無名會の一夕


 この頃の短い小説には、よく、若い人達の自由な集會あつまり――文學者とか、新聞雜誌の記者とか、會社員とか、畫家とか、乃至は貧乏華族の息子とか、芝居好の金持の若旦那とか――各自めい/\新しい時代の空氣を人先に吸つてゐると思ふ種々《いろ/\》の人が、時々日を期して寄つて、勝手な話をする會の事を書いたのがある。さういふのを讀む毎に、私は「ああ、此處にも我々のやうな情ない仲間がゐる。」と思はずにはゐられない。さうして、其作者の筆が少しでもさうした集會あつまりの有樣を、興味か同情かで誇張して書いてあれば、私は又、自分を愍むと同じ愍みを以て其人を見るか、でなければあの魚の目よりも冷たい目を持つた、諷刺家の一人ではあるまいかと疑はずにはゐられない。〔以下斷絶〕



青空文庫より引用