孔雀船
故郷の山に眠れる母の靈に
岩波文庫本のはしに
阿古屋の珠は年古りて其うるみいよいよ深くその色ますます美はしといへり。わがうた詞拙く節おどろおどろしく、十年經て光失せ、二十年すぎて香去り、今はたその姿大方散りぼひたり。昔上田秋成は年頃いたづきける書深き井の底に沈めてかへり見ず、われはそれだに得せず。ことし六十あまり二つの老を重ねて白髮かき垂り齒脱けおち見るかげなし。ただ若き日の思出のみぞ花やげる。あはれ、うつろなる此ふみ、いまの世に見給はん人ありやなしや。
ひるの月み空にかゝり
淡々し白き紙片
うつろなる影のかなしき
おぼつかなわが古きうた
あらた代の光にけたれ
かげろふのうせなんとする
昭和十三年三月
清白しるす
小序
この廢墟にはもう祈祷も呪咀もない、感激も怨嗟もない、雰圍氣を失つた死滅世界にどうして生命の草が生え得よう、若し敗壁斷礎の間、奇しくも何等かの發見があるとしたならば、それは固より發見者の創造であつて、廢滅そのものゝ再生ではない。
昭和四年三月
志摩にて
清白
漂泊
蓆戸に
秋風吹いて
河添の旅籠屋さびし
哀れなる旅の男は
夕暮の空を眺めて
いと低く歌ひはじめぬ
亡母は
處女と成りて
白き額月に現はれ
亡父は
童子と成りて
圓き肩銀河を渡る
柳洩る
夜の河白く
河越えて煙の小野に
かすかなる笛の音ありて
旅人の胸に觸れたり
故郷の
谷間の歌は
續きつゝ斷えつゝ哀し
大空の返響の音と
地の底のうめきの聲と
交りて調は深し
旅人に
母はやどりぬ
若人に
父は降れり
小野の笛煙の中に
かすかなる節は殘れり
旅人は
歌ひ續けぬ
嬰子の昔にかへり
微笑みて歌ひつゝあり
淡路にて
古翁しま國の
野にまじり覆盆子摘み
門に來て生鈴の
百層を驕りよぶ
白晶の皿をうけ
鮮けき乳を灑ぐ
六月の飮食に
けたゝまし虹走る
清涼の里いでゝ
松に行き松に去る
大海のすなどりは
ちぎれたり繪卷物
鳴門の子海の幸
魚の腹を胸肉に
おしあてゝ見よ十人
同音にのぼり來る
秋和の里
月に沈める白菊の
秋冷まじき影を見て
千曲少女のたましひの
ぬけかいでたるこゝちせる
佐久の平の片ほとり
あきわの里に霜やおく
酒うる家のさゞめきに
まじる夕の鴈の聲
蓼科山の彼方にぞ
年經るをろち棲むといへ
月はろ/″\とうかびいで
八谷の奧も照らすかな
旅路はるけくさまよへば
破れし衣の寒けきに
こよひ朗らのそらにして
いとゞし心痛むかな
旅行く人に
雨の渡に
順禮の
姿寂しき
夕間暮
霧の山路に
駕舁の
かけ聲高き
朝朗
旅は興ある
頭陀袋
重きを土産に
歸れ君
惡魔木暗に
ひそみつゝ
人の財を
ねらふとも
天女泉に
下り立ちて
小瓶洗ふも
目に入らむ
山蛭膚に
吸ひ入らば
谷に藥水
溢るべく
船醉海に
苦しむも
龍神臟を
醫すべし
鳥の尸に
火は燃えて
山に地獄の
吹嘘聲
潮に異香
薫ずれば
海に微妙の
蜃氣樓
暮れて驛の
町に入り
旅籠の門を
くゞる時
米の玄きに
驚きて
里に都を
説く勿れ
女房語部
背すりて
村の歴史を
講ずべく
主膳夫
雉子を獲て
旨き羮
とゝのへむ
芭蕉の草鞋
ふみしめて
圓位の笠を
頂けば
風俗君の
鹿島立
翁さびたる
可笑しさよ
島
黒潮の流れて奔る
沖中に漂ふ島は
眠りたる巨人ならずや
頭のみ波に出して
峨々《がゞ》として岩重れば
目や鼻や顏何ぞ奇なる
裸々《らゝ》として樹を被らず
聳えたる頂高し
鳥啼くも魚群れ飛ぶも
雨降るも日の出入るも
青空も大海原も
春と夏秋と冬とも
眠りたる巨人は知らず
幾千年頑たり※ 《がく》たり
海の聲
いさゝむら竹打戰ぐ
丘の徑の果にして
くねり可笑しくつら/\に
しげるいそべの磯馴松
花も紅葉もなけれども
千鳥あそべるいさごぢの
渚に近く下り立てば
沈みて青き海の石
貝や拾はん莫告藻や
摘まんといひしそのかみの
歌をうたひて眞玉なす
いさごのうへをあゆみけり
波と波とのかさなりて
砂と砂とのうちふれて
流れさゞらぐ聲きくに
いせをの蜑が耳馴れし
音としもこそおぼえざれ
社をよぎり寺をすぎ
鈴振り鳴らし鐘をつき
海の小琴にあはするに
澄みてかなしき簫となる
御座の灣西の方
和具の細門に船泛けて
布施田の里や青波の
潮を渡る蜑の兒等
われその船を泛べばや
われその水を渡らばや
しかず纜解き放ち
今日は和子が伴たらん
見ずやとも邊に越賀の松
見ずやへさきに青の峰
ゆたのたゆたのたゆたひに
潮の和みぞはかられぬ
和みは潮のそれのみか
日は麗らかに志摩の國
空に黄金や集ふらん
風は長閑に英虞の山
花や縣をよぎるらん
よしそれとても海士の子が
歌うたはずば詮ぞなき
歌ひてすぐる入海の
さし出の岩もほゝゑまん
言葉すくなき入海の
波こそ君の友ならめ
大海原に男のこらは
あまの少女は江の水に
さても※ 《かとり》の衣ならで
船路間近き藻の被衣
女だてらに水底の
黄泉國にも通ふらむ
黄泉の醜女は嫉妬あり
阿古屋の貝を敷き列ね
顏美き子等を誘ひて
岩の櫃もつくるらん
さばれ 海なる底ひには
父も沈みぬちゝのみの
母も伏しぬ柞葉の
生れ乍らに水潛る
歌のふしもやさとるらん
櫛も捨てたり砂濱に
簪も折りぬ岩角に
黒く沈める眼のうちに
映るは海の泥のみ
若きが膚も潮沫の
觸るゝに早く任せけむ
いは間にくつる捨錨
それだに里の懷しき
哀歌をあげぬ海なれば
花草船を流れすぎ
をとめの群も船の子が
袖にかくるゝ秋の夢
夢なればこそ千尋なす
海のそこひも見ゆるなれ
それその石の圓くして
白きは星の果ならん
いまし蜑の子艪拍子の
など亂聲にきこゆるや
われ今海をうかがふに
とくなが顏は蒼みたり
ゆるさせたまへ都人
きみのまなこは朗らかに
いかなる海も射貫くらん
傳へきくらく此海に
男のかげのさすときは
かへらず消えず潛女の
深き業とぞ怖れたる
われ微笑にたへやらず
肩を叩いて童形の
神に翼を疑ひし
それもゆめとやいふべけん
島こそ浮べくろ/″\と
この入海の島なれば
いつ羽衣の落ち沈み
飛ばず翔らず成りぬらむ
見れば紫日を帶びて
陽炎ひわたる玉のつや
つや/\われはうけひかず
あまりに輕き姿かな
白ら松原小貝濱
泊つるや小舟船越の
昔は汐も通ひけん
これや月日の破壞ならじ
潮のひきたる煌砂
うみの子ならで誰かまた
かゝる汀に仄白き
鏡ありとや思ふべき
大海原と入海と
こゝに迫りて海神が
こゝろなぐさや手すさびや
陸を細めし鑿の業
今細雲の曳き渡し
紀路は遙けし三熊野や
白木綿咲ける海岸に
落つると見ゆる夕日かな
夏日孔雀賦
園の主に導かれ
庭の置石石燈籠
物古る木立築山の
景有る所うち過ぎて
池のほとりを來て見れば
棚につくれる藤の花
紫深き彩雲の
陰にかくるゝ鳥屋にして
番の孔雀砂を踏み
優なる姿睦つるゝよ
地に曳く尾羽の重くして
歩はおそき雄の孔雀
雌鳥を見れば嬌やかに
柔和の性は具ふれど
綾に包める毛衣に
己れ眩き風情あり
雌鳥雄鳥の立竝び
砂にいざよふ影と影
飾り乏き身を恥ぢて
雌鳥は少し退けり
落羽は見えず砂の上
清く掃きたる園守が
帚の痕も失せやらず
一つ落ち散る藤浪の
花を啄む雄の孔雀
長き花總地に垂れて
歩めば遠し砂原
見よ君來れ雄の孔雀
尾羽擴ぐるよあなや今
あな擴げたりこと/″\く
こゝろ籠めたる武士の
晴の鎧に似たるかな
花の宴宮内の
櫻襲のごときかな
一つの尾羽をながむれば
右と左にたち別れ
みだれて靡く細羽の
金絲の縫を捌くかな
圓く張りたる尾の上に
圓くおかるゝ斑を見れば
雲の峯湧く夏の日に
炎は燃ゆる日輪の
半ば蝕する影の如
さても面は濃やかに
げに天鵞絨の軟かき
これや觸れても見まほしの
指に空しき心地せむ
いとゞ和毛のゆたかにて
胸を纒へる光輝と
紫深き羽衣は
紺地の紙に金泥の
文字を透すが如くなり
冠に立てる二本の
羽は何物直にして
位を示す名鳥の
これ頂の飾なり
身はいと小さく尾は廣く
盛なるかな眞白なる
砂の面を歩み行く
君それ砂といふ勿れ
この鳥影を成す所
妙の光を眼にせずや
仰げば深し藤の棚
王者にかざす覆蓋の
形に通ふかしこさよ
四方に張りたる尾の羽の
めぐりはまとふ薄霞
もとより鳥屋のものなれど
鳥屋より廣く見ゆるかな
何事ぞこれ圓らかに
張れる尾羽より風出でゝ
見よ漣の寄るごとく
羽と羽とを疾くぞ過ぐ
天つ錦の羽の戰ぎ
香りの草はふまずとも
香らざらめやその和毛
八百重の雲は飛ばずとも
響かざらめやその羽がひ
獅子よ空しき洞をいで
小暗き森の巖角に
その鬣をうち振ふ
猛き姿もなにかせむ
鷲よ御空を高く飛び
日の行く道の縱横に
貫く羽を搏ち羽ぶく
雄々《をゝ》しき影もなにかせむ
誰か知るべき花蔭に
鳥の姿をながめ見て
朽ちず亡びず價ある
永久の光に入りぬとは
誰か知るべきこゝろなく
庭逍遙の目に觸れて
孔雀の鳥屋の人の世に
高き示しを與ふとは
時は滅びよ日は逝けよ
形は消えよ世は失せよ
其處に殘れるものありて
限りも知らず極みなく
輝き渡る樣を見む
今われ假りにそのものを
美しとのみ名け得る
振放け見れば大空の
日は午に中たり南の
高き雲間に宿りけり
織りて隙なき藤浪の
影は幾重に匂へども
紅燃ゆる天津日の
焔はあまり強くして
梭と飛び交ひ箭と亂れ
銀より白き穗を投げて
これや孔雀の尾の上に
盤渦卷きかへり迸り
或は露と溢れ零ち
或は霜とおき結び
彼處に此處に戲るゝ
千々《ちゞ》の日影のたゞずまひ
深き淺きの差異さへ
色薄尾羽にあらはれて
涌來る彩の幽かにも
末は朧に見ゆれども
盡きぬ光の泉より
ひまなく灌ぐ金の波
と見るに近き池の水
あたりは常のまゝにして
風なき晝の藤の花
靜かに垂れて咲けるのみ
今夏の日の初めとて
菖蒲刈り葺く頃なれば
力あるかな物の榮
若き緑や樹は繁り
煙は深し園の内
石も青葉や萌え出でん
雫こぼるゝ苔の上
雫も堅き思あり
思へば遠き冬の日に
かの美しき尾も凍る
寒き塒に起臥して
北風通ふ鳥屋のひま
雙の翼うちふるひ
もとよりこれや靈鳥の
さすがに羽は亂さねど
塵のうき世に捨てられて
形は薄く胸は痩せ
命死ぬべく思ひしが
かくばかりなるさいなみに
鳥はいよ/\美しく
奇しき戰や冬は負け
春たちかへり夏來り
見よ人にして桂の葉
鳥は御空の日に向ひ
尾羽を擴げて立てるなり
讚に堪へたり光景の
庭の面にあらはれて
雲を驅け行く天の馬
翼の風の疾く強く
彼處蹄や觸れけんの
雨も溶き得ぬ深緑
澱未だ成らぬ新造酒の
流を見れば倒しまに
底こと/″\くあらはれて
天といふらし盃の
落すは淺黄瑠璃の河
地には若葉の神飾り
誰行くらしの車路ぞ
朝と夕との雙手もて
※ 《さゝ》ぐる珠は陰光
溶けて去なんず春花に
くらべば強き夏花や
成れるや陣に驕慢の
汝孔雀よ華やかに
又かすかにも濃やかに
千々《ちゞ》の千々《ちゞ》なる色彩を
間なく時なく眩ゆくも
標はし示すたふとさよ
草は靡きぬ手を擧げて
木々《きゞ》は戰ぎぬ袖振りて
即ち物の證明なり
かへりて思ふいにしへの
人の生命の春の日に
三保の松原漁夫の
懸る見してふ天の衣
それにも似たる奇蹟かな
こひねがはくば少くも
此處も駿河とよばしめよ
斯くて孔雀は尾ををさめ
妻戀ふらしや雌をよびて
語らふごとく鳥屋の内
花恥かしく藤棚の
柱の陰に身をよせて
隱るゝ風情哀れなり
しば/\藤は砂に落ち
ふむにわづらふ鳥と鳥
あな似つかしき雄の鳥の
羽にまつはる雌の孔雀
花賣
花賣娘名はお仙
十七花を賣りそめて
十八戀を知りそめて
顏もほてるや恥かしの
蝮に噛まれて脚切るは
山家の子等に驗あれど
戀の附子矢に傷かば
毒とげぬくも晩からん
村の外れの媼にきく
昔も今も花賣に
戀せぬものはなかりけり
花の蠱はす業ならん
市に艶なる花賣が
若き脈搏つ花一枝
彌生小窓にあがなひて
戀の血汐を味はん
月光日光
月光の
語るらく
わが見しは一の姫
古あをき笛吹いて
夜も深く塔の
階級に白々《しら/″\》と
立ちにけり
日光の
語るらく
わが見しは二の姫
香木の髓香る
槽桁や白乳に
浴みして降りかゝる
花姿天人の
喜悦に地どよみ
虹たちぬ
月光の
語るらく
わが見しは一の姫
一葉舟湖にうけて
霧の下まよひては
髮かたちなやましく
亂れけり
日光の
語るらく
わが見しは二の姫
顏映る圓柱
驕り鳥尾を觸れて
風起り波怒る
霞立つ空殿を
七尺の裾曳いて
黄金の跡印けぬ
月光の
語るらく
わが見しは一の姫
死の島の岩陰に
青白くころび伏し
花もなくむくろのみ
冷えにけり
日光の
語るらく
わが見しは二の姫
城近く草ふみて
妻覓ぐと來し王子は
太刀取の恥見じと
火を散らす駿足に
かきのせて直走に
國領を去りし時
春風は微吹きぬ
華燭賦
律師は麓の
寺をいでゝ
駕は山の上
竹の林の
夕の家の
門に入りぬ
親戚誰彼
宴をたすけ
小皿の音
厨にひゞき
燭を呼ぶ聲
背戸に起る
小桶の水に
浸すは若菜
若菜を切るに
爼板馴れず
新しき刃の
痕もなければ
菱形なせる
窓の外に
三尺の雪
戸を壓して
靜かに暮るゝ
山の夕
夕は
樂しき時
夕は
清き時
夕は
美しき時
この夕
雪あり
この夕
月あり
この夕
宴あり
火の氣弱きを
憂ひて
竈にのみ
立つな
室に入りて
花の人を見よ
花の人と
よびまゐらせて
この夕は
名はいはず
この夕は
名なし
律師席に入て
霜毫威あり
長人を煩はすに
堪へたり夕
琥珀の酒
酌むに盃あり
盃の色
紅なるを
山人驕奢に
長ずと言ふか
紅は紅の
芙蓉の花の
秋の風に
折れたる其日
市の小路の
店に獲たるを
律師詩に堪能
箱の蓋に
紅花盃と
書して去りぬ
紅花盃を
重ねて
雪夜の宴
月出でたり
月出でたるに
島臺の下暗き
島臺の下
暗き
蓬莱の
松の上に
斜におとす
光なれば
銀の錫懸
用意あらむや
山の竹より
笹を摘みて
陶瓶の口に
插せしのみ
王者の調度に
似ぬは何々《なに/\》
其子の帶は
うす紫の
友禪染の
唐縮緬か
艶ある髮を
結ぶ時は
風よく形に
逆らひ吹くと
怨ずる恨
今無し
若き木樵の
眉を見れば
燭を剪る時
陰をうけて
額白き人
室にあり
袴のうへに
手をうちかさね
困ずる席は
花のむしろ
筵の色を
評するには
まだ唇の
紅ぞ深き
北の家より
南の家に
來る道すがら
得たる思は
花にあらず
蜜にあらず
花よりも
蜜よりも
美しく甘き
思は胸に溢れたり
雷落ちて
藪を燒きし時
諸手に腕を
許せし人は
今相對ひて
月を挾む
盃とるを
羞る二人は
天の上
若き星の
酒の泉の
前に臨みて
香へる浪に
恐づる風情
紅花盃
琥珀の酒
白き手より
荒き手にうけて
百の矢うくるも
去るな二人
御寺の塔の
扉に彫れる
神女の戲れ
笙を吹いて
舞ふにまされる
雪夜のうたげ
律師駕に命じて
北の家に行き
月下の氷人
去りて後
二人いさゝか
容儀を解きぬ
夜を賞するに
律師の詩あり
詩は月中に
桂樹挂り
千丈枝に
銀を着く
銀光溢れて
家に入らば
卜する所
幸なりと
五月野
五月野の晝しらみ
瑠璃囀の鳥なきて
草長き南國
極熱の日に火ゆる
謎と組む曲路
深沼の岸に盡き
人形の樹立見る
石の間青き水
水を截る圓肩に
睡蓮花を分け
のぼりくる美し君
柔かに眼を開けて
玉藻髮捌け落ち
眞素膚に飜へる浪
木々《きゞ》の道木々《きゞ》に倚り
多の草多にふむ
葉の裏に虹懸り
姫の路金撲つ
大地の人離野
變化居る白日時
垂鈴の百濟物
熟れ撓む石の上
みだれ伏す姫の髮
高圓の日に乾く
手枕の腕つき
白玉の夢を展べ
處女子の胸肉は
力ある足の弓
五月野の濡跡道
深沼の小黒水
落星のかくれ所と
傳へきく人の子等
空像の數知らず
うかびくる岸の隈
湧き上ぼる高水に
いま起る物の音
めざめたる姫の面
丹穗なす火にもえて
たわわ髮身を起す
光宮玉の人
微笑みて下り行く
湖の底姫の國
足うらふむ水の梯
物の音遠ざかる
目路のはて岸木立
晝下ちず日の眞洞
迷野の道の奧
水姫を誰知らむ
花柑子
島國の花柑子
高圓に匂ふ夜や
大渦の荒潮も
羽をさめほゝゑめり
病める子よ和の今
窓に倚り常花の
星村にぬかあてゝ
さめ/″\となけよかし
生をとめ月姫は
新なる丹の皿に
開命貴寶を盛り
よろこびの子にたびん
清らなる身とかはり
五月野の遠を行く
花環虹めぐり
銀の雨そゝぐ
不開の間
花吹雪
まぎれに
さそはれて
いでたまふ
館の姫
蝕める
古梯
眼の前に
櫓だつ
不開の間
香の物
焚きさし
採火女めく
影動き
きえにけり
夢の華
處女の
胸にさき
きざはしを
のぼるか
諸扉
さと開く
風のごと
くらやみに
誰ぞあるや
色蒼く
まみあけ
衣冠して
束帶の
人立てり
思ふ今
いけにへ
百年を
人柱
えも朽ちず
年若き
つはもの
戀人を
持ち乍ら
うめられぬ
怪し瞳
炎に
身は燃えて
死にながら
輝ける
何しらん
禁制
姫の裾
なほ見えぬ
扉とづ
白壁に
居る蟲
春の日は
うつろなす
暮れにけり
安乘の稚兒
志摩の果安乘の小村
早手風岩をどよもし
柳道木々《きゞ》を根こじて
虚空飛ぶ斷れの細葉
水底の泥を逆上げ
かきにごす海の病
そゝり立つ波の大鋸
過げとこそ船をまつらめ
とある家に飯蒸かへり
男もあらず女も出で行きて
稚兒ひとり小籠に坐り
ほゝゑみて海に對へり
荒壁の小家一村
反響する心と心
稚兒ひとり恐怖をしらず
ほゝゑみて海に對へり
いみじくも貴き景色
今もなほ胸にぞ跳る
少くして人と行きたる
志摩のはて安乘の小村
鬼の語
顏蒼白き若者に
祕める不思議きかばやと
村人數多來れども
彼はさびしく笑ふのみ
前の日村を立出でゝ
仙者が嶽に登りしが
恐怖を抱くものゝごと
山の景色を語らはず
傳へ聞くらく此河の
きはまる所瀧ありて
其れより奧に入るものは
必ず山の祟あり
蝦蟆氣を吹いて立曇る
篠竹原を分け行けば
冷えし掌あらはれて
項に顏に觸るゝとぞ
陽炎高さ二萬尺
黄山赤山黒山の
劍を植ゑたる頂に
祕密の主は宿るなり
盆の一日は暮れはてゝ
淋しき雨と成りにけり
怪しく光りし若者の
眼の色は冴え行きぬ
劉邦未だ若うして
谷路の底に蛇を斬りつ
而うして彼れ漢王の
位をつひに贏ち獲たり
この子も非凡山の氣に
中たりて床に隱れども
禁を守りて愚鈍者に
鬼の語を語らはず
戲れに
わが居る家の大地に
黒き帝の住みたまひ
地震の踊の優なれば
下り來れと勅あれど
われは行きえず人なれば
わが居る家の大空に
白き女王の住みたまひ
星の祭の艶なれば
上り來れと勅あれど
われは行きえず人なれば
わが居る家の古厨子に
遠き御祖の住みたまひ
とこ降る花のたへなれば
開けて來れとのたまへど
われは行きえず人なれば
わが居る家の厨内
働く妻をよびとめて
夕の設をたづぬるに
好める魚のありければ
われは行きけり人なれば
初陣
父よ其手綱を放せ
槍の穗に夕日宿れり
數ふればいま秋九月
赤帝の力衰へ
天高く雲野に似たり
初陣の駒鞭うたば
夢杳か兜の星も
きらめきて東道せむ
父よ其手綱を放せ
狐啼く森の彼方に
月細くかゝれる時に
一すぢの烽火あがらば
勝軍笛ふきならせ
軍神わが肩のうへ
銀燭の輝く下に
盃を洗ひて待ちね
父よ其手綱を放せ
髮※ 《しろ》くきみ老いませり
花若く我胸踴る
橋を斷ちて砲おしならべ
巖高く劍を植ゑて
さか落し千丈の崖
大雷雨奈落の底
風寒しあゝ皆血汐
父よ其手綱を放せ
君しばしうたゝ寢のまに
繪卷物逆に開きて
夕べ星波間に沈み
霧深く河の瀬なりて
野の草に亂るゝ螢
石の上惡氣上りて
亡跡を君にしらせん
父よ其手綱を放せ
故郷の寺の御庭に
うるはしく列ぶおくつき
栗の木のそよげる夜半に
たゞ一人さまよひ入りて
母上よ晩くなりぬと
わが額をみ胸にあてゝ
ひたなきになきあかしなば
わが望滿ち足らひなん
神の手に抱かれずとも
父よ其手綱を放せ
雲うすく秋風吹きて
萩芒高なみ動き
軍人小松のかげに
遠祖らの功名をゆめむ
今ぞ時貝が音ひゞく
初陣の駒むちうちて
西の方廣野を驅らん
駿馬問答
使者
月毛なり連錢なり
丈三寸年五歳
天上二十八宿の連錢
須彌三十二相の月毛
青龍の前脚
白虎の後脚
忠を踏むか義を踏むか
諸蹄の薄墨色
落花の雪か飛雪の花か
生つきの眞白栲
竹を剥ぎて天を指す兩の耳のそよぎ
鈴を懸けて地に向ふ雙の目のうるほひ
擧れる筋怒れる肉
銀河を倒にして膝に及ぶ鬣
白雲を束ねて草を曳く尾
龍蹄の形※ ※ 《くわりゆう》の相
神馬か天馬か
言語道斷希代なり
城主の御親書
獻上違背候ふまじ
駿馬の主
曲事仰せ候
城主の執心物に相應はず
夫れ駿馬の來るは
聖代第一の嘉瑞なり
虞舜の世に鳳凰下り
孔子の時に麒麟出づるに同じ
理世安民の治略至らず
富國殖産の要術なくして
名馬の所望及び候はず
使者
御馬の具は何々《なに/\》
水干鞍の金覆輪
梅と櫻の螺鈿は
御庭の春の景色なり
※ 《あをり》の縫物は
飛鳥の孔雀七寶の縁飾
雲龍の大履脊
紗の鞍※ 《くらおほひ》
さて蘇芳染の手綱とは
人車記の故實に出で
鐵地の鐙は
一葉の船を形容たり
※ 《おがもひ》 鞅鞦は
大總小總掛け交ぜて
五色の絲の縷糸に
漣組たる連着懸
差繩行繩引繩の
緑に映ゆる唐錦
菱形轡蹄の鐵
馬裝束の數々《かず/\》を
盡して召されうづるにても
御錠違背候ふか
駿馬の主
中々《なか/\》の事に候
駿馬の威徳は金銀を忌み候
使者
さらば駿馬の威徳
御物語候へ
駿馬の主
夫れ駿馬の威徳といつぱ
世の常の口強足駿
笠懸流鏑馬犬追物
遊戲狂言の凡畜にあらず
天竺震旦古例あり
馬は觀音の部衆
雜阿含經にも四種の馬を説かれ
六波羅密の功徳にて
畜類ながらも菩薩の行
悉陀太子金色の龍蹄に
十丈の鐵門を越え
三界の獨尊と仰がれ給ふ
帝堯の白馬
穆王の八駿
明天子の徳至れり
漢の光武は一日に
千里の馬を得
寧王朝夕馬を畫て
桃花馬を逸せり
異國の譚は多かれども
類稀なる我宿の
一の駿馬の形相は
嘶く聲落日を
中天に囘らし
蹄の音星辰の
夜碎くる響あり
躍れば長髮風に鳴て
萬丈の谷を越え
馳すれば鐵脚火を發して
千里の道に疲れず
千斤の鎧百貫の鞍
堅轡強鞭
鎧かろ/″\
鞍ゆら/\
轡は噛み碎かれ
鞭はうちをれ
飽くまで肉の硬き上に
身輕の曲馬品々《しな/″\》の藝
碁盤立弓杖
一文字杭渡り
教へずして自ら法を得たり
扨又絶險難所渡海登山
陸を行けば平地を歩むが如く
海に入れば扁舟に棹さすに似たり
木曾の御嶽駒ヶ嶽
越の白山立山
上宮太子天馬に騎して
梵天宮に至り給ひし富士の峯
高き峯々《みね/\》嶽々《たけ/″\》
阿波の鳴門穩戸の瀬戸
天龍刀根湖水の渡り
聞ゆる急流荒波も
蹄にかけてかつし/\
肝臆ず駈早し
いつかな馳り越えつべし
そのほか戰場の砌は
風の音に伏勢を覺り
雲を見て雨雪をわきまふ
先陣先駈拔駈間牒
又は合戰最中の時
槍矛箭種ヶ島
面をふり體をかはして
主をかばふ忠と勇は
家子郎等に異ならず
かゝる名馬は奧の牧
吾妻の牧大山木曾
甲斐の黒駒
その外諸國の牧々《まき/\》に
萬頭の馬は候ふとも
又出づべくも侯はず
名馬の鑑駿馬の威徳
あゝら有難の我身や候
使者
御物語奇特に候
とう/\城に立歸り
再度の御親書
申し請はゞやと存じ侯
駿馬の主
かしまじき御使者候
及びもなき御所望候へば
いか程の手立を盡され
いくばくの御書を遊ばされ候ふとも
御料には召されまじ
法螺鉦陣太鼓
旗さし物笠符
軍兵數多催されて
家のめぐり十重二十重
閧の聲あげてかこみ候ふとも
召料には出さじ
器量ある大將軍にあひ奉らば
其時こそ駒も榮あれ駒主も
道々《みち/\》引くや四季繩の
春は御空の雲雀毛
夏は垣ほの卯花鴇毛
秋は落葉の栗毛
冬は折れ伏す蘆毛積る雪毛
數多き御馬のうちにも
言上いたして召され候はん
拜謁申して駿馬を奉らん
この篇『飾馬考』『※ ※ 全書』『武器考證』『馬術全書』『鞍鐙之辯』『春日神馬繪圖及解』『太平記』及び巣林子の諸作に憑る所多し敢て出所を明にす
青空文庫より引用