鉢かつぎ
一
ある時、河内国の交野という所に、備中守実高というお侍がありました。たくさんの田地やお金があって、きれいな奥方を持って、この世の中にべつだん不足のない気楽な身の上でしたが、それでもたった一つ、何よりいちばんだいじな子供という宝物の欠けていることを、残念に思っていました。それで夫婦は朝夕長谷の観音さまにお祈りをして、どうぞ一人子供をおさずけ下さいましといって、それはねっしんにお願い申しました。
そのねっしんがとどいたのでしょうか、とうとう一人かわいらしい姫さんが生まれました。実高夫婦はさっそく長谷の観音さまにお礼まいりをして、こんど生まれた姫さんの一生を、仏さまに守って頂くようにお頼みして帰って来ました。
この姫さんがずんずん大きく育っていって、ちょうど十三になった時、おかあさんはある時ふと風邪を引いたといって寝込んだまま、日にましだんだん様子が悪くなりました。おとうさんと姫さんとで、夜昼、まくら元につききりで看病したかいもなく、もういよいよ今日あしたがむずかしいというほどの容態になりました。
おかあさんはその夕方、姫さんをそっとまくら元に呼び寄せて、やせ衰えた手で、姫さんのふさふさした髪の毛をさすりながら、
「ほんとうに髪の毛が長くおなりだこと。せめてもう二、三年長生きをして、あなたのすっかり大人になったところを見たかった。」
と、こうおかあさんはいって、涙をぼろぼろこぼしながら、何を思ったのでしょうか、そばにあった漆ぬりの箱を重そうに持ち上げて、姫さんの頭の上にのせました。その箱の中には何が入っているのでしょうか。姫さんがふしぎに思っているうちに、おかあさんは、かまわずその上にまた、姫さんの体のかくれるほどの大きな漆ぬりの木鉢を、すっぽりかぶせてしまいました。
鉢をかぶせてしまうと、さも安心したらしく、おかあさんはほっとため息をついて、
「これはみんな観音さまのおいいつけなのだから。」
と独り言のようにいって、目をつぶると、そのままうとうと眠ったようでしたが、やがて息を引き取ってしまいました。
おとうさんも姫さんもびっくりして、死んだ人の体にとりついて、大騒ぎをしましたが、もう二度とは生き返りませんでした。お葬式がすんで後、おとうさんが気がついて、姫さんの頭の上に、うっとうしそうにのっている鉢を取ろうとしますと、どうしたのでしょう、鉢は頭に固く吸いついたようになって取れませんでした。
「おかあさんに別れた上に、こんなへんな姿になるとは、何というかわいそうな子供だろう。」
こうおとうさんはいって、鉢をかぶった姫さんの姿を、悲しそうな目で見ていました。
おとうさんのそんな心持ちを察しない世間の人たちは、姫さんがへんな姿になったのをおもしろがって、「鉢かつぎ、鉢かつぎ。」と、あだ名を呼んであざ笑いました。
二
しばらくすると、おとうさんは、親類やお友達にすすめられるまま、二度めの奥方をもらいました。
こうしておとうさんはだんだん、先の奥方を忘れるようになりました。でも鉢かつぎはいつまでもおかあさんのことが忘れられないで、時々《ときどき》思い出しては、寂しそうな顔をしていました。こんどのおかあさんはそれをにくらしがって、
「まあ、鉢を頭にかついだへんな子なんか、みっともなくって、わたしの娘だとはいわれないよ。」
といいました。そのうち奥方にも子供が一人生まれました。そうなるといよいよ鉢かつぎ姫をじゃまにして、姫がああしました、こうしましたといっては、ありもしないことを、おとうさんに告げ口ばかりしていました。
鉢かつぎ姫は、このごろではもうおとうさんにさえきらわれるようになって、この世の中に頼る人もなくなりました。それで毎日亡くなったおかあさんのお墓におまいりをして、涙をこぼしながら、
「おかあさま、どうぞあなたが行っていらっしゃる遠いお国に、わたくしを早くお呼び取り下さいまし。」
といって拝んでいました。
すると奥方はまた、鉢かつぎが毎日お墓まいりをすることを知ってにくらしがり、
「まあ、鉢かつぎはおそろしい子供です。わたしたちを殺すつもりで、のろいをかけております。」
と、おとうさんにざん言しました。おとうさんは大そうおこって、
「不幸な子だと思って、大目に見ておいてやったのだが、何の科もないかあさんや、きょうだいをのろうと聞いては、捨ててはおけない。出ていけ。」
といいました。
奥方は向こうを向いて、そっと舌を出しながら、
「かわいそうだけれど、おとうさんのきびしいおいいつけだから。」
といって、鉢かつぎをつかまえて、むりに着物をぬがせて、汚れたひとえ物を一枚着せたまま、追い出してしまいました。
鉢かつぎは泣きながら、どこへ行くというあてもなしに迷い歩きました。どこをどう歩いたか、自分でも知らないうちに、ふと大きな川の岸へ出ました。
「こうやっていつまで歩いていたところで、しまいには疲れてかつえ死にでもする外はないのだから、少しでも早く死んで、おかあさまのいらっしゃる遠いお国へ、迎え取っていただいた方がいい。」
こう鉢かつぎは思いながら、川のふちへ下りていって、身を投げようとしました。けれどどろんと真っ青に気味悪くよどんだ水の底には、どんな魔物が住んでいるか知れないと思うと、おじけがついて、度々《たびたび》飛び込みかけては躊躇しました。やっと思いきって身を投げますと、こんどは頭にかぶった鉢がじゃまになって、沈んでも沈んでも浮き上がりました。するとそこへ舟をこいで来た一人の船頭が見つけて、
「おやおや、大きな鉢が流れてきた。」
といいながら、鉢をつかんで引き上げますと、下から人間の姿が現れたので、びっくりして、手を放して逃げていってしまいました。鉢かつぎは、死ぬこともできない悲しい身の上だとつくづく思いながら、むずむず岸にはい上がって、しかたがないので、またあてもなく歩き出しました。そのうち一つの村を通りかかりました。すると、みんなが見つけて、
「頭が鉢で、体が人間のお化けが来た。」
「鉢のお化けだ。鉢のお化けだ。」
「お化けにしてはきれいな手足をしているぜ。」
こんなことを口々《くちぐち》にいいました。そして気味を悪がるばかりで、だれ一人食べ物をくれようという者もなければ、ましてうちに入れて、泊めてやろうという者はありませんでした。
するとその時、この国の国守の山蔭の中将という人が、大ぜい家来を連れてお通りかかりになりました。村の者が大ぜい鉢をかぶった娘を取り巻いて、がやがや騒いでいるところを遠くから目をおつけになって、
「何を騒いでいるのだ。お前見て来い。」
と、家来の一人においいつけになりました。
家来は急いで行ってみると、がやがや騒いでいた村の者はみんなこわがって、どこかへこそこそ逃げて行ってしまいました。その後に鉢かつぎが一人残されて、しくしく泣いていました。家来はふしぎに思って、鉢かつぎを連れて中将の御前に帰って来ました。
「わたくしがまいりますと、みんなかくれてしまいまして、あとに一人、このようなふしぎな形の者が残っておりました。」
といって、鉢かつぎをお目にかけました。
中将は鉢かつぎをごらんになって、
「まあ、その鉢を取れ。何者だか顔を見てやろう。」
とおっしゃいました。家来が二、三人寄ってたかって、鉢に手をかけますと、鉢かつぎは、
「いいえ、いいえ。取ろうとなすっても、取れない鉢でございます。」
といいましたが、家来は聴かずに、
「ばかなことをいうな。」
とむりに鉢をぬがせようとしますと、鉢はしっかり頭から生えたように吸いついていて、どうしても取れないので、あきれてあきらめてしまいました。中将はいよいよふしぎにお思いになって、
「お前はどこから来たのだ。どうしてそんなへんな姿になったのだ。」
とお聴きになりました。けれども鉢かつぎは、自分のほんとうの身分をいえば、おとうさんの恥になることを思って、ただ、
「交野の近くにおりました卑しい者の子でございます。たった一人の母親に別れて、毎日泣き暮らしておりますうちに、どうしたわけか、ある日空から鉢が降ってきて、頭に吸いついて、このようなへんな姿になってしまいました。」
といいました。中将はふしぎなことがあるものだ。そしてこれから、いったいどこへ行くつもりだとおたずねになりました。
「一人の母親に別れては、外に頼る者のない身の上でございます。それにこのような姿になりましてからは、だれも気味を悪がって、かまってくれます者もございません。」
と鉢かつぎはいいました。中将は、
「それは気の毒だ。わたしのうちへ来るがいい。」
といって、鉢かつぎを連れてお帰りになりました。
中将のお屋敷へ連れられて行くと、女中がしらが鉢かつぎを見て、
「お前、何か覚えたことがあるかい。」
とたずねました。鉢かつぎが子供の時、おかあさんから習ったことは、昔の御本を読んだり、和歌を詠んだり、琴や琵琶をひいたりすることばかりでした。でもそんなことは女中のしごとには何の役にも立ちません。鉢かつぎはきまりを悪がって、
「わたくしは何にも知りません。」
といいました。
「それではお湯殿の番でもおし。」
といってふろ番の女にしました。それからは毎日毎晩、暗い湯殿のお釜の前に座らせられて、頭から灰をかぶりながら、鉢かつぎは水をくんだり、火をたいたり、朝は早くから起こされて、夜はみんなの寝静まった後までも、立ち働かなければなりませんでした。そして朝は、
「鉢かつぎ、そらお目覚めだ。お手水を上げないか。」
と催促されました。晩になると、
「そら、お帰りだ。お洗足の湯は沸いているか。」
としかられました。
鉢かつぎは朝も晩もお釜の前に座って、いぶり臭い薪のにおいに目も鼻も痛めながら、暇さえあれば涙ばかりこぼしていました。
三
中将には四人男の子がありました。上の三人はもうみんなきれいなお嫁さんをもらっていました。いちばん下の宰相だけが、まだお嫁さんがありませんでした。宰相は大そう情け深い人でしたから、鉢かつぎがかわいそうな姿で、いちばんつらいふろ番のしごとをしているのを見て、いつも気の毒に思っていました。それでみんなはへんな姿だ、へんな姿だといって気味を悪がって、鉢かつぎとはろくろく口も利きませんでしたけれど、宰相だけは朝晩手水の水や洗足の湯を運んで来るたんびに、鉢かつぎにやさしい言葉をかけて、いたわってやりました。
宰相が鉢かつぎをいたわってやるたんびに、ほかの女中たちはにくらしがって、
「若さまはあんなへんな者なんかをかわいがって、どうなさるのでしょう。」
と、こんなことをいい合っては、あざ笑いました。そして中将や奥方に向かっても、鉢かつぎの悪口ばかりいっていました。
おかげで、中将も奥方も、だんだん鉢かつぎをきらうようになりました。そして何かにかこつけて、鉢かつぎに暇をやろうと相談をしておいでになりました。宰相はそれを聞くと、びっくりして、おとうさんとおかあさんの前へ出て、
「鉢かつぎを追い出そうなんてかわいそうです。へんな姿でもかまいませんから、わたしのお嫁にして、いつまでもうちに置いて下さい。」
といいました。中将は大そうおおこりになって、宰相をきびしくおしかりになりました。けれどもそんなことで、宰相は鉢かつぎを見捨てるはずはありませんでした。しかられればしかられるほど、よけい鉢かつぎがかわいそうでなりませんでした。どうかして鉢かつぎを、いつまでもうちに置いてやる工夫はないかしらと、そればかり考え込んでいました。おかあさんはその様子を見ると、大そう御心配をなすって、ある日乳母を呼んで、
「どうかして鉢かつぎに、自分から出ていかせる工夫はないだろうかね。」
と御相談をおかけになりました。この乳母は大そうりこう振った女でしたから、相談をかけられると、とくいらしく鼻をうごめかして、
「それではこうなさってはいかがでしょう。宰相さまにはひとまず鉢かつぎをお嫁に上げることになすって、そこでお嫁合わせということをするのです。それはいつか日をきめて、上のおにいさま方のお嫁さまと、あの鉢かつぎとを同じお座敷へお呼びになって、お引き合わせになるのです。そうしたらいくらずうずうしい鉢かつぎでも、みっともない姿を恥じて、お嫁合わせの席に出るまでもなく、自分から逃げ出して行くでしょう。そうすれば宰相さまもあきらめて、もう鉢かつぎのことを二度とおっしゃらなくなるでしょう。」
といいました。奥方はそれを聞いておよろこびになりました。そしていつ幾日にお嫁合わせをするからと、おいい渡しになりました。
宰相はそれをお聞きになって、大そう困っておしまいになりました。そこで、鉢かつぎの所へ行って、
「お前をきらう人たちが、お嫁合わせということをやって、お前に恥をかかせようとしている。どうしたらいいだろうね。」
といいました。鉢かつぎは涙を流しながら、
「みんなわたくしがこちらにおりますから、こういう騒ぎになるのでございます。わたくしはもうどうなってもよろしゅうございますから、お暇を頂いて行くことにいたしましょう。」
といいました。
宰相はびっくりして、
「どうして、お前を一人出してやったら、またみんなにいじめられるにきまっている。わたしはそれがかわいそうでたまらない。どこでもお前の行く所までついて行って上げるよ。」
といいました。鉢かつぎはいよいよとめ度なく涙をこぼしていました。
宰相は鉢かつぎと二人で、そっと旅の支度にかかりました。すっかり支度が出来ると、夜の明けきらないうち二人はそっとお屋敷を抜け出しました。二人がいよいよ門を出ようという時に、ちょうど明け方の月が西の方の空に、研ぎすました鏡のようにきらきら光っていました。鉢かつぎはそれをあお向いて見ながら、いつも拝んでいる長谷の観音さまの方角に向かって、どうぞわたしたちの身の上をお守り下さいましと、心の中でいって手を合わせました。するとその拍子に頭の鉢がぽっくり落ちて、それといっしょに、ばらばらと金銀や宝石がこぼれ落ちました。宰相はこの時はじめて月の光で鉢かつぎのきれいな顔を見て、びっくりしてしまいました。落ちた鉢の中からは、金と漆をぬった箱が二つ出て、その中には金の杯に銀の長柄、砂金で作ったたちばなの実と、銀で作ったなしの実、目の覚めるような十二単の晴れ着の緋のはかま、その外いろいろの宝物がぎっしり入っていました。鉢かつぎはそれを見ると、また涙をこぼしながら、これも亡くなったおかあさまが、平生長谷の観音さまを信心した御利益に違いないと思って、もう一度西の方を向いて、観音さまを拝みました。
四
こうなると、お嫁合わせを恥ずかしがって、お座敷を抜け出すにも及ばなくなりました。宰相は鉢かつぎにお嫁合わせに出る支度をさせて、静かに待っていました。乳母をはじめみんな、
「まあ、お嫁合わせをするといったら、さすがに恥ずかしがって、出ていくだろうと思ったら、どこまでずうずうしい女なのだろう。」
と、よけい鉢かつぎをにくらしがっていました。
いよいよお嫁合わせの時刻になると、その支度の出来たお座敷へ、いちばん上のにいさんから次男三男と順々《じゅんじゅん》にお嫁さんを連れて座りました。いちばん上のお嫁さんは二十三で、白い小そでに緋のはかまをはいていました。二ばんめのお嫁さんは二十で、紫の小そでに桃色のはかまをはいていました。三ばんめのお嫁さんは十八で、赤い小そでに紅梅色のはかまをはいていました。三人のどれがいちばんいいということのできないほど、みんなきれいな人たちばかりでした。その三人の席からは、はるかに下の方に下がった板の間に、破れ畳をしいて、鉢かつぎをそこへ座らせ、みんなで恥をかかせようと思って待ちかまえていました。でもさすがにおとうさんとおかあさんは、今更こんなお嫁合わせなんぞをして、鉢かつぎに恥をかかせるのが、かわいそうになって、なぜ逃げていってくれなかったのだろうとうらめしく思っていました。やがて度々《たびたび》催促をうけた後で、宰相は鉢かつぎを連れて出てきました。みんなはあの鉢かつぎがどんな様子で出てくるかと、半分気の毒そうな、半分いじの悪い顔をして待っていますと、どうでしょう、そこにしずしず出てきた人を見ると、いつもかまどの灰や炭の粉にまみれたみにくい下司女ではなくって、もう天人が天下ったかと思うように気高い、十五、六の美しいお姫さまでした。赤だの、紫だの、桃色だの、いろいろの色の小そでを重ねて、緋のはかまをはいた姿は、目が覚めるようにまぶしくって、急にそこらがかっと明るくなったようでした。
みんなは「あッ」といったまま、口が利けませんでした。その美しい姿のまま、鉢かつぎはかまわず縁先にしいたきたない破れ畳の上に座ろうとしますと、おとうさんの中将はあわてて立って行って、鉢かつぎのそばに寄ると、その手を取って、
「とんでもない。天人のような人を、そんな所に置くことがどうしてできよう。」
といいながら、上座へ連れて行って、自分のそばへ座らせました。
鉢かつぎはその時、持たせて来たお三方を二台、おとうさんとおかあさんの前に捧げました。
金の杯に金のたちばな、錦十反に絹五十疋、これはおとうさんへの贈り物でした。それから銀の長柄に銀のなし、綾織物の小そでが三十重ね、これはおかあさんへの贈り物でした。その二品だけでも三人のお嫁さんの贈り物にくらべて、けっしてひけをとるようなことはありませんでした。三人のお嫁さんたちをずいぶん美しいと思った人たちにも、鉢かつぎといっしょに並べては、そこには仏さまと人間ぐらいの違いがあると思われました。おとうさんもおかあさんも心からよろこんで、あらためて鉢かつぎと、嫁しゅうとのお杯をなさいました。
三人のお嫁さんたちは見す見すお嫁合わせに負けて、くやしくってたまらないものですから、どうかして、鉢かつぎを困らせてやりたいと思いました。そこでお嫁さん同士みんなで楽器を合わせて遊ぼうといい出しました。そして鉢かつぎには、いちばんむずかしいやまと琴をひかせることにしました。いちばん上のお嫁さんは琵琶をひき、二ばんめのお嫁さんは笙を吹き、三ばんめのお嫁さんは鼓を打つのでした。鉢かつぎもはじめはことわりましたけれど、昔おかあさんが一生懸命教えておいて下さったのは、こういう時に恥をかかないためであったかと思い返して、琴を手に取りました。いうまでもなく、鉢かつぎのひく琴が、だれよりもいちばん気高く聞こえました。みんなはあっといって驚きました。
三人のお嫁さんは、音楽でも負けたものですから、こんどは硯と紙を出して、
「春と夏と秋の花を、一首の中に詠み込んでごらんなさい。」
といいました。鉢かつぎは、
「毎日おふろの火をたいてばかりおりました下司女に、どうして歌なんぞが詠めましょう。」
といってことわりましたけれど、みんなはどうしても聴きませんでした。そこで悪びれもしず、鉢かつぎは筆を持って、
「春は花、
夏はたちばな、
秋は菊、
いづれに露は
おかんとすらん」
と、美しい文字でさらさらと書いて出しました。みんなは「あッ」といって、それなりもうだまり込んでしまいました。
おとうさんとおかあさんは、宰相と鉢かつぎのためにりっぱな御殿をこしらえ、たくさんの田地を分けてやって、豊かに暮らすことのできるようにしておやりになりました。
五
それから幾年かたちました。宰相と鉢かつぎとの間には、いくたりもかわいらしい子供が生まれました。
でも鉢かつぎは、時々《ときどき》別れたおとうさんのことを思い出して、このかわいらしい孫たちを、どうかして、おとうさんに見せて上げたいと思っていました。
ある時宰相は、天子さまの御用を勤めて手柄を立てたので、ごほうびに大和、河内、伊賀の三箇国を頂きました。そのお礼まいりに、平生信心する長谷の観音さまへ、うち中残らず引き連れて、にぎやかに御参詣をなさいました。
その時お堂の隅に、ぼろぼろの衣を着たきたならしい坊さんが座って、何か仏さまにお祈りをしていました。それを家来たちがじゃまにしてどけようとして、がやがや騒ぎました。その声を聞いて鉢かつぎが、ふとそちらを見ますと、それは見るかげもなくやつれてはいるものの、まぎれもない昔のおとうさんでした。
鉢かつぎはびっくりして、ころがるようにしてそばへ寄って、
「まあ、おとうさま、鉢かつぎでございます。」
といいますと、その坊さんは長い夢からふと覚めたような、きょとんとした目つきをしていましたが、やがて、
「ああ、姫か。よく忘れずにいてくれた。」
というなり、しっかりと姫の手を握りしめて、涙をはらはらとこぼしました。
おとうさんは鉢かつぎを追い出して後、だんだん運が悪くなって、貧乏になりました。たくさんいた家来たちも、奥方が意地の悪いことをするので、逃げていってしまいました。おとうさんは日ましに鉢かつぎが恋しくなって、どうかしてもう一度会いたいと思って、坊さんの姿になり、方々《ほうぼう》その行方をたずねて、迷い歩きました。さんざん諸国をめぐり歩いた末、とうとうおしまいに、長谷の観音さまは、亡くなったおかあさんの信心した仏さまだから、また願ったら、きっと娘に会わせて下さるだろうと思って、ここまでやって来たのでした。そしてまったく観音さまのお陰で、親子がもう一度会うことができたのです。
おとうさんはそれから、鉢かつぎの所へ引き取られて、大ぜいの孫たちを相手に、楽しく暮らすようになりました。
青空文庫より引用