硯と殿様


 犬養木堂もくだうの硯の話は、あの人の外交談や政治談よりはずつと有益だ。その硯については面白い話がある。徳川の末期に鶴笑くわくせう道人といふ印刻家があつた。硯のいのを沢山持ち合せてゐたが、その一つに蓋に大雅堂たいがだうの筆で「天然研」と書いたのがあつた。阿波の殿様がそれを見て、自分の秘蔵のすゞり七枚までも出すから、取り替ては呉れまいかとの談話はなしがあつたが、鶴笑はなか/\うんとは言はなかつた。
 呉れぬ物がほ欲しくなるのは、殿様や子供の持つて生れた性分で、阿波の殿様は、望みとあらば何でも呉れてやらうから、たつて「天然研」を譲つて貰ひたいと執念しふねく持ちかけて来た。鶴笑は一寸顔をしかめた。
「ぢや仕方が無い、阿波の国半分だけ戴く事にしませう。」
と切り出した。鶴笑の積りではそれでも大分見切つた上の申出まをしでらしかつた。何故といつて阿波の国は半分いた処で、別段差支さしつかへもなかつたが、硯だけは半分に割つてはうする事も出来なかつた。あの内閣や政党をこはす事の大好きな木堂ですら「ほう」とやらを見るためには、硝酸銀で硯を焼かなければならぬ、そんな勿体ない事が出来るものぢやないといつてゐる位だから。
 だが勘定高い殿様はそれを聞くと、
「仕方がない、この硯と鳴門の瀬戸はわしの力にも及ばぬものと見えるて。」
と、溜息をいてあきらめた。殿様がこの場合鳴門の瀬戸を思ひ出したのは賢い方法で、人間ひとの力で自由にならないものは沢山どつさりあるのだから、その中からどんな物を引合ひに出さうと自分の勝手である。かうして絶念あきらめがつけばそんな廉価な事は無い筈だ。



青空文庫より引用