木曾道中記
第一囘
鐵道の進歩は非常の速力を以て鐵軌を延長し道路の修繕は縣官の功名心の爲に山を削り谷を埋む今ま三四年せば卷烟草一本吸ひ盡さぬ間に蝦夷長崎へも到りヱヘンといふ響きのうちに奈良大和へも遊ぶべし况んや手近の温泉塲など樋をかけて東京へ引くは今の間なるべし昔の人が須磨明石の月も枴にかけてふり賣にやせんと冷評せしは實地となること日を待たじ故に地方漫遊のまた名所古跡一覽のと云ふ人は少し出立を我慢して居ながら伊勢の大神宮へ賽錢あぐる便利を待つたが宜さうなものといふ人もあれど篁村一種の癖ありて「容易に得る樂みは其の分量薄し」といふヘチ理屈を付け旅も少しは草臥て辛い事の有るのが興多しあまり徃來の便を極めぬうち日本中を漫遊し都府を懸隔だちたる地の風俗を交ぜ混ぜにならぬうちに見聞し山河も形を改ため勝手の違はぬうち觀て置きて歴史など讀む參考ともしまた古時旅行のたやすからざりし有樣の一斑をも窺ひ交通の不便はいかほどなりしかを知らんと願ふこと多時なりしが暇。金。連の三折合ずそれがため志しばかりで左のみ長旅はせず繪圖の上へ涎を垂して日を送りしが今度其の三ツ備はりたればいでや時を失ふべからず先づ木曾名所を探り西京大坂を囘り有馬の温泉より神戸へ出て須磨明石を眺め紀州へ入りて高野山へ上り和歌の浦にて一首詠み熊野本宮の湯に入りてもとの小栗と本復しと拍子にかゝれば機關の云立めけど少しは古物類も覗く爲に奈良へ※ りて古寺古社に詣で名張越をして伊勢地に入り大廟にぬかづき二見ヶ浦で日の出を拜み此所お目とまれば鐵道にて東海道を歸るの豫算なるたけ歩いてといふ注文三十日の日づもりで行くか歸るか分からねど太華山人。幸田露伴 。梅花道人の三人が揃つて行かうといふを幸ひ四人男出立を定め維時明治廿三年四月の廿六日に本願の幾分を果すはじめの日と先づ木曾街道を西京さして上る間の記を平つたく木曾道中記とはなづけぬこれは此行四人とも別々に紀行を書き幸田露伴子は獨得の健筆を大阪朝日新聞社へ出して「乘興記」と名づけ梅花道人は「をかしき」といふを讀賣新聞へ掲げ太華山人は「四月の櫻」と題して沿道の風土人情を細に觀察して東京公論へ載するにつきまぎれぬ爲にしたるなり此の旅行の相談まとまるやあたかも娘の子が芝居見物の前の晩の如く何事も手につかず假初にも三十日のことなればやりかけたる博覽會の評も歸つてからまた見直すとした處で四五日分は書き溜てザツト片を付けねばならず彼是の取まぎれに何處へも暇乞ひには出ず廿五日出社の戻りに須藤南翠氏に出會ぬ偖羨やましき事よ我も來年は京阪漫遊と思ひ立ぬせめても心床しに汝の行を送らん特に木曾とありては玉味噌と蕎麥のみならん京味を忘れぬ爲め通り三丁目の嶋村にて汲まんと和田鷹城子と共に勸められ南翠氏が濱路もどきに馬琴そつくりの送りの詞に久しく飮まぬ醉を盡し歸りがけに幸堂氏にまた止められ泥の如くなりて家に戻り明日は朝の五時に總勢此に會合すれば其の用意せよと云ふだけが確にて夢は早くも名所繪圖の中に跳り入ぬ
第二囘
博覽會開設につき地方の人士雲の如くに東京に簇集きたる之に就て或人説をなして米價騰貴の原因として其の日々《にち/\》費す所の石數を擧げたるがよし夫までにあらずとも地方は輕く東京は重き不平均は生じたるならん我々四人反對に東京より地方へ出て釣合をよくせんと四月廿六日の朝上野の山を横ぎりて六時發横川行の※ 車に乘らんと急ぎしに冗口といふ魔がさして停車塲へ着く此時おそく彼時迅く※ 笛一聲上野の森に烟を殘して※ 車はつれなく出にけり此が風流だ此の失策が妙だと自ら慰むるは朝寐せし一人にて風流ごかしに和められ※ 車に乘おくれるが何が風流ぞと怒つたところで可笑くもなければ我も苦笑ひして此方を見れば雜踏の中を飄然として行く後ろつき菊五郎に似たる通仕立の翁あり誰ぞと見れば幸堂得知氏なり偖は我々の行を送らんとして此に來て逢はぬに本意なく歸るならん送る人を却つて我々が送るも新しからずやと詞はかけず後について幸堂氏の家まで到り此に新たに送別會を開きぬ我三人に萬の失策皆な酒より生ず旅中は特につゝしむべしと一句を示す
一徳利あとは蛙の聲に寐よ
また新らしく瀧澤鎭彦幸堂得知の兩氏に送られ九時の※ 車に乘り横川までは何事もなく午後一時三十分に着せしが是からが英雄競此碓氷嶺が歩く邪魔にならば小脇に抱へて何處ぞ空地へ置てやらうと下駄揃にて歩み出せしが始めのうちこそ小石を蹴散し洒落散したれ坂下驛を過るころより我輩はしばらく措て同行三人の鼻の穴次第に擴がり吐く息角立ち洒落も追々《おひ/\》苦しくなり最うどの位來たらうとの弱音梅花道人序開きをなしぬ横川に※ 車を下りて直に碓氷の馬車鐵道に乘れば一人前四十錢にて五時頃までには輕井澤へ着きまた直ちに信越の鐵道に乘れば追分より先の宿小田井(停車塲は御代田といふ)まで行くべきなれど其處が四天王とも云るゝ豪傑鐵道馬車より歩いて早く着いて見せんとしかも舊道の峠を上りかけしが梅花道人兎角に行なづむ樣子に力餅の茶店に風を入れ此にて下駄を捨てゝ道人と露伴子は草鞋となりしが我と太華山人は此の下駄は我々の池月摺墨なり木曾の山々を踏み凹ませて京三條の大橋を踏轟かせて見せんものと二人を見て麓より吹上る風より冷かに笑ひつゝ先んじて上る上りて頂上に近くなれば氣候は大に東京とは變りて山風寒し木の間がくれに山櫻の咲出たる千蔭翁が歌の「夏山のしげみがおくのしづけさに心の散らぬ花もありけり」とあるも思ひ出られて嬉しく頻りに景色を褒め行くうち山人汗を雫と流して大草臥となれば露伴子は此ぞと旅通を顯して飛ぶが如くに上る此に至つて不思議にも始め弱りし梅花道人ムク/\と強くなり山も震ふばかり力聲を出しサア僕が君の荷を持たうしつかりして上り玉へと矢庭に山人の荷物と自分の荷を合せて引かつぎエイ/\聲に上りしは目ざましきまで感心なり拙者は中弱りの氣味にて少し足は重けれど初日に江戸ツ子が泣を入れたりと云れんは殘念なればはづむ鼻息を念じこらへてナニサ左樣でもないのサと平氣をつくろひ輕井澤に下りて鶴屋といふに着き風呂の先陣へ名乘て勇ましく風呂へ行きしが直ちには跨ぎて湯に入れず少しく顏をしはめたり
第三囘
風流は寒いものとは三馬が下せし定義なり山一つ越えて輕井澤となれば國も上野が信濃となり管轄縣廳も群馬が長野と變るだけありて寒さは十度も強しといふ前は碓氷後は淺間の底冷に峠で流せし汗冷たく身輕を旨の旅出立わな/\震ふばかりなり宿の女子心得て二階座敷の居爐裡に火を澤山入れながら夏の凉しき事を誇る蚊が出ぬとて西洋人が避暑に來るとて夫れが今の寒さを凌ぐ足にはならず早く酒を持ち來たれ。畏まりぬと答へばかりよくして中々《なか/\》持ち來らず飢もし渇もしたるなり先づ冷にてよし酒だけをと頼めど持來らず徳利などに入るゝに及ばず有合す碗石五器にも汲み來れと急きてもいつかな持ち來らず四人爐を圍みて只風雅の骨髓に徹するを歎ずるのみ夜風いよ/\冷かなりトばかり有りて頓て膳部を繰り出し來りぬ續いて目方八百五十目といふ老鷄しかも雄にて齒に乘らざる豪傑鍋も現はれぬ是等の支度をせんには二時三時間經ちしも無理ならず斯く膳部取揃はぬに酒を出すは禮法に背くものと心得たる朴實これまた風雅の骨なり兎も角も有合せもので先づ御酒をと云ふは江戸臭くして却つて興味なし諸事旅は此事よと稱して箸を下すに味ひ頗ぶる佳し勞れを忘れて汲みかはせしが初日ゆゑか人々身体に異常をおぼえて一徳利と極めし數にも足らで盃を收めたり夜具も清くして取扱ひ丁寧なり寐衣とて袷を出したれど我はフラネルの單衣あればこれにて寐んと一枚を戻せしにいかに惡くは聞取りけん此袷汚しと退けしと思ひ忽ち持ち行きて換へ來りしを見れば今仕立しと見ゆる八丈絹の小袖なり返せしは左る心にてはなし是が寐心よければ別に寐衣に及ばずと云しなりと詫てまた戻せしが是にても客を大切と思ふ志しは知られたり然らば寐らんと蒲團に潛り今日道々の景色に
行く春を追ふて木曾路の櫻かな
など考ふるに眼はさえて今宵は草臥に紀行も書ざりしが明日の泊りは早くして必らず二日分認むべし四人別々に書く紀行拙者も貴公も同案にては可笑からずハテ甘く書きたいもの何ぞ名案名趣向名句もせめて一二句は彼も斯して是もまたカウ/\グウ/\鼾の音偖よく人は睡らるゝよ障子を洩りて領に入る淺間の山の雪おろし弓なりに寐るつる屋の二階是等も何ぞの取合せと思ふ折しも下屋賑はしく馬士人足の醉ひたるならん祭文やら義太夫やら分らぬものを濁聲上げ其の合の手には飮ませじと云ふ酒を今ま一合注げ二合温めよと怒りつ狂ひつどしめくなり醉ての上の有樣は彼も此もかはりはなし耻べきかな醉狂愼むべきかな暴飮
泥まみれこれが櫻の葩か
降りつゞく雨明日の空までの事を思へば水の流れもまた雨と枕に傳へて詫し夜はおそく明けぬ今日は輕井澤より越後直江津まで通る信越鐵道とかいふ鐵道に乘り追分驛の先小田井といふまで至らんと朝立出れば此ほとりは淺間の麓の廣野にて停車塲まで行く間灰の如き土にて草も短かし四方の山々に雉子鶯の聲野には雲雀の所得顏なる耳も目も榮耀を極めぬしかし芭蕉翁に「雲雀啼く中の拍子や雉子の聲」と先に出られたれば一句もなし
第四囘
朝靄山の腰をめぐりて高くあがらず淺間が嶽に殘る雪旭の光にきらめきたり※ 車の走るに兩側を眺むる目いそがはし丘を堀割し跡にわずかに生出し躑躅岩にしがみ付て花二つ三つ削落せし如き巖の上に小松四五本立り其下に流るゝ水雪の解けて落るにや流早く石に礙られてまた元の雪と散るを面白しと云もきらぬうち雜木茂る林に入る林を出ればまた曠野にて燒石昔し噴出せしまゝなり開墾せんにも二三尺までは灰の如き土にて何も作りがたしとぞ此所は輕井澤より沓掛追分小田井の三宿の間なり四里程なれば忽ち小田井に着きて※ 車を下りしが下りてグルリと※ つて見ると方角さらに分らずいづれが行先歸る道と評議する顏を見て通りかゝりし學校教員らしき人御代田へは斯う參られよと深切なり御代田とは小田井が改名せしなり一禮して其の如くに行く此ほとりの林の中に櫻咲き野にはシドメの色を飾り畑道は菫蒲公英田には蓮花艸紅きものを敷きつめたるやうなり
足元を花に氣遣へば揚雲雀
宿は永くまばらに續きたり此を過て岩村田までまだ四方の山遠く氣も廣々と田地開けたり岩村田よりやゝ山近くなり坂道もあり此にていづれも足取重げなれば車を雇はんとせしが其の相談のうちに宿を出はなれたり梅花道人いかにしてか後れて到らず偖こそ弱りて跡へ殘りしならん足は長けれど役には立ず長足道怖し馬乘らぬとは此事だと無理を云ふうちオイ/\諸君の荷物を此方へ出したり宜しい諸事僕が心得た先の宿で待つよと跡より驅來りて梅花道人手輕く三人の荷を取りて一まとめにするゆゑ是はいかにと怪しむ跡より鹽灘への歸り車とて一挺來るこれ道人が一行に一足後れて密に一里半の丁塲をわずか六錢に掛合此の拔掛は企てしなり昨日碓氷の働きと云ひ今ま此の素早さに三人の旅通先を取られて後生畏るべしと舌を吐くうち下り方のよき道なれば失敬と振り※ す帽子は忽ち森の陰となりぬ畜生侮ツて一番やられたよし左らば車が早きか我々の脛が達者か競爭を試みんと口には云しが汗のみ流れて足は重し平塚村といふに小高き森ありてよき松の樹多し四方晴れて風冷しきに此の丘に上れば雌松雄松が一になりし相生あり珍しき事かなと馬を曳きて通る男に聞けば女夫松とて名高きものなりといふ丘の上に便々館湖鯉鮒の狂詠を彫りし碑あり業平も如何したとかいふヘボ歌ゆゑ記臆をすべり落ぬ辷る赤土に下駄を腰の臺としてしばらく景色を眺め此丘一つ我物ならば此に讀書の室を築き松風蘿月を侶として澄し込んものと又しても出來ぬ相談を始め勝地に到れば住んことを望み佳景にあへば一句してやらんと思ふ此等みな酒屋の前に涎を垂し鰻屋の臭に指を啣へる類なり慾で滿ちたる人間とて何につけても夫が出るには愛想が盡る人生居止を營む竟に何人の爲に卜するぞや眺望があつて清潔な所を拙者が家だと思へば宜いハテ百年住み遂げる人は無いわサト痩我慢の悟りを開き此所の新築見合せとし田へ引く流に口を漱ぎ冗語を勞れの忘れ草笑聲を伽の野は長く駒の形付たる石ありといふ駒形明神の坂も過ぎ鹽灘へこそ着にけれ
第五囘
鹽灘にて早けれど晝餉したゝむ空暗く雲重ければいさゝか雨を氣遣ふ虚に付け入り車に乘れと勸む八幡の先に瓜生峠とてあり其麓までと極めて四挺の車を走らす此邊の車には眞棒に金輪をつけ走るとき鳴り響きて人を避けさするやうにして有り四挺の車に八の金輪リン/\カチヤ/\硝子屋が夕立に急ぐやうなり鹽灘の宿を出はづれの阪道に瀧あり明神の杜心地も清しく茂りたり瀧の流に水車を仕掛流の末には杜若など咲き躑躅盛りなりわづかの處なれど風景よし笠翁の詩に山民習得て一身慵し間に茅龕に臥し倦て松に倚る却て辛勤を把て澗水に貽る曉夜を分たず人に代つて舂くとあるも此等のおもかげかしばしと立寄りたれど車なれば用捨なく駈け下る下れば即ち筑摩川にて水淺けれど勇ましく清く流れて川巾は隅田川ほどあり船橋掛る半渡りて四方を見れば山々雨を含みて雲暗く水の響き凄じ斯る折名乘りも出よ時鳥
驀地馬乘り入れん夏の川
筑摩川春ゆく水はすみにけり消て幾日の峯の白雪とは順徳院の御製とか大なる石の上にて女衣を濯ふ波に捲き取れずやと氣遣る向の岸の方に此川へ流れ入る流に水車を仕掛あり其下はよどみて水深げに青みたるに鵞鳥の四五羽遊ぶさながら繪なり八幡を過ぎ金山阪下にて車は止る瓜生峠を越ゆるに四歳ばかりの女子父に手を引かれて峠を下る身はならはしの者なるかな角摩川といふを渡りて望月の宿に入るよき家並にていづれも金持らし此は望月の駒と歌にも詠まるゝ牧の有し所にて宿の名も今は本牧と記しあり。宿を通して市の中に清き流れありてこれを飮用にも洗ひ物にも使ふごとし水切にて五六丁も遠き井戸に汲に出る者これを見ばいかに羨しからん是より雁とり峠といふを越ゆ峠らしくなく眺望よき阪なりいばら阪といふとか道々清き流を手に掬びては咽喉を濕す人々戯れて休まんとする時には「ドウダ一杯やらうか」といふ此の一杯やらうが一丁ごとぐらゐになると餘程勞れたるなり蘆田の宿より先に未だ峠あり石荒阪といふ名の如く石荒の急阪にて今までのうち第一等の難所なり阪の上へ到れば平なる所半丁ほどありて草がくれの水手に掬ぶほども流れず下りて一丁ほど行けば此の水山の滴りを合せて小流れとなる下るまた一二丁流は石に觸れて音あり又下る三四丁流れは岩に激して雪を散らす下ること又四五丁川となりて水聲雷の如し坂を下り終れば川巾廣く穩かに流れて左右の岸には山吹咲き亂れ鳥うたひ魚躍るはじめは道端のヒヨロ/\流れ末は四面の田地に灌ぐ河となる岩間洩る滴りも合する時は斯の如し小善とて嫌ふなかれ積めば則ち大善人小惡とて許なかれ積めば即ち大惡人富は屋を潤し徳は身を潤す富は少しき費を省き少しき利を集めたるなり集りて富となれば屋を潤すばかりでなく人を潤し業を興す流れの及ぶところ皆な潤す徳は少しの善行を重ねたるなり其功徳身を潤すに止まらず人をして知ず/\の間に善に導き逢ふ所觸るゝところ皆な徳に潤はざるなし學問もまた斯の如し今日一事を知り明日また一事を知る集りて大知識大學者とはなるなり現に今ま此の水を見る自ら省みて感深し草を藉いてしばらく川に對す
第六囘
石荒坂を過ぎ曲折して平地に出れば即ち長久保なり宿の家並よく車多し石荒坂にて下駄黨も草鞋派も閉口したれば此より車に乘る此邊平地とは云へ三方山にて圍ひ一方は和田峠に向ツて進むなれば岩大石ゴロタ石或ひは上り或は下る坂とまでならねど凸凹多く乘る者は難儀なれど挽夫は躍るもガタツクも物とはせず風の如くに飛び行けば心づもりより時は早く午後三時半和田へ着し緑川といへる高大なる寒げなる家へ泊りたり和田峠は中仙道第一の高山また絶所難塲なりと聞けば窓押し開けて雲深き方をグツト睨み置き偖風呂に入りて銘々一閑張の机を借り受け駄洒中止紀行に取りかゝる宿の人此体を見て不審がる二時間ほどにして露伴子先づ筆を收めたれば酒肴見立掛り膳部申付役となる火の熾んなる圍爐裏に足踏伸し鉛筆の後にて寶丹と烟草の吹※ 《ふきがら》をソクイに練り交ぜながら下物は有るやと問ふ宿の女なしと淡泊無味に答ふデモ此邊の川で取れる岩魚か何かあらうと押し返せば一遍聞合せて見ませうと立つ我々紀行並びに手紙等を書終り偖いかに酒は來りしや大膳太夫殿と云へば露伴子ヂレ込み先刻聞合せると云たばかりに沙汰なしとは酷い奴だと烈しく手を叩けば緩やかに出來る肴はといきまけばまだ聞に行た者が歸りませんと落付たり露伴堪へず其は何處まで聞にやりしぞ一時間も掛るにまだ戻らぬかと詞を荒くすれば川へ聞きにやりました まだ戻りませんと答ふ我輩不思議に思ひ傍らより口を出し川へ聞にやるとは如何なる事ぢやと問へば川へ魚を捕りに出し者あるべければ河原へ行き其の漁者について魚は有るや否やを問ふにて魚屋とて別にそれを貯へて賣る處はなしとの事に一同アツト顏を見合し暮て河原に漁者を尋ね尋ね當て魚の有りや無しやを問ひそれを我等に報じて而して後に調理にかゝられては一日二日の滯留にては味ふこと難かるべし肴の儀は取消しとすべし急ぎ膳をと頼めば頓て持ち來る膳部の外に摺芋に鷄卵を掛けたるを下物として酒を持ち來り是は明日峠を目出度越え玉はんことを祝ぎたてまつるなり味なしとて許されて志しばかりを汲ませ玉へやといふ先に家の大なるに合せ奮發したる茶代の高此に至ツて光を放ちぬ併しながら此家は夫是の事に拘はらず山を祝ふて酒を勸むるが例なりと質朴にしてまた禮ありと稱へ皆な快く汲む終りて梅花道人は足の勞れ甚だしければ按摩を取らんとて呼いろ/\弄りて果は露伴子も揉ませながら按摩に年を探らするも可笑しく我はこれを聞つゝ先に枕に就く
雨を呼ぶ蛙よ明日は和田峠
降らぬやうに祈るぞと云しが山下しの風の音雨と聞なされて覺ること度々《たび/\》なり果して夜半に雨來る彼方に寐がへり此方に寐がへり明日此に滯留とならば我先づ河原へ出て漁者を尋ねんなど思ひ續くるうち夜は明けしが嬉しや雨も止みぬ馬二頭曳き來り二方荒神といふものに二人づゝ乘すといふ繪に見話には聞しが自ら乘るは珍しく勇み乘りて立ち出れば雨の名殘の樹々の露領に冷たく宿を離るれば直に山にて溪の流れも水嵩まして音高く昨夜の雲はまだ山と別れず朝嵐身にこたへて寒し
第七囘
身輕手輕と夫ばかりを專にしたる旅出立なれば二方荒神の中に縮まりてまだ雨を持つ雲の中に上る太華山人其の寒さを察し袷羽織を貸さる我が羽織の上へ重ね被ても大きければ向ふ山風に吹き孕みて恰かも母衣の如し後の馬の露伴梅花の兩子いろ/\に見立て嘲み笑ふ此は信濃の山中なり見惡しとて寒さにかへられんや左云ふ君等の顏の色を見よと詞戰かひ洒落も凍りて可笑しきは出ず峯には櫻溪には山吹唐松の芽出の緑鶯のをり/\ほのめかすなど取あつめたる景色旅の嬉しさ是なりと語りかはして
山響き谷こたへて後しづかなり雉子の聲
と無理を吐く羊膓たる阪路進むが如くまた退るが如し馬をしばしと止めて元來し方を顧みれば淺間の山はすでに下に見られて其身は白雲の上にあり昨日此山を見て一睨みして置きしが今日は昨日宿りし處を見んとして見えず何となく氣壯んになりて身に膓胃ある事を忘れたり此山路秋は左こそと青葉を紅に默想し雪はいかにと又萬山を枯し盡して忽ち突兀天際に聳ゆる銀の山を瞑思すつひに身ある事を忘れたり澤を傳ひ峯に上る隨分峻しき峠なれど馬にまかせて嶮しき事を知らず東もち屋村といふは峠の上にして人家四五軒あり名物の餡餅あり此にて馬を下り圍爐裏の火に龜みし手足を温めながら其名物を試む梅花道人物喰に於て豪傑の稱あり此にてもまた人々に推尊せられて二盆の外我分までを啖ひ盡すやがて此を出で是より下りなればとて例の鐵脚を踏み轟かす道人餡餅腹に入りて重量を増したるにや兎角に後に下る露伴子は昨年此道中をせしとて甚だ通なり甞て出立の時に曰く木曾海道美人に乏し和田峠西もちや村の餅屋に一人また洗馬に一人あり洗馬のは予未だ其比を見ざる眞に絶世の美人なり餅屋のはこれに亞ぐと物覺え惡き一行なれど是は皆々領裏にでも書留て置きしやよく覺えて夫となく此より荷物を包み直し領掻き合せ蝙蝠傘に薄日を厭ふ峠の上の平坦なるを過ぎて下り口に至りて西の方を一望すれば眼界新たに曠て昨日までの景色と異なり群山皆な雌伏此の峠の外に山と仰ぐべきなし何か自分が此山になつたやうな氣持にて傲然としてまた一睨みす下りは元は急にて上りより難儀なりしを御巡幸の節道を直し今は行人安樂なりといふ左れど尚ほ屈曲の險坂幾段なるや知らず古しへの險阻おもふべきなり下り終らんとする所即ち西もちや村なり此は人家十餘軒ありて宿屋の前に女ども出てお休みな/\と客を呼ぶスハヤ尤物は此中に在るぞと三人鵜の目鷹の目見つけなば其所に入らんとする樣子なり我は元より冷然として先に進み道のかたへの菫蕗の薹蒲公英茅花など此に殘の春あるを賞して騷しき方は見もかへらず三人跡より喘ぎ來りて無し/\影もなし大かたは此邊の貴家豪族が選び取て東京紳士の眞似をなし贋雪舟と共に床の間にあがめ置くなるべし憎むべし/\といふ
呼子鳥おぼつかないで尚床し
日も温かに鳥の聲も麗かなりぶらり/\と語りながら行くに足は勞れたり諏訪の湖水はまだ見えずや晝も近きにと云うち下の諏訪と記したる所に出たり旅宿もあり此ならんと思へばこれは出村にてまだ一里といふ
第八囘
旅にて聞くを厭ふ詞二つまだ と餘 なり初日碓氷にて勞れしとき舊道へ入るの道の標を見るに輕井澤まで二里餘 とあり喘ぎ/\上りてやがて二里餘も來らんと思ふに輕井澤は見えず孤屋の婆に聞けば是からまだ二里なりといふ一行落膽し偖は是程に草臥て餘だけしか來らざりしかと泣かぬばかりに驚きたり是より道を問ひて餘の字を付加へらるゝ時はスハヤと足を擦りたり又まだと云は頓て其處ならんと思ふて問ふとき付加へられて力を落す詞なり和田峠の上りは馬に乘りたれば野々宮高砂なりしが下りは侮りて遊び/\歩きたる爲め三里に足らぬと聞くに捗取らぬこと不思議なるうへ下口はドカ/\と力も足に入る故か空腹甚しく餡餅二盆半の豪傑すら何ぞやらかす物はないかと四方を見※ す程なれば我は餘ほど北山やら西山やら知らぬ方角の山吹躑躅見るも目のまはる程となりしに曲り下りる坂下に町家ありし事なればしかも下諏訪とありし事なれば嬉しや此ぞと先へ驅けしが心あての龜屋なし立どまりて露伴子に聞けば何でも此を越して夫から諏訪の湖水が見えて夫から下諏訪だ此は云て見ればお前立といふやうなものとの答へまだ 付の一里是からの長きこと限りなく山吹を折りて帽子に※ したり蓮華草を摘んだり道草は喰へど腹は脹れず何やら是だけが餘計の道のやうに思はれて小腹も立てば
飛ぶ蝴蝶羽をかはして我を乘せよ
とダヽを捏ねるイヨ藤浪由縁之助と聲をかけらるゝにまた取敢ず
術なさに倒るゝまでも菫かな
と狂句すればイヨ忍月居士と云此に始めて忍月居士が愛慕さるゝは菫御前なることを知り又通人を褒めてイヨすみれは置かれませんと挨拶するは此事より起りたる詞ならんと悟りぬ兎角いふうち入まじへたる山の盡るほとりに一面の名鏡現れたり此ぞ諏訪の湖なると露伴子の指すに俄に足も輕く氣も勇み始めて心づきて四方を眺望するに山々には殘りの花あり雲雀鶯の聲は野に滿ち下は湖水へ注ぐ大河ありて岩波高きに山吹危うげに咲き溢れたる此景色今まで何とて目には入らざりしといぶかる頓て下の諏訪秋の宮に詣づ神さびたるよき御社なり上の諏訪に春の宮あり莊嚴目をおどろかすと聞しが夫へは詣でず此宿より上の諏訪はまだ三里もありと聞ばなり正午少し過るころ下諏訪の温泉宿龜屋に着く一浴して快と賞し鯉鯰などにて小酌しながら偖も今日半日の勞れの恐しさよ小敵と見て侮りたる故此敗は取りしならん是よりは愼みて一里の道も百里を行くの勇氣を以てあたるべしと語るうち下座敷に月琴の響き聞ゆ怪しの物の音や東京を出て未だ鳥の謠ひ奏づる外人間の音樂は聞ずさすがに此は遊浴繁花の地とて優しくも聞くものかな且つ其調も拙なからず微めて唄ふに聲はさだかならねど人※ もさぞと慕はしきにいざや此へ呼びて一曲を所望せん彼の潯陽の江頭ならで諏訪湖邊に月琴を聽くもまた面白からずやと直ちに手を鳴らして女を呼び下にて月琴を彈くは何者ぞと問へば此家の娘なりといふ容貌も温泉に濯ひて清げならん年は幾許ぞ。ハイ九歳でまだネカラ手が※ りません。此答へに一座唖然たり
第九囘
二方荒神の味を覺えて鹽尻峠も馬に遊ばんと頼み置きて寐に就く温泉にて勞れを忘れ心よく睡りたれば夜の明けたるも知らず宿の者に催されて漸やくに眼を擦りながら浴室に至れば門前に待ち詫びたる馬の高く嘶くにいよ/\慌て朝餉の膳に向へば昨日鯉の濃汁を褒めたればとて鍋ごと盛んに持ち出で勢ひに呑まれてか豪食の三傑詞にも似ず椀の數少なし馬は何時頃より來り待つぞと問へば江戸のお客樣は氣短でお出でなさるゆゑマダ來ぬかと叱られぬ爲め夜明前より門に來て居りました私共も四時から御膳の支度して御手の鳴るを待ちましたと云ふ諸事左樣來て貰ひたしさすがは下諏訪の龜屋なりと稱へ土産にとて贈られたる名物氷餅を旅荷物の中へ入れて馬ち遠であツたと馬士にも挨拶して此を立ち出づ宿の朝景色何處も勇ましく甲斐々々しく清々《すが/\》しきものなるが分きて此宿は馬で心よく搖られ行く爲か面白し宿を離るれば諏訪の湖水朝霧立こめて空も雨を催ひて寒し馬士の道々語りて云ふ此宿も今は旅人を當にもなさず先づ養蠶一方なり田を作るも割に合はぬゆゑ皆な斯樣に潰して畑となし豆を作るか桑を殖るかなり元は隨分繁昌な所で有りましたがナア又曰く此の流れはアレ彼山の間を川に流れて天龍川に落ちますナニお前さん氷は張りますが馬は危ないので通行は致しません人は見當をつけて向ふの村へ何處でも行きます廣さは十三里と云ますが左樣はございません狐が渡るといふのも昔の話でハイ鯉や鮒鰻は大層捕れますダガ十月から彼岸時分まで氷で漁は出來ませんナニサ兎は少し取れますが獸は何處も此處も開けたので一疋も居なくなりましたハイ遊廓なんテ見られたもんでは無いと矢鱈と謙遜なりポクリ/\と鹽尻峠を上りながら晴た日だと是から富士が見えますと指さす顧みれば水面わずかに白く四方は朝霧にて山の形さへ定かならず此の鏡へ姿を寫す富士の俤さぞと胸に畫けば煙霧糢糊たる間一種の風景あり馬士また云ふ昨夜私の方で大喧嘩が有りました湯の中で騷いだので大きに迷惑します一体湯を引いて湯塲を作るのは大分の入費で夫は村から出し合て誰でも無代で入れますのだが此頃新道を作る人足が大勢入り込んで宜い湯治塲へ行た氣で無代で湯へ入り其上威張散して喧嘩を仕かけたので村の者は怖しがり女や年寄は最う入らぬ位ですナント馬鹿々々しいではございませんか昨夜の喧嘩も土方同士でイヤハヤ新道一件ではいろ/\な事がございます如何か人足の暴れるだけもせめて取締ツて貰ひたい金を出した湯の持主が隅へ小さくなツて何處の者か知れぬ奴が無代で巾を利かせて歌など唄ツて騷ぐとはエライ話しだと不平を云ふ一体に新道には不平と見え馬も舊道行人も舊道なり只運送馬車のみ道は遠けれど平坦ゆゑ新道を驅けるとぞ此邊の屋作り皆な玄關搆へにて嚴めしく男も雪見袴とかいふものを着て古風なり松本道の追分あり此より十五六里なりと午前九時鹽尻の宿へ着く
乘り捨し馬を繋ぐや散る李花
此邊にては人の妻を呼びてお方と云ふ女働らき男樂する風なり土地は桔梗が原に續いて田畑多し
第十囘
鹽尻の茶店の爐に暖まり温飩掻込みながら是よりなら井まで馬車一輛雇ふ掛合を始む直段忽ち出來たれど馬車を引來らず遲し/\と度々《たび/\》の催促に馬車屋にては頓てコチ/\と破れ馬車を繕ひ始めたりイヤハヤ客を見て釘を打つ危ない馬車に乘らるべきか外に馬車なくば破談にすべしと云へばナニお客樣途中で破れるやうな事はございません破れても上の屋根だけですから轉がり落る程の事は有ませんサアお乘りなさいと二十三四の馬丁平氣なれば餘義なくこれに乘る二十三四の小慧き奴客を客とも思はばこそ遊び半分にラツパを吹きて先を驅くガタ/\ゴロ/\隨分と烈し鹽尻を過れば一望の原野開墾年々にとゞきて田畑多しこれ古戰塲桔梗ヶ原雨持つ空暗く風慘し六十三塚など小さき丘に殘れり當年の矢叫び鬨の聲必竟何の爲ぞ
田鼠や化りおほせても草隱れ
興敗つひに夕鶉の一悲鳴草の葉に露置くを見れば小雨の降り來りしなり馬車を驅ること飛が如くなれば手帳へ字などなか/\書けず只破れかゝりし臺の横木に掴まりて落ても怪我のないやうにと心に祈るばかりなり忽ちに二里を馳せ洗馬へ着く昔はよき驛なりしならん大きな宿屋荒果て憐なり此に木曾義仲馬洗の水といふ有りといへど見ず例の露伴子愛着の美人も尋ねずわづかに痩馬に一息させしのみにて亦驅け出す此宿より美濃の國境馬籠までの間の十三宿が即ち木曾と總稱する所なり誠に木曾に入りしだけありて此より景色凡ならず谷深く山聳へ岩に觸るゝ水生茂る木皆な新たに生面を開きたりソレ彼の瀧ホラ向ふの岩奇絶妙絶と云ふうちには四五反は馳せ過る馬車の無法飛せ下は藍なす深き淵かたへは削りなせる絶壁やうやくに車輪をのするだけの崕道を容赦も※ 酌もなく鞭を振つて追立るなれば其の危うさは目もくるめき心も消るばかりなりあはれ斯る景色再びとは來られねば心のどかに杖を立て飽までに眺めんと思ふに其甲斐なし命一ツ全きを願ふばかり付燒刄の英雄神色少し變じたり馬丁にあまりに烈し少し靜にせよと云へば斯る所はハヅミに掛つて飛さねば却て誤ちありナアニ此樣な所此はまだいろはです是から先が些ばかり危ないのですと鼻唄の憎さよ坂を眞下りに下る時は泥犁の底に落る如くまた急なる塲所を上る時は直立して天に向ふ此は危なし下んと云へど聞かぬ顏にていよ/\飛ばす山は恰も驅るが如く樹は飛が如くに見ゆ快と云ば快爽と云ば爽なれどハツ/\と魂を驚かすあまり壽命の藥でもなし呉々《くれ/″\》も重ね/\も木曾見物の風流才士は此を馬車にて飛ぶべからず同行例の豪傑揃ひなれば一難所一急坂を過る時は拍手して快を呼ぶ馬丁ます/\氣を得て驅けさすこといよ/\烈し一句を吐んと思ひ込みしに冗と仕たり瞬間に本山に着けど馬に水もかはず只走りに走る梅澤櫻澤などいふ絶景の地に清く廣やかの宿屋三四軒あり此に一宿せざることの憾しさよ山吹躑躅今を盛りにて仙境の想あり聞く熱川には温泉の出る所ありと此等に暑を避けて其の湯に塵を洗ぐならば即身即仙とんだ樂しき事なるべきに
第十一囘
見上る山には松にかゝりて藤の花盛りなり見下せば岩をつゝみて山吹咲こぼれたり躑躅石楠花其間に色を交へ木曾川は雪と散り玉と碎け木曾山は雲を吐き烟を起す松唐松杉檜森々として雨ならずとも樹下は濕ひたり此間に在りて始めて人間の氣息緩かなるべきを無法飛せの馬車なれば(是よりして木曾の山中にも無法飛ぶのは馬車ではないか抔定めて洒落始めしならん)下手な言文一致の詞のやうにアツヱツ發矢など驚きて思はず叫ぶばかり山も川も只飛び過ぎ熱川より奈良井の間の諏訪峠といふ所は車の片輪を綱にて結びて※ らぬやうにし片輪のみにて落し下すに石に軋りて火花を出す凄じさ譬へて云んやうもなし又本山と熱川の間なりし崕道崩て往來なり難きにより木曾川の河原へ下り川を二度渡りかへして道へ出る所などは會釋もなく川の中へ馬車をやり入れたるが水は馬の太腹にも及び車の臺へ付く程なれば叩き立られたる痩馬向ふの岸に着きかねて喘ぐに流石の我武者馬丁も術なくて己川中へ下り立ち四人を負ひて川原へ下し※ 馬車にして辛うじて引上げしが道を作り居たる土地の者崖の上より見下して乘り入れたる馬丁も強し下りぬ客人も大膽やと賞るか譏るか聲を發して額に手をば加へたり此の時少し篁村息を吐き河原に立やすらひて四方を眺め崩たる崕道を見上るに夫婦連の旅人通りかゝり川へ下りんも危うし崖を越んも安からずと彳み居しが頓て男は崩たる處ろへ足を踏み出し足溜りをこしらへてはまた踏み固め二間餘のところ道をつけ偖立戻り蝙蝠傘の柄の先を女に確と掴ませ危うくも渡り越して互にホト息して無事を悦び合ふ愛情いと尊くも嬉しけれ早々《はや/\》乘れ雨の來らんにと急かれて心ならねど又馬車に乘り先の嶮岨をいろはなりと云しに違はずだん/\危うくせず京あたりの難所も首尾よく飛せ越えて奈良井へ着しは晝前なり是より直に鳥居峠なれば馬車を下りしに馬丁は意氣揚々としてドウですお客樣一番鳥居峠を追立て見ませうかと云ふ我手を振りて是を願ひ下げ此にて晝餉を認めしが雨はいよ/\本降となりしゆゑ豫て梅花道人奉行となりて新調せしゴム引の合羽を取り出し支度だけ凛々敷此所を出れば胸を突くばかり直に峠にて馬車の上に縮みたる足なればチト息ははづみたり此峠に古しへは棧橋ありしとか思ふに今にして此嶮岨なれば棧橋は強ち一ヶ所に限らず所々《しよ/\》に在しならん芭蕉の「かけはしや命をからむ蔦かづら」と詠みしも今の棧橋の所にては有まじ四五丁上りかけて谷に寄たる方に土地の者の行く近道あり折々此の近道あれど草深く道の跡も定ならで危ければ是を通道と名け通と云れたがる者ならでは通らず梅花道人少し後れたるテレ隱しに忽ち此道に驅け上る危ないぞと聲を掛るうち姿は見えずナニ幾許ほど近いものかハアハア云つて此上あたりに休み居るならんト三人嘲みながら上るに道人は居ず五六丁の間は屈曲てもよく先が見えるに後影もなし若しやは近きを貪りて谷へ轉げ落ちしにあらずや此谷に落たるを救ひ上げんには三人の帶を繋ぐとも屆くまじ如何はせんと谷底を覗き見ながら雨を凌ぎて上る
第十二囘
雲雀より上にやすらふ峠かなと芭蕉が詠みしは此の鳥居峠なり雨は合羽の裙よりまくり上げに降る此曲降を防がんやうなく只濡なるに脊はまた汗なり一里に足らぬ峠なれど急上りの急下りなれば大辟易の形となりぬ頓て峠へ上りつきて餅屋にて云々《しか/″\》の形の者は通らずやと聞けば先にお下りになりましたと云ふ偖は梅花道人も谷へは落ちざりしかと安心し下りとならば嶮しとて一跳にせんものと雨を凌ぎつゝ勢ひをつけて下る下りてやゝ麓近くなりしとき篁村小石に躓づきはづみを打て三四間けし飛びしが鞍馬育ちの御曹子を只散髮にした丈の拙者なればドツコイと傘を突き左りの足にて踏み止めぬアハヤと叫びし太華露伴の兩氏イヨ感心と褒めたるが實は此のドツコイ甚だ宜しからず踏み止めし左りの足ギクリとせしが是より少々痛みを覺え雨に傘は用ひずして左りの杖となしたるぞ無念なる下りきりては只の田甫道面白くもなくトボ/\としてやがて藪原に着く此はヤゴ原と讀み元は八五原と書くお六櫛と世に名高き櫛の名所にて八五は即はち九四に同じといふ附會説ありまだ午後の三時に及ばず今三里行けば木曾中第一の繁昌地福嶋なり其所まで飛ばせよといふ議も出しが拙者左りの足が危しければイヤサ繁花の所より此の山間の宿に雨を聽くがあはれも深いものだと弱身を隱して云ふに左らばと此宿に泊る梅花道人茶店に待てありしが一つになり見ぬ事とて早足の自慢大げさなり脇に羽の生えた跡もなけれど偖宿に入りて見れば家名は忘れしが家居廣く清らかにて隣りに大きな櫛店もあり宿中第一の大家とは知られぬ湯に入り名物の櫛を買ふうち頓て名代の蕎麥を持ち出す信濃路一体に輪嶋塗沈金彫の膳椀多しこれ能登よりの行商ありて賣り行くならん大きなる黒椀に蕎麥を山と盛り汁を同じく大椀に添へ山葵大根葱海苔等藥味も調ひたり蕎麥は定めて太く黒きものならん汁の※ 《から》さもどれほどぞと侮どりたるこそ耻かしけれ篁村一廉の蕎麥通なれど未だ箸には掛けざる妙味切方も細く手際よく汁加※ 《つゆかげん》甚はだ佳し思ひ寄らぬ珍味ぞといふうち膳の上の椀へヒラリと蕎麥一山飛び來りぬ心得たりと箸を振ひやゝ二杯目を喰ひ盡さんとする此時遲く彼時早く又もヒラリと飛び込みたり是はと驚く後より左りに持つ椀へ汁を波々《なみ/\》注がれたりシヤ物々しと割箸のソゲを取り膳の上にて付き揃へ瞬く間に三椀を退治たりと思ふ油斷に四椀目は早くも投げ込まれぬ此の狼狽我のみならず飮食道に豪傑の稱ある梅花道人始め露伴子太華山人も呆れ果て箸を膳に置いて一息しよく/\見れば美くしき妻女清しき眼を見はり椀だに明かば投げ込んと盛り替の蕎麥を手元へ引つけて呼吸を量り若き女其後にありて盛替々々續けたり今一人は汁注を右に持ち中腰にて我々の後より油斷を見て汁を注がんと搆へたり此備へ美事喰崩して見せんものと云合さねど同じ心に一同また箸を擧げしが拙者は五椀目にて降參を呼はり投げ込みと欺し注を恐れて兩椀に手早く蓋をして其上を確と押へ漸く蕎麥責を脱れしが此時露伴子は七椀と退治和田の牡丹餅に梅花道人が辭してより久しく誰人の手にも落ちざりし豪傑號を得たりしは目ざましかりける振舞なり
第十三囘
此の藪原は木曾の深山なれば上の山には鷹多く昔しは巣鷹を取る爲に役所をさへ置かれけるとか和田鳥居と過來つる目にはさしも深山の中なりとは思はれず左りながら此宿を過れば木曾川に沿ふての崖道にて景色いふばかりなくよし巴御前山吹御前の墓あり巴は越中にて終りしとも和田合戰の後木曾へ引籠りしとも傳へて沒所さだかならず思ふに此は位牌所なるべし宮の腰に八幡宮あり義仲此の廣前にて元服せしといふ宮の腰とは木曾が舘の跡なればなりと土人今にして木曾樣義仲樣と敬ふ木曾が城跡といふは高き山ならねど三方山にて後に駒ヶ嶽聳へ前に木曾川あり此に來る道東よりするも西よりするも嶮岨の固め諸所にあれば義仲粟津の戰塲を脱れ此に籠て時を窺はば鎌倉の治世覺束なかるべし抔語合ふ思ば治承の昔し頼朝には北條時政といふ大山師が付き義經には奧州の秀衡といふ大旦那あり義仲には中三權頭兼遠といふわづかの後楯のみなりしに心逞ましき者なればこそ京都へ度々忍び上つて平家の動靜を窺ひ今井樋口と心を合せ高倉宮の令旨を得るより雲の如く起り波の如く湧き越後に出で越前に※ り忽ち京都へ伐め上り時めく平家を追下し朝日將軍の武名を輝かしき凡人にてはあらざりけり元暦元年の春の雪粟津の原に消えたれど首は六條の河原にさらされ尸は原に埋めたれど名は末代に殘りけり
杜鵑一聲しばしは空に物もなし
年はわづかに三十一此の英傑を討取て「信濃なる木曾の御料に汁かけて只一口に九郎義經」と云れたる義經もたゞ此年を去る四五年にて同じく三十一にて死す二人は骨折損にして皆な頼朝にシテやられぬ氣の毒至極の事共なり我が贔負役者を揉み消したる頼朝は憎けれどまた考へれば義仲には關白松殿の姫君のほか巴山吹などの艶福あり義經には京の君靜御前といふ意氣筋あり頼朝めは政子といふ嫉深のいけない女に恐れ入り偶々《たま/\》浮氣らしき事あれば三鱗を逆立て怖い眼に睨まれ小さくなツて手を引きぬ嗚呼艶福なる者は必らず斯の如く不運なり女運なければ幸福なり讀者諸君それいづれをか執らんと思ひ玉ふナニ女運を右に幸福を左りに握りたい不埒至極の了簡お止めなさい/\我輩は謹んで艶福を天にかへしたてまつり少し欲氣に聞ゆれど幸福一方と决定仕りぬ友人中には夫は惜いお前が女運を捨るとなると此の情世界が甚だ寂莫最少し艶氣を出せかしと勸告せらるゝ向もあれどイヤ其の仰せは僻事なり抑もと堅く出て左樣な否らしき儀一切謝絶諸事頼朝流の事と取極め政子崇拜主義となりぬ皆樣も是非饗庭黨となり玉へ世の中まことに穩かにて至極野氣で第一は壽命の藥女は命を削るの鉋かんなとをんなと音近きもこれまた自然の道理なり緋威の鎧とめかし込み艶福がるといづれ仕舞は深田へ馬を乘り入れて二進も三進もいかなくなるか自腹の痛事あるべきなりオヽ怖やと悟る人は誠に好い子といふべきなり抔と横道の冗は措き此を越せば山吹が淵巴が淵など云ふ所あり山吹まことに盛りにて岩にさへられて水が巴にめぐるも妙なり
昔し誰が影やうつせし苔清水
第十四囘
福嶋驛はもと關所ありて山村甚兵衞これを固め鐵砲と女を嚴しく改めしといふ昔から女と鐵砲は兎角わざをする物と見えたり成程此宿は繁花にて家數も多く作りて立派なり晝前なるに料理屋に三味線の音ありさだめて木曾の歌の古雅なるならんと立寄れば意氣がりて爪彈で春雨いらぬ事ながら何やら憎く思はれぬ道中筋の繁花な所といふと得て生意氣な風が吹て可厭な臭がしたがる者なり賢くも昨夜の宿を藪原にとりし事よと獨り思ふ此には通運會社あれば持重りの手荷物を東京へ送らんと荷拵へして頼めば目方を量るも賃銀を定むるも掛りの男居ずして知れがたし先拂ひにして下されよとの事にそれにて頼みしが此等より東京へ出すには一旦松本まで持ちかへるゆゑ日數十四五日は掛るといふ果して東京へは二十日目に屆きたり雨は上りたれど昨日よりの降に道は惡し宿の中ほどに橋ありこれを渡り終らんとする末の一足後を向いて冗を云ながら左を踏み出すと橋板より土は一寸ばかり低くガクリと落せしが鳥居嶺のドツコイ此に打て出で俄に足痛みて歩きがたし左れども乘るべき車はなし橋際に立徃生もならず傘と痩我慢を杖にして顏を皺めて歩く此時の体相諸君にお目にかけずに仕合せサ惡い時にはいけない事が續くもので福嶋から二里ばかりの道は木曾とは思はれぬ只の田甫の泥濘にて下駄の齒は泥に吸ひつかれて運ぶに重く傘の先は深くはまりて拔くに力が入る程ゆゑ痛みはいよ/\強く人々に後れて泣たい苦しみ梅花道人さすがに見捨がたくや立戻りて勢ひをつけるに外見を捨てその蝙蝠傘を借り遂に兩杖となりたるぞ憐なる道は捗取ねど時が經てば腹は※ りてまた苦を重ぬるを道人勇みをつけて一軒の茶店ある所まで連れ行き此にて待たれよ我は先へ行きて車を見つけ迎ひによこすべければと頼もしく云るれどたつきも知らぬ山中に一人殘されては車を待つ間の心細さいかならんナニ是式と力足を踏めば倒るゝばかりの痛み歩き自慢の中下駄も此時ばかりは弱り入りそろり/\とまた出かけしが頓て山川の景色凡ならぬ所に出たり問はねど知るゝ木曾の棧橋これ此行第一の處ハテ絶景やと勇みつきて進めば川に臨みて作りかけたる茶屋の店に腰打掛け太華露伴大得意に酒を飮み居たり人の苦みも知らず顏にと怨めば先へ來たは御座所をしつらへる爲めに先づ一杯ナント此景色はと云はれて何も打忘れ山を見ては褒めて一杯川を見ては褒めて一杯岩が妙だ一杯水が不思議だ一杯と景色を下物に飮むほどに空腹ではあり大醉となり是から一里や二里何の譯はない足が痛ければ轉げても行く此さへ此の絶景だものかねて音に聞き繪で惚れて居る寐覺の臨川寺はどんなで有らう足が痛んで行倒になるとも此の勝地に葬られゝば本望だ出かけやう/\と酒が云する付元氣上松から車をよこすから爰に待なと云ふを聞かず亭主大きに世話であつたなと大勇みで飛び出しは出たものゝ痛みは先より尚強し一丁行きては立止り景色を褒めてはまた休む醉は苦しみに消されて早く醒め今は跡の茶屋へも戻れず先へも行かれず氣の毒な事を見てお痛足やと云ふ事は此時よりや始りけん
第十五囘
名下虚士無しなど云へど名のみは當にならぬ世なり木曾道中第一の名所は寐覺の里の臨川寺と現にも覺え名所圖繪の繪にて其概略を知たかぶり岩があつて溪があつて蕎麥が名物是非一日遊ばうぞやと痛む足を引ずりて上松も過ぎしが頓て右手の草原の細道に寐覺の床浦嶋の舊跡と記せし杭あるを見付けガサゴソと草の細道を分け行けば俗々たる寺あり門を入れば此即ち臨川寺にて成ほど木曾川に臨みて居れど眺望佳絶といふべきにあらず此の前後の勝景に比べては寧ろ俗境といふべし小僧人の入り來るを見るより忽ち出で來りて浦嶋太郎の腰を掛けた岩があれで向ふのが猿が踊を跳ツた古跡だなどゝ茶かした云立に一人前五厘と掴み込む田舍の道者魂消た顏にて財布を探るも氣の毒なり一行は座ながらにして名所を知るの大通なる上露伴子といふ先達あり云立を並べんとする小僧の口を塞ぎ座敷を借らんと云入しに座敷は迷惑なりと云ふ心得たりと太華大藏の卿五十錢札一枚を出すイザ是へと急に座敷に請じて茶菓を饗す兎も角も此は書入の名所なり俗境なりとて偖止むべきかは一杯酌みて浦嶋殿の近付とならんと上の旅人宿へいそぎ酒肴を持來れと命じ夫より寺内を漫歩しまた川を眺むるに流を餘り下に見るより川巾狹く棧橋より太く劣るやうに見ゆるにてマンザラ捨た所にはあらず雨雲ちぎれて飛ぶが如く對面の山※ 忽有無また面白き景色となりしばらくは足の痛も忘れ石を投げて川の向ふへ屆くものを好子といふ競技をはじめしが酒は一時間過てもまだ來ず茶に醉ふてかフラ/\と露伴子は睡り梅花道人は欠伸するに我は見兼ね太華山人と共に旅人宿へ催促と出かけしに直に門前にて只今持ち參るの所なりといふ寺も早や興盡きて寒を覺ゆるに寧そ宿にて飮むまいかと割籠の支度を座敷へ取寄せ寺に殘りし二人を呼び飮みかけたるまではよかりしが篁村醉の※ りに分からぬ事を云出したり平生よく分の分かる感心の拙者も酒といふ狂藥に折々不感心な事を仕出かすアヽ酒は嚴禁すべきものなり聞く英國のチヤーチル卿は國中の酒屋を皆な廢し醉漢共を掃落して仕舞はんと禁酒論を國會へ持ち出したりとかチヤーチル氏だから元より下戸だらう抔と茶かさずに誰人も酒は禁じたきものなり偖酒を飮みて湯に入り湯より上りて酒を飮み大グズとなりて此座可笑からず泊りを先の宿にして飮み直すべしといふ途方もなき事を云出し浴衣のまゝ夜中に飛出したり處は木曾の山中なり雨あがりに道は惡し行先は何やら勝手知れず其うへ飛出してから氣が付けば足の痛みありそして車は更なり家もなしドウも木曾山中の夜景は妙だとは酒の云せる譫語にて矢鱈と豪傑がる拙者は我慢の跡押あれど連累となりし梅花道人こそ氣の毒なれコレサ危ないイヽサ承知だよと受答へに醉も定めて醒めしならん勢ひにまかせて一里ほどを歩き漸く家の五六軒ある處に至り片端から叩き辛じて車を一輛仕立させしが二人は下駄を踏みかへし臑まで泥の尻からげ浴衣がけで荷物はないグズ醉の旅人なれば驚き呆れて車の梶棒を下に置き顏打守るばかりにて乘れとは更に云ざりけり
第十六囘
とかうして車に乘れば醉と勞にウト/\と睡りかけしがガタリと車は止りて旦那此が小野の瀧でござりますと云ふ心得たりと下り立しが泥濘に下駄は立ずバタリと轉べば後より下りし梅花道人またバタリ泥に手を突きコリヤ歩かれぬと叫くを車夫二人手を取り跡押せし車夫の女房二の提灯を左右の手に持ち瀧のほとりに指上げたり瀧は高きにあらねど昨日今日の雨に水勢を増しさながら大河を倒まに落すが如し衣袂皆な濕ひてそゞろ寒きを覺ゆれば見分確かに相濟んだと車夫の手を拂ひて車に乘ればまたガタ/\とすさまじき崖道を押し上り押し下し夜の十時過ぎ須原の宿へ着き車夫を厚く勞らいて戻し是より風呂を新たに焚き酒の下物を調するなど宿の者は騷ぐうち其を待つ程もなく我は座敷に倒れて熟醉したれば梅花道人如何なる妙狂言ありしかそれは知らず
此の須原は花漬トロヽ汁の名物なり翌朝鰻のブツ/\切の馳走になり一陶の勇氣をかりて車にて出づ細雨濛々たれど景色を見脱さんが惜ければ母衣は掛けず今井四郎の城跡といふあり此間右は木曾川漲り流れ左りは連山峨々たる崖なるが左りの山を劈いて横に一大河の流れて木曾川へ入るあり此の棧橋の上より車を停めて川面を見やれば誠に魂を冷す關山とて峻しき坂あり一人此を守れば萬夫も越えがたしと見ゆる絶所にて景色もよし車夫いろ/\名所話しをなす喘ぎながら語ふが苦しげなれば此方より此はなどゝ問ん時のほか話しかけるに及ばずと云へど左れど國自慢に苦しげながら又不問語するも可笑し野尻を過ぎ三戸野にて檜笠をもとめ蝙蝠傘にかへて被る此にて一句あるべきと梅花道人の云へば
土産にして凉しと云はん人は誰
と口早に云てこれを笠の裏に書んとせしが茶店の亭主仔細らしき顏して二人が姿を見上げ見下し小首傾け痛はしやいかなる雲の上人の抔云出ん樣子なればチヤクと其笠に姿を隱し車に乘る表に立て見るもの子供まじりに十四五人あり梅花道人我身に受けてグツト氣張り車やれと異な調子なり妻籠の宿にて晝餉認む馬籠の峠なれば車は二人曳ならでは行かず夫もなか/\遲し馬にて越させ玉へと宿の主の心付けに荷を付けて中津川より來りし馬二頭ありしを幸ひこれに乘る元より駄馬なれば鞍も麁末に蒲團などもなし宿の主才角して後より馬の桐油をかけて我々を包む簑虫の變化の如し共に一笑して此を出づ此には雌雄の瀧鯉岩烏帽子岩などあり飯田とかへ通路ありとて駄荷多く集ひて賑し左れど旅人などは一向になし晝の宿に西洋人二人通辯ボーイ等五六人居たるのみ此峠は木曾の御坂と歌にも詠む所にて左のみ嶮しからず景色穩やかにてよし古へ西京より東へ向ひて來んには此の峠こそ木曾に入るはじめなれば偖こそ都人の目に珍しく賞したるならん東より西をさして行かんには此の峠など小さき坂とも見做すべし風越の峰といふも此あたりだと聞しかど馬士ねから知らず却て此山にて明治の始め豪賊を捕へたりなどあらぬ事を誇る時に不思議や馬の太腹我腰のあたりに鷄の啼聲す顧みれば鷄はなく若き男葉付の竹を杖にして莞爾居たり
第十七囘
今の世に客を愛する孟甞君なし有らば此人や上客の一人ならん年ごろ廿一二痩て脊低く色白く眼は小さけれど瞳流れず口早にて細き聲の男馬士の友と見え後先に話ながら來りしが忽ち小指を口に當ると思ふト鷄の鳴音をなす其の妙なること二三度は誠の鷄と聞捨て四五度目に至り怪しや人家なき此の山中にと氣付きて始めて此男の徒らと知りしなり東京に猫八とて犬猫より鷄烏の眞似をする者あれど汝の絶技に比ぶべくもなしと褒めるに氣を得てや雄が餌を見付て雌を呼ぶ聲怖しき物を見て叫ぶ聲などいろ/\の曲を盡す二人は興に入りいろ/\話かければ彼も鼻をうごめかして白山の祭禮に勇を振ひて女連の敵を驚かせしこと親父に追出されて信州の友を尋ね矢鱈婦人に思ひ付かれしこと智計を以て錢なしに旅せしこと伊勢參宮に人違ひの騷動など細やかに話す話すに條理あらねども其の樣子其の身振面白く可笑しく腹を抱へて馬より落ちんとせり馬士もまた客の悦ぶに共に悦び鶴さん此前の喧嘩に組打した事を話して聞せなされと云ふさすが才子の鶴的此の組打は語りて其身に不利益と思ひしにや苦みて他を云ふもまた可笑し終に我輩問ひて此地の流行唄に及びしに彼また委しく答へて木曾と美濃と音調の差あることを論じ名古屋はまた異なりと例證に唄ひ分けて聞す其聲亮々として岩走る水梢を吹く風に和す唄ひ終つて忽ち見えず梅花道人鞍を打て歎じて曰く山川秀絶の氣凝りて斯る男子を出す此人若し東京に出て學ぶこと多年ならばいかなる英傑とならんも知れずと我輩曰く斯る奇才子は宜しく此の山間に生涯を終りて奇を丘壑に埋むべし然らずして東京へ出てなまじひに學問をせば猾智狡才賄賂を取るにあらねば其の周旋人を煽てる公事師とならずば小股をすくふ才取。我家を遊樓にして時めく人を取込む紳士か左らずば長官の御手の付し引物を頂く屬官とならん名節を汚し面目を泥にし只其類の小人に富貴を羨まるゝに止まるべし清唳孤潔此の鶴公の名を如何にせんと此時また忽然と鶴的鞍に傍ひて歩み來る見れば馬の沓を十足ほど彼の竹杖に括し付けて肩にしたり我馬士問ふて曰く鶴さん大層沓を買しつたな煮付て晩飯の代りに喰ふかよと鶴的莞爾としイヤ喰て仕舞ぬ爲に買た今日馬を追て十八錢取つたが彼所の婆の茶屋で強飯を二盆やつたから跡が五錢ほきやない是を持て居ると歸るまでにまた何ぞやつて一文なしにして又親父にどやされるが落だから皆な馬の沓を買てしまつたホラよと是を親父の前へ出せば睨まれる事はないワと此答へを聞て我輩大に驚けり己れの心己れが嗜欲に克ざるを知り罪を犯せし後に悔とも犯さゞる前に復らざるを知り浪費せざる前に早く物と換へて其災ひを未前に防ぐ智といふべし歸りて父の温顏を見るを悦ぶ孝といふべし生知の君子九皋に鳴て聲天にきこゆる鶴殿を惡くも見あやまり狡才猾智の人とせしこそ悔しけれ誠や馬を相して痩たるに失ひ人を相して貧きに失ふアヽ※ 《あやま》ちぬと悔るにつけても昨夜の泊り醉狂に乘じて太華氏露伴子に引別れたる事の面なさよ今日は先に中津川に待ち酒肴を取設け置て過ちの償ひとせんと心に思ひて中津川の橋力に着けば一封の置手紙あり即ち兩氏の名にして西京にて會せんとあり憮然として出すべき詞なし
第十八囘
中津川は美濃の國なり國境は馬籠と落合の間の十石峠といふ所なり國かはれば風俗も異なりて木曾道中淳朴の風は木曾川の流と共にはなれてやゝ淫猥の臭氣あり言語も岐阜と名古屋半交となり姿形も見よげになれり氣候も山を離れて大に暖かみを覺ふ昨日車中より見たる畑の麥はわづかに穗を出したるのみなりしが今日馬上に見れば風に波寄る程に伸びたり山を出たる目には何事も都めくに特に此の橋力といふは中山道第一といふべき評判の上旅籠屋にて座敷も廣く取扱ひも屆き酒もよく肴もよし近年料理屋より今の業に轉じ專心一意の勉強に斯く繁昌をなすなりといふ昨夜は醉にまぎれたれば何ともなかりしが今宵は梅花子と兩人相對して燈火も暗きやうに覺え盃をさすにも淋しく話も途絶勝なれば梅花道人忽ち大勇猛心を振り起しイザヤ他の酒樓に上りて此の憂悶を散ずべし豫て此にて大盛宴を開く積ならずや我輩勞れたりと云へどよく露伴太華の代理として三人分を飮むべしと云ふこれに勵されて何樓とかへ上り歌妓ありと聞て木曾の唄をたしかに聞ざるも殘念なればと夫を呼びて謠はすに名古屋の者なれば正眞の木曾調子にはゆかずと謙遜して偖唄ふ其唄
木曾のナア木曾の御嶽山は夏でも寒い袷やりたや袷やりたや足袋添へて
木曾のナア木曾の御山はお月を抱きやる私も抱たや私も抱たやお十七を
隨分無骨なる調子にて始はフト吹出すやうなれど嶮しき山坂峠をば上り下りに唄ふものなれば濁たる節も無理ならず其文句に至りては率直にして深切ありのまゝにして興あり始の歌木曾の山の寒を案じ夏とて谷間に雪あるに郎は單衣にて上られぬ梢の雫巖の滴り何とてそれにて凌がれん袷を贈りまゐらせたやとの情彼の孤閨を守る婦が夫が遠征の先へ新衣を裁て送んとし思ば定て勞に痩せ昔の腰圍にはあるまじと衣を裁んとして躊躇するにも似たり而してこれは丁寧尚ほ足袋に及ぶ爪先までも心の屆きし事といふべし又次の歌は想ふ人を月に寄せたるにて木曾の山月を抱くの語は彼の杜工部が四更山吐月と詠じたると異意同調ともいふべきなり其の謠ふ間の拍子取りにはトコセイ。ヨイサといふ實に麓より見上げて胸を衝くばかりの鳥居峠など上らんに右の手の竹杖に岩角を突き斯く唄はゞ其の勞を忘るゝ事もあるべし我輩越後に赴きしとき米山を越えて後に新潟にて米山節を聞しが其の音節調子重を負ふて米山を越るによく適ひたり拍子詞にソイ/\といふは嶮しけれども高からぬゴロタ石の坂を登るを見るが如し所によりて囃し詞の斯く變るは面白し此の外かにいろ/\歌あれど今作り添へたるものにて卑俗聽くに堪ず諸國風俗唄の古きにはよきが多し是等取調べて惡きは捨てよきを殘さば假名の詩經が出來やうも知れず一話一言の中なりしが諸國の唄を集め出せしうちに遠州邊の唄とて
魚は水に住む鳥は木にとまる人は情の下に住む
といふがありしと覺ゆ「鴨ぞ鳴くなる川よどにして」の古歌に心は同じにして只俗なるのみ俗なるゆゑ人に通ず俚歌は輕んずべきものにあらずと昨夜に懲りて此夜は眞面目なり
第十九囘
中津川の宿を立んとするに左の足痛みて一歩も引きがたしコハ口惜と我手に揉つ擦りつして漸やく五六町は我慢したれど終に堪へきれずして車乘詰の貴族旅となりぬ雨は上りたれど昨日も一昨日も降り續きたる泥濘に車の輪を沒する程の所あり何卒小山の上を少しの間歩き玉ひてと車夫の乞ふに心得たりと下りては見たれどなまじ車に足を縮めたる爲め痛み強くわづかに蝙蝠傘を力に右の足のみにて飛び/\に歩く苦しさ云ん方なし小松交りの躑躅の花の美しきも目には入らず十間歩くを一里とも二里とも思ひなせど痛き顏をしては梅花道人の案じ玉ふが氣の毒なればわざと顏の皺を伸ばし洒落など云んとすれど滿足に出るは稀なれば今日は大層洒落が苦しいネと云るゝ辛さ笑ふさへ足に響く心地す大井を過ぎて新街道大釜戸といふより御嶽へ出づ元は大井より大久手細久手を經て御嶽へ出しなれど高からねど山阪多きゆゑ釜戸の方を街道となせしなりと如何ばかりの事かあらん見渡すかぎり木曾に馴れし眼には丘といふぐらゐの山のみ道をかゆる程の必要あらんやと口には云しが此足に山阪は恐れる運よく此街道を※ る事よと腹には思ひたりうとふ阪の下り口を例の通り下されて澁々歩くと跡先になりて二十六七の羽織着たる男頻りに二人の姿を眺めしが頓て道人の前へ一揖して失禮ながら其の革提は東京で何程ぐらゐ致しますと問かけしが其の樣子アヽ欲しやこれを提げなば定めて村人の驚き羨まんにと思ふ氣色なりまた頓て我に近づき先ほど見上げましたが珍しい蝙蝠傘彈きがなしでよく左樣に開閉が出來ます嘸高い品でござりませうと是も亦片手に握りて見たき顏の色に我はヱヘンとして斯樣な物は東京に住む者が流行に逐はれて馬鹿の看板に致すなり地方の人は鰐皮の革提の代りに布袋を提げパテンの蝙蝠を※ 《かざ》さずして竹の子笠を被る誠に清くして安樂の生涯羨ましき限りなり衣服調度の美を競ふは必竟自分の心を慰むる爲ならず人に羨まれん感服されんといふ爲なり其爲に心を苦ますること幾許か知れず惡事も此念より芽を出し壽命も是より縮まるなり此の江戸風が地方に流れ込むは昨年の洪水より怖しきものと思ひ玉へと云へば膽の潰れた顏をして足早に行過しも可笑し御嶽の宿にて晝食す此に可兒寺また鬼の首塚などありと聞けど足痛ければ素通りと極て車を走らす是より山の頂の大岩道を行く下されること數度なり左右の松山にヂイ/\と濁りし聲に啼く虫あり何ぞと聞ば松虫と答ふ山に掛れば數万本の松皆赤枯れて火に燒けたる如し又問へば松虫が皆な喰ひ枯せしなりといふ松に此虫が生けば滿山枯し盡さねば止ず其形は毛虫の如くにて憎むべきものなりと云ふ嗚呼松に生じ松によりて育ちながら新芽を喰ひ盡して其松をあはれに枯し却つて其身はヂイ/\と濁聲を放つて得意を鳴らす其名を聞けばおとなしやかに松虫といふ汝に似たる人間もまた世になきには非ざりけり數百万本の松の芽を徒らに喰ひ盡しむしり取り名は美しく毛だらけにてヂイ/\と濁聲に得意を鳴らすもの嗚呼なきにはあらざりけり枯るゝ松こそ哀なれ
第二十囘
中納言行平卿の墓ありといふ少し縁續きなれど參らず伏見を經て太田川にかゝる大河なり木曾の棧橋太田の渡りと古く謠ひて中山道中やかましき所なり河を越して太田に泊る宿狹けれど給仕の娘摺足にて茶つた待遇なり翌日雨降れど昨日の車夫を雇ひ置きたれば車爭ひなくして無事に出立す母衣を掛くれば四方の景色見えず掛けねば濡れるといふ難あり着物や荷物は濡てもまた乾かすべし景色は再び會ひがたからんと决着していかに濡るゝも母衣をかけず道は平坦の繩手にてしかも下り目ゆゑ雨に拘はらずよく走る此邊は官林の松林あり彼の松虫に喰枯されて何百万本か新たに小松を植付け虫取役を付け置かるゝとぞ同じ虫でも蠶の如く人に益し國を富すあれば此く樹を枯して損を與たふるものあり實に世はさま/″\なりと獨り歎じて前面を見れば徃來は道惡き爲めに避けてか車の行くを先に除けてか林の傍の草原を濡れつゝ來る母子あり母は三十四五ならんが貧苦に窶れて四十餘にも見ゆるが脊に三歳ばかりの子を負ひたり後に歩むは六歳ばかりの女の子にて下駄を履きたり母は縁のほつれし竹の子笠を被りたるが何故にや腮の濡るゝまで仰向きたり思へばこれ脊の子を濡らさじと小さき笠を後へ掩ふ爲なりしまだ其下にも跡の子を入れんとにや後さまに右の手を出して娘子の手を引かんとすれど子供はスネてか又は脊に負はれし弟を羨みてや兩手を胸に縮めて寒げにかぢけ行くのみ泣聲はなし涙は雨に洗はれしなるべし此の母の心は如何ならん夫は死せしか病て破屋の中に臥すか何に行かんとし又何をなさんとするや胸に飮む熱き涙に雨を冷たしとは思ふまじしかも此日は風寒く重ね着しても身の震ふに褸の單衣裾短かく濡れたるまゝを絞りもせず其身はまだも堪ゆべし二人の子供を何とせん憐れにも亦いぢらしき有樣よと思ふうち母子の歩みは遲けれど驅ける車の早ければ見顧ても見えずなりぬ此母子の境界はいかならん影の如く是に伴ひて見たしまた成し遂らるゝものならば力をも添へてやりたし嗚呼此の脊に負はるゝ子跡より歩む娘今より十年の後はいかになりて在るや二十年の後は何となるべきや人生れて貧賤なればとて生涯それにて果るにあらず※ 《まは》り合せさへよくば富貴の者となりて雨に戀しきみのゝ國に昔し苦みし事を笑ふて語る時あらんも知れずよし貧賤に終るとて此の母子の慈愛ありなまじ富貴にして却つて財物を爭ひ兄弟親子疎遠になり敵同士と摺れ合ふよりは幸福なりなど思ひつゞくるうち鵜沼も過ぎて加納に着きしが此間の景色川あり山あり觀音坂といふ邊など誠に面白き所なりし岐阜の停車塲の手前の料理店に入りて晝を認め是より我は足の痛み強ければ一人東京へ歸らんと云ひ梅花道人は太華氏露伴氏の跡を追ふて西京に赴むくといふ終に此にて別杯を酌みかはし
左らばとて分つ袂に桐の雨
幸ひに西も東も午後一時何分とか時間に差ひ少なきゆゑ共に停車塲に入り道人は西我は東煙は同じ空に靡けど※ 車は走る道を異にして我は其夜靜岡に泊り待つと告來し大坂の友には今年の秋と契り翌日また※ 車にて根岸の古巣へ飛び歸りぬ
青空文庫より引用