しっぺい太郎
一
むかし、諸国のお寺を巡礼して歩く六部が、方々《ほうぼう》めぐりめぐって、美作国へまいりました。だんだん山深く入っていって、ある村の中に入りますと、何かお祝い事があるとみえて、方々《ほうぼう》でぺんたらこっこ、ぺんたらこっこ、もちをつく音がしていました。
するとその中で一けん、相応にりっぱな構えをした家が、ここだけはきねの音もしず、ひっそりかんと静まりかえっていました。家の中からは、かすかにすすり泣きをする声さえ聞こえてきました。
六部は「はてな。」と首をかしげながら、そのまま通りすぎていきますと、村はずれに一けんの茶店がありました。六部は茶店に休んで、お茶を飲みながら、おばあさんを相手にいろいろの話をしたついでに、
「おばあさん、おばあさん。この村には何かお祭りでもあるのかね。だいぶにぎやかなようじゃあないか。だがその中で一けん、大そう陰気に沈みこんだ家があったが、あれは親類に不幸でもあったのかね。」
と聞きました。するとおばあさんは、お茶盆を手に持ったまま、
「まあ、それはこういうわけでございますよ。あなたは方々《ほうぼう》の国々《くにぐに》をお回りですから、たぶん御存じでしょうが、この村でも年々《ねんねん》、それ、あそこにちょっと高い山がございましょう、あの山の上の神さまに、人身御供を上げることになっているのでございます。」
こういって、向こうにこんもり森のしげった山を指さしました。
「ふん、それでなぜお祝いをするのだろう。」
と六部はたずねました。
「それはこういうわけでございます。あの山には昔から、どういう神さまをまつったのですか、古い古いお社がございます。年々《ねんねん》秋のみのり時になりますと、この神さまの召し上がり物に、生きている人間を一人ずつ供えないと、お天気が悪くなって、雨が降ってもらいたいときには降らないし、日の照ってもらいたいときにも照りません。その上いつ荒らされるとなく田畑を荒らされて、その年の取り入れをふいにしてしまうものですから、しかたなしに毎年人身御供を上げることにしてあります。そして人身御供に上げられる者も、一切神さまのお心まかせで、神さまが今年はここの家の者を取ろうとおぼしめすと、その家の屋根の棟に白羽の矢が立ちます。矢の立つ家はきっと若いきれいな娘のある家に限っております。そして一度矢が立った以上、たとえ一粒種の大事な娘でも、七日のうちには長持に入れて、夜おそくお社の前まで担いでいって、さし上げるとすぐ、後を振り返らずに帰って来なければなりません。こういうわけですから、年ごろの娘を持った家は、毎年その時分になると、今年は白羽の矢が立つのではないかと思って、びくびくふるえておりますが、いよいよどこかのうちに矢が立ったときまると、まあまあよかった、今年ものがれたといって、おもちをついてお祝いをいたしますが、矢の立った家こそ、それはみじめなもので、もうその日からうち中が娘を真ん中に抱えて、昼も夜も泣き通して、目も当てられない有様です。それであなたのごらんになったその家こそ、今年矢の立った家なのでございます。」
このおばあさんの長話を、六部はつくづく聞いて、
「世の中にはらんぼうな神さまもあるものだ。かわいそうに、年のゆかない娘を人身御供に取るなどというのは、悪いことだ。どうかしてやめさせる工夫はないものか知らん。」
と思いながら、茶店を出ました。
六部はそれから行く道々《みちみち》も、人身御供に上げられるかわいそうな娘のことや、大事な一粒種を取られていく両親の心を思いやって、人知れず涙をこぼしながら、やがて村を出はずれました。それから、おばあさんがさっき指さしをした山へかかりました。だんだんお社に近づくに従って森が深くなって、まだ日が暮れたというでもないのに、杉やひのきの大木の重なり合ってしげった中からは、まるで日の目がもれません。じめじめとしめっぽいような風が吹いて、しんと静まり返った底から、かすかに谷川の音が響いてきました。つたやかつらの気味悪く顔にまつわりつくのを払いのけて、たびたびこけに滑りながら、やっとお社の前まで出ますと、もうすっかり雨風に破れた古いほこらが一つ、そこに立っていて、どこからくるともなく、血なまぐさいような風が吹いてきました。
六部は、「ははあ、これが人身御供を取る神だな。いったいどんな様子なのか知らん。」と思って、中をのぞいてみましたが、真っ暗で何も見えませんでした。
この六部はもとはりっぱなお侍で、わけがあって六部に姿を変えて諸国をめぐり歩いているのでしたから、それこそ大抵のことには驚かない強い人でした。その時、六部は、「どうも神さまといっているが、これはきっと何かの悪い化け物に違いない、ちょうど幸い今夜はここに一晩泊まって、悪神の正体を見届けてやろう。」という決心をしました。それで、どこかかくれる所はないかと思って見回しますと、お社のじきわきに、三抱えもあるような大きな杉の木がありました。その中はちょうど人一人入れるくらいのうつろになっていました。六部はそっとその中に入って、息を殺して待っていました。
そのうち間もなく日が暮れて、夜になりました。夜が更けるに従って、森の中はいよいよものすごい、寂しい景色になりました。
すると夜中近くなって、どこからか、がやがや、大ぜいやってくる物音がしました。そこらがかすかに明るくなって、たい松を持った大ぜいの、人間だか化け物だか知れないものが、どやどや、お社の前に集まってきました。するとその中で一人頭立った者の声で、
「しっぺい太郎、今夜も来ないか。」
といいました。すると大ぜいの声で、
「しっぺい太郎、今夜も来ません。」
といいました。
するとお社の戸をあけて、またみんなどやどや、中へ入っていきました。そして戸がぴったりしまってしまいました。
六部はそっと木のうつろの中から、首を出してのぞいてみますと、燃え残りのたい松の火がかすかにとぼっているだけで、だれもそこには見えません。そろそろ抜き足してお社の縁先まで近づいて、耳を立てますと、どこかで大ぜいさわいでいる音が聞こえました。その姿は見えませんが、大ぜい寄り集まって、何かむしゃむしゃ、食べたり飲んだりしている様子です。そのうちにだんだん、そうぞうしくなってきて、奇妙な歌を歌いながら踊り出しました。歌の文句はよくは分かりませんでしたが、
「あのことこのこと聞かせるな。
しっぺい太郎に聞かせるな。
丹波の太郎に聞かせるな。
スッテン、スッテン、スッテン。」
とたびたびくり返して、いつまでもいつまでも踊っていました。
六部はこの歌を聞いて、「どういう化け物だか知らないが、人身御供をとるやつはたしかにこれに相違ない。何でも大そうしっぺい太郎という人をこわがっている様子だ。きっとこれは丹波国に住んでいる強い侍に違いない。一つこの人をたずねて相談をしてみよう。」こう思って、六部はそれから取って返して、元の村へもどりました。そして白羽の矢の立った家へたずねていって、
「御心配には及びません。今日から七日の日限のつきないうちに、きっと娘さんを助けることができるだろうと思いますから、安心して待っていて下さい。」
といって慰めました。
娘のふた親は、もうとても助かる見込みがないとあきらめて、両方の眼を泣きはらしていました。それが今、思いもかけない六部の言葉を聞きますと、「もしや。」とたのみにする気になって、娘といっしょに、何べんも、何べんも、手を合わせて六部を拝みました。
二
六部はそれからすぐと、丹波国へ行きました。そして村ごとに足を止めて、
「この村に、しっぺい太郎という方はありませんか。」
といいいい、たずねて歩きました。けれどもどこへ行っても、
「そんな名の人は知らない。」
と答えられました。
二日、三日、四日とたずね歩いて、どうしてもわからないので、六部は気が気ではありません。五日めにはもうがっかりして、体も心もくたびれ切って、とうとう山奥に迷い込んでしまいました。すると運よく、一軒のりょうしの家を見つけたので、痛む足を引き引き、門に立ちました。いくら苦しくっても、六部はまだしっぺい太郎のことを聞くだけは忘れませんでした。
するとりょうしは、しばらく考えていましたが、
「さあ、そういう名の人は知りませんが、うちの飼犬にはしっぺい太郎という名がついていますよ。」
と答えました。
六部は、はじめて気がついて、「ははあ、何だ、しっぺい太郎というのは犬の名であったか。それでは分からないはずだ。」と思いながら、
「ええ、多分それです。それです。そのしっぺい太郎です。その犬を見せて下さい。」
といいました。やがて主人に呼ばれて出てきたしっぺい太郎を見ますと、小牛ほどもある犬で、みるからするどそうな牙をしていました。
そこで六部は、これこれこういうわけだから、どうか人助けだと思って、二三日この犬を貸してもらえまいかとたのみますと、りょうしは、
「いや、そういうわけなら、少しでも早く連れておいでなさい。ここから美作国まで行くのでは、たっぷり二日の道のりだから。」
といって、快く犬を貸してくれました。六部は大そうよろこんで、しっぺい太郎を連れて、もう痛い足のこともわすれて、どんどん美作国に向かって急いで行きました。
三
「七日のうちには。」といって、六部が約束をして行ってから、もうその日も暮れかかってきましたが、どうしたのかいまだに、かいもく、姿が見えないので、人身御供に当たった家の人たちは、待ちくたびれてがっかりしていました。村の人たちは、それを半分は気の毒らしく、半分はあざ笑うように、
「あんな旅のふうらい坊のいうことなどを当てにして、今更どうなるものではない。」
といっていました。そして娘を入れる長持を、大ぜいしてわいわい担いで来て、
「さあ、だんだん時刻がおくれます。気の毒だが、お娘御を出して下さい。」
と、門口でやかましくいい立てました。
「まあ、もう少し、もう少し。」
といって、娘のふた親は「よもや」をたのみにして、半時、一時間と延ばしていました。それでもやはり六部は姿を現さないので、もういよいよだめとあきらめて、しおれ返りながら、娘を出して、きれいに体を清めて、新しい、白い着物に着替えさせました。みんなは娘を長持へ入れて、いよいよ担ぎ出そうとしました。
そのとたんに、しっぺい太郎をつれた六部が、はあはあ息を切りながら駆け込んで来ました。六部はあわてて娘を長持から出してやって、
「まあ、わたしにまかせて下さい。きっといいようにしますから。」
といって、しっぺい太郎を抱えたまま、自分が長持の中にぽんととび込みました。そして、
「娘さんの代わりに、わたしを神さまに上げて下さい。」
といいました。村の人たちは、
「そんなことをして、神さまのたたりがあっても知らないぞ。」
と口々《くちぐち》にぶつぶついいながら、いわれるままに長持を担いで行きました。たい松をつけた人が先に立つと、長持のうしろには神主がつき添って、旗や矛を押し立てて、山の上のお社をさして行きました。お社に着くと、みんなは長持を、真っ暗なほこらの中に、こわごわ置いて、あとをも見ずに、逃げ帰ってしまいました。
そのうちだんだん、夜が更けて、夜中近くになりました。するといつどこから出てきたともなく、どやどやと、大ぜい、人だか、化け物だか、知れないものの物音がしました。やがてお社の戸をあけて、みんなぞろぞろ、中へ入って来ました。
中へ入ると、あやしいものは、
「きゃっ、きゃっ。」
とさけびながら、長持のまわりを、ぐるぐる回りはじめました。長持の中のしっぺい太郎は、この物音を聞くと、くんくん鼻をならして、低い声でうなりながら、今にも飛びつこうという身がまえをしました。六部も刀のつかに手をかけて、今、ふたをあけるか、今ふたをあけるかと、待ちかまえていました。しっぺい太郎はいよいよすごい様子をして、がりがり牙をかんでいました。
間もなくふたに手がかかりました。そのひょうしに、しっぺい太郎は、一声「わん。」と高くほえて、いきなりふたを下からぽんと突き上げて、外へおどり出しました。そしていちばん大きな、頭だった化け物をめがけてかみついていきました。六部も刀を抜いたまま、後からつづいて出て、当たるにまかせて切り倒し、なぎ倒しました。しばらくは暗やみの中に、犬のものすごくうなる声と、化け物のきいきいさけぶ声とが、いっしょになって、やかましく聞こえました。
四
おそろしかった一夜は明けて、翌朝になりました。しかし、なかなか、六部も犬も帰って来ませんでした。娘のふた親は心配して、村の人々《ひとびと》と相談して、様子を見に山へ上がっていきました。
「ばかな六部め。よけいなところへ飛び出して、神さまのお罰をうけたに違いない。そのたたりが村にかかってこなければいいが。」
こんなことをぶつぶついいながら、大ぜいぞろぞろ、山を上がっていきました。やっとお社の前までたどり着いてみますと、どうでしょう、そこらは一面、気味の悪いような血の川で、そこにもここにも、かみ倒された大きな猿の死骸がごろごろしていました。その中でいちばん大きい、※ ※ 《ひひ》のような形の大猿を、しっかりと押さえつけたまま、六部もしっぺい太郎も倒れていました。こわごわそばへ寄ってみますと、化け物はしっぺい太郎に深くのど首をくいつかれて死んでいました。しっぺい太郎も、化け物のため、力まかせにのどをつかまれて、これも息が絶えていました。けれども六部は、あまり働いて息が切れて、気絶しただけでしたから、みんなが抱き起こして介抱すると、たちまち息を吹き返しました。
これで、毎年村を荒らして、人身御供を取る荒神の正体が、じつは猿の化け物であったことが分かって、村のものはやっと安心しました。そして方々《ほうぼう》の家で毎日、毎日、六部を呼んで、丁寧におもてなしをした上に、お礼をたんと持たせて立たせてやりました。
死んだしっぺい太郎のためには、りっぱなお墓を立てて、ねんごろに後をとむらってやりました。
青空文庫より引用