紙幣鶴


 ある晩カフェに行くと、一隅の卓にったひとりの娘が、墺太利オウストリーの千円紙幣でしきりに鶴を折っている。ひとりの娘というても、僕は二度三度その娘と話したことがあった。僕の友と一しょに夕餐ゆうさんをしたこともあった。世の人々は、この娘の素性などをいろいろ穿鑿せんさくせぬ方が賢いとおもう。娘の前を通りしなに、僕はちょっと娘と会話をした。
「こんばんは。何している」
「こんばんは。どうです、うまいでしょう」
「なんだ千円札じゃないか。勿体もったいないことをするね」
「いいえ、ちっとも勿体なかないわ。ごらんなさい、墺太利オウストリーのお金は、こうやってどんどん飛ぶわ」
 そうして娘は口を細め、ほおをふくらめて、紙幣で折った鶴をぷうと吹いた。鶴は虚空に舞い上ったが、たちま牀上しょうじょうに落ちた。
 娘は、微笑しながら紙幣で折った鶴を僕に示して、 ※ fliegende oesterreichische Kronen!“ こういったのであった。この原語の方が、象徴的で、簡潔で、小癪こしゃくで、よほどうまいところがある。けれども、これをそのまま日本語に直訳してしまってはやはりいけまい。
 この小話は、墺太利オウストリーのカアル皇帝が、西班牙スペイン領の離れ小島で崩じた時と、同じような感銘を僕に与えたとおもうから、ここに書きしるしておこう。



青空文庫より引用