油地獄
一
大丈夫まさに雄飛すべしと、入らざる智慧を趙温に附けられたおかげには、鋤だの鍬だの見るも賤しい心地がせられ、水盃をも仕兼ねない父母の手許を離れて、玉でもないものを東京へ琢磨きに出た当座は、定めて気に食わぬ五大洲を改造するぐらいの画策もあったろうが、一年が二年二年が三年と馴れるに随って、金から吹起る都の腐れ風に日向臭い横顔をだん/\かすられ、書籍御預り申候の看板が目につくほどとなっては、得てあの里の儀式的文通の下に雌伏し、果断は真正の知識と、着て居る布子の裏を剥いで、その夜の鍋の不足を補われるとは、今初まったでもないが困った始末、ただ感心なのはあの男と、永年の勤労が位を進め、お名前を聞さえが堅くるしい同郷出身の何がし殿が、縁も無いに力瘤を入れて褒そやしたは、本郷竜岡町の下宿屋秋元の二階を、登って左りへ突当りの六畳敷を天地とする、ことし廿一の修行盛り、はや起をしば/\宿の主に賞揚された、目賀田貞之進という男だ。
貞之進の志ざす所は法学にあるが、もと/\口数の寡い、俗にいう沈黙の方で、たまたま学友と会することがあっても、そうだそうでないと極めて簡短な語をもって、同意不同意を表白するだけで、あえて太だしく論議したことはない、だから平生においても、敵という者を持たない代りに味方という者もまた持たない、つまり親密な友達と云っては、貞之進に限ってひとりも無いのだ。生れを問えば、山は赤石山、川は千隈川、地理書ではひけを取らぬ信濃国埴科郡松代から、もう一足田舎の西条という所で、富豪と朴直と慈仁と、この三つに隣村までの小作の指を折られる目賀田庄右衛門が一粒種、一昨年はまだ長野の学校に居たが、父に連れられて東京に来り、それより踏留まって今の秋元へ竜は潜んだのだ。されば学資はありあまる、書は自由に買い込む、それで読む読まぬにかかわらず机の前を離れたことがないので、目賀田は遂に字引になるのだとの評が、同窓の学友の口から往々漏れることがあった。
今の貞之進に、嗜好を何だと尋ねたならば、多分読書と答えるだろう、だが不思議なことは、寄席へ行けと云えば寄席へ行く、芝居へ行けと云えば芝居へ行く。それでどこにも面白いという気振は見えぬが、誘いかけられたことは必ず辞さない、或いは辞する勇気が無いのかも知れない。同宿の悪太郎原は、それを好事にして折々貞之進をせびる、せびられゝばすぐ首肯て、及ぶだけ用立てゝ遣るのが例の如くなっていた、それから或男が附け込んで、或いやしい問題を提げた時、貞之進はじっとその男の顔を瞻詰めて、しきりに唇を顫わしていたが、大喝一声、何ッと言放した音の鋭かったことは、それまでに顕われた貞之進の性行を、こと/″\く打ち消すほどの勢いであったと、かえって悪太郎原の間に、興ある咄の一つとして伝えられた。そのうめ合せにはこれまで秋元の婢共は、貞之進の物数を言わぬことを、気心が知れぬと内実忌んで居たが、その頃から単に温和い方と言改めて、羽織の襟の返らないのを、呼留て知らせて呉れるようになった。
窓の障子をがらりと開ければ、日に酔った桃の花が、隣りの庭から赤い顔で覗き込んで居るを、こちらからも覗き返し、急に何か思いついて筆立の中を掻廻して居る時、湯に行くよりほか襷を取ったことのない小女が駈けて来て、はがきが参りましたと云うのをどこからかと取上げて見れば、来る何日午後三時より鳴鳳楼において、在京長野県人の春季懇親会を開くとの通知であった。貞之進は去年からその都度通知を受けたが、まだ一度も出席したことがない。もっともそれが嫌だというのではなく、出京後日数が浅いのでとかく馴染がない、馴染がないから交際会へ出べきだとは知っても、何となく気おくれがするようで、それで今まで不参でおわって居たのだ。今歳は上田の人松本の人飯田の人、三五人の知己を得たので、これを頼みにぜひ出席しようとおもい、今朝新聞の広告を見て、会の開かれることをすでに承知して居た所へ、今又はがきが届いたので、貞之進はすぐさま筆を執って出席の由を幹事へあてゝ申入れた。
やがてその日が来た。幸い天気も好し、開会は遅れ勝とかねて聞いて居たが、なぜか今日は気が急くようで、ちと早いと思ったが寄路するつもりで、二時と云うにそろ/\支度を始めた。さすが豪富の伜と云われるだけ、衣服のたしなみもあるのかして、上着は宿の内儀に持が能いと勧められた茶縞の伏糸、下着は紬かと思われる鼠縞、羽織は黒の奉書にお里の知れた酸漿の三所紋、どういうはずか白足袋に穿かえ、机の上へ出しそろえて置いた財嚢手巾巻烟草入を、袂なりふところなりにそれ/″\分配し、戸棚の裡に隠されて居た黒の方の帽子を手に持って、早足に二階を駈下り、格子を出てからまた立戻って、頼みますと宿へ声を懸け、それで東京へ来て初めて、むしろ生れて初めて、楼という字の附く大割烹店へ出向いて行った。
二
鳴鳳楼というのは、大川に臨んで建てられた高名の割烹店と云うよりは集会席で、長野の懇親会はいつも此家で開かれると極って居た。貞之進は門内へ曳込もうとする車を両三歩手前で下り、賃銭を払ったついでに会費と名刺とを取り出して一緒に握み、それを玄関口に立って居た幹事に渡して、あなたこちらですと楼婢に案内されて二階へあがれば、なるほど、三時は今途中で聞いたのに、来会者は僅々《きん/\》三四十人に過ぎない。
黒天鵞絨の薄い小形の不断使いの座蒲団が順好く并んで、その間に煙草盆が、五歩に一楼十歩に一閣という塩梅式に置かれてある。されどまだ坐を定めた者はなく、向って右側のまんなか所の、杉を磨いた丸柱の前に団まって、移庁論の影弁慶が、南部だとか北部だとか、鮭の鑑定でもないことを云って居るのがあれば、その後を環る椽の欄干に凭れかゝって、万治以来話でも位置の知れた両国橋を、あすこですなと新しそうに指さして居るのもある。貞之進はきまりの悪いのを隠そうがためにかえってきまりが悪く、座敷へも這入らず椽へも出ず、敷居の辺をうろついて居たが、今方這入て来た代言とでも云いたい洋服の若紳士が、無紋の黒八丈の羽織を着た商人風の老紳士と出会って、軽く挨拶して行去ろうとしたが、老紳士が頭を挙げないのでまた下げると同時に老紳士が頭を挙げ、若紳士がまだ挙ないことと思っておのれもまた下げて居るのを、奇観々々これをお辞誼交際と名けると、遠くで見ておかしがって居た藍縞の一重袴を穿いた男が、図に乗過ぎて何さんとか呼ばれて振返る途端に、明けかけの障子の親骨へ、したゝか頭を打つけたのもまた奇観であった。太平記で云えば、これを戦の手始めとして、追々参着した会員の百余名と註せられた時、そろ/\膳部を運び出されたので、貞之進も恐々《こわごわ》末席へ就いたが、あとで思うとあまり末席過ぎて両隣りが明いて居るため、かえって誰の目にも附くようで我ながら鈍ましい、これにしても知己のひとりでも来ればと、そっと席上を見廻すに、その人々はいつの間にか来て遙の上席に傲然とかまえて居るので、貞之進はいよ/\心細く、こうなってからの助けは、途中で買足して来た紙巻烟草の煙ばかりだ。
余興とゝなえて伯円の講談がおわり、小さんの落語が半ばに至った時、春の日は暮懸っての命が長く、水を隔てゝ御蔵橋を駈下りる車にまだ提灯は点いて居なかったが、座敷にははや燭台の花が咲いて、それから里朝の曲弾も首尾よく相済んだ跡は、お定まりの大小芸妓の受持となって、杯酒潮を湧すと昔は大束に言って退たが、まこと逆上返る賑いで、やがて附けてしまおうかと云って芸妓が三絃を執った時から、一層激しい笑い声が聞えた。
貞之進は元来酒を多く呑まない、吸物椀へちょっと口をつけただけでたゞ腕組して居たが、幸い遅参者が加わって、左右とも塞がったので、すこしく心丈夫に思った。右隣りの席へ就いたうすら※ 《ひげ》のある男は、来る早々促し/\あおりかけて、気斗牛を貫くという勢い、その上膳の物を退治ることもすこぶる神速だ。君一つとその男にさゝれて貞之進は余儀なく受けたが、その男がお酌と呼んだ声の下から、通懸りの薄色縮緬がハイと酌いで呉れるを、貞之進はしきりに顫えてそのまゝ猪口を膳の端に置き、手巾で手を拭いてながめて居たが、それで腹の中はすでに酔ったような心持だ。
酒に寛ぐのが懇親会の趣意なら、席の乱れた時が興の登った時で、歌うのもある、踊るのもある、あの男がと思うようなのがこういう時に落を取って、それでも「花の曇り」を知って居たぜと、後日何かの折の紀念となるのだ。貞之進はぐっと一思いに猪口をあけて、隣の男へ返そうとしたが、生憎向うむいて一心に談話を仕て居るので、何と云って呼んでいゝか分らない。ちょうどその時向う側の上の方で、前づらの少し禿た男が御返盃と云ったのが耳に入りいかさまあの通り遣るのだとは思ったが、どうしたことか声が旨く出て来ない、出て来ないのではない出て呉れない、仕方がなく一度膳へ戻して、黙って再び出した猪口へ相手の肱が当って、初めて気が附いてヤ失敬と受けてくれたので貞之進はやっと安心した。けれども酌する者が居ない、自分が手を出すことは知って居たがやっぱりその手が出兼ねて躊躇って居ると、先隣りから手が出て銚子を取かけたところへ、おや恐れ入りますと云って坐った芸妓がある。貞之進は重ね/″\の不首尾を他は知らぬが自分が咎めて、もうちっと早く此芸妓が来てくれゝばと、縮くみながらふと見るに、歳は十七八細面の色白、余は貞之進に見えて見えなかったが、その時まだ「出」の姿で居たといえば、水車の裾模様を二枚重さねて、帯は吾妻錦、襦袢は緋の紋壁にしおぜの白半襟、芸子髷に金の竹輪を掛け、花笄に平打の銀簪、櫛は白鼈甲の利休形、ひんの好い一方のつくりで、今燭の映ったは萌黄に金の竜眼の紐鎖、どう見てもこの会が約束の品ではなく、会員中の外飾好が特に召連て来たものと思われた。
三
縁が不思議のものなら、ほれるは一層不思議だ。今の小説家は、ほれたりほれられたりのために、鼻筋が通って口元が締って、眼におびただしい愛嬌を有するという器用な女をつくり上げるが、ほれるは必ず美にほれるのではない、ほれられたその者がすなわち美になるのだ。世間では、ちょいと見てちょいと惚れると云ておかしがるけれども、つまりちょいと惚れるのが後によくほれるので、その初めはちょいとゝ云うよりほかに指す所がない。万一あの眼元にほれたとか口元にほれたとか、乃至鼻筋にほれたとかゞ最初から知れて居れば、そのほれたのは偽わりだ、何故となれば、生れて欠点の全く無い者はないはずだから、ほれるほどの不思議が起る時に、どこが好と明らかに指すことが出来れば、どこが醜いということもまた明らかに指すことが出来る、すでに醜い所を指すことが出来ればそれでもほれると云う理は無い。貞之進は我膳の前へ斜めに坐った芸妓が、ほんのりと強られて酔った頬におしろいの匂うのを、何の気もなく見ると向うからもふと見たので、周章てゝ顔を背けて後の障子へ憑かゝったが、すぐとまた見たくなってそれとなく見るに、自分が向うを見ながら向うが見るようで自分が恥かしく、目も鼻も口もたゞ何だか好い女におもわれて、それより上の考えもまた下の考えも出なかったが、程経ってこの芸妓の名を何と云うかと知りたくなった。
彼の右隣の男は、今や十二分に酩酊で、オイと云て猪口をその芸妓に献し、お前の名は何と云う、名札を呉れ名札をと、同じことを二つ重ねて問懸けた。名札はありませんとその芸妓はすげなく答えたが、やがて帯の間を探って名札だけ取出し、上げましょうか。おゝ呉れと二度言わせて渡したのを、彼男は眼を皺めて見て、それじゃア歌ちゃんかと云て、あはゝアと面白くもないことを声高に独り笑って居た。名を知りたいと思った貞之進は歌ちゃんとだけ分りは分ったが、芸妓の名はそれでは分らない、歌吉か歌助か小歌か歌子かたゞしはそのまゝのお歌か、つい一言尋ねたくも仲々口は開かない、そのとき歌ちゃんと云れた芸妓は貞之進の方を向いて、あなたにも上ましょうかと云たこそ幸い、飛附たいほど貰いたかったがそれも手が出ない。彼男は一旦袂へ取込んだ名札を再び出して見て、何だ柳橋だ家名が無いと疑わしそうに云うを、おやそうですかと芸妓はちょっと覗き込んで、弘めの時の残りですもの、儂は名札は嫌いと云たのから見れば、一本に成てまだ間のない歌ちゃんなることが知られた。彼男はよく/\の穿鑿家と見え、それじゃ家名は何だと推返すと、知ませんよと芸妓は冷かに受けて銚子を取り、お酌/\と突附たが彼男が名札を下へ置ぬので、くどいのねあなたは、梅乃家ですよサアお酌と、同一時間に二種の事業を遣り遂げる、彼男はようやく満足して猪口を取った。名札を呉れろの家名は何だのと根掘り葉掘りするは、二度と来ない客か、来ても自腹を切らない客だと或老妓の言ったのは、この男の容子から考えて、宜べ経験のあることと信じられた。しかれども悦ぶべしその名札は、江戸三界を持廻られて、息災延命のお札より有難いに相違無い。
貞之進は始終耳を欹てゝ居たが、ついに思う名を聴得なかったので、平日ならば男児が塵芥ともせぬほどのことが胆を落し、張合なげに巻煙草を吸附て居ると、その芸妓はこっち向きに居坐り直って、あなた一本頂戴なと云って、むろん許されるのではあるけれども、まだ許しの出ない内にすでに早く手を着けたを、彼の右隣りの男は、こゝにもあると自分のを投与えたが、芸妓はやっぱり貞之進のを取って、これが善いのですよと煙草の珍しい方を取った積りの詞が、貞之進は訳無しに嬉いようで、入物ぐるみそっと芸妓の手近へ推遣って、そして自分の顔を朱で塗って居た。
歌ちゃんと呼ぶ声がするのをその芸妓は振返り、そこは懲々《こり/″\》だよと口の内で云って、こちらへおいでと頤で招いて居ると、やがて来のは同じ年配で、御召の大縞の上着に段通織の下着、鼠緞子の帯を締め、芸子潰しに銀のあばれ綯という扮粧、歌ちゃんまだ着更ないの、でもすぐ行く待てと云うのだものと嫣然笑えば、そう、ひどく酔されちゃったと今来たのもまた嫣然笑ってようやく坐った。ほんとに口駄らないよと云うのを何だと思えば、それあの燭台の前に居る、あゝあの服を着た方よ、好男子が居ると高ちゃんが云うから行って見ると、眼鏡の金縁へ燭りが映ってそれで顔が光るのよ、高ちゃんはじきあれだと云って、手巾を口へあてゝじろりと貞之進を見たので、今迄歌ちゃんの頸の動く通り自分の頸も動かして居た貞之進は、この時試験に遇うような心持がして、お前、見に行くから悪いのさと云った歌ちゃんの詞は、まるで俯いて居る間に聞いた。それから両女はしきりに話合って居たが、今度は小歌小歌と声に色があるものなら、どすぐろい声で呼ばれるにハイと長く答え、膝の上に在った蜀紅錦の煙草入を右手に持ったまゝ立って行ったので、貞之進は魂いを赤の絞り放しのしょい揚に縋らせ、ぼんやり後影を目送って口惜いような気がする間に、あとから来た段通織の下着もまた起って行ったので、桜媚び海棠酔った我膳の前の春はたちまち去って、肴核狼藉骨飛び箸転がるの秋となった。ただすこしく貞之進の心を安んじたは、柳橋の芸妓梅乃家の小歌と、今の呼声によって初めて承知されたことだ。
その前貞之進は知己なる飯田の人というのに挨拶を仕たくって居たが、その時その人がちょうど座敷を出るのを認けたから、もしや帰るのかと思って奮って起ってその人の跡を逐い、例の沈黙と云れる調子を以て、きれ/″\と怪い挨拶を施し、別れてこちらへ来懸ったが、序にと二階を下て用達に行くと、手を洗う後ろに立て居たのは、料らざりき歌ちゃんすなわち小歌で、この多勢の宴会に一々お附申すのではなけれど、出会ったまゝ先刻顔を覚えた客だと思えばそこが商売で、あなたこれをと白茶地に紋形のある手巾を出したのを、貞之進はそれが取りにくいよりは取ていゝか悪いかゞ分らないで、自分の袂から惜気のない白半巾を出そうとするのを、あら儂のではお厭なの、どうせねと推附るようにして渡した時、何とも云えぬ香気が鼻から眼へかけて貞之進はまず眩いた。座敷へかえってもそれから何だか気に懸るようなことが出来て、しかも心配は毫しもないが胸さわぎがするので、烟草も沈着いて吸えずに半分で灰吹の裡へ葬った。そうこうする内、右隣の男も見えなくなったので、貞之進もいざ帰ろうと思ったが妙に引留める者がある、何が引留めるかと考えるに形が無い。心を決して玄関に到るに、あたかもその時帳場の横で黒縮緬の羽織を着、鳩鼠色の紐を結んで居たのは小歌で、貞之進は何か云いたかったが云う折でもなく、又云うことも出来ぬのでそのまゝ下足番の所へ行った。
鳴鳳楼の門を出ると、幸い一人乗の車が居たので貞之進はこれへ乗ろうとする時、跡から同じく車で来て行過ぎたのは、正しく貰って帰る小歌だ。我が乗った車も存外疾くて、ほどなく逐着て二三町は続いて駈けたが、夜目なれば貞之進はただ先へ行く車の主の頭だけを見て、それでどこまでも続いて駈けて居たい心持がしたが、我車の方がフイと町角を曲ったので、あっと振返ったが向うの車はもう見えない、なぜ曲ったと叱りたいにも本郷へ出る道は一筋、秋元へ帰ったのは九時近い頃であったが、さてその夜は容易に眠られない。
四
その実酒飲会でも、その名懇親会であるからは、交際上顔を晒して置く必要があると感じて、貞之進は出懸けたのであったが、さて行って見ると例の沈黙では、知らぬ顔はどこまでも知らぬ顔で、彼の右隣の男に猪口をさゝれたのが、懇親といえば懇親あえて益する所はなく、いっそ窮屈極まるものと思って居たが、「あら儂のではお厭なの」、嬌喉玉を転ばすが如きこの妙音が、たちまち小歌という大知己を得させたので、秋元の我部屋へ帰ってからも、なお鳴鳳楼の座敷に居るような心持で、きょう半日珍しく楽を得て居た机に片肱載せ、衣服も着更えず洋燈の蓋を瞻詰めて、それでその蓋に要があるのではなく、蓋と自分との間に変ったものでもあるように折々にやりと笑って、果は頭へ肱を当がって横倒しに机へ凭れかゝり、そして肚裡で、手足がひとりでに躍り出しでもするようであった。今もし試みにその腹を割いたら、鬼が出るか仏が出るか、何の何の、鬼でもない仏でもない、「あら儂のではお厭なの」、それあの花笄の小歌が今日見た水車の裾模様のまゝで出るのだ。
肌の白かったこと髪の黒かったこと、袖から袂から襟から裾から、ことごとく眼前に浮んで、それが我膳の前へ坐った始めから、三丁来た角で車が別れた終りまで、何遍となく何十遍となく何百遍となく、繰返し繰返し肚裡を歴環って居る、もちろん歴環る間にも一々窮理する所があるので、隣の男が投与えた烟草を棄てゝ、我烟草を取ったことを思出して見ると、彼れに冷かで我れに温かであったように考えられ、冷かなるゆえん温かなるゆえんを我心で推測るに、何とも云えぬ気持がして、それで「あら儂のではお厭なの」と云れた詞が、ほとんど只の詞ではないように思われる。でもそんなことがと一旦は自分が自分を打消したが、それは真正に打消したのでなく、或いはとだけでちょっと打消して見たのだから、中々以て打消しの効力は無い、一度半度の馴染でゝもあれば格別それは余儀ないとした所が、烟草一本が縁のこの貞之進に、「あら儂のではお厭なの」、あゝあれが只の詞と思えようかと、せっかく向いて来た本街道をまた横へそれて、いつまで経っても同じ山の中を彷徨って居る。
それならば、帰り際に何故黙って行過ぎたかという疑問を、やがてやっとのことで拾い出したが、我すら口を利得ない場合に、女として初めて逢った男に、「あら儂のではお厭なの」、これが思切って仔細無しに出るはずはない、そうだ、きっとそうだ、行過ぎたのは多分急の用があったのだ、いやそれにしても唯一言を吝まれることはあるまい、ただしは夜目で見えなかったか、見忘れる気遣いはないのだけれども、生憎車へ乗ろうとして後向になって居た時だから、それともなく見ちがえたのだろう、慥にこの貞之進と見たらば何とか云ったに相違無い、証拠には我れ玄関に立出た時、羽織の紐を結びながらあなたどうぞと云って跡は聞えなかったが、どうぞという詞の内には、願うという意味がむろん籠って居る、どうぞ願う、何をこの貞之進に願うのか、また来てくれは彼れが商売の詞ならば特に我れのみに限らない、それを我れのみに限って「あら儂のではお厭なの」、あのどうぞもまた記憶すべきどうぞだと、こう思定めて四辺を見ると、こゝ六畳の一間は、何も彼も小歌の顔で埋って居るようだ。
しばらくして貞之進は思い返したように、きっと口をむすんで、馬鹿ッと自ら叱って袂の物を片附けようとしたが、何事ぞ一番に手に触れたは手巾で、これだ/\これを出そうとする時、「あら儂のではお厭なの」、厭ではなかったが取おくれて躊躇って居ると、推附て渡して呉れるに手が触って、あゝ手が触ってと思うと、あり/\その手が今も触るようで、むすんだ口は眼と平行にほどけてしまった。どうかして忘れたいにも忘れられない、忘れるは寝ることとそれから唐更紗の夜の物を展べたが、その時二階の下で小歌らしい声がするので、ヤと貞之進は耳を立てゝよく聴くと、似ても似つかぬ宿の小女が、例ものハシャギ声で笑って居るのだ。何であれを聞ちがえたか、馬鹿ッ馬鹿ッとまたみずから叱って衣服を着更え、二階を下りて手水に行けば、手を洗う背後に小歌が立って居るようで、「あら儂のではお厭なの」、とどこからとなく耳に入るので、ぐるりと貞之進が体を廻すと、その小歌かと思ったのもまたぐるりと廻った。
枕に就きは就いたが眠られない、眠られないとゝもに忘れられない、仰向いて見る天井に小歌が嫣然笑って居るので、これではならぬと右へ寝返れば障子にも小歌、左へ寝返れば紙門にも小歌、鴨居にも敷居にも壁にも畳にも水車の裾模様が附いて居るので、貞之進は瞼を堅く閉じて、寝附こう寝附こうとあせるほどなお小歌が見える。これがあるからと洋燈を吹消たが、それでも暗闇の中に小歌の姿が現われて、「あら儂のではお厭なの」、の声がする。術策尽きて夜着を頭からスッポリ被ったがやっぱりいけない、起きて居た時よりは一層激しく肚裡に跳る者があって、或いは急に或いは緩に、遠慮なく駆け廻る。その内目はいよ/\さえて来て、ふと小歌の年齢に考え及ぼし、いつの間にか自分と夫婦になって、痴話もする苦説もする小鍋立もする合乗もする、恐い事恥しい事嬉しい事哀しい事面白い事可笑い事、腹一杯遣って退けたと思うと元の鳴鳳楼の座敷へ環り、「あら儂のではお厭なの」、のお温習がまた始まる。
ようやく疲労れて寝附いた貞之進は、いつも上二小間のはずの窓の障子へ一面日の当った頃目を覚し、周章てゝ起きて筆立に入てあった楊子を取り、急わしく使いかけたのがだん/″\緩くなって、その手が動かないほどに見えた時はまた思い出した時で、目賀田さんすぐ御飯をあがりますかと、隣の室の入口あたりまで来て尋ねる小女に促され、応と云って部屋を出たそこの柱に、四面楚歌声と誰かゞ落書したのが目に這入り楚歌の歌の字がことに大きく見えて、何とも知れず頭に響く者があると同時に、その柱が芸子髷に花笄を挿し、それが小歌のようで虞氏のようで、二階を下りるのが自分のようで項羽のようで、顔を洗い済して部屋へ戻り、出校の時刻と急いで箸を取ったが、膳から考えて向うを見ると、又何だか坐って居るようだ。
五
それからの貞之進というものは、明けても小歌暮れても小歌、日として夜として、小歌の姿が眼に映らぬことはなく、学校の往帰りにも小歌が送迎いをするようで、間がな隙がな忘れたことがない。今まで二時間で済んだ下読も、一字一句小歌の笑顔が附て廻って、五枚のものを二枚目で一ぷく吸った烟の裡に、朦朧と水車の裾模様が現われ、続いて鳴鳳楼の座敷の始終がまたおもい出されて、つい四時間かゝっても満足には出来なかった、そして国元へ遣る見舞の状を書かけ、消しの出来たのを引裂いて二度の文言を案じる間に、同じく不思議が胸に浮んで、その消した紙へ、楷書行書艸書片仮名平仮名、何だか矢鱈に書きつゞけて、裏表とも真黒になッたのを丸めて投捨てた時、小歌という二字に限っての走り書が、自分で見て大いに上達して居た。
どうあってももう一度逢たい、ぜひ逢ないでは居られない、それには良家の処女とちがって、容易に簡便に、金で逢われるとは知ったが、それでその金がどれほど要るかゞ気に懸って、金はあるとした所で、かつて長野の学舎に在った日、夏夜舟行の記に、杜康を命じ蘇小を聘しと古い所を剽窃た覚えはあっても、今となって芸妓を呼ぶ手続が分らない、ほかでもないことを友達に聞うにも聞れず、聞たとて差支えるではないが、公園の薄茶一碗突合わずに居た目賀田貞之進が、愚直と斥けられた今に及んで、たとい自分が芸妓を呼たいためと言ないまでも、聞くさえが畢生の恥辱のように思われ、どうしたら宜かということが、小歌を思うが故に小歌を思うより一層切であった。宿を出て近辺を散歩するに、若い男若い女が手を牽合って歩いて行くのを見るごとに、羨ましいような妬ましいような、蔑むような侮るような、名状のならぬ心持が自分に起り、傍らの古本舗を覗き込むと、色男の秘訣と題した書がふと目に留り、表紙に細々と載てある目録を、見るように見ぬように、むしろ見ぬように見ぬように、横目で読むにその初めが娼妓買の秘訣芸妓買の秘訣、貞之進は我知らず飛立ったが気が附て隣の文集やら詩集やらをもとめるふりで、そっと正札をうかゞえば金十銭、これで芸妓買の秘訣を得ることならば、いや/\秘訣には至らないでも手続だけ分ることなら、安い物だがと本屋の顔を見るに、ぎょろッとした眼がこっちを嘲るようなので、明らさまな色男の秘訣とあるものを、のめ/\と買いもしがたく、買うは一旦の恥買えば永代の重宝、買うべし/\としきりに肚では促すものゝ手は出せない、去るにも去りかねてしばらく佇んで居たが、見た上は欲いがいよ/\急で、他の素見が立去ったを幸い十銭銀を投り出し、これをと云うと本屋は彼の眼で見て、秘訣ですかと問返した音になお嘲りの分子が含まれて居るようで貞之進はぎょッとしてそうだとの一言が出ず、誰れも知らぬことに顔赭らめ、イヤこれだとその下にあった樺色の表紙を、あわてゝ何の書とも知らず指さすと、本屋は難有うと云って、二銭の剰銭とその書とを取って渡した。貞之進は倉皇に立出たがその本に用があるのではなく、二三丁来てから西洋小間物屋の玻璃戸を漏る燈影に透し視れば、三世相解万宝大雑書とあるので、自分ながらチェッと舌打して、なぜ秘訣の方が取れなかったか、取代えて来ようかと二足三足戻りかけたが戻りきれずに、つまらぬことに八銭失ったをくやんで、ほと/\自分が勇気のないのを歎じた。
宿へ帰って三世相解を懐ろから出したが、そこらへは置けず捨てゝも遣られず、机の抽斗の奥の方へ突込んで、それでまだ秘訣が欲しく、宿の小女に買に遣ろうかと思ったが、すれば本屋に買主の顔は知られぬが、宿に知られるが何よりの不都合と、貞之進は独りむしゃくしゃとして、洋燈の心を出したり引込めたりして居る内、はからず思当ったことのあるように点頭いて手を敲き、飛んで来た小女にお神さんはと聞けば、居りますと云う、お茶を煎れるからお入来と云って呉れと命じたは、秋元の女房がその昔茶屋奉公したことのあるを、かねて小耳に挾んで居たので、三世相解の埋合せに、今買って来た藤村の最中から漕附ける、貞之進に取っては非常の大計画が産出されたのだ。
六
百花園の秋草を見に行った土産に、言問の団子を買って来て呉れたことはあったが、ついぞこれまで已むを得ぬ用事の外、冗談口一つ云ったことのない貞之進が、わざ/\お神さんにとのことに小女も不審を立て、寝るまでの時間つなぎに、亭主が不断着の裾直しに懸って居た秋元の女房は、黒の太利とかいう袢纒の、袖口の毛繻子に褐色の霞が来て居るのを、商売※ 外見無しに引被け、転宿でもなさりたいのかと、膝の上の糸屑を丸めながら二階へ登って、貞之進の部屋の前まで行けば、お這入り/\といつにない愛素しいに、女房は勝手が違ったようでかえって恐縮し、御用はと恭々敷すべり込めば、いや用ではない茶を煎れたからと、この人を見知って以来、三年越し例しのない調子の軽さ、目賀田さま茶菓を賜わると、秋元の年代記へ特書せねばならぬほどの不思議に、女房は心裡でます/\疑って居たが、饒舌るを以て達弁とする隣室の五島に比べれば、口数は三分一にも足らぬが、沈黙家と評判の貞之進に似合ずぽつり/\と今夜に限って四方八面の浮世の沙汰、女房は隔意のある中にも解けて、いつか話が一昨日の鳴鳳楼の懇親会に及んだ時、東京は芸妓がたくさんな所だと貞之進が誘いかけたを、遊ぶ者も多い遊ばれる者も多い、そこが都ですと女房は何の気もなく釣込まれ、それでは先日の会は柳橋の連中で御在ましたか、あなたはあの方にはお気をお留なさいませぬがと云って、袋のまゝ置てある最中を一つ取って半分に破り、ほんとにあなたには亭主でも感心致して居りますと、こぼれた粉を払って居るに、それが貞之進の胸に徹って、顔を見られでもするように自然に背けた。
けれどそれは自分が咎めたまでゞ、ひとの知るはずがないのでまた許し、今もまず柳橋が一かと云えば、この人にない異な穿鑿と女房は貞之進の顔を看上げたが、これに答えるよりも我が見聞の広いのを誇るのが先で、いえ今では柳橋も寂れました、おきんおえいに栄えてそれから二十年というもの、わるくなったとは言う条一昨年迄はと詞杜絶れ、ちょうど私共が両国近辺に居りました頃は、まだ/\話の種も出来ましたが、今では頓と指折ることも御在ません、世のいゝ時には一旦落籍んでもじきまた勤たものですが、当節のように世が悪くっては、芸妓もたいていではないので、落籍んだとしたら容易に出ません、あなた景気が宜くって御覧じろ、老先長い体を端た金に縛られて、見たくでもない旦那の御機嫌を取って居ますものか、訳を知らない新聞屋が、全盛だとか目出度いとか云ますが、落籍の多いのは決して景気のいゝのでは御在ません、いっそ不景気の現象ですと、茶屋奉公の昔から、胸間に欝積した金玉の名論を洪水の如く噴出されて、貞之進はそうかそうかとただ点頭いて居たが、それでも小歌という好児が御在ますと、たった一言其間へ加えて欲かった。
赤縞の二子の前垂を膝の下で引張って、そして右の手でその膝の上をなでゝ居るのがこの女房の癖で、図に乗て弁じ附けられたけれども、貞之進はまだ要領を得ない、もう一転すればと思って、どういう人が重に遊ぶのかと問懸けると、それはと女房は角火鉢の縁へ飛んだ唾を指の先で消し、土地々々で芸妓の風俗もちがえば、客の風俗もちがいますから、どういう人と限ることは出来ませんが、遊びと云えば元々奢りですから、金を吝むなら奢らぬがいゝのですが、とかくこのごろは安く遊ぶことばかりを心掛け、二階へあがればすぐにお神さんに御用のある客が多いのですもの、芸妓に意気地が無いと云ますがそれは客の罪で、よしんば意気地が出したくっても、その意気地を買ってくれる客がないのですから、出ないのは当り前ですと、それから順を逐て、揚代の事纒頭の事箱丁の事女中の事、料理屋の事待合の事船宿の事、ことごとく説明らめた揚句、遊ぶなら金を遣うこと、遣わぬなら遊ばぬこと、遊ばずに済めば遊ばぬがいゝのです、およしなさいよと云て、自分で酌いだ 茶碗を取った。貞之進は計略図にあたって、おのずから答えを得たのですこぶる満足し、早くこうと心が附いたら、三世相解に辛苦することもなかったと、ようやく気が勇んで、おやすみなさいっと下て行く女房に、階下の衆へと云て最中の袋を、報酬でもあるまいがそのまゝ投げ与えた。
その夜貞之進は枕に就いて、依然芸子髷に花笄を夢みたが、すこしく前夜と趣きが異わって、紙障襖は鳴鳳楼に似て居るようで、それで鳴鳳楼ではない六畳ばかりの小座敷に、小歌と自分と差向いで、やがて小歌が自分の膝へ凭れたと思うと、たちまちその顔が秋元の女房になって、こんな物をあなたに頂くのではありませんよと云て投返した祝儀包が、見る間に今日学校でなやんだ法理何とかの、第百十一頁の所と変じ、拾い上げて読んで見ると、芸妓買の秘訣と書いてある。かような夢で夜が明けて、学校へ行は行ったが、終りの時刻が待遠しく、帰るや否や秋元の勝手へ向い、かねて貞之進が同宿の悪太郎にせびられるのを気の毒がって、学資の余分を亭主が預って置て呉れるのを受戻し、傍から女房が芸妓買ですかと挑発ったを、急に買物がと心懸に言訳して初めて我部屋に入り、もう暮てもいゝ頃と思ったのが午後四時、それからの一時間をやっと送って、過日の伏糸で宿を立出で、本郷通りへ出てからの車に、柳橋とは言得ず両国までときめて、言値のまゝで急がせた。それが鳴鳳楼の会の日から、数えればちょうど四日目であった。
七
約束の広小路で車は下りたが、料理屋待合船宿皆貞之進には馴染のないものばかりで、どこの敷居を跨ごうかということが、車の上からの問題でまだ決しない。戻って柳橋の袂を往復りして、淡紅色の洋脂が錆に剥た鉄欄の間から、今宵は神田川へ繋り船の妻さんが、桶を舷へ載せて米を磨いで居る背中に、四歳ばかりの小児が負われながら仰反って居るのを、面白いでもなく見て居たが、淀文と云うのは、府下の割烹店として名だけ聞いたことがあれば、そこへと心ざして橋に沿て左へ下り、右の新柳町の細路へ曲ろうとすると、角の家の腰障子を開けて出て来た小女が、じろ/\と顔を覗き込んで行ったのでたちまち怯れが差し、その隣の淀文へ這入ることが出来ずに、行過ぎて元の広小路へ出てしまった。考えれば案内もなくこの別天地へ乗附ける積りの勇気は、自分すら感ずるほどであったが、その勇気がいざ今の際となってとみに挫け、のそり/\また小戻りして、淀文近くへ来たが、玄関前の瓦斯の光が前側の塀にまで輝いて居るので、今度はそれに胆を打たれてまた這入得ずに行過ぎ、薄暗い河岸に佇んで、とても叶わないことならこのまま帰ろうかと思ったが、すると例の如く花笄が眼に映って断念めて帰ることはなおならない。客だッ、客だッ、客が臆することはないと又々取て返したが前まで行くと又々挫ける、それで又々々往過るのであったが、向うから勢よく駆て来た車に塀際を塞げられ、路幅の狭いのが仕合せとなって避るように御影の敷石を踏むと、入来いと呼ばれてもはや立退き難く、もとより立退くのが本意ではないので、やっと肚を据て下向いて這入り、どうぞお二階へと云れて、目を瞑るようにして駈上った。
色は白いが顔の地のあれた廿二三の婢、衝当りの六畳へ燈を点けて、こちらへと云うに貞之進はついて這入ると、この家は間ごと間ごと瓦斯を用いてある、座蒲団火鉢茶菓それから手を突てお肴はと尋ねるに、袂の巻烟草を出しかけて、さて何と云たものかと躊躇って居ると、見繕いましょうかと云れたので、ほとんど蘇生った心持でたゞうんと首肯いた。ちょこなんと独り待つ間も、胸さわぎするほかは烟草ばかりが愛しまれ、二十分ほど経った所で、椀の物を載せた膳と杯洗とを婢が持来り、酒盃を受けて下に置く時皿の物が来て、膳の体裁はやゝ整ったが、飲ず食ずですじかいに障子へ凭れかゝって居るので、婢はしきりに話懸けて自分から笑って見せたが、一向返しの詞がないのに倦ぐね、誰か呼びにお遣り遊ばすのと云うを、貞之進は望む所と障子を離れたが、また早速に答が出ずに居ると、婢は自分の肩を軽くしたさに、誰か呼んでお遣んなさいとさらに勧直したので、貞之進はわずかに耳に通ずるぐらいの声で、小歌をと思切って言うか言ぬに、はいと婢は畏まって楼下へ降行き、小歌さんをと高く呼んで、そして低声に気のつまる方と朋輩に囁いて居た。
しばらくして婢が来て、小歌さんは大中へ出て居るそうですが、貰いに遣て見ましょうかと云う、貞之進は貰うのが何か訳分らずに首肯いて居ると、名ざしの事なり貰えと云うからは、お馴染のことゝ婢は呑込んで、すぐに向河岸へ箱丁を走らせた。やがて淀文の表へ車が停って難有うと云た声が、「あら儂のではお厭なの」、まぎれもない小歌の声で、それを聞くと貞之進は一際激しい動気がして、居ずまいを改め片腕組んで、烟草を新しく吸つけて居た。小歌は羽織を帳場で脱ぎ、あの方と云えばいゝえと云うに、おやそうと急にすゝまぬ顔色、それでもお馴染だと思ってさと婢が云えば、儂はあの方だと思って、無理に幹事さんに頼んで貰って来たの、どんな方と尋ねるにこう/\と告る婢の詞が、小歌には思い当らないようで、それじゃアお馴染ではあるまいよと、立もせず坐りもせずで居るのを奥から主が、仕方がない来たものだ、ともかく二階へ行ってお呉れと促すので、はアと小歌は気が無さそうに登って行った。
見ると小歌は覚えがあるようで思出せない、毎夜の夢に忘れない貞之進が何とか、声を懸けそうなものを、これも知らぬ人のように横向いて居た、それが初心の買所だ。小歌は銚子をとってお酌と云うに、貞之進は冷たくなった猪口の残酒を飲干し、顫えまいと力を入れるほど顫えて、口へは遣らずやっぱり膳へ置たが、その時小歌は考え附いたか、たしかあなたは過日鳴鳳楼でと云うと、あゝと貞之進は初めて声を出して答え、よく入来ってよと解けた詞に嬉しさは頸筋元から這入って、例もの通り肚で躍って居た。小歌は今日は着更の姿で、上着は青味の勝った鉄色の地に、白い荒いさつま筋の出た御召縮緬、下着は同じく小豆色の御召、帯は紫地の繻珍、牡丹形の蒔絵の櫛に金足の珊瑚の簪、貞之進は我伏糸が見られるようで、羽織の襟をそっとひっぱって居たもおかしかった。
八
貞之進より少し遅れて隣の広間へ来た三人連の客は、淀文がお馴染の騒ぎ好と見え、膳の出ない先から賑かであったが、芸妓も客数ほど来て、饒舌るわ/\春の潮の湧くが如く、拳を打ったり歌を唄ったり、ふたりで蚊帳の紐を釣ったとか云て足拍子のしたのは、若い妓が起って踊ったので、関のこっちだと思ったら音羽山だと云て膝を叩いたのは、年嵩な客が何彼につけて出る謡だ。首で返詞すると極った貞之進は、隣座敷の人々が臆面のないのに感じ、自分の気の弱いことが自分ながら疎まれ、せめて談話の一つなりとも顫えずに出来そうなものと、あのと肚を出た詞も口元で消てしまい、夢にまで見た小歌に出会って、欠半分の愛想も出ずに、折々偸むようにその横顔をながめ、小歌が莞爾と笑った時だけ、不知不識の間に自分も莞爾と笑い連れて、あとはただ腕組するばかりのことだから、年の行かぬ小歌には堪たえ兼て接穂なく、服粧には適応わず行過た鬼更紗の紙入を、要もないに明て見て何か探す容子、箱丁がそっと入れて行った三味線は、棹を継れたまゝ座敷境の紙門の下へ片寄られ、客も芸妓も居るか居ないか疑われるほどの静かさであった。
あなたと云て義理でもするように小歌が銚子を執った時婢が来て、ちっとも飲らないのと云ったのでそうと銚子を下へ置き、二杯足らずの酒に貞之進が眼の内までも赤くして居るのを見て、それには恥しさの籠ることゝも知らないゆえ、じゃアお逆上なさるのと椽の障子を一枚明ければどんよりと空睡たげな朧月、河浪の靄に咽ぶ間から、両国橋を行く提灯が、二階の欄干越しに三つ五つ見えて、こんもり黒んだ向河岸の森に、物思いは春の夜と知られた。欄干に片手載せて、あなたちょいと御覧なさいと小歌が云うのを、貞之進は立ちもせず振向けば、水にも雲が映って居るというだけのことで、先刻小歌が出て居た中村楼の檐に、宴散じ客去てなお毬燈の残って居るのを、今日の大中さんは何と婢が問うに、幹事さんは知った方だけれども、あとは厭な人ばかりと小歌は答えて、おもむろに元の座へ復った、その時隣の広間はいよ/\騒がしく、年を取った芸妓の声で、ちっと静になさいよと云うと、そんならこゝへは来ないと云った客の詞が、貞之進には暗に自分が嘲られたように僻んで聞え、思わず居直ったのを婢が見て取って、ほんとに元気のいゝ方、お騒々しいでしょうとどちら附かずに慰めたが、これにも貞之進は不相変答えは出なかった。
歌舞伎座が大入ですとさ、姉さん御覧なすってと小歌が云う、そうだって見たいのねえと婢が云う、それから両女は話が栄え、蠣浜橋へ毎日お参りに行く事、髪結を取替た事、梅月で誰かに汲で遣った湯の返しのなかった事、常磐屋で大臣さんにお目に懸った事、船で花見の約束に行った事、こちらの室からもしきりに笑い声が漏れるようになったが、それでも貞之進の声は交らない。過日の方はあれから入来って、あの翌晩おひとりで、そう可笑いんだよ玉ちゃんが大変岡惚して、風采のいゝ方ねえ、あら姉さんも、何だね厭に気を廻すよ、だって風采が好って、風采の好のはまだ外にあるの、御馳走さまどこに、どこにって泣通したじゃないかと云うと、小歌は婢の口を抑えるようにして、あれは言ッこ無し黒の羽織には懲々《こりごり》したと云て、貞之進が黒の羽織を着て居るのに心附き、あなたのことではありませんよと、撲いた烟管をふっと吹き、昨宵も逢た癖にと婢が云うのを聞ぬふりで、あんな酷い方はないのと紙入に巻いてある紙を取出し、それで所在無さに煙管掃除が始まった。「でしょう」などと前後のない詞があって、貞之進は何を話すことか一向解せぬけれども、末の一段が何だか気に懸り、ことに泣通したということが、たゞごとでないと思うと急に嫉ましいような心持が加わり、小歌のことか婢のことか、小歌のことらしくない、婢のことらしくない、それでも何方かのことだとして見ると、疑いは小歌の方に深く存り、存りながら小歌ではあるまいように断定てしまいたく、打明けて云えば、小歌に情郎でもあるように考えられて、そしてそんなことの無いのを肚で祈って居たのだ。
脂を拭いた紙を寝覚の端へまるめ込んで、手を手巾でもんで居るその手巾は、過日の白茶地ではないが、貞之進はそれに妙なことが思い出されて、じっと小歌の顔を看上げると、そうとは知ぬ小歌はふいと立て廊下へ出たが、その時広間からも芸妓が出て来て、一人かえと云たのは明かに聞えたが、えと振返った小歌が眉を寄たのは障子が隔てゝ見えなかった。貞之進は疾うから※ 頭というものが気になり、それを受るべき小歌の目の前で包むことが出来兼、世間の人はどういう振合に遣るものかと、自分から面白くもない心悶えの種を造って居たが、小歌の出て行ったのを この時ばかりは幸いと思ったけれど、婢がなお動かずに居るのでどうも手が出し難く、さればと云て遣らずにも居られないので、もじ/\として居ると、何と思ったか婢もまた立て行たので、この間にと皺のない紙へ皺をつけて、両女の坐って居た辺へ投出した、小歌は手水に下りたので、帳場の前で箱丁に何か云って居る処へ婢が来て、歌ちゃんあの方のお名前を知って居るかえ、いゝえ知らないよ過日鳴鳳楼で大勢の時お目に懸ったばかり、伺って御覧な、何とか云んだっけ、狡いよと笑いながらまた連立て登って来たが、その時広間の客は騒飽きて帰る所で、送出す芸妓の一人が、小歌がこちらへ這入ろうとして開た障子の隙から、通りがゝりに振向いて行たのを、貞之進はすでに見られてからなお顔を隠したが、残して在た一つの紙包を、箱丁へと云て婢の前へ投るように出したゞけは、秋元の女房が与って力ある所で、お礼をと婢が促して小歌と共に改めて手を支えた時、貞之進もこれに答礼せねばならぬような気持で、自然に頭が低ったように見えたのも奇であった。御飯はと婢が尋ぬるに、やめますと云えば、ぽっちり召上れ毒ですよと、傍から口を添た小歌の詞に、大真実が籠って居るように貞之進は請取れて、茶に漬てやっと一椀の飯を済した跡で見れば、最初一寸口をつけた椀の物の外の、白い方の魚軒が二片程箸に懸ったばかりだ。
帰り際に臨んでまだお早いでは御座ませんかは、かゝる土地の習いだけれども、それを貞之進は誠にしていつまでも此家に居たく、勘定と云たいのが云えずにむずついて居る間に時刻が移り、月高く屋の棟に隠れて、鳴る鐘は浅草の十一時、風に※ 乃の声も伝わらない、お車はと婢に問れて、思切って勘定をと云うと帳場ではすでに出来て居て、車より先に書附が来た。請取と剰銭とを盆に載て出され、いつぞや同宿の相原が、どこかで剰銭は入らないよと云たのを憶い出し、わずか六銭という剰銭を、この淀文へ残すもおかしく取るもおかしく、しばらくそのままにして居る傍から、どうぞ御近日と今日は「どうぞ」を判然云われて、それを汐に立って婢があなたと呼んだは、その剰銭を請取へ包んで呉れたので、今となって残したのが気まりが悪く、急わしく袂へ投り込んで梯子を下りる後から、帽子を持て随いて来た小歌が、帽子の内側に名刺の挾んであるのを認け、これはあなたの、そうなの、目賀田さんと云うのと、のゝ字三つに念を入れて推されたので、恥しくもないことにぽっとし、お立ですよと婢が高く呼ぶと、ばた/\と男女二三人送りに出たのでまた縮くみ、玄関へ下立つと今日周章てゝ穿ちがえて来たものか、銭湯行の下駄が勿体らしく揃えてあるので、これにも狼狽えて戸口へ出て、柳という字を赤く太く提灯へ書いた車へ乗ろうとして、気の惑いか軾棒に躓き、御機嫌克うという声を俯いて聞いたが、それから本郷へ帰って夢は一層巧になった。
九
遊びというものゝ味が真正に分ったなら、遊びは面白いことでなくて恐いことである。恐いことを知って遊ぶ者に過ちは無いけれども、それまでに一度面白いことを経ねばならぬので、過ちはその時に於て多く発生する、さりとて遊ばずに恐れる者が人間かと云えば、遊ぶ道のある間は、遊んで恐れる者の方が人間である。一夜淀文に強て酒盃を受けたぐらいでは、遊びはまだ嘗めるほどにも到らないが、それでも自分にはどこか面白い所が有たかして、貞之進はその翌日も出懸けたくなったが、もしそれに面白い所があったのなら、それは遊びが面白いのではない、女が面白かったので、唾するほどにも思わぬ小歌の詞が、句々珠のように光って感じられ、こうした時の目元、あゝした時の口元、別れてからも一々眼に浮び、ぜひですよとまたの入来を祈られて、こちらでこそぜひ逢いたく、その当座金のある身は、一日が半日、半日が一時でも行かずには居られない、二日目となれば出這入の勝手だけ分って、淀文の門口まで車で乗込み、小歌さんですかと婢が問うに、前日※ で仕た返詞が、すぐにと今日は口から出、三日目は向うから問ぬ先に、小歌をと命令けるほどになって、小歌が隔ての垣のだん/\取れるに随い、寡いながら、心易く話が出来るようになった。
すると、いよ/\逢いたい、ます/\逢いたい、毎日毎晩離れっこ無しに逢いたい、それは自分が小歌の笑ましげな顔を見ることが、無上の楽みであると同時に、路花墻柳の芸妓の勤、どういう家へ今日は行ったか、どういう客に今日は聘れたか、もしその家にもしその客にと、底の底までつまらないことが気になって、それで一日も自分が逢ずには居られないのだ。よもや貞之進にそんな思惑があろうとは、同宿の悪太郎輩も心附かなんだが、秋元の女房は近来貞之進の帰宿が遅く、預りの金をことごとく請戻したことから、羽織帯小袖の注文石鹸香水の吟味が内々行われることを考え合せ、密かに目を注けてあやしんで居たものゝ、それでも単身柳橋の酒楼に馳向うとは夢にも思わなかった。
勘定を御序にと云れるようになれば、遊びはもっとも入易いが、それが後に囲みをもっとも出難い所で、お気の毒さま今日は六畳が塞がってと、表寄りの九畳へ案内された貞之進は、かつて寄席で買て来た古い奴を、浮雲い調子で小歌に話懸けて居る処へ、面白そうですねと例の婢が這入って来て、その話を中途で引取ってしまったが、そうなると貞之進には詞が出ない、又初めの沈黙に帰って居ると、婢は小歌の頭髪を見て、洗ったね何だか低ったようだよそれに鬢がと云って手を掛けようとするを、何でもいゝんだよこれが好きだって、おやそうだれが、良人がさ、あきれるよ良人があり過て当りの附かない方じゃないか、千いちゃんじゃア有るまいしとともに笑った。貞之進の黒の羽織の疑念がなお存する処へ、良人という詞を聞て今日は妬ましいよりは心細いように思われ、いつもの如く後の床柱へ凭れて、虚と実と二つの竜が肚裡で闘って居ると、歌ちゃんはこの頃のろけ癖が附いたよと婢が云うを、のろけたッて宜じゃアないか亭主の前でのろけるのだものと立どころに応えて、貞之進の淋しそうな顔をじろりと視ると、あなたいつ歌ちゃんをお神さんになすったの、御披露がありませんねと笑って同く婢も貞之進の顔を視た。貞之進はそれが冗談に聞たくなく、又聞かれずに心懸に顔赧らめ、困り者ですとタッタ一言の調子が合せられずに、虚実の闘いは一先消滅し、かえってそれがために陰然地を造って、小歌を二無き者とそこへ祀ってしまった。
歌ちゃん昨日どこへ行ったのと婢が問えば、そうそうあすこで逢ったのね姉さんはと小歌が問返す、鳥口さんのお宅へ、儂はおかしい所へ行ったの、どこおかしい所ッて、写真さ、撮影て来たのお見せなと云えば、まだ来ないワ先のがあったか知らんと紙入を取出し、厭なんだよ額が出張ってと云うを婢は覗き込んで意味なく笑って居たが、いきなり引奪って貞之進へ突附け、あなたに上げましょうと婢が出したを、それはいけないのよと小歌が取返そうとする、遣るまいとする、早くお取んなさいと婢が手を伸べて差附けるに、貞之進はどちらともなく躊って居ると、婢は小歌を辛く防いであなたと云って投て寄越した。貞之進は手にも取上げず落たまゝ瞻めて居たが、小歌はいけないのいけないのと云って、そしてそこまでは取りにも来ない、かまわないのですよと婢が拾って、立際に渡して呉れたので、やっと袂へ入れて貞之進は持帰ったが、それからこの写真は、机の抽斗の錠のある方の奥へ蔵まわれ、日に夜に幾度か引出されて、人の足音のするまではながめられ、そして或時、実に或時、肌に着けられて寝たこともあった。
十
預けた金は受戻す、戻した金は使果す、この上は国元へ頼遣った別途の金の到着するのを、写真を膝に指折るばかり、淀文へも存じながら無沙汰したが、その十日ほどに白魚は椀を逐れて、炙物の端に粒の蚕豆が載る時となった。国元では伜が今までにない初めての入用、定めし急な買物であろうと、眼鏡は掛ても書簡の裏は透さずに、何がしという為替を早速送り越したので、貞之進は見るより早くその暮方、かねて新調の藍縞糸織の袷に、白縮緬の三尺を巻附け、羽織は元の奉書で、運動と見せて宿を立出で、顔を知らぬ車夫を選って柳橋手前で下り、ぶら/\と淀文の前まで来ると、何人の会合か隣家の戸口へかけて七八輛の黒塗車が居并らび、脊に褐色や萠黄や好々の記号を縫附けた紺法被が往来し、二階は温雅した内におのずからさゞめいて居るので、さすがに貞之進は逡巡みして引還そうとする時、あなたやと二階裏で高く呼んだ声が、小歌の声のように思われて立留ったが、よしや小歌であった所がよその座敷へ出て居る事、悪い時に来たものとそろり/\元の路へ帰る向うに、代地の方から箱丁に送られて橋を下る芸者は、どうやら小歌らしい趣きがあるので、さては今の声は別人か、それかこれかと摺れ違うように近づくと、幸いなるかな橋の街燈に顔を見合せて、目賀田さんと向うから呼懸けた。
どこへ入来るのと問われて、あすこへ行こうと思ったがと淀文の方を向て見せれば、そう、入来いな儂も今明いて来た所ですから、今日は早いお客さまと告げるに、そのまゝ貞之進は四五間連立って行ったが、会でもあるようだと云ったので小歌は立留り、それじゃアあなたには騒々敷でしょう、春泉へ行って御覧なさいなと云れて、その春泉に馴染はないけれども、杖にも柱にも小歌があれば心丈夫と、そんならと言懸けたのがもはや認めた詞で、小歌はわざと遅れて来る箱丁を顧み、安どんこれから春泉へ行くからね、家へちょっとそう云って置てお呉れと云えば、はいと箱丁はすぐに新道の角を曲った。小歌は近頃小紋織とかいう御召の袷、色は藍気鼠、黒の唐繻子の帯を締て、下駄は黒塗の小町とかいうもの、それと倶に歩く貞之進は、親く女と連立ったは初てなりその女は小歌なりで、嬉いような恥しいような、それで何だか落着ぬようで、往来の人に顔を隠したくあり見られたくあり、旦那お合乗如何ですと、からかい半分の車夫に跡を躡られて、足を早めて小歌と離れたが、まただん/\に寄て来て、手を取らぬばかりになって米沢町を右に、元柳橋から二つ手前の細小路へ折れて這入った。
燈籠の火の幽かに洩れる格子戸を開けて、お神さんお客さまと、小歌が庭に音を立てれば、この春泉というは待合で、円顔の雛形ともいうような廿ばかりの婢が出迎え、貞之進をちらりと視て奥にしましょうかと小歌に云えば、そうねえあなた入来いと、上り口を横に通過ぎて、庭づたいに小歌が先へ立て行くを、婢は竹筒のような台の洋燈に、俗に玉火屋というのを懸けたのを右手に持て潛りぬけ、奥まった一室の障子をあければ、三尺の床に袋戸棚が隣ってそこから座蒲団が引出され、掛花活の薊は大方萎れて、無頓着が売物の小座敷だ、婢は云う御酒は、小歌は云うあがらないの、だけれども印しにと貞之進に向い、あなた御飯はと小歌が尋ぬるに、まだと貞之進が云えば、何になさいます鳥になさいな今の内ですからと云て、儂が食べる人のようだと婢を看返れば、どうせ歌ちゃんも一緒でしょうお椀の滋味いのか何かと、両女が笑う間に纒まって婢は立去った、椀来り、鳥来り、小歌と向い合いに膳をならべた貞之進は、それが今連立って歩いた時よりも、一層嬉しいような恥しいような、さて又一層肚が落つかぬようで箸も早く置いたが、婢が小歌に茶を侑めて、御新造さまと云ったのに貞之進は耳から赤くし、あいよと応揚に御新造を真似た小歌の顔を、どうしても見て居られずに俯いたが、それは厭で見て居られぬのではなく、自分で自分に気がさすことがあって、むしろこちらで向うが見ないように仕たようなものだ。
出て行ったばかりの婢がすぐ戻って来て、小歌さんちょっとと呼ぶに、小歌は座敷の上り口に立って二言三言話合い、あゝそうあゝそうとしきりに点頭いて居たが、あなた誠に済ませんが小歌さんをしばらく拝借しますと云うと、小歌も傍から二階のお客さまにちょいと御挨拶に行て来るのですからと云ので、放しともないが厭だとは云れず、宜しと云う下から小歌は急がわしく出て行ったが、その帰りを独ぽつねんと待つ貞之進は、何かは知らぬが ただ一つ小歌に望むことがあるようで、その望がほとんど達し得られるようで、又達し得られないようで、更に考えればその望は向うが持って居るようで、こちらが持って居るようで、今晩それが打出したいようで打出されたいようで、千緒万縷 胸に霞のいろ/\と乱れた耳元へ、二階から漏来る小歌の笑い声、もしや客は黒の羽織と云のではあるまいか、小歌の何かではあるまいかと思うと、ひとりでに二階が睨まれ、四五十分経って下りて来た小歌に、一番にどこの人と聞けば、横浜の方でお両人ですと云うにやゝ安心した。そしてその望と云うはどちらからも出ずに、貞之進ははなはだ遺憾げに帰りかゝる時、すっきりとした三十三四の鉄漿つけた内儀が礼に出て、門口まで送って来たが、歌ちゃん明日は縁日ですよと婢が云うを、小歌はそれには答えずして、あなた明日入来いな不動さまですよと、取次ぐように貞之進に云うと、お約束を願うサと内儀がこれを簡易に説明し、明日はと貞之進は少しく躊躇したが、悪く云れまいの念が先へ立って、そして一つには切脱ける口が重く、ついに宜いで点頭いて、半丁ばかり来て振返れば、春泉の二階になお燈光が見える、小歌はあのまゝ帰るか知らん、もしひょっと、もしひょっと、あゝもしひょっと、小歌はあのまゝ帰るか知らんと、こんなことが行手を遮って、吉川町の尽処までは車にも乗らなかった。
十一
不動と云ったは附たりで、小歌菩薩が約束の縁日、いずれ暮過のこととそのあくる日貞之進は、学校から帰って理髪床に用を足し、つゞいて一風呂という時小雨がぽつり/\遣って来て、男が全く作上った頃は、傘無しではとぼ出もできぬ中々の降となったが、その時の貞之進には雨風の見界いもなく、轍に泥を衝いて春泉へ馳着けると、小歌は疾くから来て待って居た。雨に出這入りがうるさいからと、その夜は二階の取次の座敷へあげられ、おや髪をお刈んなすって、道理で顔違いがするようでと小歌が打った槌へ大変御容子がと婢が調子を合せるを、貞之進はそれを世辞と知って世辞と知らず、大いに肚裡に笑まれる処があって、縁日は降りだねと云えば、こゝの縁日と云うと妙にツケが悪いのです、これでは御運動とも参りますまいと、それを捨言葉にして婢が立去った跡は、例もの通りの差向いで、昨日の今日では談話もなく、座敷は雨に鎖されていよ/\沈むばかり。小歌は床の間に在った梨地に亀甲形の蒔絵した硯箱を持出し、残りずくなに巻込んである状紙を、かまわないのだろうと自問自答で推ひろげ、貞之進の顔を見い/\、一筆しめしと迄書いて、※ が儂には書けないのこうですかと、それから紙一面の落書、やがて目賀田と曲ったなりに角字で書いて、巧いでしょうと笑いながらちょっと筆を置いた時酸漿の鳴る音のしたのが、追々詞のぞんざいになる始めであったが、それが貞之進には隔てのなくなったこととのみ思われて、その筆を取上げて得意の小歌という走り書が見せたかった。
これがあなたですよ、これがあなたの奥さんですよと云って、小歌が画といえば画、丸に目鼻を書いて居る折婢が来て、感心だね歌ちゃんは絵心があるよと笑って見て居たが、小歌はそれにも飽たか半分で止めて、今度は鼻紙を細く引裂いて綯を拵え、見ちゃアいけませんよと、向むいてその端へ何やら書附け、御神籤のように振って居たが、あなたこれを結んで頂戴なその墨のついたのをよ、いゝえこっちのですと差出したを、貞之進は云われる通り結ぶと、小歌はその結ばれた綯の端を一々あけて、あはゝあはゝと笑って居るを、お見せと婢は覗いて、あなたと小歌さんです争われないのねえお奢んなさいと云って、やきもちが浜田さんだって、宜加減におしよと小歌の脊中を撲たのに意味があったようだが、貞之進は全体が何事とも分らない、聞けば縁結びというものだそうだ。あなたは何性と突然に小歌に問れて、貞之進は素より知らないことゆえ知らぬと云えば、歌ちゃんはと婢が横合から口を入れると、儂は火なの、じゃア十八で九紫だね、能く分ってね、それでも儂が二黒だから二つ下で勘定が仕易いからさ、そんならあなたは三碧だワ、そうお若いのねえ廿一ですねと、貞之進の顔を新しそうに見たのは、年より老けて居るとでも思ったことか、歌ちゃんあれは、あれッて何、おとぼけでない彼れさ、知らないよ、知らないはずがあるものかねと叱るように早口に云えば、実は七赤儂とは極不可ないの、その不可ないのが可のだろう、時々厭になッちまうことがあるワ、勝手を云って居るよと、談話は逐に 婢との遣取りと成ってしまったが、貞之進はその間も始終耳を離さず聞いて居て、今にも胸の雲に例の竜が躍ろうとした処へ、上ましょうかと云って小歌が自分の煙草を吸附けて出したので、幸なるかな竜はその煙につゝまれて、いつしか影は見えなくなった。
帰ってから貞之進は性の星のということがなお耳に残り、机の抽斗を明けて彼写真を出そうとする時、いつぞや色男の秘訣を買おうとして、余儀ない羽目に買って来た三世相解が手に触り、もしやこれにと思って引出して見ると、案の如く生年生月の吉凶がことごとく示してある、小歌が火と云ったのを当てに、陰陽五行の何とかいう条下を繰るに、木生火、火生土、これが相生だ、水尅火、火尅金、これが相尅だ、自分の性を知る方法は教えてないが、たゞ女火という所を詮索するに、男が金では貧に暮らす、水では睦じからず、火では衣食足らず、どうか金でなく水でなく火でないように、そして福徳円満とあるこの土性で自分が居たい心持がしきりに起り、覚えて来たばかりの縁結びというのを行って見ると、どうしても自分と小歌とが結ばらない、そんなはずはないがと幾度遣り直しても離れてしまう、いよ/\遣ればいよ/\結ばらぬので、その果は無理に手を添えるようにして結んで、それで三分ばかり安心して、わずかに眠ることが出来た。
十二
けれどまた熟く考えると、春泉の婢と小歌とが話合って居た始終の詞に、あれだとかそれだとか符牒のようなことのあったのが、なお幾分の疑いを胸に遺して、かつて耳に挾んだ黒の羽織が又々おもい合され、いかにもしてその実否を急に突留たくなった。もちろん今までにもそういう念の起らないでもなかったが、大概は自分と小歌との過去った会話の中から、それを打消すに足るだけの反証を自分で捜し出して、明白に他人に語ることの出来ない事由を以て和められて居たのであったが、それが即ち或望を持って居たゝめで、むしろ向うにその望を持たれてあると信じて居たゝめで、或時は小歌に旦那もある情夫もある、黒の羽織が其旦那で其情夫で、咄此貞之進も欺かれるのかとまで決着を附けたこともあったが、それにしても年紀なり風度なり逢えばあどけないような所ろから見て、そんなはずはあるまい/\に打消されて、内実どこまでも無垢不染の者にして自分の手に入れたかったのだ、否、自分の手に入れるまでは達て無垢不染で置たかったのだ、だからその実否を糺すと云っても、実でないことを祈る方に力が這入って、つまり自分が一時の安心を求めに行くようなものであった、言換えれば実否を糺すことの急になったのは、望を達したいことの急になったので、それで今晩こそはと決意する所があるように、又た春泉へ出懸けて行ったが、生憎その日小歌は遠出だと云って、貰いたいにも土地には居なかった。
誰か外のになさいますかと、内儀みずから出て来ての尋ねに、小歌が居なければ帰ると云たいのは山々であったが、それもどうやら後ろが見られるようで、さようさと気のない挨拶に、勘考の時間を刻込んで居ると、やっぱりあの位の若い綺麗なのがと云って、内儀はもはや事極ったように立って行ったが、ほどなく婢から花次さんが参りますと告られた。花であろうが月であろうが、柳橋の土は今にしば/\踏んでも、芸妓として小歌の外目に留らない貞之進は、場合だけ繕って帰ろうと思って居ると、やがて帳場先の辺から笑い声がして這入って来たのはその花次とやらか、先では一向心づかぬ容子だが、貞之進はどこか見覚えのあるような気がするので、不思議なことがあるものと段々考えて見るとそのはず、いつぞや鳴鳳楼で段通織の下着を着て、しきりに小歌と興じ合って居たのはこの芸妓だ。されど貞之進は失望という蟠まりがあって、とかくこの座が面白くない、面白くないと思うと、一から十までことごとく面白くない、花次が上に着て居る白っぽい乱達縞の糸織の袷も面白くなく、下に着て居る古渡の更紗も面白くなく、柿色の献上博多の帯も面白くなく、後に聞けば生意気を以て新道に鳴る花次の調子のなおさら面白くなく、それに例もの婢が二階座敷に出て居て、この初見の客と芸妓とを取廻す者もないので、双方おのずからの遠慮が、いよ/\面白くないずくめにしてしまったが、ふと花次が踊りのことから、あなた小歌さんを御存じと問懸けた一言に、おもわぬ珍事が貞之進の胸に波立たせた。
小歌と聞いて自分のことでゝもあるように、何故と貞之進は眼に笑みを持って問返したが、御存じなの大変浮れて居るんですよと云われて、眼はたちまち元の面白くないに戻るとゝもに、口までが儼然とむすばれて、どうしてと再び問返した語気は全く変って居たけれども、訳を知らぬ花次が気の附くはずはなく、ほんとにおかしいんですよとほとんど火を附けるような前句に、貞之進はます/\気が急れたがそれを隠そうがために、今日は居ないねと云えば、そうですか明るい内は儂と一所でしたが、それじゃア送って行ったのでしょうと、なお/\気に懸る挨拶に貞之進はもどかしくなって、どこと云えば橋場のお屋敷と云う、客かと云えば浜田の御前と云う、さては縁結びに浜田と書いたはそれであったかと胸は躍って、それでは黒の羽織と云うのはと思切って尋ねると、あなたの方がくわしいのねえ、それは歌ちゃんがお酌の頃からの何で、一度いけなくなったのがこのごろまた浮れ出して、過日も写真を一緒に取に行ったので皆んなにからかわれて居ました、ここへも入来ゃる方なのと無頓着に言聞けられて、貞之進の腸は※ えるようで、さもない顔で居ようとするほど居られなくなって春泉を立出で、秋元へ帰ってかの写真を一番に取出し、突然机へ投附けて、おのれッおのれッと肚裡で二つばかり云って唇を噛んだが、それでまだ未練があってかたゞしはもう一度投附ける積りでか、それを取上げようとしてよく視れば、小歌の写真と思ったは国元の父母が写真、ヤッとさすがの貞之進も我知らず驚き叫んで、更に気を鎮めてその奥の小歌の写真を出そうとする時、よもやという三字がどこからともなく現われ来ると、それにつれて今の今まで※ 返って居た腸は、前に熱したと同じ速度を以て次第に冷くなって、明かけの抽斗へ手を懸けたまゝ俯向て何やら考え出したが、その間の体の動かないことは、瞬きとてもしないかと思われるほどであった。
十三
かね/″\自分が疑って居たことと、花次が何の気もなく話したことゝ、あだかも符節を合すような次第であったので一時太だしく激して誤まって父母の写真を投附たものゝ、それはその夜の失望が大いに怒を助けて居たので、実際貞之進の肚裡にまだ十分の疑いが蔓って居たのではなく、五分の疑いに五分の打消しが添って居て、疑いが一分伸れば打消しも一分伸び、打消しが一分伸れば疑いも一分伸び、疑いと打消しとがたがいに地歩を争って居たので、気を鎮めて後疑いの方から考えれば、浜田という姓は縁結びの時聞たことがあれば、それが小歌の旦那に相違無く、黒の羽織と云うのがお酌の頃からの深間であるとして見ると写真を取りに行ったことは淀文の二階で聞いたことがあれば、それが小歌の情夫に相違無く、旦那もある情夫もあるとすると、そこで自分が今までの望の達し得られないことが知られて、腸はまたゝちまち沸騰点に昇詰る、が、さらに打消しの方から考えれば、初めて鳴鳳楼で逢った以来儂のではお厭なのと云って手巾を出されたことを第一として、自分と手を牽れて歩いた事、結んだ綯に目賀田とあるを悦んだ事、御新造さまと呼ばれて莞爾あいよと笑った事、それやこれや小歌の我れに対する誠が一通りでないようで、かつまたあの優い小歌に、男の二人も三人もあろうとは自分に較べてどうしても信じられなく成って、腸はまたたちまち氷点に下降だる、ことに幾度となく出会った小歌の挙動に確められなかったことをたゞ一夕の花次の蔭口に決断してしまうことが自分ながら、如何にも不公平の処置のように思われて、熱えたり冷めたり冷めたり熱えたり、どちらが何うとも突詰めかねて、自分で自分を武者苦者と掻むしるように苦ませた揚句が、とにかくもう一度小歌に逢った上でと、弱い決心をわずかに固めて、すぐ出向うとして気が付いて見ると、小歌に与える祝儀だけの物も、もう財嚢には残って居なかった。
国元の父と母とへ交る/″\あてた無心も、初めは短い文言で足りて、そして金は目算より多く寄越されたが、度重るほど文言は長くなって、そして金は目算より段々少なくなる。この上は仮設えるべき口実の種も尽て居たが、さればと云って小歌に逢わずには居られず、つるんだ金の手もとで出来るはずはないので拠ころなく巻紙の皺を展べて、洋燈の光と瞬きの数を比べながら筆を執ったが、さすが良心に咎められて、済まないことゝ思うとその手紙が止めたくなり、止めてはこちらが立たずと又一行とう/\切手を二枚要する長文句が出来上り、自分で持って出て郵便函へ入れようとしてなお躊い、向うから来た巡査に怪まれるのを恐れて思切って投込んだが、帰ってからその文句の廉々《かどかど》を諳んずるにつけて罪恐ろしく、よせばよかったと思っても見、首尾よく行けばいゝとも思って見、思い思って五日と経ったが返詞が無い、その間も金ゆえ逢れぬとなると倍一倍逢たさが差募り、わずか三四十銭の小銭を剰すばかりの蟇口を袂へ入れて、一夜ふらりと秋元を出たが、貞之進とてもそれで小歌に逢えると思ったのではなく、もしやの三字の外は言うにも言れぬ果敢ないことが頼みで、まず一散に柳橋まで乗り着けた。淀文の前春泉の前を、往復二度通り過ぎたが、顔を知った婢も見えず呼懸ける者も無し、敷居を跨ぐべき身ではないので、振返り勝に何かなく両国橋の上まで来て、新柳町の家々を見渡すと、いずれも二階に燈がかゞやいて、起ったり坐ったりの男女の影が障子にうつり、楽しそうな声が水を度って聞えるにつけて、おれも彼の座敷で飲んだことがある、あの桟橋に小歌が立って居てそれを二階から顔見合せて笑ったことがある、えゝッ今でも金があればと橋の欄干に拳を当てゝ、闇にも浅ましい自分のことは気が附かずに、遊んで居る奴原の横面に唾がしたいほどになり、橋から広小路へ斜に下りる時、電信局の横手から駈て来た車に、芸妓と箱丁と合乗りして居るその芸妓が小歌らしいので、我知らず跡逐駈るとその車は裏河岸の四五間目で停って、小歌と思ったのは夜目にも紅い幽禅の袂に、ぽっくり下駄のお酌であったのに力を落して引返し、それから新道表町をのそり/\と歩き廻る内、とある路次の内に梅之家小歌と一人名前の御神燈が、格子の中に掲げてあるのが見附かり、溝板と密接合った井戸流しに足音を掠めて、上り口の障子の中程に紙を貼った硝子の隙からそっと覗くに、四十あまりの女が火鉢の前にただひとり居るだけで、それがこちらを睨んだように思われたので周章てゝ戻ろうとして足元の芥箱に躓くと、それに驚いて屋根へ駈登った白斑の猫に、かえって貞之進の方が驚かされた。小歌は居ない、どこへ行った、浜田の御前か黒の羽織かとまた疑い出すと、宿で考えたよりも一層急激な胸騒ぎがして、再び吉川町の往還へまぐれ出た時、加賀屋横丁を曲った両人連れの女ひとりが、どうやら小歌に紛れがないようで、急いで自分もそこを曲ると、その女達は立花屋という寄席へ這入った。いつか小歌が落語が面白いと云ったことをおもい出して、必定それと自分もうか/\寄席へ這入り、坐を定めかねて立って居た今の両人の前へ廻って見ると、似ても似つかぬ三十近い薄痘痕、後から見ると頭髪ばかりが若いので、貞之進はいよ/\落胆して、すぐに出るも変なものとちょっと坐りは坐ったが、高座で何事を云うか耳には這入ない、他の笑ったのに誘われて顔を挙げると、ちょうどその時起って手水に行った女の、しょい揚の赤いのに疑念がかゝって、小歌ではあるまいかと用も無い椽境いの紙障をあけて、こちらへ這入ろうとするその女に衝当り、厭な人だよと云われてその顔を見れば、なるほど年ごろは十七八眼附もどこか似たようでも、小歌にそんな黒子はないと、誰かの罪でゝもあるように寄席を飛出し、又もや彼の路次をわざ/\通りぬけて、本意なく秋元へ帰ったが、それからは毎夜々々、そんなことに本郷から柳橋まで出て来て、話しにならぬ苦労に窶れて居たが、遂に小歌の影法師にも出逢わなかった。
十四
その内には雨も降る風も吹く、果は十銭五銭の車代にも差支え、同宿の誰れ彼れに当座借の二三度は仕たが、この頃の貞之進の挙止が尋常でないので、かつて貞之進をせびり続けた悪太原の如きに至っては、一層酷く嘲けりこそすれ白銅一箇快くは貸して呉ぬので、貞之進はたゞ怒り易い一方にのみ傾いて、沈黙男子の価値はとうに消磨えてしまったが、かの手紙を出してから数えるとおよそ十日の後、国元の父庄右衛門が前触もなくにわかに出京して、着したばかりでただちに秋元へ尋ねて来た。貞之進は自分の放埒を父が聞及んでのこと、ヒシと胸板を貫かれ、おず/\部屋へ迎え入れたが、庄右衛門は手織の袷に絹糸の這入ったゞけを西条の豪家として、頬から下へ福々しい顔に変りはなく、鬢すこし白んで、悦ばしそうに貞之進を諦視め、一旦思込んだ修行の遣り遂げるまでは、決して費用を吝む所存はなく、そうかと云ってお前を危ぶむではないが、今年ばかりは学資もたいていではない、それに又た過日の手紙どんな容子かとお袋が気に懸け、かた/″\用事もあるので自身出て来たとの話振りに、金を持って来られたことが明らかに知られて、首を垂れて聴て居た貞之進は、その時冷たい汗が腋下を伝わるとゝもにやゝ安堵し、手紙に書いたまゝの事を、ぽつ/\と句切って繰返すを、そうか/\と庄右衛門は点頭ながら四辺を看廻わし、いや厚い、いや細かい、これも読んだのかと取散らしある大字典の金字に目を留め、これは高価な物であろうと云われたに附込んで、書籍の代に追れますと、貞之進は紙の吸口で火鉢の縁を摩って居たが、三度の食に望みはないことだから、宿を新しく取るよりも、ほんの二三日此家で済めば結句勝手じゃがと、そのまゝ父に泊込まれて気が気でなく、親も大事金も大事しばし夜歩きも出来ずに居る仮の神妙が、真との念いをます/\募らせて、今ごろは小歌はどうして居るか、浜田の御前か黒の羽織か、まさかこの貞之進を忘れもしまいと、例によって寝てからの枕の上にも、疑いと打消しとが旗皷相下らず闘って、明日の天気はと問れた父の詞に、縁結びで御在ますかと答えて、もう夢か寝附の早い男じゃと笑われ、やっと四日間の父の逗留を三五年ほどになやみくらし、これで私が雑用もと出立際にのこし往れた金の、思ったより多額なのに勇気が出て、父を上野まで送ったその日の暮れるのを待たず、請取っただけをのこらず懐ろにして出ようとする所を、目賀田さんちょっとと呼留めたは秋元の女房、じき帰りますとすでに下駄箱へ手を掛けたを、まあお待なさい話がありますと強て引留られて、余儀なく貞之進は呼れる方へ戻って行った。
形は正しく目賀田さんでも、金と魂いと入代って心こゝにない貞之進が、不機嫌そうに勝手の間の入口に立って、何ですと慳貪に問懸けるを、秋元の女房は下から上へじろりと見て、お坐んなさいと自分の座を少しさがり、しばらくは沈着払って黙って長煙管を吹して居たが、外ではないんですと云うのが口切で、親御さんがおいでの内は遠慮して居りましたが、今月で三月というもの入れて下さらぬのには困ります、ついぞそんなことのないあなたですから、二月や三月に御催促申すのではありませんが、何分御存じの不景気でと女房が手癖の前垂を引張って居るので、こいつ金の這入ったを知ってのことかと貞之進は、自分が悪いを先が悪いようにむら/\としたが、早く行たい早く逢たい早く実否を知りたい気が急いて、それではまず一月だけをと、あるにまかせてなにがしかの紙幣を数えて出すを、女房も数えて請取りながら更に上から下へ又じろりと貞之進を見直し、どこへお出掛と問うにそこまでと云えば、そこまでではありますまい、薄々聞て知って居ます、およしなさいよと異見めいた詞の端の顕われたのが、貞之進には先で考えるより強く当って、いえそんな、いえそんなと詞訥ってもじ/\としかけた時、お神さんと忙だしく台所先で小女が呼んだので、何だねと談話半分で女房が立って行ったを幸いに、逃げるように貞之進は戸外へ出て、巻煙草を置忘れたことに気が附いたが、それを取りに這入るのさえ面倒に思って、十本入の「ふらぐらんと」を角の新店で買い、二銭の増賃に両国まで車を急がせたが、ちょうど向うへ行着いた時、燈がちらほら点初めた。
急わしく格子の開く音に飛で出たのは、彼の円顔の婢で、おや目賀田さんと云ってそこに有合せの下駄を突懸け、せっかくで御在ますが今日はお約束で、みんなお座敷が塞がって居ますのでと、這入るなと云ないばかりに門口まで出て来ての挨拶、貞之進はあっと口の明くのを知らないほどであったが、どうぞ又と云れるを名残に帰ろうとすると、奥から今ひとりの婢が出て来て、前の婢に何やら囁いたと見えると、あなた/\とにわかに貞之進を呼戻し、少々で申上げるのでは御在ませんがと云いながら申上げたのは払残の勘定の請求で、貞之進も初めて勃然としたが、気をかえてそれじゃアお払を仕ましょうと、立ったまゝでその少々を渡して居る時、がら/\と曳込んだ一輛の黒塗車、五十恰好の中肉のどこか威厳のある紳士が、鷹揚に上って行くを、入来ゃいましたと呼ぶより先に内儀が出迎え、貞之進には目もくれずに随いて這入ったが、丸髷を見てお遣り遊ばせ、よく似合いますという声が、その時二階の上り口あたりでするのが漏聞えた、只今お請取をと云うのを、いや入らない預けて置くと貞之進は立出たが、今のが浜田の御前ではあるまいか、羽織もずッしりとした黒であったがと思うと、丸髷がよく似合ったと云うは小歌が居たのではあるまいかとまで疑われて、春泉の門を睨み/\河岸へ出たが、そうなると小歌に逢うことがいよ/\急がれ、別に馴染の家もないので仕方なく淀文へ行くと、お珍しい、お久し振、お見限りと、変ったことのない※ 待いに貞之進も少しく胸を撫で、膳より先に小歌をと云うと、はいと女は下りて行ったが、やがてお生憎さま春泉へ出て居るそうですと告られて、貞之進はたちまちカッと胸に火が燃え、酒一滴もまだ口へは入れぬに顔は熱り、そうとも知らぬ女が、もうちっとしたら貰えましょうと慰めるのも油になって、やゝ久しく無言で居たが、筆をと云うに女が硯筥を持来り、磨りましょうという下からもはや筆を溜り水に染めて、にじむも構わずさら/\と手紙を認め、これを春泉へ持たせてやり、小歌に逢って返詞を聞て来てくれと畳へ投出し、婢の後影を目送って自分で銚子へ手を懸けたが、貞之進が生れてから、手酌に二盃の酒を続け呑にしたことは、実にこの時が初めてだ。
十五
もちろん手紙とてもあえて深しい訳があるのではなく、ちょっとでもいゝから来て呉まいかとの意味で中へは「淀文にて目賀田」と記したが、上書にはただ「小歌さま」とあっただけのことだ。しばらくして婢はその手紙の封の破られたまゝ持って来て、たゞいま箱丁が帰って申しますには、春泉へ参って小歌さんを呼出して貰い、じかに渡しましたところお客さまはどなただとの尋ねだそうで、存じませぬと云うとこの手紙を披けて見て、どうぞ宜くと云って返したそうですから、お返詞はと重ねて尋ねましたら、返詞は入らない宜しくと云って下さればいゝとのことで御在ましたと、そうとは知らないあけすけな復命方に、貞之進の肚裡は一層二層三層倍に沸返って、突然その手紙を取って丸め、丸めたのを噛んで前なる川へ投り込み、現在封を破った上で、持って帰ればいゝとはどこがいゝ、おのれ覚えて居ろと天地に向って吐く息に無念の炎が燃えるばかりなのを、今日は小歌さんは丸髷で居たと云いますから、失礼だと思って来ないのでしょうと取做す婢の手前、じっと堪らえれば堪らえるほど手も膝も顫え、罪もない淀文の梯子を荒々しく踏んでその夜は帰ったが、それも一旦の怒でさて又鎮って考えると、もしや小歌が春泉の思惑をかねて、わざとそうしたものでもあるように思われ、その翌晩その翌々晩つゞけて淀文へ来て小歌をかけさせたが、ただ遠出とばかりで影だも見せない、さては噂の通りと貞之進が恨はこの時頂きに上り、床の裡の次団太は自分を驚かして、寝られぬものを無理に寝かせ、夜明けて起るさえが懶くなって、横倒しにした枕に肱を乗せて腹這になって居る時、隣室とまちがえて小女が投込んで行った新聞紙を、ふと取上げて絵のある下の方を見ると、一番に目についた標題は小歌の落籍、その要をつまんで云えば、柳橋の芸妓梅乃家小歌が黒の羽織と仇名された深間のあったを、仲間の花次に奪われた面目の見せつけに、かねて執心の厚かった浜田の御前へ春泉の内儀からすがらせて、今度いよ/\廃業するとの記事であった。貞之進はその始終を読むか読まないに、はや髪の毛の逆立つようで、両手を新聞の上に突いてじり/\と睨んで居る間に、いつかその新聞紙は二つに裂かれて居た。
嘘であるべく願って居た疑いの方からすれば、それが実であったゞけで小歌の廃業について怪む所はないが、実であるべく祈って居た打消しの方からすれば、それが全く嘘であったので、約束したでもないことが心変りかのように思われ、為に貞之進はほとんど狂する如くで、外に忿怒の色の現れるだけそれだけ、内に沈欝することのます/\多きを加えた。その日貞之進は頭から蒲団を被って、病気と云って学校へも行ず打臥して居たが、点燈頃むっくり起て戸外へ出で、やがて小さな鉄鍋に何やら盛って帰って来て、また床に這入って夜の一時とも思う頃徐々頭を挙げ、忘れて居たように急に火鉢へ山の如く炭を積んで、机の上にあった雑誌様のものを取ってそれを煽り立って居たが、活々と火のおこるを待って前の鍋を載せたのを見ると、中に盛られたものは油であった。油は次第に※ えて大小の粒のぶつ/\と沸立つ頃から、貞之進の形相は自然に凄じくなって、敲き附るように投込んだのは小歌の写真で、くるくると廻って沈んだと思うとすぐ浮上り、十二三分の間に写真は焦げ爛れて、昨日までは嬉しくながめられた目元口元、見る/\消て失ったを、まだ何か鍋の中に残って居るように、貞之進は手を膝に突いて瞬きもせずきっと瞻詰めてその夜の明るのも知らなんだが、火勢ようやく衰えて遂に灰となる時、貞之進の首は前に垂れて果は俯伏しになってしまった。早起の秋元の女房が、なお室内に残る煙に不審を立て、何の臭いかと貞之進の部屋の障子を、がらりと明けたその音に貞之進は驚き覚めて、や小歌かと突然起って足は畳に着かずふら/\と駈寄ったが、あっと云って後退る女房の声と同時に、ぱったりそこへ倒れて、無残、それから後は病の床、頬はこける眼は窪む、夜昼となしの譫言に、あの小歌めが、あの小歌めが。
(明治二十四年五~六月)
青空文庫より引用