疫病神


 長谷川時雨女史はせがわしぐれじょしの実験談であるが、女史が佃島つくだじまにいたころ令妹れいまいの春子さんが腸チブスにかかって離屋はなれの二階に寝ていたので、その枕頭まくらもとにつきっきりで看護していた。
 それは夜であったが、その時病人がうなされていた。女史は何の気なしに床の間の方へ眼をやった。そこの床の間の隅に十五六ぐらいの少年がいて、それが腕ぐみしてじっとしゃがんでいたが、その髪の毛は焦げあがったようで、顔は細長い茄子なすの腐ったような顔であった。女史はびっくりしたが、かねて疫病神のことを聞いていたので、ここで負けては病人が死んでしまうと思って、下腹へぐっと力を入れてその少年をにらみつけた。すると、少年の姿が煙のように消えるとともに、うなされていた春子さんが夢から覚めたようになった。
 そのうちに春子さんの病気もすっかりなおったので、女史は箱根へ出かけて往った。国府津で汽車をおりて、そこから電車で小田原へ往ったが、電車が小田原の幸町さいわいちょうの停留場へいた時、何の気なしに窓の外を見ると、停留場の名を書いた大きな電柱に寄りかかって、ぼんやりと腕ぐみしている少年があった。それは彼の茄子の腐ったような顔色の少年であった。
 女史はそこでまた下腹へ力を入れてぐっと睨みつけた。と、少年の姿はまた消えてしまった。



青空文庫より引用