癲狂院外景


夕暮の癲狂院は寂寞ひつそりとして
苔ばんだ石塀を囲らしてゐます。
中には誰も生きてはゐないのかもしれません。

看護人の白服が一つ
暗い玄関に吸ひ込まれました。

むかふの丘の櫟林の上に
赤い月が義理でのぼりました
(ごくありきたりの仕掛です)。

青い肩掛のお嬢さんが一人
坂をあがつて来ます。
ほの白いあごを襟にうづめて
脣の片端が思ひ出し笑ひにぢれてゐます。

――お嬢さん、行きずりのかたではありますが、
石女うまずめらしいあなたのまなじり
崇めさせてはいたゞけませんか。
誇らしい石の台座からよほど以前にずり落ちた
わたしの魂が跪いてさう申します。

――さて、坂を下りてどこへ行かうか……
やつぱり酒場か。
これも、何不足ないわたしの魂の申したことです。



青空文庫より引用