普段、何気なく手に取る本の表紙。私たちはそのデザインから、物語の雰囲気や時代背景を無意識に感じ取っています。本の「顔」とも言える装丁は、単なる飾りではなく、読書体験を豊かにする重要な要素です。今回は、日本近代文学の金字塔である夏目漱石の『吾輩は猫である』を題材に、その奥深い装丁の世界を覗いてみましょう。
橋口五葉による初版の装丁
1905年(明治38年)に出版された『吾輩は猫である』の初版。その装丁を手掛けたのは、当時まだ東京美術学校の学生であった橋口五葉(はしぐち ごよう)でした。漱石自身が彼の才能を見出し、デザインを依頼したと言われています。
上中下巻の三冊からなるこの初版本は、それぞれが全く異なる図案で構成されており、見る者を飽きさせません。上巻(右)はアール・ヌーヴォー調の文様の中に古代ギリシャ風の人物?猫?が描かれ、中巻は蓮の花と根が大胆に配置されています。そして下巻でようやく、かわいらしい猫が登場します。
西洋と東洋の融合
橋口五葉のデザインには、当時ヨーロッパで流行していたアール・ヌーヴォーやユーゲント・シュティールの影響が見られます。しかし、それらを単に模倣するのではなく、日本の伝統的な文様や浮世絵の構図と融合させることで、全く新しい独創的なスタイルを確立しました。この和洋折衷のデザインは、まさに明治という時代そのものを象徴しているかのようです。
『行人』まで漱石の著作はすべて五葉が手掛けることになります。また漱石以外にも、森田草平、鈴木三重吉、森鷗外、永井荷風、谷崎潤一郎、泉鏡花の装丁を手がけました。
海を渡った猫:初期英訳版の装丁
一方、こちらは1906年に出版された最初期の英訳版『I AM A CAT』です。日本の初版とは全く異なるアプローチが興味深い一冊です。表紙には、読者をまっすぐに見つめる猫の顔が大胆に描かれ、赤い手書き風のタイトルが強い印象を与えます。これは、内容を象徴的な図案で表現した日本版とは対照的に、物語の主人公である「猫」をストレートに提示するデザインです。ちょっとびっくりする顔ですよね。
文化や読者が異なれば、本の見せ方も変わります。この英訳版の装丁は、海外の読者に対して「これは猫の視点から描かれたユニークな物語である」ということを、一目で伝える役割を果たしていたのかもしれません。二つの異なる装丁を比較することで、それぞれの文化におけるデザインの考え方の違いが浮き彫りになります。
装丁が語りかけるもの
『吾輩は猫である』の装丁は、単なる本のカバーという枠を超えた一個の芸術作品です。それは、夏目漱石という作家の先進性と、橋口五葉というデザイナーの才能が出会うことで生まれた奇跡と言えるでしょう。最近はジャケ読み(装丁で買う本を決める)人も多いそうですが、こうした昔の装丁に出くわす機会がめったにない現代においてこういった紹介をするのも良い取り組みかなと思い始めたコーナーになります。
ShelfHubでは「これを読もう」のページで昔の装丁もセットで紹介するコーナーを設けています。ぜひ活用してみてください。きっと面白い本に出合えますよ?