柔道と拳闘の転がり試合
いどむ仁王!
「日本人の柔道なんて、あれは小人の蹴合いみたいなものさ。ほんとに人がぽんぽん投げられるものか。まして、われわれアメリカ人のこの堂々たる重いからだが、ちッぽけな腕で投げられるはずがないよ。」
「ところが、モンクス。あの柔道の教師トミタの道場には、アメリカ人の弟子も相当あるぜ。」
「ふん、そりゃものずきだな。一つおれの鉄腕でのばしてやろうか。いったい日本人の柔道なんぞを、このサンフランシスコにのさばらしとくのがけしからん。」
「そんならモンクス。おまえひとつ試合を申しこんでみろ。」
「向こうが逃げるよ。」
「よし、そんなら、おれが申しこんでみてやろう。」
アメリカサンフランシスコの場末の食堂で、しきりにこんな話をしているのはサンフランシスコでもきらわれ者の拳闘家トビイ・モンクスと、その後見人のジョンソンであった。
トビイ・モンクスは、まるで仁王のような大男だ。拳闘で耳がぺちゃんこにつぶれている。鼻も拳闘でぐんと曲がったすごいでこぼこ顔。このモンクスがしまのジャケツを着て鳥打ち帽を横にかぶった姿というものは、通る人がそっと道をよけるほどこわい様子だった。
さて、その翌晩、二人はまた、同じ食堂で会った。
「ジョンソン、どうした。承知したか。」
ジョンソンは首を振って、
「だめ、だめ。あの日本人め、にっこり笑って『よしましょう』というんだ。なぜだといったら、『日本の柔道は身をまもる術だし、拳闘とはやり方が違う。それに拳闘家との試合を見世物にすることは、日本柔道の道にはずれる』……」
「な、なに、なんだと! 見世物……ううむ、おのれ、こうなったら、どうしても試合をやるぞッ。」
どしんとテーブルをげんこでたたいて、モンクスはまっかになってどなった。
サンフラスシスコの郊外にささやかな道場を開いて、アメリカ人に日本の柔道を教えていたのは、富田常次郎六段であった。講道館長の嘉納治五郎先生の最初の弟子だ。この富田六段がアメリカへ渡って、柔道をひろめだしたのは明治三十八年であった。アメリカのことで畳がないから、寝台に使うわらぶとんのようなものを室いっぱいに敷いて、毎日柔道を教えていた。
日露戦争に勝って、「日本強し」の声こそしていたが、そのころはまだ、日本人はあまり尊敬されていなかった。ずいぶんと日本人をあなどっているアメリカ人もあり、したがって柔道も、ごく一部分の者だけしか知らなかった。
「どうしてもやらんか。」
「やらん。」
モンクスが申しこんでくるごとに、富田六段ははっきりとことわった。
「柔道は見世物ではない。見物人の前で拳闘と試合をするのはごめんだ。」
「ふん、拳闘と試合のできないような柔道、そんなものは、手先の芸当なんだな。」
「なに!」
この一言に富田六段はくちびるを噛んで、四回めの申しこみにきたモンクスをにらみすえた。
「よろしい、試合をしよう。」
「やるか。ではお互いが打ち倒されて眠ってしまうまでやろう。」
「よろしい。」
どうして戦うか
富田六段は一日じゅう、部屋にとじこもって考えた。
拳闘と柔道では、そのやり方がまるで違う。拳闘はなぐるいっぽうである。柔道は投げる、おさえこむ、絞める、逆をとるという技だ。どうして試合をしたらいいか。第一、どうあっても負けられない。日本の恥になる。柔道の力というものをばかにされる。だが、正面と正面に向き合って、拳闘選手のものすごい打撃を受け留めることは絶対にできない。顎打、直突、横打、どの一撃だとて、それがまとも にはいったらいっぺんに打倒されるのはきまっている。あの電光のように早い打撃。向こうは打っては飛びのき、飛びのいてはまた打ちかかってくる。そのうえ、裸でつかまえどころがないのだから、この試合は非常にむつかしい、やりにくいのだ。しかし、死んでも勝たねばならぬこの一戦! 富田六段はその翌日、モンクスへ試合の約束を申し送った。
◎拳闘は、どこまでも拳闘の規則を守ること。
◎柔道も柔道の規則を守ること。
◎試合場は板の間で行なうこと。
◎死んでも一切不服のないこと。
モンクスのほうでも、よろしいと答えてきた。
そして場所は、セントラル・クラブの広間ときまった。
その日になると、これはどうだ。世間へ知らさない試合なのに、命がけの大試合ということが口から口へ伝わって、広間はいっぱいの人だかりだ。
試合場は、十メートル四方にロープを張った四角い中で板張りだった。
モンクスは緑のパンツ、富田六段は洗い清めた柔道着に黒帯姿、審判のアメリカ人がモンクスのグラブを富田六段にさわらして、グラブの中になんにもはいっていないことをしめす。モンクスは富田六段の柔道着をなでまわしたり、ふところの中をのぞいて短刀でもはいってないかといわんばかりにしたり、袖の中をのぞいたり、たいへんな調べ方だった。
日本の柔道勝つか? アメリカの拳闘勝つか? 場内の空気は重苦しく殺気だった。
富田六段とモンクスがしっかと握手した。左右七メートルへだててぱッと飛びのいた。その瞬間に、勇ましい試合開始の鐘!
モンクスは猛然、突進してきた。
一メートル五十五の日本人に、一メートル八十二の雲をつくようなアメリカ人、一撃でふっ飛ぶか? 危うし!
意外! ごろりと横に……
このとき早く富田六段は、ごろりと寝ころんでしまった。まるで昼寝でもするように板の間にあおむけに寝てにこにこ笑っている。モンクスの方へ向けた足を組んで、それこそ鼻歌でも歌いそうに、頭の下に両手を組んで寝ているのだ。
驚いたのはモンクスだった。敵の上半身をねらってただ一撃と思いきや、相手は寝てしまったんだ。拍子抜けがして、ぼんやりしてしまった。
富田六段はにこにこ笑っている。モンクスはおこった。
「立て!」
「柔道は寝ていてもよろしい。」
富田六段は英語でいってのけた。
これでは突けない。打てない。モンクスはまっかになっておこると、富田六段の頭へ一撃をくらわせようと、まわりだした。すると富田六段は、背中を心棒にしてくるくるまわり、けっして頭の方へこさせない。そのからだの動かしようのす速さといったらない。富田六段はいっこう疲れないが、かがみこんで相手のまわりをぐるぐるまわるモンクスのほうは、だんだん息が切れてくる。
「足を持ってなぐれ、なぐれ。」
わあ、わあという見物の中から、モンクスにこんな注文が出る。よしッ、とばかりモンクスは、いきなり富田六段の片方の足へ飛びついて、小脇に抱きかかえた! すかさず右の手をのばして、弾丸のような顎打の打撃、がんとあごへ飛ぼうとしたそのときだ。十分、相手にのしかからせた富田六段は、抱かれた足をモンクスの下腹に当てがうとみるや、気合い鋭く、
「えい!」
みごとなともえ投げの大業一本。モンクスのからだは空中でぐるッと一回転すると、だーんとあおむけにたたきつけられた。堅い板の間だ。柔道の受け身を知らぬモンクス、後ろ頭を板の間でしたたか打った。腰も打った。その痛さ!
「うう、うーむ。」
とうなったまま起き上がれない。顔をしかめてしゃがみこんだ。両手で頭をかかえこんだ。脳を打ったのでぼんやりしてしまったのだ。
富田六段はやっぱり寝たまま、にこにこ笑っている。
モンクスはがまんして、ふらふらと立ち上がったが、もう用心して近づかない。顔をしかめて富田六段をみつめたまま、びっこをひいている。
すると富田六段は、ひょいとからだを起こしてしゃがんだ。しゃがんで、両手を組んで目を閉じた。道ばたでいねむりでもしているようなかっこうだ。モンクスは気味が悪い。立っているなら突進できるが、しゃがまれたのでは、どうしても、腰をかがめなければ打てない。
もともと西洋人は足が弱い。モンクスがしゃがんだ自分を打つのには、足を大きく踏み出して打ってかからなければ、打撃に力がはいらない。足だけひいて、へっぴり腰で打つのなら、恐ろしくない。富田六段の作戦はそこにあった。
口笛、やじ、ののしり声、モンクスがすっかりおびえているので、アメリカ人が承知しないのだ。場内はたいへんな騒ぎだ。
モンクスはいよいよ、覚悟をきめたらしい。足踏みしながらすきをうかがっていたが、相手がいつまでも動かないので、思いきってだッと飛び込み、富田六段の頬へものすごい横打!
その一瞬だ。富田六段の右の手が、さっとひらめくように動いたと見ると、モンクスの踏み出した足首をさっとすくい上げた。
丸太ん棒を立てて、そのいちばん下を力いっぱい払ったのと変わらない。モンクスは自分の足を上に、ずでーんとたたきつけられた。
「ひーい!」
といったまま、モンクスは、目をひきつらして、ほんとうに気絶してしまったのだ。見物人も気絶したように、黙ってしまった。
×
それからしばらくの間、サンフランシスコのアメリカ人たちは、日本人を見ると、みんな柔道の名人のように思い、日露戦争は、柔道で勝ったのだろうと、まじめに聞く者さえあったという。
(昭和一〇年一月号)
青空文庫より引用