「わすれなぐさ」はしがき
少年老い易し、麗人は刻を千金の春夜に惜む。われらがわかき日の小詩はまさに涙を流して歌ふべし。瑠璃いろ空のかはたれにわすれなぐさの花咲かばまた、過ぎし夜のはかなき恋も忍ぶべし。ここに選び出でたるはわが幼きより今にいたるあらゆる詩集の中より、ことに歌ひ易く調やさしき断章小曲のかずかず、すべてみな見果てぬ夢の現なかりしささやきばかり、とりあつむればあはれなることかぎりなし。かの西の国の詩人が
ながれのきしのひともとは
みそらのいろのみづあさぎ
なみことごとくくちづけし
はたことごとくわすれゆく。
と歌ひけむ。なにごともながれゆく水のながれのひとふれのみ。忘れえぬ人びとよ、われらが若さは過ぎなむとす。嘆かば嘆け。羊の皮の手ざはりに金の箔押すわがこころ、思ひあがればある時は、紅玉サフアイヤ、緑玉、金剛石をも鏤めむとする、何んといふ哀しさぞや、るりいろ空に花咲かば忘れなぐさと思ふべし。
大正四年四月 白秋識
青空文庫より引用