忘れ形見
How kind, how fair she was, how good,
I cannot tell you. If I could,
You too would love her.
Procter : "The Sailor Boy ."
ミス、プロクトルの“The Sailor Boy ”という詩を読みまして、一方ならず感じました。どうかその心持をと思って物語ぶりに書綴って見ましたが、元より小説などいうべきものではありません。
あなた僕の履歴を話せって仰るの? 話しますとも、直き話せっちまいますよ。だって十四にしかならないんですから。別段大した悦も苦労もした事がないんですもの。ダガネ、モウ少し過ぎると僕は船乗になって、初めて航海に行くんです。実に楽みなんです。どんな珍しいものを見るかと思って……段々海へ乗出して往く中には、為朝なんかのように、海賊を平らげたり、虜になってるお姫さまを助けるような事があるかも知れませんからね。それから、ロビンソン、クルーソーみたように難船に逢って一人ッきり、人跡の絶えた島に泳ぎ着くなんかも随分面白かろうと考えるんです。
これまでは、ズット北の山の中に、徳蔵おじと一処にいたんですが、そのまえは、先の殿様ね、今では東京にお住いの従四位様のお城趾を番していたんです。足利時代からあったお城は御維新のあとでお取崩しになって、今じゃ塀や築地の破れを蔦桂が漸く着物を着せてる位ですけれど、お城に続いてる古い森が大層広いのを幸いその後鹿や兎を沢山にお放しになって遊猟場に変えておしまいなさり、また最寄の小高見へ別荘をお建てになって、毎年秋の木の葉を鹿ががさつかせるという時分、大したお供揃で猟犬や馬を率せてお下りになったんです。いらっしゃれば大概二週間位は遊興をお尽しなさって、その間は、常に寂そりしてる市中が大そう賑になるんです。お帰りのあとはいつも火の消たようですが、この時の事は、村のものの一年中の話の種になって、あの時はドウであった、コウであったのと雑談が、始終尽ない位でした。
僕はまだ少さかったけれど、あの時分の事はよく覚えていますよ。サアお出だというお先布令があると、昔堅気の百姓たちが一同に炬火をふり輝らして、我先と二里も三里も出揃って、お待受をするのです。やがて二頭曳の馬車の轟が聞えると思うと、その内に手綱を扣えさせて、緩々《ゆるゆる》お乗込になっている殿様と奥様、物慣ない僕たちの眼にはよほど豪気に見えたんです。その殿様というのはエラソウで、なかなか傲然と構えたお方で、お目通りが出来るどころではなく、御門をお通りになる度ごとに徳蔵おじが「こわいから隠れていろ」といい/\しましたから、僕は急いで、木の蔭やなんかへかくれるんです。ですがその奥さまというのが、僕のためにはナンともいえない好い方で、その方の事を考えても、話にしても、何だか妙に嬉しいような悲しいような心持がして来るんです。美人といえばそれまでですが、僕はあんな高尚な、天人のような美人は見た事がないんです。先下々《しもじも》の者が御挨拶を申上ると、一々しとやかにお請をなさる、その柔和でどこか悲しそうな眼付は夏の夜の星とでもいいそうで、心持俯向いていらっしゃるお顔の品の好さ! しかし奥様がどことなく萎れていらしって恍惚なすった御様子は、トント嬉かった昔を忍ぶとでもいいそうで、折ふしお膝の上へ乗せてお連になる若殿さま、これがまた見事に可愛い坊様なのを、ろくろくお愛しもなさらない塩梅、なぜだろうと子供心にも思いました。
近処のものは、折ふし怪しからぬお噂をする事があって、冬の夜、炉の周囲をとりまいては、不断こわがってる殿様が聞咎めでもなさるかのように、つむりを集めて潜々声に、御身分違の奥様をお迎えなさったという話を、殿様のお家柄にあるまじき瑕瑾のようにいいました。この噂を聞いて「それは嘘だ、殿様に限ってそんな白痴をなさろうはずがない」といい罵るものもありましたが、また元の奥様を知っていた人から、すぐに聞たッて、一々ほんとうだといい張る者さえあったんです。その話というはこうなんです。
人の知らない遠い片田舎に、今の奥さまが、まだ新嫁でいらしッたころ、一人の緑子を形見に残して、契合た夫が世をお去りなすったので、迹に一人淋しく侘住いをして、いらっしゃった事があったそうです。さすがの美人が憂に沈でる有様、白そうびが露に悩むとでもいいそうな風情を殿がフト御覧になってからは、優に妙なお容姿に深く思いを寄られて、子爵の御名望にも代られぬ御執心と見えて、行つ戻りつして躊躇っていらっしゃるうちに遂々《とうとう》奥方にと御所望なさったんだそうです。ところがいよいよ子爵夫人の格式をお授けになるという間際、まだ乳房にすがってる赤子を「きょうよりは手放して以後親子の縁はなきものにせい」という厳敷お掛合があって涙ながらにお請をなさってからは今の通り、やん事なき方々と居並ぶ御身分とおなりなさったのだそうです。ところがあの通りこの上もない出世をして、重畳の幸福と人の羨むにも似ず、何故か始終浮立ぬようにおくらし成るのに不審を打ものさえ多く、それのみか、御寵愛を重ねられる殿にさえろくろく笑顔をお作りなさるのを見上た人もないとか、鬱陶しそうにおもてなしなさるは、お側のチンも子爵様も変った事はないとお附の女中が申たとか、マアとりどりに口賢なく雑談をしました。徳蔵おじがこんな噂をするのを聞でもしようもんなら、いつも叱り止るので、僕なんかは聞ても聞流しにしちまって人に話した事もありません。徳蔵おじは大層な主人おもいで格別奥さまを敬愛している様子でしたが、度々《たびたび》林の中でお目通りをしてる処を木の影から見た事があるんです。そういう時は、徳蔵おじは、いつも畏って奥様の仰事を承っているようでした。勿論何のことか判然聞取なかったんですが、ある時茜さす夕日の光線が樅の木を大きな篝火にして、それから枝を通して薄暗い松の大木にもたれていらっしゃる奥さまのまわりを眩く輝かさせた残りで、お着衣の辺を、狂い廻り、ついでに落葉を一と燃させて行頃何か徳蔵おじが仔細ありげに申上るのをお聞なさって、チョット俯向きにおなりなさるはずみに、はらはらと落る涙が、お手にお持なさった一と房の花の上へかかるのを、たしかに見た事があるんですが、これをおもえば、徳蔵おじの実貞な処を愛して、深い思召のある事をおおせにでもなったものと見えます。おもえばあのように陰気で冷淡そうな方が僕のようなものを可愛がって下さるのは、不思議なようですが、ほんとうにそうなんでした。よく僕は奥さまの仰しゃる通りに、頭を胸へよせ掛けて、いつまでか抱れていると、ジット顔を見つめていながら色々仰ったその言葉の柔和さ! それからトント赤子でもあやすように、お口の内で朧におっしゃることの懐かしさ! 僕は少さい内から、まじめで静かだったもんだから、近処のものがあたりまえの子供のあどけなく可愛ところがないといい/\しましたが、どうしたものか奥さまは僕を可愛やとおっしゃらぬ斗りに、しっかり抱〆《だきしめ》て下すったことの嬉しさは、忘れられないで、よく夢に見い見いしました。僕はモウ先から孤になってたんだそうでお袋なんかはちっとも覚えがないんですから、僕の子供心に思うことなんざあ、聞てくれる人はなかったんですが、奥さま斗りには、なんでも好なことがいえたんです、「いいからどんなことでもかまわずお話し」と仰しゃるもんだから、お目に掛ったその日は木登りをして一番大きな松ぼっくりを落したというような事から、いつか船に乗って海へ行って見たいなんていう事まで、いっちまうと、面白がって聞ていて下すったんです。
時々は夢に見たって色々不思議な話しをして下すった事がありました。そのお話しというのは、ほんとうに有そうな事ではないんでしたが、奥さまの柔和くッて、時として大層哀っぽいお声を聞くばかりでも、嬉しいのでした。一度なんぞは、ある気狂い女が夢中に成て自分の子の生血を取てお金にし、それから鬼に誘惑されて自分の心を黄金に売払ったという、恐ろしいお話しを聞いて、僕はおっかなくなり、青くなって震えたのを見て「やっぱりそれも夢だったよ」と仰って、淋しそうにニッコリなすった事がありましたッけ。
マアどれほど親切で、美しくッて、好い方だったか、僕は話せない位ですよ。話せればあなただってどんなに好におなんなさるか! 非常に僕を可愛がって下すったことを思い出してさえ、なんだか涙が眼に一杯になります。モウ先のことだけれど、きのうきょうのように思われますよ。ホラ晴た夜に空をジット眺めてると初めは少ししか見えなかった星が段だんいくらもいくらも見えて来ますネイ。丁度そういうように、ぼんやりおぼえてるあの時分のことを考うれば考えるほど、色々新しいことを思出して、今そこに見えたり聞えたりするような心持がします。いつかフト子供心に浮んだことを、たわいなく「アノ坊なんぞも、若さまのように可愛らしくなりたい」といいましたら、奥様が妙に苦々しい笑いようを為って、急に改まって、きっぱりと 「マアぼうは、そんなことを決していうのじゃありませんよ、坊はやっぱりそのままがわたしには幾ら好のか知れぬ、坊のその嬉しそうな目付、そのまじめな口元、ひとつも変えたい処はありませんよ。あの赤坊は奇麗かは知りませんが、アノ従四位様のお家筋に坊の気高い器量に及ぶ者は一人もありません。とにかく坊はソックリそのまま、わたしの心には、あの赤んぼうよりか、だれよりか可愛くッてならないのだよ」と仰有って、少しだまっていらっしゃると思ったら泣出して、「坊はね能くお聞よ。先におなくなり為って、遠方の墓に埋られていらっしゃる方に、似てるのだよ。ぼうもねその方の通りに、寛大して、やさしくッて、剛勇くなっておくれよ」。こう聞いて訳もなく悲しくなって、すすり泣しながら、また何気なく、「アアその墓に埋ってる人は殿さまのようにえらいお方?」というと、さも見下果たという様子を口元にあらわして、僕の手を思い入れ握りしめ、「どうしてどうしてお死になされたとわたしが申た愛しいお方の側へ、従四位様を並べたら、まるで下郎を以て往たようだろうよ」と仰有ってまたちょっと口を結び、力のなさそうな溜息をなすって、僕のあたまを撫ながら、「坊もどうぞあの通りな立派な生涯を送って、命を終る時もあのようにいさぎよくなければなりません。真の名誉というものは、神を信じて、世の中に働くことにあるので、真の安全も満足もこの外に得られるものでないと、つねづね仰ったことを、御遺言として、記憶しておいで」と、心を一杯籠めて仰ったのを、訳はよく分らないでも、忘れる処か、今そこでうかがったようにおぼえているんです。
いつかはまた、ちょっとした子供によくある熱に浮されて苦しみながら、ひるの中は頻りに寐反りを打って、シクシク泣ていたのが、夜に入ってから少しウツウツしたと思って、フト眼を覚すと、僕の枕元近く奥さまが来ていらっしゃって、折ふし霜月の雨のビショビショ降る夜を侵していらしったものだから、見事な頭髪からは冷たい雫が滴っていて、気遣わしげなお眼は、涙にうるんでいました。身動をなさる度ごとに、辺りを輝らすような宝石がおむねの辺やおぐしの中で、ピカピカしているのは、なんでもどこかの宴会へお出になる処であったのでしょう。奥さまの涙が僕の顔へ当って、奥様の頬は僕の頬に圧ついている中に僕は熱の勢か妙な感じがムラムラと心に浮んで、「アア/\おっかさんが生ていらっしゃれば好いにねえ」というのを徳蔵おじが側から「だまってねるだアよ」といいましたッけが、奥様が「坊はわたしが床の側に附ていて上ればおんなじじゃないか」とおっしゃったのを、僕がまた臆面なく「エエあなたも大変好だけれど、おんなじじゃないわ。だっておっかさんは、そんな立派な光る物なんぞ着てる人じゃなかったんだものを」というと、それはそれは急にお顔色が変ったこと、ワットお泣なさったそのお声の悲そうでしたこと。僕はあんなに身をふるわしてお泣なさるような失礼をどうしていったかと思って、今だに不思議でなりませんよ。そしてその夜は、明方まで、勿体ないほど大事にかけて看病して下すったんです。しかし僕はあなたが聞いて下さるからッて、好気になって、際限もなく話しをしていたら、退屈なさるでしょうから、いい加減にしますが、モ一ツ切り話しましょう。僕はこの時の事が悲しいといえば実に何ともいえないほど悲しいんですが、またどことなく嬉しいような処もあって、判然覚えているんです。丁度しわすのもの淋しい夜の事でしたが、吹すさぶその晩の山おろしの唸るような凄い音は、今に思出されます。折ふし徳蔵おじは椽先で、霜に白んだ樅の木の上に、大きな星が二つ三つ光っている寒空をながめて、いつもになく、ひどく心配そうな、いかにも沈んだ顔付をしていましたッけが、いつか僕のいる方を向て、「ナニ、奥さまがナ、えらい遠方へ旅に行しッて、いつまでも帰らっしゃらないんだから、逢に来いッてよびによこしなすったよ」と気のなさそうにいいました。何か仔細の有そうな様子でしたが問返しもせず、徳蔵おじに連られるまま、ふたりともだんまりで遠くもない御殿の方へ出掛て行ましたが、通って行く林の中は寂くッて、ふたりの足音が気味わるく林響に響くばかりでした。やがて薄暗いような大きい御殿へ来て、辺の立派なのに肝を潰し、語らえばどこまでもひびき渡りそうな天井を見ても、おっかなく、ヒョット殿さまが出ていらしッたらどうしようと、おそるおそる徳蔵おじの手をしっかり握りながら、テカテカする梯子段を登り、長いお廊下を通って、漸く奥様のお寝間へ行着ましたが、どこからともなく、ホンノリと来る香は薫り床しく、わざと細めてある行燈の火影幽かに、室は薄暗がりでしたが、炉に焚く火が、僅か燃残って、思い掛けぬ時分にパット燃上っては廻りを急に明るくすると思えば、また俄かに消失せて、元の薄暗がりになりました。僕は気味悪さに、ただそこここと見廻している斗りでしたが、「モット側へおより」と徳蔵おじにいわれて、オジオジしながら二タ足三足、奥さまの御寝なってるほうへ寄ますと、横になっていらっしゃる奥様のお顔は、トント大理石の彫刻のように青白く、静な事は寝ていらっしゃるかのようでした。僕はその枕元にツクネンとあっけにとられて眺めていると、やがて恍惚とした眼を開てフト僕の方を御覧になって、初て気が着て嬉しいという風に、僕をソット引寄て、手枕をさせて横に寐かし、何かいおうとして言い兼るように、出そうと思う言葉は一々長い歎息になって、心に畳まってる思いの数々が胸に波を打たせて、僕をジット抱〆《だきしめ》ようとして、モウそれも叶わぬほどに弱ったお手は、ブルブル震えていましたが、やがて少し落着て……、落着てもまだ苦しそうに口を開けて、神に感謝の一言「神よ、オオ神よ、日々年々のこの婢女の苦痛を哀れと見そなわし、小児を側に、臨終を遂させ玉うを謝し奉つる。いと浅からぬ御恵もて、婢女の罪と苦痛を除き、この期におよび、慈悲の御使として、童を遣わし玉いし事と深く信じて疑わず、いといとかしこみ謝し奉る」と。祈り終って声は一層幽に遠くなり、「坊や坊には色々いい残したいことがあるが、時迫って……何もいえない……ぼうはどうぞ、無事に成人して、こののちどこへ行て、どのような生涯を送っても、立派に真の道を守ておくれ。わたしの霊はここを離れて、天の喜びに赴いても、坊の行末によっては満足が出来ないかも知れません、よっくここを弁えるのだよ……」。仰って、いまは、透き通るようなお手をお組みなされ、暫く無言でいらっしゃる、お側へツッ伏して、平常教えて下すった祈願の言葉を二た度三度繰返して誦える中に、ツートよくお寐入なさった様子で、あとは身動きもなさらず、寂りした室内には、何の物音もなく、ただ彼の暖炉の明滅が凄さを添えてるばかりでした。子供ながらもその場の厳かな気込に感じ入って、佇んだままでいた間はどの位でしたか、その内に徳蔵おじが、「奥さまはモウおなくなりなさったから、お暇しなければならない、見納にモウ一度お顔をよく拝んでおけ」と声を曇らしていいました。僕は死ぬるという事はどういう事か、まだ判然分らなかったのですが、この時大事な大事な奥様の静かに眠っていらっしゃるのを、跡に見てすすり泣きしながら、徳蔵おじに手を引れて、外へ出た時、初めて世はういものという、習い始めをしました。
これからあと直に、徳蔵おじはお暇を願って、元と出た自分の国へ引込みました。徳蔵おじはモウ年が寄って、故郷を離れる事が出来ないので、七年という実に面白い気楽な生涯をそこで送り、極おだやかに往生を遂る時に、僕をよんで、これからは兼て望の通り、船乗りになっても好といいました。僕は望が叶たんだから、嬉しいことは嬉しいけれど、ここを離れて行くとなると何だか心残です。ですが僕はこんなに気楽には見えてもあのように終りまで心にかけて、僕のようなものの行末を案じて下すった奥さまに対して、是非清い勇ましい人物にならなくッてはならないと、始終考えているんです。
青空文庫より引用