術三則


 帝王ていわう世紀せいきにありといふ。あやしきをきこえたる※ 《げい》、かつ呉賀ごがきたあそべることあり。呉賀ごがすゞめして※ 《げい》にむかつてよといふ。※ 《げい》悠然いうぜんとしてうていふ、生之乎これをいかさんか殺之乎これをころさんかいはく、ひだりよ。※ 《げい》すなはちゆみいてて、あやまつてみぎにあつ。かうべおさへてぢて終身不忘みををはるまでわすれずじゆつや、ぢたるにり。
 また陽州やうしうえきに、顏息がんそくといへる名譽めいよ射手しやしゆてきまゆつ。退しりぞいていはく、我無勇われゆうなしれのこゝろざしてねらへるものを、とこと左傳さでんゆとぞ。じゆつや、無勇ゆうなきり。
 飛衞ひゑいいにしへるものなり。おなとき紀昌きしやうといふもの、飛衞ひゑいうてしやまなばんとす。をしへいはく、なんぢまづまたゝきせざることをまなんでしかのち可言射しやをいふべし
 紀昌きしやうこゝにおいて、いへかへりて、つまはたもとあふむけにして、まなこを※ 《みひら》いていなごごとく。二年にねんのち錐末すゐまつまなじりたつすといへどまたゝかざるにいたる。いてもつ飛衞ひゑいぐ、ねがはくはしやまなぶをん。
 飛衞ひゑいきかずしていはく、未也まだなりついることをまなぶべし。せうだいに、いちじるしくんばさらきたれと。しやういともつしらみを※ 《まど》にけ、南面なんめんしてこれのぞむ。旬日じゆんじつにしてやうやだいなり三年さんねんのちおほき如車輪焉しやりんのごとし
 かくて餘物よぶつるや。みな丘山きうざんもたゞならず、すなはみづかる。るにしたがうて、※ 《りん》こと/″\むしむなもとつらぬく。もつ飛衞ひゑいぐ。先生せんせい高踏かうたふしてつていはく、汝得之矣なんぢこれをえたり得之これをえたるは、らず、はたもとぶを細君さいくんえんざるによるか、非乎ひか
 明治三十九年二月



青空文庫より引用