「あなたは何故酒を飲むだり煙草を喫つたりするのですか。神様は決してあなたにそんな事を教へなさらなかつた筈です。

 いゝえ私にだけは神様がそれを許して下すつたのです。許すも許さないもないじやありませんか 。そんな事位で神様を引合に出すあなたの方が余程神様に叛いた人ですよ。ハツ……」

「俺は今何にも考へてゐない。
 おゝ、神よ。」

「俺は決して唯物論者ではないけれども、――さうさな、矢張り唯物論者と云はれても仕方がないかな……まあいゝ、そんなことはどうでもいゝじやないか。」

「黄金も恋も俺は決して欲しくはない。ただそんなものを欲してゐる奴に出遇つた時だけは、欲しいやうな顔もして見せる。
 ……なんだ、ばかに偉さうなことを云つてるじやないか。
 ……然し君、まあ止さう。面倒だ。」

「歯が痛い、おそろしく痛い、この痛みを治して呉れゝば千金も惜まない! 釈迦よりも孔子よりもキリストよりも慈悲深い神よ、歯科医大先生よ。

 
治療代 一金拾円也
  右の通り請求仕り候也
 

 どうも少し高いやうだ。」

「春子、春子、春子!
 おゝ、お春ちやん、よくこんなに早く来られたね。僕はさつきから随分待つて居たよ。お春ちやん、若し君が来て呉れなかつたならば、あゝ考へるのも怖しい。
 手紙は着いたの、
 あゝ、それやよかつた。
 ――おやおや君は泣いてゐるね、どうしたのさ、何が悲しいの、折角遇つたのに泣いては嫌だよ。
 君が泣けば僕だつて泣き度くなるもの……それが恋ぢやないか……ね、もう心は云ふまでもなく解り合つてゐるのだから、泣くのは止めやう!
 嬉し涙だつて! さう。
 僕のも嬉し涙だよ。

 春ちやんと云つたからつて、人だと思ふ君達は何といふ馬鹿だらう。
 春だよ、まだ解らない? 桜の咲くこの春だよ。僕の恋人さ。
 ……何だつまらない と、
 勝手にし給へ 君達と絶交だ。」

「ゲーテだつてオイケンだつて……シヨペンハウエルもベルグソンも……決して俺の考へない事を云つてゐない。
 でもまあ読むで見るだけは読むで見やう、彼等はどんな形式で仝じことを繰り反へしてゐるか。」

「あなたの宗教は?
  ……「――」おや然うして吾は神の子なり。」

 おやおや、もう十一時過ぎだ、戯談じやない。どれひとつ起きて飯を食ふとしやうか。
 一九二〇、四、一六。



青空文庫より引用