親鳥子鳥
一家団欒
お父さんが社から帰って来て、一同晩餐の食卓を囲む時、その日起った特別の事件が話題に上る。
「今日は里の母が見えて、私、上等の浴衣地を戴きましたよ」
なぞというのはお母さんの書き入れ事件である。それに対してお父さんは、
「ふうむ、それは宜かったね。彼方でも皆丈夫だろうね?」
と応じる。続いて里の話になって、
「私、その中に一日行かせて戴きますわ」
「何処へ?」
「里へですよ」
「この間行ったばかりじゃないか?」
「いいえ、あれはお正月でございますよ」
「然うだったかね。それじゃ行くさ」
というようなことに帰着する。
自分に関係のない問題は何うでも構わないが、
「あなた、今日は源太郎が学校のお友達と活動へ行く約束をして来て、ねだって困りましたの」
などと突如に吹聴されて、僕は大に面喰うことがある。
「そうして行ったのかい?」
とお父さんは怖い顔をする。
「お友達が門のところに待っていますし、土曜日ですから、つい……」
とお母さんが言い淀む。
「もういけないよ。活動は低級でいけないって断ってあるじゃないか?」
「はい」
と私も恐れ入る。しかし直ぐその後から、
「その代り今度芝居へ連れて行ってやろう」
とは有難い。活動の分らないのは少し時勢に後れている所為だろうと遺憾に思うが、芝居に力瘤を入れるところはナカナカ話せる。僕も何方かといえば高級の方が面白いのだから、これからはお母さんに御迷惑をかけまいと決心する。お父さんのいないのを承知でお母さんにねだるのは宜しくない。
お客さまも来ず、僕達もおとなしく、地震も揺らず、病人もなく、全く平穏無事の日もある。そんな時にはお母さんは、
「今日は押売が玄関に坐り込んで困りましたわ」
ぐらいのことで間に合わせる。こんな問題でもお父さんは、
「押売撃退の妙法を伝授してやろうか?」
なぞと受けて、冗談の材料にする。
「教えて戴きますわ。毎日一人や二人は屹度来るんですよ。御免、と言うから、お客さまかと思って襷を外して出て見ますと、筆を一本買って戴きたいなぞと申します」
とお母さんは毎度暇を潰されるので、女中のお蔦を相手に、然るべき駆除法を絶えず研究している。
「ああいうものに対等で行くからいけないのさ。俺なら斯うだ」
とお父さんは舌を出して目を白くした。
「何ですの? それは」
「狂人の真似さ。この通り。ベロベロベロ」
「まあ、お父さんが!」
と子供達が笑い出す。
「何と言っても斯うやって首を振っていれば直ぐに帰って行く。そうして二度とは来ない。先方も実は忙しいんだからね」
「オホホホホ。今度試めして見ましょうか? お蔦、お前一つやって御覧よ」
とお母さんが言った。苟くも奥さんが狂人の真似は出来ない。
「あら、奥さま、私、迚も出来ませんわ、そんな器量の悪い顔は」
とお蔦は昨今は相応垢抜けたから、ナカナカもって任じている。
さて、昨日は僕が学校から帰って来ると、浩二が待ち構えていて、
「兄さん、今日はお母さんのところへ女の西洋人が来たよ」
と注進した通り、夕御飯の折、お母さんは、
「あなた、今日は私の昔の先生でスミスさんという方がお見えになりましたのよ」
と女学生時代懐かしく、いつもよりは若々しい声を出した。尤も未だ必ずしもお婆さんではない。三十八とも言うけれど、兎に角四十未満だから、子供は五人あっても決して年寄がらない。
「ふうむ、それは宜かったね」
とお父さんは箸を取りながら応じた。
「スミスさんてアメリカの方でございますよ。私十何年ぶりかで英語を話しましたの」
とお母さんはイソイソとしている。
「ふうむ、それは宜かった」
とお父さんは一日働いて来て腹がへっている。
「母校の復興資金のことで態※ 《わざわざ》お出になったのですから、私、今度こそは少し纒めて寄附しなければならないと思っていますの」
「ふうむ、それは宜かった」
「宜しゅうございますの! 安心致しました」
とお母さんは大に力を得て、
「けれども他の方の振り合いもございますから、今も申しました通り、私、出すなら余り吝なことはしたくありませんの。如何でしょう、五十円ばかり? ねえ、あなた、五十円丈け?」
「五十円? 五十円何うするんだい?」
とお父さんは初めてお母さんを顧みた。
「母校の復興寄附金でございますよ。その為めにスミスさんがお出になったんですわ」
「スミスさんて何者だい?」
「まあ! あなたは先刻から聴いていらっしゃらなかったのね。道理で御返事が少し頓珍漢だと存じましたわ」
「腹がへっているものだからね。衣食足って寄附金を知るさ」
「それでは後から申上げましょう」
とお母さんは話の腰を折られて、又のことにしなければならなかった。
お父さんは僕のことを横着ものだといって貶しても、自分もこの通り瓢箪鯰である。都合の悪いことは努めて聞き流そうとする。腹がへっていなくても、これが癖だ。職業が新聞記者で始終自家の説ばかり主張しているから、他の言うことが容易に耳に入らないのだろう。但しイヨイヨ逃げ切れなくなれば、
「うむ、然うか。その相談か。よし。よし。しかしお手軟かに願うぜ。お前に相談をかけられると決して徳はつかないんだから恐れ入るよ」
と覚悟をするところを見ると、初めの中は方針として空耳を使うのかも知れない。
「スミスさんて迚も太ったお婆さんね。そうして面白い方よ」
と郁子が話の切れ目へ更びスミスさんを持ち込んだ。
「郁子はお母さんの英語を聞いたのかい?」
とお父さんは早速相手になった。
「いいえ、日本語よ。時々英語をお使いになりますけれど」
「お母さんがかい?」
「何方も」
「お母さんの英語よりも西洋人の日本語の方が余っ程うまかったろう?」
「それは無論然うよ。ねえ、お母さん?」
「オホホ、私、英語なんかもう悉皆忘れてしまいましたわ。こんなに大勢子供があるんですもの」
とお母さんは妙なところへ責任を持って来た。年を取るのも物忘れをするのも皆子供の所為だと思っているらしい。
「お父さん、家はサンドウイッチですとさ。子供がサンドウイッチですって。上と下が男で、中が三人揃って女ですから」
と郁子はその席に居合せたと見えて、スミス夫人の冗談を紹介した。
「ふうむ、サンドウイッチは宜かったね。成程、アメリカ婦人の言いそうなことさ。男がパンで女が肉か。確かに彼方の婦人はそれぐらいの意気込みでいる。何といってもアメリカでは男よりも女が幅を利かすからね」
とお父さんはむずかしく解釈して、尚お女の威張る実例を二つ三つ挙げた。この通り別に損のつかない問題なら、頼まれなくてもお冗舌をする。論説にこそ豈弁を好まんやと書くけれど、決して無口の方でない。
「スミスさんは真正に笑わせるのがお上手でございますのよ。『大内さん、けれどもお宅のサンドウイッチは些っと肉が多過ぎやしませんでしたの?』なぞと仰有いましたわ」
とお母さんが話し足すと、
「同感だね。俺も少し肉が厚過ぎたと思っているのさ」
と言って、お父さんは女の子達を見渡した。
「それ丈け上等じゃありませんか?」
「私達は肉よ。兄さんと坊やはパンよ。矢っ張り女は豪いんだわ」
と長女の郁子と次女の敏子はこんな場合決して黙っていない。高女二年と、尋常六年のくせに女性の権利丈けはもう一人前に主張する。
「サンドウイッチには野菜のもあるぜ」
と僕は諢ってやった。
「野菜のもあるけれど、サンドウイッチといえば大抵肉に定っていますわ。そんなこと常識でも分っているじゃありませんか? ねえ、お父さん?」
と郁子はお父さんの加勢を求めた。近頃覚えたと見えて、能く常識という言葉を利用する。
「然うさ。サンドウイッチといえば元来肉に定ったものさ。源太郎、お前はサンドウイッチの発明者を知っているかい?」
とお父さんは何処までもサンドウイッチを問題にして、
「高等学校の入学試験に出るかも知れないから教えてやろう。郁子も敏子も聴いていなさい」
「茶羅っぽこじゃ駄目ですよ」
とお母さんはソロソロ警戒した。
「茶羅っぽこなものか。歴史上の事実だ。昔英国はジョージ三世の御代にサンドウイッチ伯爵という貴族があって、毎日博奕ばかり打っていた。三度の食事よりも賭けごとが好きという道楽もので、御飯時になっても動かばこそ、パンに肉を※ んだのを取り寄せて、これを喰べながら勝負を続けていた。間もなく仲間のものも真似をし始めて、サンドウイッチ式は簡便で宜いと言っている中に、肉を※ んだパンをサンドウイッチと呼ぶようになってしまった。妙な因縁だろう? 今日我々がハムや野菜のサンドウイッチを喰べるのも皆この伯爵が賭博に耽ったお蔭だ。しかしサンドウイッチ伯爵独創の発明とは首肯し難い節がある。何となれば、もっと昔のローマ人もオッフラという料理を愛好したそうだからね。これもパンに肉を※ んだもので、伯爵の発明品と毫も異るところがないらしい。偶然の一致か、それとも伯爵が古代ローマのオツフラを模倣したのか、そこまでは未だ研究していないから、ここに断言し兼ねる」
「大変むずかしいんですね」
と僕は感心してしまった。何でもないことにこれぐらい勿体をつけ得なければ、新聞記者にはなれないと見える。僕もお父さんの後を継ぐ積りだけれど、未だ未だナカナカ修行を要する。
「兎に角安心したわ、野菜でなくて」
と郁子は大袈裟に胸を撫で下した。無論僕に当てつけたのである。
「私達は矢っ張り肉よ。兄さんと坊やはパンよ。唯の食パンよ」
と敏子も得意になって反り返った。何もしないものに食ってかかって来るところは成人した新女性によく似ている。
「何だい。女、女、女!」
とこの時浩二は男性に対する挑戦に応じて、中姉さんの方へ頤を二三度突き出した。これは末っ子で尋常一年だ。将来結婚して女のお世話になることには未だ思い到らないから、女といえば男の敵ぐらいに心得ている。
「女が何うしたの?」
と敏子は聞き捨てにしない。
「女!」
「女が何うしたんですよ。真正に厭やな子ね。お祖父さんが、この子は男だから豪いなんて仰有るものだから、好い気になっているんだわ」
「女、女!」
と浩二は女という言葉が有らゆる種類の軽侮を尽している積りだ。
「やあい! 何も言うことがないもんだから。やあい!」
「敏子、いけませんよ、大きな体をして相手になって。浩二もお黙りなさい。千代子を御覧。おとなしいこと」
とお母さんもナカナカお骨折りである。お給仕の手伝い丈けでも好い加減忙しい上に、姉弟喧嘩の取支えをしなければならない。褒められた千代子は益※ 澄まし返った。尋常四年なら先ずこれぐらいの程度だろう。浩二は千代子に学んで静まった。
間もなくお父さんは、
「これでもこの頃は皆大きくなったから、御飯もゆっくり喰べられるのさ」
と言って一同に花を持たせたのは宜かったが、
「浩二が捉まり歩きをする時分には困ったよ。飯台へかかったと思うと、いきなり斯う両手で泳ぐようにして、お茶碗でも何でも皆ひっくりかえしてしまうんだもの」
と思い出すままを口にした。それを好いことにして、敏子は浩二に目でちょっかいをかけた。浩二は無論睨み返した。
「浩二ばかりじゃありませんよ。千代子だって敏子だって随分困りものでしたからね」
と僕は単に長兄として公平を期した積りだったが、忽ち敏子と千代子の睨むところとなった。
「余計なことを言わないで下さいよ。彼方此方に蟹の目が流行って困りますからね」
とお母さんが注意した。
「はいはい」
と僕が一番おとなしい。大に褒めてくれても宜いのに、お父さんは、
「源太郎こそ手に余したぜ」
と僕を槍玉に揚げて、
「お前のは何でも掴み次第後ろへ投るんだから危くて仕方がなかったよ。困ったねえ、お鶴。一人押えていて代り代り御飯を喰べるという騒ぎだったじゃないか?」
「あの時分はお祖父さんお祖母さんも御一緒でなく、女中も居ませんし、何しろ初めてで子供をよく理解しなかったんですね。何処の家でも長男が一番骨の折れるのは親が不慣れだからですわ」
とお母さんは僕の為めに弁じてくれた。
「それも確かにあったろうね。兎に角奇抜だったよ。茶碗の向う側から飲まなけりゃ承知しないという無法ものだったからね」
「お茶碗の向う側って、そんな飲み方がありますの?」
と郁子は直ぐに疑問を発した。これはお父さんが以前一度話したから知っている筈だのに、僕を困らせようと思って、態と訊いたのだ。
「茶の湯にもあるまいね。斯うやるのさ。茶碗を両手でこんな具合に鷲掴みにして、おい、浩二も御覧、兄さんのお茶の飲み方だよ、坊やよりも小さい時の……」
とお父さんは持っていたお茶碗を不器用に掴み直して、
「……当りまえに此方側から飲まずに、斯う口を開いて向う側へ喰いつこうとするから、お茶は皆胸へこぼれて……あつつ! これはしまった。お鶴や、雑巾、じゃない、布巾だ布巾だ」
「お蔦や、早くその手拭を取っておくれ。まあまあ、あなたも未だエプロンが要りますのね」
とお母さんが驚く。
「やあ、お父さんがこぼした!」
と浩二は伸び上り、兎角他の失策を喜ぶ郁子と敏子は無論クスクス笑い出した。
「一寸真似をしたばかりにひどい目に遭った」
とお父さんは胸から膝を拭いている。
「罰が当ったんですよ」
と僕は聊か溜飲を下げたが、
「奇抜だったのね、兄さんは。矢っ張り逆立ち歩きがお上手な筈だわ」
と郁子に冷かされた。
「お母さん、大人は徳ね」
と今まで黙っていた千代子がこの時初めて感想を洩らした。
「何故?」
「だってお父さんなんかあんなにお行儀が悪くても些っとも叱られないんですもの」
「お父さん、少しお気をつけ下さいよ。千代子が苦情を言っていますよ」
とお母さんは笑いながら窘めなければならなかった。
「はいはい。恐れ入りました」
とお父さんがお辞儀をしたので、浩二は、
「やあいやあい!」
と囃し立て、姉さん達もそれに和して快活な笑い声を揚げた。斯うなると最早敵も味方もない。
僕の家はいつもこの通り賑かだ。夕御飯が済んでも、お父さんは葉巻を一本薫し尽すまで、何彼と子供の相手になって他愛がない。子供を煩さがりながらも、斯うやっている間に頭が休まるという。それへ縁側続きの隠居から年寄が来て加わるのが例になっている。昨夜もお祖父さんは刻限を違えず、
「賑かだね。何か面白いことがあるかな?」
と言って顔を出した。すると浩二は、
「お祖父さん、今お父さんがお母さんに叱られたの」
とばかり、直ぐに立って行って一部始終を囁き囁き披露に及んだ。
「ははあ、成程、然うかい? ふうん。浩二は真正に話が上手だな。よく分る。豪い」
と相好を崩して、お祖父さんは浩二となると全く目も鼻もない。
「八つにもなって話のよく分らない子があったら大変だわね」
「直ぐに豪いと仰有るから増長するんだわ」
と郁子と敏子は兎角歯痒がる。自分達も一番年下で思い切り可愛がられた時代があるのに、それはもう忘れている。
「お祖父さん、僕、今日も皆三重丸でしたよ」
と浩二は姉さん達に頓着なく、お祖父さんの膝に凭れて甘えている。
「豪い豪い。浩二や、お祖父さんが学校へ行っても宜いかい? 浩二が先生に三重丸を貰うところを見たいんだから」
とお祖父さんは家で褒めて足らず、学校まで褒めに行きたいのである。
「いけないよ」
「何故? この間は宜いって言ったじゃないか?」
「でも今日からいけないことが出来たんですよ」
「何うして?」
「今日渡辺章三という子のお父さんが来たものだから、皆笑っちゃったの。お祖父さんならもっと笑われますよ」
「何故?」
「渡辺章三のお父さんは頭が禿げているの。あれぐらいでもあんなに笑うんだから、お祖父さんなら迚も笑われますよ」
と浩二は真面目になって主張したので、皆クスクス笑い出した。
「おやおや、それがいけないのかい?」
とお祖父さんは頭を掻いて、
「禿げてはいるが、未だ極く世間並みの積りだがなあ」
「それ以上はありませんでしょうよ」
とお父さんも一寸敬意を表した。
「あら、その人なら私の方へも来ましたわ。私の方の渡辺さんは浩ちゃんの方の子の姉さんですからね」
と千代子が言った。
「矢っ張り笑ったのかい?」
「ええ。少し。そうして後から先生に叱られたわ。でも禿げているんですもの。お祖父さんよりは余っ程ひどいのよ」
「僕はお祖父さんの方がひどいと思う」
「だって私、お祖父さんのは笑わないことよ」
「それは慣れているからさ」
と浩二と千代子はお祖父さんの頭で議論を始めた。
「それでは参観は思い止まるかな。後から子供達が叱られたりしちゃ飛んだ罪作りだ」
とお祖父さんも笑って諦めた。
「子供は天真爛漫ね」
と郁子が大人ぶった。
「時に源太郎や、もうソロソロラジオが来るだろう。今夜は何だい?」
とお父さんが訊いた。
「落語と義太夫です」
「これは有難いぞ。浩二や、お祖母さんに落語があると言って来ておくれ」
とお祖父さんは喜んだ。
忙中閑
お父さんの書斎へハガキを一枚拝借に行ったら、
――惣領の筍伸びや衣更――浩郎
という句が柱にかけてあった。墨痕鮮かだけれど、浩郎としてあるからは、お父さんだ。お父さんの字は決して巧い方でない。習字の先生が採点したら、精々乙上だろう。自分の句を柱にかけて歎賞するのでもあるまいが、お父さんの短冊掛けには時々自分の書いたものが※ してある。これは字が拙くても習う暇のないところへ短冊を頼まれるから、度胸を養う為めの便法だそうだ。国務大臣級の人になると、相応胆力が据っているから平気で悪筆を揮うけれど、お父さんはもっと精神修養を要する。
「俺のように上達の見込のないものは自分の書を見慣れるに限る。その証拠には、女は始終鏡で見慣れているから自分の顔を然うまずい顔と思わない」
と言っている。この点は私も親譲りで、字でも絵でも大に見慣れる必要がある。殊に絵は余程見慣れないと、元来描いた目的物に見えない。一二年級の頃は図画と習字の点数が絶えず席次に影響した。それは然うと、お父さんの机の引出しを開けたら、又一枚短冊が見つかった。
――衣更えて昔を妻に戯れし――浩郎
とある。お父さんの留守中に書斎へ忍込んで机の中を探すなぞと聞くと、僕を不良少年と思い込む向き向きがあるかも知れない。しかしそれは早計だ。これには立派な申訳がある。お父さんは新聞記者でも手紙となると大の筆無精で、容易に書かない。殊に葉書や書翰箋の類が品切れだと、好い口実にして、彼方此方へ御無沙汰を極め込む。それでお母さんは退引きさせないように、葉書や切手は素よりのこと通信に必要な品を一切お父さんの机の引出しに揃えて置く。
「源太郎や、葉書はいつでもここにありますから、お前もお使いなさいよ」
と僕にまで言渡してある。僕は特許によってお父さんの机を開けるのだ。無論序だから何かあるかと思って椅子に腰を下し、丁寧に探して見ることもあるが、決して不良少年ではない。
さて、葉書の問題でなくて俳句のことだが、この方面に於ける僕の造詣は至って浅い。学校の読本で見本を三つ四つ習ったばかりだから全然的無学だといっても差支ない。それに斯ういうものは高等学校の入学試験に出ないと聞いているから直ぐに忘れてしまう。しかしお父さんの句は二つとも直ぐに分った。僕のこととお母さんのことを言ったのだ。追々暑くなって来たので、僕達はこの間の日曜に衣更をした。妹達も弟も皆大きくなって、去年の一重ものの揚げを下さなければならなかった。
「伸びたのねえ、皆! まあまあそのまま着ていなさい。晩に又下しますから」
といった具合で、お母さんの予測を越さないものは一人もなかった。就中長くなったのは僕で、もう去年から揚げに超越している。
「源太郎は大きくなったね。もうソロソロ俺ぐらいあるだろう」
とお父さんは先ず僕を問題にした。
「体操の時間には僕が四年級全体の二番ですから、お父さんより大きいかも知れませんよ」
と僕は威張ってやった。実は先日お父さんの知らない間に背較べをして確めて置いたのである。
「どれ、較べて見よう」
とお父さんは気軽く立ち上った。敷居の上に並んで較べ合った結果は僕の方が心持ち高かった。しかしお父さんは、
「丁度同じだ。驚いたな」
と言った。髪の毛を身長に入れている。僕は坊主刈りだ。
「兄さんの方が少し高いわ」
と妹の郁子が公平な断定を与えた。
「いいや、おッつかッつさ。未だ未だ伸びるだろうから、来年は負ける」
「千駄ヶ谷の叔父さんぐらいになりますよ」
と僕はお父さんの背では満足しない。
「叔父さんぐらいが限度だね。あれより高いと注意を惹き過ぎる。日本人は矢張り五尺六寸ぐらいが一番見頃さ」
とお父さんは好いことなら大抵自分を標準にする。
郁子から浩二まで四人皆大きくなって褒められた後、お母さんは反対に若くなって褒められた。
「少し派手でしたわね?」
と初めお母さんは着替えた浴衣の柄のことを言ったのだった。
「いいや、派手なことはなかろう。よく似合うもの」
「然うでしょうか」
「恐れ入った。然うして澄ましているところはお嫁に来る前とそんなに変らないようだよ」
とお父さんが諢った。
「まあ、大層評判が好いんですね」
とお母さんは若いと言われるに無論苦情はないようだった。
その時の感想をお父さんは句に現したのである。お母さんが昔ながらに若く見えるという句は麗々しく柱にかけて置くべき性質のものでないから机の中へ仕舞い込んで、僕の方丈けを張り出しにしたのである。それだから何方が会心の作か一寸判断に苦むが、兎に角僕の成長をこれほどまで祝してくれたかと思ったら嬉しかった。実際僕は筍のように伸びる。親類へ行っても、
「源太郎さんは又大きくなりましたね!」
とその都度驚歎される。友達も僕のことをノッポと呼んで羨ましがる。図体丈けはまず完全に近い発達を遂げているといって宜しい。
孫が大きくなるにつれてお祖父さんとお祖母さんが年の寄るのは是非もない。お祖父さんは軍人で、馬に乗って出勤した姿を僕は朧ろながら覚えている。廐も今柿の木の植っているところにあった。骨格逞しい人だが、子供と反対に年々小さくなる傾向がある。着物が大きくなるということは初めて聞く。お祖父さんは今日も例の通り荒川さんと碁盤を挾んで坐った時、
「妙なことがあるものですね。俺は年々着物が大きくなりますよ。この間一重に着替えたら、裄も丈も一寸近く伸びていました」
と然も感心したように話し始めた。
「それは私も同じことです。年を取ると身体が縮みますからな。斯う皺だらけになるのは何よりの証拠です」
と荒川さんは有理らしい解答を与えた。この御隠居さんも軍人で、お祖父さんと同じく少将だが、海軍だ。何方も日清日露の戦役を経ている。僕達の生れない中に戦争を二度もしているのだから古いものだ。
「成程、皺は年々豊富になりますな」
と剽軽なお祖父さんが笑った。
「悪いものばかり豊富になりますよ。私は喘息で痰が豊富になってからは殊に縮み方が烈しい。去年の土用干しに軍服を着て見て悲観しましたよ。ダブダブです」
と荒川さんもお祖父さんに負けない。
「頭丈けは痩せないと見えますな。帽子は一向大きくなりません」
とお祖父さんは妙なことを言い出した。頭の痩せる奴はなかろう。
「頭は骨です。骨は何年たっても痩せませんよ。しかし内部は矢張り縮みますな。昨今物忘れをすること夥しい。今日は扇子を忘れて来ました」
と荒川さんは序ながら団扇を請求した。
「しかしあなたは外部に異状がない」
「その代りこの通り真白です」
「白くても毛のある方が宜いですな。今更形態でもありませんが、禿げていると危いです。一寸電球を支えても直ぐに怪我をします。生傷が絶えません」
「あなたは早くお禿げになりましたな。初めてお目にかかったのは聯隊長時代でしたが、もう些っともありませんでしたな?」
「いや、あの時分は未だありました。禿げたのは少将になってからです」
とお祖父さんは主張した。いつの頃から禿げたか知らないが、僕はお祖父さんの若い時分の写真を見ているから、以前生えていたこと丈けは保証出来る。しかし余程昔に相違ない。お母さんも髪の毛のあるお祖父さんは何うも思い出せないと言っている。
「いや、確かに禿げていましたよ。禿げているという印象が残っていますし、もう一つ私に疚しいことがありますから、未だに忘れられません」
と荒川さんは果して納得しなかった。
「いや、少しはありましたよ。少将になってから皆無になったのです。何うも俺の髪の毛は甚だ意地の悪い髪の毛ですよ」
「何ういう次第ですか?」
「俺は若い時分に小松宮さまの御風采が大層およろしいと思って、殿下のように髪を分けたいものだと念がけていました。しかし昨今と違ってあの頃の陸軍は本式でしたから、少中尉は無論のこと、佐官でも一分刈りです。将官にならなければ髪は分けられません。まあまあそれまで辛抱しようと諦めていましたが、出世よりも毛の脱ける方が速かったのです。少佐ぐらいから禿げ始めて、大佐になった頃は帽子を被ったまま顔を洗うという始末です」
「何ですか? お呪禁ですか? その帽子を被って顔を洗うというのは」
「いや額が禿げ上って顔と頭が地続きになってしまったのです。帽子を被れば、それ、国境が分る」
とお祖父さんは得意だった。
「成程、ハッハハハハ。初めてお目にかかったのは確かにその国境問題時代でしたよ」
「然うです。それでも天辺と両側に未だ相応残っていましたよ。伸しさえすれば何うにかなると思って待っていると、漸くのことで少将に進級しました。しかし大佐と少将の間が長過ぎたのですな。根気好く伸して見ましたが、真の数えるほどしか残っていませんでしたから、架橋工事が利きません。今はこれまでの運命と諦めました。髪は顔の装飾だと承わっていますが、俺は毛頭その機会がなかったのです」
「ははあ、面白い御述懐ですな。それも皆国家への御奉公でしょう」
「然うですよ。仕掛けがそんな具合に出来上っていますから、否応ありません。髪の毛のある頃は分けてならず、分けて宜い頃は髪の毛がない。それから見ると昨今の青年将校は羨ましいです。少中尉でも分けていますぜ。しかしあんな風で戦争に勝てるか何うかは頗る疑問です」
「余程髪の毛に執着がありますね。しかし大内さん、あなたは髪のないのを苦労になさるが、私はあるので持て余しましたよ」
「それは又妙ですな」
「この白髪頭の為めに私は若い時から何れくらい嘘をついたか知れません」
「しかし初めてお目にかかった折は漆黒でしたよ」
「いや、それです。染めていたのです。あの折はあなたも一杯食わされたのですよ」
と荒川さんはニコニコした。
「然うですか。ペテンのお上手なのは碁ばかりじゃないんですね」
「恐れ入ります。しかしあなたは例の国境問題に頭を悩ましていられた丈けに、あの折私の髪に目をつけましたよ。『羨しいですな、あなたは』と仰有いました」
「然うでしたかな。能く覚えません」
「それから髪の毛の養生法までお訊きになりましたよ。私は何と答えたか覚えていませんが、恐らく口から出委せのことを伝授したのでしょう。まさかこれは染めているのですとも言えませんからね。何にしても戦争最中で明日も知れない命です。あなたが髪の毛の保存法を手帳に書き留めたには敬服しました。余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》でしたな」
「ははあ、あなたもあの際に白髪染を怠らなかったとは、承わって敬服します。流石に閑日月ありですな。人を瞞着することは別問題として」
とお祖父さんは条件をつけた。
「この白髪頭では心ならぬ嘘をついて彼方此方へ面目ないです。少佐時代からポツポツ来ました。親譲りです。しかし軍人は年が寄りたくありません。出世の妨げとも考えて、直ぐに染め始めました。艦長時代には恐らく真白でしたろうが、皆は漆黒と思っていました。大佐なら相応白いのがいますから、もう宜いのですが、今更自首する勇気もありません。妻もそんな必要はないと申すのです。そこで矢張り染め続けていますと、到頭悪事露見の日が参りました」
「悪いことは出来ませんよ」
「日露戦争後間もなくチブスに罹って横須賀の病院へ入院致しました。可成り手重くて二月ばかり隔離室に寝ていた後のこと、若い軍医が、『大佐殿のチブスには症状に特別のところがありましたから、実はお案じ申上げて居りました』と申しました。『然うかも知れない。大分苦しかった』と答えますと、『何うも不思議です。高熱の加減でしょうか、髪と髭がその通り針鼠のようになりました上に、頬髭だけは悉皆色素を失ってしまって真白ですよ』と注意してくれました。私は初めて気がつきました。染めていた下から白いのが生えて来たのです。頬は剃っていたから自然のままに白髯が伸びたのです。人間嘘をつくのは宜しくないと思って、私は『何あにこれは今まで染めていたのだ』と正直なところを打ち明けました。『然うでしたか。それで安心致しました。実は臨床医典を調べて見ましたが、髪の毛が針鼠になるという徴候は何んな病気にもありませんから困っていたのです』とこの軍医も正直ものでした」
「悉皆露顕に及んだのですな」
「いいや、露顕は軍医だけです。早速散髪をさせましたから、白髪頭になりました。病み上りで真白と来ていますから、自分ながら年が寄ったと思いましたよ。その頃から見舞の客に会えるようになったので、高熱の為めこの通り白髪になったと申しました。すると『艦長殿はチブスで悉皆白くなられた』と皆信用してくれました。これが嘘のつき納めでしたろうね」
「何処までも嘘で固めますな」
「禍を転じて福となす。兵法の極意はこの辺にあります。如何ですかな?」
と荒川さんは為たり顔をした。
「ホトホト感心致しました。横着な男もあればあるものです」
「お互に頭の説明で時間を潰しました。一局願いましょうか?」
「何うぞ、しかし黒白を誤魔化す妙を得て居られるから大に警戒を要します」
と冗談を言って、お祖父さんは碁石を握った。間もなくパチリパチリという音がする。
離れは隠居だから始終閑散だ。お祖父さんとお祖母さんはもう人生の仕事を一通り終って静かに余生を楽むばかりである。訪ねて来る人達にも荒川さんのような御隠居さんが多い。僕はお祖父さんの室の隣りを勉強部屋にしているから、自然今紹介したような禿頭白頭の問答を耳にする。呑気で好い。自習も能く出来る。母屋へ行っておやつを貰う上に、お祖母さんが時々お菓子を下さる。両方から常習的に戴くので、郁子は僕のことを水陸両棲動物と呼んでいる。尤も郁子でも敏子でも離れへせびりに来る。千代子と浩二に至っては、
「お祖母さん、何かあるでしょう?」
「もう遊びに来てやらないから宜いや」
と公然ゆすって行く。皆水陸両棲動物だ。
お父さんの書斎から拝借して来た葉書へ英語通信教授の見本申込を認めた時、僕は又更衣の句を胸に浮べた。惣領の筍伸び……乃公は惣領だなと考え、惣領は甚六、事によると、甚六の名を辱しめないかも知れないと思ったら、少し心細くなった。実は僕に苦労がある。通信教授の見本を請求するのもその気休めに過ぎない。僕に限らず中学四年生になったものは大抵この苦労に直面する。それは高等学校の入学試験だ。四年級を修了すれば立派に入学資格があるのだけれど、志望者が定員を超過するから腕ずくでやらなければならない。電車と同じことだ。切符を持っていても努力をしなければ乗れない。但し電車の方は二三台待っていると空いたのが来るが、学校の方は此年のあぶれが来年へ廻るから後ほど込む。
三年級まではこの現象を遠方の火事のように考えて多少面白ずくでいたが、この春四年級に進むと同時に、同級生一統急に騒ぎ出した。火の手が近づいた上に先輩が殆んど全滅を遂げた。昨年までは可なり好い成績が続いたから、此年の連中は油断があったのかも知れない。兎に角三十人以上も受けたのに入ったものは唯二人、その二人も一人は補欠と来ている。余りの不成績に、我が子の不勉強は棚へ揚げて、準備教育が何うの斯うのと学校へ苦情を持ち込んだ親さえあった。それに対して校長さんが、
「そんなことは小問題です。教育は入学試験でありません」
と言ったとか言わなかったとかが又問題になりかけた。僕達四年生としては、うっかりしていればこの通りという実物教訓に行き当って、緊褌一番、先輩のように課外準備を苦しがってチョクチョク脱けませんと、担任の先生に誓う外はなかった。
「宜しい。それぐらいの決心なら、この四十人の中二割丈けは保証します」
とその折先生が激励してくれた。しかし皆は顔を見合せた。一日も怠けない約束をして二割きりとは情なくなったのである。八割のものは何の為めに勉強するのか分らない。
僕はその日家へ帰ると直ぐに、
「お母さん。明日からイヨイヨ課外が始まりますから晩くなりますよ」
と断った序に、
「けれども当てにしちゃ困ります。僕は試験が極く下手ですからね」
と早手廻しながら来年の不成功を弁解して置いた。夕御飯の折お母さんが常例のニュウスの種に僕の課外準備を使ったので、お父さんは、
「大にやるさ」
と元気をつけてくれた。
「迚も駄目らしいですよ。地方でも五人に一人ぐらいですからね」
と僕は又弱音を吹いた。
「何あに、五人に一人ぐらい。相撲だって少し稽古して取れば五人抜きが出来る」
とお父さんは自分が取るのでないから強そうなことを言った。
「一高は十人に一人ぐらいですよ。僕は学科に得手不得手があります。得手の学科でも時によって大変出来不出来があるんです」
「そんなに悲観することはないよ。勝負は時の運さ。入学試験なんか人生の大問題じゃないんだからね」
「校長さんもそう仰有ったそうです」
と僕はお父さんも分っていると思ったが、
「しかし入る方が矢っ張り宜い」
と来た。結局大問題に帰着する。
お父さんやお母さんが期待しているほど僕は重い責任を感じる。これからはもう活動へも行くまい。尤も課外をやる上に先生のところへ数学を習いに行くのだから、昨今はそんな暇もない。通信教授へも入る。忙しくなるばかりだ。死にかけた病人のように、好いということは何でもやって見る。
職業の問題
尋常四年の千代子と尋常一年の浩二は極く仲が好い。浩二はナカナカ姉思いだ。千代子も能く弟の面倒を見てやる。日頃は申分ないが、お向いの秋子さんが遊びに来ると、兎角波瀾が起る。浩二は仲間外しにされるから、お冠を曲げる。飯ごとを始めても、
「浩ちゃんは書生とコックの手伝と何方が宜くて?」
といった具合で、役不足だから面白くない。甚だしいに至っては、
「今日は地震ごっこよ。浩ちゃんは男で強いんだから自警団になって頂戴。表へ行っていつまでも番をしているのよ」
と敬遠される。男は子供の時から口先では到底女に敵わない。そこで仕舞いには腕力に訴える。然ういう折からはお母さんが、
「千代子や、浩二を仲間外しにしちゃいけませんよ。皆さんも仲よく遊んでやって頂戴」
と調停の労を執らなければならない。随って浩二が旦那さまに成り済ましていることもある。
「僕は大人になったら真正に自動車を買うんだ」
とこの間は飯ごとから現実の希望に話の花が咲いた。
「買っても置くところがないじゃありませんか?」
と千代子は家に自動車のないのは置くところがないからだと思い込んでいるらしかった。
「自動車小屋を拵えるさ」
と浩二はその辺の問題も最早解決していた。
「それは然うね」
と千代子は納得したが、
「けれども浩ちゃん、二円五十銭じゃ自動車は買えなくてよ」
と浩二の金力に聊か疑問を懐いた。
「何ぼ何でもね」
と秋子さんも同感だった。
「今は二円五十銭しかないけれど、大人になれば金持になる」
と浩二は確信があるようだった。
「何うしてなるの?」
「私知っているわ」
と二人は組になっていて、若し間違ったら笑ってやる積りらしかった。
「銀行へ行って幾何でも貰って来る。それぐらいのことを知らなくて何うするんだい?」
と浩二は大きく出た。
「まあ。矢っ張り智恵があるわ」
「真正に悧巧ね。浩ちゃんは何の年? お申?」
と千代子と秋子さんは悉皆感心してしまった。天下泰平だ。尋常科は半ばお伽噺の世界に住んでいる。斯う考えると、思い当ることがある。千代子は日外僕の万年筆を弄って先端を損めた時、
「又買えば宜いじゃないの?」
と言って、平気なものだった。試みに、
「お金は何うするの?」
と訊いて見たら、
「お母さんにお貰いなさいな。沢山持っていてよ」
と教えてくれたが、お母さんは銀行へ行って貰って来るものと信じているのだ。
実は僕もつい先頃まで尋常科の思想でいた。少くとも大人にさえなれば何うにかなるのだろうぐらいに考えていた。生活問題を念頭に置かず、二円五十銭を大金と思っている時代は貴い。正に聖人君子の心境である。然るに僕はもう慾が出て来た。何になろうかと、将来の生活問題に屈託している。素より親の財産を当てにする気はないが、お祖父さんが陸軍将校の古手で、お父さんが新聞記者とあれば、家が金持でないことは分っている。お祖父さんが日清日露の両役に勲功を立てたのは、武臣銭を愛さなかった証拠である。
「ねえ、荒川さん、斯うなったら一日でも長生をして恩給を余計取ってやることですよ」
と今頃漸く世間並みの心掛けに努めている。お父さんにしても新聞記者に金は出来るものでないという自信があるから、至極諦めが好い。
「しかしアメリカは羨ましい。小さな町の新聞記者が二十年勤めて百万弗出来たのを機会に引退したそうだよ」
なぞと言い出す。
「彼方は新聞社の俸給が好いんでございましょうね」
とお母さんは耳よりな話だと思う。
「いや、俸給よりは運さ。二十年目にカナダへ行っていた独身者の叔父が死んで遺産がたんまり入ったのだそうだ」
「まあ、本気に聴いていれば人を馬鹿にしていらっしゃいますのね」
「何あに、和洋東西新聞記者で産を為すものがないという教訓さ」
とお父さんは泰然たるものだ。
この間に処して、僕は何とか志を立てなければならない。尤もお伽噺の世界から目覚めたのは僕ばかりでなく、同級生も皆夫れ夫れ世智辛さを覚え始めた。寄ると触ると将来の活動方面を語り合う。
「僕は兄貴が医者だから、矢っ張り医者だ。あれは一番儲かる」
「僕は弁護士が宜い。あれは医者よりも楽で設備が要らないから、一番儲かる」
「東京の復興はここ二十年かかる。して見れば工科へ入って建築をやると一番儲かる」
という具合で、ナカナカ慾張っている。活動のフィルムを交換していた頃とは全然違う。その他一番儲かるものが沢山あるようだが、
「軍人は儲からないぞ」
「先生も儲からない」
とあって、この二つは今のところ殆んど志望者がない。
「商売が一番儲かる」
とは衆議の一致するところで、会社銀行の使用人になりたがるものが一番多い。中には家が誂え向きに商家だから、再来年卒業するともう直ぐ儲けに取りかかる決心のものもある。兎に角一番儲かることを考えながら、皆一生懸命で勉強している。
周囲がこんな風だから、僕は益※ 刺戟されて遠い先の職業問題に鋭敏になる。お父さんにお客さんを取次ぐにも名刺の肩書に注目して、これは儲かる商売か知らんと思う。電車に乗っていても、車掌運転手募集の広告を見て、苦しい割合に余り儲からない仕事だから気の毒と考える。
「あの男は三井へ入ったよ。迚も大きなところへ入るような腕はないんだが、手引があって裏門から入ったんだね。もう一人蟇公って男がいたろう?」
「いたいた。獰猛な奴さ」
「彼奴は安田へ入った」
「皆金のあるところへ入るね。川口は三越を狙っていやがったが、この間到頭入ったよ」
というような乗客同志の会話も、以前なら強盗の連類と解釈して恐れを為すところが、昨今ではその頭になっているから、直ぐに就職の問題と合点が行く。
矢張り会社と銀行が一番儲かると見えて、僕の同級生ばかりでなく、屈竟な男が皆これへ入りたがる。友達の家庭に鑑みても、会社員銀行員を父兄に持つものが多い。早い話が僕の家は両隣りが会社員だ。片一方はビールを醸造して同胞を酩酊させるけれど、もう一方は飲み過ぎて脳溢血を起しても損の行かないように、生命保険を引受けてくれる。それから芥掃除に来る人夫も会社の使用人だそうで、帝国衛生株式会社という車を引いている。然う然う四谷の芳夫さんもこの春慶応を卒業して三越へ入った。そのほかお母さんの方の親類は大抵会社に関係している。平社員ばかりでなく、重役もある。会社員は神さまと同じことで、在さざるところない。
数からいってもこんなに勢力のある会社員を、お父さんは何ういうものか余り好んでいないらしい。恐らく頭が少し古いのだろう。この事実はこの間の晩芳夫さんがひょっくりやって来た時に偶然突き止めた。実は僕も好き嫌いは別として商売は自分の柄でないと思っていた矢先だったから、尠からず安心した。最初僕が参考の為めに、
「芳夫さん、三越は面白いですか?」
と社交的に出たのが話の切っかけになったのである。
「詰まらないですよ」
と芳夫さんはいつになく景気が悪かった。
「忙しいんですか?」
「忙しいけれど、毎日伝票の整理をする丈けですから、迚も退屈します。もう一二年学校でベースボールをやっている方が宜かったですよ」
「相変らず暢気なことを言っていますのね。折角入ったんですから、しっかりやって下さいよ」
とお母さんが窘めた。芳夫さんは里の惣領息子だ。学生時代から家へは能くやって来るので、殊に遠慮のない間柄になっている。
「しっかりやるにも何にも、小学程度の読み書き算盤丈けですから、策の施しようがないんです。あれでは俸給も廉い筈ですな」
「学校で習ったことは役に立ちませんか?」
とお父さんが訊いた。
「役に立つどころの沙汰じゃありません。驚きましたよ。経済学も荷厄介になるばかりです」
と芳夫さんは大学教育の効果を絶対に否定した。
「荷厄介は厳いですね。学校を卒業したから採用資格が出来たのに」
「それは然うです。渡米労働者なら見せ金って奴ですな、卒業証書は。入場券ですよ。それですから、入ってさえしまえば、学問なんかは些っとも要らないんです」
「成程、入場券は面白い。君のは、当大学に於て野球学を専攻し、三年の課程中一回も対校試合に欠席したることなきを証すと書いてあったろう?」
とお父さんは冗談を言った。
「恐れ入ります。それにしても多少卒業成績を吟味して取って置きながら、高等小学出と全く一視同仁なのは癪ですよ」
「それで宜いのさ。差当り帳簿をつけたり算盤を弾いたりする丈けなら、能率に甲乙はあるまいからね」
「それがあるんですよ。能率では僕達学校出の方が遥かに劣ります」
「劣るかね?」
「僕達は十数名一緒に入りましたが、一人だって小僧上りに敵うものはありません」
「だらしがないんだね」
「先方が算盤ばかりやっていた間に此方は財政学や会計学で油締木にかかっていたんですから今更迚も太刀打ちは出来ません」
「それじゃ不平も言えない」
「不平は言いませんが、考えて見ると矢張り間尺に合いませんな。すべて高等小学出と同待遇ですからね」
「しかしそれは当分の中でしょう?」
「いいえ、永久です。彼処は自由貿易も絶対の方ですからな」
「自由貿易というと?」
「万事生存競争に委せます。学校出を保護してくれません」
と芳夫さんは算盤が余程苦手と見えた。
「そんなことを仰有って、芳夫さん、あなたはもう厭やになったんじゃなくて?」
とお母さんは心配顔をした。
「まあその辺ですな。何かもっと末の見込のある仕事をしたいと思うんです」
「三越だって末の見込のないことはありますまい?」
「それは他の人にはあります。しかし僕にはないんです」
「然うとも然うとも。よす方が宜い。素々《もともと》芳夫さんは三越の店員って柄じゃない。俺は最初から不賛成だった」
とお父さんは大抵の場合建設よりも破壊を得意とする。
「僕は何うも柄じゃないと思いましたが、今年は不景気で八方塞がりだと言っていたところへ口がかかって来ましたから、ついフラフラと入ってしまったんです。しかし名刺を誂える時にもう後悔しました。何と工夫しても三越呉服店員という肩書がつきます。兎に角最高学府を出たものが呉服店員は情けないですな。昔なら越後屋の丁稚芳どんというところです」
「やめ給えやめ給え。不見識だ。もっと個性の伸びる仕事をするさ」
「あなた、やめろなんてお勧めになっちゃ困りますよ。この人は悪いことなら焚きつけられなくても直ぐするんですからね」
とお母さんは故障を申入れた。
「やめることが悪いことかい?」
「悪いことですわ」
「叔母さん、実はもうやめる決心で他へ運動しているんです」
と芳夫さんは気の毒がった。
「まあ! お父さんやお母さんと御相談の上?」
「お母さんには一寸話しましたが、お父さんは例の通り石の上にも三年主義ですから、イヨイヨ定ってからにします」
「それで宜いの?」
「宜いでしょう?」
「今度は何ういう方面へ向いますか? 場合によっては及ばずながら御援助しましょう」
とお父さんは大に期待したようだったが、
「銀行です」
と芳夫さんが答えると、
「金網の中で働くんですね」
と言った。
「あなたは悪い癖ね。銀行や会社というと妙な反感を持っていらっしゃる。芳夫さんが新聞社へでも入ったら、御機嫌でございましょうね?」
と身内に実業家の多いお母さんは平常からの不満もあった。
「その通りその通り」
「僕も筆が立つと新聞社へ入っても宜いんですが……」
と芳夫さんはお茶を濁した。まさか新聞記者は嫌いだとも言えなかったのだろう。
「俺だって何も会社や銀行の使用人に遺恨があるんじゃないが、しかし相応資力のあるものがああいう生活奮闘者の中へ割り込むのは結局自他の損害に帰着すると思っている。この意味から考えると、芳夫さんが三越をやめるのは大に結構なことだ。生活の心配のない大学出身者が牛刀を提げて雛っ子上りの間へ飛び込むのが元来間違っている」
「その牛刀が案外鈍刀と来ていますからな。ハッハハハハ」
「そんなことはないさ。しかし実業以外の方面へ出る気があるなら、一つ外国へ行ってもう少時磨いで見ちゃ何うです?」
「いや、駄目ですよ。地金が悪いんですから、矢張りこのまま大切に使うより外ありません」
「芳夫さんは俺と正反対だな。いつも自分を実価より以下に見積っている。矢っ張り銀行員ですか?」
とお父さんは諦めた。これでは頭の好いものが新聞記者になって頭の悪いものが銀行員になるとしか受取れない。
芳夫さんを玄関に見送ってから、お父さんは二階へ上り、お母さんは茶の間へ戻った。僕は離れへ帰ろうとすると、
「源太郎や、一寸」
とお母さんに呼び止められた。
「何ですか?」
「そこへお坐りなさい。これから勉強?」
「いいえ」
「源太郎や、私、心配だよ。お前も芳夫さんのようになりはしないかと思って」
「芳夫さんは何処も悪いことはないじゃありませんか?」
「でも辛抱が足らないわ。二月や三月で直ぐ厭やになったんじゃ何処へ行っても出世は出来ませんよ」
「だって越後屋の丁稚芳どんですもの。無理はないです」
「お前も三越は嫌いなの?」
「ええ。三越に限らず、商店員は厭やです」
「会社や銀行は?」
「それも厭やです」
「まあ! それじゃ一体何になる積り?」
「種々《いろいろ》と考えていますが、未だ定りません」
「来年は高等学校を受けるんですから、ソロソロ方針を定めて置く必要がありますね。同級の方は大抵会社員でしょう?」
「彼奴等は皆馬鹿です。金が欲しいんです」
「源太郎や、お前考え違いをしちゃいけませんよ。お金だって大切なのよ」
「それは分っています」
「いいえ、分っていないんでしょう? それは無論お金ばかりの世の中じゃありませんが、お金を儲ける人も学問上の新発見をする人も同じように豪いのよ。同じように国家の為めになるのよ。お前は学者や役人ばかり豪いと思っているんでしょう?」
「然うでもありません。実業家にも豪い人はあります」
「ありますとも。本郷の伯父さんは年に五万円から取りますよ。大きな会社の重役だと十五万円から二十万円も取りますからね。大臣は年俸八千円よ。大臣より重役の方が豪いとは言いませんが、豪くないとも言えませんわ。仕事は何をしても宜いんです。職業に上下はありません」
「あるある大にある」
とこの時お父さんがぬっと入って来た。お母さんは拍子抜けがして、
「あなたは真正に可怪しな人ね」
と恨めしがった。
「子供に入れ智恵をしないでおくれよ」
「オホホホ。あなたこそ甥に悪智恵をつけないで下さいよ」
「恐れ入った」
「それからお願いですから、私が子供に物を教えている時丈けは御冗談をお慎み下さい。母親の威厳がささほうさ になってしまいますからね」
「重々《じゅうじゅう》悪かった。しかし源太郎や、職業には上等と下等とがある。お前は上等の方をやるんだぞ」
とお父さんが何処までも諢うもんだから、
「それは聴きものですわ。何うして上下がありますか、承わらして戴きましょう」
とお母さんは開き直った。
「つまり職業の内容に上等と下等がある。何うして斯ういう瘤腫を 再発しないように切り取ろうかと肝胆を砕く医者は、何うしてああいう財布を発覚しないように擦り取ろうかと苦心する掏摸よりも上等だろう?」
「お言葉の中ですが、掏摸は職業でございましょうか?」
「待っておくれ。何うして品物を安く買い込んで高く売りつけようかと思っている商人は、何うして一国民の思想を善導しようかと考えている聖人よりも下等に相違ない」
「お父さん、お言葉の中ですが、聖人も職業じゃありますまい?」
と僕も注意してやった。
「覿面な効果を求めて極端な実例を持出すものだから、揚げ足ばかり取られるけれど、先ず大体然ういった風のものさ」
とお父さんはもう草臥れている。
「何ういった風のものございますの?」
とお母さんは追究した。
「要するに同胞の為めを計る職業は貴く、自己の為めを計る職業は賤い」
「あなた、商人だって同胞の為めを計って居りますよ、何も彼も一々製造元へ買いに行った日には、あなたにしても原稿をお書きになる暇はございませんわ」
「それだから毎日高いものを買っているのさ。社の最近調査によると、品物はすべて約八割の手数料が掛けてあるそうだ」
「医者へも払いますわ。薬九層倍!」
「口がへらないね。まあお茶の一杯も入れておくれ」
とお父さんは体好く降参した。
小説家志望
蛙の子は蛙になる、僕は新聞記者の子だから新聞記者になる積りでいたが、何うせ筆で立つならもっと徹底的なところを行こうと思って、創作家になってやろうと発心した。お父さんの説によると職業に貴賤上下の別がある。金そのものを直接の目的とする商売は賤く、報酬を二の次にする職業は貴いのだそうだ。
「例えばお医者さんが患者を診察している時は、病源を探り当てて最も適当な処置をしたいという一心だ。この肋膜炎からお礼が何程貰えるなんてことは些っとも考えていない。画家が絵を描いている時も同じことさ。潤筆料は多いほど結構だろうが、差当りは立派な芸術品に仕上げたいという外全く余念がない。斯ういう風に報酬のことを忘れてする仕事はすべて貴い」
とある。
「源太郎や、お前の学校の先生がお前達に講義をしている時は何うだろう?」
「先生は皆一生懸命ですよ。少し脇目でもしていようものなら呶鳴りつけられますから、油断も隙もありません」
「然うだろうとも。それぐらいにやらなければ、お前達の西瓜頭へは学問が入らない。苦心の程が察しられるよ。この一時間は俸給の何十分の一で何円に当るなぞという賤い料簡は微塵もない。儲けずくの商売人とは違う。心に疚しいところがないから、直ぐ憤る資格がある」
「道理で僕の方の漢文の先生は光風霽月居士という綽名がついていますよ。皆を叱り飛ばして置いて、斯う見えても我輩の心持は光風霽月じゃと仰有るんです」
というふうな問答のあった末、
「時に源太郎や、お前は一体何になる? まさか実業家じゃあるまいね?」
とお父さんは突然僕の一身に及んだ。
「未だ定めてありません」
と僕は小説家だとは答えにくかった。
「急ぐ必要もないが、夏中ゆっくり考えて御覧。何でも自分の天分を一番能く発揮出来ると思うものになるんだね。俺は余所の親と違って分らないことは言わない積りだ。一切干渉しない。すべてお前の決定に委せる。但し職業に貴賤上下のあることを忘れてはいけない。少くとも報酬本位に陥り易い仕事は避けて貰いたい。もう宜しい。彼方へ行って勉強しなさい」
と言って、お父さんは僕を解放してくれた。
既に同級生が夫れ夫れ志望を定めて夢想を逞うしている今日、僕ばかり暢気に構えていられない。お父さんに勧められるまでもなく種々《いろいろ》と考えて見たが、矢張り創作家が一番自分の天分を発揮するように思われた。蛙の子は蛙で、僕は数学や物理は低能だが、この方面丈けは知らず識らずの裡に心掛けている。それにお父さんは手っ取り早く金の儲かる仕事が嫌いだ。報酬を度外視して無暗に頭を使う職業がお気に召す。
「小説家なら随分苦心を要する上に、罷り間違えば一文にもならないし、成功しても日本では大丈夫金持になる心配はない」
と僕は可なり乗気になっていた。そこへ持って来て新学期早々例の光風霽月居士が僕の自由作文「夏中見たこと聞いたこと」というのに、
「秀逸。観察奇警筆力犀利、後世恐るべし」
とつけて煽ててくれたから、悉皆決心が固まってしまった。もしこれが自殺なら飛び込もうとしているところを押してくれたのだから、居士は確かに責任がある。
しかし小説家は銀行頭取や医学博士と違って、物が稍※ 物だという感じがあった。それで自ら進んで発表するほどの勇気もなかった。何とか催促のあった折にと思って心待ちに待っていたが、お父さんも忘れているようだった。その中に三越をやめて銀行に入った四谷の芳夫さんが又銀行は面白くないと言い出した。お母さんがそれを里から聞いて来て心配そうに話した時、お父さんは、
「早いね。しかし寧ろ好い傾向だよ。食うに困らない人がもっと意味のある生活をしないのは嘘だ」
と例によって金にならない仕事の偉力を高唱した後、
「ところで源太郎は何うだね? もう決心がついたかい?」
と休暇前の註文を思い出して、居合せた僕に訊いた。
「つきました」
と僕はここだと思って元気好く答えた。
「ふうむ。何になる?」
「矢っ張りお父さんのように筆で立ちたいと考えています」
「然うかい。新聞社へ入るか?」
とお父さんはニコニコした。
「いいえ、新聞社へは入りません」
「新聞記者じゃないのかい?」
「ええ、小説家になります」
と僕は淀みなく答えた。これぐらい金にならないものなら申分あるまいと思って内心得意だったのである。
「小説家? ふうむ」
「厭やですよ厭やですよ。源太郎や、私はのらくらものは芳夫さん丈けでも困っているんですからね」
とお母さんは果して不服だった。
「小説家必ずしものらくらものとは限らないが、これは些っと案外だったね」
とお父さんも小首を傾げた。
「あなた、親の感化って恐ろしいものでございますわね。十六や十七で小説家になろうなんて言い出すんですもの」
とお母さんは僕が謀叛でも思い立ったように言った。
「少し薬が利き過ぎたかな。無論大学へは行く積りだろうね?」
「大学へ行って文科をやります」
「文科と定めて、もっと考えて見るさ」
とお父さんは賛否を明かにしなかった。
「源太郎や、私はお前が法科へ入って本郷の伯父さんのように立派な実業家になってくれるものとばかり思っていましたよ。平常から然う頼んで置いたのにね」
とお母さんは文科と定める丈けでも期待を裏切られたようだった。
「でも僕は商売は嫌いですもの」
「嫌いなら仕方ないけれど、文科じゃ一生貧乏しなけりゃなりませんよ」
「お金なんか欲しくないんです」
と僕は思う通りを言った。
「まあまあ。お父さんの家庭教育が行き届いているんですね。あなた、平常からもっと世間並のことを仰有って下さらないと、子供が皆危険思想になってしまいますよ」
「何あに、これぐらいの時から金を欲しがるようなら、それこそ危険思想だ。しかし小説家とは俺以上だね。尤も全く無方針でいるよりは何か目当てのある方が宜い。まあまあ、その積りで心掛けるさ」
とお父さんは分らないことは言わない約束だったから仕方がなかった。
「心掛けるって、あなた、小説家にするんですか?」
「なると言うものにするさ。しかしこれぐらいの時には種々《いろいろ》なことを考えるものだから、今に又変るよ」
「どうか地道な方へ変って貰いたいものですわね」
とお母さんも僕の志望を然う根柢の深いものと思っていなかった。尤も六ツの頃の電車の車掌から現在の創作家に達するまでには幾多の変遷を経過している。
「お父さん、一体何ういう風に心掛けたら宜いんでしょう?」
「小説家かい?」
「然うです」
「小説家の修行は第一に観察さ。人間の性格や心理を如実に描写するんだから観察が大切だ」
とお父さんはお母さんの顔色を覗った。
「分りました。それから何ですか?」
「第二も観察だ。ジッケンズなぞは子供の時から精細な観察家だったと自分で言っている」
「第三は?」
「第三も観察だ。お前は鋳掛屋の仕事を見ていて学校が後れたりするんだから、資格があるかも知れないよ」
「第四も観察でしょう?」
と僕は果しがないから先廻りをしてやった。すると他が右と言えば必ず左と言うお父さんは、
「いや、違う。第四は想像力だ。想像力で観察を纒めるのさ」
と早速方向を転換して、
「お鶴や、お母さんは何を喰べても一番甘いでしょうと言ったのはこの子だったかな?」
とお母さんに話しかけた。
「この子でございますよ。鶴なら喉が長いから、羊羮がいつまでも甘いだろうと思ったんですね。小さい時から喰い意地が張っていましたわ」
「兎に角五ツや六ツの子供にしては豪い想像力だよ」
「あなた、そんなことを仰有って奨励なすっちゃ駄目よ。好い気になって決心を固めてしまいますわ」
とお母さんは小説家は何処までも不賛成だった。
「お母さん、小説家だってお金が取れれば宜いでしょう?」
と僕はお母さんに安心させる必要を感じた。
「私だってお金のことばかり考えてはいませんよ。お前が自分で喰べて行けないようでは困ると思って、それを案じるんです」
「お金が取れるんですよ、小説家は。スコットって人は十何年間というもの毎日毎日五十磅入ったそうです。五十磅は日本のお金なら五百円です。三五十五で月に一万五千円、年に十八万円になります。それが百年前のことですから、今のお金にしたら大変なものでしょう」
「西洋のお話は通用しませんよ。お前もお父さんも悪い癖で、少し後ろ暗いと直ぐ彼方のことを持って来ます」
とお母さんはちゃんと知っている。
「恐れ入った。しかし源太郎はナカナカ研究しているんだね」
とお父さんは笑っていた。
お母さんの期待に背いては申訳ないが、生計さえ立てば宜いと仰有るのを力に、僕はそのまま引き退って、先ず観察から修行することに肚を極めた。しかし入学試験という大役を控えているから、無論片手間である。幾何や代数に人間という更に不可解な科目が加わったので、昨今急に忙しくなった。電車に乗って学校へ行く途中も修行を忘れない。第一から第三まで観察だから、小説家も骨が折れる。
気をつけて見ていると種々《いろいろ》のことが目に映って面白い。僕は切符の持ち方にも乗客の社会的地位に従って夫れ夫れ異った方式のあることを発見した。例えば乗換券を巻いて煙草のように耳に挾んでいるものがある。それでも落す虞があると思ってか、耳の穴へ※ 入しているものもある。一人、割引券に唾をつけて郵便切手のように額に貼っている男があった。こんな奇抜な持ち方をする連中は大抵労働者階級である。何処までも身体を使う。然るに所謂知識階級に属する洋服は皆チョッキの上隠しから切符を覗かして、新聞の三面記事に専ら頭を使っている。いくら込み合っても、上役でも来ない限り、貧乏揺ぎもしない。婆さんに席を譲るのは却って無学な労働者だ。何も彼も将来想像力で纒める材料と思って、僕は始終観察している。
斯ういう心掛けだから、郷里から久作さんが東京見物に出て来た時、僕は二つ返辞で案内役を承わった。いつもなら御免蒙る。柄の余り好くないのと一緒に歩いていて学校の友達に会うと気が引ける。
「君、昨日の紳士は君の叔父さんかい?」
なぞと翌日冷かされる。殊に久作さんは難物だ。大叔父さんの家の小作人で、この夏お祖父さんが帰郷中鮎釣で懇意になったのだそうだ。四十歳の今日まで村から五里と出たことのないのを、その折の勧誘に従って、お祖父さんを頼りにひょっくりやって来たのである。
「よく家が分ったね」
とお祖父さんは何よりも先ず感心した。
「俺は人を恐れないだから一々訊きますわ」
と久作さんは得意だった。成程、話の模様によると、電車も一番近いところを乗って、停留場から一直線に来ている。
「まあまあ、ゆっくり見物するさ」
とお祖父さんは珍客を寛ろがせた。
久作さんは手土産の干鮎を並べて、そのまま離れで話し込んだ。僕はお祖父さんが獲物だと言って持って帰った鮎は皆この小作人が釣ったのだと初めて承知した。老人はナカナカ狡い。夕食後久作さんはラジオを聴きに茶の間へ来て、皆と近づきになった。
「お郷里でもラジオをおやりでしょうね?」
とお母さんが訊いた時、
「はい。旦那はんのとこにありますから、驚かないです」
と答えた。何も此方は驚かす積りでもないのにと思っていると、
「郷里からお出になると此方は随分賑かでしょう?」
とお父さんが社交辞令に努めた。それに対して久作さんは、
「はい。東京駅へ着いた時は大勢いましたが、俺はこの通り人を恐れないだから、トットッとおっ走って来ました」
と応じた。大分変っている。東京へ度胸試しに来たようだ。
翌朝久作さんは驚かない理由を半ば説明した。
「坊ちゃんの御案内は恐れ入りますが、俺は人を恐れないだから安心して下さい。一々大口を開いて驚くと見づらいからと郷里の大旦那はんに断られて来たですに」
「今日は日曜ですから閑です。彼方此方ゆっくり見て歩きましょう」
と僕は間もなく久作さんを伴って玄関へ出た。
「久作さん、あなたお帽子は?」
とお母さんはその辺を探し廻った。
「俺はシャッポは嫌いでがんす。頭痛持ちで被りませんわ」
と久作さんは郷里から無帽で遥々やって来たのだった。
「困るなあ」
と僕は帽子を被らない紳士のお供をして友達に会うのを恐れた。
「久作さん、お郷里と違って東京は帽子を被らなくちゃ出られませんわ」
とお母さんはお父さんの古帽子を出して来た。久作さんはそれを被ったが、スッポリと眉まで入ってしまった。頭を使わない人の頭は頭を使う人の頭ほど発育していない。僕は新聞を折り込んで調節してやった。
「山がないですなあ」
と久作さんは外へ出ると直ぐに周囲を見廻しながら言った。
「東京に山があっちゃ溜りませんよ」
「山のないのは心細いものですな。何だか身体がふうわりふうわりするようだ」
「そんなこともありますまい。帽子の具合が悪いですか?」
と僕は久作さんが帽子を小脇に抱えているのに気がついた。
「いや、頭痛がすると悪いから取ったり被ったりして行くだ」
と久作さんは又被ってくれた。
停留場で電車を待っている一寸の間に、僕は久作さんの姿を見失って吃驚した。煙草でも買いに行ったのかと思って引き返そうとすると、向う側の脇道から帽子を抱えて駈けて来た。
「何うしました?」
「今深井の与平が彼方の電車から降りたようだったから、追って行ったが、ナカナカ足の速い手合だ。何処かあの辺へ入ってしまいました」
と久作さんは息をはずましていた。
「それは人違いでしょう?」
「いや、与平は東京だか横浜だかへ来ているだ。俺に借りがあるだ」
「然うですか。あ、電車が来ましたよ」
と僕は注意したが、これは骨の折れる御案内だと思った。銀座や浅草あたりへ行けば深井の与平さんに似た男が何人いるかも知れない。その都度チョコチョコ駈け出されては遣り切れない。
電車に乗って二町場と走らない中に久作さんは、
「電車は郷里にもあるだあから驚かにゃあだ」
と僕に断った。驚かなくとも宜いから黙っていて貰いたい。殊に僕と二人きりになったら、言葉も余所行きをやめてしまった。
泉岳寺を見物した時も、僕に散々説明をさせた後、
「義士の墓がある丈けのこんだから驚かにゃあだ。郷里の東光寺の方が余っ程大い。鳩も余計いる」
と言った。鳩なんかを目安にされては案内者も張合が抜ける。斯う驚かない驚かないと一々断られると、此方は意地にも驚かしてやりたくなる。
僕は新橋で下りて銀座を見せることにした。尾張町まで歩いた時、
「何うです? 賑かでしょう?」
と感想を伺った。
「大勢いるから賑かには相違にゃあだが、俺は人を恐れにゃあだ」
と来た。これは建築物を利用するに限ると思って、僕は久作さんを松屋へ連れ込んだ。二階三階四階と引き廻して竟に屋上へ出た折、
「随分高いでしょう?」
と言って顧みた。
「裏の坊主山の方が高いだに」
と答えて、久作さんは更に驚かなかった。尤も驚かない覚悟をして来ているのだから仕方がない。
「ここからは東京中が見えますよ。上野はこの真直ぐです。浅草は彼方です」
と僕はこれから行先を指示した。
「三越も見て行くべえ」
「あの塔のあるのが三越です」
「ははあ、あれが東京駅だね?」
「然うです。宮城も見えましょう?」
「お昼は帝国ホテルへ寄ってライスカレーでも食うべい」
と久作さんはナカナカ東京に通じている。
「もう下りましょうか?」
と僕は久作さんを促してエレベーターへ入った。
「この機械は郷里の田原屋にもあるだから驚かにゃあだ」
と久作さんが言い出した。それがギッシリ詰まっているエレベーターの中だから僕は尠からず辟易した。しかし久作さんは頓着なく、
「お誂えを載せて料理場から二階へ吊り上げる仕掛だ。ツルツルツルとな。そら、もう止まった」
とやったので、皆噴き出してしまった。
僕達は松屋から三越へ志した。京橋日本橋と久作さんは相変らず帽子を小脇に抱えてテクテク歩いた。
「あの巡査は何をしているだあね?」
と久作さんは橋向うの交通巡査を指さした。
「あれですか?」
と僕は考えた。今度こそ驚かしてやる積りで、
「あれは真正の巡査じゃありません。電気仕掛けの活人形です。そら、ラジオがかかった。躍りますよ」
と言った時、交通巡査は又躍り初めた。彼処のは東京中で一番よく躍る。
「何だって往来の真中で躍るんでがんす?」
「交通整理です。御覧なさい。自動車の通って好い時と悪い時をラジオ仕掛けであの人形が知らせるんです」
「成程、流石は東京だな。驚きましたよ」
と久作さんは漸く驚いてくれた。
しかし僕の驚く番が直ぐに来た。というのは三越へ入るか入らないに久作さんがひっくり返ってしまったのである。
「久作さん久作さん」
と僕は恥も外聞も観察も忘れて呼び叫んだが、目を白くしていて正体なかった。
「癲癇でしょう? 泡を吹いています」
と久作さんの頭へ草履を載せてくれた人もあった。
「救護所へお連れ申しましょう」
と店員達が来てくれた。その親切な介抱で久作さんは間もなく正気づいた。
「何うですか?」
「もう確かです。俺はもう郷里へ帰りたい」
「兎に角家へ帰りましょう」
と僕は自動車を頼んだ。又ひっくり返られては溜らない。
「山が見えない所為に身体がふうわりふうわりするところへ帽子を被ったもんだから……」
と久作さんは言ったが、家へ着いたら卒倒した理由が悉皆分った。郷里の大叔父さんから手紙が来て、
「……追白、久作は人癲癇が持病の由につき何卒そのお積りにて願上候」
とお祖父さんが読んだばかりのところだった。人を恐れないだからと頻りに虚勢を張ったのは当人も持病の人癲癇を気にしていたのだろう。
「矢っ張り山がないと気が落ちつきませんわ」
と言って、久作さんは泉岳寺と松屋と三越の入口を見物した丈で翌朝郷里へ帰ってしまった。
愛孫
「浩二は悧巧だ。目から鼻へ抜けるというのはあの子のことだろう。迚も七歳や八歳の智慧じゃない」
とお祖父さんは口癖のように仰有る。家のものばかりでなく、碁の客謡曲の相手までが三度に一度は愛孫の逸話を拝聴させられる。
「あんな風でいて浩二はナカナカやさしいところのある子だよ。お祖母さんは目が悪いからってね……」
とお祖母さんも一度針へ糸を通して貰ったのを、幾度にも吹聴する。同じことをいってもしても、一番年下が一番褒められる。これが郁子敏子千代子の面々少々不平である。殊に自分達は女だからという僻みも聊か手伝っている。
「年を取って愚に返っているんだわ。それであんな赤ん坊見たいなものの言うことばかり感心するんだわ」
「お祖母さんに糸を通して上げたことなら私の方が余計よ。何を頼まれたって、私、厭やな顔をしたことなんか一遍もありませんわ」
と上の二人は時折憤慨する。
「私、浩ちゃんと喧嘩すると屹度私が悪いんだわ」
と千代子も相応言分がある。唯二つ違いで好い遊び相手だけれど、お弾き玉一つのことでも片一方の旋毛が曲るとやかましくなる。
しかしお祖父さんにしてもお祖母さんにしても孫は何れも皆憎くない。一様に可愛い。一視同仁だが、唯一番小さいのに一番余計に惹かされるのである。斯ういう傾向は何処の家庭にも認められる。謂わば人生の行路の終点に達した年寄はその出発点に近い孫ほどいとしいのである。
秋も大分更けた或日曜の午後、お祖父さんがお茶の間へノコノコと入って来て、
「お鶴や、浩二は実にうまいことを言うよ。俺は感心してしまった」
とお母さんに話しかけた時、敏子は郁子の袖を引いた。
「姉さん、又始まってよ」
「浩ちゃんは真正に徳ね。何を言っても褒められるんですもの」
と郁子も囁いた。
「まあ、何を申しましたの? 又お祖母さんの悪口じゃありませんの?」
とお母さんはお仕事の手を休めた。
「あの子は親父に似て悪口も上手だが、今日のは然うじゃない。俺は感心した。隠居へ来て火鉢の側へ坐っていたが、間もなく『お祖父さんお祖父さん』と俺を呼んでね……」
とお祖父さんは煙草の灰を落す為めに言葉を途切らせた。
「それで感心なすったの?」
と敏子は早速第一矢を放った。郁子と目くばせの中に今日は攻勢を取ることと相談が定ったのである。僕は側から仔細に打目戍っている。平常は学校と入学試験準備に忙しくて、日曜大祭以外には例の観察修行の暇がない。
「いや。火鉢のところに坐っていて、『お祖父さん、この鉄瓶がお父さんなら、この銅壷はお母さんね。二つで夫婦のようね』と言ったのさ。俺は悉皆感心してしまった」
「あら、それぐらいのことなら何処の子でも言いますわ」
と今度は郁子が勘定高く出た。
「いや。ナカナカ然うは言えないよ。この鉄瓶と銅壷を見ても分るが、如何にも調和が好い。何方にも苦情はないようだ。円満な夫婦らしい。俺も年来そんな感じがしていたのだけれど、浩二に言われて、成程と思い当ったのさ。負うた子に浅瀬を教えられるというのはこのことだよ。鉄瓶と銅壷を夫婦と見立てたところが宜い。それじゃこの火鉢は何だろうと訊いたら、『火鉢は男でも女でもない』と答えた。そこで俺は又感心した」
「よく感心なさるのね」
と敏子は策の施しようがない。
「いや。お前達は知るまいが、独逸語では名詞が男性女性中性の三種類に分れている。英語と違って複雑だからね」
「仏蘭西語も然うですってね?」
と僕が口を出した。僕は英語をやっているし、お父さんも英国贔屓でロンドンタイムス以上の新聞は世界にないと信じているのだから、独逸ばかり豪いように言われると好い心持がしない。
「仏蘭西語は男性と女性丈けだよ。独逸語より簡単だ。つまり浩二は独逸式に品物を見ているから豪いのさ。矢っ張り頭が好いんだね」
とお祖父さんは少尉か中尉の頃独逸へ留学したことがあるから、大の独逸贔屓だ。何しろ前のカイゼルが未だ皇太子時代でビスマルクもモルトケも生きていたというのだから身に沁みている。欧洲大戦争の折も最後まで独逸が勝つと信じていた賢明な陸軍将校の一人である。
「大変むずかしいんでございますわね」
とお母さんは誰が褒められても嬉しがる。
「何処へ行ったね? 浩二は」
「庭で千代子と遊んでいましょう」
「然うかい。成程、声が聞える。ああいう悧巧な子は殊に教育が大切だよ。あのまま発達して行けば豪いものになる。まあまあ余り褒めて慢心させないことだね」
とお祖父さんは自分のことを棚に上げて、
「ははあ、郁子も敏子も鳴りを静めたね。独逸式に恐れ入ったと見える」
と諢った。
「恐れ入りもしませんけれど、確かに低能じゃないわね」
と郁子は譲歩した。
「お祖父さん、泥棒を獣と思っていたのも矢っ張り独逸式でしょうかね?」
と敏子は納得しなかった。次女は家中一番の不平家である。兄もあれば姉もある。妹もあれば弟もある。有らゆるものを持っているのが却って苦情の種になる。上も割が好く見え、下も徳のように考えられ、真中の自分丈け何うも損をするように思い込む。
「あれは間違さ」
とお祖父さんは敏子を賺める積りでニコニコした。
「間違でも浩ちゃんなら笑われませんのね。徳だわ」
「でも子供だからさ」
「お祖父さんはあの時お褒めになったわ。道徳的な間違で迚も無考えな子には出来ない間違だって仰有いましたわ」
と敏子が畳みかけた。
「能く覚えているのね。お前に理窟を言われるとお祖父さんは迚も敵わない。筋路が通っているからね。それに物覚えの好いことではお前が一番だよ。家の子は皆何処か豪いところがある」
とお祖父さんは総花主義を取らなければならなかった。
「あら、狡いわ」
「いや、真正だよ。物覚えの好いくらいなものは気転も利く。俺は実に感心しているんだが、大きいから褒めないのさ」
「嘘よ」
「嘘じゃない。真正さ。お祖母さんもお前が一番頼みになると言っているよ」
「敏子さんは睨んで笑っているわ。そら、又笑った」
と郁子が冷かした。
「厭やよ、姉さん」
と、しかし敏子はナカナカもって厭やでない。覚えず相好が崩れている。
「敏子さん、あれを申上げましょうか?」
「何?」
「あなたの長所よ」
「厭やよ厭やよ」
「宜いでしょう? 悪いことじゃないし、お祖父さんの仰有る通りですから」
と郁子は頻りに話したがった。
「何だい?」
と僕は促してやった。
「敏子さんはこの間学校の調査表に面白いことを書いたのよ。自分の長所は気の利いていることですって」
「でも先生が思う通り正直にお書きなさいと仰有ったんですもの」
「だから宜いじゃありませんか? お父さんが寝転んで新聞を見ていなさると直ぐに枕を持って行って上げるのは自分ですって」
「宜いわよ、そんなことまで言わなくても」
「それはお母さんも見ているけれど敏子丈けよ。郁子は知らん顔をしていますわ」
とお母さんは敏子の長所を認めた。郁子は女学校に入ってから殊に雑用を厭う。
「敏子は真正に親切ものだよ」
とお祖父さんも共鳴して、敏子は頓に評判が好くなった。
「でも学校へ報告することはないわ」
「でも正直に書いたんだわ」
「書こうと思って心掛けるんでしょう?」
「そんなことがあるもんですか」
と内輪揉めが始まる。
「それっきりかい?」
と僕は進行係りを勤める。
「未だあるのよ。敏子さん、宜いこと?」
「知らないわ」
「短所は少し生意気のことですって。これは真正ね」
と郁子は悉皆素っぱぬいてしまった。
「宜いわよ」
「生意気なことはないさ。しかし弟が褒められると怒る癖がある。それは書かなかったのかい?」
とお祖父さんが笑った。
「そんなこと誰だって当然ですわ」
「何故?」
「弟ばかり褒められて好い気持のする人があるもんですか」
と敏子は根本問題に触れた。
「それだからお祖父さんもお祖母さんもお前を褒めているのさ。宜いだろう?」
「でも浩ちゃんとは褒め方が違いますわ」
「ホホホホ。敏子にも然う見えますかね? 催促して褒めて貰っても詰まらないわね」
とお母さんが同情したので、
「追々《おいおい》旗色が悪くなって来るようだから退却としよう。もうソロソロ杉山さんが見える時分だ」
とお祖父さんは逃げ腰になった。
「今日はお謡曲の日でございましたかね?」
とお母さんが尋ねた。
「然うだよ。やかましいかな?」
「いいえ、結構でございますわ。一度先生に御ゆっくりして戴きたいと思って居りましたが、何なら晩のお支度を致しましょうか?」
「然うさね。斯うっと……」
「別にお構い申上げませんから、些っとも面倒はございませんのよ。あの方御酒は召し上りますか?」
「大に召し上る方だが、ここを済ましてもう一軒男爵家とかへ廻るらしいから、酔わせない方が宜いだろう。今度都合を訊いてからにしよう。お正月でも宜い」
と言って、お祖父さんは離れへ帰って行った。
浩二はこの通り姉や妹の間に問題を起すくらい年寄の愛を恣にしている。お父さんお母さんに於ても小さいものは余計目をかけるのは自然の情愛である。随って浩二の言行には逸話となって伝えられるものが多い。泥棒を獣と思い込んでいたのは敏子が今しがた引き合いに出したほど顕著な実例である。それは震災の年の夏だったから、もう三年前のことになる。或晩お隣に泥棒が入った。その際家のブル公が立てた功績は特筆大書に値する。現にその翌日「ブル公さまへ御礼」として牛肉が二斤台所へ届いた。ブル公は善隣の誼みとして生垣の隙間から入り込み頻りに吠え立てたのである。泥棒は拵えた包を置いたまま逃げてしまった。お宅は無事かという見舞ながらの注意があったので、僕達は夜が明けると直ぐにお隣りへ見に行った。
「大きな足跡だね」
と僕は縁側の彼方此方に泥足の跡を認めて探偵気分になった。
「座敷にもある。二人らしい。ブル公が吠えてくれなかったら酷い目に遭うところだったよ」
と文一君はブル公の頭を撫でながら未だ怖がっていた。
「人間の足跡と同じね」
と浩二は不審を起した。
「人間だもの、泥棒は」
と僕が教えてやると、
「人間かい、泥棒は? 驚いたなあ。僕は獣だと思っていた」
と浩二がませた口調で云ったので、皆大笑いをした。
「然うですね。大人でも泥棒は人間とは思いませんよ。坊ちゃんは穿ったことを言う」
と文一君のお父さんは感心した。
しかし浩二に於てはこれは冗談でも洒落でもなく、正直正銘な思い違いだった。道理でその前から、
「泥棒と犬とは何方が強いだろう?」
というような質問があった。
「動物園なんかへは入らないだろうね?」
とも訊いた。これは獅子や虎がいるからという意味だったろうが、僕は単に、
「無論あんなところへは入らない」
と答えて置いた。尚お昼間は隠れていて夜出て来るとか犬が好んで追っかけるとか聞いていたから、蝙蝠や猫の類を思い浮べたに相違ない。
「戸がこれっぽっち開いていても入って来るって言うんだもの」
と浩二はその折顔を赤らめて思い違いの説明をした。泥棒を知らなかったのを恥じさせる社会は呪われている。盗心ということを度外視すれば、何うしても人間業とは考えられない。想像は自然何か特に有害な動物の上に及ぶ。
「間違にしても意味深長だよ。聖賢の教訓を含んでいる」
と言って、お祖父さんは無論敬服した。斯くてお隣りへ入った泥棒は一物も得なかったが、浩二に梁上の君子の概念を与え、家のブル公の声価を四隣に高からしめた。
さて、そのブル公が今し喧しく吠え始めた。ブル公は人を見たら泥棒と思う。入魂でないものは念の為めに一応吠える。
「誰だろう?」
と僕は責任を感じて早速玄関へ出て見た。
「坊ちゃん坊ちゃん」
と謡曲の先生の杉山さんが門を少し開けたまま入り兼ねて浩二を呼んでいた。浩二もブル公が喧嘩をすれば泣いて騒ぐ方だから、声を聞きつけて飛んで来たのだった。僕が叱るとブル公は直ぐに静まった。
「自分で思っているほど人相の好くない証拠ですな。毎度吠えられます」
と先生は能く冗談を言う。
「いいえ、未だお馴染みにならないからです」
と僕は花を持たせてやった。
「さあ、どうぞ。又吠えられましたな。取次がなくても分ります」
とお祖父さんは出迎えて杉山さんを吠えられるに定ったものと認めている。
「犬嫌いは何処へ行っても吠えられますが、お宅のは殊に恐れます。普通のと違って顔も体躯も真四角ですからな。それに隈取りになっていて相が悪いです。無論洋犬でしょう?」
「ブルですよ」
「ブルと申しますと?」
「ブルドッグです」
「ははあ。ブルドッグと申すのは洋犬のことですか?」
「英国産です」
「英国ですか? 国丈けは合っています。いやはや、私はお蔭で一つ学問をしましたよ。矢っ張り口は利いて見るものですな」
「何うなさいました?」
「私は欧洲戦争当時からブルドッグを英国の将軍だとばかり信じ切っていましたが、犬とは驚きますな。一大発見です。道理で時々辻褄が合わないと思いましたよ。いやはや、感心いたしました」
と杉山さんは扇子をパチパチさせながら離れへ通った。
「オホホホホホ」
と郁子と敏子は申し合せたように忽ち畳に突っ伏した。
「聞えますよ」
と制したお母さんも怺え兼ねてクックと笑い始めた。
僕はこれは一寸面白い観察が出来ると思って、そのまま勉強部屋へ戻った。
「英国の将軍なら間違にしても多少道理がありますよ。ブルドッグは英国の将軍と同じことで押し出しばかりです。迚も日本の土佐犬には敵いません」
とお祖父さんは一笑いした後、国粋論を持ち出していた。一騎討ちなら英国が独逸を負かす筈はないという信念がブルドッグ将軍の話で再び呼び覚まされたのである。熊谷は坊主になっても軍馬の物音を聞いて木魚を叩き破ったというが、独逸仕込みは退役になっても独逸仕込みだ。何彼につけて英国が憎い。不幸にして独逸にはブルドッグに匹敵する犬がいないから、土佐犬を担ぎ出したのである。
「当時は横文字流行ですから、私のような昔ものは戸迷いを致しますよ。薬一服買いに行ってもまごつきます。この夏も男爵邸の植物園で一大発見を致しました」
と杉山老は能く大発見をする人だ。
「ははあ」
「ダリヤが大層美事な出来でしたから褒めますと、御前は来春球根を進呈しようと仰有いました。私は謹んでお礼を申上げました。しかし彼方此方見廻っている中に『ダリヤ』(和名天竺牡丹)という札が目につきました。『御前、ダリヤは天竺牡丹でございますか?』と質問に及びますと、『然うさ』という御返辞。天竺牡丹なら昔から日本にありますから、いくら無学な私でも能く存じて居ります。些っとも恐縮する筋はありません。羽織袴で天竺牡丹の化物を拝観したと思ったら馬鹿馬鹿しくなりました。何うも横文字って奴は虚仮威しでいけません」
「成程、面白い御観察ですな。何も彼も西洋崇拝で癪に障ることだらけですよ」
とお祖父さんは思う壷だった。
「料理にしてもフライが天ぷらだったりマカロニが饂飩だったりしますから、現物を見ない中はうっかり感心出来ません。羊頭狗肉、実に油断のならない世の中です」
「西洋でも独逸あたりは違いますが、英米崇拝ですから困ります。英米のやることなら何でも好いと思っているから始末に負えません。あなたは麻雀を御存知ですか?」
「あの支那の博奕ですか?」
「支那の博奕は厳しいですな。あれがこの頃流行でしょう?」
「大流行です。余程面白いものと見えますな。男爵家なぞはお花見から麻雀へ宗旨換えをなさいました」
と杉山さんは何かというと男爵家だ。
「支那人の発明としては碁に次いで面白い勝負事です。支那では、上下を通じて昔からやっています。日清日露の戦争以来日本人は随分彼方へ入り込みましたが、麻雀をやったというものは聞きません。下等なものと見括っていたのです。然るに一度英米に流行り出すと、何うです、猫も杓子も麻雀でしょう? 不見識な話じゃありませんか? 隣国の娯楽を直接輸入する鑑識力がない。英米の折紙つきで初めて採用する。何でもこの調子ですからね」
とお祖父さんのお談義はナカナカ長くて謡曲の稽古は容易に始まらない。独逸を打ち負かした主力は英米である。
厄年
或日学校の帰途、例によって電車の中で観察修行を心掛けていると、真正面の席に腰を下した二人連れの洋服が早速話し始めた。
「何を言っていやがると思ったが、四十の声を聞くと矢っ張り違う。無理が利かない。身体が大儀になったね」
と訴えたのは大男だった。
「未だそんなこともないでしょう」
と応じた相手は少し若かった。
「いや、争われないものさ。何を食っても二人前が漸くだからね」
「二人前いければ沢山じゃありませんか?」
「もとは三人前だったが、この頃は物によると二人前が怪しい。人間も食えなくなっちゃ駄目だよ」
「理想が高いんですな。私なぞは一人前が漸くで、それが食べられない時には何うかしているんです」
「そこさ。要するに人間は食えるか食えないかの問題だね。無暗に食った時代には一晩や二晩徹夜しても平気だったが、この頃は能率が下ったよ」
と大男は至極簡単な人生観を持っている。
「今でも随分御元気じゃありませんか?」
と若い方は下僚と見えて言葉使いが丁寧だった。
「いや、昔日の面影なしさ。早い話が、風邪をひいても、こんなに何時までもぬけない。ゴホン、そら、咳が出たろう? 以前は牛肉を一斤食って熱燗を一本ひっかければ直ぐに治ったものだ」
「豪傑でしたな」
「その頃は君の方の課長の川口君と我輩が両大関さ」
「川口さんこそ昔日の面影がありませんな」
「我輩より二ツ三ツ上だもの。能率がグッと下っている。あれ丈けの元気があったから、あれまで漕ぎつけたのさ」
「この頃の人間は迚も課長級まで出世が叶いませんな」
「そんなこともなかろうが、川口君は実に能く食ったよ。或晩役所の帰りに二人で精養軒へ寄って定食を食ったが、銀座へ出て来ると、先生、甘いものが食いたくなったと言い出した。よろしいと我輩はしるこを附き合ったよ。少時すると、大将、今度は辛いものが欲しいなと謎をかけた。我輩も悟りが早い。川口君の為めに鮨の立食を発起してやった。好いかね。既に定食を食って、しるこを食って、日本橋で鮨を食ったんだぜ」
「盛んなものですな」
「それから腹ごなしに須田町まで歩いたが、今度は期せずして焼鳥屋へ入ってしまった」
「おやおや、未だ足りなかったんですか?」
「これぐらい食ったのが食えなくなったんだから心細い。余程身体が何うかしている。初老だね。矢っ張り、争われないものさ」
と大男は悲観している。
「しかしそれは以前が元気過ぎたからでしょう? 初老になって丁度この頃の私達と同様なんですから、些っとも心配ありませんや」
と若い方は慰めた。
「いや、他にも種々《いろいろ》と思い当ることがあるんだよ。例えば昨今は朝早く目が覚める。これが甚だ宜しくない。元来お互人間という奴は怠けものに出来ている。未成品の子供の間は兎に角、大人になれば朝寝坊が本式さ。それが努力もしないで六時に起きたり七時に起きたりするのは決して好い徴候じゃない」
「早くお休みになるからでしょう?」
「朝が早いから自然夜も早くなる。それに尾篭な話だが、小便に起きるからね。初老になると無暗に小便が出る」
「そんなものですかな」
「我慢が出来ない。無理が利かなくなった証拠さ。昔は役所へ行って昼までは坐りっ切りだったが、この節は必ず一度や二度は行く。吸収作用が衰える程度に放出作用が盛んになるから溜らない。君、見給え。こんなに白髪が生えて来た」
「そんなでもないじゃありませんか?」
「いや、可なりあるんだよ。それに脳天が薄くなっている。釜敷のようだと妻にまで馬鹿にされらあ。目だってもうソロソロ鳥目だぜ。日中は人間並みに構えていても、夕方になるとチラチラする。乗換切符をお改め下さいなんて言ったって無理な註文さ。四十くらがりって奴だね」
「そんなに顕著なものですかな?」
と若い下僚は人前があるので上役の雄弁に辟易している。
「食えなくなるから直ぐ分るよ。栄養が廻らなくなれば、彼方此方に故障が起る。学者が何と言おうが、要するに人生は食えるか食えないかの問題さ。君は一人前が漸くかい?」
「漸くです」
「牛肉なら何うだね? 我輩も無理なことは言わない。あれなら誰でも食えるものだ。三人前食えるだろう?」
「精々二人前でしょうな」
「それじゃ牛肉にしよう。そんな若い身空でお上品なことを言っていると、初老にならない中にへたばってしまうぜ。我輩も牛肉丈けは未だに三人前食える。些っと元気を出し給え。出世は寿命の問題だ。寿命は食えるか食えないかによって定る」
と大男は尚お持論を主張して間もなく下りたが、恐らく若いのを牛肉屋へ引っ張って行ったのだろう。
初老とは四十歳の異称と覚えている。こんな熟字が入学試験に出ないとも限らないから、僕は念の為めに辞書を引いて見たら果してその通りだった。しかし初老の内容に至っては研究を要する。然う急に小便が出たり白髪が生えたりするのは、聊か誇張のように考えられた。お父さんは初老が過ぎて厄年である。日本人は年を苦労にする所為か、年齢の別称が甚だ多い。兎に角此年が四十二の本厄、去年が四十一で前厄、一昨年が初老と来ている。余りお芽出度い年廻りでない。
「あなた、此年は厄年ですから殊にお気をつけ下さいよ」
とお母さんも案じているから、或はあの大男の主張通り四十の声に多少の威力があるのかも知れない。他ごとでないと思うと、僕は初老の内容に深い好奇心を持って、お父さんの言行に注意を払い始めた。
就いては食えるか食えないかという根本問題から確めるのが早手廻しと考えて、それとなく心掛けたが、お父さんは元来食物に興味がない。まずければ小言をいうけれど、うまければ黙っている。お母さんも張合がないそうだ。いつまでたっても要領を得ないから、僕は或日のこと、
「お父さん、厄年になると多少身体に影響があるんですか?」
と訊いて見た。
「何だ?」
とこの親切な質問に対してお父さんが僕を睨みつけたのは甚だ案外だった。
「厄年……」
「そんな言葉を使うもんじゃない。お鶴、お前が宜しくない。お前は子供に迷信を鼓吹するのかい?」
「鼓吹なんか致しませんけれど、昔から四十二は厄年じゃございませんか?」
とお母さんは飛んだ行きがかりになった。
「お前は去年一年厄年厄年と言ったね。此年も言う。来年も亦言う積りだろう?」
「でも厄年ですから、仕方ないじゃありませんか?」
「いくら教えても分らないんだね。そんなことで子供の教育が出来ると思うのかい?」
とお父さんは呆れたように言った。
「あなたは何でも一概に迷信と仰有いますが、それでは却って教育になりませんわ。この間もお祖母さんが、逆吃の止まるようにお箸を渡してお湯をお飲みと仰有ったら、浩二は、そんなこと迷信だよとツケツケ申しましたよ」
「それは浩二の言うことが有理さ。逆吃は箸を渡さずに飲んでも止まる。深呼吸をしても止まる」
「けれども年寄が見す見す御機嫌を悪くするじゃありませんか?」
「それは別問題さ。年寄の機嫌を損じないように別に教えれば宜い」
「二重手間になりますのね?」
「教育は何うせ手間がかかる」
とお父さんは少し追い詰められた。
「厄年が迷信か何うかは問題ですわ。私、お医者さまにも伺って見ましたが、矢張り厄年はあるそうでございますよ」
「医者がそんな馬鹿なことを言うものか」
「いいえ、仰有いました」
「誰が言った?」
「佐久間さんが仰有いました」
「あの馬鹿なら言うかも知れない」
「それなら子供が病気の時、何故佐久間さんをお呼びなさいますの?」
「小児科の腕利きだから呼ぶ。馬鹿でも将棋丈けは五段の男がいるからね」
「身体の問題ですから、お医者さまの仰有ることは参考になりますわ。厄年は丁度身体に変化の起る年頃に当るそうでございますよ。それさえ無事に過ぎれば後は六十ぐらいまで大丈夫ですから、矢張り気をつけるに越したことはないと仰有いましたわ」
「前厄本厄後厄と三年網を張って待っていれば何か病気が引っかかるよ。チブスになってやるぞ」
「本気で心配していますのに、あなたは変なことばかり仰有いますのね?」
とお母さんは躍起になった。僕は択りに択って悪い話題を持ち出したものだと後悔して、
「お父さん、初老なら迷信じゃないでしょう?」
と訊き直した。
「初老なら宜しい。その初老が何うした?」
とお父さんも未だ激していた。
「初老になると身体に影響がありますか?」
「それ御覧なさい。子供まであなたのお身体を案じているんですよ」
とお母さんは切り込んだ。
「一向影響しないね。しかし迷信的に影響すると思うんだね、世間の馬鹿共は」
とお父さんは僕を仲介として遣り返した。
「憎らしいお口ね」
とお母さんは忌々《いまいま》しがった。
「まあまあ黙って聴いていなさい。医者に言わせると人間の身体は二十五で成熟する。しかし俺に言わせると人間の精神は四十で成熟する。孔子が不惑と言ったのは案外話せると思っている。俺はこれからだ。昨今殊に然う感じて元気旺盛を覚える。厄年だの初老だのと不景気なことを言ってケチをつけるな」
「安心しました」
と僕はお辞儀をする外なかった。こんな御機嫌の悪い時にはかかり合わないに限る。孔子さまさえ同僚扱いだから、うっかり口を出せば叱り飛ばされる。
ところがその翌晩のことだった。お父さんはいつになく茶の間の長火鉢の側に根が生えて頻りに煙草を喫っていたが、
「お鶴や、俺は大発見をしたよ」
と溜息をついた。
「何うなさいました?」
とお母さんは待ち構えていたように訊いた。
「左の耳が悪くなった」
「まあ? 痛みますの?」
「いや、何ともないが、能く聞えないんだ」
「お上せなすったんでございましょう? 耳鳴りが致しますの」
「いや、聴力丈けの問題らしい。先刻帰って来て二階へ上る時、梯子段の途中で時計を落したんだよ。しまったと思って左耳へ持って行くと果して止まっている。しかし電燈の下で検めたら動いていたから、今度は右の耳へ当てがうと、カチカチ聞えるじゃないか? それから幾度も試めして見たが、左の方は直ぐ側へ寄せなければ聞えない」
とお父さんは説明した。僕は初老が耳へ来たと思った。
「鎌田さんに見て戴いたら如何でしょう?」
とお母さんは早速医者を薦めた。
「見て貰わなくても分っている。聞えないもの。先刻から斯うやって右の方を塞いでいると、お前と源太郎が口ばかり動かしていて面白い。活動写真のようだ」
とお父さんは万事主観的である。この論法で社説を書くのだから遣り切れない。
「暢気なことを言っていらっしゃいますのね」
「考えて見ると左の方はもう長いこと悪いのらしい。電話を億劫がるのもその所為だね。逆だとは気がつきながら識らず識らず右の方へ持って行ったもの。それでも左の耳が遠いとは思わなかった。唯電話が下手だとばかり思っていた」
「あなたは何でも然うでございますわ。御自分のことは何でも初めから好いに定めていらっしゃる」
とお母さんはこの機を利用してお父さんを啓発しようと努めた。
「初めから耳が悪いと思い込む奴もあるまいさ。中耳炎でもやったのなら兎に角。しかし驚いたよ。聾耳とは気が利かない。然うとも知らず、『おい、もっとハッキリ言え』なんて電話で人を叱ったものだ」
「お耳ばかりじゃございませんわ」
「兎角自分のことは分らないものさ。今日は右の手に鞄を持っていたから、左の手で拾って左の耳へ持って行ったんだね。時計を落さないと未だ未だ気がつかずにいるところだった。偶然の発見さ」
「余り香しい発見じゃございませんわね。然う承われば、あなたは以前から聾耳だったかも知れませんよ。私は又お気に入らないことには御返辞をなさらない癖だと存じて居りましたが、真正に聾耳じゃ心細いわ。俄か聾耳は……」
「聾耳聾耳って言うなよ。年寄染みて外聞が悪い。耳が遠いと言え」
とお父さんはナカナカ気むずかしい。
「同じことじゃありませんか?」
「耳の故障と言ったら宜いでしょう?」
と僕は初めて口を切った。
「然うさ。聴覚機関の故障と言って貰おう」
とお父さんは見栄張っている。
「宜しゅうございます。急に来た聴覚機関の故障は早く手当をすれば治りましょう。兎に角鎌田さんに見て戴いて下さいませ。何処かお悪いと、私、気が気じゃありませんわ。年廻りが年廻りでございますからね」
とお母さんは言葉を改めて悃願した。
「又始まったぜ。しかし早速見て貰うよ。別に不便もないが、好い方まで悪くなると大変だ」
「何れくらいお悪いのかここで試して御覧なさいませ」
「よし。何か言って御覧」
とお父さんは右の耳を塞いで身構えた。
「あなた。あなた。聞えますか?」
「そんな大きな声なら聞えるよ」
「聴覚機関は如何でございますか?」
「それぐらいなら聞える。低い声が聞えないんだ」
「厄年でございますよ。お気をつけ下さい」
「…………」
「我武者らを仰有っても通りませんよ」
「…………」
「御自分ばかりお悧巧の積りでしょう?」
「些っとも聞えない」
「聞えそうなことばかり申上げたんですが、矢っ張り余っ程……聴覚機関に故障がございますわ。困りましたね」
とお母さんは予想以上思わしくない結果に行き当った。
「何あに、構うもんか。耳の悪いのは自分の負担にならない。話し相手に大きな声を出させるばかりだ」
とお父さんは負け惜しみを言った。
耳鼻咽喉科の鎌田さんは年来のお馴染である。家の子供は皆お父さんに似て喉や鼻が悪い。片っ端から扁桃腺を切って貰っている。お父さんも時折お世話になる。聴覚機関の故障を発見した翌日は出勤前に寄ったと見えて、晩に報告があった。初老に興味を懐いている僕は無論聞き落さなかった。元来他の言うことの耳に入らない人だけれど、今から聾耳になって社の方が勤らなくては家のものが困る。
「矢張り鼻と喉から来ている。欧氏管というのが詰まっているから聴力が衰えたんだそうだ。試験をして見ると右の半分ぐらいしか聞えない」
とお父さんは故障の次第を話した。
「直きに治りますの?」
「いや。治らない。この上悪くならないように時々鼻から空気を通す外仕方がないんだそうだ」
「心細いんですわね!」
とお母さんは屈託顔をした。
「もう一つ心細いことを発見して来たよ」
「厭やですよ厭やですよ」
「鎌田さんは、お太鼓医者じゃないから、何うしても治らないことを力説する為めに専門書を持出した。その図が馬鹿に細くて目がチラチラする。斯う少し離れて睨んでいたら、『これをかけて御覧なさい』と言って眼鏡を貸してくれた。成程、かけるとハッキリ見える。不思議だから、『これは何ういう眼鏡ですか?』と訊いたら、『老眼鏡の弱いのです』と答えて笑っているじゃないか?」
「するともう老眼でございますの?」
「老眼というほどでもないが、四十を越すと視力が衰弱するそうだ。夜分読書をする時はもうソロソロ弱い老眼鏡を使う方が宜かろうという鑑定さ。専門医に相談し給えと言って、紹介状を書いてくれたよ」
「厭やですわねえ。聾耳になったり、老眼になったり」
「聾耳じゃないよ」
「耳がお悪くなったり老眼になったりして、矢っ張り厄年は争われませんわ」
「老眼じゃない。視力が衰弱したんだ」
とお父さんは老眼もお気に召さない。すべて年寄染みたことはお嫌いである。
「衰弱するのはお年を召した証拠じゃありませんか?」
「衰弱必ずしも年の所為じゃない。若いものの方が余計神経衰弱にかかる」
「兎に角好い徴候じゃございませんわ。年寄並みにお気をつけ下さいませ」
とお母さんはお父さんの若がる癖を戒めた。お父さんは黙って煙草を喫っていた。耳に来た初老は目にも来ている。一言もなかったのだろう。僕は四十の声の威力に驚くと共に、この間の大男を思い出して、
「もう余り御無理をなさらない方が宜いですよ」
と孝子の立場から諫言の必要を認めた。
「皆で老人扱いにするね。無論気をつけるさ。俺一人の身体じゃないんだから」
とお父さんは納得したが、無条件ではなかった。真正の仕事は四十からだと主張した後、
「然う然う、この間彼方の雑誌にこの問題を取扱った論文が出ていた。文学者が一番好いものを書いた年齢は大抵四十二だという統計が挙げてあった。これは俺の考えにピタリと合っている。人間の智情意が円熟する年恰好だからね。厄年がチャンチャラ可笑しい」
と附け加えた。
「兎に角気をつけてさえ下されば結構ですわ」
とお母さんは理窟より実利で、もう逆らわなかった。
「猿が二疋弱っているんですからね」
と僕も自重を願った。
「一疋丈けは益※ 御丈夫ですわ」
とお母さんが笑った。
お父さんの書斎には面白い横額がかけてある。知合の画家に描いて貰ったもので御自慢の品だ。初めて見る人は、
「成程、大内さん、これは如何にも新聞記者らしい心得ですな」
と言って感服する。着想奇抜な墨絵だ。猿が三疋、見ざる聞かざる言わざるの正反対をやっている。一疋は双眼鏡を目に当てている。一疋はラジオのレシーバーを耳に当てている。もう一疋はメガホンを口に当てている。その上に、
何ぞ大に世の非を見
何ぞ大に世の非を聞か
何ぞ大に世の非を言わ
と書いて、さる の二字は絵の猿で利かした積りだ。尚お三猿亭主人と落款がしてある。自分のことだ。他が右と言えば左と言いたいのだから仕方がない。尤も社会の木鐸としては、大に見大に聞き大に言うのは大に宜しい。三猿亭の猿は矢張り三匹共丈夫でいてくれなければ困る。
受験準備
「何うだい?」
「駄目だよ」
と丈けで、昨今は同級生間に意味が通じる。これをJOAK《ジェーオーエーケー》のアナウンサーのように、円く言えば、
「此方は片山文一であります。如何でございますか? 高等学校入学試験準備は捗りましたか?」
「此方は大内源太郎であります。高等学校入学試験準備は未だ一向目鼻がつきません」
となる。同じ教室に机を並べる三十余個の西瓜頭は入学試験以外に屈託がない。
大内源太郎は斯く申す僕で、片山文一は隣家の長男だ。お互は小学時代から同級生だから、真に打ち解けた間柄である。以前は文ちゃん源ちゃんと呼んだものだが、中学校へ入学すると同時に、片山君大内君と称することにした。ついこの間のように思うけれど、もう四年たっている。その折合格の発表を見て家へ帰る途すがら、
「好かったね、文ちゃん」
と僕は同慶の意を述べた。
「好かった。僕達はもう中学生だ」
「無論さ」
「今までとは違うんだから大に自重する必要がある」
と文ちゃんは益※ 得意だった。
「先生も然う言ったよ。入ったと思って油断しちゃ駄目だって」
「それは然うだけれど、僕はもう文ちゃんと呼んでも返辞をしないよ。子供らしくて外聞が悪い」
「片山君」
「何だい?」
「明日一緒に教科書を買いに行こう」
「大内君、然うしましょう」
「ハッハハハハ」
「ハッハハハハ」
と笑って、文ちゃんと源ちゃんはそのままお廃止になった。
あの時分は愉快だった。大難関を突破して後は平々坦々《へいへいたんたん》の積りでいた。尤も入学試験前には相応苦労したものである。課外で毎日晩くまで引っ張られた。家へ帰っても算術の自習書と睨みっこで、寝ても鶴と亀の脚の夢を見た。高等学校の入学試験準備に没頭している昨今は兎角昔を思い出す。矢張り課外が一週に二回ある。その上に英語と数学を習いに行く。帰り途で日の暮れることが度々ある。実に忙しい。
「片山君、一つ息抜きに活動でも見に行こうじゃないか?」
と僕が発起しても、
「然うさね」
と文一君は煮え切らない。
「矢っ張りよそう。その間に幾何でもやる方が宜い」
と僕も実利に就く。
「大内君、出かけようか、久しぶりで?」
と文一君が言い出す時は、
「さあ」
と僕が二の足を踏む。
「厭やかい?」
「行っても宜い」
「大変大変。宿題が残っている」
と文一君はいつもの癖で両手で膝を叩きながら慌て出す。以前は諜し合せて能く行ったものだ。満天下の父兄母姉への参考の為め、その方法を一寸紹介しよう。
「お母さん、片山君のお母さんは僕となら宜いけれど、他の友達とは遊ばせないんですって」
と僕は先ずお母さんの御機嫌を伺う。
「それはお隣り同志で始終交際していますからね」
とお母さんは無論悪い心持はしない。
「お母さん、片山君と一緒に活動へ行っても宜いでしょう? 片山君はお母さんが僕となら宜いって仰有ったんで、門のところに待っているんです」
と僕は直ぐに用件を切り出す。
「この間も二人で行ったでしょう?」
「ええ。断りましょうか?」
「然うねえ。けれどもお前が行かなければ文一さんも行けないんでしょう?」
「ええ」
「まあまあ、文一さんとなら宜いでしょう。他のお友達と行っちゃいけませんよ」
とお母さんは承知してくれる。同時に文一君は文一君で、
「お母さん、大内君は僕なら宜いけれど、他の友達と遊ぶと家で叱られるんですよ」
とお母さんに取り入っている。
「それはお隣り同志で能く分っているからさ。お前も他の人とは余り交際しない方が宜いよ」
と文一君のお母さんも異議はない。
「大丈夫です。けれどもお母さん、大内君はこれから活動へ行くんですって。門のところに待っています」
「源太郎さんが行ってもお前はいけないよ。お母さんが又後でお父さんに叱られますからね」
「それじゃ僕、断って来ます。けれども僕が行かなければ大内君も行けなくなるんですよ」
「約束をしたの?」
「いいえ、大内君のお母さんは僕となら宜いけれどもと仰有ったんです」
「然う? それなら仕方がないからお前も行ってお出。度々はいけませんよ」
「行って参ります」
と文一君も何うやら斯うやらお母さんの許可を受けて来る。
僕達は公明正大を尊ぶ。親に内証で活動写真を見に行ったりしない。僕は級長で片山君は副級長だから、自然同級生の模範になろうと思って自重する。この相互援助法は学校で使う外交政略を活用したものである。例えば運動会の前日なぞは兎角課業が手につかない。皆一時間でも宜いから休みたいという本能性が強くなっている。その際級長と副級長丈けが特に勤勉を主張することは人情として一寸出来兼ねる。悪いことでない限りは多数の意見に従わなければならない。
「頼むよ、大内君」
「片山、行け行け!」
「大内、やれやれ!」
と級友が四方八方から鼓舞激励する。そこで僕は片山君と諜し合せて、恐る恐る教員室へ出頭する。
「先生」
と吉岡先生のお顔を拝借して、
「今日は久保田先生が三時間目を休んで下さいますから、先生も四時間目を……」
と言い淀む。嘘を吐くのでもないが、純正に真実でもないから真に申訳ない。
「休んでくれという註文かい?」
と先生も学生時代にやったと見えてお察しが好い。
「はあ。少し練習しないと負けるんです」
とこれは全然真実だから疚しくない。
「よし、久保田先生が休むなら俺も休んでやろう」
と吉岡先生は承知してくれる。点は辛いけれど話の分る人だ。もう一方片山君は教員室の向う隅で久保田先生を捉えている。両方対決になっては面白くない。
「先生、四時間目に吉岡先生が休んで下さいますから、先生も三時間目をお休みになって下さいませんか? 練習しないと他の組に負けるんです」
「よしよし。吉岡先生が休むなら僕も休もう。大にやり給え」
と久保田先生も休んでくれる。先生は大学を出たばかりだから、学生に同情が篤い。つまり斯ういう具合に両方から快諾を得れば、初めの嘘が真になる。学校は学問ばかり教えるところでないと校長さんも言っている。僕達は学科課程の外にこの種の外交政略の修行もするのである。これは女学校でも然うだと見えて、現に郁子は、
「お母さん、お正月には金紗を一枚拵えて頂戴よ。もう二年生ですもの、銘仙じゃカルタ会へ出られませんわ」
とねだっている。
「二年生から金紗って規則でもありますの?」
「そんなこともありませんが、奥村さんも島さんも拵えて戴くんですもの。私一人肩身が狭いわ」
「お友達が拵えて戴くようなら、お母さんだってお前に引けを取らせたくありませんからね。何でも拵えて上げますよ」
とお母さんは略※ 《ほぼ》呑み込んでいる。もう一方奥村さんは、
「お母さん、校長さんが何と仰有っても皆贅沢なんですよ。大内さんも島さんも最早拵えて戴きましたわ。私、お正月が来てもカルタ会へは上れませんよ」
と言っているに相違ない。島さんも同じく鼻を鳴らしてお母さんを動かす。それからお正月には三人金紗ずくめでお客に行ったり来たりする。三方のお母さんは夫れ夫れ拵えてやって宜かったと思う。相互援助法はナカナカ応用の範囲が広い。
それは然うとして、僕と文一君は断金の友である。相互援助法を用いて種々《いろいろ》画策するばかりでなく、好いことも始終一緒にやる。文一君が僕の家へ勉強に来ることもあれば、僕の方から予習に押しかけて行くこともある。文一君は数学が得意で、僕は英語が少し出来る。二人がかりでやれば何処の試験問題でも解ける。
「何うだい?」
と僕は上り込む。文一君の勉強部屋は玄関の直ぐ隣りだ。
「駄目だよ」
と文一君が応じる。一昨日の晩もそれで、僕達は数学をやっていた。
文一君のお父さんはビールを醸造して世間を酔っ払わせるのを専門にしているにも拘らず、言論をもって世道人心を導く僕のお父さんよりも遙かに謹厳な人である。家庭教育が頗るやかましい。文一君はピリピリしている。すべて実践躬行を主義とする。夕刻会社から帰って来ると着物を着替えて先ず隠居へ出頭し、
「勝之進唯今戻りました」
と言って、お祖母さんの前に平伏するそうだ。まるでお芝居のようですと女中が言っている。随って文一君もナカナカ骨が折れる。学校から帰ると、
「文一唯今戻りました」
とお母さんの前にかしこまらなければならない。僕のように荷物を放り出して、
「唯今!」
の一言で済ませ、
「お母さん何かない?」
と直ぐガツガツするような次第には行かない。
「源太郎は行儀が悪いのね。お隣の文一さんを御覧」
とお母さんは何に彼につけて僕に反省を促す。文一君も苦しかろうが、斯ういうお手本をお隣りに控えている僕も不断の努力を要する。それにお母さんは文一君の好いところ丈け知っていて悉く謹直な片山さんの感化だと思い込むから、例の見ざる聞かざる言わざるの反対を行く三猿亭主人がお気に召さない。
「あなたも些っとお隣りの片山さんの真似をなすったら如何でございますか? この頃は毎晩おそいようだねってお母さんが言っていらっしゃいますよ」
なぞと時折忠告に及ぶ。社務多忙が続くと、お父さんは屹度何か言われる。
「恐れ入った。梅が香や隣りは堅山……堅之進か」
「何でございます」
「いやさ、精神さえあれば毎日出頭しなくても通じている」
とお父さんは誤魔化すけれど、近所に余り謹厳な実行家が住んでいるのも迷惑なものだと思っているらしい。新聞記者は言論家で、必ずしも実行家をもって任じていない。物には夫れ夫れ分業がある。慣れないことを急に始めても柄にはまらない。お父さんが離れの敷居際に平身低頭して、
「浩一郎唯今戻りました」
とやれば、お祖父さんは笑い出すに定っている。
「美しき御機嫌の体を拝し奉り恐悦至極に存じまする」
と尚お形式を主張すれば、お祖母さんはこれは唯事でないと思うから、
「お鶴、お鶴! 兎に角お医者さまを呼びましょう」
と大騒ぎになる。冗談だと言うまでは決して安心してくれまい。親に苦労をかけるのは親不孝だ。家では矢張り以心伝心で年来事が足りているのである。
僕は文一君の立場に同情する。お父さんがこの通りの実践躬行家だから、息がつけない。期待されるところが大き過ぎるので弱っている。半官銀行の頭取か一流会社の重役以下では納得してくれないらしい。しかしそれは遠い将来のことで、差当りは学校の成績である。これが尠からず文一君の頭を悩ます。席次を気にして可哀そうだ。僕は出来ることなら二番になって、文一君を一番にしてやっても宜いのだが、素より試験勉強で持っている芸当だから、うっかり手加減をすると此方が何番まで落ちるか分らない。余り下るとお母さんに叱られる。
尚お文一君には負けても他の奴等に負けたくないという気がある。一年級の時には文一君が一番だったけれど、二年級からは僕が一番文一君が二番で通している。文一君のお父さんは懸賞で僕を抜かせようと努めた。
「世の中は競争だ。お父さんなぞも何うしたら好い品物を格安に供給出来るかと思って、そればかりに屈託している。勉強して他の会社をバタリバタリと倒すくらい面白いことはない」
と教えたそうである。ビールも学問も道理に二つはない。然るに去年文一君が肋膜炎をやってからは諦めたと見えて、
「お隣りは謂わば兄弟会社のようなものだから、もう競争しなくても宜い。しかし他のものに負けちゃいけない」
と言ったと聞く。
文一君は長男だが、僕と違って姉さんが二人ある。弟と妹に至っても五人いるから、随分賑かだ。お父さんが家庭教育に熱心な丈けに、同胞八人皆相応に成績が好い。一番上の姉さんは帝大の助教授のところへお嫁に行った。もう一人片付いても僕の家より未だ一人多いのだから御大抵じゃなかろうと、お母さんは同情している。文一君はお父さんの意を体して弟妹の指導に怠りない。僕はこの夏親しく実地訓練の光景を拝見して、片山さんの用意周到に敬服した。それは文一君が年下一同を引率して動物園へ出掛ける時だった。電車に乗ると文一君を筆頭に年順に坐ったのは長幼の序を守ったものと認めた。やっているな、尤もこれぐらいのことは僕の妹達でもすると思っている中に、文一君はポケットから回数券を出して、
「桜田本郷町乗換え、上野」
と一枚丈け切って貰った。次に直ぐ妹の勝子さんが、
「桜田本郷町乗換え、上野」
と矢張り一枚切らせた。これも女学校の二年生だから不思議はないが、小さい連中の切符は誰が切って貰うのだろうと怪んでいると、続いて四人、尋常一年の喜三郎君まで、
「桜田本郷町乗換え、上野」
と淀みなくやったのに驚いた。一人一人回数券をポケットから出す。その態度が如何にも事務的なので、車掌も満足そうに笑っていた。大人よりも分りが好いと思ったのだろう。
「何故君が一緒に切ってやらないんだい?」
と僕は訊いて見た。
「自治独立の精神を涵養する為めさ。この方が子供も喜ぶよ」
と文一君が答えた。
「能く乗換え場を知っているんだね?」
「地図を便所へ貼って置く」
「成程、それなら迷子になっても独りで帰って来るね」
「実は今日は喜三郎を迷子にするんだよ。尤も僕が見え隠れについて来る。皆は勝子が引率して帰る予定さ」
「豪いことをやるんだね。大丈夫かい?」
と僕は呆れてしまった。
「大丈夫とも。本人も薄々承知で地理を研究している。僕だって尋常一年の時お父さんに須田町で置いてきぼりを食わされたぜ。僕のところの子供は東京中なら何処へ放り出しても平気で帰って来る」
と文一君は澄ましていた。
お隣りで斯ういう緊張した家庭教育を施しているのだから、家のお母さんがお父さんの放任主義に苦情を申立てるのも無理はない。お母さんは高等学校の入学試験には文一君が合格して僕が落第するものと確信している。実際、文一君が僕のところへ来ると寛ぐように、僕は文一君の家へ上ると一種の圧迫を感じる。自分は努力が足らないと思う。それで文一君の勉強部屋を訪れるのは好い刺戟になる。
さて一昨日の晩その文一君の勉強部屋で共々数学に脂汗を絞っていると、お客に来ていたお婿さんがヌッと入って来た。僕は早速かしこまって一礼した。お辞儀もここの門をくぐると緊張して真正の余所行きになる。
「巣鴨の兄さんです」
と文一君が紹介するまでもなく、僕は文科大学の助教授と承知していた。
「何うです?」
と助教授は会釈した。
「駄目ですよ」
と文一君は僕まで代表してくれた。
そのまま話が途切れて手持ち無沙汰が少時続いた後、
「毎日忙しいでしょうな? 同情しますよ。しかし誰でも一度は通る関門ですから、精々突破するんですな」
と助教授が沈黙を破った。
「何点ぐらい取れば入れるでしょうか?」
と文一君が訊いた。
「さあ。少し出来れば入れますよ。千人志願者があっても三分の二は元来問題にならない連中ですからね。実際の競争は三人に一人ぐらいでしょう」
「心細いなあ。その三分の二の中へもう入っているかも知れません」
「何あに、案外のものですよ。まあまあ、精々やるんですね」
と助教授も別に妙案はなかった。
「夜睡くならない法はないでしょうか?」
と文一君は何か秘訣が欲しいのだった。
「睡くなったら寝れば宜いです」
「でも寝れば勉強が出来ません」
「一体一日に何れくらいやるんです?」
「学課が五時間、課外が二時間、先生のところが一時間、夜が七時から十一時までです」
「それじゃ大変だ。十時間以上になる」
「電車の中でも参考書を見ていますから、十三時間ぐらいになります。それでも宿題がやりきれないんです」
と僕が訴えた。
「超人間の努力ですな」
と助教授は驚いたようだった。そこへ文一君のお父さんが入って来た。僕は発条仕掛けのようになってお辞儀をした。
「や、源太郎さんが見えていたんですか? 何うです?」
「駄目です」
と僕は再び頭を下げた。
「文一も駄目だ駄目だと言いますから、重荷に小づけですが、この間から土曜講習へ入れましたよ。あなたは?」
「僕は参りません」
「猛さん、二人揃っているところで一つ大に勉強を勧めてやって下さい。猛さんあたりの御説法は利き目がありますから」
と文一君のお父さんは丁度好い幸いとお婿さんに頼んだ。子供の顔さえ見れば勉強と言う人だ。
「先刻から種々《いろいろ》と承わりましたが、その方はもう充分ですよ」
と助教授は薄笑いをしていた。
「こんなことで宜いでしょうか?」
「宜いですとも。まあまあ、後半年足らずのことですから、身体を悪くしない程度で精々やるんですな。入ってから蒲鉾主義に改めても未だ晩くはありますまい」
「カマボコ主義というと?」
と謹直な片山さんは洋名と思ったらしい。昨今は種々な主義が流行る。
「始終板にへばりついていることです」
と助教授は机を叩いて説明した。矢張りあの蒲鉾だった。
「洒落ですね。勉強はいけないんですか?」
「程度問題です。こんな風に無理ばかりしていると、肝心の専門学科を修める時分には頭が利かなくなってしまいますよ。失礼ながらお父さんは些っと激しいですな?」
「けれども油断をして試験にはねられちゃ取り返しがつきませんからね」
「何あに、一年後れたって一生という大局から見れば何でもないです」
「いや、何でもあるです。俺は年が年ですからな。子供には気の毒だと思いながら、つい急きますわ」
「実はお父さんが文一君を責め殺しはしまいかと思って、それとなく偵察に上ったんです。那美子も頻りに案じていますよ」
「その点は心配ありませんよ。毎日十ずつ玉子を喰べさせます」
と文一君のお父さんは告白した。これによってこれを見れば文一君は僕を出し抜いて土曜講習へ通うのみならず、一日に十も玉子を食って黙っているのだ。競争試験となると刎頸の友も当てにならない。
実世間
「源太郎や、髪が伸びていて見っともないね。散髪に行っていらっしゃい」
とお母さんに注意されてからもう数日になる。月に一度若しくは三月に二度の散髪がいつも斯うだ。刈って来ればサッパリすることは承知していても、廻り合せが悪いと一時間も待たされるからつい億劫になる。
「源太郎は変な顔をしているね。何処か悪いんじゃないか?」
と今朝御飯の時お父さんが訊いた。
「髪が伸びているからでございますよ。この間から催促していますが何だ彼だと申してナカナカ参りませんのよ」
とお母さんは序をもって僕の不精を訴えた。
「行って来ますよ。今日は日曜ですから」
と僕は今はこれまでなりと覚悟した。
「朝の中は込まないから早く行って来ると宜い。貉の子のようだよ」
とお父さんが言った時、
「フフフ」
と郁子が笑った。敏子が食卓の下から膝を小突いたのである。この二人は長兄の形勢が悪いと諜し合せて嬉しがる。好くない癖だ。
「貉の妹やい」
と僕は囁いてやった。
「然う然う。この間彼方の新聞に床屋で卒倒した人のことが書いてあったよ。当然待たされる積りで入って行ったら、椅子が悉皆空いていたので、フラフラッとしたんだね。如何にもありそうなことさ」
とお父さんは今日は朝機嫌が好い。日曜で一日休めるからだ。
「まさか」
とお母さんは本気にしない。
「もう一人電話口で気絶した男がある。チリンチリン、何処そこの何千何百番と言うか言わないに交換手が間違いなくその番号へ接いでくれたものだから、吃驚したんだね。ハッと思ったまでは覚えていると後から言っている。これもありそうな話さ」
「お父さんのように下手な人でしたろうね?」
と郁子が相槌を打った。
「然うさ。お父さんは一度や二度じゃ通じない。サンザ言い直した後がお話中と来る。ところでもう一人ある。此奴は郵便局で頓死してしまった。死人に口なしで、確かなことは分らないが、郵便局に書けるペンが備えつけてあるのを見て胆を潰したのらしい。これは日本でも然うだろう。郵便局に書ける筆のあった例はないからね」
とお父さんはこんな悪口が大好きである。
「真正ね。まるで猫柳ですわ」
と郁子が再び調子を合せた。お母さんはもっと真剣な個人問題でないと相手にならない。
御飯が済んでから勉強部屋の掃除をしていると、
「源太郎や、今日こそは真正に行っておいで。お前お小遣がないんじゃないの?」
とお母さんが態※ 《わざわざ》訊きに来てくれた。
「あります。直ぐ行きます」
と僕はもう退っ引きなく出掛けた。門のところでお隣の文一君に会った。
「お早う。何処へ?」
「散髪」
と文一君は指で鋏を拵えて頭へ持って行った。成程、第一日曜だ。文一君は散髪日が定まっている。第一日曜なら散髪屋の休日に打っ突かることは絶対にないと言ったことがある。何でも几帳面だから敵わない。
「僕も散髪だ。一緒に行こう」
「けれども僕は郵便局へ寄ってこの小包を出すよ」
「宜いとも。附き合おう」
と僕は連れ立った。
「君は散髪屋の競争を知っているかい?」
「知らない。何うしたんだい?」
「今度直ぐそこに一軒出来たろう? あれと河口と競争さ」
と文一君が教えてくれた。
「然うかい。あの親方のことだから大騒ぎだろう?」
「先方は贔屓の金持に資本を出して貰っているんだね。ブルジョアとプロレタリヤの争闘だと言っている」
「豪いことを知っているね」
「あれでも上海まで洋行して来たんだからね」
「それは然うと何うだい?」
「些っとも駄目だよ。数学を一通りやったばかりだ」
「到頭やっちゃったのかい? 豪いな」
と話題は例によって受験準備のことになる。
「ここだよ、今度の散髪屋は」
「ナカナカ大きいね。河口よりも立派だ」
「それで躍起になるのさ。僕達は昔から河口だから河口を贔屓にしてやる」
「無論さ」
「しかしそんなに伸しちゃ贔屓にならないぜ」
「これから月に一度ずつ行ってやる」
「皆で二度ずつ行ってやれば河口が勝つに定っているんだけれども、然うは髪が伸びない」
その河口の前へ差しかかった時、
「おやおや、看板を塗り直したぜ、『民衆理髪軒プロレタリ屋』は振っている」
と僕は踏み止まった。
「プロレタリヤが好きだからね」
「好い塩梅に空いているよ」
「君は先に寄り給え。僕はこの小包を置いて直ぐ来る」
「いや、一緒に行くよ。散髪だ。おや、『近所に偽物あり。御用心』と書いてある」
「彼方のことさ」
「しかし散髪屋の偽物は変だね」
「偽物さ。他の縄張りへ無断で似寄りの店を出したんだもの」
と文一君は何処までも河口贔屓だ。
郵便局に着いて文一君が小包を書留にして貰う間に、僕は不図お父さんの話を思い出して書台の筆を検めた。成程、ひどいのが置いてある。三本とも実用は猫柳と選ぶところあるまい。事務員が使い古して棄てる筈のを備えつけるらしい。逓信省は民衆を一人一人弘法さまと心得ている。随分書き悪かろうと墨汁を含ませて見たのが機会になって、僕は間もなくこの猫柳で厄介な書信を認める運命に陥った。
「もしもし、坊っちゃん」
と折から印半纒を着て手甲を篏めた女に呼びかけられたのである。
「何ですか?」
「恐れ入りますが、ハガキを一枚御足労願います」
「はあ?」
と僕は訊き直したが、
「さあ、何うぞ」
とハガキを突きつけられたので矢張り代筆の依頼と分った。あの筆で書くには実際御足労ぐらいに相当するかも知れない。
「お安い御用です」
「子供衆でないと頼み悪いと思って先刻から待っていましたよ。馬鹿な話でさあ。家の人に逃げられたんですよ」
「御主人ですか?」
「冗談言っちゃいけないよ。私は奉公人じゃない。これでも職業婦人だよ。家の奴が逃げたのさ。亭主野郎さ。酒ばかり食ってのらくらしていやがるから叩き出してやったのさ。けれども真正に逃げられちゃ矢っ張り困るからね」
とお上さんは急に言葉が粗雑になった。
「何と書きましょう?」
と僕は度胆を抜かれて恐る恐る伺った。
「帰れって言ってやって下さい。私も今度丈けは料簡するし、昨夜親方が訪ねて来て建前があるって話だし、何の道帰れって書いてやって下さい」
とお上さんは声が大きい。
そこへ文一君が用を済ませて近寄った。
「代筆を頼まれたんだよ。一寸待ってくれ給え」
と断って置いて、
「拝啓、益※ 《ますます》御清栄奉賀候。昨晩親方お見えに相成り、建前有之由につき、何卒至急御帰宅被下度願上候。先日のことは呉れ呉れも私が悪く、今更後悔罷在候」
と僕が書いた通りお上さんに読んで聞かせた。
「私が悪いことは些っともないんだよ。今更後悔なんかするもんか」
「それじゃ消しましょうか?」
「まあまあ、それで宜いにしましょうよ。あやまると思って、奴さん帰って来まさあ。未だ明いているようだから、もしこのハガキが着かないようなら警察へ手を廻すぞって驚かしてやって下さい」
「着かなければ見ませんから、驚かしを書いても駄目ですよ」
「成程、坊ちゃんは学問がある。それじゃそれ丈けにしましょうよ」
「あなたのお名前は?」
「お由として下さい」
「御主人は?」
「亭主ですよ。新田長吉」
「何処です? 今いらっしゃるところは」
「平塚の踏切、辰さんところ」
「そんなことじゃ届きませんよ」
「大丈夫です。踏切の側の家で私は知っています」
「然うですか。辰さんも困るな。苗字は分りませんか?」
「辰んべえと言う丈けで苗字は聞いたことがありません。矢っ張り大工です。然う然う大辰って言いますよ」
「神奈川県平塚踏切、大辰様方、新田長吉様。大抵行くでしょう」
「御足労さま。実はもう一軒心当りがありますから、もう一本願います」
とお上さんは又ハガキを突きつけた。
「片山君、君一つ書いてやってくれ給え。この筆は実にひどい。首が抜けちゃった」
と僕は援兵を求めた。
「よしよし」
と文一君は承知して、
「何と書きます」
「今の通りで結構です。けれども後悔しているなんて書かないで下さいよ。然う何本もあやまり証文を取られちゃ溜らない」
とお上さんは僕を睨んだ。
「何処ですか? 行先は」
と文一君は表からかかった。
「御殿場踏切」
「皆踏切ですね」
「コウさん」
「さあ、何のコウだろう?」
「コウ二郎ですよ」
「苗字はないんですか?」
「あるには相違ありませんが、存じませんよ」
「職業は?」
「大工」
「皆大工ですな」
「亭主は大工、私はヨイトマケ」
とお上さんは節をつけて言った。
「大工職幸二郎としましょう」
と文一君は初めの方は僕の書いた通り認めて、
「……尚お先日のことは何とも申訳無之、お目もじの上万々お詫び申上可く候」
と読み聞かせた。
「あやまる約束だね。馬鹿にしていらあ」
「他に書きようはありませんよ。何しろ主人ですからな」
「主人主人ってお言いだが、私は坊っちゃん達のお母さんとは違うよ。亭主野郎を一疋養っているんだから、あやまる筋なんか些っともない」
「それじゃ消します」
「消しちゃ失敬だろう? それぐらいのことは知っているよ。まあ宜いさ。坊っちゃん達は男だから、何うせ男の肩を持つ。仕方がない」
「あなたの番地を書いて置きましょう」
「御念には及びませんよ。いくら飲んだくれだって自分の家を忘れるもんかね。何うも御足労さま。これでキャラメルでも買って喰べておくれ」
とお上さんは突如文一君の掌に五十銭銀貨を押しつけた。
「そんなもの要らない」
と文一君は慌てて手を引いた。
「まあ、そんなことは言わないで。真のお志ですよ」
「片山君、もう行こう」
と僕は促した。
「それじゃ無理にとは言いませんが、坊っちゃん、ヨイトマケだって馬鹿にするもんじゃないよ。この風呂敷にはコートが入っている。これでも仕事が済めばこれを着て帝劇の三階ぐらいへ納まるんだからね。その辺の安月給取りに負けやしないよ」
と職業婦人は気焔を吐き始めた。僕達は事面倒と見て取って逃げ出した。
「驚いた」
「豪いものに取っ捉まったね」
「追っかけて来やしないかい?」
「大丈夫だよ」
と言いながらも、僕は振り返って見た。
「時勢が進んだんだね」
「何故?」
「教育のないものにあんな女権論者があるんだもの」
「あれは女権じゃないよ」
「それじゃ何だろう?」
「嬶天下さ」
「同じことじゃないか」
「教育のあるのにもあんなのが随分いるんだぜ」
「然う然う。活動で見たね」
と話は差当り婦人労働者で持ち切った。
散髪屋の間近に来た時、
「君、あの爺さんが入るぜ」
と僕は予感があった。待たされるのが辛いから神経過敏になっている。
「何あに、大丈夫だよ」
と文一君が保証した。成程、その通り行き過ぎたから安心した刹那、爺さんは思い直して立ち止まった。
「いけないいけない」
と言っても最早晩い。クルリと向き直って入ってしまった。僕は散髪屋ではいつもこの手を食う。真の一足違いで三十分も新聞を読ませられる。
「込んでいるようだぜ。君は先に寄れば宜かったのにね」
と文一君は気の毒がった。
「何あに、未だ早いよ」
と高を括って入ったが、実際もう一杯だった。
「好いお天気が続きますなあ」
と一足違いの爺さんは唯一つ残っていた椅子を占領していた。刻限を見計らって出て来たのに踏切の辰さんが祟ったのである。よくよく待たされる運命だ。
「坊ちゃん方お揃いですな。もう直ぐですよ」
と親方は愛嬌が好い。尤もこの男のもう直ぐは三十分から一時間に亙る。
「やあ、これは大分込んでいるな」
とそこへ又一人やって来た。矢張り一足違いだったけれど、此方は一世紀前から待っているような顔をしてやった。
「いらっしゃい。旦那、もう直ぐでございます」
と親方は剃刀を研ぎながら迎えた。
「待つかな」
と新来の客は腰を下した。可哀そうに、僕と文一君が占領しているから、新聞も附録を読まなければならない。
親方は剃りかけた髯に戻って、
「それで今のその策というのは何んな寸法ですか?」
と話の続きを始めた。
「名案だけれど、多少金がかかるぜ。日当が要る」
「何うせ競争ですから、金に糸目はつけませんや」
「大きく出たね」
「何うします?」
「謀事は密なるをもって好しとする。ここで公開しちゃ駄目だよ」
とお客さんは勿体をつけた。
「大丈夫ですよ。皆御贔屓の方ばかりです」
「それじゃ秘伝を授けようか。乞食を狩り集めて来て差し向けるのさ。親類に二人や三人はあるだろう?」
「冗談仰有っちゃいけませんよ」
「これは利くぜ。汚い奴ばかり出入りすれば自然客が落ちるからね」
「成程、考えましたな」
「本職でなくても宜い。腫物のあるのや禿頭病白雲田虫湿瘡皮癬なんてのを見繕って、入り代り立ち代り坐り込ませる。これなら親類にいくらもあるだろう?」
「旦那はお口が悪いなあ。そんなものは皮膚病院じゃないって叩き出されますぜ」
「叩き出せば尚お結構さ。大きな声で呶鳴らせる。人立ちがして近所界隈の評判にならあ」
「はてな」
「何うした?」
「然う言えば先方じゃもうやっていやしないかな。昨日は禿頭病の激いのが一人来ましたよ」
と親方は僕達の方を向いて舌を出した。お客さんは目を閉じていたから冗談とは気がつかず、
「無論断ったろうね?」
と釣り込まれた。
「いや、顔を当って後で見つけたんです」
「厭やだぜ厭やだぜ」
「矢っ張り旦那のこの椅子に坐りましたよ」
「驚かすなよ」
「ハッハハハハハ」
「しかし油断はならないぜ。此方も此方なら、彼方も彼方だろう」
「そこですよ。妙な宣伝をしやがるから癪に障る。俺が大地震の時に人を殺したなんて、途方もないことを言い触らしたのも彼奴の仕業ですぜ」
「ふうむ。何ういう経緯だね? 矢っ張り例の自警団のが露れたのかい?」
「冗談仰有っちゃ困りますよ。人が本気にするじゃありませんか?」
「真剣の話、何うしたんだい?」
「斯うやってお客さまの喉の辺を当っているところへグイッと地面が持ち上ったんで、剃刀が一寸も入って即死したと言うんです」
「気味が悪いね。ああ、地震がなくてくれれば宜い」
「チョクチョク耳に入るから、聞けば聞きっ腹でね、ヤキモキしていまさあ」
「お手軟かに頼むよ。今なら金の無心をされても承知する」
「実際、考えて見ると床屋ぐらい信用のある商売はありませんな。俺は斯うやって旦那の喉笛へ剃刀へ当てがっています」
「よせよよせよ」
「殺そうと生そうと料簡次第だ」
「御道理です」
「毎日毎日やっていて能く殺す気にならないと思うと感心しますよ」
「なられて溜まるものか」
この客が済むと同時にもう一人明いて僕達の番になった。僕達一分刈りは余程廻り合せが好くないと親方の手にかかれない。大切の頭を小僧が稽古台に使う。早かろう痛かろうだ。髪丈けは十分ぐらいで片付く。顔にかかった頃、
「近所に一軒出来たんで、多少影響するだろうね?」
と先刻の爺さんが親方に話しかけた。
「矢っ張りチビチビ食われますな」
「競争なら間違ない法が一つある」
「これは有難い。是非御伝授願います」
「別嬪を置くんだね、別嬪を」
「成程、これは当らず障らずで宜い」
と親方は喜んだ。少くとも乞食を差し向けるよりは実行性に富んでいる。
「俺の若い頃の話だが、近所で矢張り床屋の競争が始まって、専ら値下げをやった。当時散髪料が三銭五厘さ」
「余程昔ですね」
「日清戦争前だったよ。物価が廉かったからね。蕎麦がもりかけ八厘、種物で二銭五厘と来ている」
「成程ね」
「その代り金も取れなかった。巡査の月給が八円」
「それは然うと床屋は何うしました?」
「然う然う。三銭五厘を三銭に下げ二銭五厘に下げたが、果しがつかない。その中に敵の方が別嬪を二人下剃りに使った。すると覿面さ。皆行ってしまった。ワイワイってね」
「旦那もですかい?」
「無論さ」
「頼みにならない人だ」
「同情がないんだね。俺だって昔からこんな年寄じゃなかったよ」
と爺さんは椅子から下りたようだった。
散髪屋を出て家へ帰る途中、
「君、世の中は矢っ張り生存競争だね」
と文一君が溜息を吐いた。
「優勝劣敗さ。働きのない奴はお上さんに追い出される」
と僕は例の職業婦人を思い出した。
「真正だ。ビールなんかも随分競争がひどいってお父さんが言っている」
「新聞だって少しも油断が出来ないそうだぜ。その日の成績がその日に分るんだからね」
「誰でも一生懸命なんだから、入学試験ぐらい仕方がないね」
「皆苦労があるのさ。今朝は一寸実世間を覗いたような気がする。面白かったね」
「面白かった。しかしあのお上さんは怖かった」
と文一君も同感だった。
絹子さんの鼻
烏兎早々《うとそうそう》、年の暮が近づいた。
「もう幾つ寝るとクリスマス?」
と浩二が訊いた時、
「未だナカナカよ。今ッから勘定したって大変よ」
と敏子が笑ったのは、ついこの間のことのように覚えていたが、僕は今日から冬休みになった。当分寛げる。郁子も明日きりだ。以下小学校へ通っているのも、明後日は通信簿、その次がクリスマスだと言って待ち構えている。
お父さんもお母さんも子供を喜ばせるのが大好きだから、基督教信者でもないくせに、クリスマスをやる。その他お祭り騒ぎなら大抵遁さない。それで子供の方も年中行事によく通じている。夏休みが済むと、お月見を楽みにする。それから寒くなるまで当分何もない代りに、クリスマスとお正月とが踵を接して来る。次が年越しの豆蒔きだ。この時はお祖父さんが余興にチョコレートを交ぜて蒔くから、女中まで入って拾う。続いて雛祭り、五月の節句、お盆という順序で、夏休みになると、郷里へ行ったり、海岸へ行ったりする。尚おその間に一人一人の誕生日を祝うから、ナカナカ事多い。
此年は夏からの約束で、郷里の絹子さんが東京のお正月をする為めに一昨日から来ている。大伯父さんとお祖父さんは兄弟で、双方のお父さんは従兄弟同志だから、絹子さんと僕は又従姉弟になる。僕よりは二つ年上で、もう女学校を卒業している。この夏行った時、
「東京へお出になったら方々案内して上げましょうね」
と言って置いたから、僕は少し引き廻してやらなければならない。尤も修学旅行に来て大概のところはもう見ている。
「田舎もの扱いにされちゃ困るわ」
とその折自ら主張した通り、何処へ出しても立派な令嬢だ。久作さんを連れて歩くような心配はない。
妹や弟が学校へ出払った後、
「源太郎や、お前は今日からお休みでしょう?」
とお母さんが念を押した。
「はあ」
「今日はお祖父さんに代って、絹子さんを少し案内して上げてくれませんか?」
「ええ、何処へ行きましょうか?」
「何処でも宜いわ。絹子さんと相談して御覧なさい」
「然うしましょう」
と僕は引受けた。
そこへ離れから絹子さんが入って来た。
「賑か過ぎて落ちつかないでしょう?」
とお母さんが会釈した。
「いいえ。彼方はもっと賑かよ。未だ乳飲みがございますからね」
と言いながら、絹子さんは坐った。
「子供が学校へ行ってしまわないと、碌々お話も出来ませんわ」
「結構でございますよ。何うぞお構いなしに願います」
「昨日は明治神宮でございましたね?」
「ええ、神宮から招魂社と遊就館を拝見させて戴きました。それから帰りに陸軍省と参謀本部へも寄りました」
「日比谷は?」
「参りません。不良少年が出るそうでございますね?」
「まさか」
「でも然う仰有いましたわ」
「お祖父さんは軍人ですから、御案内はいつもあの方面丈けでございますのよ。余り堅過ぎますわね」
とお母さんが笑った。
「私、もう大抵のところは拝見して居りますから、家で遊ばせて置いて戴けば結構でございますのよ」
「今日は源太郎が御案内申上げますよ。源太郎なら何処へでもお望みのところへ参りますわ」
「でもお忙しいんでしょう?」
「いいえ、構いませんよ」
と僕は夏行って世話になるから義理がある。
「然う」
と絹子さんもそれは分っているようだった。
少時話している中に、
「叔母さん、私、叔母さんに御相談がございますのよ」
と絹子さんは薄笑いをしながら言い出した。叔母さんではないけれど、叔母さんと呼ぶ。僕も郷里へ行けば絹子さんの両親を伯父さん伯母さんと言うことにしている。
「何? 絹子さん」
「私、隆鼻術へ行って見たいと思っているんですが……」
「隆鼻術? お鼻ですか?」
「ええ。あれは利かないものでしょうか?」
「さあ、何うですかしら。けれども絹子さんのは些っとも低いことありませんわ」
「いいえ。低いんですよ。始終苦になりますの。此方へ来た序に一つ手術を受けたいと思っていますが、あれは下手なのにかかると却って形が悪くなると承わりました」
「然うですかね。私、一向存じませんのよ。けれども絹子さんのは些っとも低いことありませんわ」
とお母さんは再び保証した。
「低いんですわ。もう少し何うにかなりそうなものと存じますの」
「お母さんは何と仰有いますの?」
「母は旧式ですから無論反対で、それは慾だと申しますわ」
「慾ですよ、絹子さん。そんな好い御器量に生みつけて戴いて、何だの彼だのと不足を仰有ると罰が当りますよ」
「まあ」
と絹子さんは少し赤らんだ。
間もなくお父さんが出勤の支度をして下りて来て、
「絹子さん、今日は乃木神社ですか?」
と諢った。お祖父さんが相手構わずに武張ったところへばかり案内するのを知っているからだ。
「未だ定りませんの」
「今晩は銀座へクリスマスの買物に出かけますからお供致しましょう」
「有難うございます」
「あなた、隆鼻術で信用のある人を御存知?」
とお母さんが訊いた。
「隆鼻術? 鼻かい?」
「ええ」
「絹子さんかね?」
とお父さんはそのまま坐り込んで、
「斯うお見受けしたところ些っとも低いことはないのにね」
と矢張り保証した。
絹子さんは黙っていた。
「私も然う申しているのですが……」
「隆鼻術なら懇意な男がやっていますよ」
「何処でございますの?」
と絹子さんは忽ち乗り出した。
「麹町です。フランス仕込みで素晴らしく流行っていますが、信用は出来ませんな」
「何故でございましょう?」
「フランス仕込みの隆鼻術ということが既に矛盾を示しています。烏の発明した白髪染めも同じことです。彼方の人は元来鼻が高いから殊更隆鼻術なんか工夫する必要はないんです。烏羽玉の黒烏が何を苦んで白髪染を発明しましょうか? 必要のない専門医学が発達する筈はありません」
「でもあれは美容術のようなものですから、矢張りフランスが一番でございましょう?」
「その詐偽師は美容術もやっていますよ。あれなら白粉を塗る丈けですから、念晴らしにかかって御覧なさい」
「そんな簡単なものじゃございませんわ」
とお母さんも美容術へは行きたがっている丈けに覚えず不服を唱えた。
「美容術丈けなら郷里にもございますのよ」
と絹子さんはもう一歩進んでいる。
「その美容術の一部門、隆鼻術のことですが、皮肉なことには先生自身の鼻が並み外れて低いんです。紺屋の白袴かと訊いたら、未だ自分の鼻に応用するほど確信がないと答えました。金さえ儲かれば宜いんでしょう。まあまあ、親の授けてくれた鼻に満足しない不孝ものから罰金を徴発するんだから、一種の勧善懲悪で、道徳的な商売さと言っています」
「ひどい人ね」
「恐ろしいものです。絹子さん、あなたは活字の信者になっちゃあいけませんよ」
「何でございますの?」
「活字の信者です。活版で刷ってさえあれば何でも真正と思い込む馬鹿ものです。地方には斯ういう人がよくありますよ」
「それじゃ叔父さんのお書きになる新聞も信じられませんのね?」
「一本参りました。ハッハハハハ」
「好い気味ですわ、悪口ばかり仰有るから」
とお母さんは喜んでいた。
「新聞丈けは例外として、活字で刷ったものには随分嘘があります」
とお父さんは苦しい弁解をして、
「隆鼻術に限らず、詐偽師は宣伝が上手ですからなあ。婦人雑誌の広告なんかを一々信仰しちゃ大変です。目でも鼻でも生理的故障のない上からは、持って生れたのが一番自分に似合っているんです。子供の心持に帰らなければいけません。家の浩二はもっと小さい時、鼻は穴さえ明いていれば宜いんだと申しましたよ。その説明が如何にも原始的で面白いんです。目の覚めている時は生きているが、寝ている間に忘れて死ぬといけないから、息の出来るように鼻に二つ穴が明いているというのです。この精神が肝心です」
とお談義を始めた。
「もう分りましたわ。私もこの低い鼻で満足致しますわ」
「低いことは些っともありません。しかし低い高いは別問題として、御自分の鼻です。鼻の効用さえしていれば完全無欠です。すべて自分のものは一番好いと思わなければいけません。叔父さんはこんな顔をしていても、これで日本一の好男子の積りです。叔母さんも然う信じていてくれます」
「まあ、馬鹿ばかり仰有いますのね」
とお母さんは迷惑した。
「冗談は兎に角、絹子さん、あなたは御器量が好過ぎますよ。それで却って苦情が出るんです。大抵の婦人は自惚鏡に向って、私はこれで目丈けは千両だとか額丈けは富士額だとかと何か取柄を見つけ出します。そうしてその一個所に重きを置いて、他のところは忘れてしまいます。口が大きくても構いません。頬骨が高くても苦にしません。これが宜いんですよ。目美人でも額美人でも、兎に角美人という信念があれば安心立命が得られます。ところが絹子さんは取柄が多過ぎます。顔道具がどれもこれも整っていますから、少し低いと思う鼻が気になって、これさえ何うかすれば日本一になれると考えるんでしょう?」
「まさかねえ」
と絹子さんはお母さんを顧みて桜色になった。褒められて嬉しかったのもあるだろうが、当らずと雖も遠くなかったのである。
「いいえ。矢張り理想が高過ぎるんですわ」
とお母さんもお父さんと同感だった。
「隆鼻術では実際南部の鮭のように鼻の曲ってしまった人がありますよ。巧く行って高くなったところで美的効果はありません。鼻が高いという印象を与えるのは調和を欠いている証拠です。極端に言えば天狗の面でしょう? 又低いという感じを与えるのも矢張り調和を欠いています。顔道具は持ち寄って綜合美を呈するんですからね。鼻丈け目につくようなら畸形です。絹子さんのは一向注意を惹かないから宜いんですよ」
「低いからですわ」
「いや、調和が取れているからです。女は皆そのままで日本一と自惚れるが宜いですよ。少くとも自分一ですからな。おや、おや、大変お喋りをしました。源太郎や、何処へでも御案内申上げろ。隆鼻術丈けはいけないぞ」
と言って、お父さんは慌しく出て行った。
玄関へ見送った後で、絹子さんは、
「面白い叔父さんね」
と笑っていた。
「銀座から三越へでも参りましょうか? クリスマスの装飾で綺麗ですよ」
と僕が案を立てた。
「それじゃ然うお願い致しましょう。少時お待ち下さいな」
と絹子さんは離れへ戻ってお支度に取りかかった。
「源太郎や、絹子さんはね、隆鼻術と美眼術と義歯をしたくてお出になったんだそうですよ。説諭をして下さいって伯父さんからお手紙が来ていますのよ」
とお母さんはその間に僕に話しかけた。
「然うですか、成程」
と僕はお父さんの隆鼻術攻撃に思い及んだ。
「それでお前に美容院へ案内を頼むかも知れませんから、気をつけて下さいよ。男だから、そんなところは存じませんと仰有い」
「僕が説諭をしてやります。今のお父さんのお話は皆嘘でしょう?」
「嘘ですとも。お父さんなんかが美容院の先生を知っているものですか。口から出委せですわ」
と美容術についてはお母さんはお父さんに反感を持っていた。
「僕も一つ嘘をついてやります」
「けれどもナカナカお悧巧だから、お前の手には乗りますまいよ」
「鼻は然う低くもないんですのにね」
「いやが上にも綺麗になりたいんでしょう。歯医者に寄ると仰有っても、家のかかりつけのがあると言うんですよ」
「然うしましょう。歯が悪いんですか?」
「二本丈け並びが悪いと仰有るんですが、然うも見えませんの。家で甘やかすから、種々《いろいろ》と我侭を言うんでしょう」
「一つ作戦計画を立てて置きましょう」
と僕は親の許可を得て嘘がつけるのだから、大に興味を催した。
容姿に確信のある人丈けに、絹子さんは僕が待ちあぐむほどお化粧に手間を取った。連れ立って出かけたのは十時過ぎだった。久作さんなぞの場合とは全く違う。先方が令嬢で此方はお供の書生のようだ。停留場へ出る途中、
「源太郎さん、私、三越よりも何処よりも行って見たいところがありますのよ」
と絹子さんが言った。僕は、それお出なすったと思ったが、そこは駈引で、
「何処へでもお供致しますよ。何処ですか?」
と受けた。
「本郷の真砂町よ」
「お友達ですか?」
「いいえ、中央美眼院。眼科よ」
「ああ、彼処ですか?」
「御存知?」
「ええ」
「何うして?」
と絹子さんは詰め寄って来た。
「友達の姉さんが彼処で手術を受けたんです」
「何うでしたの、結果は?」
「それがいけなかったんです」
「まあ、何んな風?」
「さあ、つまり……」
僕は詰まってしまった。元来嘘だから、何んな風も斯んな風もない。
「一皮目が二皮目になりませんでしたの?」
と幸い絹子さんの方から手掛りを提供してくれた。
「なったんです。片一方丈け」
「片一方は駄目?」
「ええ。片一方は以前の通り一重目縁です。でもその方が宜いんですよ。二重目縁になった方は寝ていても薄目を開いているんですって」
「まあ、気味の悪いこと」
「矢張りあれはいけないものですね」
と結論に漕ぎつけて、僕は相応嘘が吐けるのに意を強くした。斯ういう風に一個人を相手にすれば虚言だけれど、一般公衆を相手にすれば想像力の発揚になる。小説家志望者は能く観察すると共に、社会を向うへ廻して真面目な嘘を吐くことを学ばなければならない。
電車に乗った時、絹子さんが、
「美眼術も矢張り詐偽師でしょうか?」
と訊いたのは僕の嘘がお父さんのと諸共効を奏した証拠だった。
「そんなことはありませんよ。腫物で瞼が引き釣ったりした場合には必要な手術ですからね」
「然うねえ、そんな時には是非受けなければなりませんわね」
「一皮目よりも二皮目の方が好いんでしょうか?」
と僕は探りを入れた。
「好いってこともありませんが、大きく見えますわ?」
「大きい方が引き立ちますね、何うしても」
「耳かくしや断髪には持って来いですわ」
「断髪になさる気?」
「いいえ」
「でも手術はお受けになるんでしょう?」
「考えものよ。片ちんばになっちゃ溜りませんわ。それに何方が似合うか確信がないんですもの」
と絹子さんは着物の柄を選ぶようなことを言った。
芝口で下りて銀座を歩いた。硝子窓のクリスマス装飾が目を惹く。松坂屋を出て松屋へ向う途中、
「お嬢さん、坊ちゃん、一寸」
と合図をして、写真機をパチンとやった男があった。
「何でしょう?」
と絹子さんが訊いた。
「新聞社の人でしょう」
「叔父さんの新聞?」
「さあ、どうでしょうか?」
と僕も実は要領を得なかった。
松屋で大分手間を取って、三越で食事をしたのは二時過ぎだった。それでも未だ帰るには少し早かったから、
「何うしましょうか?」
と僕が御意を伺うと、絹子さんは、
「神田の錦町はここから近いでしょう?」
と言い出した。
「電車で行けば直ぐですが、何ですか?」
「でも叔父さんに叱られますわ」
「隆鼻術ですね?」
「前を通って見る丈けなら宜いでしょう?」
「ええ。寄らなければ構いません」
と僕は先方に着くまでに成算があった。
しかし電車が込んでいて碌々話せなかったから、僕は錦町で下りると直ぐに、
「絹子さん、先刻新聞記者があなたの写真を撮ったでしょう? 何故だかお分りですか?」
と切り出した。
「真正に新聞記者でしょうか?」
「新聞記者でなくても同じことです」
「分りませんわ」
「あれは綺麗な人の来るのを待っていたんですよ」
「あら、厭やだ。源太郎さんまでそんなことを仰有るのね」
と言ったが、絹子さんは満更悪くもないようだった。
話し話し探して歩いたが、絹子さんの註文の東洋隆鼻院は容易に見つからなかった。
「越したんでしょう、もう」
と僕は寧ろ幸いとした。しかし絹子さんは、
「今月の雑誌にも出ていましたわ。まさかこの汚い露地の奥じゃありますまいね」
と諦め兼ねた。
「僕、探検して来ます」
「私も行くわ」
と二人で入ったら、その出外れの三軒長屋の真中に看板がかかっていた。
「名前ばかり大きいのね!」
と絹子さんは呆れてしまった。東洋隆鼻院の規模が小さかったのは何よりの仕合せだった。二人は直ぐに引き返して、五時近くに家へ戻った。
「何うでございましたの?」
とお母さんは迎えてくれたけれど、僕は錦町丈け報告から省いた。
間もなくお父さんが帰って来て、
「絹子さん、家の新聞に撮られましたね」
と夕刊の第一版をポケットから出した。「歳晩の銀座」という題で、絹子さんと僕の写真が載っていた。
「まあ!」
と絹子さんは少時目を離さなかったも道理、好く写っていた。銅版にすると輪廓が崩れるものだけれど、鼻筋まで極めて鮮明に写っていたのである。
佐久間先生
何ういうものか、家の子供は春夏秋と丈夫だが、冬は兎角弱い。十二月から一月へかけて皆達者で好い塩梅だと思っていると、誰か風邪をひく。それが直るか直らないに後口が出来る。二月は子供の病人が絶えない。悪くすると三人四人枕を並べて寝ていることがある。節分の時に皆丈夫だった例はないように記憶している。実際能く風邪をひく。そうして念入りに熱が高い。
「家の子供は何うしてこんなに風邪ばかりひくんだろう? 余所の子はこの寒いのに皆往来で遊んでいる」
とお父さんは悲観してしまう。
「余所の子供でも風邪ぐらいひきますよ。丈夫な子ばかり外で遊んでいるんですわ」
とお母さんは看護に一生懸命で夜の目も碌々寝ないのだから、その上苦情を言われては引き合わない。
「それにしても三人も四人もひくことはないよ。真正に厭やになってしまう」
とお父さんは未だ愚痴をこぼす。
「あなたが大切にし過ぎて厚着をさせますから、皮膚が弱くなるんでございますわ」
とお母さんは日頃の干渉を問題にする。お父さんは自分が寒がりだから、子供に厚着を強いる。
「寒いことはありませんわ」
「いや、寒いよ。暖か過ぎる分には構わないんだから、何枚でも着せなさい」
「でも抵抗力が弱くなりますわ」
「それは医者の理窟だ。兎に角風邪さえひかせなければ宜いんだからね」
というような意見の相違は屡※ 《しばしば》耳にするところである。
子煩悩なお父さんには子供の病気が何よりも辛い。誰か一人寝ていると食慾が衰えるのでも分る。社から電話をかけて、熱の加減を問い合せる。帰宅も早くなる。玄関へ入ると直ぐに、
「何うだね? 千代子は」
と訊く。好い経過を期待していると思えば、お母さんも骨が折れる。
「悪いこともありませんが、未だ熱が下りませんの」
ぐらいに取り繕って答える。
「然うか。困るね」
と病室を見舞って食卓につくが、三十九度以上は一膳、八度台は二膳、七度台で定量の三膳を召し上る。子供が病気になると自分も半病人だ。それから寝るまで幾度二階から下りて来るかも知れない。
「俺は積極的に活動することなら幾何でも平気だが、病人の看護には閉口だ」
と兜を脱いでいる。騒ぐ丈けで一向役に立たないのに、自分では相応努めている積りらしい。
ところで此年はお父さんの苦労の季節が早く来た。正月の二日の晩に千代子が発熱して、四日には郁子が頭痛を訴えた。佐久間さんに見て貰ったら、普通の流感で大したことはないとあったが、何方も九度以上だからお父さんは落ちつかない。そこへ持って来てお客さまの絹子さんが六日から床についた。これは扁桃腺炎で九度台を突破した。三人丈けで済んだのは不幸中の幸だったが、お母さん一人では手が廻らず、一時は看護婦にも来て貰って一寸騒ぎを入れた。僕は毎日お薬取りを承わった。受験準備へ食い込む分を人生観察で挽回しようと思って、診察にも成る可く立ち合うことに努めた。学校も学校、小説家修行も小説家修行である。
一概に医者といっても個人個人の性質によって違うのだろうが、この佐久間先生はナカナカ面白い人だ。もう可なり古い医学士で、僕達は赤ん坊の時からの馴染である。以前陸軍にいた関係からお祖父さんと懇意だったので、僕の家は何でも佐久間さんだ。内科外科小児科と有らゆる看板を出しているが、子供が好きだから、いつの間にか小児科が先ず専門になっている。内科も相応にやる。外科は不器用だから手荒くていけない。
「私は念の為め必ず必要以上に切ります」
と言っている。匿さないから宜い。
「腫物なら私だと痛いですから、誰か他の方に紹介して上げましょう」
と至って正直だ。見ず知らずの人の外は手術をしないらしい。
斯う打ち解けた間柄だから、診察に来ると能く話し込む。自分の信用にならないようなことを平気で喋り立てる。
「皆丈夫ですが、田舎の高等学校へ行っている次男がこの頃痔を患っています」
なぞと矢張り子煩悩と見えて、息子さん達が屡※ 《しばしば》話題になる。
「然うですか? それはいけませんな」
とお父さんは子供の病気には特に同情する。
「早く手術を受けろと言って、金まで送ってやったんですが、億劫がって入院しません。そこで私は妙案を思いつきましたよ」
「何ういう妙案ですか?」
「退っ引きなく手術を受けさせる妙案です。私は次男へ電報を打ってやりました。『俺が手術をしてやる。明日立つ』とは何うです?」
「成程、お父さんの手術なら退っ引きなりませんな」
「いや、私は痔の手術ではこれまで度々失策っています。次男も私にやられちゃ危いと思うだろうと考えついて、一つ驚かして見たのです。すると案の定、『入院した。来るに及ばぬ』と直ぐに返電が参りました。野郎、手のものを置いて入院したんですな。親父の腕前を能く知っていますよ」
と佐久間さんは笑っていた。
「医者の不養生」という諺があるが、佐久間さんはそれを否定しない。
「養生の為めの生活ですか? 生活の為めの養生ですか?」
と理窟をつける。この辺が共鳴すると見えて、お父さんと話が合う。猛烈な喫煙家で、以前は一銭蒸汽という綽名がついていた。これはいつも煙を吐いているという意味だそうだ。始終太い葉巻をくわえている。酒もナカナカ飲む。夕刻電話をかけると、
「先生は唯今手の放せないことをしていられますから、後刻伺います」
と書生が答える。まさか晩酌中だとも言えない。しかし約束は必ず守る。後刻陶然として葉巻を燻しながら駈けつける。
僕が佐久間先生を面白いお医者さんだと思ったのは尋常六年の時だった。天然痘が流行って皆学校で種痘をしたけれど、僕は病気で休んでいたから、日曜の朝後から一人お願いに上った。先生が僕の腕をアルコールで拭いているところへ、
「先生今日も又いたずら小僧共が裏の梅を盗みに来ています」
と薬局生が注進に及んだ。
「何人来ている?」
「十人ばかりいます。表から廻って捉えましょうか?」
「うっちゃって置け。うっちゃって置け」
「皆取ってしまいますよ」
「取れば結構さ」
「何故です?」
「あの梅は未だ種が固っていない。ああいうのを食った奴は六十パーセントぐらいまで中毒する。皆近所の子供だろう? 十人なら詰り患者が六人来る道理だ。梅は取られても損はないよ」
と笑いながら先生は僕の種痘にかかった。これだから佐久間医院は小児科の患者が多いのだろうと思った。
「奥さん、何うでしょう? 私は診察料を貪り過ぎましょうか?」
と佐久間さんが訊いたことがある。天真爛漫だから疑問とするところを直ぐ口に出す。しかし斯ういうのは殊に答え悪い。まさかその通りとも言えないし、安いと褒めれば今度は高くするに定っている。そこでお母さんは、
「まあ、御冗談を……」
と外した。
「実は私はこの間靴屋に仇を討たれましたよ」
「靴屋でございますか?」
「あの私の家の直ぐ側の靴屋です。彼奴はナカナカ理窟を言いますぜ。靴が大分傷みましたから、一足買う積りで、通りがかりに寄ったんです。しかし彼処はあんな小さな店でしょう? いくら探しても気に入ったのがありません。そこで『此奴は直せば未だ持つかね?』と穿いていたのを見て貰いますと、『これはもう度々お直しになりましたから手がつけられません。このまま破れるまでお穿きになった方がお為めでしょう』と申しました。『然うかな。それじゃ仕方がない』と言って私が帰ろうとすると、『先生、五十銭戴きます』と申しました。『五十銭?』『診察料です』『これは驚いた』というような次第です」
「まあまあ」
「それが本気なんですよ。『この間俺がレウマチで見て戴いた時、先生はこれは何うも手当の仕様がないから、このまま死ぬまで辛抱するんだねと仰有って、診察料を一円お取りになったでしょう?』と来ました。理の当然で一言もありません。『それじゃ五十銭出そう』と申しますと、『診察料はお負け致します。その代り新しいのをお誂えなさい』という談判です。考えて見ると彼処へは直しにやるばかりで註文したことがありません。親爺、それが日頃から癪に障っていたんですな。結局一足註文して逃げて来ましたよ。や、これは又無駄話を始めました。それではお大切に」
と気がついて、佐久間さんは帰って行った。
この先生は、正月早々から二週間毎日来た。お母さん丈けだと然うでもないが、お父さんが居合せると種々の余談が出る。絹子さんが苦しがったので夜分再度の来診を頼んだ時、佐久間さんは矢張り手が放せないということだったが、後刻赤い顔をして駈けつけた。斯ういう折からは殊に元気が好い。
「耳下腺のところが大変痛むようです」
とお父さんは度々の御足労に対して言訳らしく説明した。
「ははあ、又腫れましたな。これでは多少痛みましょう。扁桃腺炎ばかりでなく、俗にいうお多福風です。妙齢の婦人としてはお気の毒なお顔になりました」
と佐久間さんは一向驚かない。
「頬が腫れたでしょう?」
と頻りに気にするのを、
「いいえ、そんなでもありませんよ」
とお母さんが控え目に教えているのにお医者さんは有りのままを言う。それにしても美顔術を根本的にやる積りで上京した人がお多福風に取りつかれるとは如何にも皮肉だった。
「どれ、拝見致しましょう」
と佐久間さんは診察に取りかかった。
「痛むにも痛みますが、この腫れは直りましょうか?」
と絹子さんは泣き声を出して訊いた。
「直りますとも。こんなお顔に固定しちゃ大変です。炎症が熄めば腫れは直ぐに引きます」
「化膿するようなことはありませんでしょうか?」
「大丈夫です。昨今斯ういうのが流行っていますが、皆二三日か四五日で直ります」
「でも万一化膿すれば切開でございましょうね?」
「それは然うですが、その折は外科の専門家に頼みます。お顔ですから大きく切ることが出来ません。しかしそんな心配は万一にもありませんよ」
と佐久間さんは保証した。絹子さんは納得が行ったようだった。痛いよりは腫れたので夕刻から泣いていたのである。
「源太郎さん、私、苦しくて仕方ありませんの。もう一遍先生に来て戴けないでしょうか?」
と言って夕方僕に頼んだ時、懐中鏡を持っていた。
「痛いのは側で見ているのも辛いものですな。何か方法はありますまいか?」
とお父さんは苦痛とばかり信じているから、例によって短兵急だった。
「精出してお冷しになるより外手当の仕様がありません。二三日の御辛抱です」
と佐久間さんはいつも氷で冷す外に智慧のないことを告白させられる。
「私は苦痛という奴が快感とまで行かなくても、例えば立ったり坐ったりする動作のような中性のものだったら、何んなに宜かろうかと思いますよ」
と忍耐力に乏しいお父さんは今度は自然法に故障を申込む。
「ははあ、豪い改良意見ですな」
「医者の方で苦痛を根滅する発明をしませんかな?」
「しかしそれは危険ですよ。苦痛は矢張り不快感のところに価値があるんです。中性だったら例えば怪我をした場合、腕が一本取れても気がつきますまい。痛いから大事にならなくて済むのです」
「成程、そんな場合もありましょうな」
「もし快感だった日には生物が自滅しますぜ。肢を一本咬み切って快感が貪れれば、虎狼は直ぐやります。理性動物の我々でも快感の為めに見す見す寿命を縮めていましょう? 少くとも私のように悪いと知りつつ酒や煙草をのんでいるくらいのものは指を切って快感を得られれば切りますね。可なり意志の強い人でないと手足がなくなってしまいます。人類自滅でしょう? それですから苦痛は矢張り自家を防衛する自然の武器ですよ」
「成程、理窟ですな」
とお父さんも拠ろない。
「時に大内さん、私は長年各階級の患者を取扱った結果、この問題について面白い事実を発見しています」
「何ういうことですか?」
「苦痛は富の程度に正比例するという真理です」
「ははあ」
「よくしたもので、同程度の病気にかかった金持と貧乏人では、金持の方が遥かに余計に苦みます。金持は平常不自由をしませんから、忍耐力が弱くなっています。八度になると起きていられません。然るに貧乏人は困苦欠乏に慣れていますから、病気に強いです。八度ぐらいなら気がつかずにいます。九度あっても歩いて来て、寒い玄関に待っています。それで案外障りませんぜ。恢復力も至って早いです」
「矢張り天の配剤ですかな?」
「然うですとも、それで華族さんが一番弱いことになります。これは精神的にも物質的にも金持ですから、二重に苦みます。しかし貧乏華族と来たら不思議ですな。馬鹿に強いです。労働者跣足です」
「私のところは強い方ですか、弱い方ですか」
「弱いですよ。知識階級は精神的の金持ですから、矢張りいけません。医者を一日に二度呼びます」
「おやおや、巧く取ッ占められましたな」
「ハッハハハ。冗談ですよ。それではお大切に」
と佐久間先生、ナカナカ味をやる。
絹子さんも郁子も追々快い方へ向いたが、一番始めに発病した千代子は中途でぶり返して又高熱に戻った。安心の積りで帰って来たお父さんは、
「気をつけなければ困るよ」
とお母さんの責任にした。
「随分気をつけているんですが、この二三日急に寒くなったからでしょう。直きに又下りますよ」
「下るものか。佐久間さんは何と言った?」
「別に何とも仰有いません」
「九度もあるのにそんなことじゃ困る。もう一度見て貰いなさい」
「でも食慾もございますし、元気も好うございますよ」
とお母さんは始終ついているのだから、能く分っている。
お父さんは御飯を一膳で済ませて、又郁子と千代子の病室へ行った。千代子の額へ手を当てて見て、
「あるね。咳も出る」
と言って、早速佐久間さんへ電話をかけた。先生は手の放されないことを丁度果した刻限だったから、直ぐ来てくれた。
「再三恐れ入りますが、余り熱が高い上に咳も出ますから……」
とお父さんはこの間で懲りて、予め弁解した。
「いや、何う致しまして」
と佐久間さんは直ぐ診察にかかって、
「胸には異状ありません。少し下っているようですよ」
と検温器を挾んだ。
「何か熱の早く下る方法はありませんかな?」
「今日から又熱さましを差上げてあります。二三日の御辛抱です」
と何方も何方でいつも同じ問答をする。
「下ったですよ。七度六分です」
と佐久間さんは検温器を取り出した。
「それ御覧なさいませ」
とお母さんは嬉しがった。
「それじゃ今下ったんだ。先刻はひどかったよ」
とお父さんは稍※ 《やや》面目ないようだった。それで茶の間へ戻ってからも、
「何うも子供の病気では心配しますよ。悪い方悪い方とばかり考えますからな」
と頻りに申開きをしていた。筆を執って衆愚に教える時の態度は跡形もない。親の悪口を言うのではないが、子供が病気をすると愚に返るのらしい。
「いや、それは何処でも然うですよ。私なぞも家の子供が病気になると、自分では手がつけられません。矢っ張り迷うんですな。しかし考えて見ると、人間は滅多に死ぬものじゃありませんよ。欧洲戦争の死亡率が二十パーセントかそこらでしたろう? 両方で殺し合っても、それぐらいのものです。況んや皆寄って群って助けようと努力するんですもの、死ぬ筈があるもんですか? それではお大切に」
と言って佐久間さんが玄関へ向った時、お祖父さんが現れて、
「や、度々御足労をかけます」
と挨拶をした。
「何うも御縁が切れなくて困ります。しかしもう御心配はありません。時に閣下、閣下のお顔を拝見して思い出しましたが、神沢閣下が亡くなりましたな? 先刻夕刊で拝見しました」
「ははあ、然うですか? それはそれは。何ういう御病気でした?」
「御存知なかったですか? 脳溢血です」
「ははあ、太っていましたからな」
「矢っ張り死ぬじゃありませんか?」
とお父さんは揚げ足を取った。
佐久間さんを見送ってから夕刊を拡げると、成程、正三位勲一等功三級……と神沢さんが隅の方の黒枠の中で死んでいた。
「どれ。ふうむ。俺とは確か同年だったが、惜しいことをしたな」
とお祖父さんは旧戦友の面影を浮べているようだった。
「お祖父さん此方にも出ていますよ」
と僕はもう一枚の夕刊の雑報の中に神沢中将卒去の記事を発見した。
「どれどれ」
とお祖父さんは奪うようにして一読した後、
「驚いたなあ。直ぐ逝ってしまったんだね」
と呟いて眼鏡越しに僕の顔を見つめた。
「神沢さんて日外謡曲の会にお出になった人でしょう」
と僕もこの将軍の武勲と共に覚えがある。
「然うだよ。あの髯武者だ。さあ、俺も斯うしちゃいられない」
「お父さん、お悔みですか?」
「然うだ」
「明日にして戴きたいものですな。今夜は寒いです。この上風引きが出来ちゃ溜まりません」
とお父さんは無暗に神経的になっていた。
節分のチョコレート
浩二は数の観念が強い。数えられるものは何でも数えて見る。初めて算術を習った尋常一年生は物の勘定が面白いのらしい。家中の畳の数や電燈の数は固よりのこと、障子の格子や天井の桟まで数えている。数に兎角興味がある。この間銀座へ行く途中、電車に故障があった時、
「駄目だよ、前が沢山止まっている」
と僕が教えたら、
「幾つ止まっているか勘定して見よう」
と言って、二十一台立往生をしていることを確めた。同じものが並んでいると屹度数える。冗談でも数に関係のあるのを喜ぶ。
「兄さん、雀が十羽いるのを一羽鉄砲で打てば何羽残りますか?」
なぞと言って僕を引っかけに来る。これは此方も知っているけれど、
「それは無論九羽残るさ」
と答えてやる。すると、
「いいえ、一羽も残りませんよ。鉄砲の音で皆逃げてしまいます」
と天晴れ兄貴をやり込めた積りでいる。しかし時には真正に凹まされることがある。
「お父さん、家の梯子段は何段ありますか?」
と突然訊かれた折、お父さんは、
「これは一つ浩二にやられたよ」
と直ぐに兜を脱いだ。知らないものとしては自分の家の梯子段の数が諺になっている。
「一番上を入れて十二段ですよ」
と浩二は勘定していた。
さて、節分の晩、お祖父さんは離れから茶の間へ入って来て、
「さあ、今年も無事で豆を撒くかな」
と一種の感慨を洩らした時、
「お祖父さん、家中の人の年を合せると二百八十七になりますよ」
と浩二が言った。今夜は年越しだと聞いて聯想したのである。
「二百八十七? それぐらいのものかね」
とお祖父さんはお祖母さんと二人丈けでも百三十幾つになるから、もっと多いと思っていたのらしい。
「お蔦を入れれば三百八、絹子さんも入れれば十一人で三百二十八ですわ」
と千代子も悉皆暗誦していた。絹子さんはもうお多福風が直って旧の通りの美人に戻ったが、未だ逗留している。東京が気に入ったようだし、何うせ東京へ縁づける積りだから少時預かって貰いたいと郷里の御両親からその後頼んで来たのである。
「悉しいね。道理で千代子と浩二はこの間帳面を持って隠居へ戸籍調べに来たよ」
とお祖父さんは笑っていた。
「病人騒ぎで忘れていましたが、七十におなりでしたな?」
と子供の年さえ始終うろ覚えのお父さんが案外図星を指した。
「然うさ。古来稀というところまで漕ぎつけたよ」
「お祝いのことを考えていました。私ぐらいの年になって両親の揃っているものは滅多にありませんよ。子の方から言っても古来稀です」
「まあまあ当分は大丈夫だろう」
とお祖父さんは曽祖父さんがもっと長命だったそうだから確信がある。
「何よりですよ。一つ季節の好い時に一族郎党を呼び集めて、大々的にお祝いを致しましょう」
「未だ早いよ。八十八まで預けて置こう。七十七もあるし」
「その時は又その時です。しかしそれも決して望めないことじゃありませんよ」
「さあ、何うだかね。八十八というと浩二が大学を卒業して嫁を貰う頃になる」
「そんなになりますかなあ」
とお父さんはそこまでは考えなかった。
「浩二が中学校へ入ると七十五さ。それぐらいまでは何うにか斯うにか行けそうだよ。源太郎がソロソロ大学を卒業する。郁子は二十二になるから、もう嫁に行って曽孫の一人も生んでいるだろう。敏子は二十で縁談が降るようにある」
「オホホホホ、手に取るようでございますね」
とお母さんはこんな話が大好きだから、黙っていられなかった。
「閑だから婆さんと二人で始終研究しているのさ。時にもうソロソロ撒くかな?」
「今お祖母さんが炒っていらっしゃいます」
「然うか。毎年節分には来年も達者で撒きたいものだと思うが、七十の声がかかると心細い。神沢君のようなことがあるからね」
と独りごとのように言って、お祖父さんは立って行った。
人間、六十七十になると若い時分の朋輩は多く幽明境を異にする。古稀という言葉は争い難い統計から出ている。生き残りの意味だ。僕はお祖父さんが年に数回青山斎場へ出頭するのを知っている。日清日露の戦友がドンドン死んで行くのである。老少不定とはいうものの、概して元帥大将中将と古参順に訃音が来る。これは勢い仕方がない。お祖父さんも能く認めている。
「大将閣下は弘化元年生れの八十二歳だったそうだから、お年に不足はない。位人臣を極めていられたし、子息も将官になっていられるし、思い残すことはなかったろう」
とあって、苦情は言わない。自分と同じ少将でも、
「あの男は確か俺よりは五つ六つ上だよ。身体が弱くて出世が早く止まったが、その分地面で大儲けをしている。二三年前に会った時にもう骨と皮ばかりだった。金で命を買っていたようなものさ」
と綺麗に諦めのつくのもある。大将でも少将でも、先に生れたものが先に死ぬのは当前のことである。しかし時には何かの間違いで、ずっと少壮の後輩がポックリ逝く。然ういう折には、
「四十五ぐらいでは若死だが、こればかりは何うも仕方がない。矢張りそれまでの約束ごとだったろう」
と老少不定を役に立てる。こんな具合で、上が死んでも下が死んでもそれ相応の説明をつけて悟りを開いているが、自分と同年輩のものが死ぬと急に慌て出す。然ういう人の葬式から帰って来た時は、
「今度は俺の番かも知れない」
と冗談のように仰有る。殊に先日の神沢中将は入魂の間柄だったから、ひどく答えたようだった。
丈夫だといっても年寄は先が見えている。何彼につけて急き立てられるような心持がするに相違ない。僕はお祖父さんお祖母さんを観察して、時には心細かろうと察している。去年の秋、門の側の椎の木が風で折れて代りを植える必要の起った折も、傍で見ていて、ツクヅク老齢の淋しさを感じさせられた。お祖父さんは早速植木屋の親爺を呼んで、
「何うだね? 今度は一つ思い切って大きいのにしようと思うが、品物はあるかい?」
と相談した。
「ありますとも。『千本桜』の椎の木場に負けないような奴を持って参ります」
「大きい分にはいくら大きくても宜い」
「かしこまりました。旦那、植木屋は御隠居さん相手に限りますよ」
と親爺は喜んだ。
「何故ね?」
「若旦那なら中どころを御註文なさいまさあ。若い方は鋳掛屋の天秤棒で先が長うがすからな。然るところ旦那さまや手前どもになりますと、もう一番勝負です。後がありません」
「成程」
「三年五年と木の伸びるのを待っちゃいられません」
「如何にも然うだな。時に爺さんは幾つになるね?」
「安政五年、午の六十九です」
「ふうむ、それじゃ俺の方が上か? 俺は巳の七十だ」
「それ、御覧じませ。旦那の方が爺さんです。大きいのを植えようか小さいので間に合せようかという時、此方から申すと十両儲かるか一両が切れるかという時、お年寄がノコノコ出て参ればもう占めたものです。金に糸目はつけませんや。盆栽にしても然うですよ。お年寄には好いものを高く押っ付けます。それで忰にも能く教えてありますが、御隠居さんをおびき出すことですよ、植木屋渡世の呼吸はね」
「巧いことを言う。よしよし、それじゃ一つ煽てに乗って、うんと太い奴を植えようよ」
とお祖父さんは椎の木一本にも生先の短促を覚えているのだった。
それ以来僕は年寄に死ということを成るべく聯想させまいとして、子供心にも、及ばずながら努めている。高齢の相場も大に繰り上げた。余所の老人の噂が出て、
「もう六十七だそうです」
と今までなら言う場合に、
「まだ六十七だそうです」
とやる。もうではもう先がないように聞える。まだなら、未だ前途遼遠のように取れる。一寸のことだけれど、大分感じが違う。能く見ていると、お父さんもこれを心掛けている。初老の到来後間もなく、お父さんは白髪がポツポツ目立ち始めた。負け惜みの強い人だから、
「何あに、これは若白髪だ」
と理窟をつけていたが、昨今は再び真黒になっている。
「あなたは好い塩梅に御丈夫になったと見えて、白髪が悉皆引込みましたわね」
とお母さんが怪んだくらいだった。
「頭の毛が引っ込んで溜まるものか。これには細工があるんだ」
とお父さんは笑っていた。
「お染めになるんですか?」
「いや、まだ染めるほどのこともないから、黒チックを塗っている」
「そんなものがあるんですか?」
「あるとも。松屋で売っている。当分はあれで誤魔化せる」
「そんなものを塗ってまでもお若く見せたいんですかね?」
「いや、これは親孝行さ。俺の頭が白くなると、お父さんお母さんは自分達の年の寄ったのを痛切に感じる。そこでいつまでも黒く見せて置く。親を老込ませないようにという苦心の窮策さ」
「へへえ、結構な親孝行でございますわね。カッフェなぞへ行ってもお若く見えましょうから、一挙両得で自然励みが出ますわね」
とお母さんは冷やかした。
つい話が横道に外れて年寄論になってしまったが、年越しの晩だから堪忍して戴く。さて、隠居へ戻ったお祖父さんは間もなく羽織袴に身を固め、一升桝の中に豆を一杯入れて現れた。浩二は弓張提燈を持って案内についている。これがやりたくて、指折り数えて待っていたのである。妹達は皆立ち上った。
「絹子さん、あなたもお拾いなさいよ」
と敏子が勧めたけれど、
「私、拝見致しますわ」
と絹子さんは辞退した。妙齢の淑女がまさか座敷へ腹這いになって豆を拾う次第にも行くまい。
「玄関から撒くかな?」
とお祖父さんは一同を顧みた。
「提燈持ちは先よ」
と促されて、浩二が玄関の障子を明け放つ。
「鬼はあ外と!」
と軍隊で鍛えた胴間声が喧しく響き渡った刹那、曇り硝子の格子外でドサリという物音がして、ブルが唸った。
「何でしょう?」
とお母さんが訝った。
「鬼か知ら?」
と浩二が提燈を翳した時、格子が開いて、
「僕ですよ。ああ、吃驚した」
と言って入って来たのは四谷の芳夫さんだった。
「福はあ内! 福はあ内!」
とお祖父さんは、早速気転を利かして、芳夫さんに豆を浴せかけた。これで嫁の里の長男を鬼扱いにしたという譏は受けない。
「さあ、早くお上りなさいよ」
とお母さんが請じた。
「格子へ手をかけようとした時、突拍子もない大声がしたものだから、尻餅をついたんですよ。そこへブルが飛んで来て顔を甞めたんです」
と芳夫さんはズボンの埃を叩いたり、額を拭いたりした。
それからお祖父さんは方々撒き廻って、最後に二階の座敷で、
「さあ、皆拾うんだよ」
とお三方を持って身構えた。僕達は皆腹這いになって待っている。
「僕も拾います」
と芳夫さんも仲間に入った。
「私も」
と絹子さんがその隣りに坐った。次いで、
「鬼はあ外! 福はあ内!」
と豆に交ってチョコレートやキャラメルがバラバラ降り始めた。それを競争で自分のところへ掻き込むのだから、キャッキャッという大騒ぎだ。勢い、強いもの勝ちになる。お祖父さんが手加減をしたと見えて、
「狡いわ狡いわ。浩二と千代子のところへばかり撒くんですもの」
と郁子から苦情が出た。芳夫さんは野球の心得があるから、滑り込みを利用して他の領分を侵す。
「鬼はあ外! 福はあ内!」
とお祖父さんが一段と高く叫んで撒き終った時、
「失礼失礼。これは失礼」
と芳夫さんの慌て声が聞えた。見ると、芳夫さんのチョッキのボタンが絹子さんの髪に引っかかって、二人とも困っていた。起きれば釣れて絹子さんが痛いから、後生大切に四つん這いになったまま、
「叔母さん、叔母さん」
と助けを求めた。
「まあまあ」
とお母さんは取り外すのに多少手間がかかった。髪と網が絡みついていたのである。
「真正に飛んだ失礼を致しました。お痛かったでしょう?」
と芳夫さんは重ねてあやまった。
「いいえ」
と会釈して、絹子さんは真赤になっていたが、
「あらまあ! 折角拾ったのを皆拾われてしまいましたわ」
と気がついた。
「僕のもない」
と芳夫さんも驚いた。
「チョコレートが四十一、キャラメルが五十三、豆がこんなに沢山」
と浩二は勘定していた。絹子さんのは千代子が拾ったと見えて、これも郁子や敏子よりは遙かに分限になっていた。
「実に機敏だね。この分なら社会へ出ても大丈夫だ」
と言って、お父さんは笑っていた。子供連中は用意の紙に獲得物を包んで、大喜びをしながら茶の間へ下りて行った。
「何うぞ御ゆっくり」
とお祖父さんも去って、後にはお父さんお母さんと芳夫さんと僕が残った。
「ここは寒いから書斎へ行きましょう。源太郎、その座蒲団を持ってお出」
とお父さんは芳夫さんのお相手に僕を引き留めて置く積りだった。
「今夜は何うも失策ってばかりいます」
と芳夫さんは書斎の火鉢の側に坐って頭を掻いた。
「随分久しくお見えにならなかったのね。皆お達者?」
とお母さんが訊いた。
「皆ピンピンしています」
「此方は一月中病人続きで困りましたよ」
「誰がお悪かったんですか?」
「郁子と千代子と今のあの娘さんがナカナカ重い風邪でね」
「然うでしたか。あれは何処の方ですか?」
「郷里の本家のお孫さんよ。綺麗でしょう?」
「綺麗ですなあ」
「芳夫さん、お貰いになっちゃ何うです? 嫁入口を探しに出て来たんですから」
とお父さんが諢った。
「真正ですか?」
「真正ですよ」
「真正ですけれど、芳夫さんのように来る度に勤め先の変る人は駄目ですわ。私、あなたの顔を見ると、又何うかしたんじゃなかろうかと思いますよ」
「実はそのことで御相談に上ったんです」
「厭やですよ厭やですよ」
「兎に角背水の陣を張る積りで、もう辞表を出してしまったから仕方ありません」
「それじゃ相談でも何でもないじゃありませんか」
「何処か当てがあるんですか?」
とお父さんも余り頻繁なのに少し驚いたようだった。三越が三月、今度の銀行が半年になる。
「教育界へ入ろうと思っています。実は学校を卒業する時、研究生として残らないかと或教授が勧めてくれたんですが、僕よりもっと成績の好い人が大勢ありましたから、遠慮していました。ところが、この間その教授に会ったら、来るなら都合をつけてやると仰有るんです」
「それは宜いね。そうしてそれが定ったんですか?」
「未だです」
「定ってから辞表を出しても晩くはありませんのにね」
と実業界の大好きなお母さんは惜しがった。
「しかし見す見す余所へ逃げる積りで勤めているのは気が咎めますからね」
「お父さんやお母さんに御相談なすったの?」
「ええ。もう呆れて、何うにでも勝手にするが宜いと仰有っています」
「然うでしょうね」
「けれども叔母さん、家に多少金のあるのを当てにして腰が落ちつかないように思われちゃ困りますよ。僕は何の道自分でやって行く決心です」
「その精神さえあれば結構ですよ」
とお父さんは芳夫さんを能く理解している。
「家賃で食って行くなぞは大屋の凸凹のすることです。何かします。額の汗で食って行きます。しかし僕は金専門で働く気には何うしてもなれません。同僚は実にひどいんですよ」
「何がひどいの?」
「一も金二も金です。金が有らゆる標準です。あの男はこの頃人格を上げたと言うから、何か豪いことをしたのかと思うと、金を儲けたことです。金即ち人格ですよ」
「それも些っと極端ね」
「迚も鼻持ちがなりません」
「学校の先生でも芳夫さんのは大学でしょう」
「然うです」
「それなら勉強次第で博士になれますわ」
「なったって詰まりません」
「仕様がないのね。お金も名誉も要らないんじゃ余り慾がなさ過ぎますわ。まあまあ、ゆっくりお話しなさい」
とお母さんは下りて行った。
「その学校の方の口が定ると宜いですな」
「大丈夫定りますよ。この間訊いて見ましたら、僕は三越へ入るような悪い成績じゃなかったんです」
「元来行くべき方面へ行くんだから、今度は動きますまい?」
「もう動きませんよ。時に叔父さん、その短冊は叔父さんの句ですか?」
と、この時芳夫さんは短冊掛けを見上げながら尋ねた。
「これかね? おやおや、来ん年もまめで豆撒き給えかし。ふうむ、今夜の句だ。源太郎、お前かい?」
「ええ」
「月並みだけれど、大に同感だよ」
とお父さんは褒めてくれた。
「はあ」
と僕は益※ 恐縮した。
「御丈夫で結構ですな。僕は来年もチョコレートを拾いに来ます」
「又先刻の娘さんと一緒に拾いますか?」
とお父さんが言ったところを見ると、お母さんとの間に絹子さんについてもう何か話があるように推せられた。
縁談観察
新聞に新郎新婦のことが能く出ている。黒枠も拝見するが、斯ういう芽出度い記事にも一応目を通す。何も社会観察である。新郎は必ず大学出の秀才で、新婦は例外なく才色兼備の名媛だ。前者は大抵重役か頭取の息子で、銀行か会社に勤めている。後者は普通地方素封家の息女で、女学校卒業後ピアノか何かのお稽古中である。
「新郎A君は○○銀行頭取○○○○氏の長男、○○大学を十年計画にて卒業したる鈍才、正当ならば就職難、但し親の威光にて近々○○○○株式会社に勤務の見込、新婦B子さんは○○県○○郡の素封家○○○○氏の長女、容貌お化粧をして漸く十人並み、○○市高等女学校を半途退学、目下家庭にありて家事見習中なれど、継母との折り合い兎角よろしからず……」
というような現実曝露は決して見受けない。皆才子佳人である。但し親が町家か百姓で肩書のない場合には新聞社の方で然るべく計らってくれる。
「新郎清太郎君は商科大学卒業の秀才にして海軍主計監河野信広氏の令甥、新婦秀子さんは三輪田女学校出身の才媛にして獣医学博士烏森進氏の令姪……」
といった具合に書く。獣医学とは博士を捜した跡が歴然としている。息子と息女の結婚でなくて、甥と姪の祝言にしてしまう。
「帝国ホテルの披露会一切を背負って立つ親達は単に縁の下の力持ちを勤めるんだから気の毒だよ。しかし何か肩書をつけないと折角紹介してやっても、何人も読んでくれない。矢っ張り社会が然う書かせるのさ」
とお父さんはこんな何うでも宜いことでも必ず社会に責任を負わせる。新聞記者が悪いとは決して仰有らない。
結婚は新聞の記事か雑誌の口絵で見るものと思っていたら、つい鼻の先に一つ出来かけているのには驚いた。僕も案外迂濶だ。芳夫さんが才子で絹子さんが佳人である。一方は嫁を探していること、四谷の伯母さんが、
「嫁でも貰ったら少しは落ちつきましょうと思って心掛けているんですが、ナカナカ好いものはないものね。帯に短し襷に長しって、全く真正でございますよ」
と仰有ったのでも分る。もう一方は又縁談の心組で上京している。少時預かってくれと言って来たのはその為めだ。芳夫さんのお父さんは次期落選保証つきだそうだが、兎に角市会議員という肩書がある。絹子さんのところは県下でなくて村下切っての素封家だ。斯う資格の揃った二人が芽出度い節分の晩に顔を合せたのみならず、豆を拾いながら少時離れられないように絡み合ってしまったのだから、双方とも考えたに相違ない。以来何うやら話が始ったのらしい。あれから間もなく四谷の伯母さんがお出になった。芳夫さんも一度やって来た。芳夫さんは職業の問題で頭を悩ましている時の外は顔を見せない。しかし節分の晩の話によると、その方はもう完全に解決がついている。イヨイヨ進むべき道が分ったと言って喜んでいた。して見ればこの間来たのには外の意味がある。それに芳夫さんの時にはいつも僕がお相手に呼び出されるのに、あの日に限って、お母さんは、
「源太郎や、芳夫さんだけれど、お前は宜いから彼方で勉強していらっしゃい。もう入学試験が近いんですからね」
と仰有って予め僕を遠ざけた。子供の出る幕じゃなかったのである。
もう一方絹子さんは何うかというと、一向変った徴候を示さない。その後隆鼻術と美眼術は悉皆諦めをつけて、天然自然の目鼻でお嫁に行くことに納得したようだが、歯丈け改造した。お母さんは余所の娘さんを預かっていて疵物にしては申訳がないと思ったから、一緒に山口さんへ出掛けた。山口さんはかかりつけの歯医者で、頗る剽軽な人だ。
「相変らずお忙しいようですな?」
と訊くと、
「一日立ち通しですよ。眼科の十六倍忙しい勘定です。目は二つ歯は三十二枚、そこを見越して開業したんですから、素より覚悟の前ですよ」
と答える。この先生の診察の結果、前歯二枚は何うせ長くは持たないから削り取って※ 歯にする方が宜いと定った。それで絹子さんは山口さんへ通い始めたが、この件で僕は縁談が進捗していることを覚った。或日学校から帰って来ると、お母さんが四谷へ電話をかけていたのである。
「もしもし姉さんでございますか? 先日は失礼申上げました。はあ、はあ、はあ、然うでございますか。オホホホホ。まあ、オホホホホ」
と女は悠暢なもので、電話でも完全に笑い合う。それから急に声を低めて、
「……ここ二三日か三四日ですの。お分りにならなくて? あらまあ、然うじゃないのよ。その何を……芳夫さんを……ですよ。ええ。寄越さないようにお計らいを願います。お出下さらないようにって。えっ。然うでございますの。明日前歯を二枚削り取ってしまいますので、お婆さんのようになりますから、義歯が……いいえ、総入歯じゃございませんわ。あら、ひどいことを! 私だってまさか総入歯じゃございませんわ……もしもし、二枚丈け※ 歯を致すので、それが出来るまでは何誰にもお目にかかれないと申すのでございますの。はあ、はあはあ、オホホホホ、何うぞそのお含みで。失礼申上げました。さよなら」
とお母さんは通話を終った。僕は一旦玄関へ引き返して、
「お母さん、唯今」
と取り繕った。
「お帰りなさい」
とお母さんはドウナッツを出してくれた。学校から帰ればおやつを頂戴することに定っている。この頃は課外が忙しくて夕食直前になるけれども、権利を放棄して悪例を残すのも考えものだし、実際腹もへる。
「お母さん、絹子さんは芳夫さんと結婚なさるんですか?」
と僕はドウナッツを喰べながら訊いて見た。
「さあ、何うですかね」
「でもお父さんがこの間芳夫さんにお貰いなさいって勧めたじゃありませんか?」
「あれは冗談ですよ。子供がそんなことを口に出すものじゃありません」
とお母さんは僕を圧迫してしまった。
兎に角その翌日、絹子さんは前歯を二枚削り取って来て、
「厭やねえ、私、まるでお婆さんのようでしょう?」
と鏡ばかり見ていた。好いと思っても鏡を見る。悪いと思っても鏡を見る。実際鏡は女の魂だ。僕はお母さんの電話を考え出して一つ担いでやる気になった矢先、晩にお客さんがあったから、一寸利用してやった。お母さんばかりか絹子さんまで僕を子供扱いにするのが聊か不平だったのである。お客さんをお父さんのところへ取次いで茶の間へ戻ると、
「何誰?」
とお母さんが訊いたから、
「四谷の芳夫さん……」
とまで言って、ラジオを聴いていた絹子さんを顧みた。すると絹子さんは発条仕掛けのように伸び上ったが、
「……に能く似た若い人で、社の方ですよ」
と後を附け足したら、安心したように以前の姿勢に戻った。
或日絹子さんは僕の勉強部屋へ来て話し込んでいる中に、受験準備の書物を※ 《はぐ》って見ながら、
「こんなに沢山読むんじゃ源太郎さんも大変ね」
と慰問してくれた。
「真実に厭やになってしまいますよ」
「けれどもあなたなんか秀才だから大丈夫よ。始終一番でしょう?」
「学校の成績なんか当てになりませんよ」
と僕は謙遜したが、絹子さんは、
「矢っ張り一番や二番は実力があるんですから、保証つきですわ」
と言ってくれないで、
「あの芳夫さんも秀才でございましょうね?」
と尋ねた。元来僕の勉強に同情したのでなくて、問題を四谷へ持って行きたかったのである。
「然うですね。あれぐらいなら先ず秀才の方でしょうね」
と僕はお父さんの鑑定通りを紹介した。
「銀行をおやめになったんだそうですね?」
「ええ。やめることは名人ですよ。三越も二月か三月でやめました」
「まあ、三越へ勤めていらっしゃいましたの?」
「ええ。しかし越後屋の長松どんじゃ満足しないんです」
「ホホ、面白い源太郎さんね」
「いいえ、自分で然う言ったんですよ。厭やになると直ぐ何とか理窟をつけます」
「銀行の方は何故おやめになったの?」
「金網の中に入っているのは動物園のようで性に合わないんですって」
「まあ。それで今度は学校へお出になるんですね?」
「ええ」
「源太郎さんとは従兄弟同志ね?」
と絹子さんは差当り訊くことがなくなったものだから、分り切った質問で話を繋ごうと努めた。
「ええ。子供の時から能く知っているんです」
「あの方今まで何か悪い評判はなかったこと?」
「落第ですか?」
「いいえ、外のことで」
「カンニング?」
「違うわよ」
「ああ分った。お金を使ったかと仰有るんでしょう?」
「まあその辺よ」
「人格は保証します」
と僕は断言した。
「時々お見えになりますの?」
「卒業してからは滅多にお出になりません」
「慶応大学ですってね?」
「ええ、今度洋行して教授になるんですから、大喜びです」
「いつ洋行なさるの?」
「二三年の中だと言っていました」
「博士になるんでしょうね?」
「なりますとも。お気に召しましたか?」
「あらまあ、厭やな源太郎さん!」
「僕、知っていますよ」
「何を?」
「何をって」
「子供がそんなことを仰有るものじゃありませんよ」
と窘めて、絹子さんは行ってしまった。訊く丈け訊いて、実に手前勝手だ。
縁談中の女性はこれで可なり観察したから、今度は男性を研究しようと思って、僕は或日四谷へ電話をかけた。
「芳夫さんですか? はあはあ。僕、大内です。源太郎です。いや、何う致しまして。時に芳夫さん、甚だ恐れ入りますが、お願いがあるんです。ええ、もう入学試験が近づいて毎日大車輪ですが、代数が分らなくて困っていますから……ええ、代数ですよ……お閑の時に一晩教えて戴けませんでしょうか?」
「よし、今から直ぐ行く」
「いいえ、お出下すっては恐縮ですから、此方から伺います。明晩あたり……もしもし、もしもしもし、もし、もし」
といくら言っても返答のないのは、もう切ってしまったのである。実に気が早い。観察するのに来て貰っては気の毒だから、僕はもう一遍かけ直した。
「もしもし、畑さんですか? 僕、大内ですが、芳夫さんにもう一度電話口までお出を願います」
「一寸お待ち下さい」
と矢張り先刻の女中だった。
「はあ」
と待つこと少時にして、
「もしもし、若旦那さまは急用がございまして、もうお出掛けになりました。実は門まで追って参ったんですが、丁度電車に飛び乗りをなすったところでございましたの」
という返事。
「然うですか。そんならもう宜いです。有難う。さよなら」
と僕は可笑しくなった。
それから一時間とたたない中に玄関で声がした。僕が出て行ったら芳夫さんはもう茶の間へ上り込んで、
「やあ源太郎さん、代数を見に来たよ」
と彼方此方見廻していた。茶の間に代数はいない。
「まあ! よくお出になりましたね」
とお母さんが台所から現れた。
「叔母さん、今日は家庭教師です。源太郎さんが代数を見てくれって電話をおかけになったから、急いで参りました」
と芳夫さんは誤解のないように断った。郁子と敏子も挨拶に出たが、絹子さんは姿を見せなかった。
「僕の方から伺う積りだったんですが……」
「いや構わないよ。銀行をやめて閑だからね。何なら毎日見に来ても宜い」
「それでは早速願いましょうか?」
と僕は芳夫さんを離れへ案内した。
「やあ、芳夫さん、よくお出下さいました」
と縁側で蘭の鉢を弄っていたお祖父さんが言葉をかけた。
「お変りもございませんか? 今日は源太郎さんの代数を見に上りました」
と又断って、芳夫さんは僕の勉強部屋へ入った。
「随分早かったんですね?」
と僕は内心恐縮していた。
「これが僕のところからのレコードだろうね。電車運が好かったから、些っとも無駄がなかった」
「お家の前で飛び乗りをなすったでしょう?」
「能く知っているね。乗換も飛び乗りさ」
「危いですな」
「何あに、大丈夫さ。時に代数だが、この方は頗る怪しいものだぜ。入学試験の頃は相応やったが、もう悉皆忘れてしまった」
と芳夫さんは弱音を吹いた。
「そんなこともないでしょう」
「まあ、やって見ようか。何れだね? 成るべく易しい奴にしてくれ給え。大変な先生だろう?」
「これですよ」
と僕は手当り次第に一題指し示した。気がつくと、それは自分で出来たのだったが、目的は観察にある。しかし芳夫さんはそれを解くのに三十分もかかった。
「何うもいけない。こんなに手間がかかっちゃ家庭教師お願い下げだ」
「いいえ、結構ですよ」
「英語なら確信があるけれど、数学は駄目だ」
と芳夫さんは素より代数の為めに来たのでないし、僕も真の附けたりに過ぎなかったから、そのまま雑談を始めた。
「慶応大学の方は定ったんですか?」
「定った。今度は大にやる。時に源太郎君、母がこの間来て、君の大きくなったのに驚いていたよ。僕に良く似ているってさ」
「然うでしょうかね」
と僕は聊か疑問だったが、
「従兄弟同志だから似ているんだろう。郁子さんと、そら、あの絹子さんとだって能く似ているぜ」
と芳夫さんも絹子さん同様僕を利用して早速目的物に達した。縁談中の男女は常に敵本主義を心掛ける。
「しかし絹子さんと僕達は又いとこですよ」
「然う然う。お父さん同志が従兄弟だってね。それにしても似ているよ」
「顔よりも声が似ています。そら、あれが郁子です。今のが絹子さんです」
と僕は縁側伝いに洩れて来る母屋の話声に耳を澄ました。
「ああ、あれだね。笑っている笑っている」
と家庭教師は他愛なく代数の声に聴き惚れた。
「芳夫さん、面白いものを御覧に入れましょうか?」
と僕は絹子さんと僕の写っている新聞写真の切り抜きを机の中から引き出した。
「やあ、絹子さんと君だね?」
「ええ、暮に銀座を歩いていたら偶然家の新聞が写したんです」
「よく写っているよ」
と芳夫さんはいつまでも放さない。
「もう一つ切り抜きがあります。今度は記事ですよ」
と言って、僕は小さな紙切を渡した。
「おやおや、これは驚いた。何新聞に出ていたの?」
と芳夫さんは飛び立たないばかりに面食った。それも道理、
「新郎芳夫君は東京市市会議員畑孫一郎氏の長男、慶応大学卒業の秀才にして同大学少壮教授、新婦絹子さんは静岡県浜松在の素封家大内長平氏の長女、浜松高等女学校卒業の才媛にして現代的美貌の持主なり」
とある。
「ハッハハハハ。これは僕が拵えたんですよ」
「でも悉皆新聞紙で活字じゃないか?」
「新聞の活字を彼方此方から切り集めて貼ったんですよ。成功しましたね。未だ電気が来なくて薄暗いから」
と僕はお得意だった。明るい時では細工が分ると思って、時機を見計らっていたのである。
「成程、貼ってある。御念の入った悪戯をするんだね」
「半日かかりましたよ」
「こんなことに時間を潰していると入学試験に落第するぜ」
と芳夫さんは窘めたものの、
「この二つは参考の為めに貰って置く」
と言って没収してしまった。
「芳夫さん、この間絹子さんがあなたのことを訊きましたよ」
と僕は電燈を点してから又話かけた。
「何て?」
「種々《いろいろ》」
「種々って、何んなこと?」
「何故然う頻繁に職業を変えるんですかって」
「ふうむ。君は何と言ったい?」
「その方は名人ですって」
「ひどいね。それから?」
「それから芳夫さんは今までに何か評判の悪いことはありませんでしたかって」
「厭やだぜ厭やだぜ」
「学校時代に少しお金を使って一週間ばかり家へお出になっていたことがあったでしょう?」
「それを喋ったのかい?」
「いいえ、悪いことは黙っている方が宜いと思って……」
「しかし源太郎さん、あれは友人の借金証文に判を捺したばかりだよ」
「それですから人柄は極く好いと保証して置きました」
「おやおや。それから?」
「それぐらいのものですよ」
「安心した」
「もう話が大分進んでいるんでしょう?」
「何の?」
「縁談ですよ」
「フッフフフフ。君、知っているのかい?」
「知っていますよ」
「それじゃ話すが、もう殆んど定っているんだ。今に絹子さんのお父さんが出て来るよ」
「然うですか。それはお芽出度う」
「日外の豆撒きのお蔭だよ」
「あれで決心がついたんですか?」
「然うでもないが、あんな粗忽をして具合が悪かった丈けに印象が深かったんだね。家へ帰って母に話すと、母は縁があるのかも知れないと言って笑っていたが、間もなく見に来て頻りに勧めるものだから、否応なしさ」
と芳夫さんは男らしく告白した。しかし僕に対して尊厳を保つ為めに余程言葉を修飾している。具合が悪かった丈けに印象が深かったというのは、あんなことがあった丈けに深く身に沁みたのである。母に話したというのは、ねだったのに相違ない。縁があるなぞとは自分で言ったのだ。勧められて否応なしの人が出来もしない代数を教えに飛び乗りをして駈けつける筈はない。
「芳夫さんも兄さんも御飯でございますよ」
と折から郁子が障子越しに注進した。
「又絹子さんが一緒ですよ」
と僕は注意してやった。
「もう大丈夫だよ。ハハハハハ」
と従兄畑芳夫は実にダラシのない男である。
家庭教師
さて、他の縁談観察などよりも自分の勉強である。もう入学試験が差し迫って、高等学校は願書の受けつけを始めた。
「何うだい?」
と例によってお隣りの文一君が訊く。
「駄目だよ」
と僕は相変らず確信がない。
「何うだい、暗記ものの方は?」
と文一君は僕の準備の進捗を尋ねるのでなくて、僕の油断の程度を探るようにも取れる。競争試験だから、他の不成績は自分の好成績と同じような願わしい効果を生じる。
「受験者が皆流感にでも罹れば宜いね」
と僕は簡便法を考えたことがある。
「病気にならなくても電車の故障か何かで遅刻すれば宜い。一人でも耗ればそれ丈け助かる」
と文一君も競争者を呪っている。同胞の悪きを願うのは決して善いことではない。しかし政府がもっと高等学校を拵えて入学難を緩和しない限り、受験生は苦しさの余り、自然斯ういう浅ましい料簡になる。
「源太郎や、お前大丈夫かね?」
とお母さんが始終念を押す。
「駄目だって言っているじゃありませんか?」
と僕は癇癪を起す。確信のないところへ期待されては荷が重過ぎる。文一君も入学試験のことを言われると直ぐ怒るそうだ。
四谷の芳夫さんは一度家庭教師に頼まれたのを好い口実にして時々やって来る。しかし元来数学はお得意でない上に絹子さんのことばかり考えているから、幾何でも代数でも実に手間がかかる。
「今日はもうこれで宜いですよ」
と僕は一二題で御免蒙る。
「然うだろうね。この辺のところはこれさえ出来れば残余は自然に分る筈だから」
と芳夫さんは決して長追いをしない。直ぐに茶の間へ行ってしまう。その折絹子さんは屹度茶の間で新聞を読んでいるから不思議だ。芳夫さんの手の明くのを待っているのである。若し二三日見えないと、
「源太郎さん、あなたそんなにラジオなんか弄ってばかりいて大丈夫?」
「もう駄目と覚悟をしているんですよ」
「そんなことはありませんわ。英語が好いんですから有望ですって芳夫さんが仰有っていましたよ。もっと数学を御勉強なすったら如何?」
と絹子さんは御催促に及ぶ。
「勉強しているんですよ、これでも。代数の分らないのが二つ三つ溜まっていますから、今夜あたり又芳夫さんに来て戴かなければなりません」
と僕は気を利かして早速四谷へ電話をかける。
芳夫さんは数学は不得手だけれど、英語は迚も能く出来る。如何にも入学試験に出そうな問題を拵えて教えてくれる。それに未だ学校を卒業したばかりで試験については敏感だから同情が深い。普通の家庭教師のように、
「出来れば必ず入れます」
というような思い切りの好いことは言わない。受験者は出来なくても入りたいから煩悶するのである。
「出来て及第するのは当り前さ。イヨイヨ窮したら、出来なくても及第する法を考えなければならない」
という積極方針を授けてくれる。
「カンニングをやるんですか?」
と僕は驚いてしまう。
「いや、不正行為は絶対にいけない。しかし試験場へ入ったら馬鹿正直は慎み給え」
「一体何うするんですか?」
「出来ないからって白紙を出すようじゃお話にならない。全然見当のつかんことはないんだから、何か書くんだね。間違っていても書いてさえあれば、先生によっては書き賃をくれるよ」
「それは大に書きますよ」
「例えば地理の試験に北極の動物を十挙げろという問題が出たら、君は何う書く?」
「そんな簡単な問題は出ませんよ」
「いや、仮りにさ。完全に出来なかった場合、然るべく書く方式の研究をするのさ。北極には何んな動物がいるね?」
「然うですな。海豹と猟虎です」
「未だいるだろう? 十だぜ」
「白狐」
「それで漸く三つだ。三点しか取れない」
「北極熊」
「四点」
「もう思いつきません」
「四点じゃ落第だ。もっと考えて見る。それでも駄目だったら、北極熊四頭、白狐二疋、海豹二疋、猟虎二疋と書き給え」
「何あんだ。人を馬鹿にしている」
「いや、これはイヨイヨ切羽詰まった折の要領さ。動物の名前を四つ書いて後を余白にして置けば一目瞭然四点と定ってしまう。間違いっこない。しかし今のようにして置くと、兎に角賑かだから五点貰えないとも限らない」
「まさか」
「いや、入学試験の時には何千枚という答案を見るんだから、採点者も好い加減頭が馬鹿になっている。つい釣り込まれて、二疋に二疋……と勘定ぐらいするぜ。同じ四点を取るにしても余計な労力をかけてやれば腹癒せになる。元来試験官と受験者は氷炭相容れない。先方は意地悪い小面倒なことを択りに択って訊くのだから、此方も、そら、先刻の英語の句のように、出来る丈け高く命を売るのさ」
と芳夫さんは四月から先生になるのだけれども、今のところは未だ学生気質が抜けない。治にいて乱を忘れず、師弟関係も常にストライキの折の要領でいる。
或晩代数の稽古が済んだ後、
「芳夫さんの方の大学も入学試験がむずかしいんでございますね。郷里の知った人の息子さんが二度失敗して今度は三度目でございますのよ」
と絹子さんが話しかけた。
「随分競争が激しいんですよ。五六千人来ますからね」
「まあ!」
「斯うなると、教職員丈けじゃ手が廻りませんから、上級の学生が手伝いを頼まれます。私も去年監督員を志望して日当を三円稼ぎました。二日で六円」
「オホホホホホ」
「しかしこれは受験生の油を絞った金だから持っているに忍びないと言って、皆と一緒に早速飲みに行きました」
「まあ乱暴な先生ですわね」
「先生じゃないんですもの。けれども背広を着ていましたから、受験生は教師だと思って、『先生、時間は後何分ございますか?』なんて改まって訊きましたよ。一寸具合の悪いものですな。私達は百人の組を引き受けましたが、この中から見す見す七八十人弾ねられるのかと思ったら、無慈悲のような心持がしましたよ」
と芳夫さんは代数の問題を解く時のように閊えない。
「皆一生懸命でしょうね」
と僕も入学試験のことだと身につまされて話し込む。
「目色が変っています。見ていても息が詰まるようです。しかし監督員の中には、不断自分が試験で苦むものですから、面白がっているものもありますよ。『今度は数学だから七転八倒だぜ』なんて、泥鰌でも殺すようなことを言っています」
「可哀そうですわね。源太郎さん、あなた毎晩数学をお習いなさいよ」
と絹子さんが注意してくれた。
「精々やりましょう」
「しかし余り同情も出来ませんよ。苦し紛れですから、うっかりしていると他の答案を見ます。一人答案の掏り替えをやった奴がありました」
「そんなことをされちゃ溜りませんな」
「直ぐ前の席の男が出して行った答案を取って自分の名を書き込んだのです。そこへ私が廻って行ったものですから慌てて出てしまいましたが、自分の答案に名前を書いていなかったところを見ると、初めからその計画でいたんですな」
「ひどい奴があったものですね」
「しかし学校の方では答案用紙に一々受験番号を打って置きますから、そんなことをしたって直ぐ分ってしまいます。後から調べて見たら、掏り替えた方は東京のもので、掏り替えられた方は埼玉県出身でした。丁度上野辺でポン引きがポット出を引っかけるのと同じ遣口です」
「種々《いろん》な奴が入り込むから、油断がなりませんな」
「六千人というと大変なものですよ。電車も学校の前の線は車台を増して運転しますが、皆鈴生りです。前途有望の鳥打ち帽が潮のように押し寄せて来るところは壮観ですよ。校内立錐の余地もありません。気の弱い連中は試験場へ入らない中に悲観してしまいます」
「いつか活動写真で見ましたが、僕もあれじゃ溜まらないと思って落胆しましたよ」
「あれは地方へ宣伝の為めに学校で写したのです。しかし採点するところまで撮ったのは失敗でした」
「何故ですか?」
「試験官の答案の見方が速過ぎるという苦情が出たんです。『一年かかって書いた答案をああチョイチョイと不親切にやられちゃ張り合いがないから、あすこはもう受けない』と毎年落第する連中が憤慨したそうです」
「実際そんなに速いんですか?」
「いや、先生は丁寧に見ますよ。毎日毎日朝から晩まで調査室に閉じこもって御苦労なものです。採点後必ず神経衰弱を起すくらい念の入った人もあるんですが、活動写真って奴は動作が速いですからな。それで如何にもチョッチョッと片付けてしまうように見えるんです。受験者は喜びませんよ。速く廻した日には答案を※ 《はぐ》りながら点をつけて行くようになります。学校当局者なんてものは学者揃いですから、世の中のことが些っとも分りません。今でもこの活動写真を盛んにやっているようですよ」
と芳夫さんは頗る得意だった。
「そんなものでございましょうね」
と絹子さんは感心して、然も頼もしそうに将来のお婿さんを打目戍っていた。僕はお邪魔になるといけないと思って、間もなく勉強部屋に引き返した。
お父さんは放任主義だから、僕がこんなに入学試験の為めに苦労していても一向頓着ない。単に、
「あすこには昔の友人がいるから、弾ねられたら何が悪かったか訊いてやろう」
と仰有ったばかりだった。何うせ縁起の好いことは言わない。尚お、
「願書が後れるといけないよ」
と催促してくれた。
「願書は文一君と一緒に出します」
と僕は答えて置いた。そこで学校が休みになった日に文一君と連れ立って一高へ手続きをしに行った。これは文一君のお父さんが暦を調べて一番好い日を選んでくれたのである。成程、吉日だと見えて、早目に出掛けたにも拘らず、もう大勢詰めかけていた。僕達のように中学生ばかりでない。疾うに卒業して、学生でもなく生徒でもなく、受験生という変体名称の下に甲羅へた髯武者達が来て、入学しない中から日和下駄を穿いて周囲を睥睨していた。
「大内君、五十人からいるぜ。そうして皆強そうな人ばかりだ」
と文一君は目の子勘定をして、もう怖じ気がついた。
「何あに、腕力の試験じゃないんだから大丈夫だよ」
と虚勢を張っていた僕も、矢張り同級生で一足先に来ていたのが理科千五百何番という受験証票を見せてくれたのには、素より覚悟の上ながら容易のことでないと思った。文科は更に多かった。文一君が千八百二十五番で、僕が千八百二十六番。
「大変だね。この分じゃ二千を越すぜ」
と文一君が言った。
「無論さ。後二日あるから二千五百ぐらいになるだろう」
「やれやれ、迚も見込はない。千八百二十五番か。まるで自動車の番号だね」
「お互いさまだよ。僕のは僕のところの電話番号よりも百多い」
「こんなことなら、用心の為めに第二班をかけて置くんだったになあ」
「しかし田舎へ行っちゃ詰まらないよ」
「それでさ」
「ラジオの聞えないところへ行くと時勢に後れる。石に食いついても一高さ」
と僕は決心丈けは堅い。
「同感同感!」
とこの時太いステッキをついた破れ服日和下駄の一高生が後ろから弥次った。この男は何ういう料簡か、先刻から受験者の並んでいるところを頻りに彼方此方と歩いていた。恐らく後進激励の積りだったろうが、僕達は気味が悪くなって、急いで停留場へ向った。
僕はもう観察修行は犠牲にして、側目もふらず受験準備に没頭し始めた。不思議なもので、勉強していると入れるような心持がする。怠けていると駄目なような気分になる。しかし二三日して絹子さんのお父さんが予定通り絹子さんを迎えに着京することになったので少し息を抜いた。
「源太郎や、お前気の毒だけれど、絹子さんと一緒に東京駅までお迎いに行っておくれ」
とお母さんが小声で仰有った。
「私一人で宜うございますよ」
と絹子さんは辞退したが、お父さんが出勤中だから、僕は代理を勤めなければならない。それに夏休みに遊びに行けば多大のお世話になる大伯父さんの惣領だ。
「何あに、構いませんよ」
と早速お供をした。
「源太郎さん、私、イヨイヨ明後日帰りますのよ。随分長いこと御勉強のお邪魔をしましたわね」
と絹子さんは途々名残り惜しそうにシミジミと話し出した。
「そんなことは些っともありませんよ。あなたがお帰りになってしまうと却って勉強が出来なかろうと思います」
「何故ですの?」
「家庭教師が来なくなりますから」
と僕は日頃無意識で利用されているのでない旨を伝えてやった。
「あらまあ、随分ね」
と絹子さんは可なり利いたようだった。
「冗談は兎に角今度お出になる時は永久ですね。いつ頃ですか、式は?」
「オホホ、子供がそんなこと訊くもんじゃありませんよ」
「来年でしょう?」
と僕は態と遠いところを持ち出した。
「もっと近いのよ」
「秋?」
「もっと」
「夏?」
「ええ、当ってよ」
と絹子さんは実は言いたかったのだ。順繰りに行けば誰だって当る。
晩にはお父さんの帰るまで名代の資格で客間へ御機嫌を伺って、少時郷里のお話を承わった。
「源太郎さん、つい忘れていましたが、去年の秋は久作が上って豪い御迷惑をかけましたな」
と絹子さんのお父さんが思い出した。
「然う然う、もっと方々見せてやる積りだったが、猫に紙袋を被せたように平に辞退して逃げて行ったよ」
とお祖父さんが笑った。
「あの男の人癲癇は評判ものです。村祭りでさえ時折ひっくり返るんですから、東京見物は無理ですよ。私が知っていたら止めるのでしたが、父は年甲斐もなく時々ああいう悪戯をして困ります」
「その後もう発作は起りませんか?」
と僕は訊いて見た。
「いや、可なり長く治まっていたのですが、あれから又癖がついてチョクチョクひっくり返るようですよ。東京で嫌いな帽子を無理に被せられたのが未だに祟ると言っています」
「気の毒なことをしましたな」
と僕は好い面の皮だと思った。
「変りものだなあ」
とお祖父さんが歎息した。
「変りものと言えば久太が死にましたよ」
「まあ! いつ」
と絹子さんが驚いた。これは僕も知っている有名な低能である。
「ついこの間のことさ。彼奴については面白い話があるんですよ。私は以前から承知していましたが、本人の稼ぎに拘るから死ぬまで黙っていました。源太郎さんもあの男に一銭銅貨をやったでしょう?」
「やりましたとも。毎日やりました」
「叔父さんも御存じでしょう?」
「知っている。矢張り一銭銅貨をやった口だ。俺の行った頃には二銭銅貨があったから、その方を喜んだ」
とお祖父さんも旧知己だった。
「久太は一銭銅貨と十銭の白銅を出すと、大きい方が徳だと言って、必ず一銭の方を取りました。一円紙幣と一銭銅貨を並べても、紙幣の方へは見向きもしません」
「低能ですわね。数の観念が些っともありませんの」
と絹子さんが説明した。
「ところが或日のこと私が釣魚をしていると、久太も釣竿を担いでやって来ました。私の側へ腰を下しましたが、私が一尾釣る中に彼奴は二尾も三尾も釣ります。『久太、鮒と※ 《はや》と取り替えっこしようか?』と私が諢いました。『宜うがす。鮒一尾と同じ大さの※ 《はや》三尾と取り替えべえ』という返辞です。私は考えましたよ。これなら銀貨と銅貨の値打が分らなけりゃならない筈です。それで少時してから、『久太、お前は何故銅貨が好きだい?』と訊いて見ました。奴さん、ニヤニヤ笑っていました。『銀貨は気味が悪いと言って逃げて歩くそうだが、何処がそんなに怖いんだい?』と畳みかけますと、『旦那、之は此の場丈けの話でがんすが、欲しい方を取れば皆がもう諢いませんから、商売が上ったりでがんす』という返答でした。『ふうむ』と私は感心して、『よし、決して人には言わないよ』と約束した侭、以来信義を守っていました」
「ははあ、すると満更の白痴でもなかったんだね」
「いや、何うして何うして、『悧巧な顔をして稼いでも日に一両はむずかしい。馬鹿面をして遊んでいても五十銭にはなる。何方が徳でがんしょう?』と言いましたよ。久太には村のものは素より近郷近在のものまでが瞞されていたんです。何方が悧巧でがんしょう? ハッハハハハ」
と絹子さんのお父さんは打ち興じた。
「忌々《いまいま》しい奴ね。私も五十銭銀貨を持って追っかけてやったことが度々あってよ」
と絹子さんは今更口惜しがった。
「やあ、お賑かですな。よくお出下さいました」
と折からお父さんが帰って挨拶に現れた。僕は名代役が解けたから、失礼して勉強部屋へ罷り下った。
翌々日絹子さんはお父さんと一緒に帰郷の途についた。前日四谷と往復のあったことは言うまでもない。僕は郁子と敏子を連れて東京駅へ見送った。芳夫さんも来ていた。
「今度お出になる時は函迫ね」
と敏子が車窓で囁いた。敏子は函迫が理想である。
帰りは途中まで一緒だから、芳夫さんも同じ電車に乗って、
「源太郎君、もう数学はあれで沢山だから、これから暗記ものに全力を注ぎ給え」
と忠告してくれた。僕は家庭教師の手を放れて専心勉強することになった。成否は時の運、キナキナ思っても仕方がない。人事を尽して天意を待つ。
青空文庫より引用