
今年五月にもなれば、東大寺の四天王像の開眼が行はれる筈で、奈良の都の貴族たちには、すでに寺から内見を願つて來て居た。さうして、忙しい世の中にも、暫らくはその評判が、すべてのいざこざをおし鎭める程に、人の心を浮き立たした。本朝出來の像としてはまづ、此程物凄い天部の姿を拜んだことは、はじめてだ、と言ふものもあつた。神代の荒神たちも、こんな形相でおありだつたらう、と言ふ噂も聞かれた。
まだ公の供養もすまぬのに、人の口はうるさいほど、頻繁に流説をふり撒いてゐた。あの多聞天と、廣目天との顏つきに、思ひ當るものがないか、と言ふのであつた。此はこゝだけの咄だよ、と言つて話したのが、次第に廣まつて、家持の耳までも聞えて來た。なるほど、憤怒の相もすさまじいにはすさまじいが、あれがどうも、當今大倭一だと言はれる男たちの顏、そのまゝだと言ふのである。貴人は言はぬ、かう言ふ種類の噂は、えて 供をして見て來た道々《ミチヽヽ》の博士たちと謂つた、心蔑しいものゝ、言ひさうな事である。
多聞天は、大師藤原 惠美中卿だ。あの柔和な、五十を越してもまだ、三十代の美しさを失はぬあの方が、近頃おこりつぽくなつて、よく下官や、仕へ人を叱るやうになつた。あの圓滿し人が、どうしてこんな顏つきになるだらう、と思はれる表情をすることがある。其面もちそつくりだ、と尤らしい言ひ分なのである。
さう言へば、あの方が壯盛りに、棒術を嗜んで、今にも事あれかしと謂つた顏で、立派な甲をつけて、のつし/\と長い物を杖いて歩かれたお姿が、あれを見てゐて、ちらつくやうだなど、と相槌をうつ者も出て來た。
其では、廣目天の方はと言ふと、
さあ、其がの――。
と誰に言はせても、ちよつと言ひ澁るやうに、困つた顏をして見せる。
實は、ほんの人の噂だがの。噂だから、保證は出來ぬがの。義淵僧正の弟子の道鏡法師に、似てるぞなと言ふがや。……けど、他人に言はせると、――あれはもう、二十幾年にもなるかいや――筑紫で伐たれなされた前太宰少貳―藤原廣嗣―の殿に生寫しぢや、とも言ふがいよ。
わしにも、どちらとも言へんがの。どうでも、見たことのあるお人に似て居さつしやるには、似てゐさつしやるげなが……。
何しろ、此二つの天部が、互に敵視するやうな目つきで、睨みあつて居る。噂を氣にした住侶たちが、色々に置き替へて見たが、どの隅からでも、互に相手の姿を、眦を裂いて見つめて居る。とう/\あきらめて、自然にとり沙汰の消えるのを待つより爲方がない、と思ふやうになつたと言ふ。
若しや、天下に大亂でも起きなければえゝが――。
こんな※ きは、何時までも續きさうに、時と共に倦まずに語られた。
前少貳殿でなくて、弓削新發意の方であつてくれゝば、いつそ安心だがなあ。あれなら、事を起しさうな房主でもなし。起したくても、起せる身分でもないぢやまで――。
言ひたい傍題な事を言つて居る人々も、たつた此一つの話題を持ちあぐね初めた頃、噂の中の大師惠美朝臣の姪の横佩家の郎女が、神隱しに遭うたと言ふ、人の口の端に、旋風を起すやうな事件が、湧き上つたのである。
九
兵部大輔大伴 家持は、偶然この噂を、極めて早く耳にした。ちようど、春分から二日目の朝、朱雀大路を南へ、馬をやつて居た。二人ばかりの資人が徒歩で、驚くほどに足早について行く。此は、晋唐の新しい文學の影響を、受け過ぎるほど享け入れた文人かたぎの彼には、數年來珍しくもなくなつた癖である。かうして、何處まで行くのだらう。唯、朱雀の竝み木の柳の花がほゝけて、霞のやうに飛んで居る。向うには、低い山と、細長い野が、のどかに陽炎ふばかりである。
資人の一人が、とつと ゝ追ひついて來たと思ふと、主人の鞍に顏をおしつける樣にして、新しい耳を聞かした。今行きすがうた知り人の口から、聞いたばかりの噂である。
それで、何か――。娘御の行くへは知れた、と言ふのか。
はい……。いゝえ。何分、その男がとり急いで居りまして。
この間拔け。話はもつと上手に聽くものだ。
柔らかく叱つた。そこへ今一人の伴が、追ひついて來た。息をきらしてゐる。
ふん。汝は聞き出したね。南家の孃子は、どうなつた――。
出端に油かけられた資人は、表情に隱さず心の中を表した此頃の人の、自由な咄し方で、まともに鼻を蠢して語つた。
當麻の邑まで、をとゝひ夜の中に行つて居たこと、寺からは、昨日午後横佩墻内へ知らせが屆いたこと其外には、何も聞きこむ間のなかつたことまで。家持の聯想は、環のやうに繋つて、暫らくは馬の上から見る、街路も、人通りも、唯、物として通り過ぎるだけであつた。
南家で持つて居た藤原の氏上職が、兄の家から、弟仲麻呂―押勝―の方へ移らうとしてゐる。來年か、再來年の枚岡祭りに、參向する氏人の長者は、自然かの大師のほか、人がなくなつて居る。惠美家からは、嫡子久須麻呂の爲、自分の家の第一孃子をくれとせがまれて居る。先日も、久須麻呂の名の歌が屆き、自分の方でも、娘に代つて返し歌を作つて遣した。今朝も今朝、又折り返して、男からの懸想文が、來てゐた。
その壻候補の父なる人は、五十になつても、若かつた頃の容色に頼む心が失せずにゐて、兄の家娘にも執心は持つて居るが、如何に何でも、あの郎女だけには、とり次げないで居る。此は、横佩家へも出入りし、大伴家へも初中終來る古刀自の、人のわるい内證話であつた。其を聞いて後、家持自身も、何だか好奇心に似たものが、どうかすると頭を擡げて來て困つた。仲麻呂は今年、五十を出てゐる。其から見れば、ひとまはりも若いおれなどは、思ひ出にまう一度、此匂やかな貌花を、垣内の坪苑に移せぬ限りはない。こんな當時の男が、皆持つた心をどり に、はなやいだ、明るい氣がした。
だが併し、あの郎女は、藤原四家の系統で一番、神さびたたち を持つて生れた、と謂はれる娘御である。今、枚岡の御神に仕へて居る齋き姫の罷める時が來ると、あの孃子が替つて立つ筈だ。其で、貴い所からのお召しにも應じかねて居るのだ。……結局、誰も彼も、あきらめねばならぬ時が來るのだ。神の物は、神の物――。横佩家の娘御は、神の手に落ちつくのだらう。
ほのかな感傷が、家持の心を淨めて過ぎた。おれは、どうもあきらめが、よ過ぎる。十を出たばかりの幼さで、母は死に、父は疾んで居る太宰府へ降つて、夙くから、海の彼方の作り物語りや、唐詩のをかしさを知り初めたのが、病みつきになつたのだ。死んだ父も、さうした物は、或は、おれよりも嗜きだつたかも知れぬほどだが、もつと物に執著が深かつた。現に、大伴の家の行く末の事なども、父はあれまで、心を惱まして居た。おれも考へれば、たまらなくなつて來る。其で、氏人を集めて喩したり、歌を作つて訓諭して見たりする。だがさうした後の氣持ちの爽やかさは、どうしたことだ。洗ひ去つた樣に、心がすつとしてしまふのだつた。まるで、初めから家の事など考へて居なかつた、とおなじすが/″\しい心になつてしまふ。
あきらめと言ふ事を、知らなかつた人ばかりではないか。……昔物語りに語られる神でも、人でも、傑れた、と傳へられる限りの方々は――。それに、おれはどうしてかうだらう。
家持の心は併し、こんなに悔恨に似た心持ちに沈んで居るに繋らず、段々氣にかゝるものが、薄らぎ出して來てゐる。
ほう これは、京極まで來た。
朱雀大路も、こゝまで來ると、縱横に通る地割りの太い路筋ばかりが、白々として居て、どの區畫にも/\、家は建つて居ない。去年の草の立ち枯れたのと、今年生えて稍莖を立て初めたのとがまじりあつて、屋敷地から喰み出し、道の上までも延びて居る。
こんな家が――。
驚いたことは、そんな草原の中に、唯一つ大きな構への家が、建ちかゝつて居る。遲い朝を、もう餘程、今日の爲事に這入つたらしい木の道 の者たちが、骨組みばかりの家の中で、立ちはたらいて居るのが見える。家の建たぬ前に、既に屋敷廻りの地形が出來て、見た目にもさつぱりと、垣をとり※ して居る。
土を積んで、石に代へた垣、此頃言ひ出した築土垣といふのは、此だな、と思つて、ぢつと目をつけて居た。見る/\、さうした新しい好尚のおもしろさが、家持の心を奪うてしまつた。
築土垣の處々に、きりあけた口があつて、其に、門が出來て居た。さうして、其處から、頻りに人が繋つては出て來て、石を曳く。木を搬つ。土を搬び入れる。重苦しい石城。懷しい昔構へ。今も、家持のなくなしたくなく考へてゐる屋敷※ りの石垣が、思うてもたまらぬ重壓となつて、彼の胸に、もたれかゝつて來るのを感じた。
おれには、だが、この築土垣を擇ることが出來ぬ。
家持の乘馬は再、憂鬱に閉された主人を背に、引き返して、五條まで上つて來た。此邊から、右京の方へ折れこんで、坊角を※ りくねりして行く樣子は、此主人に馴れた資人たちにも、胸の測られぬ氣を起させた。二人は、時々顏を見合せ、目くばせをしながら尚、了解が出來ぬ、と言ふやうな表情を交しかはし、馬の後を走つて行く。
こんなにも、變つて居たのかねえ。
ある坊角に來た時、馬をぴたと止めて、獨り言のやうに言つた。
……舊草に 新草まじり、生ひば 生ふるかに――だな。
近頃見つけた歌※ 所の古記録「東歌」の中に見た一首がふと、此時、彼の言ひたい氣持ちを、代作して居てくれてゐたやうに、思ひ出された。
さうだ。「おもしろき野をば 勿燒きそ」だ。此でよいのだ。
けゞんな顏を仰けてゐる伴人らに、柔和な笑顏を向けた。
さうは思はぬか。立ち朽りになつた家の間に、どし/″\新しい屋敷が出來て行く。都は何時までも、家は建て詰まぬが、其でもどちらかと謂へば、減るよりも殖えて行つてゐる。此邊は以前、今頃になると、蛙めの、あやまりたい程鳴く田の原が、續いてたもんだ。
仰るとほりで御座ります。春は蛙、夏はくちなは、秋は蝗まろ。此邊はとても、歩けたところでは、御座りませんでした。
今一人が言ふ。
建つ家もたつ家も、この立派さは、まあどうで御座りませう。其に、どれも此も、此頃急にはやり出した築土垣を築きまはしまして。何やら、以前とはすつかり變つた處に、參つた氣が致します。
馬上の主人も、今まで其ばかり考へて居た所であつた。だが彼の心は、瞬間明るくなつて、先年三形王の御殿での宴に誦んだ即興が、その時よりも、今はつきりと内容を持つて、心に浮んで來た。
うつり行く時見る毎に、心疼く 昔の人し 思ほゆるかも
目をあげると、東の方春日の杜は、谷陰になつて、こゝからは見えぬが、御蓋山・高圓山一帶、頂が晴れて、すばらしい春日和になつて居た。
あきらめがさせるのどけさなのだ、とすぐ氣がついた。でも、彼の心のふさぎのむし は迹を潜めて、唯、まるで今歩いてゐるのが、大日本平城京の土ではなく、大唐長安の大道の樣な錯覺の起つて來るのが押へきれなかつた。此馬がもつと、毛竝みのよい純白の馬で、跨つて居る自身も亦、若々しい二十代の貴公子の氣がして來る。神々から引きついで來た、重苦しい家の歴史だの、夥しい數の氏人などから、すつかり截り離されて、自由な空にかけつて居る自分でゞもあるやうな、豐かな心持ちが、暫らくは拂つても/\、消えて行かなかつた。
おれは若くもなし。第一、海東の大日本人である。おれには、憂鬱な家職が、ひし/\と、肩のつまるほどかゝつて居るのだ。こんなことを考へて見ると、寂しくてはかない氣もするが、すぐに其は、自身と關係のないことのやうに、心は饒はしく和らいで來て、爲方がなかつた。
をい、汝たち。大伴氏上家も、築土垣を引き※ さうかな。
とんでもないことを仰せられます。
二人の聲が、おなじ感情から迸り出た。
年の増した方の資人が、切實な胸を告白するやうに言つた。
私どもは、御譜第では御座りません。でも、大伴と言ふお名は、御門御垣と、關係深い稱へだ、と承つて居ります。大伴家からして、門垣を今樣にする事になつて御覽じませ。御一族の末々まで、あなた樣をお呪ひ申し上げることでおざりませう。其どころでは、御座りません。第一、ほかの氏々――大伴家よりも、ぐんと歴史の新しい、人の世になつて初まつた家々の氏人までが、御一族を蔑に致すことになりませう。
こんな事を言はして置くと、折角澄みかゝつた心も、又曇つて來さうな氣がする。家持は忙てゝ、資人の口を緘めた。
うるさいぞ。誰に言ふ語だと思うて、言うて居るのだ。やめぬか。雜談だ。雜談を眞に受ける奴が、あるものか。
馬はやつぱり、しつと/\と、歩いて居た。築土垣 築土垣。又、築土垣。こんなに何時の間に、家構へが替つて居たのだらう。家持は、なんだか、晩かれ早かれ、ありさうな氣のする次の都――どうやらかう、もつとおつぴらいた平野の中の新京城にでも、來てゐるのでないかと言ふ氣が、ふとしかゝつたのを、危く喰ひとめた。
築土垣 築土垣。もう、彼の心は動かなくなつた。唯、よいとする氣持ちと、よくないと思はうとする意思との間に、氣分だけが、あちらへ寄りこちらへよりしてゐるだけであつた。
何時の間にか、平群の丘や、色々な塔を持つた京西の寺々の見渡される、三條邊の町尻に來て居ることに氣がついた。
これは/\。まだこゝに、殘つてゐたぞ。
珍しい發見をしたやうに、彼は馬から身を飜しておりた。二人の資人はすぐ、馳け寄つて手綱を控へた。
家持は、門と門との間に、細かい柵をし圍らし、目隱しに枳殼の叢生を作つた家の外構への一個處に、まだ石城が可なり廣く、人丈にあまる程に築いてあるそばに、近寄つて行つた。
荒れては居るが、こゝは横佩墻内だ。
さう言つて、暫らく息を詰めるやうにして、石垣の荒い面を見入つて居た。
さうに御座ります。此石城からしてついた名の、横佩墻内だと申しますとかで、せめて一ところだけは、と強ひてとり毀たないとか申します。何分、帥の殿のお都入りまでは、何としても、此儘で置くので御座りませう。さやうに、人が申し聞けました。はい。
何時の間にか、三條七坊まで來てしまつてゐたのである。
おれは、こんな處へ來ようと言ふ考へはなかつたのに――。だが、やつぱり、おれにはまだ/″\、若い色好みの心が、失せないで居るぞ。何だか、自分で自分をなだめる樣な、反省らしいものが出て來た。
其にしても、靜か過ぎるではないか。
さやうで。で御座りますが、郎女のお行くへも知れ、乳母もそちらへ行つたとか、今も人が申しましたから、落ちついたので御座りませう。
詮索ずきさうな顏をした若い方が、口を出す。
いえ。第一、こんな場合は、騷ぐといけません。騷ぎにつけこんで、惡い魂や、靈が、うよ/\とつめかけて來るもので御座ります。この御館も、古いおところだけに、心得のある長老の一人や、二人は、難波へも下らずに、留守に居るので御座りませう。
もうよい/\。では戻らう。
十
をとめの閨戸をおとなふ風は、何も、珍しげのない國中の爲來りであつた。だが其にも、曾てはさうした風の、一切行はれて居なかつたことを、主張する村々があつた。何時のほどにか、さうした村が、他村の、別々に守つて來た風習と、その古い爲來りとをふり替へることになつたのだ、と言ふ。かき上る段になれば、何の雜作もない石城だけれど、あれを大昔からとり※ して居た村と、さうでない村とがあつた。こんな風に、しかつめらしい説明をする宿老たちが、どうかすると居た。多分やはり、語部などの昔語りから、來た話なのであらう。踏み越えても這入れ相に見える石垣だが、大昔交された誓ひで、目に見えぬ鬼神から、人間に到るまで、あれが形だけでもある限り、入りこまぬ事になつてゐる。こんな約束が、人と鬼との間にあつて後、村々の人は、石城の中に、ゆつたりと棲むことが出來る樣になつた。さうでない村々では、何者でも、垣を躍り越えて這入つて來る。其は、別の何かの爲方で、防ぐ外はなかつた。祭りの夜でなくても、村なかの男は何の憚りなく、垣を踏み越えて處女の蔀戸をほと/\と叩く。石城を圍うた村には、そんなことは、一切なかつた。だから、美し女の家に、奴隷になつて住みこんだ古の貴びともあつた。娘の父にこき使はれて、三年五年、いつか處女に會はれよう、と忍び過した、身にしむ戀物語りもあるくらゐだ。石城を掘り崩すのは、何處からでも鬼神に入りこんで來い、と呼びかけるのと同じことだ。京の年よりにもあつたし、田舍の村々では、之を言ひ立てに、ちつとでも、石城を殘して置かうと爭うた人々が、多かつたのである。
さう言ふ家々では、實例として恐しい證據を擧げた。卅年も昔、――天平八年嚴命が降つて、何事も命令のはか/″\しく行はれぬのは、朝臣が先つて行はぬからである。汝等進んで、石城を毀つて、新京の時世裝に叶うた家作りに改めよと、仰せ下された。藤氏四流の如き、今に舊態を易へざるは、最其位に在るを顧みざるものぞ、とお咎めが降つた。此時一度、凡、石城はとり毀たれたのである。ところが、其と時を同じくして、疱瘡がはやり出した。越えて翌年、益々盛んになつて、四月北家を手初めに、京家・南家と、主人から、まづ此時疫に亡くなつて、八月にはとう/\、式家の宇合卿まで仆れた。家に、防ぐ筈の石城が失せたからだと、天下中の人が騷いだ。其でまた、とり壞した家も、ぼつ/″\舊に戻したりしたことであつた。
こんなすさまじい事も、あつて過ぎた夢だ。けれどもまだ、まざ/″\と人の心に燒きついて離れぬ、現の恐しさであつた。
其は其として、昔から家の娘を守つた邑々も、段々えたい の知れぬ村の風に感染けて、忍び夫の手に任せ傍題にしようとしてゐる。さうした求婚の風を傳へなかつた氏々の間では、此は、忍び難い流行であつた。其でも男たちは、のどかな風俗を喜んで、何とも思はぬやうになつた。が、家庭の中では、母・妻・乳母たちが、いまだにいきり立つて、さうした風儀になつて行く世間を、呪ひやめなかつた。
手近いところで言うても、大伴宿禰にせよ。藤原朝臣にせよ。さう謂ふ妻どひ の式はなくて、數十代宮廷をめぐつて、仕へて來た邑々のあるじの家筋であつた。
でも何時か、さうした氏々の間にも、妻迎への式には、
八千矛の神のみことは、とほ/″\し、高志の國に、美し女をありと聞かして、賢し女をありと聞して……
から謠ひ起す神語歌を、語部に歌はせる風が、次第にひろまつて來るのを、防ぎとめることが出來なくなつて居た。
南家の郎女にも、さう言ふ妻覓ぎ人が――いや人群が、とりまいて居た。唯、あの型ばかり取り殘された石城の爲に、何だか屋敷へ入ることが、物忌み――たぶう ――を犯すやうな危殆な心持ちで、誰も彼も、柵まで又、門まで來ては、かいまみしてひき還すより上の勇氣が、出ぬのであつた。
通はせ文をおこすだけが、せめてものてだて ゞ、其さへ無事に、姫の手に屆いて、見られてゐると言ふ、自信を持つ人は、一人としてなかつた。事實、大抵、女部屋の老女たちが、引つたくつて渡させなかつた。さうした文のとりつぎをする若人―若女房―を呼びつけて、荒けなく叱つて居る事も、度々見かけられた。
其方は、この姫樣こそ、藤原の氏神にお仕へ遊ばす、清らかな常處女と申すのだ、と言ふことを知らぬのかえ。神の咎めを憚るがえゝ。宮から恐れ多いお召しがあつてすら、ふつ においらへを申しあげぬのも、それ故だとは考へつかぬげな。やくたい者。とつとゝ失せたがよい。そんな文とりついだ手を、率川の一の瀬で淨めて來くさらう。罰知らずが……。
こんな風に、わなり つけられた者は、併し、二人や三人ではなかつた。横佩家の女部屋に住んだり、通うたりしてゐる若人は、一人殘らず一度は、經驗したことだと謂つても、うそ ではなかつた。
だが、郎女は、つひに 一度そんな事のあつた樣子も、知らされずに來た。
上つ方の郎女が、才をお習ひ遊ばすと言ふことが御座りませうか。それは近 代、ずつと下ざまのをなご の致すことゝ承ります。父君がどう仰らうとも、父御樣のお話は御一代。お家の習しは、神さまの御意趣、とお思ひつかはされませ。
氏の掟の前には、氏上たる人の考へをすら、否みとほす事もある姥たちであつた。
其老女たちすら、郎女の天禀には、舌を捲きはじめて居た。
もう、自身たちの教へることもなうなつた。
かう思ひ出したのは、數年も前からである。内に居る、身狹乳母・桃花鳥野乳母・波田坂上刀自、皆故知らぬ喜びの不安から、歎息し續けてゐた。時々伺ひに出る中臣 志斐嫗・三上水凝刀自女なども、來る毎、目を見合せて、ほうつとした顏をする。どうしよう、と相談するやうな人たちではない。皆無言で、自分等の力の及ばぬ所まで來た、姫の魂の成長にあきれて、目をみはるばかりなのだ。
才を習ふなと言ふなら、まだ聞きも知らぬこと、教へて賜れ。
素直な郎女の求めも、姥たちにとつては、骨を刺しとほされるやうな痛さであつた。
何を仰せられまする。以前から、何一つお教へなど申したことがおざりませうか。目下の者が、目上のお方さまに、お教へ申すと言ふやうな考へは、神樣がお聞き屆けになりません。教へる者は目上、ならふ者は目下、と此が、神の代からの掟でおざりまする。
志斐 嫗の負け色を救ふ爲に、身狹乳母も口を插む。
唯知つた事を申し上げるだけ。其を聞きながら、御心がお育ち遊ばす。さう思うて、姥たちも、覺えたゞけの事は、郎女樣のみ魂を搖る樣にして、歌ひもし、語りもして參りました。教へたなど仰つては私めらが、罰を蒙らねばなりません。
こんな事をくり返して居る間に、刀自たちにも、自分らの恃む知識に對する、單純な自覺が出て來た。此は一層、郎女の望むまゝに、才を習した方が、よいのではないか、と言ふ氣が、段々して來たのである。
まことに其爲には、ゆくりない事が、幾重にも重つて起つた。姫の帳臺の後から、遠くに居る父の心盡しだつたと見えて、二卷の女手の寫經らしい物が出て來た。姫にとつては、肉縁はないが、曾祖母にも當る橘夫人の法華經、又其御胎にいらせられる――筋から申せば、大叔母御にもお當り遊ばす、今の皇太后樣の樂毅論。此二つの卷物が、美しい裝ひで、棚を架いた上に載せてあつた。
横佩大納言と謂はれた頃から、父は此二部を、自分の魂のやうに大事にして居た。ちよつと出る旅にも、大きやかな箱に納めて、一人分の資人の荷として、持たせて行つたものである。其魂の書物を、姫の守りに留めておきながら、誰にも言はずにゐたのである。さすがに我強い刀自たちも、此見覺えのある、美しい箱が出て來た時には、暫らく撲たれたやうに、顏を見合せて居た。さうして後、後で恥しからうことも忘れて、皆聲をあげて泣いたものであつた。
郎女は、父の心入れを聞いた。姥たちの見る目には、併し豫期したやうな興奮は、認められなかつた。唯一途に素直に、心の底の美しさが匂ひ出たやうに、靜かな、美しい眼で、人々の感激する樣子を、驚いたやうに見まはして居た。
其からは、此二つの女手の「本」を、一心に習ひとほした。偶然は友を誘くものであつた。一月も立たぬ中の事である。早く、此都に移つて居た飛鳥寺―元興寺―から卷數が屆けられた。其には、難波にある帥の殿の立願によつて、佛前に讀誦した經文の名目が、書き列ねてあつた。其に添へて、一卷の縁起文が、此御館へ屆けられたのである。
父藤原豐成朝臣、亡父贈太政大臣七年の忌みに當る日に志を發して、書き綴つた「佛本傳來記」を、其後二年立つて、元興寺へ納めた。飛鳥以來、藤原氏とも關係の深かつた寺なり、本尊なのである。あらゆる念願と、報謝の心を籠めたもの、と言ふことは察せられる。其一卷が、どう言ふ訣か、二十年もたつてゆくりなく、横佩家へ戻つて來たのである。
郎女の手に、此卷が渡つた時、姫は端近く膝行り出て、元興寺の方を禮拜した。其後で、
難波とやらは、どちらに當るかえ。
と尋ねて、示す方角へ、活き/\した顏を向けた。其目からは、珠數の珠の水精のやうな涙が、こぼれ出てゐた。
其からと言ふものは、來る日もくる日も、此元興寺の縁起文を手寫した。内典・外典其上に又、大日本びとなる父の書いた文。指から腕、腕から胸、胸から又心へ、沁み/″\と深く、魂を育てる智慧の這入つて行くのを、覺えたのである。
大日本日高見の國。國々に傳はるありとある歌諺、又其舊辭。第一には、中臣の氏の神語り。藤原の家の古物語り。多くの語り詞を、絶えては考へ繼ぐ如く、語り進んでは途切れ勝ちに、呪々《ノロヽヽ》しく、くね/\しく、獨り語りする語部や、乳母や、嚼母たちの唱へる詞が、今更めいて、寂しく胸に蘇つて來る。
をゝ、あれだけの習しを覺える、たゞ其だけで、此世に生きながらへて行かねばならぬみづから であつた。
父に感謝し、次には、尊い大叔母君、其から見ぬ世の曾祖母の尊に、何とお禮申してよいか、量り知れぬものが、心にたぐり上げて來る。だが まづ、父よりも誰よりも、御禮申すべきは、み佛である。この珍貴の感覺を授け給ふ、限り知られぬ愛みに充ちたよき人 が、此世界の外に、居られたのである。郎女は、塗香をとり寄せて、まづ髮に塗り、手に塗り、衣を薫るばかりに匂はした。
十一
ほゝき ほゝきい ほゝほきい――。
きのふよりも、澄んだよい日になつた。春にしては、驚くばかり濃い日光が、地上にかつきりと、木草の影を落して居た。ほか/\した日よりなのに、其を見てゐると、どこか、薄ら寒く感じるほどである。時々に過ぎる雲の翳りもなく、晴れきつた空だ。高原を拓いて、間引いた疎らな木原の上には、もう澤山の羽蟲が出て、のぼつたり降つたりして居る。たつた一羽の鶯が、よほど前から一處を移らずに、鳴き續けてゐるのだ。
家の刀自たちが、物語る口癖を、さつきから思ひ出して居た。出雲 宿禰の分れの家の孃子が、多くの男の言ひ寄るのを煩しがつて、身をよけ/\して、何時か、山の林の中に分け入つた。さうして其處で、まどろんで居る中に、悠々《ウラヽヽ》と長い春の日も、暮れてしまつた。孃子は、家路と思ふ徑を、あちこち歩いて見た。脚は茨の棘にさゝれ、袖は、木の楚にひき裂かれた。さうしてとう/\、里らしい家群の見える小高い岡の上に出た時は、裳も、著物も、肌の出るほど、ちぎれて居た。空には、夕月が光りを増して來てゐる。孃子はさくり上げて來る感情を、聲に出した。
ほゝき ほゝきい。
何時も、悲しい時に泣きあげて居た、あの聲ではなかつた。「をゝ此身は」と思つた時に、自分の顏に觸れた袖は袖ではないものであつた。枯れ原の冬草の、山肌色をした小な翼であつた。思ひがけない聲を、尚も出し續けようとする口を、押へようとすると、自身すらいとほしんで居た柔らかな唇は、どこかへ行つてしまつて、替りに、さゝやかな管のやうな喙が來てついて居る――。悲しいのか、せつないのか、何の考へさへもつかなかつた。唯、身悶えをした。するとふはり と、からだは宙に浮き上つた。留めようと、袖をふれば振るほど、身は次第に、高く翔り昇つて行く。五日月の照る空まで……。その後、今の世までも、
ほゝき ほゝきい ほゝほきい。
と鳴いてゐるのだ、と幼い耳に染みつけられた、物語りの出雲の孃子が、そのまゝ、自分であるやうな氣がして來る。
郎女は、徐かに兩袖を、胸のあたりに重ねて見た。家に居た時よりは、褻れ、皺立つてゐるが、小鳥の羽には、なつて居なかつた。手をあげて唇に觸れて見ると、喙でもなかつた。やつぱり、ほつとり とした感觸を、指の腹に覺えた。
ほゝき鳥―鶯―になつて居た方がよかつた。昔語りの孃子は、男を避けて、山の楚原へ入り込んだ。さうして、飛ぶ鳥になつた。この身は、何とも知れぬ人の俤にあくがれ出て、鳥にもならずに、こゝにかうして居る。せめて蝶飛蟲にでもなれば、ひら/\と空に舞ひのぼつて、あの山の頂へ、俤びとをつきとめに行かうもの――。
ほゝき ほゝきい。
自身の咽喉から出た聲だ、と思つた。だがやはり、廬の外で鳴くのであつた。
郎女の心に動き初めた叡い光りは、消えなかつた。今まで手習ひした書卷の何處かに、どうやら、法喜と言ふ字のあつた氣がする。法喜 ――飛ぶ鳥すらも、美しいみ佛の詞に、感けて鳴くのではなからうか。さう思へば、この鶯も、
ほゝき ほゝきい。
嬉しさうな高音を、段々張つて來る。
物語りする刀自たちの話でなく、若人らの言ふことは、時たま、世の中の瑞々《ミヅヽヽ》しい消息を傳へて來た。奈良の家の女部屋は、裏方五つ間を通した、廣いものであつた。郎女の帳臺の立ち處を一番奧にして、四つの間に、刀自・若人、凡三十人も居た。若人等は、この頃、氏々の御館ですることだと言つて、苑の池の蓮の莖を切つて來ては、藕絲を引く工夫に、一心になつて居た。横佩家の池の面を埋めるほど、珠を捲いたり、解けたりした蓮の葉は、まばらになつて、水の反射が蔀を越して、女部屋まで來るばかりになつた。莖を折つては、纎維を引き出し、其片糸を幾筋も合せては、絲に縒る。
郎女は、女たちの凝つてゐる手藝を、ぢつと見て居る日もあつた。ほう/\と切れてしまふ藕絲を、八合・十二合・二十合に縒つて、根氣よく、細い綱の樣にする。其を績み麻の麻ごけ に繋ぎためて行く。奈良の御館でも、蠶は飼つて居た。實際、刀自たちは、夏は殊にせはしく、そのせゐで、不機嫌になつて居る日が多かつた。
刀自たちは、初めは、そんな韓の技人のするやうな事は、と目もくれなかつた。だが時が立つと、段々興味を惹かれる樣子が見えて來た。
こりや、おもしろい。絹の絲と、績み麻との間を行く樣な妙な絲の――。此で、切れさへしなければなう。
かうして績ぎ蓄めた藕絲は、皆一纒めにして、寺々に納めようと、言ふのである。寺には、其々《ソレヽヽ》の技女が居て、其絲で、唐土樣と言ふよりも、天竺風な織物に織りあげる、と言ふ評判であつた。女たちは、唯功徳の爲に絲を績いでゐる。其でも、其が幾かせ 、幾たま と言ふ風に貯つて來ると、言ひ知れぬ愛著を覺えて居た。だが、其がほんとは、どんな織物になることやら、其處までは想像も出來なかつた。
若人たちは莖を折つては、巧みに糸を引き切らぬやうに、長く/\と抽き出す。又其、粘り氣の少いさくい ものを、まるで絹糸を縒り合せるやうに、手際よく絲にする間も、ちつとでも口やめる事なく、うき世語りなどをして居た。此は勿論、貴族の家庭では、出來ぬ掟になつて居た。なつては居ても、物珍でする盛りの若人たちには、口を塞いで緘默行を守ることは、死ぬよりもつらい行であつた。刀自らの油斷を見ては、ぼつ/″\話をしてゐる。其きれ/″\が、聞かうとも思はぬ郎女の耳にも、ぼつ/″\這入つて來勝ちなのであつた。
鶯の鳴く聲は、あれで、法華經々々々と言ふのぢやて――。
ほゝ、どうして、え――。
天竺のみ佛は、をなご は、助からぬものぢやと、説かれ/\して來たがえ、其果てに、女でも救ふ道が開かれた。其を説いたのが、法華經ぢやと言ふげな。
――こんなこと、をなごの身で言ふと、さかしがりよと思はうけれど、でも、世間では、さう言ふもの――。
ぢやで、法華經々々々と經の名を唱へるだけで、この世からして、あの世界の苦しみが、助かるといの。
ほんまにその、天竺のをなごが、あの鳥に化り變つて、み經の名を呼ばゝるのかえ。
郎女には、いつか小耳に※ んだ其話が、その後、何時までも消えて行かなかつた。その頃ちようど、稱讃淨土佛攝受經を、千部寫さうとの願を發して居た時であつた。其が、はかどらぬ。何時までも進まぬ。茫とした耳に、此世話が再また、紛れ入つて來たのであつた。
ふつと、こんな氣がした。
ほゝき鳥は、先の世で、御經手寫の願を立てながら、え果さいで、死にでもした、いとしい女子がなつたのではなからうか。……さう思へば、若しや今、千部に滿たずにしまふやうなことがあつたら、我が魂は何になることやら。やつぱり、鳥か、蟲にでも生れて、切なく鳴き續けることであらう。
つひに一度、ものを考へた事もないのが、此國のあて人の娘であつた。磨かれぬ智慧を抱いたまゝ、何も知らず思はずに、過ぎて行つた幾百年、幾萬の貴い女性の間に、蓮の花がぽつちりと、莟を擡げたやうに、物を考へることを知り初めた郎女であつた。
をれよ。鶯よ。あな姦や。人に、物思ひをつけくさる。
荒々しい聲と一しよに、立つて、表戸と直角になつた草壁の蔀戸をつきあげたのは、當麻語部の媼である。北側に當るらしい其外側は、※ を壓するばかり、篠竹が繁つて居た。澤山の葉筋が、日をすかして一時にきら/\と、光つて見えた。
郎女は、暫らく幾本とも知れぬその光りの筋の、閃き過ぎた色を、※ 《マブタ》の裏に、見つめて居た。をとゝひの日の入り方、山の端に見た輝きが、思はずには居られなかつたからである。
また一時、廬堂を※ つて、音するものもなかつた。日は段々闌けて、小晝の温みが、ほの暗い郎女の居處にも、ほつとりと感じられて來た。
寺の奴が、三四人先に立つて、僧綱が五六人、其に、大勢の所化たちのとり捲いた一群れが、廬へ來た。
これが、古山田寺だ、と申します。
勿體ぶつた、しわがれ聲が聞えて來た。
そんな事は、どうでも――。まづ、郎女さまを――。
噛みつくやうにあせつて居る家長老額田部子古のがなり 聲がした。
同時に、表戸は引き剥がされ、其に隣つた、幾つかの竪薦をひきちぎる音がした。
づうと這ひ寄つて來た身狹乳母は、郎女の前に居たけ を聳かして、掩ひになつた。外光の直射を防ぐ爲と、一つは、男たちの前、殊には、庶民の目に、貴人の姿を暴すまい、とするのであらう。
伴に立つて來た家人の一人が、大きな木の叉枝をへし折つて來た。さうして、旅用意の卷帛を、幾垂れか、其場で之に結び下げた。其を牀につきさして、即座の竪帷―几帳―は調つた。乳母は、其前に座を占めたまゝ、何時までも動かなかつた。
十二
怒りの瀧のやうになつた額田部 子古は、奈良に還つて、公に訴へると言ひ出した。大和 國にも斷つて、寺の奴ばらを追ひ放つて貰ふとまで、いきまいた。大師を頭に、横佩家に深い筋合ひのある貴族たちの名をあげて、其方々からも、何分の御吟味を願はずには置かぬ、と凄い顏をして、住侶たちを脅かした。
郎女は、貴族の姫で入らせられようが、寺の淨域を穢し、結界まで破られたからは、直にお還りになるやうには計はれぬ。寺の四至の境に在る所で、長期の物忌みして、その贖ひはして貰はねばならぬ、と寺方も、言ひ分はひつこめなかつた。
理分にも非分にも、これまで、南家の權勢でつき通して來た家長老等にも、寺方の扱ひと言ふものゝ、世間どほりにはいかぬ事が訣つて居た。乳母に相談かけても、一代さう言ふ世事に與つた事のない此人は、そんな問題には、詮ない唯の女性に過ぎなかつた。
先刻からまだ立ち去らずに居た當麻語部の嫗が、口を出した。
其は、寺方が、理分でおざるがや。お隨ひなされねばならぬ。
其を聞くと、身狹 乳母は、激しく、田舍語部の老女を叱りつけた。男たちに言ひつけて、疊にしがみつき、柱にかき縋る古婆を掴み出させた。さうした威高さは、さすがに自ら備つてゐた。
何事も、この身などの考へではきめられぬ。帥の殿に承らうにも、國遠し。まづ姑し、郎女樣のお心による外はないもの、と思ひまする。
其より外には、方もつかなかつた。奈良の御館の人々と言つても、多くは、此人たちの意見を聽いてする人々である。よい思案を、考へつきさうなものも居ない。難波へは、直樣、使ひを立てることにして、とにもかくにも、當座は、姫の考へに任せよう、と言ふことになつた。
郎女樣。如何お考へ遊ばしまする。おして、奈良へ還れぬでも御座りませぬ。尤、寺方でも、候人や、奴隷の人數を揃へて、妨げませう。併し、御館のお勢ひには、何程の事でも御座りませぬ。では御座りまするが、お前さまのお考へを承らずには、何とも計ひかねまする。御思案お洩し遊ばされ。
謂はゞ、難題である。あて人の娘御に、出來よう筈のない返答である。乳母も、子古も、凡は無駄な伺ひだ、と思つては居た。ところが、郎女の答へは、木魂返しの樣に、躊躇ふことなしにあつた。其上、此ほどはつきりとした答へはない、と思はれる位、凛としてゐた。其が、すべての者の不滿を壓倒した。
姫の咎は、姫が贖ふ。此寺、此二上山の下に居て、身の償ひ、心の償ひした、と姫が得心するまでは、還るものとは思やるな。
郎女の聲・詞を聞かぬ日はない身狹乳母ではあつた。だがつひしか 此ほどに、頭の髓まで沁み入るやうな、さえ/″\とした語を聞いたことのない、乳母だつた。
寺方の言ひ分に讓るなど言ふ問題は、小い事であつた。此爽やかな育ての君の判斷力と、惑ひなき詞に感じてしまつた。たゞ、涙。かうまで賢しい魂を窺ひ得て、頬に傳ふものを拭ふことも出來なかつた。子古にも、郎女の詞を傳達した。さうして、自分のまだ曾て覺えたことのない感激を、力深くつけ添へて聞かした。
ともあれ此上は、難波津へ。
難波へと言つた自分の語に、氣づけられたやうに、子古は思ひ出した。今日か明日、新羅問罪の爲、筑前へ下る官使の一行があつた。難波に留つてゐる帥の殿も、次第によつては、再太宰府へ出向かれることになつてゐるかも知れぬ。手遲れしては一大事である。此足ですぐ、北へ※ つて、大阪越えから河内へ出て、難波まで、馬の叶ふ處は馬で走らう、と決心した。
萬法藏院に、唯一つ飼つて居た馬の借用を申し入れると、此は快く聽き入れてくれた。今日の日暮れまでには、立ち還りに、難波へ行つて來る、と齒のすいた口に叫びながら、郎女の竪帷に向けて、庭から匍伏した。
子古の發つた後は、又のどかな春の日に戻つた。悠々《ウラヽヽ》と照り暮す山々を見せませう、と乳母が言ひ出した。木立ち・山陰から盜み見する者のないやうに、家人らを、一町・二町先まで見張りに出して、郎女を、外に誘ひ出した。
暴風雨の夜、添下・廣瀬・葛城の野山を、かち あるきした娘御ではなかつた。乳母と今一人、若人の肩に手を置きながら、歩み出た。
日の光りは、霞みもせず、陽炎も立たず、唯をどんで見えた。昨日眺めた野も、斜になつた日を受けて、物の影が細長く靡いて居た。青垣の樣にとりまく山々も、愈々遠く裾を曳いて見えた。
早い菫―げんげ―が、もうちらほら咲いてゐる。遠く見ると、その赤々とした紫が一續きに見えて、夕燒け雲がおりて居るやうに思はれる。足もとに一本、おなじ花の咲いてゐるのを見つけた郎女は、膝を叢について、ぢつと眺め入つた。
これはえ――。
すみれ、と申すとのことで御座ります。
かう言ふ風に、物を知らせるのが、あて人に仕へる人たちの、爲來りになつて居た。
蓮の花に似てゐながら、もつと細やかな、――繪にある佛の花を見るやうな――。
ひとり言しながら、ぢつと見てゐるうちに、花は、廣い萼の上に乘つた佛の前の大きな花になつて來る。其がまた、ふつと、目の前のさゝやかな花に戻る。
夕風が冷ついて參ります。内へと遊ばされ。
乳母が言つた。見渡す山は、皆影濃くあざやかに見えて來た。
近々と、谷を隔てゝ、端山の林や、崖の幾重も重つた上に、二上の男嶽の頂が、赤い日に染つて立つてゐる。
今日は、又あまりに靜かな夕である。山ものどかに、夕雲の中に這入つて行かうとしてゐる。
まうし/\。もう外に居る時では御座りません。
十三
「朝目よく」うるはしい兆を見た昨日は、郎女にとつて、知らぬ經驗を、後から後から展いて行つたことであつた。たゞ人の考へから言へば、苦しい現實のひき續きではあつたのだが、姫にとつては、心驚く事ばかりであつた。一つ/\變つた事に逢ふ度に、「何も知らぬ身であつた」と姫の心の底の聲が揚つた。さうして、その事毎に、挨拶をしてはやり過したい氣が、一ぱいであつた。今日も其續きを、くはしく見た。
なごり惜しく過ぎ行く現し世のさま/″\。郎女は、今目を閉ぢて、心に一つ/\收めこまうとして居る。ほのかに通り行き、將著しくはためき 過ぎたもの――。宵闇の深くならぬ先に、廬のまはりは、すつかり手入れがせられて居た。燈臺も大きなのを、寺から借りて來て、煌々と、油火が燃えて居る。明王像も、女人のお出での場處には、すさまじいと言ふ者があつて、どこかへ搬んで行かれた。其よりも、郎女の爲には、帳臺の設備はれてゐる安らかさ。今宵は、夜も、暖かであつた。帷帳を周らした中は、ほの暗かつた。其でも、山の鬼神、野の魍魎を避ける爲の燈の渦が、ぼうと梁に張り渡した頂板に搖めいて居るのが、たのもしい氣を深めた。帳臺のまはりには、乳母や、若人が寢たらしい。其ももう、一時も前の事で、皆すや/\と寢息の音を立てゝ居る。姫の心は、今は輕かつた。
たとへば、俤に見たお人には逢はずとも、その俤を見た山の麓に來て、かう安らかに身を横へて居る。
燈臺の明りは、郎女の額の上に、高く朧ろに見える光りの輪を作つて居た。月のやうに圓くて、幾つも上へ/\と、月輪の重つてゐる如くも見えた。其が、隙間風の爲であらう。時々薄れて行くと、一つの月になつた。ぽうつと明り立つと、幾重にも隈の疊まつた、大きな圓かな光明になる。
幸福に充ちて、忘れて居た姫の耳に、今宵も谷の響きが聞え出した。更けた夜空には、今頃やつと、遲い月が出たことであらう。
物の音。――つた つたと來て、ふうと佇ち止るけはひ。耳をすますと、元の寂かな夜に、――激ち降る谷のとよみ。
つた つた つた。
又、ひたと止む。
この狹い廬の中を、何時まで歩く、跫音だらう。
つた。
郎女は刹那、思ひ出して帳臺の中で、身を固くした。次にわぢ/″\ と戰きが出て來た。
天若御子――。
ようべ、當麻語部嫗の聞した物語り。あゝ其お方の、來て窺ふ夜なのか。
――青馬の 耳面刀自。
刀自もがも。女弟もがも。
その子の はらからの子の
處女子の 一人
一人だに わが配偶に來よ
まことに畏しいと言ふことを覺えぬ郎女にしては、初めてまざ/″\と、壓へられるやうな畏さを知つた。あゝあの歌が、胸に生き蘇つて來る。忘れたい歌の文句が、はつきりと意味を持つて、姫の唱へぬ口の詞から、胸にとほつて響く。乳房から迸り出ようとするときめき。
帷帳がふはと、風を含んだ樣に皺だむ。
つい と、凍る樣な冷氣――。
郎女は目を瞑つた。だが――瞬間睫の間から映つた細い白い指、まるで骨のやうな――帷帳を掴んだ片手の白く光る指。
なも 阿彌陀ほとけ。あなたふと 阿彌陀ほとけ。
何の反省もなく、唇を洩れた詞。この時、姫の心は、急に寛ぎを感じた。さつと――汗。全身に流れる冷さを覺えた。畏い感情を持つたことのないあて人の姫は、直に動顛した心を、とり直すことが出來た。
なう/\。あみだほとけ……。
今一度口に出して見た。をとゝひまで、手寫しとほした、稱讃淨土經の文が胸に浮ぶ。郎女は、昨日までは一度も、寺道場を覗いたこともなかつた。父君は家の内に道場を構へて居たが、簾越しにも聽聞は許されなかつた。御經の文は手寫しても、固より意趣は、よく訣らなかつた。だが、處々には、かつ/″\氣持ちの汲みとれる所があつたのであらう。さすがに、まさかこんな時、突嗟に口に上らう、とは思うて居なかつた。
白い骨、譬へば白玉の竝んだ骨の指、其が何時までも目に殘つて居た。帷帳は、元のまゝに垂れて居る。だが、白玉の指ばかりは細々と、其に絡んでゐるやうな氣がする。
悲しさとも、懷しみとも知れぬ心に、深く、郎女は沈んで行つた。山の端に立つた俤びとは、白々《シロヾヽ》とした掌をあげて、姫をさし招いたと覺えた。だが今、近々と見る其手は、海の渚の白玉のやうに、からびて寂しく、目にうつる。
長い渚を歩いて行く。郎女の髮は、左から右から吹く風に、あちらへ靡き、こちらへ亂れする。浪はたゞ、足もとに寄せてゐる。渚と思うたのは、海の中道である。浪は、兩方から打つて來る。どこまでも/\、海の道は續く。郎女の足は、砂を踏んでゐる。その砂すらも、段々水に掩はれて來る。砂を踏む。踏むと思うて居る中に、ふと其が、白々とした照る玉だ、と氣がつく。姫は身を屈めて、白玉を拾ふ。拾うても/\、玉は皆、掌に置くと、粉の如く碎けて、吹きつける風に散る。其でも、玉を拾ひ續ける。玉は水隱れて、見えぬ樣になつて行く。姫は悲しさに、もろ手を以て掬はうとする。掬んでも/\、水のやうに、手股から流れ去る白玉――。玉が再、砂の上につぶ/″\竝んで見える。忙しく拾はうとする姫の俯いた背を越して、流れる浪が、泡立つてとほる。
姫は――やつと、白玉を取りあげた。輝く、大きな玉。さう思うた刹那、郎女の身は、大浪にうち仆される。浪に漂ふ身……衣もなく、裳もない。抱き持つた等身の白玉と一つに、水の上に照り輝く現し身。
ずん/″\と、さがつて行く。水底に水漬く白玉なる郎女の身は、やがて又、一幹の白い珊瑚の樹である。脚を根、手を枝とした水底の木。頭に生ひ靡くのは、玉藻であつた。玉藻が、深海のうねりのまゝに、搖れて居る。やがて、水底にさし入る月の光り――。ほつと息をついた。
まるで、潜きする海女が二十尋・三十尋の水底から浮び上つて嘯く樣に、深い息の音で、自身明らかに目が覺めた。
あゝ夢だつた。當麻まで來た夜道の記憶は、まざ/″\と殘つて居るが、こんな苦しさは覺えなかつた。だがやつぱり、をとゝひの道の續きを辿つて居るらしい氣がする。
水の面からさし入る月の光り、さう思うた時は、ずん/″\海面に浮き出て來た。さうして悉く、跡形もない夢だつた。唯、姫の仰ぎ寢る頂板に、あゝ、水にさし入つた月。そこに以前のまゝに、幾つも暈の疊まつた月輪の形が、搖めいて居る。
なう/\ 阿彌陀ほとけ……。
再、口に出た。光りの暈は、今は愈々明りを増して、輪と輪との境の隈々《クマヾヽ》しい處までも見え出した。黒ずんだり、薄暗く見えたりした隈が、次第に凝り初めて、明るい光明の中に、胸・肩・頭・髮、はつきりと形を現じた。白々と袒いだ美しい肌。淨く伏せたまみ が、郎女の寢姿を見おろして居る。かの日の夕、山の端に見た俤びと――。乳のあたりと、膝元とにある手――その指、白玉の指。
姫は、起き直つた。天井の光りの輪が、元のまゝに、たゞ仄かに、事もなく搖れて居た。
十四
貴人はうま人どち、やつこは奴隷どち、と言ふからの――。
何時見ても、大師は、微塵曇りのない、圓かな相好である。其に、ふるまひのおほどかなこと。若くから氏上で、數十家の一族や、日本國中數萬の氏人から立てられて來た家持も、ぢつと對うてゐると、その靜かな威に、壓せられるやうな氣がして來る。
言はしておくがよい。奴隷たちは、とやかくと口さがないのが、其爲事よ。此身とお身とは、おなじ貴人ぢや。おのづから、話も合はうと言ふもの。此身が、段々なり上ると、うま人までがおのづとやつこ 心になり居つて、いや嫉むの、そねむの。
家持は、此が多聞天か、と心に問ひかけて居た。だがどうも、さうは思はれぬ。同じ、かたどつて作るなら、とつい 聯想が逸れて行く。八年前、越中 國から歸つた當座の、世の中の豐かな騷ぎが、思ひ出された。あれからすぐ、大佛開眼供養が行はれたのであつた。其時、近々と仰ぎ奉つた尊容、八十種好具足した、と謂はれる其相好が、誰やらに似てゐる、と感じた。其がその時は、どうしても思ひ浮ばずにしまつた。その時の印象が、今ぴつたり、的にあてはまつて來たのである。
かうして對ひあつて居る主人の顏なり、姿なりが、其まゝあの盧遮那ほとけの俤だ、と言つて、誰が否まう。
お身も、少し咄したら、えゝではないか。官位はかうぶり。昔ながらの氏は氏――。なあ、さう思はぬか。紫微中臺の、兵部省のと、位づけるのは、うき世の事だは。家に居る時だけは、やはり神代以來の氏上づきあひが、えゝ。
新しい唐の制度の模倣ばかりして、漢土の才が、やまと心 に入り替つたと謂はれて居る此人が、こんな嬉しいことを言ふ。家持は、感謝したい氣がした。理會者・同感者を、思ひまうけぬ處に見つけ出した嬉しさだつたのである。
お身は、宋玉や、王褒の書いた物を大分持つて居ると言ふが、太宰府へ行つた時に、手に入れたのぢやな。あんな若い年で、わせ だつたのだなう。お身は――。お身の氏では、古麻呂。身の家に近しい者でも奈良麻呂。あれらは漢魏はおろか、今の唐の小説なども、ふり向きもせんから、言ふがひない話ぢやは。
兵部大輔は、やつと話のつきほを捉へた。
お身さまのお話ぢやが、わしは、賦の類には飽きました。どうもあれが、この四十面さげてもまだ、涙もろい歌や、詩の出て來る元になつて居る――さうつく/″\思ひますぢやて。ところで近頃は、方を換へて、張文成を拾ひ讀みすることにしました。この方が、なんぼか――。
大きに、其は、身も賛成ぢや。ぢやが、お身がその年になつても、まだ二十代の若い心や、瑞々しい顏を持つて居るのは、宋玉のおかげぢやぞ。まだなか/\隱れては歩き居る、と人の噂ぢやが、嘘ぢやなからう。身が保證する。おれなどは、張文成ばかり古くから讀み過ぎて、早く精氣の盡きてしまうた心持ちがする。――ぢやが全く、文成はえゝなう。あの仁に會うて來た者の話では、豬肥えのした、唯の漢土びとぢやつたげなが、心はまるで、やまとのものと、一つと思ふが、お身なら、諾うてくれるだらうの。
文成に限る事ではおざらぬが、あちらの物は、讀んで居て、知らぬ事ばかり教へられるやうで、時々ふつと思ひ返すと、こんな思はざつた考へを、いつの間にか、持つてゐる――そんな空恐しい氣さへすることが、ありますて。お身さまにも、そんな經驗は、おありでがな。
大ありおほ有り。毎日々々、其よ。しまひに、どうなるのぢや。こんなに智慧づいては、と思はれてならぬことが――。ぢやが、女子だけには、まづ當分、女部屋のほの暗い中で、こんな智慧づかぬ、のどかな心で居させたいものぢや。第一其が、われ/\男の爲ぢやて。
家持は、此了解に富んだ貴人に向つては、何でも言つてよい、青年のやうな氣が湧いて來た。
さやう/\。智慧を持ち初めては、あの欝い女部屋には、ぢつとして居ませぬげな。第一、横佩墻内の――
此はいけぬ、と思つた。同時に、此臆れた氣の出るのが、自分を卑くし、大伴氏を、昔の位置から自ら蹶落す心なのだ、と感じる。
好、好。遠慮はやめやめ。氏 上づきあひぢやもの。ほい又出た。おれはまだ、藤原の氏 上に任ぜられた訣ぢやあ、なかつたつけの。
瞬間、暗い顏をしたが、直にさつと眉の間から、輝きが出て來た。
身の女姪が神隱しにあうたあの話か。お身は、あの謎見たいないきさつ を、さう解るかね。ふん。いやおもしろい。女姪の姫も、定めて喜ぶぢやらう。實はこれまで、内々消息を遣して、小あたりにあたつて見た、と言ふ口かね、お身も。
大きに。
今度は輕い心持ちが、大膽に押勝の話を受けとめた。
お身さまが經驗ずみぢやで、其で、郎女の才高さと、男擇びすることが訣りますな――。
此は――。額ざまに切りつけるぞ――。免せ/\と言ふところぢやが、――あれはの、生れだちから違ふものな。藤原の氏姫ぢやからの。枚岡の齋き姫にあがる宿世を持つて生れた者ゆゑ、人間の男は、彈く、彈く、彈きとばす。近よるまいぞよ。はゝはゝゝ。
大師は、笑ひをぴたりと止めて、家持の顏を見ながら、きまじめな表情になつた。
ぢやがどうも――。聽き及んでのことゝ思ふが、家出の前まで、阿彌陀經の千部寫經をして居たと言ふし、樂毅論から、兄の殿の書いた元興寺縁起も、其前に手習ひしたらしいし、まだ/\孝經などは、これぽつち の頃に習うた、と言ふし、なか/\の女博士での。楚辭や、小説にうき身をやつす身や、お身は近よれぬはなう。霜月・師走の垣毀雪女ぢやもの。――どうして、其だけの女子が、神隱しなどに逢はうかい。
第一、場處が、あの當麻で見つかつたと言ひますからの――。
併し其は、藤原に全く縁のない處でもない。天 二上は、中臣壽詞にもあるし……。齋き姫もいや、人の妻と呼ばれるのもいや――で、尼になる氣を起したのでないか、と考へると、もう不安で不安でなう。のどかな氣持ちばかりでも居られぬて――。
押勝の眉は集つて來て、皺一つよせぬ美しい、この老いの見えぬ貴人の顏も、思ひなし、ひずんで見えた。
何しろ、嫋女は國の寶ぢやでなう。出來ることなら、人の物にはせず、神の物にしておきたいところぢやが、――人間の高望みは、さうばかりもさせてはおきをらぬがい――。ともかく、むざ/″\尼寺へやる訣にはいかぬ。
ぢやが、お身さま。一人出家すれば、と云ふ詞が、この頃はやりになつて居りますが……。
九族が天に生じて、何になるといふのぢや。寶は何百人かゝつても、作り出せるものではないぞよ。どだい 兄公殿が、少し佛凝りが過ぎるでなう――。自然内うらまで、そんな氣風がしみこむやうになつたかも知れぬぞ――。時に、お身のみ館の郎女も、そんな育てはしてあるまいな。其では、家の久須麻呂が泣きを見るからの。
人の惡いからかひ笑みを浮べて、話を無理にでも脇へ釣り出さうと努めるのは、考へるのも切ない胸の中が察せられる。
兄公殿は氏 上に、身は氏助と言ふ訣なのぢやが、肝腎齋き姫で、枚岡に居させられる叔母御は、もうよい年ぢや。去年春日祭りに、女使ひで上られた姿を見て、神さびたものよ、と思うたぞ。今一代此方から進ぜなかつたら、齋き姫になる娘の多い北家の方がすぐに取つて替つて、氏 上に据るは。
兵部大輔にとつても、此はもう 、他事ではなかつた。おなじ大伴幾流の中から、四代續いて氏 上職を持ち堪へたのも、第一は宮廷の御恩徳もあるが、世の中のよせ が重かつたからである。其には、一番大事な條件として、美しい齋き姫が、後から後と此家に出て、とぎれることがなかつた爲でもある。大伴の家のは、表向き壻どりさへして居ねば、子があつても、齋き姫は勤まる、と言ふ定めであつた。今の阪 上 郎女は、二人の女子を持つて、やはり齋き姫である。此は、うつかり出來ない。此方も藤原同樣、叔母御が齋姫で、まだそんな年でない、と思うてゐるが、又どんなことで、他流の氏姫が、後を襲ふことにならぬとも限らぬ。大伴・佐伯の數知れぬ家々・人々が、外の大伴へ、頭をさげるやうになつてはならぬ。かう考へて來た家持の心の動搖などには、思ひよりもせぬ風で、
こんな話は、よそほかの氏 上に言ふべきことでないが、兄公殿があゝして、此先何年、難波にゐても、太宰府に居ると言ふが表面だから、氏の祭りは、枚岡・春日と、二處に二度づゝ、其外、週り年には、時々鹿島・香取の東路のはてにある舊社の祭りまで、此方で勤めねばならぬ。實際よそほかの氏 上よりも、此方の氏 助ははたらいてゐるのだが、――だから、自分で、氏 上の氣持ちになつたりする。――もう一層なつてしまふかな。お身はどう思ふ。こりや、答へる訣にも行くまい。氏 上に押し直らうとしたところで、今の身の考へ一つを抂げさせるものはない。上樣方に於かせられて、お叱りの御沙汰を下しおかれぬ限りは――。
京中で、此惠美屋敷ほど、庭を嗜んだ家はないと言ふ。門は、左京二條三坊に、北に向いて開いて居るが、主人家族の住ひは、南を廣く空けて、深々とした山齋が作つてある。其に入りこみの多い池を周らし、池の中の島も、飛鳥の宮風に造られて居た。東の中み門、西の中み門まで備つて居る。どうかすると、庭と申さうより、寛々《クワンヽヽヽ》とした空き地の廣くおありになる宮よりは、もつと手入れが屆いて居さうな氣がする。
庭を立派にして住んだ、うま 人たちの末々の樣が、兵部大輔の胸に來た。瞬間、憂欝な氣持ちがかぶさつて來て、前にゐる大師の顏を見るのが、氣の毒な樣に思はれる。
案じるなよ。庭が行き屆き過ぎて居る、と思うてるのだらう。そんなことはないさ。庭はよくても、亡びた人ばかりはないさ。淡海公の御館はどうだ。どの筋でも引き繼がずに、今に荒してはあるが、あの立派さは。それ あの山部の何とか言つた、地下の召し人の歌よみが、おれの三十になつたばかりの頃、「昔見し舊き堤は、年深み……年深み、池の渚に、水草生ひにけり」とよんだ位だが、其後が、これ 此樣に、四流にも岐れて榮えてゐる。もつとあるぞ――。なに、庭などによるものぢやないは。
恃む所の深い此あて人は、庭の風景の、目立つた個處々々を指摘しながら、其據る所を、日本・漢土に渉つて説明した。
長い廊を、數人の童が續いて來る。
日ずかしです。お召しあがり下されませう。
改つて、簡單な饗應の挨拶をした。まらうどに、早く酒を獻じなさい、と言つてゐる間に、美しい采女が、盃を額より高く捧げて出た。
をゝ、それだけ受けて頂けばよい。舞ひぶりを一つ、見て貰ひなさい。
家持は、何を考へても、先を越す敏感な主人に對して、唯虚心で居るより外は、なかつた。
うねめ は、大伴の氏 上へは、まだくださらぬのだつたね。藤原では、存知でもあらうが、先例が早くからあつて、淡海公が、近江の宮から頂戴した故事で、頂く習慣になつて居ります。
時々、こんな畏まつたもの言ひもまじへる。兵部大輔は、自身の語づかひにも、初中終、氣扱ひをせねばならなかつた。
氏 上もな、身が執心で、兄公殿を太宰府へ追ひまくつて、後にすわらうとするのだ、と言ふ奴があるといの――。やつぱり「奴はやつこどち」ぢやの。さう思ふよ。時に女姪の姫だが――。
さすがの聰明第一の大師も、酒の量は少かつた。其が、今日は幾分いけた、と見えて、話が循環して來た。家持は、一度はぐらかされた緒口に、とりついた氣で、
横佩墻内の郎女は、どうなるでせう。社・寺、それとも宮――。どちらへ向いても、神さびた一生。あつたら惜しいものでおありだ。
氣にするな。氣にするな。氣にしたとて、どう出來るものか。此は――もう、人間の手へは、戻らぬかも知れんぞ。
末は、獨り言になつて居た。さうして、急に考へ深い目を凝した。池へ落した水音は、未がさがると、寒々と聞えて來る。
早く、躑躅の照る時分になつてくれぬかなあ。一年中で、この庭の一番よい時が、待ちどほしいぞ。
大師藤原 惠美 押勝朝臣の聲は、若々しい、純な欲望の外、何の響きもまじへて居なかつた。
十五
つた つた つた。
郎女は、一向、あの音の歩み寄つて來る畏しい夜更けを、待つやうになつた。をとゝひよりは昨日、昨日よりは今日といふ風に、其跫音が間遠になつて行き、此頃はふつ に音せぬやうになつた。その氷の山に對うて居るやうな、骨の疼く戰慄の快感、其が失せて行くのを虞れるやうに、姫は夜毎、鷄のうたひ出すまでは、殆、祈る心で待ち續けて居る。
絶望のまゝ、幾晩も仰ぎ寢たきりで、目は晝よりも寤めて居た。其間に起る夜の間の現象には、一切心が留らなかつた。現にあれほど、郎女の心を有頂天に引き上げた頂板の面の光り輪にすら、明盲ひのやうに、注意は惹かれなくなつた。こゝに來て、疾くに、七日は過ぎ、十日・半月になつた。山も、野も、春のけしきが整うて居た。野茨の花のやうだつた小櫻が散り過ぎて、其に次ぐ山櫻が、谷から峰かけて、斷續しながら咲いてゐるのも見える。麥原は、驚くばかり伸び、里人の野爲事に出た姿が、終日、そのあたりに動いてゐる。
都から來た人たちの中、何時までこの山陰に、春を起き臥すことか、と佗びる者が殖えて行つた。廬堂の近くに掘り立てた板屋に、かう長びくと思はなかつたし、まだどれだけ續くかも知れぬ此生活に、家ある者は、妻子に會ふことばかりを考へた。親に養はれる者は、家の父母の外にも、隱れた戀人を思ふ心が、切々として來るのである。女たちは、かうした場合にも、平氣に近い感情で居られる長い暮しの習しに馴れて、何かと爲事を考へてはして居る。女方の小屋は、男のとは別に、もつと廬に接して建てられて居た。
身狹乳母の思ひやりから、男たちの多くは、唯さへ小人數な奈良の御館の番に行け、と言つて還され、長老一人の外は、唯雜用をする童と、奴隷位しか殘らなかつた。
乳母や、若人たちも、薄々は帳臺の中で夜を久しく起きてゐる、郎女の樣子を感じ出して居た。でも、なぜさう夜深く溜め息ついたり、うなされたりするか、知る筈のない昔かたぎ の女たちである。
やはり、郎女の魂があくがれ出て、心が空しくなつて居るもの、と單純に考へて居る。ある女は、魂ごひの爲に、山尋ねの咒術をして見たらどうだらう、と言つた。
乳母は一口に言ひ消した。姫樣、當麻に御安著なされた其夜、奈良の御館へ計はずに、私にした當麻眞人の家人たちの山尋ねが、わるい結果を呼んだのだ。當麻語部とか謂つた蠱物使ひのやうな婆が、出しやばつての差配が、こんな事を惹き起したのだ。
その節、山の峠の塚で起つた不思議は、噂になつて、この貴人一家の者にも、知れ渡つて居た。あらぬ者の魂を呼び出して、郎女樣におつけ申しあげたに違ひない。もう/\、輕はずみな咒術は思ひとまることにしよう。かうして、魂の游離れ出た處の近くにさへ居れば、やがては、元のお身になり戻り遊されることだらう。こんな風に考へて、乳母は唯、氣長に氣ながに、と女たちを諭し/\した。
こんな事をして居る中に、早一月も過ぎて、櫻の後、暫らく寂しかつた山に、躑躅が燃え立つた。足も行かれぬ崖の上や、巖の腹などに、一群々々咲いて居るのが、奧山の春は今だ、となのつて居るやうである。
ある日は、山へ/\と、里の娘ばかりが上つて行くのを見た。凡數十人の若い女が、何處で宿つたのか、其次の日、てんでに赤い山の花を髮にかざして、降りて來た。廬の庭から見あげた若女房の一人が、山の躑躅林が練つて降るやうだ、と聲をあげた。
ぞよ/″\と廬の前を通る時、皆頭をさげて行つた。其中の二三人が、つくねんとして暮す若人たちの慰みに呼び入れられて、板屋の端へ來た。當麻の田居も、今は苗代時である。やがては田植ゑをする。其時は、見に出やしやれ。こんな身でも、其時はずんと、をなごぶりが上るぞな、と笑ふ者もあつた。
こゝの田居の中で、植ゑ初めの田は、腰折れ田と言うて、都までも聞えた物語りのある田ぢやげな。
若人たちは、又例の蠱物姥の古語りであらう、とまぜ返す。ともあれ、かうして、山ごもりに上つた娘だけに、今年の田の早處女が當ります。其しるしが此ぢや、と大事さうに、頭の躑躅に觸れて見せた。
もつと變つた話を聞かせぬかえと誘はれて、身分に高下はあつても、同じ若い同士のことゝて、色々な田舍咄をして行つた。其を後に乳母たちが聽いて、氣にしたことがあつた。山ごもりして居ると、小屋の上の崖をどう/″\と踏みおりて來る者がある。ようべ、眞夜中のことである。一樣にうなされて、苦しい息をついてゐると、音はそのまゝ、眞下へ/\、降つて行つた。がら/\と、岩の崩える響き。――ちようど其が、此廬堂の眞上の高處に當つて居た。こんな處に道はない筈ぢやが、と今朝起きぬけに見ると、案の定、赤岩の大崩崖。ようべの音は、音ばかりで、ちつとも痕は殘つて居なかつた。
其で思ひ合せられるのは、此頃ちよく/\、子から丑の間に、里から見えるこのあたりの峰の上に、光り物がしたり、時ならぬ一時颪の凄い唸りが、聞えたりする。今までつひに 聞かぬこと。里人は唯かう、恐れ謹しんで居る、とも言つた。
こんな話を殘して行つた里の娘たちも、苗代田の畔に、めい/\のかざしの躑躅花を插して歸つた。其は晝のこと、田舍は田舍らしい閨の中に、今は寢ついたであらう。夜はひた更けに、更けて行く。
晝の恐れのなごりに、寢苦しがつて居た女たちも、おびえ疲れに寢入つてしまつた。頭上の崖で、寢鳥の鳴き聲がした。郎女は、まどろんだとも思はぬ目を、ふつと開いた。續いて今ひと響き、びし としたのは、鳥などの、翼ぐるめ ひき裂かれたらしい音である。だが其だけで、山は音どころか、生き物も絶えたやうに、虚しい空間の闇に、時間が立つて行つた。
郎女の額の上の天井の光りの暈が、ほの/″\と白んで來る。明りの隈はあちこちに偏倚つて、光りを竪にくぎつて行く。と見る間に、ぱつと明るくなる。そこに大きな花。蒼白い菫。その花びらが、幾つにも分けて見せる隈、佛の花の青蓮華と言ふものであらうか。郎女の目には、何とも知れぬ淨らかな花が、車輪のやうに、宙にぱつと開いてゐる。仄暗い蕋の處に、むら/\と雲のやうに、動くものがある。黄金の蕋をふりわける。其は黄金の髮である。髮の中から匂ひ出た莊嚴な顏。閉ぢた目が、憂ひを持つて、見おろして居る。あゝ肩・胸・顯はな肌。――冷え/″\とした白い肌。をゝ おいとほしい。
郎女は、自身の聲に、目が覺めた。夢から續いて、口は尚夢のやうに、語を逐うて居た。
おいとほしい。お寒からうに――。
十六
山の躑躅の色は、樣々ある。一つ色のものだけが、一時に咲き出して、一時に萎む。さうして、凡一月は、後から後から替つた色のが匂ひ出て、禿げた岩も、一冬のうら枯れをとり返さぬ柴木山も、若夏の青雲の下に、はでなかざしをつける。其間に、藤の短い花房が、白く又紫に垂れて、老い木の幹の高さを、せつなく、寂しく見せる。下草に交つて、馬醉木が雪のやうに咲いても、花めいた心を、誰に起させることもなしに、過ぎるのがあはれである。
もう此頃になると、山は厭はしいほど緑に埋れ、谷は深々と、繁りに隱されてしまふ。郭公は早く鳴き嗄らし、時鳥が替つて、日も夜も鳴く。
草の花が、どつと怒濤の寄せるやうに咲き出して、山全體が花原見たやうになつて行く。里の麥は刈り急がれ、田の原は一樣に青みわたつて、もうこんなに伸びたか、と驚くほどになる。家の庭苑にも、立ち替り咲き替つて、栽ゑ木、草花が、何處まで盛り續けるかと思はれる。だが其も一盛りで、坪はひそまり返つたやうな時が來る。池には葦が伸び、蒲が秀き、藺が抽んでゝ來る。遲々として、併し忘れた頃に、俄かに伸し上るやうに育つのは、蓮の葉であつた。
前年から今年にかけて、海の彼方の新羅の暴状が、目立つて棄て置かれぬものに見えて來た。太宰府からは、軍船を新造して新羅征伐の設けをせよ、と言ふ命のお降しを、度々都へ請うておこして居た。此忙しい時に、偶然流人太宰府員外帥として、難波に居た横佩家の豐成は、思ひがけぬ日々を送らねばならなかつた。
都の姫の事は、子古の口から聽いて知つたし、又、京・難波の間を往來する頻繁な公私の使ひに、文をことづてる事は易かつたけれども、どう處置してよいか、途方に昏れた。ちよつと見は何でもない事の樣で、實は重大な、家の大事である。其だけに、常の優柔不斷な心癖は、益々つのるばかりであつた。
寺々の知音に寄せて、當麻寺へ、よい樣に命じてくれる樣に、と書いてもやつた。又處置方について伺うた横佩墻内の家の長老・刀自たちへは、ひたすら、汝等の主の郎女を護つて居れ、と言ふやうな、抽象風なことを、答へて來たりした。
次の消息には、何かと具體した仰せつけがあるだらう、と待つて居る間に、日が立ち、月が過ぎて行くばかりである。其間にも、姫の失はれたと見える魂が、お身に戻るか、其だけの望みで、人々は、山村に止つて居た。物思ひに、屈託ばかりもして居ぬ若人たちは、もう池のほとりにおり立つて、伸びた蓮の莖を切り集め出した。其を見て居た寺の婢女が、其はまだ若い、まう半月もおかねばと言つて、寺領の一部に、蓮根を取る爲に作つてあつた蓮田へ、案内しよう、と言ひ出した。
あて人の家自身が、それ/\、農村の大家であつた。其が次第に、官人らしい姿に更つて來ても、家庭の生活には、何時までたつても、何處か農家らしい樣子が、殘つて居た。家構へにも、屋敷の廣場にも、家の中の雜用具にも。第一、女たちの生活は、起居ふるまひ なり、服裝なりは、優雅に優雅にと變つては行つたが、やはり昔の農家の家内の匂ひがつき纏うて離れなかつた。刈り上げの秋になると、夫と離れて暮す年頃に達した夫人などは、よく其家の遠い田莊へ行つて、數日を過して來るやうな習しも、絶えることなく、くり返されて居た。
だから、刀自たちは固より若人らも、つくねん と女部屋の薄暗がりに、明し暮して居るのではなかつた。てんでに、自分の出た村方の手藝を覺えて居て、其を、仕へる君の爲に爲出さう、と出精してはたらいた。
裳の襞を作るのに珍い術を持つた女などが、何でもないことで、とりわけ重寶がられた。袖の先につける鰭袖を美しく爲立てゝ、其に、珍しい縫ひとりをする女なども居た。こんなのは、どの家庭にもある話でなく、かう言ふ若人をおきあてた家は、一つのよい見てくれ を世間に持つ事になるのだ。一般に、染めや、裁ち縫ひが、家々の顏見合はぬ女どうしの競技のやうに、もてはやされた。摺り染めや、擣ち染めの技術も、女たちの間には、目立たぬ進歩が年々にあつたが、浸で染めの爲の染料が、韓の技工人の影響から、途方もなく變化した。紫と謂つても、茜と謂つても皆、昔の樣な、染め漿の處置はせなくなつた。さうして、染め上りも、艶々しく、はでなものになつて來た。表向きは、かうした色の禁令が、次第に行きわたつて來たけれど、家の女部屋までは、官の目も屆くはずはなかつた。
家庭の主婦が、居まはりの人を促したてゝ、自身も精勵してするやうな爲事は、あて人の家では、刀自等の受け持ちであつた。若人たちも、田畠に出ぬと言ふばかりで、家の中での爲事は、まだ見參をせずにゐた田舍暮しの時分と、大差はなかつた。とりわけ違ふのは、其家々の神々に仕へると言ふ、誇りはあるが、小むつかしい事がつけ加へられて居る位のことである。外出には、下人たちの見ぬ樣に、笠を深々とかづき、其下には、更に薄帛を垂らして出かけた。
一時たゝぬ中に、婢女ばかりでなく、自身たちも、田におりたつたと見えて、泥だらけになつて、若人たち十數人は戻つて來た。皆手に手に、張り切つて發育した、蓮の莖を抱へて、廬の前に竝んだのには、常々くすり とも笑はぬ乳母たちさへ、腹の皮をよつて、切ながつた。
郎女樣。御覽じませ。
竪帳を手でのけて、姫に見せるだけが、やつとのことであつた。
ほう――。
何が笑ふべきものか、何が憎むに値するものか、一切知らぬ上※ 《ジヤウラフ》には、唯常と變つた皆の姿が、羨しく思はれた。
この身も、その田居とやらにおり立ちたい――。
めつさうなこと、仰せられます。
めつさうな。きまつて、誇張した顏と口との表現で答へることも、此ごろ、この小社會で行はれ出した。何から何まで縛りつけるやうな、身狹乳母に對する反感も、此ものまね で幾分、いり合せがつく樣な氣がするのであらう。
其日からもう、若人たちの絲縒りは初まつた。夜は、閨の闇の中で寢る女たちには、稀に男の聲を聞くこともある、奈良の垣内住ひが、戀しかつた。朝になると又、何もかも忘れたやうになつて績み貯める。
さうした絲の、六かせ七かせを持つて出て、郎女に見せたのは、其數日後であつた。
乳母よ。この絲は、蝶鳥の翼よりも美しいが、蜘蛛の巣より弱く見えるがよ――。
郎女は、久しぶりでにつこりした。勞を犒ふと共に、考への足らぬのを憐むやうである。
刀自は、驚いて姫の詞を堰き止めた。
なる程、此は脆過ぎまする。
女たちは、板屋に戻つても、長く、健やかな喜びを、皆して語つて居た。
全く些しの惡意もまじへずに、言ひたいまゝの氣持ちから、
田居とやらへおりたちたい――、
を反覆した。
刀自は、若人を呼び集めて、
もつと、きれぬ絲を作り出さねば、物はない。
と言つた。女たちの中の一人が、
それでは、刀自に、何ぞよい御思案が――。
さればの――。
昔を守ることばかりはいかつい が、新しいことの考へは唯、尋常の婆の如く、愚かしかつた。
ゆくりない聲が、郎女の口から洩れた。
この身の考へることが、出來ることか試して見や。
うま人を輕侮することを、神への忌みとして居た昔人である。だが、かすかな輕しめに似た氣持ちが、皆の心に動いた。
夏引きの麻生の麻を績むやうに、そして、もつと日ざらしよく、細くこまやかに――。
郎女は、目に見えぬものゝさとし を、心の上で綴つて行くやうに、語を吐いた。
板屋の前には、俄かに、蓮の莖が乾し竝べられた。さうして其が乾くと、谷の澱みに持ち下りて浸す。浸しては晒し、晒しては水に漬でた幾日の後、筵の上で槌の音高く、こも/″\、交々《コモヾヽ》と叩き柔らげた。
その勤しみを、郎女も時には、端近くゐざり出て見て居た。咎めようとしても、思ひつめたやうな目して、見入つて居る姫を見ると、刀自は口を開くことが出來なくなつた。
日晒しの莖を、八針に裂き、其を又、幾針にも裂く。郎女の物言はぬまなざしが、ぢつと若人たちの手もとをまもつて居る。果ては、刀自も言ひ出した。
私も、績みませう。
績みに績み、又績みに績んだ。藕絲のまるがせが、日に/\殖えて、廬堂の中に、次第に高く積まれて行つた。
もう今日は、みな月に入る日ぢやの――。
暦の事を言はれて、刀自はぎよつ とした。ほんに、今日こそ、氷室の朔日ぢや。さう思ふ下から齒の根のあはぬやうな惡感を覺えた。大昔から、暦は聖の與る道と考へて來た。其で、男女は唯、長老の言ふがまゝに、時の來又去つた事を教はつて、村や、家の行事を進めて行くばかりであつた。だから、教へぬに日月を語ることは、極めて聰い人の事として居た頃である。愈々魂をとり戻されたのか、と瞻りながら、はら/\して居る乳母であつた。唯、郎女は復、秋分の日の近づいて來て居ることを、心にと言ふよりは、身の内に、そく/\と感じ初めて居たのである。蓮は、池のも、田居のも、極度に長けて、莟の大きくふくらんだのも、見え出した。婢女は、今が刈りしほだ、と教へたので、若人たちは、皆手も足も泥にして、又田に立ち暮す日が續いた。
十七
彼岸中日 秋分の夕。朝曇り後晴れて、海のやうに深碧に凪いだ空に、晝過ぎて、白い雲が頻りにちぎれ/\に飛んだ。其が門渡る船と見えてゐる内に、暴風である。空は愈々青澄み、昏くなる頃には、藍の樣に色濃くなつて行つた。見あげる山の端は、横雲の空のやうに、茜色に輝いて居る。
大山颪。木の葉も、枝も、顏に吹きつけられる程の物は、皆活きて青かつた。板屋は吹きあげられさうに、煽りきしんだ。若人たちは、悉く郎女の廬に上つて、刀自を中に、心を一つにして、ひしと顏を寄せた。たゞ互の顏の見えるばかりの緊張した氣持ちの間に、刻々に移つて行く風。西から眞正面に吹きおろしたのが、暫らくして北の方から落して來た。やがて、風は山を離れて、平野の方から、山に向つてひた吹きに吹きつけた。峰の松原も、空樣に枝を掻き上げられた樣になつて、悲鳴を續けた。谷から峰の上に生え上つて居る萱原は、一樣に上へ/\と糶り昇るやうに、葉裏を返して扱き上げられた。
家の中は、もう暗くなつた。だがまだ見える庭先の明りは、黄にかつきり と、物の一つ/\を、鮮やかに見せて居た。
郎女樣が――。
誰かの聲である。皆、頭の毛が空へのぼる程、ぎよつとした。其が、何だと言はれずとも、すべての心が、一度に了解して居た。言ひ難い恐怖にかみづゝた女たちは、誰一人聲を出す者も居なかつた。
身狹 乳母は、今の今まで、姫の側に寄つて、後から姫を抱へて居たのである。皆の人はけはひで、覺め難い夢から覺めたやうに、目をみひらくと、あゝ、何時の間にか、姫は嫗の兩腕兩膝の間には、居させられぬ。一時に、慟哭するやうな感激が來た。だが長い訓練が、老女の心をとり戻した。凛として、反り返る樣な力が、湧き上つた。
誰ぞ、弓を――。鳴弦ぢや。
人を待つ間もなかつた。彼女自身、壁代に寄せかけて置いた白木の檀弓をとり上げて居た。
それ皆の衆――。反閇ぞ。もつと聲高に――。あっし、あっし、それ、あっしあっし……。
若人たちも、一人々々の心は、疾くに飛んで行つてしまつて居た。唯一つの聲で、警※ 《ケイヒツ》を發し、反閇した。
あっし あっし。
あっし あっし あっし。
狹い廬の中を蹈んで※ つた。脇目からは、遶道する群れのやうに。
郎女樣は、こちらに御座りますか。
萬法藏院の婢女が、息をきらして走つて來て、何時もなら、許されて居ぬ無作法で、近々と、廬の砌に立つて叫んだ。
なに――。
皆の口が、一つであつた。
郎女樣か、と思はれるあて人が――、み寺の門に立つて居さつせるのを見たで、知らせにまゐりました。
今度は、乳母一人の聲が答へた。
なに、み寺の門に。
婢女を先に、行道の群れは、小石を飛す嵐の中を、早足に練り出した。
あっし あっし あっし……。
聲は、遠くからも聞えた。大風をつき拔く樣な鋭聲が、野面に傳はる。
萬法藏院は、實に寂として居た。山風は物忘れした樣に、鎭まつて居た。夕闇はそろ/\、かぶさつて來て居るのに、山裾のひらけた處を占めた寺庭は、白砂が、晝の明りに輝いてゐた。こゝからよく見える二上の頂は、廣く、赤々と夕映えてゐる。
姫は、山田の道場の※ から仰ぐ空の狹さを悲しんでゐる間に、何時かこゝまで來て居たのである。淨域を穢した物忌みにこもつてゐる身、と言ふことを忘れさせぬものが、其でも心の隅にあつたのであらう。門の閾から、伸び上るやうにして、山の際の空を見入つて居た。
暫らくおだやんで居た嵐が、又山に※ つたらしい。だが、寺は物音もない黄昏だ。
男嶽と女嶽との間になだれをなした大きな曲線が、又次第に兩方へ聳つて行つてゐる、此二つの峰の間の廣い空際。薄れかゝつた茜の雲が、急に輝き出して、白銀の炎をあげて來る。山の間に充滿して居た夕闇は、光りに照されて、紫だつて動きはじめた。
さうして暫らくは、外に動くものゝない明るさ。山の空は、唯白々として、照り出されて居た。
肌 肩 脇 胸 豐かな姿が、山の尾上の松原の上に現れた。併し、俤に見つゞけた其顏ばかりは、ほの暗かつた。
今すこし著く み姿顯したまへ――。
郎女の口よりも、皮膚をつんざいて、あげた叫びである。山腹の紫は、雲となつて靉き、次第々々に降る樣に見えた。
明るいのは、山際ばかりではなかつた。地上は、砂の數もよまれるほどである。
しづかに しづかに雲はおりて來る。萬法藏院の香殿・講堂・塔婆・樓閣・山門・僧房・庫裡、悉く金に、朱に、青に、晝より著く見え、自ら光りを發して居た。
庭の砂の上にすれ/\に、雲は搖曳して、そこにあり/\と半身を顯した尊者の姿が、手にとる樣に見えた。匂ひやかな笑みを含んだ顏が、はじめて、まともに郎女に向けられた。伏し目に半ば閉ぢられた目は、此時、姫を認めたやうに、清しく見ひらいた。輕くつぐんだ脣は、この女性に向うて、物を告げてゞも居るやうに、ほぐれて見えた。
郎女は尊さに、目の低れて來る思ひがした。だが、此時を過してはと思ふ一心で、御姿から、目をそらさなかつた。
あて人を讃へるものと、思ひこんだあの詞が、又心から迸り出た。
なも 阿彌陀ほとけ。あなたふと 阿彌陀ほとけ。
瞬間に明りが薄れて行つて、まのあたりに見える雲も、雲の上の尊者の姿も、ほの/″\と暗くなり、段々に高く、又高く上つて行く。
姫が、目送する間もない程であつた。忽、二上山の山の端に溶け入るやうに消えて、まつくらな空ばかりの、たなびく夜になつて居た。
あっし あっし。
足を蹈み、前を驅ふ聲が、耳もとまで近づいて來てゐた。
十八
當麻の邑は、此頃、一本の草、一塊の石すら、光りを持つほど、賑ひ充ちて居る。
當麻眞人家の氏神當麻彦の社へ、祭り時に外れた昨今、急に、氏 上の拜禮があつた。故上總守老眞人以來、暫らく絶えて居たことである。
其上、まう二三日に迫つた八月の朔日には、奈良の宮から、勅使が來向はれる筈になつて居た。當麻氏から出られた大夫人のお生み申された宮の御代に、あらたまることになつたからである。
廬堂の中は、前よりは更に狹くなつて居た。郎女が、奈良の御館からとり寄せた高機を、設てたからである。機織りに長けた女も、一人や二人は、若人の中に居た。此女らの動かして見せる筬や梭の扱ひ方を、姫はすぐに會得した。機に上つて日ねもす、時には終夜織つて見るけれど、蓮の絲は、すぐに圓になつたり、斷れたりした。其でも、倦まずにさへ織つて居れば、何時か織りあがるもの、と信じてゐる樣に、脇目からは見えた。
乳母は、人に見せた事のない憂はしげな顏を、此頃よくしてゐる。
何しろ、唐土でも、天竺から渡つた物より手に入らぬ、といふ藕絲織りを遊ばさう、と言ふのぢやものなう。
話相手にもしなかつた若い者たちに、時々うつかりと、こんな事を、言ふ樣になつた。
かう絲が無駄になつては。
今の間にどし/″\績んで置かいでは――。
乳母の語に、若人たちは又、廣々とした野や田の面におり立つことを思うて、心がさわだつた。
さうして、女たちの刈りとつた蓮積み車が、廬に戻つて來ると、何よりも先に、田居への降り道に見た、當麻の邑の騷ぎの噂である。
郎女樣のお從兄惠美の若子さまのお母樣も、當麻 眞人のお出ぢやげな――。
惠美の御館の叔父君の世界、見るやうな世になつた。
兄御を、帥の殿に落しておいて、御自身はのり越して、内相の、大師の、とおなりのぼりの御心持ちは、どうあらうなう――。
あて人に仕へて居ても、女はうつかりすると、人の評判に時を移した。
やめい やめい。お耳ざはりぞ。
しまひには、乳母が叱りに出た。だが、身狹刀自自身のうちにも、もだ/″\と咽喉につまつた物のある感じが、殘らずには居なかつた。さうして、そんなことにかまけることなく、何の訣やら知れぬが、一心に絲を績み、機を織つて居る育ての姫が、いとほしくてたまらぬのであつた。
晝の中多く出た虻は、潜んでしまつたが、蚊は仲秋になると、益々あばれ出して來る。日中の興奮で、皆は正體もなく寢た。身狹までが、姫の起き明す燈の明りを避けて、隅の物陰に、深い鼾を立てはじめた。
郎女は、斷れては織り、織つては斷れ、手がだるくなつても、まだ梭を放さうともせぬ。
だが、此頃の姫の心は、滿ち足らうて居た。あれほど、夜々《ヨルヽヽ》見て居た俤人の姿も見ずに、安らかな氣持ちが續いてゐるのである。
「此機を織りあげて、はやうあの素肌のお身を、掩うてあげたい。」
其ばかり考へて居る。世の中になし遂げられぬものゝあると言ふことを、あて人は知らぬのであつた。
ちよう ちよう はた はた。
はた はた ちよう……。
筬を流れるやうに、手もとにくり寄せられる絲が、動かなくなつた。引いても扱いても通らぬ。筬の齒が幾枚も毀れて、絲筋の上にかゝつて居るのが見える。
郎女は、溜め息をついた。乳母に問うても、知るまい。女たちを起して聞いた所で、滑らかに動かすことはえすまい。
どうしたら、よいのだらう。
姫ははじめて、顏へ偏つてかゝつて來る髮のうるさゝを感じた。筬の櫛目を覗いて見た。梭もはたいて見た。
あゝ、何時になつたら、したてた衣を、お肌へふくよかにお貸し申すことが出來よう。
もう外の叢で鳴き出した、蟋蟀の聲を、瞬間思ひ浮べて居た。
どれ、およこし遊ばされ。かう直せば、動かぬこともおざるまい――。
どうやら聞いた氣のする聲が、機の外にした。
あて人の姫は、何處から來た人とも疑はなかつた。唯、さうした好意ある人を、豫想して居た時なので、
見てたもれ。
機をおりた。
女は尼であつた。髮を切つて尼そぎにした女は、其も二三度は見かけたことはあつたが、剃髮した尼には會うたことのない姫であつた。
はた はた ちよう ちよう。
元の通りの音が、整つて出て來た。
蓮の絲は、かう言ふ風では、織れるものではおざりませぬ。もつと寄つて御覽じ――。これかう――おわかりかえ。
當麻語部 姥の聲である。だが、そんなことは、郎女の心には、問題でもなかつた。
おわかりなさるかえ。これかう――。
姫の心は、こだま の如く聰くなつて居た。此才伎の經緯は、すぐ呑み込まれた。
織つてごらうじませ。
姫が、高機に代つて入ると、尼は機陰に身を倚せて立つ。
はた はた ゆら ゆら。
音までが、變つて澄み上つた。
女鳥の わがおほきみの織す機。誰が爲ねろかも――、御存じ及びでおざりませうなう。昔、かう、機殿の※ からのぞきこうで、問はれたお方樣がおざりましたつけ。――その時、その貴い女性がの、
たか行くや 隼別の御被服料――さうお答へなされたとなう。
この中申し上げた滋賀津彦は、やはり隼別でもおざりました。天若日子でもおざりました。天の日に矢を射かける――。併し、極みなく美しいお人でおざりましたがよ。
截りはたり、ちようちよう。それ――、早く織らねば、やがて、岩牀の凍る冷い冬がまゐりますがよ――。
郎女は、ふつと覺めた。あぐね果てゝ、機の上にとろ/\とした間の夢だつたのである。だが、梭をとり直して見ると、
はた はた ゆら ゆら。ゆら はたゝ。
美しい織物が、筬の目から迸る。
はた はた ゆら ゆら。
思ひつめてまどろんでゐる中に、郎女の智慧が、一つの閾を越えたのである。
十九
望の夜の月が冴えて居た。若人たちは、今日、郎女の織りあげた一反の上帛を、夜の更けるのも忘れて、見讃して居た。
この月の光りを受けた美しさ。
※ 《カトリ》のやうで、韓織のやうで、――やつぱり、此より外にはない、清らかな上帛ぢや。
乳母も、遠くなつた眼をすがめながら、譬へやうのない美しさと、づゝしりとした手あたりを、若い者のやうに樂しんでは、撫でまはして居た。
二度目の機は、初めの日數の半であがつた。三反の上帛を織りあげて、姫の心には、新しい不安が頭をあげて來た。五反目を織りきると、機に上ることをやめた。さうして、日も夜も、針を動した。
長月の空は、三日の月のほのめき出したのさへ、寒く眺められる。この夜寒に、俤人の肩の白さを思ふだけでも、堪へられなかつた。
裁ち縫ふわざは、あて人の子のする事ではなかつた。唯、他人の手に觸れさせたくない。かう思ふ心から、解いては縫ひ、縫うてはほどきした。現し世の幾人にも當る大きなお身に合ふ衣を、縫ふすべを知らなかつた。せつかく織り上げた上帛を、裁つたり截つたり、段々布は狹くなつて行く。
女たちも、唯姫の手わざを見て居るほかはなかつた。何を縫ふものとも考へ當らぬ囁きに、日を暮すばかりである。
其上、日に増し、外は冷えて來る。人々は一日も早く、奈良の御館に歸ることを願ふばかりになつた。郎女は、暖かい晝、薄暗い廬の中で、うつとりとしてゐた。その時、語部の尼が歩み寄つて來るのを、又まざ/″\と見たのである。
何を思案遊ばす。壁代の樣に縱横に裁ちついで、其まゝ身に纒ふやうになさる外はおざらぬ。それ、こゝに紐をつけて、肩の上でくゝりあはせれば、晝は衣になりませう。紐を解き敷いて、折り返し被れば、やがて夜の衾にもなりまする。天竺の行人たちの著る僧伽梨と言ふのが、其でおざりまする。早くお縫ひあそばされ。
だが、氣がつくと、やはり晝の夢を見て居たのだ。裁ちきつた布を綴り合せて縫ひ初めると、二日もたゝぬ間に、大きな一面の綴りの上帛が出來あがつた。
郎女樣は、月ごろかゝつて、唯の壁代をお織りなされた。
あつたら 惜しやの。
はり が拔けたやうに、若人たちが聲を落して言うて居る時、姫は悲しみながら、次の營みを考へて居た。
「これでは、あまり寒々としてゐる。殯の庭の棺にかけるひしきもの ―喪氈―、とやら言ふものと、見た目にかはりはあるまい。」
二十
もう、世の人の心は賢しくなり過ぎて居た。獨り語りの物語りなどに、信をうちこんで聽く者のある筈はなかつた。聞く人のない森の中などで、よく、つぶ/\と物言ふ者がある、と思うて近づくと、其が、語部の家の者だつたなど言ふ話が、どの村でも、笑ひ咄のやうに言はれるやうな世の中になつて居た。當麻語部の嫗なども、都の上※ 《ジヤウラフ》の、もの疑ひせぬ清い心に、知る限りの事を語りかけようとした。だが、忽違つた氏の語部なるが故に、追ひ退けられたのであつた。
さう言ふ聽きてを見あてた刹那に、持つた執心の深さ。その後、自身の家の中でも、又廬堂に近い木立ちの陰でも、或は其處を見おろす山の上からでも、郎女に向つてする、ひとり語りは續けられて居た。
今年八月、當麻の氏人に縁深いお方が、めでたく世にお上りなされたあの時こそ、再己が世が來た、とほくそ笑み をした――が、氏の神祭りにも、語部を請じて、神語りを語らさうともせられなかつた。ひきついであつた、勅使の參向の節にも、呼び出されて、當麻氏の古物語りを奏上せい、と仰せられるか、と思うて居た豫期も、空頼みになつた。
此はもう、自身や、自身の祖たちが、長く覺え傳へ、語りついで來た間、かうした事に行き逢はうとは、考へもつかなかつた時代が來たのだ、と思うた瞬間、何もかも、見知らぬ世界に追放はれてゐる氣がして、唯驚くばかりであつた。娯しみを失ひきつた語部の古婆は、もう飯を喰べても、味は失うてしまつた。水を飮んでも、口をついて、獨り語りが囈語のやうに出るばかりになつた。
秋深くなるにつれて、衰への、目立つて來た姥は、知る限りの物語りを、喋りつゞけて死なう、と言ふ腹をきめた。さうして、郎女の耳に近い處をところ をと覓めて、さまよひ歩くやうになつた。
郎女は、奈良の家に送られたことのある、大唐の彩色の數々を思ひ出した。其を思ひついたのは、夜であつた。今から、横佩墻内へ馳けつけて、彩色を持つて還れ、と命ぜられたのは、女の中に、唯一人殘つて居た長老である。つひしか、こんな言ひつけをしたことのない郎女の、性急な命令に驚いて、女たちは復、何か事の起るのではないか、とおど/\して居た。だが、身狹乳母の計ひで、長老は澁々、夜道を、奈良へ向つて急いだ。
あくる日、繪具の屆けられた時、姫の聲ははなやいで、興奮りかに響いた。
女たちの噂した所の、袈裟で謂へば、五十條の大衣とも言ふべき、藕絲の上帛の上に、郎女の目はぢつとすわつて居た。やがて筆は、愉しげにとり上げられた。線描きなしに、うちつけに繪具を塗り進めた。美しい彩畫は、七色八色の虹のやうに、郎女の目の前に、輝き増して行く。
姫は、緑青を盛つて、層々うち重る樓閣伽藍の屋根を表した。數多い柱や、廊の立ち續く姿が、目赫くばかり、朱で彩みあげられた。むら/\と靉くものは、紺青の雲である。紫雲は一筋長くたなびいて、中央根本堂とも見える屋の上から、畫きおろされた。雲の上には金泥の光り輝く靄が、漂ひはじめた。姫の命を搾るまでの念力が、筆のまゝに動いて居る。やがて金色の雲氣は、次第に凝り成して、照り充ちた色身――現し世の人とも見えぬ尊い姿が顯れた。
郎女は唯、先の日見た、萬法藏院の夕の幻を、筆に追うて居るばかりである。堂・塔・伽藍すべては、當麻のみ寺のありの姿であつた。だが、彩畫の上に湧き上つた宮殿樓閣は、兜率天宮のたゝずまひさながらであつた。しかも、其四十九重の寶宮の内院に現れた尊者の相好は、あの夕、近々と目に見た俤びとの姿を、心に覓めて描き顯したばかりであつた。
刀自・若人たちは、一刻々々、時の移るのも知らず、身ゆるぎもせずに、姫の前に開かれて來る光りの霞に、唯見呆けて居るばかりであつた。
郎女が、筆をおいて、にこやかな笑ひを、圓く跪坐る此人々の背におとしながら、のどかに併し、音もなく、山田の廬堂を立ち去つた刹那、心づく者は一人もなかつたのである。まして、戸口に消える際に、ふりかへつた姫の輝くやうな頬のうへに、細く傳ふものゝあつたのを知る者の、ある訣はなかつた。
姫の俤びとに貸す爲の衣に描いた繪樣は、そのまゝ曼陀羅の相を具へて居たにしても、姫はその中に、唯一人の色身の幻を描いたに過ぎなかつた。併し、殘された刀自・若人たちの、うち瞻る畫面には、見る/\、數千地涌の菩薩の姿が、浮き出て來た。其は、幾人の人々が、同時に見た、白日夢のたぐひかも知れぬ。
青空文庫より引用