母を恋うる記
いにしへに恋ふる鳥かもゆづる葉の
三井の上よりなき渡り行く
―――万葉集―――
………空はどんよりと曇って居るけれど、月は深い雲の奥に呑まれて居るけれど、それでも何処からか光が洩れて来るのであろう、外の面は白々と明るくなって居るのである。その明るさは、明るいと思えば可なり明るいようで、路ばたの小石までがはっきりと見えるほどでありながら、何だか眼の前がもやもやと霞んで居て、遠くをじっと見詰めると、瞳が擽ったいように感ぜられる、一種不思議な、幻のような明るさである。何か、人間の世を離れた、遥かな遥かな無窮の国を想わせるような明るさである。その時の気持次第で、闇夜とも月夜とも孰方とも考えられるような晩である。しろじろとした中にも際立って白い一とすじの街道が、私の行く手を真直に走って居た。街道の両側には長い長い松並木が眼のとどく限り続いて、それが折々左の方から吹いて来る風のためにざわざわと枝葉を鳴らして居た。風は妙に湿り気を含んだ、潮の香の高い風であった。きっと海が近いんだなと、私は思った。私は七つか八つの子供であったし、おまけに幼い時分から極めて臆病な少年であったから、こんな夜更けにこんな淋しい田舎路を独りで歩くのは随分心細かった。なぜ乳母が一緒に来てくれなかったんだろう。乳母はあんまり私がいじめるので、怒って家を出てしまったのじゃないか知ら。そう思いながらも、私はいつも程恐がらないで、その街道をひたすら辿って行った。私の小さな胸の中は、夜路の恐ろしさよりももっと辛い遣るせない悲しみのために一杯になって居た。私の家が、あの賑かな日本橋の真中にあった私の家が、こう云う辺僻な片田舎へ引っ越さなければならなくなってしまったこと、昨日に変る急激な我が家の悲運、―――それが子供心にも私の胸に云いようのない悲しみをもたらして居たのであった。私は自分で自分のことを可哀そうな子供だと思った。この間までは黄八丈の綿入れに艶々とした糸織の羽織を着て、ちょいと出るにもキャラコの足袋に表附きの駒下駄を穿いて居たものが、まあ何と云う浅ましい変りようをしたのだろう。まるで寺小屋の芝居に出て来る涎くりのような、うすぎたない、見すぼらしい、人前に出るさえ耻かしい姿になってしまって居る。そうして私の手にも足にもひびやあかぎれが切れて軽石のようにざらざらして居る。考えて見れば乳母が居なくなったのも無理はない。私の家にはもう乳母を抱えて置く程のお金がなくなったのだ。それどころか、私は毎日お父さんやお母さんを助けて、一緒に働かなければならない。水を汲んだり、火を起したり、雑巾がけをしたり、遠い所へお使いに行ったり、いろいろの事をしなければならない。
もう、あの美しい錦絵のような人形町の夜の巷をうろつく事は出来ないのか。水天宮の縁日にも、茅場町の薬師様にも、もう遊びに行く事は出来ないのか。それにしても米屋町の美代ちゃんは今頃どうして居るだろう。鎧橋の船頭の忰の鉄公はどうしただろう。蒲鉾屋の新公や、下駄屋の幸次郎や、あの連中は今でも仲よく連れだって、煙草屋の柿内の二階で毎日々々芝居ごっこをして居るだろうか。もうあの連中とは、大人になるまで恐らくは再び廻り遇う時はない。それを考えると恨めしくもあり情なくもある。だが、私の胸を貫いて居る悲しみは単にそのためばかりではないらしい。ちょうどこの松並木の月の色が訳もなく悲しいように、私の胸には理由の知れない無限の悲しみが、ひしひしと迫って居るのである。なぜこのように悲しいのだろう。そうして又、それ程悲しく思いながらなぜ私は泣かないのだろう。私は不断の泣虫にも似合わず、涙一滴こぼしては居ないのである。たとえば哀音に充ちた三味線を聞く時のような、冴え冴えとした、透き徹った清水のように澄み渡った悲しみが、何処からともなく心の奥に吹き込まれて来るのである。
長い長い松原の右の方には、最初は畑があるらしかったが、歩きながらふと気が付いて見ると、いつの間にやら畑ではなくなって、何だか真暗な海のような平面がひろびろと展けて居る。そうして、平面のところどころに青白いひらひらしたものが見えたり隠れたりする。左の方から、例の磯ッ臭い汐風が吹いて来る度に、その青白いひらひらは一層数が多くなって、皺がれた、老人の力のない咳を想わせるような、かすれた音を立てながらざわざわと鳴って居る。海の表面に波頭が立つのか知らとも考えたが、どうもそうではないらしい。海があんなカサカサした声を出す訳がない。どうかした拍子には、魔者が白い歯をムキ出してにやにや笑って居るようにも見えるので、私は成るべくその方へ眼をやらないように努めた。けれども、薄気味が悪いと思えば思うほど、やっぱり見ずには居られなくなって、時々ちらりとその方を偸み視る。ちらり、ちらり、と、何度見ても容易に正体は分らない。ざあーッと云う松風の音の間から、カサカサと鳴る声がいよいよ繁く私の耳を脅かして居る。すると、そのうちに左の松原の向うの遠いところから、ど、ど、どどん―――と云うほんとうの海の音が聞えて来た。あれこそたしかに波の音だ。海が鳴って居るのだ、と私は思った。その海の音は、離れた台所で石臼を挽くように、微かではあるが重苦しく、力強く、殷々と轟いて居るのである。
浪の音、松風の音、カサカサと鳴るえたいの知れぬ物の音、―――私は時々ぴったりと立ち止まって、身に沁み渡るそれ等の音に耳を傾けては、又とぼとぼと歩いて行った。折々、田圃の肥料の臭いのようなものが何処からともなく匂って来るのが感ぜられた。過ぎて来た路を振り返ると、やはり行く手と同じような松の縄手が果てしもなくつづいて居る。孰方を向いても人家の灯らしいものは一点も認められない。それに、先からもう一時間以上も歩いて居るのに人通りが全くない。たまたま出会うのは左側の松原に並行して二十間置きぐらいに立って居る電信柱だけである。そうしてその電信柱も、あの波の音と同じようにゴウゴウと鳴って居る。私はしょざいなさに一本の電信柱を追い越すと、今度は次の電信柱を目標にして、一本、二本、三本、………と云う風に数えながら歩いて行くのであった。
三十本、三十一本、三十二本、………五十六本、五十七本、五十八本、………こう云うようにして、私が多分七十本目の電信柱を数えた時分であったろう、遠い街道の彼方に始めて一点の灯影が、ぽつりと見え出したのである。自然と私の目標は電信柱からその灯の方へ転じたが、灯は幾度か松並木の間にちらちらと隠れては又現れる。灯と私との間隔は電信柱の数にして十本ぐらい離れて居るらしく思われたけれど、歩いて見るとなかなかそんなに近くではない。十本どころか、二十本目の柱を追い越しても、灯は依然として遠くの方でちらちらして居る。提灯の火ほどの明るさで、じっと一つ所に停滞して居るようであるが、しかし或は私と同じ方角に向って同じような速力で一直線に動きつつあるのかも知れない。………
私が、ようようその灯のある所から半町ほど手前までやって来たのは、それから何分ぐらい、或は何十分ぐらい後であったろう。提灯の明るさほどに鈍く見えて居たその光は、やがてだんだん強く鮮かになって、その附近の街道の闇を昼間のようにハッキリと照して居る。ほの白い地面と、黒い松の樹とを長い間見馴れて来た私は、その時やっと、松の葉と云うものが緑色であったことを想い出した。その灯はとある電信柱の上に取り附けられたアーク燈であったのである。ちょうどその真下へ来た時に、私は暫く立ち止まって、影をくっきりと地面に映して居る自分の姿を眺め廻した。ほんとうに、松の葉の色をさえ忘れて居たくらいなのだから、若しもこの辺でアーク燈に出遇わなかったら、私は自分の姿までも忘れてしまったかも知れない。こうして光の中に這入って見ると、今通って来た松原も、これから行こうとする街道も、私の周囲五六間ばかりの圏の内を除いては、総べて真黒な闇の世界である。あんな暗い処を自分はよく通って来たものだと思われる。恐らくあの暗闇を歩いた折には自分は魂ばかりになって居たかも分らない。そうして、この明るみへ出ると共に肉体が魂の所へ戻って来たのかも分らない。
その時私はふっと、例のカサカサと云う皺嗄れた物の音が未だに右手の闇の中から聞えて居るのに心付いた。白いヒラヒラしたものが、アーク燈の光を受けて、先よりは余計まざまざと暗中に動いて居るようである。その動くのが薄ぼんやりとした明りを帯びているだけに、却って一層気味悪く感ぜられる。私は思い切って、松並木の間から暗い方へ首を出して、そのヒラヒラした物をじっと視詰めた。一分………二分………暫く私はそうして視詰めていたけれど、矢張正体は分らなかった。白い物がつい私の足の下から遠い向うの真暗な方にまで無数の燐が燃えるようにぱっと現れては又消えてしまう。私はあまり不思議なので、ぞっと総身に水を浴びたようになりながらも、猶暫くは凝視を続けていた。そうしているうちに次第々々に、ちょうど忘れかかっていたものが記憶に蘇生ってくるような工合に、或は又ほのぼのと夜が明けかかるような塩梅に、その不思議な物の正体がふいっと分って来たのである。その真暗な茫々たる平地は一面の古沼であって、其処に沢山の蓮が植わっていたのである。蓮はもう半分枯れかかって、葉は紙屑か何ぞのように乾涸びている。その葉が風の吹く度にカサカサと云う音を立てて、葉の裏の白いところを出しながら戦いでいるのであった。
それにしてもその古沼は非常に大きなものに違いない。もう余程前から私を脅かしているのである。全体これから先何処まで続いているのかしらん。―――そう思って、私は沼の向うの行く手の方を眺めやった。沼と蓮とは眼の届くかぎり何処までも何処までも横わっていて、遥かにどんよりと曇った空に連なっている。まるで暴風雨の夜の大海原を見渡すようである。が、その中にたった一点、沖の漁り火のように赤く小さく瞬くものがある。
「あ、彼処に灯が見える。彼処に誰かが住んでいるのだ。あの人家が見え出したからには、もう直き町へ着くだろう」
私は何がなしに嬉しくなって、アーク燈の光の中から暗い方へと、更に勇を鼓して道を急いだ。
五六町ばかり行くうちに、灯はだんだん近くなって来る。其処には一軒の茅葺の百姓家があって、その家の窓の障子から灯が洩れて来るらしい。彼処には誰が住んでいるのだろう。事によると、あのわびしい野中の一軒家には、私のお父さんとお母さんがいるのではないかしら。彼処が私の家なのではないかしら。あの灯の点っている懐かしい窓の障子を明けると、年をとったお父さんとお母さんとが囲炉裏の傍で粗朶を焚いていて、
「おお潤一か、よくまあお使いに行って来てくれた。さあ上って火の傍にお出で。ほんとうに夜路は淋しかったろうに、感心な子だねえ」
そう云って、私をいたわって下さるのではないかしら。
街道の一と筋路は百姓家のあたりで少しく左の方へ折れ曲っているらしく、右側にあるその家の明りが、ちょうど松並木のつきあたりに見えている。家の表には四枚障子が締め切ってあって、障子の横の勝手口には、縄暖簾が下っているらしい。暖簾を洩れる台所の火影が街道の地面をぼんやりと照して、向う側の大木の松の根本にまで微かにとどいている。………もうその家の一間ばかり手前まで私はやって来た。暖簾の蔭の流し元で何かを洗っているらしい水の音が聞える。軒端の小窓からは細い煙がほのぼのと立ち昇って、茅葺の軒先に燕の巣のようにもくもくと固まっている。今時分何をしているのだろう。こんな遅い時刻に夕餉の支度をしているのだろうか。そう思ったとたんに、嗅ぎ馴れた味噌汁の匂がぷーんと私の鼻をおそって来た。それから魚を焼くらしいじくじくと脂の焦げる旨そうな匂がした。
「ああお母さんは大好きな秋刀魚を焼いているんだな。きっとそうに違いない」
私は急に腹が減って来た。早く彼処に行って、お母さんと一緒に秋刀魚と味噌汁で御膳を喰べたいと思った。
もう私はその家の前まで来た。縄暖簾の中を透かして見ると、やっぱり私の思った通り、お母さんが後向きになって手拭を姐さん冠りにして竈の傍にしゃがんでいる。そうして火吹竹を持って、煙そうに眼をしばたたきながら、頻りに竈の下を吹いている。其処には二三本の薪がくべてあって、火が蛇の舌のように燃え上る度毎に、お母さんの横顔がほんのりと赤く照って見える。東京で何不足なく暮していた時分には、ついぞ御飯なぞを炊いたことはなかったのに、さだめしお母さんは辛いことだろう。………ぶくぶくと綿の這入った汚れた木綿の二子の上に、ぼろぼろになった藍微塵のちゃんちゃんを着ているお母さんの背中は、一生懸命に火を吹いているせいか、傴僂のように円くなっている。まあいつの間にこんな田舎のお媼さんになってしまったんだろう。
「お母さん、お母さん、私ですよ、潤一が帰って来たんですよ」
私はこう云って門口のところから声をかけた。するとお母さんは徐かに火吹竹を置いて、両手を腰の上に組んで体を屈めながらゆっくりと立ち上った。
「お前は誰だったかね。お前は私の忰だったかね」
私の方をふり向いてそう云った声は、あの古沼の蓮の音よりももっと皺嗄れて微かである。
「ええそうです、私はお母さんの忰です。忰の潤一が帰って来たんです」
が、母はじーっと私の姿を見詰めたきり黙っている。姐さん冠りの下から見える白毛交りの髪の毛には竈の灰が積っている。頬にも額にも深い皺が寄って、もうすっかり耄碌してしまったらしい。
「私はもう長い間、十年も二十年もこうして忰の帰るのを待っているんだが、しかしお前さんは私の忰ではないらしい。私の忰はもっと大きくなっている筈だ。そうして今にこの街道のこの家の前を通る筈だ。私は潤一なぞと云う子は持たない」
「ああそうでしたか。あなたは余所のお媼さんでしたか」
そう云われて見れば成程そのお媼さんは確に私の母ではない。たといどんなに落ちぶれたにしても、私のお母様はまだこんなに年を取っては居ない筈である。―――だがそうすると、一体私のお母様の家は何処にあるのだろう。
「ねえお媼さん、私は又わたしのお母さんに会いたさに、こうしてこの街道を先から歩いて居るんですが、お媼さんは私のお母さんの家が何処にあるか知らないでしょうか。知っているなら後生だから教えて下さい」
「お前さんのおふくろの家かい?」
そう云って、お媼さんは眼脂だらけな、しょぼしょぼとした眼を見張った。
「お前さんのおふくろの家なんぞを私が何で知るもんかね」
「そんならお媼さん、私は夜路を歩いて来て大変お腹が減っているんですが、何か喰べさしてくれませんか」
するとお媼さんはむっつりとした顔つきで、私の姿を足の先から頭の上までずっと見上げた。
「まあお前さんは、年も行かない癖に、何と云うずうずうしい子供だろう。お前はおふくろがいるなんて、大方譃を云うのだろう。そんな穢いなりをして、お前は乞食じゃないのかい?」
「いえいえお媼さん、そんなことはありません。私にはちゃんとお父つぁんもあればおッ母さんもあるのです。私の家は貧乏ですから、穢いなりをしていますけれど、それでも乞食じゃないんです」
「乞食でなければ自分の家へ帰っておまんまを喰べるがいい。私のところにはなんにも喰べるものなんかありゃしないよ」
「だってお媼さん、其処にそんなに喰べるものがあるじゃありませんか。お媼さんは今御飯を炊いていたんでしょう。そのお鍋の中にはおみおつけも煮えているし、その網の上にはお魚も焼けているじゃありませんか」
「まあお前は厭な児だ。家の台所のお鍋の中にまで眼を付けるなんて、ほんとうに厭な児だ。このおまんまやお魚やおみおつけはね、お気の毒だがお前さんにはやれないのだよ。今に忰が帰って来たらば、きっとおまんまを喰べるだろうと思って、それで拵えているのだよ。可愛い可愛い忰のために拵えたものを、どうしてお前なんかにやれるもんか。さあさあ、こんなところにいないで早く表へ出て行っておくれ。私は用があるんだよ。お釜の御飯が噴いているのに、お前のお蔭で焦げ臭くなったじゃないか」
お媼さんは面を膨らせてこんな事を云いながら、そっけない風で竈の傍へ戻って行った。
「お媼さんお媼さん、そんな無慈悲な事を云わないで下さい。私はお腹が減って倒れそうなんです」
そう云って見たけれど、もうお媼さんは背中を向けたきり返辞もせずに働いている。………
「仕方がない。お腹が減っても我慢をするとしよう。そうして早く家のおッ母さんの処へ行こう」
私は独りで思案をして縄暖簾の外へ出た。
そこで左へ曲っている街道の五六町先には、一つの丘があるらしい。路はその丘の麓までほの白く真直ぐに伸びているけれど、丘に突き当ってそれから先はどうなるのだか、此処からはよく分らない。丘にはこの街道の松並木と同じような真黒な大きな松の木の林が頂上までこんもりと茂っているようである。暗いのでハッキリは見えないが、さあッさあッと云う松風の音が丘全体を揺がしているので、それと想像がつくのである。だんだん近づくに随って、路は丘の裾を縫って松の間を右の方へ迂廻している。私の周囲には木の下闇がひたひたと拡がって、あたりは前よりも一層暗さが濃くなっている。私は首を上げて空を仰いだ。が、鬱蒼とした松の枝に遮られて空は少しも見えない。頭の上では例の松風の音が颯々と聞えている。私はもう、腹の減っていることも何も忘れて、ひたすら恐ろしいばかりであった。電信柱のごうごうと云う唸りも蓮沼のカサカサと云う音も聞えなくなって、ただ海の轟きばかりが未だに地響きをさせて鳴っている。何だか足の下が馬鹿に柔かになって、歩く度毎にぼくりぼくりと凹むような心地がする。きっと路が砂地になったのであろう。そうだとすれば別に不思議はない訳だが、しかしやっぱり気持が悪い。いくら歩いても一つ所を蹈んでいるようである。砂地と云うものがこんなに歩きにくいとは今迄嘗て感じなかった。おまけに、前とは違って僅かの間に路が何遍も左へ曲ったり右へ折れたりする。うっかりすると松林へ紛れ込んでしまいそうである。私は次第に興奮して来た。額にはじいッと冷汗が滲み出て、胸の動悸と息づかいの激しさを自分の耳で明瞭に聞き取ることが出来た。
うつむいて、足下を見詰めながら歩いていた私はその時ふと、洞穴のような狭い所からひろびろした所へ出かかっているような気がしたので、何気なく顔を擡げた。まだ松林は尽きないけれど、そのずっと向うに、遠眼鏡を覗いた時のように、円い小さい明るいものがある。尤もそれは燈火のような明るさではなく、銀が光っているような鋭い冷たい明るさである。
「ああ月だ月だ、海の面に月が出たのだ」
私は直ぐとそう思った。ちょうど正面の松林が疎らになって、窓の如く隙間を作っている向うから、その冴え返った銀光がピカピカと、練絹のように輝いている。私の歩いている路は未だに暗いけれど、海上の空は雲が破れて、其処から皎々たる月がさしているのだろう。見ているうちに海の輝きはいよいよ増して来て、この松林の奥へまでも眩しいほどに反射する。何だかこう、きらきらと絶え間なく反射しながら、水の表面がふっくらと膨れ上って、澎湃と湧き騒いでいるように感ぜられる。
海の方から晴れて来る空は、だんだんとこの山陰の林の上にも押し寄せて、私の歩く路の上も刻一刻に明るくなって来る。しまいには私自身の姿の上にも、青白い月が松の葉影をくっきりと染め出すようになる。丘の突角は次第に左の方へ遠退いて行って、私は知らず識らずの間に、殆ど不意に林の中から渺茫たる海の前景のほとりに立たされてしまった。
ああ何と云う絶景だろう。―――私は暫く恍惚として其処に彳んでいた。私の歩いて来た街道は、白泡の砕けている海岸に沿うて長汀曲浦の続く限り続いている。此処は三保の松原か、田子の浦か、住江の岸か、明石の浜か、―――兎にも角にも、それ等の名所の絵ハガキで見覚えのある枝振りの面白い磯馴松が、街道のところどころに、鮮かな影を斜に地面へ印している。街道と波打ち際との間には、雪のように真白な砂地が、多分凸凹に起伏しているのであろうけれど、月の光があんまり隈なく照っているために、その凸凹が少しも分らないで唯平べったくなだらかに見える。その向うは、大空に懸った一輪の明月と地平線の果てまで展開している海との外に、一点の眼を遮るものもない。先刻松林の奥から見えたのは、ちょうどその月の真下に方って、最も強く光っている部分なのである。その海の部分は、単に光るばかりでなく、光りつつ針金を捩じるように動いているのが分る。或は動いているために、一層光が強いのだと云ってもよい。其処が海の中心であって、其処から潮が渦巻き上るために、海が一面に膨れ出すのかも知れない。何しろその部分を真中にして、海が中高に盛り上って見えるのは事実である。盛り上った所から四方へ拡がるに随って、反射の光は魚鱗の如く細々と打ち砕かれ、さざれ波のうねりの間にちらちらと交り込みながら、汀の砂浜までしめやかに寄せて来る。どうかすると、汀で崩れてひたひたと砂地へ這い上る水の中にまでも、交り込んで来るのである。
その時風はぴったりと止んで、あれほどざわざわと鳴っていた松の枝も響きを立てない。渚に寄せて来る波までがこの月夜の静寂を破ってはならないと力めるかの如く、かすかな、遠慮がちな、囁くような音を聞かせているばかりである。それは例えば女の忍び泣きのような、蟹が甲羅の隙間からぶつぶつと吹く泡のような、消え入るようにかすかではあるが、綿々として尽きることを知らない、長い悲しい声に聞える。その声は「声」と云うよりも、寧ろ一層深い「沈黙」であって、今宵のこの静けさを更に神秘にする情緒的な音楽である。………
誰でもこんな月を見れば、永遠と云うことを考えない者はない。私は子供であったから、永遠と云うはっきりした観念はなかったけれども、しかし何か知ら、それに近い感情が胸に充ち満ちて来るのを覚えた。―――私は前にもこんな景色を何処かで見た記憶がある。而もそれは一度ではなく、何度も何度も見たのである。或は、自分がこの世に生れる以前の事だったかも知れない。前世の記憶が、今の私に蘇生って来るのかも知れない。それとも亦、実際の世界でではなく、夢の中で見たのだろうか。夢の中で、これとそっくりの景色を、私は再三見たような心地がする。そうだ、確かに夢に見た事があるのだ。二三年前にも、ついこの間も見た事があった。そうして実際の世界にも、その夢と同じ景色が、何処かに存在しているに違いないと思っていた。この世の中で、いつか一度はその景色に出遇うことがある。夢は私にそれを暗示していたのだ。その暗示が今や事実となって私の眼の前に現れて来たのだ。―――
波さえ遠慮がちに打ち寄せているのだから、私も成る可くなら静かな足取りで、ゆっくりと、盗むが如く歩いて行きたかった。が、どう云う訳か私は妙に興奮して、海岸線に沿うた街道を、急ぎ足で逃げるが如く歩を運んだ。周囲の物象があまりしーんとしているので、何だか恐ろしかったのでもあろう。うっかりしていると、自分もあの磯馴松や砂浜のように、じっとしたきり凍ったようになって、動けなくなるかも知れない。そうしてこの海岸の石と化して、何年も何年も、あの冷たい月光を頭から浴びていなければなるまい。実際今夜のような景色に遇うと、誰でもちょいと死んで見たくなる。この場で死ぬならば、死ぬと云う事がそんなに恐ろしくはないようになる。―――多分この考が、私を興奮させるのであったろう。
「隈ない月の光が天地に照り渡っている。そうしてその月に照される程の者は、悉く死んでいる。ただ私だけが生きているのだ。私だけが生きて動いているのだ」
そう云う気持が私を後から追い立てるようにした。追い立てられれば追い立てられるほど私はいよいよ急き込んで歩いた。すると今度は、私独りが急き込んでいると云う事が、それが恐怖の種になった。息切れがして苦しいので、ひょいと立ち止まると、否でも応でもあたりの景色が眼に這入って来る。総べての物は依然として閑寂に、空も水も遠い野山も、漂渺たる月の光に蕩け込んで、その青白い静かさと云ったら、活動写真のフイルムが中途で止まったようである。街道の地面は、さながら霜が降った如く真白で、その上に鮮かな磯馴松の影が、路端から這い出した蛇のように横わっている。松と影とは根元のところで一つになっているが、松は消えても影は到底消えそうもないほど、影の方がハッキリしている。影が主で、松は従であるかのように感ぜられる。その関係は私自身の影に於いても同じであった。じっと彳んで自分の影を長く長く視詰めていると、影の方でも地べたに臥転んでじっと私を見上げている。私の外に動くものはこの影ばかりである。
「私はお前の家来ではない。私はお前の友達だ。あんまり月が好いもんだから、ついうかうかと此処へ遊びに出て来たのだ。お前も独りで淋しかろうから、道連れになって上げよう」
と、影はそんな事を話しかけているようにも思われる。
私はさっき電信柱を数えたように、今度は松の影を数えながら歩いて行った。街道と波打際との距離は、折々遠くなったり近くなったりする。或る時は浜辺をひたひたと浸蝕する波が、もう少しで松の根方を濡らしそうに押し寄せて来る。遠くを這っている時はうすい白繻子を展べたように見えるが、近くに寄せて来る時は一二寸の厚みを持って、湯に溶けたシャボンの如くに盛上っている。月はその一二寸の盛上りに対してさえも、ちゃんと正直にその波の影を砂地へ写して見せている。実際こんな月夜には、一本の針だって影を写さずにはいないだろう。
遥かな沖の方からか、それとも行くての何本も何本も先の磯馴松の奥の方からか、孰方だかよく分らないが、ふと、私の耳に這入って来た不思議な物の音があった。或は私の空耳であるかも知れないけれど、兎に角それは三味線の音のようであった。ふっと跡絶えては又ふっと聞えて来る音色の工合が、どうも三味線に違いない。日本橋にいた時分、乳母の懐に抱かれて布団の中に睡りかけていると、私はよくあの三味線の音を聞いた。―――
「天ぷら喰いたい、天ぷら喰いたい」
と、乳母はいつもその三味線の節に合わせて吟んだ。
「ほら、ね、あの三味線の音を聞いていると、天ぷら喰いたい、天ぷら喰いたい、と云っているように聞えるでしょ、ねえ、聞えるでございましょ」
そう云って乳母は、彼女の胸に手をあてて乳首をいじくっている私の顔を覗き込むのが常であった。気のせいか知らぬが、成る程乳母の云うように「天ぷら喰いたい、天ぷら喰いたい」と悲しい節で唄っている。私と乳母とは、長い間眼と眼を見合わせて、猶も静かにその三味線の音に耳を澄ましている。人通りの絶えた、寒い冬の夜の凍った往来に、カラリ、コロリと下駄の歯を鳴らしながら、新内語りは人形町の方から私の家の前を通り過ぎて、米屋町の方へ流して行く。三味線の音が次第々々に遠のいて微かに消えてしまいそうになる。「天ぷら喰いたい、天ぷら喰いたい」と、ハッキリ聞えていたものが、だんだん薄くかすれて行って、風の工合で時々ちらりと聞えたり全く聞えなくなったりする。………
「天ぷら………天ぷら喰いたい。………喰いたい。天ぷら………天ぷら………天………喰い………ぷら喰い………」
果てはこんな風にぽつりぽつりとぼやけてしまう。それでも私は、トンネルの奥へ小さく小さく隠れて行く一点の火影を視詰めるような心持で、まだ一心に耳を澄ましている。三味線の音が途切れても、暫くの間はやっぱり「天ぷら喰いたい、天ぷら喰いたい」と、囁く声が私の耳にこびり附いている。
「おや、まだ三味線が聞えているのかな。………それとも自分の空耳かな」
私はひとりそんな事を考えながら、いつとはなしにすやすやと眠りの底へ引き込まれて行く。
その覚えのある新内の三味線が、今宵も相変らず「天ぷら喰いたい、天ぷら喰いたい」と悲しい音色を響かせつつ、この街道へちらほらと聞えて来るのである。カラリコロリと云う下駄の音を伴わないのが、いつもと違っているけれど、その音色だけはたしかに疑う余地がない。初めのうちは「天ぷら………天ぷら………」と、「天ぷら」の部分ばかりが明瞭であったが、少しずつ近づいて来るのであろう、やがて「喰いたい」の部分の方も正しく聞き取れるようになった。しかし、地上には私と松の影より外に、新内語りらしい人影は何処にも見えない。月の光のとどく限りを、果から果までずっと眺め渡しても、私の外にこの街道を行く者は小犬一匹いないのである。事に依ったら、月の光があんまり明る過ぎるので、却って物が見えないのではないだろうか。―――私はそう思ったりした。
私がとうとう、その三味線を弾く人影を一二町先に認めたのは、あれからどのくらい過ぎた時分だったろう。其処へ辿り着くまでの長い間、私はどんなに月の光と波の音とに浸されただろう。「長い間」と云っただけでは、実際その長さの感じを云い現わす事は出来ない。人はよく夢の中で、二年も三年もの長い間の心持を味わう事がある。私のその時の感じはちょうどそれに似ていた。空には月があって、路には磯馴松があって、浜には波が砕けている街道を、二年も三年も、ひょっとしたら十年も、私は歩いて行ったのかも知れない。歩きながら、私はもうこの世の人間ではないのかと思った。人間が死んでから長い旅に上る、その旅を私は今しているのじゃないかとも思った。兎に角そのくらいに長い感じがした。
「天ぷら喰いたい、天ぷら喰いたい」
今やその三味線の音は間近くはっきりと聞えている。さらさらと砂を洗う波の音の伴奏に連れて、冴えた撥のさばきが泉の涓滴のように、銀の鈴のように、神々しく私の胸に沁み入るのである。三味線を弾いている人は、疑いもなくうら若い女である。昔の鳥追いが被っているような編笠を被って、少し俯向いて歩いているその女の襟足が月明りのせいもあろうけれど、驚くほど真白である。若い女でなければあんなに白い筈がない。時々右の袂の先からこぼれて出る、転軫を握っている手頸も同じように白い。まだ私とは一町以上も離れているので、着ている着物の縞柄などは分らないのに、その襟足と手頸の白さだけが、沖の波頭が光るように際立っている。
「あ、分った。あれは事に依ると人間ではない。きっと狐だ。狐が化けているのだ」
私は俄に臆病風に誘われて、成る可く跫音を立てないように恐る恐るその人影に附いて行った。人影は相変らず三味線を弾きながら、振り向きもせずにとぼとぼと歩いている。が、それが若しも狐だとすれば、私がうしろから歩いて行くのをよもや知らない筈はなかろう。知っている癖にわざと空惚けているのだろう。そう云えば何だか、あの真白な肌の色が、どうも人間の皮膚ではなくて、狐の毛のように思われる。毛でない物が、あんなに白くつやつやとねこ柳のように光る訳がない。
私がゆっくりと歩いて行くにも拘わらず、女の後姿は次第々々に近づいて来る。二人の距離は既に五間とは隔たっていない。もう少しで地面に映っている私の影が彼女の踵に追い着きそうである。私が一尺も歩く間に影はぐいぐいと二尺も伸びる。影の頭と女の踵とは見る見るうちに擦れ擦れになる。女の踵は、―――この寒いのに女は素足で麻裏草履を穿いている。―――これも襟足や手頸と同じように真白である。それが遠くから見えなかったのは、大方長い着物の裾に隠されていたためであろう。
何しろ恐ろしく長い裾である。それはお召とか縮緬とか云うものでもあろうか、芝居に出て来る色女や色男の着ているようなぞろりとした裾が、足の甲を包んで、ともすると砂地へべったりと引き摺るほどに垂れ下っている。けれども、砂地がきれいであるせいか足にも裾にも汚れ目はまるで附いていない。ぱたり、ぱたりと、草履を挙げて歩く度毎に、舐めてもいいと思われるほど真白な足の裏が見える。狐だか人間だかまだ正体は分らないが、肌は紛うべくもない人間の皮膚である。月の光が編笠を滑り落ちて寒そうに照らしている襟足から、前屈みに屈んでいる背筋の方へかけて、きゃしゃな背骨の隆起しているのまでがありありと分る。背筋の両側には細々とした撫肩が、地へ曳く衣と共にすんなりとしている。左右へ開いた編笠の庇よりも狭いくらいに、その肩幅は細いのである。折々ぐっと俯向く時に、びっしょり水に濡れたような美しい髱の毛と、その毛を押えている笠の緒の間から、耳朶の肉の裏側が見える。しかし、見えるのはその耳朶までで、それから先にはどんな顔があるのだか、笠の緒が邪魔になってまるっきり分らない。なよなよとした、風にも堪えぬ後姿を、視詰めれば視詰めるほど、ますます人間離れがしているように感ぜられて、やっぱり狐の化けているのではないかと訝しまれる。いかにも優しい、か弱い美女の後姿を見せて置いて、傍へ近寄ると、「わっ」と云って般若のような物凄い顔を此方へ向けるのじゃないか知らん。………
もう私の跫音は、明かに彼女の耳に聞えているに違いない。私がうしろにいると知ったら、一遍ぐらい振り向いてもよさそうなものだのに、知らん顔をしているところを見るといよいよ怪しい。嚇かされてもいい積りで用心して行かないと、どんな目に遇うか分らない。………地に伸びて行く私の影はもう彼女の踵に追い着いて、着物の裾を一尺二尺と這い上っている。ちょうど彼女の腰のあたりに映っている私の首が、だんだんと帯の方へ移って行って、今や背筋を伝わろうとしている。私の影の向うには、女の影が倒れている。私は思い切ってちょいと横路へ外れて見た。すると私の影は忽ち女の腰を離れて、彼女の影と肩を並べつつ前の地面にくっきりと印せられた。最早何と云っても、それが女に見えないと云う筈はない。が、依然として女は此方を振り向きもしない。ただ一生懸命に、とは云え極めてしとやかに、落ち着き払って新内の流しを弾いている。
影と影とはいつの間にやら一寸の出入りもなく並び合った。私は始めて、ちらりと女の横顔を覗き込んだ。笠の緒の向うにやっと彼女のふっくらとした頬の線の持ち上りが見えた。頬の線だけはたしかに般若の相ではない。般若の頬ぺたがあんなに膨らんでいる訳はない。
膨らんだ頬ぺたの蔭から、少しずつ、実に少しずつ、鼻の頭の尖りが見えて来る。ちょうど汽車の窓で景色を眺めている時に、とある山の横腹から岬が少しずつ現れて来るような工合である。私はその鼻が、高い、立派な、上品な鼻であってくれればいいと思った。こんな月夜にこんな風流な姿をして歩いている女を、醜い女だとは思いたくなかった。そう思っているうちに、鼻の頭はだんだん余計に頬の向うから姿を現わして来る。尖った部分の下につづく小鼻の線のなだらかなのが窺われる。もうそれだけでも、鼻の形の大体は想像することが出来る。たしかにそれは高い鼻に違いない。高い、而も立派な鼻に違いない。もう大丈夫だ。………
私はほんとうにうれしかった。殊にその鼻が、私の想像したよりも遥かに見事な、絵に画いたように完全な美しさを持っていることが明かになった時、私のうれしさはどんなであったろう。今や彼女の横顔は、その端厳な鼻梁の線を始めとして、包むところなく現れ出でつつ、私の顔とぴったり並んでいるのである。それでも女は、やっぱり私の方を振り向かない。横顔以上のものを私に見せようとしない。鼻の線を境にした向う側の半面は、山陰に咲く花のように隠れているのである。女の顔は絵のように美しいと共に、「絵のように」表ばかりで裏がないかの如く感ぜられる。
「小母さん、小母さん、小母さんは何処まで歩いて行くのですか」
私はこう云って女に尋ねたが、そのおずおずした声は、冴えた撥音に掻き消されて彼女の耳へは這入らなかった。
「小母さん、小母さん、………」
私はもう一遍呼んで見た。「小母さん」と云うよりは、私は実は「姉さん」と呼んで見たかった。姉と云う者を持たない私は、美しい姉を持ちたいと云う感情が、始終心の中にあった。美しい姉を持っている友達の境遇が、私には常に羨しかった。で、この女を呼びかける時の私の胸には、姉に対するような甘い懐しい気持が湧き上っていた。「小母さん」と呼ぶのは何だか嫌であった。けれど、いきなり「姉」と呼んでは余り馴れ馴れしいように思われたので、拠んどころなく「小母さん」にしてしまったのである。
二度目には大きな声を出したつもりであったが、女はそれでも返辞をしない。横顔を動かさない。ひたすら新内の流しを弾いて、さらり、さらり、と長い着物の裾を砂に敷きながら俯向いて真直に歩いて行く。女の眼は偏に三味線の糸の上に落ちているようである。恐らく彼女は、自分の奏でている音楽を、一心に聞き惚れているのでもあろう。
私は一歩前に蹈み出して、横顔だけしか見えなかった女の顔を、今度は正面からまともに覗き込んだ。顔は暗い編笠の蔭になっているのだけれど、それだけに一層色の白さが際だって感ぜられる。蔭は彼女の下唇のあたりまでを蔽っていて、笠の緒の喰い入っている頤の先だけが、纔かにちょんびりと月の光に曝されている。その頤は花びらのように小さく愛らしい。そうして、唇には紅がこってりとさされている。その時まで私は気が付かなかったが、女はたしかに厚化粧をしているのである。あんまり色が白すぎると思ったのも道理、顔にも襟にも濃いお白粉がくっきりと毒々しいまでに塗られている。―――けれど、そのために彼女の美貌が少しでも割引されると云うのではない。度強い電燈の明りや太陽の光線の下でこそ、お白粉の濃いのは賤しく見える事もあろうが、今夜のような青白い月光の下に、飽くまで妖艶な美女の厚化粧をした顔は、却って神秘な、魔者のような物凄さを覚えさせずには措かないのであった。まことにそのお白粉は、美しいと云うよりも、若しくは花やかと云うよりも、寒いと云う感じの方が一層強かったのである。
どうしたのか、女はふと立ち止まって、俯向いていた顔を擡げて、大空の月を仰いだ。暗い笠の影の中でほの白く匂っていた頬は、その時急にあの沖合の海の潮の如く銀光を放つかと疑われた。すると、その皎々たる頬の上からきらりきらりと閃きながら、蓮の葉をこぼれる露の玉のように転がり落ちるものがあった。きらりと輝いて何処かへ消えてしまったかと思うと、又きらりと輝いては消える。
「小母さん、小母さん、小母さんは泣いているんですね。小母さんの頬ぺたに光っているのは涙ではありませんか」
私がこう云うと、女は猶も大空を見上げながら答えた。
「涙には違いないけれど、私が泣いているのではない」
「そんなら誰が泣いているのですか。その涙は誰の涙なのですか」
「これは月の涙だよ。お月様が泣いていて、その涙が私の頬の上に落ちるのだよ。あれ御覧、あの通りお月様は泣いていらっしゃる」
そう云われて、私も同じように大空の月を仰いだ。しかし、果してお月様が泣いているのかどうかよくは分らなかった。私は多分、自分は子供であるからそれが分らないのであろうと思った。それにしても、月の涙が女の頬の上にばかり落ちて来て、私の頬に降りかからないのは何故であろう。
「あ、やっぱり小母さんが泣いているんだ。小母さんは譃を云ったのだ」
私は突然、そう云わずにはいられなかった。なぜかと云うのに、女は首を擡げたまま、その泣き顔を私に悟られないようにして、しきりにしくしくとしゃくり上げていたのである。
「いいえ、いいえ、何で私が泣いているものか。私はどんなに悲しくっても泣きはしない」
そう云いながらも、女は明かにさめざめと泣いているのである。項を上げている顔の、眼瞼の蔭から湧き出る涙が、鼻の両側を伝わって頤の方へ縷を引きながら流れている。声を殺してしゃくり上げるたびごとに、咽喉の骨が皮膚の下から傷々しく現れて、息が詰まりはしないかと思われる程切なげにびくびくと凹んでいる。初めは露の玉の如く滴々とこぼれていたものが、見るうちに頬一面を水のように濡らして、鼻の孔へも口の中へも容赦なく侵入して行くらしい。と、女は水洟をすすると一緒に唇から沁み入る涙をぐっと嚥みこんだらしかったが、同時に激しくごほんごほんと咳に咽んだ。
「それ御覧なさい。小母さんはその通り泣いているじゃありませんか。ねえ小母さん、何がそんなに悲しくって泣いているんです」
私はそう云って、身を屈めて咳き入っている女の肩をさすってやった。
「お前は何が悲しいとお云いなのかい? こんな月夜にこうして外を歩いて居れば、誰でも悲しくなるじゃないか。お前だって心の中ではきっと悲しいに違いない」
「それはそうです。私も今夜は悲しくって仕様がないのです。ほんとうにどう云う訳でしょう」
「だからあの月を御覧と云うのさ。悲しいのは月のせいなのさ。―――お前もそんなに悲しいのなら、私と一緒に泣いておくれ。ね、後生だから泣いておくれ」
女の言葉はあの新内の流しにも劣らない、美しい音楽のように聞えた。不思議なことには、こんな工合に語りつづけている間にも、女は三味線の手を休めず弾いているのである。
「それじゃ小母さんも泣き顔を隠さないで、私の方を向いて下さい。私は小母さんの顔が見たいのです」
「ああそうだったね、泣き顔を隠したのはほんとに私が悪かったね。いい子だから堪忍しておくれよ」
空を仰いでいた女は、その時さっと頭を振り向けて、編笠を傾けながら私の方を覗き込んだ。
「さあ、私の顔を見たければとっくりと見るがいい。私はこの通り泣いているのだよ。私の頬ぺたはこんなに涙で濡れているのだよ。さあお前も私と一緒に泣いておくれ。今夜の月が照っている間は、何処まででも一緒に泣きながらこの街道を歩いて行こう」
女は私に頬を擦り寄せて更にさめざめと涙に掻きくれた。悲しいには違いなかろうけれど、そうして泣いている事が、いかにも好い心持そうであった。その心持は私にもはっきりと感ぜられた。
「ええ、泣きましょう、泣きましょう。小母さんと一緒にならいくらだって泣きましょう。私だって先から泣きたいのを我慢していたんです」
こう云った私の声も、何だか歌の調のように美しい旋律を帯びて聞えた。この言葉と共に、私は私の頬を流れる涙を感じた。私の眼の球の周りは一時に熱くなったようであった。
「おお、よく泣いておくれだねえ。お前が泣いておくれだと、私は一層悲しくなる。悲しくって悲しくってたまらなくなる。だけど私は悲しいのが好きなんだから、いっそ泣けるだけ泣かしておくれよ」
そう云って、女は又私に頬擦りをした。いくら涙が流れても、女の顔のお白粉は剥げようともしなかった。濡れた頬ぺたは却って月の面のようにつやつやと光っていた。
「小母さん、小母さん、私は小母さんの云う通りにして、一緒に泣いているんです。だからその代り小母さんの事を姉さんと呼ばしてくれませんか。ねえ、小母さん、これから小母さんの事を姉さんと云ったっていいでしょう」
「なぜだい? なぜお前はそんな事を云うのだい?」
その時女は、すすきの穂のように細い眼をしみじみと私の顔に注いで云った。
「だって私には姉さんのような気がしてならないんですもの。きっと小母さんは私の姉さんに違いない。ねえ、そうでしょう? そうでなくっても、これから私の姉さんになってくれてもいいでしょう」
「お前には姉さんがある訳はないじゃないか。お前には弟と妹があるだけじゃないか。―――お前に小母さんだの姉さんだのと云われると、私は猶更悲しくなるよ」
「それじゃ何と云ったらいいんです」
「何と云うって、お前は私を忘れたのかい? 私はお前のお母様じゃないか」
こう云いながら、女は顔を出来るだけ私の顔に近づけた。その瞬間に私ははっと思った。云われて見れば成る程母に違いない。母がこんなに若く美しい筈はないのだが、それでもたしかに母に違いない。どう云う訳か私はそれを疑うことが出来なかった。私はまだ小さな子供だ。だから母がこのくらい若くて美しいのは当り前かも知れない、と思った。
「ああお母さん、お母さんでしたか。私は先からお母さんを捜していたんです」
「おお潤一や、やっとお母さんが分ったかい。分ってくれたかい。―――」
母は喜びに顫える声でこう云った。そうして私をしっかりと抱きしめたまま立ちすくんだ。私も一生懸命に抱き附いて離れなかった。母の懐には甘い乳房の匂が暖かく籠っていた。………
が、依然として月の光と波の音とが身に沁み渡る。新内の流しが聞える。二人の頬には未だに涙が止めどなく流れている。
私はふと眼を覚ました。夢の中でほんとうに泣いていたと見えて、私の枕には涙が湿っていた。自分は今年三十四歳になる。そうして母は一昨年の夏以来この世の人ではなくなっている。―――この考が浮かんだ時、更に新しい涙がぽたりと枕の上に落ちた。
「天ぷら喰いたい、天ぷら喰いたい。………」
あの三味線の音が、まだ私の耳の底に、あの世からのおとずれの如く遠く遥けく響いていた。
青空文庫より引用