貧乏な少年の話
一
六年生の加藤大作君が、人通りのない道を歩いてくると、キャラメルの箱が一つ落ちていた。
「あれ、キャラメ……」
大作君はかがんでそれをひろおうとした。しかし急にある考えがうかんで、ひろうのをやめた。人に空箱をひろわせてはずかしい思いをさせようという、だれかの意地わるないたずらかも知れない。どこかにかくれてみていて、それを大作君がひろうととたんに「わアい、いいものひろったなア。」とひやかすつもりかも知れない。そういえば、あたりがばかにひっそり している。このひっそり しているのがくさい のである。
そこで大作君はキャラメルの箱を横眼でにらみながら通りすぎると、うしろからあんのじょう、「だい くん、だい くん。」とよんだ者がある。ふりかえったがだれもいなかった。
すると道ばたの、いま白い花をいっぱいにつけたくちなしのいけがきの一ところが、がさがさと動いて、「ここだよ、ここだよ。」とよんだ。
大作君はすこしもどって、すきまからのぞいてみた。黒い眼がまたたきながら笑っていた。なんだ、大頭の吉太郎君である。
だが、こいつは油断のならぬ奴だ、ぼくをわな にかけようとしたんだ、と大作君はすこし腹が立った。
大頭の吉太郎君は自分のしかけたわな が失敗したので、ご機嫌をとるようににこにこしながら、
「はいってこいよ、あそこの穴から。」
といった。
大作君は、うんといって、その穴から吉太郎君の家の屋敷にはいった。そこはお金持の吉太郎君の家の土蔵のうらで、みかんの木が五六本うわっていた。
「な、だい くん、あっこにキャラメルの箱が落ちてるだろう。」
と吉太郎君がひそひそ声でいった。こんなふうに、ひそひそ声で話しかけられると、つまらないことでも重大な意味があるように感じられるものだから、大作君はいけがきのすきまからあらためてキャラメルの箱をみた。そして眼をぱちくりやって、
「うん。」
と、やはり声をひそませて答えた。
「あいつをだれかがきっとひろうから、みてよかよ。貧乏なやつ がきっとひろうぞ。」
大作君は、ついいましがた、自分がそれをひろおうとしたこと、そして自分がわな にかけられようとしているのに気づいて腹を立てたことをわすれてしまった。こんどはためす立場にかわったのだ。人をためすとなると、また一だんと興味がわくものである。
「うん。」
と大作君は、もう吉太郎君の味方になりながら、うなずいた。
ふたりは、くちなしの葉や花しべ に顔をさわられながら、すきまから道の上の小さい箱を熱心にみつめ、はやく貧乏なやつ がこないかと、道の左右をうかがっていた。
こうして、人に知られずに、人をためすということは、なんと胸のときめくことであろう。雀をとらえるために風呂桶のふたを庭に立てて、その下にもみをまいておき、雀がそこにだまされてくるのを、ものかげからみているときの、あのひそやかな歓びに似ている、と大作君は思った。
それにしても、道というものはなかなか人の通らぬものだ。そしてまた村というものは、ばかにひっそりかん としたものである。黄金虫が一ぴき、はねを鳴らしてふたりの鼻先を通ったとき、ふたりはあやうくおどろきの声をあげるところであった。黄金虫がこんなべらぼう な翅音を立てるとは知らなかったのである。
と吉太郎君が、
「だれかくるぞ。」
こうささやいた。ほんとうに、だれかくるけはいがした。
大作君が冷たいいけがきの中へ顔をつっこんでみると、ちょうど、こういうことでためすには手ごろだと思われる初等科二三年の子どもが、何かぶつぶついいながらくるのがみえた。しかしどうも見覚えのある子どもだ、と大作君は思った。そのはずである、それは大作君の弟の幸助だった。
「なんだ、幸……」
しかし大作君はだまってしまった。もう幸助はすぐ近くにきていたのである。もうなりゆきにまかすばかりだった。
大作君は息の根がとまった。――幸助があれ をひろうか、ひろわないか……
「はァん、はァん、ちゃッちゃッちゃッ。」
と幸助は、ひとりのときいつでもやるように、わけのわからぬことをうたいながら、片手でいけがきの葉をむしったりして近づいてきたが、急にだまってしまった。ついにキャラメルの箱を発見したのだ。
大作君は両眼をつむりたかったが、それはまた卑怯なことのような気がしたので、そのままみていることにした。
はたして幸助は、キャラメルの箱をひろった。そして中を改めてみて(むろん、からだった)ポケットにしまいこむと、またさっきのつづきを、
「はァん、はァん、ちゃッちゃッちゃッ。」
とうたいながら、いってしまった。
大作君ははずかしさで顔がほてった。その顔をみられるのがいやなので、いっそいつまでもいけがきにつっこんでいたかったほどである。
吉太郎君と顔を見合わせると、吉太郎君が、なんといっていいか困ったように顔をゆがめた。すると大作君は、うちは貧乏だ ! という考えが頭からおっかぶさってきて、どう立っていていいかわからなかった。
そこで失敬もいわないで、しかられた猫のようにごそごそと、さっきの穴から外に出た。
二
大頭の吉太郎君にわかれてから、大作君はもう四つ五つの道かどをまがってきた。こんなふうに景色をかえているうちに、たいていの不愉快なおもいは消えてしまうものである。ところが、今日はそうでなかった。家は貧乏だ、というおもいは、しゅうねんぶかく大作君のあとをつけてきた。まるで、追っても追ってもついてくるすて犬のように。
大作君は、何もいままで自分の家の貧乏なことを知らなかったわけではないのだ。しかしこんなぐあいに、まざまざとみせつけられたのは今日がはじめてであった。
四年生の三学期に大作君は体操をなまけてばかりいたことがあった。それで、体操の点が乙か丙になるだろうということは、前からうすうす思っていた。しかし通知票をもらって、じっさいそこに、体操丙と書かれてあるのをみたときには、いやこれであたりまえだ、と思いながらも、がっかりしてしまったものだ。
大作君が、いぜんからうすうす知っていた自分の家の貧しいことを、今日のできごとでまざまざとみせつけられたのは、体操丙の通知票をみたときと同じようなことであった。
そこで大作君は、おとなのことばでいえば、自分の家の貧乏をはっきり認識した。さらに、貧乏であることをしみじみはずかしく感じたのである。
人は、つまずいてすてんころりとぶざまにころんだりすると、ころんだ自分に腹を立てて、もういっぺんわざと、こんどはもっとひどく、ころんで自分をいじめることがあるものだが、大作君も、自分の家の貧乏なことがよくわかり、そしてそれがうたがいもなくはずかしいことであるとわかってみると、こんどはわざと、自分の家がどんなに貧しいはずかしい暮らし方をしているかをおもい出して、ますますはずかしさを味わってみたくなった。
――第一、大作君の家では子どもが多すぎるのだ。大作君をかしらにして八人いる。そしてお母さんはまだこれから赤ん坊をうむかも知れないのである。何しろこんなに生まれるということはお父さんも意外だったそうだ。それが証拠に、お父さんははじめ三人だけは、大作、速男、幸助と、ていねいな名前をつけた。そして四人目が生まれたときにはじめて、これは今後何人生まれるかわからない。それならば、いちいち考えて名をつけているわけにはいかないというので、四人目の弟からは、四 郎、五 郎、ム ツ子、七 郎と、番号式につけたのだそうである。この話をよく大作君はお父さんから笑い話としてきかされ、そのつど、おかしくて大笑いした。しかし考えてみれば、こんなことのどこがおもしろいものか。ぜんぜん貧乏くさい話じゃないか。
子どもが多いので大作君の家では、服をひとりひとりに買ってあてがうということはないのだ。たとえば大作君が使った洋服を、つぎの速男が使ってわるくし、それをつぎの幸助が使ってぞうきんみたいなものにしてしまい、それをつぎの四郎と五郎が使っていっそうちぎれちぎれにしてしまうと、最後は赤ん坊たちのむつきになるというあんばいだった。
帽子や鞄や教科書、その他なんでもそういうふうに、年上から年下へ手わたされていくのであった。おかしいことに眼の上のこぶまでがそうだった。つまり最初に、大作君の左の眼の上が赤くつやつやとふくれあがってまぶたが重くなる。一週間もして大作君のそれがなおると、つぎの速男がちゃんとそれをうけついで、左の眼の上をはらしている。速男がなおれば幸助、つぎは四郎、五郎という順にいく。たんこぶ までが、リレーの棒のように、眼から眼へうけわたされていくというのは、まったくばかげた、一銭の得にもならない話ではないか。
いや、その弟どもが、またひとりひとり考えてみると、いかにも貧乏たらしいのである。
速男はやせっぽちで、大作君からゆずりうける服がいつもだぶだぶのくせに大ぐいである。そして家では速男を西瓜ぐいの名人といっている。それは、はやくたべることと、皮を紙のようにうすくのこしてあとはすっかりたべてしまう芸当のためにもらった名前である。
つぎの幸助は、なんでもひろってきて、人のみないところにかくしておき、ひとりでとてつ もないことを大まじめに考えているという変なやつだ。たとえば、茶色の小石をマッチ箱に入れて持っていて、めったにみせてはくれないが、それは土の中にうめておくとだんだん大きくなり、さらにそれを清水のわくところにつけておくと、すきとおってきて宝石になるのだそうだ。
つぎの四郎はまだ国民学校にあがったばかりだ。声がいいというので学芸会に出て唱歌をうたったが、家にいるときは、つぎのようなくだらん歌をいつでもくりかえしうたっている。
たかじゃっぽォ
ぽんひゃァりィ
りくぐんのォ
乃木さんがァ
がいせんすゥ
すずゥめェ
めじろォ
ろしやァ
やばんこォくゥ
クロバトキン
……
このばかげたしりとりうたはいつまでうたってもきりがない。きいてるとうんざりしてしまうのだ。
つぎの五郎は、耳の先をぴくぴく動かすことができる。みんながめずらしがって、動かしてみせろというと、まだちいさいので、いい気になって、眼を細め、口をさるのようにつぼめ、耳をぴくつかせてみせるのである。
まだ大作君の家の貧乏な話はいくらでもあるが、そう一度に全部おもい出せるものではない。ここまでおもい出したとき、大作君はもう家のそばまできてしまった。
いつもなら物置小屋の横を通って、さっさと庭にはいるのだが、今日は物置小屋の横で足がとまってしまった。ことのついでに、自分の家がどんなに貧乏くさいかみてやれ、と大作君は思ったのだ。
大作君は、物置小屋の横から自分の生まれた家を観察するため、顔をすこしさしだしたとき、泥棒でもしようとしているかのように、うしろめたく感じた。
井戸ばたで小さい女の人が、油っ気のない髪をいいかげんにぐるぐるとまきつけて、洗濯をしていた。それが大作君のお母さんだった。そのうしろにはビール箱がおいてあって、中に赤ん坊がはいっていた。ビール箱はお父さんが買ってきて、ちょっと細工してつくった「乳母車」であった。
赤ん坊を、八つぐらいの男の子どもがあやしていた。あやす玩具は何かといえば、すりきれて、もう使えなくなったほうきであった。その男の子どもが大作君の弟の四郎であった。
これはもう、申し分のない貧乏な景色であるように大作君には思えた。やれやれ、自分の家はこんなんだったのか。
大作君はげんなりと力もぬけて、物置小屋の壁にもたれていた。
三
大作君は、あることはわすれてしまい、あることは憶えている。憶えていることは、たびたびおもい出す機会があるので、ますます心に刻みこまれていく。
自分の家は貧乏だ、ということは、大作君の心からいつまでも消えてゆかなかった。
ある日の昼休みの時間に、大作君は鉄棒をしていた。尻上がりでうまくくるりとまわって、体をくの字型に鉄棒にかけて、さて向こうをみたとき、大作君の眼は、ちょうど校舎の屋根の上にいる人かげにとまった。
その人かげは小さくて、顔などははっきりみえなかったけれども、大作君のお父さんであることは、大作君にはすぐわかった。お父さんの職業というのが、屋根職人であったからだ。今日は校舎の屋根の、こわれた瓦をとりかえにきたのに相違ない。
お父さんだとわかると、大作君ははずかしくなってきた。こりゃ、こんなところにいるといけないぞ、つぎに尻上がりした奴がきっとみつけるだろう、そしてこんなことをいうかも知れない、「あッ、おい、みれよ。大くんがれ のお父つあんが屋根の上におるぞ。」
そこで大作君は、さっと砂の上に飛びおりると、お父さんの姿のみえない小使室の方へ走っていった。そこの桜の木の下では、兼男君たちが地雷火遊びをしていたので、仲間に入れてもらって、お父さんのことをわすれてしまった。
午後の一時間目は綴方であった。先生が扉口にあらわれたのをみると、綴方帳のひと荷物を重そうにかかえていられる。十日ほど前に「私の家」という題で書いた綴方を返してくださるのだ。
大作君は胸に一撃をくらった。なんだかわるいことがはじまるぞ、という予感があった。大作君は、その綴方を書いたじぶんは、まだ貧乏がそれほどはずかしいこととは思わなかったので、自分の家の貧乏なことを得意になって書いてしまったのだ。たとえば、こんなふうに書いたところもあった。「ぼくの家はびんぼうだ。しかしのぐち英世の家はびんぼうだったと先生は教えてくれた。ぼくもしっかり勉強してのぐち英世に負けないようにしよう……」
当番の者が綴方帳をくばっていたとき、みんなの頭の上でミシミシッという音がした。先生はあおむいて天井をみた。生徒たちも天井をみた。大作君もそれにつられて天井をあおいだが、すぐうつむいてしまった。お父さんがちょうど教室の真上にきたその足音だということをさとったからである。
するとだれかが、うしろの方で「瓦屋さんだ。」と小さい声でいった。大作君は耳の中で蝉が一ぴきじーんと鳴き出したように感じた。
「大作君のお父つあんだ。」と、すぐ横の吉太郎君が、必要もないのに大きな声ではっきりみんなに教えた。そこでみんなは大作君の顔をみた。大作君はどうしようもなくはずかしいのであった。
綴方帳がもどってきたのでそこを開いてみると、「優」という赤い字と、文のそちこちに打ってある泡つぶのような円とが、大作君の眼にとびこんだ。大作君は喜ばしい気持ちと困ったなという気持ちとを同時に味わった。優であることはうれしかったが、いつもの例で、優の者はたいてい自作を朗読することになっていたから、それは困るのであった。
わるいことというものはすべり台のようなもので、そのはしにのってすべりはじめると、するすると、いきつくところまでいってしまうのである。大作君はそれをよく知っていた。きっとこれからはずかしい目に合うんだ。
その通りだった。大作君はまっさきに朗読をあてられた。なぜなら大作君の綴方がいちばんの傑作なんだそうだ。やれやれ。
大作君は思い切って、立って読んだ。「ぼくの家はびんぼうだ。ぼくの家ではお父さんひとりがお金をもうける。お父さんは屋根しょくにんだ。」するとそのとたんに、また頭上で、ミシミシと音がした。まるで大作君のお父さんが屋根の上で朗読をきいていて、「そうだ、そうだよ。」とあいづちを打ったようなぐあいであった。あまりそれがぴったり合っていたので、みんなはどっと笑った。先生までつりこまれて笑ってしまわれた。
それから先も、ところどころで、屋根の上のお父さんは、ミシミシとあいづちを打ったり、とっぴょうしにパシャンとわれ瓦を窓先へ投げおろしたりして、子どもの大作君の綴方朗読をめちゃめちゃにしてしまった。みんなはそのたびに笑った。
みんなは、むろん大作君の家の貧乏なことを笑ったのではないだろう。親と子が屋根の上と下で、同時に音をたてているのがおもしろかったのだろう。しかし大作君はみんなが大作君の家の貧乏をあざわらったように思えた。何しろ大作君は、貧乏がはずかしいことと思いこんでいたので。
このことがあってから、大作君は意気地がなくなってしまった。いぜんは大作君の体に針金のようにぴいんとしたものがはいっていた。それはいってみれば「何くそ! ぼくは優等生だぞ。ぼくの家は貧乏だってなんにもうしろぐらいことはないぞ。公明正大な貧乏だぞ!」といったような気持ちであった。だから、そのじぶんは、大作君はどんなに帽子に穴があいていたって、どんなに洋服の袖がよれよれになっていたって、人にみられてはずかしいなどと思わなかった。それがこのごろではまるでちがってきた。あの針金のようなものが体からぬけてしまったので、どうかすると立っているのさえ難儀なことがあった。いっそ、みみずのように地べたをはっていたいと思うようなことがあった。そして人にながめられると、すぐ自分のみなりの貧乏くさいことを気にするのであった。それも、あとから考えるとばかばかしいようなことが気になった。たとえば、下から二つ目のボタンがひしゃげていることとか、胸のあたりにこびりついている味噌汁のとばっちりだとか。また、お母さんに髪をかってもらったあとでは、頭のうしろを気にした、そこが弟たちのように虎刈りになっていやしないかと思って。
いぜんには大作君は明快に口がきけたものだ。何々であります 、とか、いいえちがいます 、とか、最後のことばまではっきりいえたものだ。それがこのごろでは、半分くらい何かいうと、あとはゴム風船から空気がぬけたように、消えてしまうというあんばいだった。たとえば「あッ、ひこ――」というと、もう力がぬけてしまって、あとの「おきが飛んでおるよ。」ということができないのであった。また歌にしても、「ふ、な、」というともうやめてしまうので、きいている者には、大作君が「ふな さァかァやァまやァすゥぎさァかとォ」という児島高徳の歌をうたうつもりだったのか、それとも「ふなすくいにいこうかよオ」というつもりだったのか、とんとわからなかったのである。
また、いぜんには大作君は、どんなことでも、大頭の吉太郎君などには負けなかったもんだ。競走なら、吉太郎君が十メートルくらい先に走ってから大作君がスタートを切っても、運動場を一周してくるうちには、楽々と吉太郎君をぬいてしまったし、相撲なら、不意に吉太郎君がうしろからくみついてきても、腰を二つほどひねれば、吉太郎君はよっぱらいのようにあっちこっちよろける、そこでわき腹へ手をまわして足をかければ、かるく吉太郎君はたおれてしまったものである。ところがある日、意外なことが起こった。いつものように砂場で勝ちぬき相撲をやっていた大作君は、そこでひとり相手をたおした。するとうしろからだれかが大作君の腰にしがみついてきた。大作君はいつもするように腰をひねったが、相手はなかなかてごわかった。うしろからぐんぐんおしてきた。大作君は、こいつはいけないと、足の爪先に力を入れてふんばろうとしたが、思うように力がはいらなかった。そして浮足でいるうちに、砂場の外へおし出されてしまった。ふりかえってみて、大作君はおや、と思った。いつも簡単にひねりつぶしていた大頭の吉太郎君だったからだ。自分が意気を失ったことを、このとき大作君ははっきり知ったのである。
それよりいっそういけないことが大作君の心の中に起こった。ときどき、自分の家、弟妹たち、いやお父さんお母さんたちをさえも、他人のように冷淡な眼でじっとみるようになったことだ。たとえば、夜一家が一つのあかりの下に集まってにぎやかに夕飯を食べている。そんなとき大作君ひとりは、しんねりむっつりとおしだまって、小さい弟妹たちを、がきみたいな奴らだなア、耳の中にあかをためたりして、などと思ってみているのである。また、ご飯のときには勝手場へ持ってこられ、お客のあるときには居間の方へ持ってゆかれ、風呂にはいるときには土間の方にさし出され、たった一つで五つ分ほどのはたらきをする十六燭光の電燈をみては、こんなことは家が貧乏である証拠になるばかりで、すこしも自慢のたねになることじゃないと考えているのである。こんなときは、大作君の体は家族の中にありながら、心は遠くにさまよっているので、とつぜん、家の者みなが何かのことで笑い出したりすると、大作君は夢からさめた人のようにきょろんとして、おくればせにすこし笑うのであった。
ときには大作君は、貧乏くさいというので、弟の中のだれかれをにくんだりした。
宝蔵倉の前で、少年たちが模型グライダーを飛ばしていた。みんな大なり小なりグライダーを持っていたが、なかに大作君の弟の幸助だけが持っていなかった。幸助はそこで、みんなの飛ばすグライダーをひろう役目をさせてもらっていた。みんなの手から飛んでいったグライダーが宝蔵倉の戸か壁にあたって地べたに落ちる。すると幸助が走っていって、それをひろってくる。幸助は、ひろって持ち主のところまでいくあいだ、グライダーを持つことができる、それによってわずかに自分のグライダー欲をみたしていたのである。だから幸助は、その役をうばわれないようにみんなのご機嫌をとっていた。ちょうど上衣のポケットのすみに穴があいていたので、ポケットにつっこんだ手の人指指をその穴から出して、「ピストルだぞ、ピストルだぞ。」といっては、二つ三つおどけてとびあがってみせるのであった。そんなことが何かの愛嬌になるつもりでいるのであった。大作君は、みていてまったくなさけなかった。なんという恥さらしだ! 大作君は幸助をものかげによんだ。そして、兄さんのいかりをちっとも知らないで天使のように無邪気な顔をしてやってきた幸助の横びんた を、「ばかッ」とさけびざま、びしゃんとぶたずにはいられなかった。
こうして、貧乏ったらしいまねをしていた弟は、大作君ににくまれてなぐりとばされた。しかし貧乏くさいからとて、お父さんやお母さんをにくむことが大作君にできたろうか。
それは大麦のうれるころのある日だった。そのじぶんお父さんは、瓦屋の方の仕事がひまなので、いそがしい百姓家へ一日か半日ずつやとわれて、百姓仕事を手つだいにいっていた。正午近く大作君は、お父さんのところへ弁当を持ってゆくよう、お母さんからいいつかった。大作君は弁当を持って、和五郎さんの麦畠の方へいった。そこの畠でお父さんは手つだっているはずだった。
菓子屋の勝助さんと床屋の家のあいだを通りぬけると、西の方に和五郎さんの麦畠がみえた。もう麦はみなかられて、たばねられてあった。畠のこちらのすみでは、和五郎さんとおかみさんが脱穀していた。向こうからだれかが麦を肩にかついで運んできた。その人は少年のようにすとすとと畠中を走って運んでいた。はじめ大作君は、それがどこかの少年かと思った。なぜならおとなはめったに走ったりしないものなので。しかし、大作君がもっと近くへいって、和五郎さんとおかみさんが笑いながら「加重さん、そう走らんでもええがン、もっとぼつぼつやっとくれや。」といっているのを聞くと、それがほかならぬお父さんの加重さんであることがわかった。
お百姓の和五郎さんとおかみさんは、加重さんの走り方がおかしいといって笑いころげた。ふたりは、加重さんがおどけてそんなことをしていると思ったのだ。大作君もはじめそう思って、和五郎さんたちといっしょにお父さんの方をみながら、笑って立っていた。なんというひょうきん者のお父さんだろう。
だが、そのうちに大作君は顔がこわばってきて、笑えなくなってしまった。そして笑えなくなった顔の、ぎゅッとひきゆがむのが感じられた。深い悲しみが大作君をおそったのだ。
大作君にはいまわかった、お父さんがひょうきんでそんなまねをしているのではないことが。お父さんは真剣だったのだ。早くその仕事をしてしまいたかったのだ。つぎの仕事で一銭でも多くもうけるために。いわば貧乏が、おとなの加重さんをこんなに子どものように畠の上を走りまわらせているのであった。なんという悲しいながめであろう。
大作君はもうみていられなかった。恥と悲しみで、体がふるえるのをとめられなかった。
四
六月の終わりの暑い日に、近くの町の公園グランドで連合競技会が行なわれた。
その最後の種目は、六年男子の綱持競走であった。長さ五メートルぐらいの一本の綱を一組二十人の者が持って、距離四キロを走破するのである。そしてこの競走のだいじなところは、二十人のうちひとりでも落伍してはだめだということだ。
なんだか知らないが、戦線における皇軍のある仕事をしのばせるから、大作君たちはこの競走には勝とうという悲壮な決意が、はじめからみんなのはらの中にできていた。
いざ出場となると、大作君たちはおたがいの緊張した顔を、いやに黒くげんこつみたいに小さいなアと思いながら、もくもくとはだしになり、運動帽のふちのひもを頭がいたくなるほどしめなおした。
たくさん出てきた。およそ三十組くらいの縦列が、長くひかれた白線の前にならんだ。大きい学校からは数組出ているのだろう。大作君の学校は小さいので、二十人出ると六年男子はほとんどみんなである。
それから競走がはじまった。先頭の徳一君が「ヨイショッ」と声をかけると、それをみんなが「ヨイショッ」とうける。はじめはあたりいっぱい「ヨイショ」や「コラショ」や「オ一二」の声があったので、大作君たちの声はそれにのまれてしまって、自分たちの「ヨイショ」なのか、ひとの「ヨイショ」なのか区別もつかなかった。
グランドを縦につっきって、両側をヒマラヤシーダの並木ではさまれた細い道から往還へ出た。そのじぶんにはもう、平行していく組も走っているということはなかった。ただ大作君たちにしつこく追いすがってくるのは、線色のそろいの帽子をかぶった知らない学校の一組だけであった。がそれも、飴屋の前の最初の曲がり角をまわったころには、もう数メートル大作君たちよりおくれていた。大作君たちはトップではなかったが、そうとう前の方に走っているつもりであった。
かけ声の「ヨイショ」と足とがよくそろって、調子は上々であった。練習のときなら、ひょうきんな兵太郎君がこのあたりで「コラショイ」と突拍子な声をあげたり「アリャリャン」「スチャラカ、ポンポン」などとでたらめをいったりしてにぎわすのだが、今日はやはりほんとうの競走だからまじめになっているのか、それとも、ゆうべアイスキャンデーを七本たべて今朝はちょっと腹工合がわるいといっていたから、そのせいなのか、どちらか知らないが、ともかく変な声は立てなかった。
稲荷さんの門前に立っている赤旗をまわってひきかえすのであったが、そこにいき着くまでに大作君たちは三つの組を追いぬき、赤旗のところでもみあって、また二組ぬいた。しかしそのじぶんには、みんなの呼吸がだいぶん苦しそうになっていた。かけ声の「ヨイショ」もはじめのような元気な響きを失って、うめき声のようになった。中にはもうそれに声を合わせないで、だまって走っている者もあった。だまっている者は、きっと横腹のいたむのや胸の苦しいのをじっとこらえているのだ、と大作君は思った。
大作君は、腹もいたまねば胸も苦しくなかった。この調子ならまだ十キロぐらい走れる、と思った。しかし眼がちらちらして、風景がはっきりうつらなかった。ときどき、道の角の花をつけた夾竹桃や、太陽の直射に背中の毛を繻子のように光らせて道ばたに休んでいる牛の姿が、眼にとびこんでくるだけであった。
公園の入口のみえる長い直線道路に出たとき、大作君たちは急にかけ声をやめてしまった。すぐまえを、紫色のはちまきした一組が足なみそろえて走っていた。大作君たちの組がだまってしまったのは、あの強敵をぬこうという、みんなの決意のあらわれだ、と大作君は思った。
ひっそりして大作君たちは紫のはちまきにせまっていった。敵も大作君たちをみとめるや、声を消してしまった。ひっそりとして二つの組は必死になった。そして大作君たちは、ひっそりとして追いぬいていった。
ついに公園グランドにはいった。周囲に歓呼の声がわあッとあがった。自分たちは優勝だ! 自然に「ヨイショッ」が口をついて出た。
審判の先生がきて、すぐ頭数をかぞえた。そして「おやひとりたらんぞ。」といった。それからまた数えなおしてみた。「ひとりたらん。」そう気の毒そうにいった。
「だれだ、だれだッ。」
と先頭の徳一君が、汗で、川からあがったばかりのようにぬれた顔を殺気立ててどなった。
だがみんなは、決勝点についたという思いでもう気力がぬけ、ぽうとしていた。もう何も考えられなかった。はやく腰をおろしたいばかりであった。
大作君たちは楡の大木のかげにいって休み、やがてだんだん元気がかえってきた。そしてそれまでに、落伍したのは大頭の吉太郎君であることがわかった。稲荷社の前で赤旗をまわるとき三組ばかりいっしょになってもみあったが、あのときのどさくさで、吉太郎君が落ちたことをだれも気づかなかったのだろう。受持ちの鈴木先生は自転車を借りて吉太郎君をむかえにいった。道ばたにへたばって いるかも知れないからだ。
大作君たちの隣りの控席に帰ってきたよその学校の組の中で、ひとりのふとった少年があおくなってのびた。ふたりのつきそいの先生は、それ水を持ってこい、それ扇であおれ、と大さわぎをしていた。本部のテントの中から、急をきいて、白い服の看護婦や女の先生が飛んできた。えらいことになった、と大作君たちは思った。そして、吉太郎君がああいうふうになってもどってこないようにと、心の中にみんなは願った。もう、競走の勝敗のことなどすっかりわすれていた。
吉太郎君は帰ってきた。みんなが願っていた通り、元気で帰ってきた。先生のうしろから自転車の荷かけにまたがって、血色のいい顔をにこにこさせながら帰ってきた。すこし元気すぎるほどだ。でもまあよかった。みんなは、ほっとして帰りじたくにかかった。
公園を出て、川の堤を電車の停留場の方へ歩いていった。みんなは疲れでぼんやりしていたので、だれひとりものをいおうとしなかった。
電車を待つために、大作君たちは停留場の外の葉桜の日かげに腰をおろして、向こう側のかりとられた小麦畠の方をぼんやりみていた。先生は事務所の中へはいってゆかれた。
小麦のかりとられたあとに一輪の矢車草の花がさいていて、なんということなく、みんなの眼をひいた。
「あんなとこに、矢車草があるげや。」
そう兵太郎君がいった。
「うん。」
と大作君が答えた。
するとみんなのうしろにすわって、すこしきまりわるそうにしていた大頭の吉太郎君が、
「とってこうか。」
といって、小走りに走っていき、二メートルほどの赭土の傾斜をいせいよくかけのぼった。
みんなは顔を見合わせた。吉太郎君がすこし元気すぎるのだ。あんなに元気なら、なぜ最後までがんばらなかったのか。みんなの心にはいまになって、優勝をとりにがしたいまいましさがよみがえってきた。
吉太郎君は矢車草をとって、みんなのそばにもどってきた。
「やろか。」
といって隣りの周造君の方にさし出した。
みんなにはそのときはっきりと、吉太郎君がみんなのご機嫌をとろうとしていることがわかった。良心にやましい点があるのだ。つまり、まだ走れるところを綱をはなしてしまったのだ。
「周造、そんなものをうけとるな。」
そう徳一君が親分みたいにげんとして命令した。おとなしい周造君はちょっとまごついたが、ついにがき大将の徳一君の命にしたがった。吉太郎君はべそをかいていた。
いまはみんなは、吉太郎君がひごろいやらしい奴であったことを憶い出した。親しげに人の耳のそばに口をよせてきて、つまらぬつげ口をしたかと思うと、もうつぎの日には、ほかの者の耳に口をよせて、ちらちら横眼でこちらをみながら、何かこちらのことをつげ口しているというふうの奴であった。また、つきとばされたりすると、面と向かってくるのではなくて、げらげらと下品に笑いながら、よいどれのまねなどしながら、べたべたとはりついてきて、たわむれのようにみせかけながら、相手の服に鼻汁をなすりつけたりして復讐するというふうの卑劣な奴であった。
しかしいまさらおこったって、どうにもならない。みんなはあきらめてまたぼんやり小麦畠の方をみていた。
向こうの道角を、自転車のうしろに氷のかたまりをのせた人がまがって、坂道にかかった。そのとき氷がすべり落ちた。すぐそれをひろって、その人は坂をのぼっていってしまった。そのあとにちょっとした破片が一つ光って落ちていた。
徳一君がそれをひろって、水道であらってきた。
「ええかァ」と徳一君はいった。「いまからこいつをまわすから、順番につぎのもんにわたせよ。」
徳一君の手から兼男君の手にわたった。それからつぎの者へ。こうして一片の氷は少年たちの手をわたっていった。みんなは声を立ててその冷たさを喜んだ。中には頭の上にしばらくのせているものもあった。兵太郎君は、石鹸のように両掌の中でもんだので、急に小さくなってしまったようにみんなは思った。
大作君はうけとった。大作君のつぎには、べそをかいて草の葉をむしっている大頭の吉太郎君がのこっているばかりだった。大作君はこの氷の破片をどうしようかとまよった。みんなはあきらかに吉太郎君をにくんでいた。吉太郎君なんかにわたすな、と眼でしらせていた。
大作君はためらっていた。手の中の小さい氷の破片が妙に重く感じられた。大勢の注意がそれに集まっているからだ。
大作君もみんなのように、吉太郎君のふがいなさに腹を立てていた。すこしお腹のかげんのわるい兵太郎君でさえ、最後までがんばり通したのに、どこもわるくない吉太郎君がすこしぐらい苦しいからといって、途中ですっこけて しまって、その上あろうことかあるまいことか、先生の自転車にのっけてもらって、にやにや笑いながらもどってくるなんて、じつに失敬じゃないか、と思った。
しかし大作君のその心の、も一つ奥にある何ものかが、大作君をおすのであった。大作君は、そっと、氷をうつむいている吉太郎君の手ににぎらせたのである。
五
その夜、大作君はくたびれたので、柱をふまえてねそべっていた。下からみたって、いつもみなれたすかんぴんの貧しい家であった。しかし大作君の心は、いまは安らかにここに落ち着いていた。貧乏なことになんの不平もなかった。
そこへ風呂からあがったはだかん坊の弟たちが、湯気につつまれながら出てきた。そして大作君の頭のかたわらで相撲をとりはじめた。どんどんと大作君の頭にひびいた。
いつもなら大作君は、「やめんかッ」と、優等生の兄さんらしくどなるところだ。しかし今夜はしからなかった。弟たちの健康なはだかん坊をたのもしいもののようにみていた。足音が大きくひびいてくればくるほど気持ちがよかった。――おお! 力を出せ! 力のありったけを出せ! 家がつぶれるくらいあばれろ! 大作君はそう声援したいほどだった。
いまは、大作君の心から、ながいあいだかかっていた灰色のとばりがはらいのけられていた。―― 貧乏だとてはずかしがることはないのだ 。 ぼくたちは健康だ 。 そしてぼくたちにはがんばる力があるんだ 。 ぼくたちにはこれからどんなことだってできるのだ 。――
はじめは、ちび の四郎と五郎だけが相撲をしていたが、やがて速男も幸助も加わって、しまいには相撲というよりはめちゃめちゃの乱闘になってしまった。
「よし、こいッ。」
そうさけんで、大作君ははね起きた。「ぼくひとりにみんなかかってこいッ。」
みんなかかってきた。うしろからしがみつくもの、足にからまるもの、腕をひっぱるもの、大作君はたじたじとなったが、うんとふんばった。ちびの五郎を両腕でだきあげた。じたばたするのを顔の高さにまで持ちあげた。そして「神だなに上げるぞオ。」といって、そちらへ歩いていった。
すると大作君は、神棚の下にたらしてはってある四角な紙に眼がとまった。何か免状みたいなものだ。
「これなんだア。」
と大作君は五郎をおろしてたずねた。
そして速男から、それは幸助がたばこ、キャラメルなどの空箱や、おれ釘、針金などをひろいためて、今日役場の軍事課へ献納して、もらってきた感謝状だということをきいた。
――それなら幸助は、あのキャラメルの箱も献納するつもりでひろったんだ。そうだったのか。国民六年加藤大作君は、きいていて、喜びのために胸があつくなるのを覚えたのである。
青空文庫より引用