中元祝酒の記


『西洋事情外篇』の初巻にいえることあり。「人もしその天与の才力を活用するにあたりて、心身の自由を得ざれば、才力ともに用をなさず。ゆえに世界中、なんらの国を論ぜず、なんらの人種たるを問わず、人々《にんにん》自からその身体を自由にするは天道の法則なり。すなわち人はその人の人にして、なお天下は天下の天下なりというが如し。その生るるや、束縛せらるることなく、天より付与せられたる自主・自由の通義は、売るべからずまた買うべからず、人としてその行いを正しゅうし、他の妨をなすに非ざれば」云々《うんぬん》と。
 春来しゅんらい、国事多端、ついに干戈かんかを動かすにいたり、帷幄いあくの士は内に焦慮し、干役かんえきの兵は外に曝骨ばっこつし、人情にんじょう恟々《きょうきょう》、ひいて今日にいたる。ここにおいてか世の士君子、あるいは筆を投じて戎軒じゅうけんを事とするあり、あるいは一書生たるをみて百夫の長たらんとするあり、あるいは農を廃して兵たる者あり、商を転じて士たる者あり、士を去りて商を営む者あり。事緒じしょ紛紜ふんぬん物論ぶつろん喋々《ちょうちょう》、また文事をかえりみるにいとまあらず。ああ、これ、革命の世にのがるべからざるの事変なるべきのみ。
 この際にあたりて、ひとり我が義塾同社の士、固く旧物を守りて志業を変ぜず、その好むところの書を読み、その尊ぶところの道を修め、日夜ここに講究し、起居常時に異なることなし。もって悠然、世とあいおりて、遠近内外の新聞の如きもこれを聞くを好まず、ただ自から信じ自から楽しみ、その道を達するに汲々《きゅうきゅう》たれば、人またこれに告ぐるに新聞をもってする者少なく、世間の情態、また何様なにようたるを知らず、社中自からこの塾を評して天下の一桃源と称し、その景況、まったく世と相反するに似たり。
 然りといえども、よく事理をつまびらかにし、そのよるところ、その安んずるところを視察せば、人おのおのその才に所長しょちょうあり、その志に所好しょこうあり、所好は必ず長じ、所長は必ず好む。今天下の士君子、もっぱら世事せいじ鞅掌おうしょうし、干城かんじょうわざを事とするも、あるいは止むをえざるに出ずるといえども、おのずからその所長所好なからざるをえず。ゆえにかの士君子も、天与の自由を得て、その素志を施すものというべし。また我が党の士、幽窓の下におりて、秋夜月光に講究すること、旧日に異なることなきを得て、修心開知の道を楽しみ、私に済世さいせいの一斑を達するは、あにまた天与の自由を得るものといわざるべけんや。
 しからばすなわち我が輩の所業、その形は世情と相反するに似たりといえども、その実はともに天道の法則にしたがいて天賦の才力を用ゆるの外ならざれば、此彼しひかんごう相戻あいもとることなし。前日の事、すでにすでにかくの如し、後日の事、またまさにかくの如くなるべければ、我が党の士、自からおもねらず、自から曲げず、おのれに誇ることなく、人をいやしむことなく、夙夜しゅくや業を勉めて、天の我にあたうるところのものをまんにすることなくんば、あにただ社中のよろこびのみならん。そもそも天の此文しぶんほろぼさざるの深意なるべし。本日たまたま中元、同社、てずから酒肴しゅこうを調理し、一杯をあげて、文運の地におちざるを祝す。

  慶応四年戊辰つちのえたつ七月 慶応義塾同社 しるす



青空文庫より引用