観相の秋


  序 

 虚と実とは裏と表である。実にして虚、虚にして実なるが故に尊い。何れは先づ実相のまことを観、観て、深く到り得て、更に高く離れむ事をわたくしは願つてゐる。
 実相に新旧のけぢめは無い。常に正しく新らしいからである。これを旧しとなすは観て馴れ過ぎたからである。一時の流行は時とともに滅びる。而も人はただ新奇を奔り求める事に於てのみ、その詩境を進め得るものと思つてゐる。然し何ぞ知らむ。此の東に於てひたすら彼の西の旧を趁うて新らしと成す秋に、却て西に於ては此の東方に道を求める事が常に新風発生の素因を成してゐる。かうなると何が新らしいかと思はせられる。
 再び云ふ。実相のまことこそ常に正しく新らしいものである。いつ観てもまことなる事に於て渝りは無い。芭蕉の説いた不易はこの永生の流に通ずるまことの詩の精神である。詩の正風はさうした精神に根柢を置く。この精神は殊に我が東洋芸術の真髄と成すところのものである。
 此の集の詩もおそらくは今人の眼に旧しとせられるであらう。それでわたくしはいいのである。詩境の高さは観相そのものの高さに由る。気品は巧みて得らるるもので無い。その人のおのづからなる円光である。だからわたくしは所謂新奇に浮かれて飽かざる事よりも詩のまことの大道をただ一筋に修めて行けばいいのである。
 此の集には詩文(私は散文詩なる飜訳語を好まない。)と長歌体の詩篇とを収めた。詩文には口語脈と雅文脈との二種がある。何れも純粋の意味に於ける詩として書き下ろしたので無い。私にとつてはこれらは矢張り詩文であると遜る方がほんたうである。一方にまた長歌体を選んだのはさう成る可き内容だつたからである。長歌は万葉に由来するが、わたくしのものは万葉のそれとも違ふ。わたくしの詩の内容にその形式を採つたのである。此の形式のすぐれたところはかの絃楽の如く絶えんとして続き、続きつつ縹緲としてまた絶えんとする一流れのリズムの起き伏しにある。ことさらに行を別けず其まま書き下したのもその故である。兎角、日本のものはかういふ風にしぜんに書き下すのがほんたうのやうである。
 わたくしはまた、この頃流行の自由詩の殆ど多くを真の詩とも自由詩とも思つてゐない。どう考へても行を別けただけの散文で、すぐれた或る種の文章よりももつと弛緩したリズムの、而も粗雑な思想の概念をただ放恣に非音楽的に述べたに過ぎぬと思つてゐる。
 詩は詩である。詩に重んず可きはその高い精神である、韻律である、香気である、気韻である。
 大正十一年六月
 小田原にて
  白秋識 
 
 


  その一 


 


  簡素な庭 

 
 
 古風の庭      大正十年秋、上州富岡某氏別荘にて
 紅葉を焚いて    同七年秋、名古屋月見坂にて
 山中消息      同七年冬、小田原伝肇寺にて
 
 
 


  ある人の庭 

 
さびしい庭だ、しづかな庭、古めかしい日本の庭、風雅な庭、それでも極りきつた、強ひて取澄した庭、幽かな庭。

さびしいがはあたつてゐる。すべてが穏かな秋のなかばのあかるさだ。かがやきの無いかがやき。物音の無い、人のも無い庭、森閑とした庭、幽かな庭。

たれがこさへたものか、とにかく昔風の茶人好みの庭、何の自然も無いのに、形は心を写してゐる。こさへた人もさみしかつたか、心がそのまま現れてる。それが古びていつのまか、おのづと自然な眺めにびた。俳画の庭、幽かな庭。

日はひるすこし過ぎ、空は高いが、何処どこからとなく、うつすらした雲のかさが、白くよどむで来ては掻き消えてゆく。築山の羅漢柏あすはひのき、枝ぶりのくねつた松、ばらばらの寒竹、苔蒸した岩、瓢箪形の池の飛石、みぎは小亭ちん、取りあつめて、そのまま一つのすがたになつてる。動きの無い庭、幽かな庭。

濁つた池のおもては錆び果てて、何の色香も無い庭だが、隅このちひさな石橋の蔭には、れ残つた蓮の浮葉が二つか三つ、下のあはれなすがれ葉には、時おくれの精霊蜻蛉が休んでゐる。その蜻蛉の透きとほつた赤い翅だけが、光つてゐるといへば光つてゐる、たつたそれだけのことだ。そよとの風も無い庭、しづまり返つた庭、幽かな庭。

あまりにかけ離れた、世間のそとの気疎い庭。時には池水の深い底から、しんしんと何かが溢れて来て、ともすると冴えた輪波を拡がらせるが、それもまた何の手応てごたへも無く、しんに還つて了ふ。と、蜻蛉もついと立つて、またあちらこちらと、留り留り、それも、あるかなしにそこらを揺り醒まして、何処どこかしらへゐなくなる。それつきり、ほんの一寸ちよいとの果敢はかない動き。声も無い庭、幽かな庭。

それでもはあたつてゐる。すべての影が池のおもてにある。ひとつひとつに光りもせねば、そよぎもせず、影は影とわかれ、濃淡をつけ、同じところにやはり同じ姿を落したままで、それでそのまま日の暮の朧ろのかげりを待つばかりだ。どうにもならないさびしい庭、深い気配けはひの庭、幽かな庭。

鶺鴒が来た。おや、ひんこつひんこつ とやつてゐる。やや寒うなりかけた小亭ちんの、りかへつた小屋根のはしで、いくら振つても振つても、黄色い尻尾は、いよいよ切ない刻みを早めるばかしだ。何時まで経つてもをさまり返つた庭、さみしい庭、さびしいさびしい幽かな庭。
 


  紅葉を焚いて 

 
紅葉もみぢして来た。庭の楓が紅葉して来た。紅葉ばかりになつて了うた。障子を開けて、つくづくと眺めてゐると、かうまで楓の多い庭だつたかと、今更に驚かされる。わたしも妻も二人とも、その楓の中の一つに、今まで居たかと驚かれる。今朝はまた殊更に、紅葉の光沢つやがよう冴えて、小松のそばの楓など、明るいほどにあかく透いてる。まだ黄色きいろ下葉したば裏葉うらば、あれも程なく枯れるであらう。ああ、秋もふけたと見てゐるうちに、もう褪せかけて、風もないのにはらはらと散る紅葉もある。それも寂しい私達には恰度程よい寂しさだ。簡素な紅葉、静かな紅葉、その紅葉の下枝には、雀も二羽来て啼いてゐる。寒い朝ゆゑ、それは冷めたい囀りだ。二羽でも雀も寂しからう、紅葉ばかりで、と思うとまた、私達の寂しい旅の姿がかへり見らるる。紅葉して来た。庭の楓も紅葉して来た。紅葉ばかりになつて了うた。

紅葉して来た。庭の楓が紅葉して来た。紅葉ばかりになつて了うた。寒くなつたと私が云へば、妻も左様で御座います、寒い朝でと袖を合せる。旅の事ゆゑ、なほさら寒さもみるであろ。さうはいふものの、たとへ二十日はつかでも住み馴れて見ると、この離家はなれが何とはなしに古びて来て、矢つ張り二人ふたり住居すまゐらしい。二人もどうやら落ちついて来た。紅葉でも焚いて見ようかと、私が云へば、妻も素直に、焚いて見ませう、寂しいからと庭に下り立つ。竹の箒で私が掃けば、かがんで妻が拾ひ集める。かさこそと、落葉と落葉が擦れ合うて、それを二人で集めてゐれば、今はもう秋も限りと思はれる。遠州風の濡れ石の上、枯れた芝生の凹みなどに、落葉は一入ひとしほ哀れ深うて、つち湿しめりもにじみ過ぎてる。紅葉して来た。庭の楓も紅葉して来た。紅葉ばかりになつて了うた。

煙が立つ。煙が立つ。庭の楓の紅葉の蔭から、煙が立つ。紅葉を焚いて、ふすふすと白うくすぼる煙のかげで、あつたかいぞと私がかがめば、妻も双手もろてをかざして蹲む。青い枳殻からたちの小枝などまた折りくべて、長い感冒かぜであつたと私が云へば、私もどうやら感冒気かざけでと、妻もわびしい。大切におし、旅で病んでは心細い、私も今度は頼りなかつたと、私も紅葉をまた火にくべる。ほんとにね、それでも早うおなほりになつてよかつたと、妻もまた紅葉をくべる。それもみなお前のお蔭だ、よく来て呉れた、難有かつたと、しみじみ、私は煙にせる。いいえと妻も、向うへ立つて、紅い紅葉を拾うて来る。早う帰らう、お前がまた病気にならぬうちにと云へば、ほんとに早く帰りませう、何と云つても自分の家がいちばんいい、旅は寂しい、心細い。殊にここらは霜が深うて、もう雪にでもなりさうなと、一きは赤く火を吹き立てる。煙が立つ。煙が立つ。紅い楓の葉蔭から煙が立つた。

紅葉して来た。庭の楓が紅葉して来た。紅葉ばかりになつて了うた。旅に来て長らく病んだが、心細いものだ。俳諧の聖芭蕉でさへも、旅に病んでは寂しかつたか、夢は枯野をかけめぐると、云うたではないか。お互ひに大切だいじにする事だ、愛惜いとほしい物は命だと、私が云へば、妻も寂しく笑つて噎せた。いい煙だ、寂しいいい紅葉だ、せめてもう少し温まつてと、紅葉を焚いて、枝の紅葉ももう末かと仰いで見れば、はらはらとまたこぼれてくる。もういい、もういい、いい程に焚いて朝飯にしませう。煙が立つ。煙が立つ。紅い楓の葉蔭から煙が立つた。
 


  山中消息 

 
寂しいものは山の住居だと人もいふ。人里を少しでも離れると、けつく気楽なと思はぬでもないが、さりとて、人に逢はねばやつぱし寂しいものだ。たまさか通りがかりの人声の、小荷駄馬でも曳き、蓆でも着て、裏の岨路を、えつちやほう 、はいしとうとう と叱りながらにのぼりする、耳につき、つい目につくのも心丈夫な思ひがする。いよいよ死にました、ちひさい赤んぼでございましたと、小さいひつぎをかついで来てさへなほさらだ。生きとし生けるひよや百舌、つぐみのたぐひ、木々の枯葉に驚く声も、けけつちやう 、ちやうちやう 、きいりきいり と親まる。

空は晴れても、冬は日あしが短うて、いつとなく黄ばみかけると、早くも夕焼方の風向かざむきとなる。縁に出て、ぽつねんと眺めてゐると、何ともないやうでゐて心ぼそさが身に染みる。傾いた萱屋根の山門も、向うに見えて、其処から続いた一筋道の、此方はさらに奥ぶかくて、雀のお宿とでも云ひさうな、これが私の住居かと思へば、堪へられぬ。朽ちはてた外柱そとばしらには、日あたりがよくてか、覇王樹サボテンや竜舌蘭など匍ひ絡んではゐるものの、掛け忘られた数珠の緒の二くさり三くさり、もうぼろぼろに腐れかけてる。これが仏のゐられる寺だ。

寒々《さむざむ》と揺れてゐるものは、孟宗のほづえ、ささ栗のそばのかやの木、枯枝の桐の莟、墓原のかうのけむり。井戸端のあかい山茶花は散りつくして、昨日きのふ咲いた庭の白薔薇だけが新らしかつたが、今朝けさ人が来て切つて了つた。ところどころに白い萱の穂もそよげば、一羽の白い鶏でさへ、吹かれどほしで消えもやらぬ。それは寂しい揺れ方だ。

遠々《とほどほ》に消えてゆくものは雀のかげ、冬陽ふゆびの名残、時雨も幽かにわたつてゆくが、ともすると、いつのまにやら雪になつてる。函根あたりは猶さらだ、白い白い雪の野山だ。

簡素だと思へば簡素、寂しいと云へば寂しい。一人でゐてもゐられるものの、なまじ、二人で慰め顔に、エネチアまがひの古い洋燈ランプなどとぼして見るので悲しくなる。

人は人、どうせ私は私だと思つて見ても、その人ごとが忘れられぬので、便りも待つ、いぢらしくもなれば腹も立つ。郵便くばりにも番茶の一つもほうじて出す。それかと云うて、その日その日の新聞紙でさへ、日が暮れてからやつと着くのでよくは読めず。よるはひとしほ波の音までが聞えるゆゑ、明日あすの日和なぞ気にかかつて、月の光が白い障子に射すまでは、雨戸も閉めねば、寝ねもせず。

が夜中、厠に立てば、裏の山には月が澄んで、はたけの葱さへ一つ一つに真青まつさをだ。虫ももう鳴かぬが、それだけ凄い。首を竦めて、しはぶく時の寒さと云へばまた格別だ。せめて風邪でもひかぬやうにと、頸巻なぞして、手水つかへば水も凍つた。

かうした私のこの頃です。
 
 
 


  その二 


 


  秋山の歌 

 
 
 
 黎明の不尽外二篇    大正十年秋、妻菊子ととも御殿場を経て伊豆吉奈温泉に行く、その時の詩。
 遠山脈の歌       大正十年秋、上州富岡にて。
 
 
 
 


  黎明の不尽 

 
天地あめつちひらけしはじめ、成り成れる不尽ふじ高嶺たかねは、白妙のくすしき高嶺、駿河甲斐二国ふたくにかけて、八面やおもてに裾張りひろげ、裾広に根ざし固めて、常久に雪かつぐ峰、かくそそり聳やきぬれば、いかしくも正しきかたちたとふるに物なき姿、いにしへもかくや神さび、神ながら今に古りけむ。たまたまに我や旅行き、行きなづみ振りさけ見れば、妻と来てつつしみ仰げば、あなかしこ照る日もわかず、暮れゆけば雲巻き蔽ひ、霹靂はたたがみはためくさへに、稲光さをの火柱、火ばしらの飛ぶ火のただち、また、とどろ雹ぞ飛びたる。御殿場のここの駅路うまやぢ、一夜寝て午夜ごやふけぬれば、まだ深き戸外とのもの闇に、早や目ざめ猟犬かりいぬが群、きほひ起き鎖曳きわき、をどり立ち啼き立ちくに、朝猟の公達か、あな、ひとしきり飛び連れ下りるさうぞきの、さて出立でたつらむ。けたたましく自動車の鳴りぜる音、咽喉太のどぶとの唸り笛さへ、り霜の夜凝よごりに冴えて、はた、ましぐらに何処いづくへか駈け去り去りぬ。底冷そこびえの戸の隙間風、さるにても明け近からし。目のさめて明告鳥あけつげどりの息長に啼き呼ばふ声、そことなくこたふる声の、裾野原揺りどよもすに、おのづ覚め我は在りけり、目はさめて我もありけり。つくづくと首し見れば、こちごちの濃霧こぎりのなびき、渓の森、端山の小襞こひだ、黒ぐろとまだぶかきに、びようびようと猛ける遠吠、をりからの暁闇あかつきやみを続け射つ速弾はやだまの音。たださへも益良夫ごころ溢れ揺り抑へもあへぬを、見透かせば渦巻く霧の瑠璃雲の漂ひが上、数かぎりなき糠星の瓔珞のうち、あなあはれ不尽の高嶺ぞ、今し今、一きは清き紫の朝よそほひに出で立ち立てれ。夢か、こは、まことなりけり。夢ならず、うつつなりけり。起きよ起きよ。まことこれ日の本の不尽、木花咲耶姫の神、神しづまりに鎮まらす不尽の御嶽みたけぞ、見よ目に見えて近ぢかと明け初むるなれ。起きよとて妻揺りたたき、目ざめよとまた呼び覚まし、口漱ぎ、さて、身をきよめ、さむざむと袂はし、しみじみと二人い寄り、ひたすらにかくて見れぬ。時ありぬ。やや時経れば、ほのぼのとして薄明うすあか山際やまぎはのいろ、黎明しののめの薄樺いろに焼けあかるその静けさに、日出づる前か、明鴉かをかをと二羽連れだちて羽風切る、その羽裏いよよ染みたり。はたはたと山鳩もまた二羽競ひ行く。観る人も妻とし見れば、飛ぶ鳥も連るるものかも、うれしやと妻は見て云ふ、我もまた微笑みて見つ。さるからに、薄紅き蓮華の不尽の隈ぐまの澄み明りゆく立姿、いたゞきは更にもあかく、つや紅く光り出でたれ。よく見ればその空高く、かすかにも靡くものあり。高うして吹雪すらしか、かすかにも雪煙り立ち、その煙絶えずなびけり。いよいよに紅く紅く、ひようひようと立ちのぼる雪の焔の天路あまぢさしいよよ尽きせね、消えてつづき、消えてつづけり。あなあはれ、かのいつくしさ、このかうかうしさ。眺むれど見れども飽かず、ことにさへ筆にさへ出ね。あなかしこ、不尽の高嶺は日の本の鎮めの高嶺、神ながらくすしき高嶺、この高嶺まれに仰ぎてこのあしたあらたにぞ見て、この我や、ただこの妻と、ただ得も云へず涙しながる。
 


  遠山脈の歌 

 
上つ毛の加牟良かむらの北にあまそそる妙義荒船、はろばろと眺めにれば、この日暮ふりさけ見れば、いや遠し遠き山脈やまなみ、いや高し高き山脈、いやがに空に続きて、いや寒くひだを重ねて、幾重ね、幾たたなはり、末遂に雲居にぞ入る。かりそめの旅にはあれど、夕されば内にも堪へず、に出でてひとり在りけり。向ひ吹く川の瀬の風、川風の吹きのこごえに、我が向ひ辿る高崖、遥か見るきた山脈やまなみ。冬も早や絹のつや雲、巻雲の巻きのなびきに、り雲層雲かさぐもの群、重ね雲、寂び金の雲、下あかり雲ともわかず、薄ぎらひ山ともわかず、たださへもうつつならぬを、たださへも果てしわかぬを、日の射すか末広の虹、幾すぢか透きて落せり。かうがうしその薄光、寂び寂びしプラチナのすぢ、濃き淡き峰の畳みに、引きちがふ山の小襞に、また雨となごみ注げり、柔かき金色の霧。あな遠し遠き山脈やまなみ、あな高し高き山脈やまなみ、立ちとまり見れども消えず、目ふたぎて傷めど尽きず、目翳まかげして遥けみ見れば、いや寂し薄きの虹、また見ればさらに彼方に、いや高き連山つらやまの雪、いや遠き連山の雪、ひえびえと、つぎつぎと、続きつづきてかがやきいでぬ。
 


  湯どころの秋 

 
ねもごろの日のあたりかも。そことなき湯のけぶりかも。日のあたる原のかたへに欅立ち、欅のそば斑牛まだらうしひとり居りけり。安らかに繋がれてけり。山峡の湯どころの秋、出て見れば下の小橋を、杖つきて渡る子もあり。垂稲の黄ばむ田づらは、をりふしに雀むれ立ち、道ぞひの茅屋の庭に、白菊の盛り見せたる、胡麻と栗並べ干したる、暇ある心に見れば、なかなかに今日は安けし。向つべに日のかげる山、なほ明く温かき山、その空の白き綿雲、ちろちろととり渡るさへ、なかなかにあはれとも見れ。妻と来て二人来て、七日まり住み馴れてのち、やうやうに紅葉色づく遠近をちこちの、この眺めなる。あなあはれ、ねもごろの日のあたりかも、そことなき湯のけぶりかも。日のあたる原のかたへに欅立ち、欅のかげに斑牛ひとり居りけり。繋がれてただねんねんと草食みにけり。
 


  秋山の歌 

 
秋山のなぞへのすすき、ひとつらね揺りかがやけり。秋山の名も無き山の、草山の、山の端薄、その穂の薄、揺りかがやけり。この夕、出でて見て、向ひ見て、丸木橋妻とわたりて、また見れば、まだかがやけり。その薄刈る人もあり、また負ひてるもあり。くだり来て、行きすぎざまに、さわさわとそびら見せゆく、さわさわの背の薄、またかがやけり。雲白くうかべる峡の日屯ひたむろ空間そらあひうち、こまごまと飛べる羽虫も、よく見れば一つ一つに、命あり、舞ひ立ち光る。しづかなり、ただ安らなり。まだ深き日のあたりなる。暑からず、寒くしもなく、まだぬくき日のかげりなる。湯どころのうしろの山の、秋山の、その柔かき草山の、このもかのもにさわさわと音する薄、穂薄の、今日来て見れば、揺りかがやけり。あなあはれ、我も見て、妻も出て、二人ながむるさわさわ薄、そのさわさわ薄。
 
 


  孟宗と月 

  凡て、大正十年秋の木兎の家の生活より 
 


  竹と曼珠沙華 

 
わがかどの竹の林に、曼珠沙華赤く咲きたり。竹の根の一つ一つに、このはなや六つ七つづつ、日に増しに数かさみゆく。怪しくも赤き巻髭、髭細の蓮華なすはな、咲き盛るその華見れば、おのづから秋も澄みけり。いよいよに風も寂びけり。隣り寺、寺の古墓、日あたりはだも暑けど、墓掃くとかがむ影すら、閼伽あか汲むと寄るすらも無し。あなあはれ、摩訶曼珠沙華、出で入るとひとり眺めて、時をりは妻と眺めて、昨日きのふよりいよよえしと、まだ今日も赤しとぞ見る。孟宗のしだれ笹ゆゑ、は射せどいぶせき藪を、常くぐり我は在りけり。わびしけど遊び馴れけり。山住の心安さは、藪越しに浪の音聴き、里囃子うれしとも聴け、施餓鬼過ぎ流石さびしく、人訪はぬ今は堪へえね、また出でて竹の根見れば、曼珠沙華赤く赤きに、ちらと向き、釣眼つりめ野狐、うしろ向き尖り口して、小藪吹き、吹き吹く風に、日の暮に、あな、飛び飛びて消えつつ失せぬ。
 


  竹の林の歌 

 
わが宿の竹の林に、夕あかりかがよふ見れば、その竹の湿しめる根ごとに、何か散り、深く光れり。その節のひとつひとつに、何かまたとまり光れり。その笹のさみどりの葉に、何かまた揺れて光れり。金色こんじきのその光るもの、こまごまと眼にみるもの、雨ふりてあかれるのちは、とりわけて揺れてうつくし。寂しくて見てゐるきはは、いよいよに消えてうつくし。揺るるともただ見てらむ、消ゆるともまた見て居らむ、堪へ堪へて日の暮るるまで、なほなほに寂しがりつつ。わがやどの竹の林の夕あかり、裏山松の松風の音のこなたに。
 


  蜩の歌 

 
かなかなの啼き連るるなり、二つなり、啼き連るるなり。その二つ啼きやめばまた、こなたより啼きしきるなり、ただ一つ啼きしきるなり。孟宗の片日射なり、山松の遠日射なり。かなたには輝りきらふ海、こなたにはわたる山霧、山ぎりに山の施餓鬼のほとほとに果つる頃なり。金色こんじきに秋の日射の斜なし澄みとほる中、かなかなは啼きしきるなり、きて啼き刻むなり、二つ啼き、一つ啼き、また、こもごもに啼きはやむなり。
 

 俳句

 蜩が二つ啼きまた一つがこもごもに


  岡の鉾杉 

 
わが宿の岡のなぞへに、杉いくつたむろせりけり、せうせうとたむろせりけり。鉾杉のひとむら木立、鉾杉の鉾を並べて、この朝明あさけしぐるる見れば、霧ふかく時雨るる見れば、うち霧らひ、霧立つ空に、いや黒くそのうかび、いや重く下べしづもり、いや古く並び鎮もる、なべてこれ墨の絵の杉、見るからに寒しいつかし、かうがうしさび崇高けだかし。あなあはれ岡の鉾杉、をちこちの小竹ささのむら笹、柿もみぢ、梅がの蔦、とりどりに色に出づれど、神無月すゑの時雨に濡れ濡れて、その葉枯れず、落葉せず、透かず、薄れず、ただうはべわづかあかみて天鵞絨びろうどの焦茶いろすれ、ふかぶかと黒くか青く、常久に古びしづもる。寂しくも寂しき姿、堪へ堪へて常立つ心。あなあはれ冬の鉾杉、海ちかき岡の鉾杉、鉾杉の渦成うづなす霧に、はて知れぬ海も見わかず、ひさかたの空もえわかね、時をりは、渡りの鳥のはぐれどりちりぢりと落ち、羽重はねおもの一羽鴉も飛びなづみ、ややに来て揺る。あなあはれ雨の鉾杉、見てあれば幽かに揺れて、ふる雨に幽かに揺れて、ただせうせうと音たてにけり。
 


  榧と栗 

 
伝肇寺でんでうじさき古寺ふるてら、この寺の山の墓場にかやと栗並び立ちたり。並びたちともに老いたり。榧の木は栗の木のそば、栗の木は榧のかたへに、さびさびてすでに老いたり。その榧よいつよりか老い、この栗よいつよりか立つ。榧と栗さびにさびつれ、なほしだ花は咲きけり、年ごとに花はつけけり。榧の木はかすかなる花、栗の木はあらはなる花、その榧にさき榧の実、この栗に栗の青毬あをいが、風吹けば実さへ毬さへ、またいつかこぼれこぼれぬ、枯れ枯れて土にかへりぬ。見る人も知る人もなし。寺まうで墓まうでびと、たまさかにかがみ通れど、誰ひとり振りは仰がず、誰ひとり眼にもとめねば、ただ二木ふたき立てるのみなる、榧と栗さびるのみなる。あなあはれ、榧と栗の木、落葉する栗も寒けど、常青く立てる榧の木、冬の日はことに高しよ。栗の木はいよよ透けれど、榧の木はいよよか黒く、薄日射函根の入陽いりひけてひとり尖れり、いや黒くひとり堪へたり。雨まじり霙ふる日も、風まじり雪の飛ぶ夜も、こごしくもこごえ立ちたり。親しくも立ちて堪へたり。あなあはれ老木おいき二木ふたき、親しくも並ぶ姿の、寂しくも隣り合ふ木の、頼り無き二木を見れば涙しながる。
 


  孟宗と月 

 
さわさわと揺るるものあり。午夜ごやふけて揺るるものあり。わが※ の硝子戸のそと真透ますかせば月に影してこごえ雲絶えず走れり。まどかなる望月ながら、生蒼なまあをくまする月の、傾けばいよよ薄きを、あな寒や揺るる竹あり。孟宗の重きしだれのかさなりのそのに抜けて、ただひとり揺るるのあり。目か醒めし、夜風か出でし、さわさわと揺れて遊べり。しだれつつ前にうしろに、照りかげり揺れて遊べり。円かなる望月ながら、生蒼なまあをく隈する月の飛び雲の叢雲むらくもあひ、ふと洩れて時をり急に明るかと思ふ時なり。目に見えてさわさわさわと、照り浮ぶ孟宗の、あな、一きは強き狐光きつねびかりのその月に、さながら生きて踊るかに、近明ちかあかりして、きほひ舞ふ、かと見ればまた、何か暗く薄かげりして、揺らぎ止み、らぎ騒立さやだつ。このさや、夜鳥も啼かず、藪かげのとなりの寺もしんしんと雨戸したれ。時として川瀬の音の浪の音と響き添ふのみ。それもただ遠し、気疎し。あなあはれ、この夜の山に、何しらず目のさめしもの、我のみか、揺れそよぐあり。揺れそよぎ、独り遊ぶと、揺れそよぎこの目のそとに、またさわさわと音立ててゐる。
 


  荒浪千鳥の歌 

 
磯長しながゆるぎの浜、この浜や荒浪高し。この夜ごろいよいよ高し。時化しけつづき西風強く、夜は絶えて漁火いざりすら見ね、をりをりに雨さへ走り、稲妻のさをうつりに、鍵形の火の枝のはりひりひり と鋭き光なす。そのただちとどろく巻波。時として雹さへ飛ぶに、なにぞぞ乱るる鳥は、なにぞぞ散り散る鳥は。目に見れば数かぎりなく、声きけばなばぬかに、へうへうと連れ啼く鳥の、百千鳥、荒浪千鳥。荒浪の穂立ほだちの空を、とまるすべ、るすべ知らに、ただ飛びて散り散る千鳥。この海やはてし知られね、この荒れやはかり知られね、初夜過ぎて、また後夜かけて、闇ふかくはねふる千鳥、この雨を、また稲妻を、ひた濡れてかがやく千鳥。ある声は遠くはぐれて、ある群は斜め乱れて、また或るはくがの方向き、また或るはちりちりと退き、すれすれに或るは落ちつつ波の上驚きて飛び、時に消え、時に明り、いよいよに暗く恐れて、いよいよに青にまりて、時わかず連れ啼く千鳥、へうへうとこごゆる千鳥。いつまでかまたく迷ふぞ、いつまでか飛びてやまぬぞ。磯長しながの小ゆるぎの荒浪千鳥。荒浪の天うつ波の逆まきのとどろきが上、あああはれ、また、向き向きに、稲妻のさをおびえに連れ連れ乱る、啼き連れ乱る。
 
 


  冬の山そば 

  大正十年冬、小田原近郊の散策より 
 


  冬の山岨 

 
玉くしげ函根の山は短か日のことに短かく、み冬さり霜り来れば、午過ぎて日の目も知らず。向つべの山は明れど、こなたなる高山の岨、風寒く木の葉ちるのみ。早や早やも土はこごりて、岩角の犬羊歯が下、枯れ枯れの雑木の根ごと、そくそくと氷柱つららさがれり。ほきほきと氷柱つらら掻き折り、かりかりと噛みもて行けば、あなつめた、つめたかりけり。妻もまたつめたよと云ふ。二人ゆく高崖の上、何のぞ透きてこまかにつや黒のをちらつかす、ふり仰ぎ透かし見すれば、高く澄む空の青きにひえびえといそぐ雲あり、また薄く消ゆるものあり。長尾鳥飛びて叫ぶに、行きなづみこごみてれば、あな寒むや渓裾紅葉、鉾杉の暗みを出でてひとあかあかく燃えたり、その紅葉淵に映れり。人知らぬ寂びと静けさ。そのしもに飛び飛びの岩、岩もまた幽けかりけり。冬はなほ幽けかりけり。あなあはれ、欅の枯木行き行けば見る眼に聳え、滝落ちてかげり迅し、あなあはれ、山の端薄陽うすびしも見れば早や塔の沢、こちごちに湯の香煙りて、ちらちらと揺るる燈の見ゆ、海見えて漁火いざりつく見ゆ。この岨や馴れし山岨、遠く来し旅にもあらね、さは急ぐ道にもあらず。我がどちやことにこそね、今さらの連れにもあらねば、ただ二人ほつりほつりと、日の暮はほつりほつりと、また家路さし下るのみなり、降りるのみなり。
 


  冬の日棚田 

 
丘窪の冬の棚田はねもごろにうれしき棚田、寂び寂びて明るき棚田。たまさかに鶸茶の刈田、小豆いろ、温かきいろ、うち湿しめる珈琲のつち下田しもだにはいくつ稲村白金プラチナの笠めきなごめ、上畑は緑の縞目、わづかにも麦ぞ萠えたる。その畑に動く群禽むらどりつくづくと尾羽根振りては、また空へ飛び立ちかける。あなつめた群の鶺鴒群れ飛べど目にもとまらず。いづこにか鵯は叫べど、風騒ぐけはひも聴かず。ただ低き日あたりの中、茅屋根の物静かなる、紫に寂び沈みたる、人気なき庭にはあれど背戸ごとに柿の実も見ゆ。裏丘へのぼる小径こみちは孟宗の林に見えて、その藪の上の日向に蜜柑もぐ人もよく見ゆ、声高になにか語りて燧石ひうち切る莨火も見ゆ。珍らかにいとど澄めばか、遠近の枯葉のくぬぎ、草もみぢ、耀く薄、おしなべてかくてやすけし。あなあはれ、ここの丘窪、明るけど古さび棚田、うれしけど冬の日棚田、その空にかけ群禽むらどり、鶺鴒の薄黄の羽根のただ波うちて影もとまらず、影もとまらず。
 


  落葉行 

 
ひとりゆくこの山岨やまそばは、落葉のみ溜り湿しめれり。落葉踏み踏みつつ行けば、いづく飛び鵯高音うつ。かさこそり、くぬぎの枯葉わがかたへまた声立てぬ。日おもての草崖薄くさがけすすき、その穂にも落葉かかれり。草紅葉まだくけれど、そのにも落葉うごけり。向ひ山、こなたの小丘、見るものはみな枯木のみ。空ぐるま軋るを見れば、上岨うはそばを尻毛振る赤馬あか、ひようひようと吹かれゆく馬子、みな寒き冬のものなり。渓のの小茶屋の椅子も紅葉積み、その渓かけて、はらはらと落葉ちりゆく。山窪の幾むら藁屋、水ぐるままはれる見れば、ほとほとに水も痩せたり。欅原けやきばらただ目に寒く、雨のごとちる落葉あり、よく見ればいよいよ繁し、声立てていよいよさびし。ほうほうと立てる雑木の岨路そばぢゆき、別れみちゆき、当処あてどさへ果てはわかねど、風のまま歩みのままに、行き行けばただ落葉なり、前うしろただ落葉なり、かさこそと、また、はらはらと、空にも地にも声ばかりして。
 


  落葉吟 

 
かうかうと照る月ながら、雨のごと飛ぶ落葉かな。ああ落葉、その影見れば、秋も早や老いにたるらし。ああ落葉、その声きけば、おのづから冬か待たるる。身のおいといふにはあらね、おのれまた若しともなし。さやけさはかかる夜ながら、見のれむ光にあらず、杉木立青きはあれど、隣山となりやま早やも痩せたり。枯れ枯れの木のを透きて、月はただ遠くあらはに、落葉また風に吹かれて、へうへうとかぎりも知らず。いつの日かまたと還らむ、いつの世か久しかりちふ。これやこの常なかる世に年月の移らふまにま、我はあり、我はあれども、いつ知らずあとべのみ見る。なほなほもさきぞ気遠き。而かもなほ過ちにけり。つくづくと恥ぢ泣きにけり。さりとてはあきらめも得ず、またのどの悟りをも見ね、ただすこしおのれ知るからただ堪へてへりくだるのみ。ややややにかくてあるまで。寂しがり寂しがるなる。ほとほとに堪へは得ぬとも、この寂びや、身もて得し寂び、せめてものまだ頼りなる。ただたのみただ守るべき。ただひとり物も思はむ。さてひとり歩み歩まむ。あはれなる末の末かも、飛びちらふ落葉なるべき。落葉なら風のまかせよ。照る月に、北山風に、夜あらしに、影は影とし、はらはらと、ただ、はらはらと声ばかりせよ。
 

 俳句

 おらもまたあなたまかせよ一茶坊
 


  竹林の早春 

  大正十一年の早春、小田原木兎の家の生活より 
 


  水仙と菊 

 
※ 掛の絹寒冷紗、硝子の外の短か日、短か日の斜めのざし。※ 掛の絹寒冷紗、その蔭の水仙と菊、鉢台の薄玻璃の壺。今朝咲きし一重水仙、いつの日か挿しし寒菊。冷たくて白き水仙、ややぬくく黄なる寒菊。水仙のさをの葉は張り、寒菊の葉は半ば枯る。水仙は水仙の影、寒菊は寒菊の影、その壺も玻璃の影して、栗色くりいろの砂壁に在り。硝子透き、※ 掛を透き、斜めあかるみぎりは、冬もなほいつくしく見ゆ、たより無き影としも無し、柔かく親しかりけり。薄玻璃の影もゆらげり。妻とゐる二階の書斎、午過ぎはただしづかなり。湯沸のふき立つる湯気、わがふかす煙草のけむり、また揺れてその壁にあり。妻の影、わが影もあり。水仙と寒菊の花、現身にうつつに観れば、まこと今あはれなりけり。水仙と寒菊の影、現なくうつらふ観れば、現なし、さびしかりけり。近々《ちかぢか》と啼き翔る鵯、遠々《とほどほ》とひびく浪の。誰か世を常なしと云ふ、久しともかなしともへ。山に住み世にさかるとも、またく世を厭ふにあらず、五月蠅うるさやと、せちに思へど、人来ねばたづきも知らず、妻と我、二人居れども、かくてあれども、時をりはただ寂しくて、眼を見合せぬ。
 


  聴けよ妻ふるもののあり 

 
聴けよ、妻、ふるもののあり。かすかにもふるもののあり。初夜過ぎて夜の幽けさとやなりけらし。ふりいでにけり。何かしらふりいでにけり。声のして、ふりまさるなり。雨ならし。いな、雪ならし。雪なりし。雪ならばはつの雪なる。よくふりぬ。さてもめづらにふる雪のよくこそはふれ、ふりいでにけれ。さらさらと、また音たてて、しづかなり、ただ深むなり。聴けよ、妻、そのふる雪の、満ち満ちて、ただこの闇に、舞ひ深むなり、ふりつもるなり。
 

 俳句

 たまさかに浪の音しての雪なり


  元旦の夜のこと 

 
あな疎忽そこつ吐息といきいでたり。気にかけそ、何といふ事もあらぬを。また妻よ、ほうじてむ玄米の茶を。来む春の話、水仙の話、やがて生れむ子のことなども話してむ。元旦のこのの深さ、山住の我らなるゆゑ、いついつとかはりは無けど、今日はまたとりわけて、よろしかりけり。またく今しづかなりけり。今さらに何をかや云ふ。このさのこの安けさは神ぞただ守りますべき。心ゆくうれしさのうち、我はただ詩を思ふなる、みましまた差しのぞくなる。しづかなり、ただあはれなり。筆動く音のみぞする。身じろきの、息のみぞする。さてあらば夜も明けぬべし。あれ聴けよ、とり啼くらしき。また聴けよ、浪の音なる。二人ただかくて起きゐて、まこと今ただ二人なる。二人なるいのちの息の、おのづから触れかよふかな。親しくもゆき通ふかな。蜜柑なと一つむきてむ。近々《ちかぢか》と火にむかひゐむ。またすこし炭つぎ足して、さて待たむ、二日の朝の海原のあかき日の出を。
 


  蕗の薹 

 
新らしき蕗の薹かな。珍らしきにがぞする。その蕗の薹、一つ刺し、二つ刺し、竹の小串に三つ刺して、さて味噌つけて、火に焼きて、あなにがさよと一つ食べ、あなうまさよと二つ食べ、あないつくしと三つ食べて、さてさびしやと我ゐたり。春さきの、あは雪の、なばぬかの、声聴きてけり、そのしばらくは。
 


  竹林の早春 

 
わが庵の竹の林に、こぬか雨今朝も湿しめれり。春さきのこぬか雨なり。ふるとしも見えぬ雨なり。こぬか雨笹にこもりて、かう※ 《た》けばかうもしめりて、事もなし、ただあかるけし。こまごまと濡れかかるのみ、縹緲と煙曳くのみ。しづかなり、ただ安らなり。顔出して、つくづく居れば、笹子啼き、目白寄り来る、笹葉揺り揺りてまた去る。散りたまる去年こぞの枯葉も、寂しけど寒しともなみ、何かしら萠ゆる緑の、春は早や竹の根にあり。よき湿しめりかくて湿しめらば、竹煮草、葛、蕗の薹ややややにすずろき出でむ。髭長の藪の菎蒻、菫などやがて咲くべし。松風の声は沈めど、常ならぬさびしさならず。裏岨うらそばののぼりくだりに、ほつほつと通る馬さへ、時をりは青きつけつつ、声高こはだかの人の話も、濡れながら行けば親しよ。静こころかうをつぎつつ、さて、今日もうら安くこそ。こぬか雨ふるがごとくに、こまごまといつくしみてむ春さきの我の思を。
 


  ころころ蛙の歌 

 
春さきのころころかはづ、一つ鳴き、二つ鳴き、ころころとあと続け鳴き、ふと鳴き止み、くぐみ鳴き、また急に湧きかへり鳴く。いよいよに声合せ鳴く。近き田のころころ蛙、よく聴けば声変り鳴く。声変り、一つ一つに、あなをかし、鳴けるさま見ゆ。あちら向きこちら向き、飛び飛びて、また水くぐり、うちひそみ、頬をふくらかし、鳴き鳴ける咽喉のさま見ゆ。あなをかし、近田の蛙、さみどりの根芹か湿しめる、塗畔ぬりあぜかまだ新らしき。雨もよひ雨よぶ声の、寒けども寒しともなし、寂しけどなにか笑へり。友よびてまた鳴く蛙、遠田にも遥かどよもす。あなあはれ、遠田の蛙、また聴けば、遠く隔てて、夜の闇の瀬の隔てて、いやさかりうち霞み鳴く。また寄せて近まさり鳴く。遠つ浪に寄するごと、遠つ風吹き寄するごと、その声は夜空つたひて、いよいよに近く響きて、さて絶えて、また続け鳴く。近き田もまた競ひ湧く。初夜過ぎてまた後夜ふけて、なほなほにどよもす声の、おそらくは夜の明くるまで。萠黄月、月の円暈まろがさ、遠近の薄き飛び雲、濡れ濡れてちろめく星の、糠星のかげ白むまで。ころころと、またころころと、夜もすがら、夜をただ一夜、春さきのをさな蛙が、声かぎり、また声かぎり、ここだく鳴くも。
 
 


  立枯並木の歌 

 
 
大正五年、葛飾小岩の紫煙草舎の生活より。
但し、鳥の啼くこゑ 外一篇は当時の作。
その他は十年春作。
 
 
 


  立枯並木の歌 

 
霜ふかき野川のゐぜき、あはれよと今朝けさ見に来れば、いつとなく水量みかされつつ、隙間なく氷張りけり。枯すすき、土堤どての枯草、こごりつき白くきびしく、両側もろがは立枯並木たちがれなみき、いよいよに白くさびしく、雪空の薄墨色にこまごまと梢明こずゑあかり、下空したぞら小枝さえのほそ枝立ちつづき、見れども飽かず、入り交り網目して透く。両側もろがはの立枯並木、しも見れば一側ひとかは並木なみき、時をりにとまる鴉もその枝の霜にすぼまり、渡り鳥ちらばる鳥もその空に薄煙うすけぶり立つ。風吹けばかすかに揺れ、雪ふればいよよしづもり、さむざむと時雨るる夜半も、月あかり落ちゆくあけも、なんとしたずかすかに、うつつにもうつしけなくも、ただ寂し薄し果敢なし。霜ふかき野川のゐぜき、今朝もまた氷張りけり。その川の両側もろがはつづき、隙間なく枯木つづけり。あなあはれ立枯並木。
 


  潮来の入江 

 
すな真菰、真菰が中に菖蒲さく潮来いたこの入江、はるばると我がめ来れば、そのかみの潮来の出嶋荒れ果てて今は冬なる。旅やどり、消ゆるばかりに、一夜寝て寝ざめて見れば、霜しろしの柳、何一つ音もこそせね、薄墨の空のらひにただ白く枝垂しだれ深めり。枝垂しだれつつ水にとどけり。また白き葦にとどけり。そのかげの小さき苫舟、いよいよに霜の凍りて、こまごまと霜の凍りて、舟縁ふなべりも苫も真白く、櫓も梶も絶えて真白し。つくづくと眺めてあれば、しづかなる入江のさまや、苫舟にのぼる煙も、風けばぐに一すぢ、ほそぼそとしばしのぼれり。広重のその絵の煙、目に見れば浮世なりけり。あなあはれの柳、あなあはれかかりの小舟、寂しとも寂しとも見れ。折からや苫をはね出て、舟縁ふなべりの霜にそびえて、この朝のあか鶏冠とさかの雄のかけが、早やかうかうと啼きけるかも。
 


  夜の雪 

 
このさも雪はふりけり。かのさも雪はふりけり。その声やたまぬかに、降り積り、ぬる白雪。白雪のふれば幽かに、たまゆらは澄みてありけど、白雪のぬるたまゆら、ほのかなるまたもにけり。白雪のはかな心地ごこちの、我身にもるかたもなし。
 


  鳥の啼くこゑ 

 
かおかおと啼くは鴉、ぴよぴよと啼くは雛鶏ひなどり、雀子はちゆちゆとさへづり、子を思ふ焼野の雉子きぎす、けんけんと高音たかねうつ。現身うつしみの鳥の啼くの、なぞもかく物あはれなる。あめわたる秋の雁金かりがね、春くれば遠き雲井にかりかりと消えて跡なし。
 
 


  米の白玉 

  大正五年葛飾小岩の生活より、十年春作。 
 


  アツシジの聖の歌 

 
アツシジのひじりフランチエスコの物語。フランチエスコは雀子をしみ給ひき。雀子も慕ひまつりき。現身うつしみの人にてませば、かの人もまた、人のごと寂しくましき。寂しくて貧しくましき。寂しくて貧しきが故、へりくだり、常に悲しくましましき。いといと悲しくましましき。それ故に、すゑ遂に神を知らしき。その聖道のべに立たしめたまへば、雀子は御後みあとべ慕ひ、御手みてにのり、肩にとまりき。さてちゆんちゆんと鳴いたりき。あなあはれ、雀子よとて雀子を撫でさすり、掻い撫でさすり、偽りなせそ、むさぼりそよ、おのづからなれ、正しく、なほく、常童とこわらべにて、天地あめつちの神ごころにも通へとぞ、悲しかれよとりましき。御法みのり説かしき。雀子をしみたまへば、雀子も慕ひまつりき。雀子にもきやすき御言葉なれば、雀子も御言葉ををろがみまつり、羽根をすりつむりさげてき。またちゆんちゆんと鳴いたりき。さていたづらに物を欲り、浮かれ、たばかり、盗まざりけり。偽らず、安らなりけり。かかる時、草原に露満ちて、虫鳴きそそり、飾り無き野の花のかをりも吹く風の涼しきままに、空は円く澄みわたりて、また、塵ひとつだにとどめざりければ、聖の御頭みつむりかすかに後光をはなち、差しのべたまへるふたつの御手みての十の御指は皆輝きて、そのたなひらの雀子さへも光るばかりに喜び羽うち、御前みまへに輪を成す雀のむれもみなみな雀の後光をかすかに立ててぞ啼きれ遊ぶ。フランチエスコは御空を仰ぎて、主よ、主の奴僕しもべはかくありぬ、かく貧しきが故にこそ世のあらゆるもろもろの御宝をも却つて主のごとく、この身ひとつに保ちまつる、ありがたやハレルヤとぞ、涙ながしてりませば、雀もともに、ハレルヤ、ハレルヤと、眼を上げ涙ながして御空を仰ぐ。現身うつしみの人のひじり現身うつしみの鳥の雀と、雀とフランチエスコと、朝夕に常かくなりき。あなあはれ、世のつねの事にはあらずよ。温かき御心ゆゑぞ、大きなるひろき御心もてぞ、ありとあるしみたまへば、御心は神にもいたり、雀にも通ひましけむ。あなあはれ、人のこの世のうつつにも、かかるひじりのましまししものか。
 


  米の白玉 

 一

 
ましら玉、しら玉あはれ。白玉の米、玉の米、米の玉あはれ。そを一粒、また二粒、三粒、四粒と数ふれば白玉あはれ。うすき瀬戸白の小皿に、幾すくひすくへどあはれ、かそかそと声ばかりして、ころころと音ばかりして、掻き寄せて十粒に足らず、ひろへれど十粒を出でず、かそかそところころと、声するは、空しき櫃の、空櫃むなびつの米櫃の底。ましら玉、しら玉あはれ。白玉の米、玉の米、米の玉あはれ。
 

 二

 
ましら玉、しら玉あはれ。白玉の米、玉の米、米の玉あはれ。そを一粒、また二粒、三粒、四粒と数ふれば白玉あはれ。掻きよせて十粒に足らず、ひろへれど十粒を出でず。今は早や我は饑ゑなむを、我妻もかつゑはてむを、ましら玉しら玉あはれ。さは云へど米のしら玉、貧しとてすべな白玉、その玉を雀子も欲れ、ひもじきは誰もひとつよ、雀子も来ては覗き、饑ゑて鳴き、鳴きては遊び、遊びては求食あさり、求食あさるを、米の玉あはれ。雀来よ、雀来よ来よ、いとせめてめよこの米、ひもじくばふふめこの米、みましらが饑ゑずしあらば、うまからば、うれしくかはゆく鳴くならば、白玉あはれ。わがどちはこの我は、わが妻とても、今さらにさずともよし、さずともよし。ましら玉、しら玉あはれ。しら玉の米、玉の米、米の玉あはれ。
 

 三

 
ましら玉、しら玉あはれ。しら玉の米、玉の米、米の玉あはれ。絶ち絶ちて幾日をか経し、饑ゑ饑ゑて幾夜をか経し、この我や生きて貧しく、生きんすべせんすべだにもなきものを、米の玉、しら玉あはれ。はづかなるあるかなきかの金を得て、かきよせて、市のちまたに米買ふとれし嚢を手にさげて、これに米、すこしべよと乞ひのめば、入れて賜びけり、さらさらと入れて賜びけり。うれしくて走り出づれば金賜べと人の驚く。忘れたり、ゆるされませと赤らみて、金置きてまた駈ければ、うしろより米はとおらぶ。驚きて、また忘れたり、ゆるされと、此度こたびはしかと、しら玉の米の嚢をひきかつぎかかへて戻る。米の玉、しら玉あはれ。現なるこれや現か、ゆめならず、現なりけり。その現、現なるこそうれしかりけれ。しら玉の、ましら玉の、ましら玉の、しら玉あはれ。しら玉の米、玉の米、米の玉あはれ。
 


  犬と鴉 

 一

 
犬の子に白き飯皿いひざら、子鴉に青き飯皿、朝夕に同じ飯盛り、おのがじじせよとべば、犬の子はが飯惜しと、子鴉はが飯惜しと、犬の子は子鴉が飯、子鴉は犬の子が飯、ひたぶるに奪ひ取らむと、ひたぶるに盗みさむと、ただ啼きつ吼えつ噛みつす。が飯はすでにあまるを。が飯に足れりとはせで、なじかさはひとの物る、なじかさはよその物欲る。同じことかはゆきものを、同じこと飯は盛れるを。犬の子よ、子鴉よ、あはれ。
 

 二

 
あなあはれ、みぎりひだりに、子鴉と犬の子と寄る。此方こち向けば子鴉あはれ、其方そち向けば犬の子あはれ。二方ふたかたの鳥よけものよ。ひとしけくかはゆきものを、同じけくかなしきものを、いづれきいづれ隔てむ。かにかくに両手あげつつかろく叩き、撫でてあやせば、羽根はたき尻尾ふりきる。ひもじきかさらばせよと、一つに牛の盛れば、子鴉はみぎりより来て、犬の子は左よりきて、はしと口つつき合せて、つつめ、啄き嘗めつす。また、そねみ、惜み、にくまず。あなあはれ空飛ぶ鳥と、つちを匐ふ家のけものと、いつのまにかくや馴れけむ、なじかさはかくも親しき。これやこの人の我がに相むつなごむを見れば、今さらに喜ぶ見れば、この我や、みぎりひだりにとみかう見涙しながる。
 
 


  童と母 

  大正二年―三年、麻布の生活より。 
 


  麻布山 

 
麻布山浅く霞みて、春はまださみ御寺みてらに、母と我が詣でに来れば、日あたりに子供つどひて、凧をあげ独楽を廻せり。立ちとまり眺めてあれば、思ほゆる我がかぶろ髪。ほほゑみて母を仰げば、母もまたほほと笑ませり。けだしくや我がかぶろ髪、母もまた忍ばすらむか。我が母は何もらさね、子のわれも何もきこえね、かかる日のかかる春べに、うつつなく遊ぶ子供を見てあれば涙しながる。
 


  童と母 

 
垂乳根たらちねの母の垂乳たりちに、おしすがり泣きし子ゆゑに、いまもなほ我をわらべとおぼすらむ、ああ我が母は。あまつ日の光もわすれ現身うつしみの色に溺れて、さかみづきたづきも知らず、酔ひ疲れ帰りし我を、酒のまばいただくがほど、悲しくもそこなはぬほど、酔うたらば早うやすめと、かき抱き枕あてがひ、ふすまかけ足をくるみて、裾おさへかろくたたかす、裾おさへかろくたたかす、垂乳根の母を思へば泣かざらめやも。
 
 
 


  その三 


 


  ほのかなるもの 

  大正二年、麻布にて。 
 


  ほのかなるもの 

 
ゆめはうつつにあらざりき。うつつはゆめよりなほいとし。まぼろしよりも甲斐なきはなし。

幽かなるこそすべなけれ。美しきものみなもろし。尊きものはさらにも云はず。

ひとのいのちはいとせめて、日の光こそすべなけれ。麗かなるこそなほ果敢な。星、月、そよかぜ、うすぐものゆくにまかする空なれども。

ふりそそぐものみなあはれなり。雨、雪、霰、雹に霙、それさへたちまち消えうせぬ。

土に置く霜、露のたま、靄、霧、霞、宵の稲づま、ほのかなれども水陽炎のそれさへ頼むに足るものなし。

煙こそあはれなれども、捉へられねばよしもなし。山家にゆけど、野にゆけども、水のながれをくすべもなや。

ちちろと歎く蓑虫も、蛍の尻もみな幽けし、なまじ寝鳥の寝もやらぬ春のこころの愁はしさよ。

色ならば、利休鼠か、水あさぎ、黄は薄くとも温かければ、卵いろとも人のいふ。

水藻、ヒヤシンスの根、海には薔薇いばらのり、風味あやしき蓴菜は濁りに濁りし沼に咲く、なまじ清水に魚も住まず。

花と云へば、風鈴草、高山の虫取菫、蒜の花。一輪咲いたが一輪草、二輪咲くのが二輪草、まことの花を知る人もなし。

葉は山椒の葉、アスパロガス。蔓は豌豆、藤かづら。芥子に恨みはなけれども、その葉ゆゑこそ香も青く、ひとに未練はなけれども、思ひ出のみに身はほそる。

あはれなるもの、木の梢。細やかなるもの、竹の枝、菅の根の根のその根のほそ毛、絹糸、うどんげ、人参の髯。

はろかなるもの、山の路。疲れていそぐは秋の鳥、とまるものなき空なればこそ、こがれあこがれわたるなれ。玻璃器のなかの目高さへ、それと知りなば果敢なみやせん。

巣にあるものはその巣をはなれ、住家なきもの家をさがす。栗鼠りすは野山に日を暮らし、巡礼しばしもとどまらず。殻を負ひたる蝸牛ででむしはいつまで殻を負うてゆくらむ。

かへり見らるる船のみち、背後しりへの花火、すれちがひたる麝香連理じやかうれんりの草花の籠、ひとの襟あしみなほのかなれ。

笛の音の類、朝立ちの駅路うまやぢの鈴、訪ふ人もなき隠れ家のべるの釦のほのかに白き、小夜ふけてきくりんのたま。

影はなによりまた寂し。踊子のかげ、扇のかげ、動く兎の紫のかげ、花瓶のかげ、皿に転がる林檎のかげはセザンヌ翁をも泣かすらむ。

夏はリキユール、日曜の朝麦藁つけて吸ふがよし。熱き紅茶は春のくれ、雪のふる日はアイスクリーム、秋ふけて立つる日本茶、利休ならねどなほさら寂し。

味気なきは折ふしの移りかはり、祭ののち、時花歌はやりうたのすぐすたれゆく。活動写真の酔漢よひどれ絹帽シルクハツトに鳴くこほろぎ。

さらに冷たきもの、真珠、鏡、水銀のたま、二枚わかれし蛇の舌、華魁おいらん

しみじみと身に染みるもの、油、香水、痒ゆきところに手のとどく人が梳櫛すきぐし。こぼれ落ちるものは頭垢ふけと涙。湧きいづるものは、泉、乳、虱、接吻くちつけのあとのおくび、紅き薔薇さうびの虫、白蟻。

誤ち易きは、人のみち、算盤そろばんの珠。迷ひ易きは、女衒ぜげんの口、恋のみち、なぞ、手品、本郷の西片町、ほれぼれと惚れてだまされたるかなし。

忘れがたきは薄なさけ。一に好色、二に酒のあぢ、三にさんげの歌枕。わが思ふ人ありやなしやと問ふまでもなし都鳥、忘れな草の忘れられたるなほいとし。

浅くとも清きながれのかきつばた。偽れる、薄く澄ませる、また寂し。まことなきものげに寂し。まことあるものなほ寂し。しんじつ一人は堪へがたし。人と生れしなほ切なけれ。

思ひまはせばみな切な、貧しきもの、世に疎きもの、哀れなるもの、ひもじきもの、乏しく、寒く、物足りぬ、果敢なく、味気なく、よりどころなく。

頼みなきもの、捉へがたく、表現あらはしがたく、口にしがたく、聴きわきがたく、忘れ易く、常なく、かよわなるもの、詮ずれば仏ならねどこの世は寂し。

まんまろきもの、輪のごときもの、いつまでも相逢はず平行ならびゆくもの、まためぐるもの、はじめなく終りなきもの、煙るもの、なばぬかに縺れゆくものみなあはれ。

芸は永く命みじかし、とは云ふものの、滅び易きはうき世のならひ。うたも、しらべも、いろどりもゆめのまたゆめ。

うつつをゆめともおもはねど、うつつはゆめよりなほ果敢な、悲しければぞなほ果敢な、幻よりもなほ果敢な。
 



青空文庫より引用