観相の秋
序
虚と実とは裏と表である。実にして虚、虚にして実なるが故に尊い。何れは先づ実相のまことを観、観て、深く到り得て、更に高く離れむ事をわたくしは願つてゐる。
実相に新旧のけぢめは無い。常に正しく新らしいからである。これを旧しとなすは観て馴れ過ぎたからである。一時の流行は時とともに滅びる。而も人はただ新奇を奔り求める事に於てのみ、その詩境を進め得るものと思つてゐる。然し何ぞ知らむ。此の東に於てひたすら彼の西の旧を趁うて新らしと成す秋に、却て西に於ては此の東方に道を求める事が常に新風発生の素因を成してゐる。かうなると何が新らしいかと思はせられる。
再び云ふ。実相のまことこそ常に正しく新らしいものである。いつ観てもまことなる事に於て渝りは無い。芭蕉の説いた不易はこの永生の流に通ずるまことの詩の精神である。詩の正風はさうした精神に根柢を置く。この精神は殊に我が東洋芸術の真髄と成すところのものである。
此の集の詩もおそらくは今人の眼に旧しとせられるであらう。それでわたくしはいいのである。詩境の高さは観相そのものの高さに由る。気品は巧みて得らるるもので無い。その人のおのづからなる円光である。だからわたくしは所謂新奇に浮かれて飽かざる事よりも詩のまことの大道をただ一筋に修めて行けばいいのである。
此の集には詩文(私は散文詩なる飜訳語を好まない。)と長歌体の詩篇とを収めた。詩文には口語脈と雅文脈との二種がある。何れも純粋の意味に於ける詩として書き下ろしたので無い。私にとつてはこれらは矢張り詩文であると遜る方がほんたうである。一方にまた長歌体を選んだのはさう成る可き内容だつたからである。長歌は万葉に由来するが、わたくしのものは万葉のそれとも違ふ。わたくしの詩の内容にその形式を採つたのである。此の形式のすぐれたところはかの絃楽の如く絶えんとして続き、続きつつ縹緲としてまた絶えんとする一流れのリズムの起き伏しにある。ことさらに行を別けず其まま書き下したのもその故である。兎角、日本のものはかういふ風にしぜんに書き下すのがほんたうのやうである。
わたくしはまた、この頃流行の自由詩の殆ど多くを真の詩とも自由詩とも思つてゐない。どう考へても行を別けただけの散文で、すぐれた或る種の文章よりももつと弛緩したリズムの、而も粗雑な思想の概念をただ放恣に非音楽的に述べたに過ぎぬと思つてゐる。
詩は詩である。詩に重んず可きはその高い精神である、韻律である、香気である、気韻である。
大正十一年六月
小田原にて
白秋識
その一
簡素な庭
古風の庭 大正十年秋、上州富岡某氏別荘にて
紅葉を焚いて 同七年秋、名古屋月見坂にて
山中消息 同七年冬、小田原伝肇寺にて
ある人の庭
寂しい庭だ、閑かな庭、古めかしい日本の庭、風雅な庭、それでも極りきつた、強ひて取澄した庭、幽かな庭。
さびしいが陽はあたつてゐる。すべてが穏かな秋の半ばの明るさだ。輝きの無い輝き。物音の無い、人の気も無い庭、森閑とした庭、幽かな庭。
誰がこさへたものか、とにかく昔風の茶人好みの庭、何の自然も無いのに、形は心を写してゐる。こさへた人もさみしかつたか、心がそのまま現れてる。それが古びていつのまか、おのづと自然な眺めに寂びた。俳画の庭、幽かな庭。
日は午すこし過ぎ、空は高いが、何処からとなく、薄らした雲の層が、白くよどむで来ては掻き消えてゆく。築山の羅漢柏、枝ぶりの蜒つた松、ばらばらの寒竹、苔蒸した岩、瓢箪形の池の飛石、汀の小亭、取りあつめて、そのまま一つの象になつてる。動きの無い庭、幽かな庭。
濁つた池の面は錆び果てて、何の色香も無い庭だが、隅この小さな石橋の蔭には、破れ残つた蓮の浮葉が二つか三つ、下のあはれなすがれ葉には、時おくれの精霊蜻蛉が休んでゐる。その蜻蛉の透きとほつた赤い翅だけが、光つてゐるといへば光つてゐる、たつたそれだけのことだ。そよとの風も無い庭、しづまり返つた庭、幽かな庭。
あまりにかけ離れた、世間の外の気疎い庭。時には池水の深い底から、しんしんと何かが溢れて来て、ともすると冴えた輪波を拡がらせるが、それもまた何の手応へも無く、心に還つて了ふ。と、蜻蛉もついと立つて、またあちらこちらと、留り留り、それも、あるかなしにそこらを揺り醒まして、何処かしらへゐなくなる。それつきり、ほんの一寸との果敢ない動き。声も無い庭、幽かな庭。
それでも陽はあたつてゐる。すべての影が池の面にある。ひとつひとつに光りもせねば、そよぎもせず、影は影とわかれ、濃淡をつけ、同じところにやはり同じ姿を落したままで、それでそのまま日の暮の朧ろのかげりを待つばかりだ。どうにもならないさびしい庭、深い気配の庭、幽かな庭。
鶺鴒が来た。おや、ひんこつひんこつ とやつてゐる。やや寒うなりかけた小亭の、反りかへつた小屋根の端で、いくら振つても振つても、黄色い尻尾は、いよいよ切ない刻みを早めるばかしだ。何時まで経つてもをさまり返つた庭、さみしい庭、さびしいさびしい幽かな庭。
紅葉を焚いて
紅葉して来た。庭の楓が紅葉して来た。紅葉ばかりになつて了うた。障子を開けて、つくづくと眺めてゐると、かうまで楓の多い庭だつたかと、今更に驚かされる。私も妻も二人とも、その楓の中の一つ家に、今まで居たかと驚かれる。今朝はまた殊更に、紅葉の光沢がよう冴えて、小松の傍の楓など、明るいほどに紅く透いてる。まだ黄色い下葉や裏葉、あれも程なく枯れるであらう。ああ、秋もふけたと見てゐるうちに、もう褪せかけて、風もないのにはらはらと散る紅葉もある。それも寂しい私達には恰度程よい寂しさだ。簡素な紅葉、静かな紅葉、その紅葉の下枝には、雀も二羽来て啼いてゐる。寒い朝ゆゑ、それは冷めたい囀りだ。二羽でも雀も寂しからう、紅葉ばかりで、と思うとまた、私達の寂しい旅の姿がかへり見らるる。紅葉して来た。庭の楓も紅葉して来た。紅葉ばかりになつて了うた。
紅葉して来た。庭の楓が紅葉して来た。紅葉ばかりになつて了うた。寒くなつたと私が云へば、妻も左様で御座います、寒い朝でと袖を合せる。旅の事ゆゑ、なほさら寒さも染みるであろ。さうはいふものの、たとへ二十日でも住み馴れて見ると、この離家が何とはなしに古びて来て、矢つ張り二人の住居らしい。二人もどうやら落ちついて来た。紅葉でも焚いて見ようかと、私が云へば、妻も素直に、焚いて見ませう、寂しいからと庭に下り立つ。竹の箒で私が掃けば、蹲んで妻が拾ひ集める。かさこそと、落葉と落葉が擦れ合うて、それを二人で集めてゐれば、今はもう秋も限りと思はれる。遠州風の濡れ石の上、枯れた芝生の凹みなどに、落葉は一入哀れ深うて、土の湿りもにじみ過ぎてる。紅葉して来た。庭の楓も紅葉して来た。紅葉ばかりになつて了うた。
煙が立つ。煙が立つ。庭の楓の紅葉の蔭から、煙が立つ。紅葉を焚いて、ふすふすと白うくすぼる煙のかげで、温かいぞと私が蹲めば、妻も双手をかざして蹲む。青い枳殻の小枝などまた折りくべて、長い感冒であつたと私が云へば、私もどうやら感冒気でと、妻もわびしい。大切におし、旅で病んでは心細い、私も今度は頼りなかつたと、私も紅葉をまた火にくべる。ほんとにね、それでも早うお癒りになつてよかつたと、妻もまた紅葉をくべる。それもみなお前のお蔭だ、よく来て呉れた、難有かつたと、しみじみ、私は煙に噎せる。いいえと妻も、向うへ立つて、紅い紅葉を拾うて来る。早う帰らう、お前がまた病気にならぬうちにと云へば、ほんとに早く帰りませう、何と云つても自分の家がいちばんいい、旅は寂しい、心細い。殊にここらは霜が深うて、もう雪にでもなりさうなと、一きは赤く火を吹き立てる。煙が立つ。煙が立つ。紅い楓の葉蔭から煙が立つた。
紅葉して来た。庭の楓が紅葉して来た。紅葉ばかりになつて了うた。旅に来て長らく病んだが、心細いものだ。俳諧の聖芭蕉でさへも、旅に病んでは寂しかつたか、夢は枯野をかけ廻ると、云うたではないか。お互ひに大切にする事だ、愛惜い物は命だと、私が云へば、妻も寂しく笑つて噎せた。いい煙だ、寂しいいい紅葉だ、せめてもう少し温まつてと、紅葉を焚いて、枝の紅葉ももう末かと仰いで見れば、はらはらとまた滾れてくる。もういい、もういい、いい程に焚いて朝飯にしませう。煙が立つ。煙が立つ。紅い楓の葉蔭から煙が立つた。
山中消息
寂しいものは山の住居だと人もいふ。人里を少しでも離れると、けつく気楽なと思はぬでもないが、さりとて、人に逢はねばやつぱし寂しいものだ。たまさか通りがかりの人声の、小荷駄馬でも曳き、蓆でも着て、裏の岨路を、えつちやほう 、はいしとうとう と叱りながらに上り下りする、耳につき、つい目につくのも心丈夫な思ひがする。いよいよ死にました、小さい赤んぼでございましたと、小さい棺をかついで来てさへなほさらだ。生きとし生ける鵯や百舌、鶫のたぐひ、木々の枯葉に驚く声も、けけつちやう 、ちやうちやう 、きいりきいり と親まる。
空は晴れても、冬は日あしが短うて、いつとなく黄ばみかけると、早くも夕焼方の風向となる。縁に出て、ぽつねんと眺めてゐると、何ともないやうでゐて心ぼそさが身に染みる。傾いた萱屋根の山門も、向うに見えて、其処から続いた一筋道の、此方はさらに奥ぶかくて、雀のお宿とでも云ひさうな、これが私の住居かと思へば、堪へられぬ。朽ちはてた外柱には、日あたりがよくてか、覇王樹や竜舌蘭など匍ひ絡んではゐるものの、掛け忘られた数珠の緒の二くさり三くさり、もうぼろぼろに腐れかけてる。これが仏のゐられる寺だ。
寒々《さむざむ》と揺れてゐるものは、孟宗のほづえ、ささ栗のそばの榧の木、枯枝の桐の莟、墓原の香のけむり。井戸端の紅い山茶花は散りつくして、昨日咲いた庭の白薔薇だけが新らしかつたが、今朝人が来て切つて了つた。ところどころに白い萱の穂もそよげば、一羽の白い鶏でさへ、吹かれどほしで消えもやらぬ。それは寂しい揺れ方だ。
遠々《とほどほ》に消えてゆくものは雀のかげ、冬陽の名残、時雨も幽かにわたつてゆくが、ともすると、いつのまにやら雪になつてる。函根あたりは猶さらだ、白い白い雪の野山だ。
簡素だと思へば簡素、寂しいと云へば寂しい。一人でゐてもゐられるものの、なまじ、二人で慰め顔に、エネチアまがひの古い洋燈など点して見るので悲しくなる。
人は人、どうせ私は私だと思つて見ても、その人ごとが忘れられぬので、便りも待つ、いぢらしくもなれば腹も立つ。郵便くばりにも番茶の一つもほうじて出す。それかと云うて、その日その日の新聞紙でさへ、日が暮れてからやつと着くのでよくは読めず。夜はひとしほ波の音までが聞えるゆゑ、明日の日和なぞ気にかかつて、月の光が白い障子に射すまでは、雨戸も閉めねば、寝ねもせず。
夜が夜中、厠に立てば、裏の山には月が澄んで、畑の葱さへ一つ一つに真青だ。虫ももう鳴かぬが、それだけ凄い。首を竦めて、咳く時の寒さと云へばまた格別だ。せめて風邪でもひかぬやうにと、頸巻なぞして、手水つかへば水も凍つた。
かうした私のこの頃です。
その二
秋山の歌
黎明の不尽外二篇 大正十年秋、妻菊子ととも御殿場を経て伊豆吉奈温泉に行く、その時の詩。
遠山脈の歌 大正十年秋、上州富岡にて。
黎明の不尽
天地の闢けしはじめ、成り成れる不尽の高嶺は、白妙の奇しき高嶺、駿河甲斐二国かけて、八面に裾張りひろげ、裾広に根ざし固めて、常久に雪かつぐ峰、かくそそり聳やきぬれば、厳しくも正しき容、譬ふるに物なき姿、いにしへもかくや神さび、神ながら今に古りけむ。たまたまに我や旅行き、行きなづみ振りさけ見れば、妻と来てつつしみ仰げば、あなかしこ照る日もわかず、暮れゆけば雲巻き蔽ひ、霹靂はためくさへに、稲光青の火柱、火ばしらの飛ぶ火のただち、また、とどろ雹ぞ飛びたる。御殿場のここの駅路、一夜寝て午夜ふけぬれば、まだ深き戸外の闇に、早や目ざめ猟犬が群、勢ひ起き鎖曳きわき、跳り立ち啼き立ち急くに、朝猟の公達か、あな、ひとしきり飛び連れ下りる騒ぞきの、さて出立つらむ。けたたましく自動車の鳴り爆ぜる音、咽喉太の唸り笛さへ、凝り霜の夜凝りに冴えて、はた、ましぐらに何処へか駈け去り去りぬ。底冷えの戸の隙間風、さるにても明け近からし。目のさめて明告鳥の息長に啼き呼ばふ声、そことなく応ふる声の、裾野原揺りどよもすに、おのづ覚め我は在りけり、目はさめて我もありけり。つくづくと首延し見れば、こちごちの濃霧のなびき、渓の森、端山の小襞、黒ぐろとまだ気ぶかきに、びようびようと猛ける遠吠、をりからの暁闇を続け射つ速弾の音。たださへも益良夫ごころ溢れ揺り抑へもあへぬを、見透かせば渦巻く霧の瑠璃雲の漂ひが上、数かぎりなき糠星の瓔珞の中、あなあはれ不尽の高嶺ぞ、今し今、一きは清き紫の朝よそほひに出で立ち立てれ。夢か、こは、まことなりけり。夢ならず、現なりけり。起きよ起きよ。まことこれ日の本の不尽、木花咲耶姫の神、神しづまりに鎮まらす不尽の御嶽ぞ、見よ目に見えて近ぢかと明け初むるなれ。起きよとて妻揺りたたき、目ざめよとまた呼び覚まし、口漱ぎ、さて、身をきよめ、さむざむと袂合はし、しみじみと二人い寄り、ひたすらにかくて見恍れぬ。時ありぬ。やや時経れば、ほのぼのとして薄明る山際のいろ、黎明の薄樺いろに焼け明るその静けさに、日出づる前か、明鴉かをかをと二羽連れだちて羽風切る、その羽裏いよよ染みたり。はたはたと山鳩もまた二羽競ひ行く。観る人も妻とし見れば、飛ぶ鳥も連るるものかも、うれしやと妻は見て云ふ、我もまた微笑みて見つ。さるからに、薄紅き蓮華の不尽の隈ぐまの澄み明りゆく立姿、頂の辺は更にも紅く、つや紅く光り出でたれ。よく見ればその空高く、かすかにも靡くものあり。高うして吹雪すらしか、かすかにも雪煙り立ち、その煙絶えずなびけり。いよいよに紅く紅く、ひようひようと立ちのぼる雪の焔の天路さしいよよ尽きせね、消えてつづき、消えてつづけり。あなあはれ、かのいつくしさ、このかうかうしさ。眺むれど見れども飽かず、言にさへ筆にさへ出ね。あなかしこ、不尽の高嶺は日の本の鎮めの高嶺、神ながら奇しき高嶺、この高嶺まれに仰ぎてこの朝新にぞ見て、この我や、ただこの妻と、ただ得も云へず涙しながる。
遠山脈の歌
上つ毛の加牟良の北に天そそる妙義荒船、遥ばろと眺めに出れば、この日暮ふりさけ見れば、いや遠し遠き山脈、いや高し高き山脈、いやが上に空に続きて、いや寒く襞を重ねて、幾重ね、幾畳り、末遂に雲居にぞ入る。かりそめの旅にはあれど、夕されば内にも堪へず、外に出でてひとり在りけり。向ひ吹く川の瀬の風、川風の吹きの凍えに、我が向ひ辿る高崖、遥か見る北の山脈。冬も早や絹のつや雲、巻雲の巻きのなびきに、氷凝り雲層雲の群、重ね雲、寂び金の雲、下明り雲ともわかず、薄ぎらひ山ともわかず、たださへも現ならぬを、たださへも果てしわかぬを、日の射すか末広の虹、幾すぢか透きて落せり。かうがうしその薄光、寂び寂びしプラチナのすぢ、濃き淡き峰の畳みに、引きちがふ山の小襞に、また雨と和み注げり、柔かき金色の霧。あな遠し遠き山脈、あな高し高き山脈、立ちとまり見れども消えず、目ふたぎて傷めど尽きず、目翳げして遥けみ見れば、いや寂し薄き陽の虹、また見ればさらに彼方に、いや高き連山の雪、いや遠き連山の雪、ひえびえと、つぎつぎと、続きつづきて輝きいでぬ。
湯どころの秋
ねもごろの日のあたりかも。そことなき湯のけぶりかも。日のあたる原のかたへに欅立ち、欅の傍に斑牛ひとり居りけり。安らかに繋がれてけり。山峡の湯どころの秋、出て見れば下の小橋を、杖つきて渡る子もあり。垂稲の黄ばむ田づらは、をりふしに雀むれ立ち、道ぞひの茅屋の庭に、白菊の盛り見せたる、胡麻と栗並べ干したる、暇ある心に見れば、なかなかに今日は安けし。向つべに日のかげる山、なほ明く温かき山、その空の白き綿雲、ちろちろと禽渡るさへ、なかなかにあはれとも見れ。妻と来て二人来て、七日まり住み馴れてのち、やうやうに紅葉色づく遠近の、この眺めなる。あなあはれ、ねもごろの日のあたりかも、そことなき湯のけぶりかも。日のあたる原のかたへに欅立ち、欅のかげに斑牛ひとり居りけり。繋がれてただねんねんと草食みにけり。
秋山の歌
秋山のなぞへの薄、ひとつらね揺りかがやけり。秋山の名も無き山の、草山の、山の端薄、その穂の薄、揺りかがやけり。この夕、出でて見て、向ひ見て、丸木橋妻とわたりて、また見れば、まだかがやけり。その薄刈る人もあり、また負ひて降り来るもあり。下り来て、行きすぎざまに、さわさわと背見せゆく、さわさわの背の薄、またかがやけり。雲白くうかべる峡の日屯の空間の中、こまごまと飛べる羽虫も、よく見れば一つ一つに、命あり、舞ひ立ち光る。閑かなり、ただ安らなり。まだ深き日のあたりなる。暑からず、寒くしもなく、まだ温き日のかげりなる。湯どころのうしろの山の、秋山の、その柔かき草山の、このもかのもにさわさわと音する薄、穂薄の、今日来て見れば、揺りかがやけり。あなあはれ、我も見て、妻も出て、二人ながむるさわさわ薄、そのさわさわ薄。
孟宗と月
凡て、大正十年秋の木兎の家の生活より
竹と曼珠沙華
わが門の竹の林に、曼珠沙華赤く咲きたり。竹の根の一つ一つに、この華や六つ七つづつ、日に増しに数かさみゆく。怪しくも赤き巻髭、髭細の蓮華なす華、咲き盛るその華見れば、おのづから秋も澄みけり。いよいよに風も寂びけり。隣り寺、寺の古墓、日あたりは未だも暑けど、墓掃くとかがむ影すら、閼伽汲むと寄るすらも無し。あなあはれ、摩訶曼珠沙華、出で入るとひとり眺めて、時をりは妻と眺めて、昨日よりいよよ殖えしと、まだ今日も赤しとぞ見る。孟宗のしだれ笹ゆゑ、陽は射せどいぶせき藪を、常くぐり我は在りけり。わびしけど遊び馴れけり。山住の心安さは、藪越しに浪の音聴き、里囃子うれしとも聴け、施餓鬼過ぎ流石さびしく、人訪はぬ今は堪へえね、また出でて竹の根見れば、曼珠沙華赤く赤きに、ちらと向き、釣眼野狐、うしろ向き尖り口して、小藪吹き、吹き吹く風に、日の暮に、あな、飛び飛びて消えつつ失せぬ。
竹の林の歌
わが宿の竹の林に、夕あかりかがよふ見れば、その竹の湿る根ごとに、何か散り、深く光れり。その節のひとつひとつに、何かまた留り光れり。その笹のさみどりの葉に、何かまた揺れて光れり。金色のその光るもの、こまごまと眼に染みるもの、雨ふりてあかれるのちは、とりわけて揺れてうつくし。寂しくて見てゐるきはは、いよいよに消えてうつくし。揺るるともただ見て居らむ、消ゆるともまた見て居らむ、堪へ堪へて日の暮るるまで、なほなほに寂しがりつつ。わがやどの竹の林の夕あかり、裏山松の松風の音のこなたに。
蜩の歌
蜩の啼き連るるなり、二つなり、啼き連るるなり。その二つ啼きやめばまた、こなたより啼きしきるなり、ただ一つ啼きしきるなり。孟宗の片日射なり、山松の遠日射なり。かなたには輝りきらふ海、こなたにはわたる山霧、山ぎりに山の施餓鬼のほとほとに果つる頃なり。金色に秋の日射の斜なし澄みとほる中、蜩は啼きしきるなり、急き急きて啼き刻むなり、二つ啼き、一つ啼き、また、こもごもに啼き速むなり。
俳句
蜩が二つ啼きまた一つがこもごもに
岡の鉾杉
わが宿の岡のなぞへに、杉いくつ屯せりけり、せうせうと屯せりけり。鉾杉のひとむら木立、鉾杉の鉾を並べて、この朝明しぐるる見れば、霧ふかく時雨るる見れば、うち霧らひ、霧立つ空に、いや黒くその秀うかび、いや重く下べ鎮もり、いや古く並び鎮もる、凡てこれ墨の絵の杉、見るからに寒し厳かし、かうがうし寂し崇高し。あなあはれ岡の鉾杉、をちこちの小竹のむら笹、柿もみぢ、梅が枝の蔦、とりどりに色に出づれど、神無月すゑの時雨に濡れ濡れて、その葉枯れず、落葉せず、透かず、薄れず、ただ上べわづか赭みて天鵞絨の焦茶いろすれ、深ぶかと黒くか青く、常久に古び鎮もる。寂しくも寂しき姿、堪へ堪へて常立つ心。あなあはれ冬の鉾杉、海ちかき岡の鉾杉、鉾杉の渦成す霧に、涯知れぬ海も見わかず、ひさかたの空もえわかね、時をりは、渡りの鳥のはぐれ鳥ちりぢりと落ち、羽重の一羽鴉も飛びなづみ、ややに来て揺る。あなあはれ雨の鉾杉、見てあれば幽かに揺れて、ふる雨に幽かに揺れて、ただせうせうと音たてにけり。
榧と栗
伝肇寺、小さき古寺、この寺の山の墓場に榧と栗並び立ちたり。並びたちともに老いたり。榧の木は栗の木のそば、栗の木は榧のかたへに、さびさびてすでに老いたり。その榧よいつよりか老い、この栗よいつよりか立つ。榧と栗さびにさびつれ、なほし未だ花は咲きけり、年ごとに花はつけけり。榧の木はかすかなる花、栗の木は露はなる花、その榧に小さき榧の実、この栗に栗の青毬、風吹けば実さへ毬さへ、またいつかこぼれこぼれぬ、枯れ枯れて土にかへりぬ。見る人も知る人もなし。寺まうで墓まうでびと、たまさかに蹲み通れど、誰ひとり振りは仰がず、誰ひとり眼にもとめねば、ただ二木立てるのみなる、榧と栗さびるのみなる。あなあはれ、榧と栗の木、落葉する栗も寒けど、常青く立てる榧の木、冬の日はことに高しよ。栗の木はいよよ透けれど、榧の木はいよよか黒く、薄日射函根の入陽秀に受けてひとり尖れり、いや黒くひとり堪へたり。雨まじり霙ふる日も、風まじり雪の飛ぶ夜も、こごしくも凍え立ちたり。親しくも立ちて堪へたり。あなあはれ老木の二木、親しくも並ぶ姿の、寂しくも隣り合ふ木の、頼り無き二木を見れば涙しながる。
孟宗と月
さわさわと揺るるものあり。午夜ふけて揺るるものあり。わが※ の硝子戸の外、真透かせば月に影して凍え雲絶えず走れり。円かなる望月ながら、生蒼く隈する月の、傾けばいよよ薄きを、あな寒や揺るる竹あり。孟宗の重きしだれの重なりのその上に抜けて、ただひとり揺るる秀のあり。目か醒めし、夜風か出でし、さわさわと揺れて遊べり。しだれつつ前にうしろに、照りかげり揺れて遊べり。円かなる望月ながら、生蒼く隈する月の飛び雲の叢雲が間、ふと洩れて時をり急に明るかと思ふ時なり。目に見えてさわさわさわと、照り浮ぶ孟宗の、あな、一きは強き狐光のその月に、さながら生きて踊るかに、近明りして、勢ひ舞ふ、かと見ればまた、何か暗く薄かげりして、揺らぎ止み、揺らぎ騒立つ。この夜さや、夜鳥も啼かず、藪かげの隣の寺もしんしんと雨戸鎖したれ。時として川瀬の音の浪の音と響き添ふのみ。それもただ遠し、気疎し。あなあはれ、この夜の山に、何しらず目のさめしもの、我のみか、揺れそよぐあり。揺れそよぎ、独り遊ぶと、揺れそよぎこの目の外に、またさわさわと音立ててゐる。
荒浪千鳥の歌
磯長の小ゆるぎの浜、この浜や荒浪高し。この夜ごろいよいよ高し。時化つづき西風強く、夜は絶えて漁火すら見ね、をりをりに雨さへ走り、稲妻の青の映りに、鍵形の火の枝の棘ひりひり と鋭き光なす。そのただちとどろく巻波。時として雹さへ飛ぶに、なにぞ何ぞ乱るる鳥は、なにぞ何ぞ散り散る鳥は。目に見れば数かぎりなく、声きけば消なば消ぬかに、へうへうと連れ啼く鳥の、百千鳥、荒浪千鳥。荒浪の穂立の空を、とまるすべ、寝るすべ知らに、ただ飛びて散り散る千鳥。この海や涯し知られね、この荒れやはかり知られね、初夜過ぎて、また後夜かけて、闇ふかく翼ふる千鳥、この雨を、また稲妻を、ひた濡れてかがやく千鳥。ある声は遠くはぐれて、ある群は斜め乱れて、また或るは陸の方向き、また或るはちりちりと退き、すれすれに或るは落ちつつ波の上驚きて飛び、時に消え、時に明り、いよいよに暗く恐れて、いよいよに青に染まりて、時わかず連れ啼く千鳥、へうへうと凍ゆる千鳥。いつまでか全く迷ふぞ、いつまでか飛びてやまぬぞ。磯長の小ゆるぎの荒浪千鳥。荒浪の天うつ波の逆まきのとどろきが上、あああはれ、また、向き向きに、稲妻の青の脅えに連れ連れ乱る、啼き連れ乱る。
冬の山そば
大正十年冬、小田原近郊の散策より
冬の山岨
玉くしげ函根の山は短か日のことに短かく、み冬さり霜下り来れば、午過ぎて日の目も知らず。向つべの山は明れど、こなたなる高山の岨、風寒く木の葉ちるのみ。早や早やも土は凝りて、岩角の犬羊歯が下、枯れ枯れの雑木の根ごと、そくそくと氷柱さがれり。ほきほきと氷柱掻き折り、かりかりと噛みもて行けば、あな冷た、つめたかりけり。妻もまた冷たよと云ふ。二人ゆく高崖の上、何の枝ぞ透きてこまかにつや黒の果をちらつかす、ふり仰ぎ透かし見すれば、高く澄む空の青きにひえびえといそぐ雲あり、また薄く消ゆるものあり。長尾鳥飛びて叫ぶに、行きなづみ蹲みて瞰れば、あな寒むや渓裾紅葉、鉾杉の暗みを出でてひと明り紅く燃えたり、その紅葉淵に映れり。人知らぬ寂びと静けさ。その下に飛び飛びの岩、岩もまた幽けかりけり。冬はなほ幽けかりけり。あなあはれ、欅の枯木行き行けば見る眼に聳え、滝落ちてかげり陽迅し、あなあはれ、山の端薄陽。下見れば早や塔の沢、こちごちに湯の香煙りて、ちらちらと揺るる燈の見ゆ、海見えて漁火つく見ゆ。この岨や馴れし山岨、遠く来し旅にもあらね、さは急ぐ道にもあらず。我がどちや言にこそ出ね、今さらの連れにもあらねば、ただ二人ほつりほつりと、日の暮はほつりほつりと、また家路さし下るのみなり、降りるのみなり。
冬の日棚田
丘窪の冬の棚田はねもごろにうれしき棚田、寂び寂びて明るき棚田。たまさかに鶸茶の刈田、小豆いろ、温かきいろ、うち湿る珈琲の土。下田にはいくつ稲村白金の笠めき和め、上畑は緑の縞目、わづかにも麦ぞ萠えたる。その畑に動く群禽つくづくと尾羽根振りては、また空へ飛び立ち翔る。あな冷た群の鶺鴒群れ飛べど目にもとまらず。いづこにか鵯は叫べど、風騒ぐけはひも聴かず。ただ低き日あたりの中、茅屋根の物静かなる、紫に寂び沈みたる、人気なき庭にはあれど背戸ごとに柿の実も見ゆ。裏丘へのぼる小径は孟宗の林に見えて、その藪の上の日向に蜜柑もぐ人もよく見ゆ、声高になにか語りて燧石切る莨火も見ゆ。珍らかにいとど澄めばか、遠近の枯葉のくぬぎ、草もみぢ、耀く薄、おしなべてかくて安けし。あなあはれ、ここの丘窪、明るけど古さび棚田、うれしけど冬の日棚田、その空に翔る群禽、鶺鴒の薄黄の羽根のただ波うちて影もとまらず、影もとまらず。
落葉行
ひとりゆくこの山岨は、落葉のみ溜り湿れり。落葉踏み踏みつつ行けば、いづく飛び鵯高音うつ。かさこそり、櫟の枯葉わがかたへまた声立てぬ。日おもての草崖薄、その穂にも落葉かかれり。草紅葉まだ温くけれど、その上にも落葉うごけり。向ひ山、こなたの小丘、見るものはみな枯木のみ。空ぐるま軋るを見れば、上岨を尻毛振る赤馬、ひようひようと吹かれゆく馬子、みな寒き冬のものなり。渓の上の小茶屋の椅子も紅葉積み、その渓かけて、はらはらと落葉ちりゆく。山窪の幾むら藁屋、水ぐるま廻れる見れば、ほとほとに水も痩せたり。欅原ただ目に寒く、雨のごとちる落葉あり、よく見ればいよいよ繁し、声立てていよいよ寂し。ほうほうと立てる雑木の岨路ゆき、別れ径ゆき、当処さへ果てはわかねど、風のまま歩みのままに、行き行けばただ落葉なり、前うしろただ落葉なり、かさこそと、また、はらはらと、空にも地にも声ばかりして。
落葉吟
かうかうと照る月ながら、雨のごと飛ぶ落葉かな。ああ落葉、その影見れば、秋も早や老いにたるらし。ああ落葉、その声きけば、おのづから冬か待たるる。身の老といふにはあらね、おのれまた若しともなし。さやけさはかかる夜ながら、見の惚れむ光にあらず、杉木立青きはあれど、隣山早やも痩せたり。枯れ枯れの木の枝を透きて、月はただ遠くあらはに、落葉また風に吹かれて、へうへうとかぎりも知らず。いつの日かまたと還らむ、いつの世か久しかりちふ。これやこの常なかる世に年月の移らふまにま、我はあり、我はあれども、いつ知らず後べのみ見る。なほなほも先ぞ気遠き。而かもなほ過ちにけり。つくづくと恥ぢ泣きにけり。さりとては諦も得ず、また和の悟りをも見ね、ただすこしおのれ知るからただ堪へて遜るのみ。ややややにかくてあるまで。寂しがり寂しがるなる。ほとほとに堪へは得ぬとも、この寂びや、身もて得し寂び、せめてものまだ頼りなる。ただたのみただ守るべき。ただひとり物も思はむ。さてひとり歩み歩まむ。あはれなる末の末かも、飛びちらふ落葉なるべき。落葉なら風のまかせよ。照る月に、北山風に、夜あらしに、影は影とし、はらはらと、ただ、はらはらと声ばかりせよ。
俳句
おらもまたあなたまかせよ一茶坊
竹林の早春
大正十一年の早春、小田原木兎の家の生活より
水仙と菊
※ 掛の絹寒冷紗、硝子扉の外の短か日、短か日の斜めの陽ざし。※ 掛の絹寒冷紗、その蔭の水仙と菊、鉢台の薄玻璃の壺。今朝咲きし一重水仙、いつの日か挿しし寒菊。冷たくて白き水仙、やや温く黄なる寒菊。水仙の青の葉は張り、寒菊の葉は半ば枯る。水仙は水仙の影、寒菊は寒菊の影、その壺も玻璃の影して、栗色の砂壁に在り。硝子透き、※ 掛を透き、斜め陽の明るみぎりは、冬もなほいつくしく見ゆ、頼無き影としも無し、柔かく親しかりけり。薄玻璃の影もゆらげり。妻とゐる二階の書斎、午過ぎはただ閑かなり。湯沸のふき立つる湯気、わがふかす煙草のけむり、また揺れてその壁にあり。妻の影、わが影もあり。水仙と寒菊の花、現身にうつつに観れば、まこと今あはれなりけり。水仙と寒菊の影、現なく映らふ観れば、現なし、寂しかりけり。近々《ちかぢか》と啼き翔る鵯、遠々《とほどほ》とひびく浪の音。誰か世を常なしと云ふ、久しとも愛しとも思へ。山に住み世に離るとも、全く世を厭ふにあらず、五月蠅やと、切に思へど、人来ねばたづきも知らず、妻と我、二人居れども、かくてあれども、時をりはただ寂しくて、眼を見合せぬ。
聴けよ妻ふるもののあり
聴けよ、妻、ふるもののあり。かすかにもふるもののあり。初夜過ぎて夜の幽けさとやなりけらし。ふりいでにけり。何かしらふりいでにけり。声のして、ふりまさるなり。雨ならし。いな、雪ならし。雪なりし。雪ならば初の雪なる。よくふりぬ。さてもめづらにふる雪のよくこそはふれ、ふりいでにけれ。さらさらと、また音たてて、しづかなり、ただ深むなり。聴けよ、妻、そのふる雪の、満ち満ちて、ただこの闇に、舞ひ深むなり、ふりつもるなり。
俳句
たまさかに浪の音して夜の雪なり
元旦の夜のこと
あな疎忽、吐息いでたり。気にかけそ、何といふ事もあらぬを。また妻よ、焙じてむ玄米の茶を。来む春の話、水仙の話、やがて生れむ子のことなども話してむ。元旦のこの夜の深さ、山住の我らなるゆゑ、いついつとかはりは無けど、今日はまたとりわけて、よろしかりけり。全く今しづかなりけり。今さらに何をかや云ふ。この夜さのこの安けさは神ぞただ守りますべき。心ゆくうれしさの中、我はただ詩を思ふなる、汝また差しのぞくなる。しづかなり、ただあはれなり。筆動く音のみぞする。身じろきの、息のみぞする。さてあらば夜も明けぬべし。あれ聴けよ、鶏啼くらしき。また聴けよ、浪の音なる。二人ただかくて起きゐて、まこと今ただ二人なる。二人なるいのちの息の、おのづから触れかよふかな。親しくもゆき通ふかな。蜜柑なと一つむきてむ。近々《ちかぢか》と火にむかひゐむ。またすこし炭つぎ足して、さて待たむ、二日の朝の海原の紅き日の出を。
蕗の薹
新らしき蕗の薹かな。珍らしき苦き香ぞする。その蕗の薹、一つ刺し、二つ刺し、竹の小串に三つ刺して、さて味噌つけて、火に焼きて、あな苦さよと一つ食べ、あなうまさよと二つ食べ、あないつくしと三つ食べて、さてさびしやと我ゐたり。春さきの、あは雪の、消なば消ぬかの、声聴きてけり、そのしばらくは。
竹林の早春
わが庵の竹の林に、こぬか雨今朝も湿れり。春さきのこぬか雨なり。ふるとしも見えぬ雨なり。こぬか雨笹にこもりて、香※ 《た》けば香もしめりて、事もなし、ただ明るけし。こまごまと濡れかかるのみ、縹緲と煙曳くのみ。しづかなり、ただ安らなり。顔出して、つくづく居れば、笹子啼き、目白寄り来る、笹葉揺り揺りてまた去る。散りたまる去年の枯葉も、寂しけど寒しともなみ、何かしら萠ゆる緑の、春は早や竹の根にあり。よき湿りかくて湿らば、竹煮草、葛、蕗の薹ややややにすずろき出でむ。髭長の藪の菎蒻、菫などやがて咲くべし。松風の声は沈めど、常ならぬさびしさならず。裏岨ののぼりくだりに、ほつほつと通る馬さへ、時をりは青きつけつつ、声高の人の話も、濡れながら行けば親しよ。静こころ香をつぎつつ、さて、今日もうら安くこそ。こぬか雨ふるがごとくに、こまごまといつくしみてむ春さきの我の思を。
ころころ蛙の歌
春さきのころころ蛙、一つ鳴き、二つ鳴き、ころころと後続け鳴き、ふと鳴き止み、くぐみ鳴き、また急に湧きかへり鳴く。いよいよに声合せ鳴く。近き田のころころ蛙、よく聴けば声変り鳴く。声変り、一つ一つに、あなをかし、鳴けるさま見ゆ。あちら向きこちら向き、飛び飛びて、また水くぐり、うちひそみ、頬をふくらかし、鳴き鳴ける咽喉のさま見ゆ。あなをかし、近田の蛙、さみどりの根芹か湿る、塗畔かまだ新らしき。雨もよひ雨よぶ声の、寒けども寒しともなし、寂しけどなにか笑へり。友よびてまた鳴く蛙、遠田にも遥かどよもす。あなあはれ、遠田の蛙、また聴けば、遠く隔てて、夜の闇の瀬の音隔てて、いや離りうち霞み鳴く。また寄せて近まさり鳴く。遠つ浪辺に寄するごと、遠つ風吹き寄するごと、その声は夜空つたひて、いよいよに近く響きて、さて絶えて、また続け鳴く。近き田もまた競ひ湧く。初夜過ぎてまた後夜ふけて、なほなほにどよもす声の、おそらくは夜の明くるまで。萠黄月、月の円暈、遠近の薄き飛び雲、濡れ濡れてちろめく星の、糠星のかげ白むまで。ころころと、またころころと、夜もすがら、夜をただ一夜、春さきのをさな蛙が、声かぎり、また声かぎり、ここだく鳴くも。
立枯並木の歌
大正五年、葛飾小岩の紫煙草舎の生活より。
但し、鳥の啼くこゑ 外一篇は当時の作。
その他は十年春作。
立枯並木の歌
霜ふかき野川の堰、あはれよと今朝見に来れば、いつとなく水量涸れつつ、隙間なく氷張りけり。枯すすき、土堤の枯草、凍りつき白くきびしく、両側の立枯並木、いよいよに白くさびしく、雪空の薄墨色にこまごまと梢明り、下空の小枝のほそ枝立ちつづき、見れども飽かず、入り交り網目して透く。両側の立枯並木、下見れば一側並木、時をりにとまる鴉もその枝の霜にすぼまり、渡り鳥ちらばる鳥もその空に薄煙立つ。風吹けばかすかに揺れ、雪ふればいよよしづもり、さむざむと時雨るる夜半も、月あかり落ちゆく暁も、消なんとし消たずかすかに、現にもうつしけなくも、ただ寂し薄し果敢なし。霜ふかき野川の堰、今朝もまた氷張りけり。その川の両側つづき、隙間なく枯木つづけり。あなあはれ立枯並木。
潮来の入江
すな真菰、真菰が中に菖蒲さく潮来の入江、はるばると我が求め来れば、そのかみの潮来の出嶋荒れ果てて今は冬なる。旅やどり、消ゆるばかりに、一夜寝て寝ざめて見れば、霜しろし水の辺の柳、何一つ音もこそせね、薄墨の空の霧らひにただ白く枝垂れ深めり。枝垂れつつ水にとどけり。また白き葦にとどけり。そのかげの小さき苫舟、いよいよに霜の凍りて、こまごまと霜の凍りて、舟縁も苫も真白く、櫓も梶も絶えて真白し。つくづくと眺めてあれば、閑かなる入江のさまや、苫舟にのぼる煙も、風無けば直ぐに一すぢ、ほそぼそとしばしのぼれり。広重のその絵の煙、目に見れば浮世なりけり。あなあはれ水の辺の柳、あなあはれかかりの小舟、寂しとも寂しとも見れ。折からや苫をはね出て、舟縁の霜にそびえて、この朝の紅き鶏冠の雄の鶏が、早やかうかうと啼き出けるかも。
夜の雪
この夜さも雪はふりけり。かの夜さも雪はふりけり。その声や霊も消ぬかに、降り積り、消ぬる白雪。白雪のふれば幽かに、たまゆらは澄みてありけど、白雪の消ぬるたまゆら、ほのかなるまたも消にけり。白雪のはかな心地の、我身にも遣るかたもなし。
鳥の啼くこゑ
かおかおと啼くは鴉、ぴよぴよと啼くは雛鶏、雀子はちゆちゆとさへづり、子を思ふ焼野の雉子、けんけんと夜も高音うつ。現身の鳥の啼く音の、なぞもかく物あはれなる。天わたる秋の雁金、春くれば遠き雲井にかりかりと消えて跡なし。
米の白玉
大正五年葛飾小岩の生活より、十年春作。
アツシジの聖の歌
アツシジの聖フランチエスコの物語。フランチエスコは雀子を愛しみ給ひき。雀子も慕ひまつりき。現身の人にてませば、かの人も亦、人のごと寂しくましき。寂しくて貧しくましき。寂しくて貧しきが故、遜り、常に悲しくましましき。いといと悲しくましましき。それ故に、末遂に神を知らしき。その聖道のべに立たしめたまへば、雀子は御後べ慕ひ、御手にのり、肩にとまりき。さてちゆんちゆんと鳴いたりき。あなあはれ、雀子よとて雀子を撫でさすり、掻い撫でさすり、偽りなせそ、むさぼりそよ、おのづからなれ、正しく、直く、常童にて、天地の神ごころにも通へとぞ、悲しかれよと宣りましき。御法説かしき。雀子を愛しみたまへば、雀子も慕ひまつりき。雀子にも解きやすき御言葉なれば、雀子も御言葉ををろがみまつり、羽根をすり頭さげてき。またちゆんちゆんと鳴いたりき。さて徒に物を欲り、浮かれ、たばかり、盗まざりけり。偽らず、安らなりけり。かかる時、草原に露満ちて、虫鳴きそそり、飾り無き野の花のかをりも吹く風の涼しきままに、空は円く澄みわたりて、また、塵ひとつだにとどめざりければ、聖の御頭かすかに後光をはなち、差しのべたまへる両つの御手の十の御指は皆輝きて、その掌の雀子さへも光るばかりに喜び羽うち、御前に輪を成す雀のむれもみなみな雀の後光をかすかに立ててぞ啼き恍れ遊ぶ。フランチエスコは御空を仰ぎて、主よ、主の奴僕はかくありぬ、かく貧しきが故にこそ世のあらゆるもろもろの御宝をも却つて主のごとく、この身ひとつに保ちまつる、ありがたやハレルヤとぞ、涙ながして讃め祷りませば、雀もともに、ハレルヤ、ハレルヤと、眼を上げ涙ながして御空を仰ぐ。現身の人の聖と現身の鳥の雀と、雀とフランチエスコと、朝夕に常かくなりき。あなあはれ、世の常の事にはあらずよ。温かき御心ゆゑぞ、大きなる博き御心もてぞ、ありとある愛しみたまへば、御心は神にもいたり、雀にも通ひましけむ。あなあはれ、人のこの世の現にも、かかる聖のましまししものか。
米の白玉
一
ましら玉、しら玉あはれ。白玉の米、玉の米、米の玉あはれ。そを一粒、また二粒、三粒、四粒と数ふれば白玉あはれ。うすき瀬戸白の小皿に、幾すくひすくへどあはれ、かそかそと声ばかりして、ころころと音ばかりして、掻き寄せて十粒に足らず、ひろへれど十粒を出でず、かそかそところころと、声するは、空しき櫃の、空櫃の米櫃の底。ましら玉、しら玉あはれ。白玉の米、玉の米、米の玉あはれ。
二
ましら玉、しら玉あはれ。白玉の米、玉の米、米の玉あはれ。そを一粒、また二粒、三粒、四粒と数ふれば白玉あはれ。掻きよせて十粒に足らず、ひろへれど十粒を出でず。今は早や我は饑ゑなむを、我妻もかつゑはてむを、ましら玉しら玉あはれ。さは云へど米のしら玉、貧しとてすべな白玉、その玉を雀子も欲れ、ひもじきは誰もひとつよ、雀子も来ては覗き、饑ゑて鳴き、鳴きては遊び、遊びては求食り、求食るを、米の玉あはれ。雀来よ、雀来よ来よ、いとせめて啄めよこの米、ひもじくばふふめこの米、汝らが饑ゑずしあらば、うまからば、うれしくかはゆく鳴くならば、白玉あはれ。わがどちはこの我は、わが妻とても、今さらに食さずともよし、食さずともよし。ましら玉、しら玉あはれ。しら玉の米、玉の米、米の玉あはれ。
三
ましら玉、しら玉あはれ。しら玉の米、玉の米、米の玉あはれ。絶ち絶ちて幾日をか経し、饑ゑ饑ゑて幾夜をか経し、この我や生きて貧しく、生きんすべせんすべだにもなきものを、米の玉、しら玉あはれ。はづかなるあるかなきかの金を得て、かきよせて、市のちまたに米買ふと破れし嚢を手にさげて、これに米、すこし賜べよと乞ひのめば、入れて賜びけり、さらさらと入れて賜びけり。うれしくて走り出づれば金賜べと人の驚く。忘れたり、ゆるされませと赤らみて、金置きてまた駈け出れば、うしろより米はとおらぶ。驚きて、また忘れたり、ゆるされと、此度はしかと、しら玉の米の嚢をひきかつぎかかへて戻る。米の玉、しら玉あはれ。現なるこれや現か、ゆめならず、現なりけり。その現、現なるこそうれしかりけれ。しら玉の、ましら玉の、ましら玉の、しら玉あはれ。しら玉の米、玉の米、米の玉あはれ。
犬と鴉
一
犬の子に白き飯皿、子鴉に青き飯皿、朝夕に同じ飯盛り、おのがじじ食せよと呼べば、犬の子は己が飯惜しと、子鴉は己が飯惜しと、犬の子は子鴉が飯、子鴉は犬の子が飯、ひたぶるに奪ひ取らむと、ひたぶるに盗み食さむと、ただ啼きつ吼えつ噛みつす。己が飯はすでにあまるを。己が飯に足れりとはせで、なじかさは他の物欲る、なじかさはよその物欲る。同じことかはゆきものを、同じこと飯は盛れるを。犬の子よ、子鴉よ、あはれ。
二
あなあはれ、みぎりひだりに、子鴉と犬の子と寄る。此方向けば子鴉あはれ、其方向けば犬の子あはれ。二方の鳥よ獣よ。ひとしけくかはゆきものを、同じけくかなしきものを、いづれ別きいづれ隔てむ。かにかくに両手あげつつかろく叩き、撫でてあやせば、羽根はたき尻尾ふりきる。ひもじきかさらば食せよと、一つ掌に牛の乳盛れば、子鴉はみぎりより来て、犬の子は左よりきて、嘴と口つつき合せて、啄き嘗め、啄き嘗めつす。また、そねみ、惜み、にくまず。あなあはれ空飛ぶ鳥と、地を匐ふ家の畜と、いつのまにかくや馴れけむ、なじかさはかくも親しき。これやこの人の我が掌に相睦み和むを見れば、今さらに喜ぶ見れば、この我や、みぎりひだりにとみかう見涙しながる。
童と母
大正二年―三年、麻布の生活より。
麻布山
麻布山浅く霞みて、春はまだ寂し御寺に、母と我が詣でに来れば、日あたりに子供つどひて、凧をあげ独楽を廻せり。立ちとまり眺めてあれば、思ほゆる我がかぶろ髪。ほほゑみて母を仰げば、母もまたほほと笑ませり。けだしくや我がかぶろ髪、母もまた忍ばすらむか。我が母は何も宣らさね、子の我も何もきこえね、かかる日のかかる春べに、うつつなく遊ぶ子供を見てあれば涙しながる。
童と母
垂乳根の母の垂乳に、おしすがり泣きし子ゆゑに、いまもなほ我を童とおぼすらむ、ああ我が母は。天つ日の光もわすれ現身の色に溺れて、酒みづきたづきも知らず、酔ひ疲れ帰りし我を、酒のまばいただくがほど、悲しくもそこなはぬほど、酔うたらば早うやすめと、かき抱き枕あてがひ、衾かけ足をくるみて、裾おさへかろくたたかす、裾おさへかろくたたかす、垂乳根の母を思へば泣かざらめやも。
その三
ほのかなるもの
大正二年、麻布にて。
ほのかなるもの
ゆめはうつつにあらざりき。うつつはゆめよりなほいとし。まぼろしよりも甲斐なきはなし。
幽かなるこそすべなけれ。美しきものみなもろし。尊きものはさらにも云はず。
ひとのいのちはいとせめて、日の光こそすべなけれ。麗かなるこそなほ果敢な。星、月、そよかぜ、うすぐものゆくにまかする空なれども。
ふりそそぐものみなあはれなり。雨、雪、霰、雹に霙、それさへたちまち消えうせぬ。
土に置く霜、露のたま、靄、霧、霞、宵の稲づま、ほのかなれども水陽炎のそれさへ頼むに足るものなし。
煙こそあはれなれども、捉へられねばよしもなし。山家にゆけど、野にゆけども、水のながれを堰くすべもなや。
ちちろと歎く蓑虫も、蛍の尻もみな幽けし、なまじ寝鳥の寝もやらぬ春のこころの愁はしさよ。
色ならば、利休鼠か、水あさぎ、黄は薄くとも温かければ、卵いろとも人のいふ。
水藻、ヒヤシンスの根、海には薔薇のり、風味あやしき蓴菜は濁りに濁りし沼に咲く、なまじ清水に魚も住まず。
花と云へば、風鈴草、高山の虫取菫、蒜の花。一輪咲いたが一輪草、二輪咲くのが二輪草、まことの花を知る人もなし。
葉は山椒の葉、アスパロガス。蔓は豌豆、藤かづら。芥子に恨みはなけれども、その葉ゆゑこそ香も青く、ひとに未練はなけれども、思ひ出のみに身はほそる。
あはれなるもの、木の梢。細やかなるもの、竹の枝、菅の根の根のその根のほそ毛、絹糸、うどんげ、人参の髯。
はろかなるもの、山の路。疲れていそぐは秋の鳥、とまるものなき空なればこそ、こがれあこがれわたるなれ。玻璃器のなかの目高さへ、それと知りなば果敢なみやせん。
巣にあるものはその巣をはなれ、住家なきもの家をさがす。栗鼠は野山に日を暮らし、巡礼しばしもとどまらず。殻を負ひたる蝸牛はいつまで殻を負うてゆくらむ。
かへり見らるる船のみち、背後の花火、すれちがひたる麝香連理の草花の籠、ひとの襟あしみなほのかなれ。
笛の音の類、朝立ちの駅路の鈴、訪ふ人もなき隠れ家のべるの釦のほのかに白き、小夜ふけてきくりんのたま。
影はなによりまた寂し。踊子のかげ、扇のかげ、動く兎の紫のかげ、花瓶のかげ、皿に転がる林檎のかげはセザンヌ翁をも泣かすらむ。
夏はリキユール、日曜の朝麦藁つけて吸ふがよし。熱き紅茶は春のくれ、雪のふる日はアイスクリーム、秋ふけて立つる日本茶、利休ならねどなほさら寂し。
味気なきは折ふしの移りかはり、祭ののち、時花歌のすぐ廃れゆく。活動写真の酔漢の絹帽に鳴くこほろぎ。
さらに冷たきもの、真珠、鏡、水銀のたま、二枚わかれし蛇の舌、華魁の眸。
しみじみと身に染みるもの、油、香水、痒ゆきところに手のとどく人が梳櫛。こぼれ落ちるものは頭垢と涙。湧きいづるものは、泉、乳、虱、接吻のあとの噎び、紅き薔薇の虫、白蟻。
誤ち易きは、人のみち、算盤の珠。迷ひ易きは、女衒の口、恋のみち、謎、手品、本郷の西片町、ほれぼれと惚れてだまされたるかなし。
忘れがたきは薄なさけ。一に好色、二に酒の味、三にさんげの歌枕。わが思ふ人ありやなしやと問ふまでもなし都鳥、忘れな草の忘れられたるなほいとし。
浅くとも清きながれのかきつばた。偽れる、薄く澄ませる、また寂し。まことなきものげに寂し。まことあるものなほ寂し。しんじつ一人は堪へがたし。人と生れしなほ切なけれ。
思ひまはせばみな切な、貧しきもの、世に疎きもの、哀れなるもの、ひもじきもの、乏しく、寒く、物足りぬ、果敢なく、味気なく、よりどころなく。
頼みなきもの、捉へがたく、表現はしがたく、口にしがたく、聴きわきがたく、忘れ易く、常なく、かよわなるもの、詮ずれば仏ならねどこの世は寂し。
まんまろきもの、輪のごときもの、いつまでも相逢はず平行びゆくもの、また廻るもの、はじめなく終りなきもの、煙るもの、消なば消ぬかに縺れゆくものみなあはれ。
芸は永く命みじかし、とは云ふものの、滅び易きはうき世のならひ。うたも、しらべも、いろどりもゆめのまたゆめ。
うつつをゆめともおもはねど、うつつはゆめよりなほ果敢な、悲しければぞなほ果敢な、幻よりもなほ果敢な。
青空文庫より引用